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魔

な

広

告

よ け ス ペ ー ス で す。

2004年4月29(木)
<<しばらく休業>>
午前中は昨日まとめたメモの見直し。昼食後Herzog先生と少し研究打ち合わせ。 Herzog先生の一連の予想に対し、最初の方のものは全て証明できたのだが、 「いよいよ本丸予想」については、私としてはほとんど否定的な感触を持って いた。今日はそのことについて、じっくり説明する。

その後、ザマニさんのゼミ。linear resolutionとCastelnuovo-Mumford regularity に関する有名なEisenbud-Gotoの定理の証明の紹介。大学院生のお勉強ゼ ミのような内容だけど、何度聞いても味わい深い証明である。

さて、5月4日から3週間ぐらい、日本に一時帰国することになりました。 まあ、別に丁度連休で大学の事務が完全閉鎖されている頃を見計らって、隠密 帰国を狙ったというわけでもないのですが、日誌の更新は明日からしばらくお 休みになろうかと思います。

2004年4月28(水)
<<意地悪>>
ここ2,3日バタバタしていて小さな命題や計算結果のメモをまとめる暇が無 かったので、早起きして8時半頃に大学に出勤し、昼食後少しHerog先生と打 ち合わせた以外は、終日TeX打ち。先日のドイツ的散歩の疲れが出たのか、足 が少しだるい。3月の終わり頃からスポーツlクラブに行ってないし、体がな まっていたのであろう。

それにしても、電話のドイツ・テレコム、荷物輸送のドイツ税関、滞在許 可の外人局の全てがクリアされて、ようやく落ち着いてきた感じである。こう いう役所あるいは準役所的な所は、ちょっと間違うととんでもなく厄介な事に なる一方、ちょうど知恵の輪を解いているような具合で、うまくやれば案外ス ムーズに事が運ぶ傾向があるように思う。それは、そこに関わる人たちが、 ちょっといい加減なくせに融通が利かず、しかしながら基本的に意地悪では無 いからだろう。

私は日本で、これが意地悪な人間というものかという、意地悪 の標本のような人物に出会った事があるせいか、相手が心底意地悪でない限り、 とりあえず何とかなるさという、妙な楽観主義を持っている。

2004年4月27(火)
<<外人局3回目>>
本日朝一番で外人局3回目の挑戦。9時20分頃外人局に到着し、物々しい金 属探知機のチェックを経て、3階(日本式に言えば4階)のフロアへ。この写 真は外人局3階の案内表示。3階のところは、「東ヨーロッパ、2階4階で扱っ ている以外のアジア、アフガニスタン、インド」等々と書かれている。そこの 一つの部屋の職員から番号札をもらて、番号が呼ばれるまで待合室で待つとい うシステム。今日の番号札係は、私が密かにFrau Das-kann-ich-nicht-lesen! (「私こんなの読めないわ!」おばさん)と呼んでいる、ヘビー・スモーカー で心が凍りつくほど冷たそうな目をした中年女性。私の見たドイツ人の中で、 こういう目をした人は幸いにして少ない。

「前回、(貴女が必要書類についていい加減な事を言うから)持って来な かった健康保険の書類を持ってきました。これで5ヶ月の滞在申請をしたいん です」と、日本語と英語で書かれた旅行保険の契約証を見せると、予想通り 「え?何これ?こんなの私読めないわ!」などと騒ぎ始める。今日は流石に、ドイ ツ語で書かれた旅行保険の契約証でないと認めないなどという馬鹿な事を言わ せるわけには行かない。「いえいえ、ここを良く見てください。英語でも同じ 事が描かれてます。しかも、これは短くて簡単な英語ですよ!」とたたみかけ る。「ふーむ。じゃあ、別の係の人がちゃんと読んでくれるでしょう。ところ で、これが病気の時の保険金額ですか?単位はオイロですか?」「(んなワケ ないでしょうに!)いいえ、円です。1オイロはだいたい130円ぐらいです」 「ふーむ。だったら、この保険金って少なすぎるんじゃないかしら。」おや!? Frau Das-kann-ich-nicht-lesen! は英語はともかくとして、数学は お得意のようで。それは素晴らしい!ゼーア・グート! 「いいえ、ここに『1000円単位』と書かれて ますから、こちらの数字の最後にあと3つゼロがつきます。」「じゃあ、かなり の金額になるわね。」「(ご名答!立命館大学数理科学科教授の不祥私めが、 貴女の数学的実力の保証人を買って出て差し上げましょう)はい」「じゃあ、番号札を 発行します。今日は長く待つことになりそうですけど、いいですか」「はい」 と今日は、無事番号札発行にこぎつける。

今日は何故か東ヨーロッパあたりから、ビザの申請等でいつもよりも(私 は何度もここに来ているので「いつも」がどんなのか、よく知っている!)大 勢の人がやってきて、9時半から待ちつづけて、13時から1時間の昼休みを 経て、結局私の番号が呼び出されたのは14時過ぎ。その間、ドイツ的に(!) 暗い待合室の堅い椅子に座って論文が読めたし、昼休みには抜け出して、バス に乗って大学に戻り、メンザで大急ぎで昼食を済ませ、またバスに飛び乗って 14時ちょっと前に外人局に戻ったりしていた。

14時過ぎに番号が呼ばれ、某室の初めてみる女性職員のもとへ。「(日 本から電子メイルで必要書類を問合せたのに対して、貴女の同僚が出鱈目な返 事をよこし、さらに今貴女の隣に座っているFrau Das-kann-ich-nicht-lesen! が、エッセン大学からの英文の招聘状にパニックを起こしたのか、また出鱈目 な必要書類を答え、先週の番号札割り当ての若い男性職員が『うん。確かに必 要書類は完璧ですね』と言っていたにもかかわらず、2時間待った挙句に呼び 出された、貴女の隣の部屋に居る明るい瞳の若い同僚女性職員から)先週不足 していると指摘された健康保険を持って参りました、云々。」さあーて、今度 はどう出てくるかな。「あら、英語だわ。ちょっと良く読んでみますから、外 で待っててください。」おや、まあ、ヘビー・スモーカー氏に限らず、皆さん Das-kann-ich-nicht-lesen! なんですかね。と、待つこと20分、やっと5ヶ 月の滞在許可が下りる。

ああ、この外人局もこれで見納めなのかな、と一寸寂しい気分で大学に戻っ たのは、15時30分を過ぎた頃。Herzog先生は一言「今までかかってたの か?!」そうだよ、何かご不満でも?としか答えようがないな。

くたびれ果てて放心状態が醒めないうちに、17時前から代数幾何学・数 論・可換環論グループ合同のオーバー・セミナー。今日はゲッチンゲン大学の 若い人が、ラングランズ対応がどうのこうのという、数論の話をしていた。日 本の数学者にもよく見られる、黒板の字を猛烈に小さく、かつ、筆記体で誰に も読めないように書きたがる人だな、という事以外、何も覚えていない。

2004年4月26(月)
<<ドイツ的散歩>>
午前中は、ドイツ語中級クラス。これはエッセン大学が、留学生向けに開いて いるドイツ語会話講座。ヨーロッパやアジア、アフリカなどから20名以上の 生徒が集まっていた。今日は自分の好きな風景の絵などを紙に描いて、それを 胸に貼って互いに自己紹介や質問をし合うという、カクテル・パーティ型ロー ルプレーイング。アドリブで話さねばならず、かなり疲れる。

午後はHerzog先生の グレブナ−基底の講義の後、Herzogグループ総勢5名の「散歩(Spaziergang)」。 勿論、ドイツ語のSpaziergangは「散歩」と訳されるが、日本の散歩(=散策) とはまるで違う。まずHerzog先生の「Ext 314」というコホモロジーの好きな 代数系の数学者ならば泣いて喜ぶ特注(?)ナンバーのBMW(やった!BM Wだぜい!ベーンベ、ベーンべ!!)に乗って、エッセン南部のヴェルデン(Werden)という街まで行く。 そこで車を降り、街の本屋で森林散策用地図を買ってから、街の裏手の森に入 る。森の中の山あり谷ありの延々6〜7キロぐらい道をひたすら突き進み、最 後に隣町のケットヴィヒ(Kettwig)に出て、そこから電車でヴェルデンに戻り、 車で帰ってくるという計画。

写真は、ヴェルデン駅で車を降り「さあ行くぞ!」とヴェルデンの街に向か うHerzog先生と、彼に元気良くついて行く山登りは得意という ザマニさんの(後ろから見た)勇姿。 その数分後、近くの書店で森林散策用地図を探したものの売り切れており、地 図無しで森に入ることに。すれ違う人たちに道を訪ねながら突き進み、2時間 程歩き回ったものの結局ケットヴィッヒにはたどり着けず、ケットヴィッヒを 通り越したケットヴィッヒ・シュタゥゼー(Kettwig Stausee)まで行って、そ このキャンプ場横の休憩所で冷たい物を飲んでから(勿論ケットヴィッヒまで 先導できなかった責任を取ってHerzog先生のおごりである)、電車でヴェルデン に戻ることとなった。Herzog先生のBMWで 自宅に帰ったのは夜8時頃(といっても、こちらは夜9時頃まで昼間のように 明るい)。

エッセンに来てから、山科駅前ラクト・スポーツ・クラブのような、公立 の安価な運動施設を探しているのだけど、どうも適当なものが見つからない。このド イツ的散歩で、少しはなまった体が回復したような気がするな。

2004年4月25(日)
<<日本的散歩>>
睡眠不足解消のため朝はゆっくり起き、夕方頃までソファーに 寝っ転がって論文読みなど。夕方は近所に1時間程散歩。

写真は、自宅から10分ぐらい歩いた所にある、広大な畑だか草原だか何だか わからない土地。日本の畑ならば細かく区切られているし、日本において「街 の近くの草原」なる概念は存在し得ない(そんなものがあれば、たちまち10 0平米未満の小さな住宅がびっしり建てられる)。だから、ここは何なのか正 直言って正確な所はわからない。とにかく、まだ日も高い日曜日の夕方、人々 はここをのんびりと散策しているのである。この草原(のような所)に 隣接して、墓地(Friedhof)がある。墓石が所狭しとびっしり立ち並ぶ日本の 墓地と違って、ここはまるで公園である。墓地でも多くの人たちが散策を 楽しんでいた。

2004年4月24(土)
<<改善>>
本日シュパーゲル・プロジェクト決行の日。何故か6時半に目が醒めて、睡眠 不足の頭で少し計算して眠気がさめてきた頃に朝食をとり、しばらくしてから、 徒歩15分ぐらいの所にあるステ−レの土曜朝市(Wochenendemarkt)へ。新 鮮な白シュパーゲル1kg4.80オイロ也(約620円)と、ニンニク1個 0.70オイロ(約90円)、苺1パック2.60オイロ(約340円)を購 入する。今日の昼食は勿論料理本を見ながら、大家さんの奥さんご推薦の朝市 シュパーゲルの料理。食後、少し計算をしてから出勤。大学に置いてあるパソ コンで、計算結果を整理。

前回滞在時に比べてエッセン大学も微妙に変わっているのだが、私に直接関係 することといえば、プリンターも図書館もメンザも、色々な物事が、私のよう な客員研究員にとってはすこぶる不便になるように「改善」されたようである。

Herzogグループ内部のこととしては、昼食後のカフェーでの歓談の習慣が 無くなっていた。昼食後はHerzog先生の部屋に集まって、(チェンさんがプレ ゼントしたという)コーヒー・メーカーでお茶やコーヒーを入れて皆で雑談す るのだという。しかし、ザマニさんもチェンさんも、のんびりお茶を飲んでな どというのがあまり好きでもないらしく、結局色々な理由をつけて昼食後はす ぐに仕事に戻ってしまう。したがって、Herzog先生もやはりメンザから戻って すぐに午後の仕事を再開するようである。

2004年4月23(金)
<<必要書類>>
午前中は外人局へ滞在許可申請の2回目。外人局というのはお役所なので勿論 融通は利かないのだけど、役人がそれに見合うだけきっちりしているかという と、そうでも無さそうである。彼らに滞在許可申請に必要な書類を尋ねると、 その度に違った答が帰ってくる。1度目は日本からメイルでの問合せ、2度目 は外人局の某役人から直接に、そして今日は別の役人から直接に。彼らに言わ れた必要書類を全て揃えて持って行っても、またこれこれの書類が足りないと いうことで、再度出直すことになる。さらに、今回は書類不備ということで、 元々3ヶ月あった滞在許可を(とりあえずは、ということで)2ヶ月に減らさ れるというオマケまでついてしまった。Herzog先生はこの事を聞いて一言「あ の、イカレタ役人連中めが...」

私はドイツ・テレコムの経験があるので、ドイツの役所で物事がすんなり 片付くとは全然思っていないし、その事を強く抗議したとしても、責任者が謝 罪するわけでもないことをよく知っている。それどころか、同じ手続きであっ ても、役所に何度も足を運ぶとなれば、それだけたくさん実際の現場でドイツ 語を使う経験を積めるから好ましいとまで思っている。さらに、ドイツの外人 局なんて一生の間にそう何度も行けるものではないし、もうちょっと中の様子 を見せてもらおう、などというスケベ根性も頭をもたげている。

しかしながら、ここは彼らに一言言ってやらないと示しがつかない。そこ で、今日の役人に対して「あなた方が必要だという書類は私が聞く度に違って いる。これで私は3回目である。ひとつここでお聞きしたい。貴女の言うこの 書類を揃えれば本当に大丈夫なのですね?」と念を押しておいた。勿論、明る い瞳をした、まだ20代と思われるその女性職員は「はい、そうです」と胸を 張って答えた。それは彼女が必要と信じている必要書類であって、10日程前 にヘビー・スモーカーの中年女性職員(彼女は3年間の滞在時にも私の申請を 担当した人である)が必要と信じていた書類とは少し違う。だから、 来週出直して別の役人に当たればまた違う事を言うかも知れない、と推定 する根拠は十分あると思われる。

という事で、楽しい午前を過ごして午後から出勤。Herzog先生と少し研究打ち 合わせなど。大学に来てみれば、桜の花びらがはらはらと降っていた。日本の ような桜並木は見られないけれど、ドイツでも桜はちょくちょくあるようだ。 花びらを散らしていたのは、日本では余り見られない、緑の葉と白い花びらが 同時に咲き誇る種のようだ。この写真は日本で多いソメイヨシノに比べて濃い ピンク色の花びらをつける種。エッセン大学は小さなキャンパスだけど、天気 の良い日は、向こうの方まで続いているこの芝生で、学生達がのんびり寝そべっ たりしている。

2004年4月22(木)
<<不思議>>
午前中は昨日の宿題に取り組み、昼食後はその結果をHerzog先生に報告して少 し議論し、少ししてから火曜日のセミナーの続きの発表。話の終わりの方で、 その教室で講義が始まるというので追い出され、すこし尻切れトンボになって しまい、基本的なアイディアだけ喋ってメインの結果(といっても大した ものではないのだが)を十分話せなかったのが心残りである。 日本の数学教室でもそうかと思うが、ゼミ室の確保というのはなか なか思うようには行かない。部屋に戻ってから、殴り書きの宿題の計算などを 整理する。その都度整理していかないと、Herzog先生の方から次つぎと色々な 話が降ってくるので、後で何が何だかわからなくなってしまう。「宿題?まだ できてませーん!でへへっ」ってな調子でやれば、もう少しゆったりするかし ら。でも、何だか怖くてそういう事はやったことがない。

ところで、来週からエッセン大学で無料で行われる外国人向けドイツ語会 話講座に通おうかと思う。チェンさんは既に2年半こちらに滞在して、ドイツ 語の聞き取りは十分できるにもかかわらず、初級クラスに参加するという。こ ちらに来てHerzog先生や同期の学生達の話すドイツ語を聞いて学んだけれど、 話す方は英語で済ませることが多いので、話す方の力や文法が弱いのだという。

私は英語もドイツ語も、図らずしも「読み」、「書き」、「話し」の順に できるようになり、「聞き」の方はそれからうんと時間を掛けないと上達しな い、という経緯をたどっている。初期の頃からできるだけ生の外国語を 沢山聞くようにしているのだけど、上達が非常に遅い。 だから、ドイツ人の会話が十分理解できるのに、話す方がからっきし駄目なん て事があり得るのかしら、と私は不思議でしょうがない。しかし、私は日本で 外国語を学ぶ人の典型で、チェンさんは現地で外国語を学ぶ人の典型なのかも 知れないな。

2004年4月21(水)
<<阿吽の呼吸>>
Herzog先生は無限にアイディアが出てくるらしく、何やら面白い事を思いつい ては、こういう事が成り立つと予想してるのだがどうだろう式の話を次々と持 ちかけてくる。それらの予想を確かめるのが私の仕事と、まあ阿吽の呼吸とい いましょうか、何となくそう決まっている。翌日の昼食時には大抵「昨日のア レはどうなった?」と聞かれるので、それまでに色々計算したり、証明したり、 反例を見つけたりと、結構大変である。私の本来のペースからすれば1ないし 2週間に1度ぐらいが丁度良く、毎日「どうなったか?」とチェックが入るの は猛烈に頭が忙しい状態である。

しかし、前回滞在時はHerzog先生の話の意味や技術的な内容を理解するの が大変だったのだが、あれから私も多少はオリコーさんになったらしく、大抵 の話は「ああ、ナントカ理論で使われるあの方法を応用しようという目論見ね」 という風に割合すぐに理解できるようになったのは幸いである。

ところで、朝出勤する ときはエッセン中央駅から地下鉄U-バーンに乗り換えるけれど、帰りは大学か ら徒歩でエッセン中央駅に向かうことが多い。殺風景な地下鉄よりも、季節も 良くなって豊かな表情を見せ始めた街を、ぶらぶら歩きしながら歩く方が楽し い。写真は大学近くの地下鉄ベルリン広場前を越えて、エッセン市街区域に入っ た所。右手には「狂気に満ちたドイツ的叫び」の表情をたたえた木、手前には アイスクリームの看板が見える。市街地には、サンドイッチやアイスクリーム、 フライド・ポテトなどのスナックを売る店や露天が沢山あって、どの 店も結構繁盛している。左手前方へ1,2分歩けばケネディー広場。 その脇にはドイツ・テレコムT-Punkt.

2004年4月20(火)
<<食わず嫌い>>
予定では昨日午前10時頃から自宅の電話が使えるはずだったのだが、昨日の 夕方大学から帰って来た時もまだ繋がっていない。やれやれ嫌な予感が的中し たな。さあ、ドイツ・テレコムとの長い闘いの始まりだ。勝手知ったる敵だし、 慌てることはあるまい。まずは腹ごしらえだと思って夕食を食べていると、 「ちわー。ドイツ・テレコムです!」とエンジニアの人がやってきた。こちら は何も言ってないのに、勝手に半時間ぐらいあちこちの配線を調べたりいじっ たりして、最後には電話を使えるようにして帰って行った。恐らく遠隔操作で 異常を発見してやってきたのだろう。兎に角めでたい話である。写真はケネ ディー広場前のドイツ・テレコムの窓口T-Punkt.

今朝はスーパーで食料品を買ってから出勤。昨夜、小学生以来食わず嫌い していたナルシーソ・イエペスのCDを聞きながら計算した結果をもとに、パ ソコンで具体例の計算など。昼食後はHerzog 先生と議論。夕方は、土日に準 備作業に追われたセミナーでの講演。今日中には終らなかったので、木曜日に もう一回話せとのこと。2回に分けてゆっくり話を聞いてもらえるとは、有難 いことである。やっぱり公私こもごも多少無理してでもドイツに来た甲斐があ るってもんだ。

2004年4月19(月)
<<カッコ悪い病気>>
何せHerzog先生は規則正しく出勤し、12時前になったらちゃんと昼食に誘い に来るので、私も日本に居る時とは打って変わって規則正しい平日の生活であ る。今日の午後から毎週、Herzog先生がグレブナ−基底の講義をするというの で聴講した。院生向けの正規の講義のようだけど、受講生は私以外はザマニさ んとチェンさんだけという、いささか淋しい状況。私の院生向け講義と大して 変わらないな。否、可換環論を専門にしている人ばかり3名も受講している事 を考えると、そう悪い状況でもないか。しかし、これが巨大な研究グループを 抱えるViehweg先生やEsnault先生の代数幾何学の講義なら、10名ぐらいの受 講生が集まると思う。

私は数学に転向して以来、代数幾何学と比べた可換環論のマイナーさを気 にしてしまうという、小市民的でカッコの悪い「病気」にかかっている。確か にMathSciNet などで検索して出版されている論文数だけを比べると、可換環 論は代数幾何学に比べて4割程度の規模である。しかし、代数幾何学が可換環 論以外にも数論や解析や幾何学との幅広く深い接点を持つ巨大分野であること を勘案すると、4割というのはそれほど悪い数字でもないように思う。つまり、 研究の活発さ自体はそれほど変わらないように思えるのだ。という風に自分を 納得させて、マイナーかどうかなどというつまらない事は、なるべく気にしな いようにしている。

2004年4月18(日)
<<日曜日の過ごし方>>
自称「夢見る数学者」なのに夢見が少し悪く、朝6時半頃目が覚める。もう少 し寝てようかと思ったが、結局起き上がってパソコンを立ち上げ、ソファーに 座ってゼミの準備。途中、朝食を食べてまた、ゼミの準備。さらに、昼食を食 べて、食後は先日壊れたCDプレイヤー・コンポに代わって大家さんに新しく 買ってもらったプレイヤーを組み立て、先日買ったCDを聞きながらゼミの準 備。17時前完了。あー疲れた!こういう時に限ってパソコンのディスクが壊 れたりして、、苦労して作ったレジュメ・ファイルが吹っ飛んでしまいましま いかと妙に心配になる。フロッピー・ディスク・ドライブを大学に置いてきた のが悔やまれる。

その後、気晴らしの散歩に出たものの、にわか雨に見舞われて 結局隣のマルチン・ルッタ−病院で雨宿り。少しフロアの中を見学し、パンフレット なども入手し、雨のやみ間を狙って帰宅。夜はアイロンかけをしたりして、のんびり過ごす。

2004年4月17(土)
<<土曜日の過ごし方>>
汗ばむような陽気が、すっかり春である。復活祭を境にして急に春になったと いう感じだ。来週のセミナーの準備を片付けるため、エッセン中央駅で昼食用 のサンドイッチを買って、完全閉鎖された大学に出勤。今日の昼間でさっさと 終らせて、今夜からは自宅のソファーに寝転がって読みかけの専門書でも読も うと思っていたのだが、結局そうも行かず、大学に置いてあったノート・パソ コンを持ち帰って、明日までかかって自宅で続きをやることとなった。

「数学前向き人生」の一貫として、内容の乏しい取るに足りないものと打 ち捨てた論文ではあるが、改めて見直してみると、あああの時はこんな事を考 えていたんだなとか、こういう方向で何か発見が無いかと思って結局うまく行 かなっただよなとか、満足な解は得られなかったけれど、この話の先にはこう いう大きな問題が隠れていて別の問題にこういう風に関連しているのだったな とか、色々な事を思い出す。これは、その問題を考えている時には、少なくと も私個人としては十分ふくらみのある時間を過ごしていたという証拠と思える し、その意味では自分にとっては全く無意味ではなったのだという慰めにはな る。さらにその事をセミナーで他の人に聞いてもらえたら、今後の発展のため の何かの足しになるかも知れない。

大学の駐車場では土曜日朝市をやっていた。前回滞在時にはそういうもの を見た覚えがない。露天市だから暖かい季節だけのものかしら。果物や野菜以 外にも、衣類や雑貨など色々なものが売られていた。その中に、数は少ないが 新物のシュパーゲル(Spagel, アスパラガスのこと)も出ていた。そういえば 大家さんの奥さんも、シュパーゲルは朝市で調達するのが一番良いと言ってた のを思い出し、買ってこうかどうしようかと迷ったけれど、周囲の人々の反応 などから、どうもまだ旬には早いらしいと判断し見送ることにした。

夕方自宅に帰ってくると、人々は小さな小屋付きの家庭農園などでのんび りと春の土曜日の午後を楽しんでいた。大家さん夫婦も、3人の小さな孫たち が遊ぶ様子を見守りながら、自宅裏の広々とした庭で洗濯物を干したり庭いじ りをしたりしてゆったりと過ごしていた。これも秋から冬にかけて滞在した前 回には見なかった光景である。

さて、今日の一枚はエッ セン大学近くの地下鉄ベルリン広場前駅の交差点からの風景。エッセン大学は エッセン市街中心地の外れにあり、この写真はちょうど中心街の方を臨んだも の。第二次世界大戦時に激しい空襲を受けたエッセン市には、戦前の古い建物 はほとんど残っていない。この写真に見るように、戦後に建てられた低層住宅 と現代的な高層ビルに、時々焼け残った教会がぬっと顔を出す。写真の高層ビ ルはエッセン市役所。ケルン(Köln)も大聖堂(Dom)以外はエッセンと似 たようなもの。しかしハイデルベルクは空襲を受けていないので、古く美しい 街並みが残っているそうである。今回滞在中に一度行ってみたいものだ。

2004年4月16(金)
<<数学あすなろう物語>>
イタリア出張のHerzog先生がドイツに帰ってくるのは月曜日だろうし、この週 末は、今まで読もう読もうと思っていて放置していた専門書を読みながらのん びり過ごし、来週からの忙しい生活に向けて英気を養おう。と考えていたら、 何と彼は昨夜は睡眠時間2時間で家族を乗せたワゴン車を運転し、今日の昼前 にイタリアからドイツに帰って来た。かくしてチェンさん夫婦、ザマニさん夫 婦、そしてHerzog先生と一緒に昼食。

昼食時の”公用語”は、いつの間にか英語、または英語とドイツ語の混 在形が「公用語」になっていた。現在は留学生ばかりでドイツ人学生が居ない からだろうが、前回滞在時には100%ドイツ語会話の昼食時間に苦しめられ た、そのリベンジを目指してゲーテに通った私の苦節3年は何だったのか。

昼食後Herzog先生は私の書いたへぼ論文の概要の話を聞いてくれた。「 その手の話は、もっと色々な新しい成果が出せそうな気がするな。 それではもう少し詳しい内容を、来週のセミナーでザマニさんたちの前 でレクチャーしてくれ。それを皆で検討して、新しいプロジェクトのスタート にしよう」と、週末の宿題が出てしまった。 新しい成果が期待できそうだとは、結構なことである。かなり深く広い 現象を対象に考えているのだから、それは確かにそうだろう。ただし、 何か良いアイディアがあればの話だが。 しかし準備のために自分の論文を読み直すのは、ちょっと、否、かなり気が重い。 それは何故か。

数学において私は常に「前向き」に生きている。どういう意味かと いうと、一度へぼ論文を書くとそのへぼさ加減に嫌気がさして、早くこんなも のは忘れて別の事をやろう。あの問題を考えていて不満足な解しか得られなかっ たから、今度は全く新しい問題を考え、今度こそはうまくやってやろうと考え る。"(歪んだ)数学あすなろう物語"を地で行っているのである。そして数学 に転向してからのこの7年ちょっとの間、次々と別のテーマに手を出してきた 。こんな調子だから、例えば、数ヶ月前に自分が見限った自分の論文 を見直さないといけない学会発表の準備というのも、やはり気が重いのである。

これは、一つのところでヤバくなったら別の所にズラかって、新天地でま たやり直せばいいさという、私の30代前半頃までの生き方と同じである。視 野をどんどん広げているのだと言えば聞こえは良いが、いつまでも「自分探し」 をやってられる歳でもあるまいし、数学者としてもあまり誉められた態度では ないかも知れない。

多くの数学者はもっと良い解は得られないものかと執念深く同じ問題を考 え続け、不満足な自分の論文にさらに発展の余地は無いものかと丹念に見直す ようである。という事で、自分のやったへぼな仕事を見直すのは気の重い ことだけど、 必要なプロセスのひとつなのかも知れない。