邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2004年8月31(火)
<<自信の無い人生>>
昨夜は遅くまで「評伝岡潔」に読みふけり、今日は昼前に起床。ちょうどドイ
ツから国際宅急便で送った荷物が届いたので、それの整理など。向こうから送った
シューベルトのCDを待ちわびてたのだ。それから、山
科駅前SBUXで一休みしてから歯医者。歯医者から帰ってからまた野暮用。
今日はとりとめもない話を2つばかり。
「評伝岡潔」に、早世した考古学者中谷治宇二郎(雪の研究で有名な中谷 宇吉郎の弟)の言葉として「人を相手に学者になるのは易しいが学問を相手に 学者になるのは大変な事です」というのが出ていて、「人を相手に学者になる」 とは学者仲間の間で「認められる」ことを指すのだと解説されている。私は、 「人を相手に学者になる事」が易しいことだとは全然思わないけれど、そうい う事にあまり意欲が湧かないことも確か。他人の評価はいい加減である。特に 評価をする者が自信満々に評価したものほどいい加減なものは無い。いい加減 なもののためにあくせくするなんて、そんな事にたった一回の人生を浪費して よいのか、という理屈。それに、学問を相手にするから学者なんであって、人 を相手にどうのこうのって何を訳のわからん事言ってるだっていう気がしてく る。しかし、ある程度「人を相手に学者に」なっておかないと、学者としての 就職口に困るってことは、確かにあるな。
森重文さんがフィールズ賞を受賞したとき、これまでは自分に数学がやっ ていけるかどうか自信が無かったのだが、賞を貰ってやっと自信が持てるよう になった、というような発言があったように記憶している。当時私はまだ計算 機屋で、その後数学に転向することになろうとは夢にも思ってなかったけれど、 フィールズ賞貰ってやっと自信が湧いてくるんだったら、フィールズ賞とは無 縁のその辺の有象無象の数学者達は、一生自信の無いまま終わるわけで、まこと に数学というのは身も蓋も無い学問だな、数学者なんかになれなくて良かっ たと思った覚えがある。で、今私は「その辺の有象無象の数学者」なんだけど、 やっぱり自信の「じ」の字も無く、明日をも知れぬ果敢無き身を憂いつつ、恐 る恐るやっているって感じ。でも、自信の無い人生ってのも、スリルがあって 悪くないっすよ。
2004年8月30(月)
<<自爆・沈没そして溜息>>
午前中は野暮用にて、台風が近づいている蒸し暑い山科を歩き回る。勿論、用
は無くても(ドイツのKaufhofよりもうんと洗練された)大丸ラクト山科店内
を通過してちょっぴり幸せ気分を味わい、(エッセンのSBUXよりもコーヒー
が熱い)山科駅前SBUXにも立ち寄って小休止。午後は自宅でハーツホーン
を読んだり、「評伝岡潔」を読んだり、居眠りをしたり(まだ時差ボケか?)。
ところで「失望」問題解決の方針は優先度が高いものから順に、新しい研 究の足場固めを急ぐこと、不良債権プロジェクト対策、「評伝岡潔」を読んで 心を清めることの3つ。1番目については、「また途方も無い事を考えて自爆・ 沈没するつもりかい?」との心の声が聞こえ始め、2番目については唯々深い 溜息が出るばかり。しかし、せっかくお金(給料)貰って好きな事ができる仕 事についているのである。別にそれが故に死ぬわけでもあるまいに、自爆・沈 没・溜息なんのそので、花と散る覚悟で臨もうではないか。
2004年8月29(日)
<<文化がバック>>
午前中はほとんど寝てすごし、時差ボケがようやく解消。午後は久しぶりに、
買い物などを兼ねて、山科の街や四条通り、河原町通りなどに繰り出す。ああ、
京都に帰って来れたんだなって気がして、幸福感がじわっと湧いてくる。ブッ
クファーストで「評伝岡潔*花の章*」が出ていたので、早速購入。
私がHerzog先生に「失望」したのは色々なことの複合の結果だが、 その中で何に一番「失望」したのかというと、たぶん難問にひる んで逃げる姿だろうと思う。難問にひるんで逃げる事自体は、数学者として生 きて行くにあたっては、時には必要だろうと思う。 問題は逃げ方の作法である。「これは私の手に負えません。降参です!」と潔く 白旗を揚げる、というのが私好みの美しい逃げ方である。Herzog先生のはその対極。 共同研究者の私相手に、 最後まで「降参」とは認めず、今は忙しいだの、後で考えよう何だのかんだのと 言い逃れのような事言うばかりだった。しかし、これはHerzog先生の個人的資質とい うよりは、ドイツ人的な価値観が影響しているのではないか (ということに、今日気付いた)。
ドイツ人に潔さの美学があるかどうかは知らないが、私の推測ではそうい うものは無く、むしろ逆なんじゃないかと思う。日本では、例えば「潔く罪を 認める」というのはプラスに評価され情状酌量の対象となりうるが、ドイツで はおそらく「潔さ」は何の意味も持たないんじゃないかしら。とにかく自分か ら罪を認めたんだな、そりゃあ手間が省けたわ、じゃあ厳しく罰しましょうと いう感じ。だから、相手に完璧に追い詰められて逃げ場が無くなるまでは、と にかく言い逃れに徹するのが正しい方法だとされているのであろう。 人生に誠実であるためには、最後まで諦めずに徹底的に言い逃れをしなければ ならない。ドイツ鉄道やテレコムの職員ののらりくらりとした言い逃れを聞い ていても、そんな感じがする。「潔く花と散る」美学なんて、連中からすれば "頭のおかしくなった人間の自虐行為"以外の何の意味も無いのであろう。
”言い逃れ”文化の中で育った人間にとって、”潔さ”の文化の 中で育った私など、敵ではない。赤子の手をひねるが如く、テキトーにあしら う事など何でもない。確かにHerzog先生の口からごく自然に反射的に飛び出す、 見え透いた言い逃れや開き直りのような言動を目の当たりにして、 「こいつはプロだな。 私の手に負えない」という感触を持ったことは何度も あるな。そりゃあ文化がバックについてりゃあ、十分プロである。潔く降参。
しかし、ブンカだか何だか知らないけど、私はそういうのは嫌いである。 「潔しをもって尊しとす」の岡潔評伝でも読んで、ささくれた心を清め直そうかと 思う。
2004年8月28(土)
<<時差ボケ>>
本日野暮用にて昼前に京都を離れ、夜帰宅。時差ボケで異様に眠く、
電車の中では、用意していったハーツホーンなどの本やコピー
も結局読まずじまいで、ひたすら眠りこける。時差ボケから立ち直ったら、
次は「失望」問題から立ち直るべく、長く苦しい闘いを開始しなく
っちゃ。
2004年8月27(金)
<<失望>>
日本に帰ってきた。思えば悪夢のような日々だったような気がする。一人の人
間にこれほどまで失望する経験というのも、一生のうちにそう何度もできるも
のではないだろう。そしてドイツ最後の1日は、失望の5ヶ月の締めくくりに
ふさわしい展開だった。Herzog先生、私が日本へ発つ前日の午後、ふと思い出
したように、「急な話だが、車の調子が悪くて、明日はデュッセルドルフ空港
まで送っていけなくなった。エッセン中央駅まで送るから、すまんが電車で行っ
てくれ」と言い出したり、当日の朝、アパートから中央駅まで車で行く途中、”
驚愕の12時間論文”の件と、”どうってことの無い論文”の話ばかりして、
もう一つの”不良債権プロジェクト”については、私が痺れを切らして最後に
切り出すまで一切沈黙を守っていたことも、面白いほど予想通りであった。
不良債権プロジェクトについても、もう私に「議論をしよう」とせっつかれる
心配が無いためか、これまでのように興奮気味に言い逃れのような事を
まくしたてるわけでもなく、正直に、自分には手に負えないから、もうまともに
やる気が無い事を事実上認めた。
それにしても、この5ヶ月間は、これに類するHerzog先生の言動にうんざり させられ続けていた。それぞれもっともな理由なり言い訳なりが語られ、「やむ をえないこと」「もっともなこと」として受け入れられるべきだと主張されてい るけれど、そこには僅かながらもごまかし、その場しのぎの言い逃れ、見くびり、 我がまま、責任転嫁、話のすり替えの臭いを感じないわけには行かなかった。 それは単なる私の思い過ごしだったのだろうか。
エッセン中央駅では、わざわざ車を駐車して、私の荷物をホームまで運ん でくれた上に、電車に乗って出発するのを見送ってくれた。しかし、儀礼的な ものであれ、別れ際の握手も「また来いよ」の一言も無かった。このちぐはぐ な対応は一体何なのだろう?「貴方にはほとほと失望した。」言葉にこそ出さ なかったものの、私がそういう思いで一杯になっていることを、感受性の強い Herzog先生が感じ取ったからだろうか。勿論、私は「ありがとう」の一言 も言うこともなく、「それでは!」と言って別れた。
2004年8月23(月)
<<常習犯>>
もう京都の10月初旬のような陽気である。適度に涼しく、適度に暖かい良い
気候だと思ってSバーンに乗ったら異様に暑い。何だと思ったら、今日から暖
房が入っていた!ああ、ドイツやなあ、頭痛い。。。
そういえば、昨日は泥棒の犯行現場を目撃してしまった。エッセン中央駅 のパン屋Kampfでコーヒーとサンドイッチを食べていたら、ちょうど混雑して カウンターが混乱しているのを見計らって、20代後半ぐらいの男がすっと入っ てきた。で、たまたま店員が居ないサンドイッチのカウンターのところにやっ てきて、ぐいっとガラスのケースの裏まで手を伸ばして、サンドイッチをひと つわしづかみ。あれれ?!と思っている間に、男はそのままささっと外に出て 行ってしまった。あっ、泥棒猫!!!たぶん、私以外は誰も気づいていなかっ たであろう。あの手馴れた感じからして、常習犯だと思うな。
本日午前中は宅配便で送る荷物を纏めて、部屋の掃除。昼食のために 大学へ行きメンザへ。それから午後15時頃に来るらしい宅配業者を待つために すぐに帰宅。夜は、Herzog亭でインドからの留学生が完全菜食主義料理をふるまう そうなので、ちょっと覗いて来ようかと思う。
明日は特に何も予定は無く、明後日は朝からシンシャンの博士論文公聴会 とその後のパーティーなど。そして26日朝は日本に向けて出発。その間、エッ セン大学意地悪図書館から借りているハーツホーンをぎりぎりまで読んですご すつもり。
次回の更新は、無事日本に帰れた場合は27日以降、さもなければ永遠に 無し。
2004年8月21(土)
<<消滅>>
本日、夕方に電車に乗ってエッセンの街へ散歩に出た以外は、自宅にて
日本に送る荷物を梱包したり、ハーツホーンに読み耽ったり。もうすっかり
涼しくなって、京都の9月末から10月初旬の陽気が定着したって感じ。
短い夏だったな。
ところで、Herzog先生はなぜ「ああいう人」になってしまったのか? その謎を解く鍵は、最近の彼の口癖である「人生は短い」だと思う。 「人生は短い。尽きること無いアイディアを(論文に)書く時間が足りない!」 と言っているのを聞いたこともある。Herzog先生は今年で定年退職だが、 延長申請をして定年を5年ほど先延ばしするつもりだそうだ。つまり、彼の 数学者人生は、公式には長くても5年である。5年なんてあっという間である。 いよいよ俺の数学者人生にも王手がかかったなと、焦りにも近い気持ちに なったとしても、不思議ではあるまい。
そして、元々そういう人だったのかどうか知らないが、少なくとも 私が知っているHerzog先生は、沈思黙考1つの問題を粘り強く考え、少しずつ アイディアを煮詰めるなんて真っ平御免で、色々な事を次から次へと思いついて、 その思いつきで解ける問題を渡り歩く、スーパー・アイディア・マン・タイプである。 勿論、あらゆる分野、問題に 対してアイディアが沸いてくるわけでもないから、渡り歩く問題の範囲はおのずと 限られてくるが。これは、私からすればずいぶん落ち着きの無い人に見えるのだが、 この落ち着きの無さは数学だけに限らない。そして「私には時間が無い!」と思っ ているからであろうか、Herzog先生の落ち着きの無さは、数年前よりもより顕著 になっているように思う。
このように考えると、何故Herzog先生が、アイディアの湧いてこない 研究プロジェクトからなりふり構わず逃げようとするのか、プリンター での印刷、オフィスの電話の 事や図書館の事、その他この大学の職員しかできないことを私が頼んだ時、 世にも面倒臭そうな顔をし、先延ばしにして忘れてしまうか、手間暇を惜 しんで短時間でぐしゃぐしゃっと粗雑に処理して失敗してしまうのは何故か、 という謎が解けてくる。人間、切羽詰ってきたらなりふりなんて構っちゃいられない のである。それは私にもよくわかる。かくして謎は解けて、それなりに彼の立場 も理解できる。よろしい。しかし、「なりふり構わない」とは すなわち「格好良く威厳に満ち溢れた立ち振る舞い」とは程遠いことを意味する。 だから、私がHerzog先生に 対して抱いていた絶大なる敬意が急速に消滅して行くのは、いた仕方ないな。
2004年8月20(金)
<<不思議な人>>
本日午前中は、ケネディー広場前ドイツ・テレコムT−Punktにて、電話
の解約申し込み。前回滞在時はここでしくじったから、今度は解約したい日や
請求書の送り先を紙に書いて、それを係員に見せながら、さらに係員のコン
ピュータへの入力内容も随時覗き込んで確かめながら手続きを行う。これでま
だ何か問題が起きるようなら、こんな面白い事は無い。請うご期待!
午後一番に部屋にいると、私のための時間は全く無いはずのHerzog先生が、 私の論文原稿のコメントを知らせに来てくれた。校正といったレベルの、細か い指摘が中心。内容的に深刻な問題は無かったようなのでひと安心。それにし ても、あの大雑把なHerzog先生がなぜ「この記号にこのフォントを使うのは良 くない」だの、「この単語の綴りは間違っている」だのといった、らしからぬ コメントを発することができるのか?不思議な人である。そして、来週火曜日 の朝、論文の文体についてもう議論しようとか言い出した。そんな事は私が日 本に帰ってからメイルでやりとりすれば十分だから、貴方は私に3回も宣言 した通りに、大物数学者H氏と 有益で創造的な数学的議論に専念してなさい、私は涼しいドイツの夏をハーツホー ンを読みながら心静かに過ごしたいから、とは敢えて言わなかったけどね。
20分程度、ひとしきり「らしからぬ」コメントを告げた後、またも、娘 がどうのこうので、すぐに家に帰らねばならないとか言って、さっさと帰って 行ってしまった。まあ、個人的な事だからとやかく言うつもりはないけれど、 何かというと娘、娘って目の色を変えなければならないHerzog先生の娘という のは、結婚もして子供もいる「大きな娘」である。ちゃんと立派な夫君もつい ている。何で週に1度ぐらいの頻度で、「幼稚園に通っている娘が熱を出した から、今から飛んでいかねばならないお父さん」式の大騒ぎをして、仕事も学 生も蹴飛ばしてまで帰らねばならないのか。不思議な人である。この機会に、 私のオフィスの電話の精算の件で彼に申し入れをしたのだけど、ほとんどウワ の空であった。よろしい。私はこの件をちゃんと貴方に伝えましたからね。貴 方が(私の予想通りに)忘れてしまって、ちゃんと処理しなかったら、私の今 月分の国際電話料金は、貴方が支払う事になりますよ、その方が私にとっては あり難いですけどね、と親切に警告してあげようかと思ったけれど、「娘、 娘。。。」とウワゴトのようにして聞く耳持たぬ風だったので、放置すること にした。
あと不思議と言えば、彼の細君が近所のどこかに行くから、車で送ってい かねばならないという理由で、同じように大騒ぎして、何もかも蹴飛ばして帰っ てしまう事は多い。細君は車の運転はしないのだけど、歩くのに支障をきたす 健康上の問題を抱えているようでも無さそうである。しかし、車無しで近所に のこのこ出掛けようものなら、 たちまち熊や腹ぺコ狼に襲われて食われてしまうか、 吹雪に巻かれて凍え死んでしまうか、 いたずら狸が現れて畑の中の肥溜風呂に化かし込まれてしまう ような大変な所に住んでいるのかというと、そうでもな い。徒歩5分以内のところに市電の駅もバス停もある、公共交通機関の完備し たとても便利な所である。
「ちょっと個人的な用事で、今日は早く帰りたいのです」と言えば、ああ、 そうですか、それでは!で済むのだけど、いちいち「妻が!妻が!」「娘が! 娘が!」と大騒ぎするので、何だろうと思ってしまう。そして、午後の早い時 間に仕事も学生も蹴飛ばしてまで飛んでいかねばならない事なのかなあと、要ら ぬ下世話な好奇心が駆り立てられしまい、最後には「何か不思議な人(家族)だなあ」 という結論に落ち着くのである。
てなことで、Herzog先生もう帰っちまったのかと思ってたら、それから1時間後に たまたまシンシャンの院生室を訪ねたら、何か知らないけど、そこでパソコンいじってたな。 あれ?娘がどうのこうので、家に帰るんじゃなかったの?などと野暮な事は聞かなかったけど、 やっぱり不思議な人だなあ。
2004年8月19(木)
<<どうやって闘う?>>
本日朝8時前に自宅を出て、電車に乗ってデュッセルドルフ空港へ。昼前頃ま
で色々下見。心配なのは、鉄道の空港駅から空港までの約2キロの区間がスカ
イ・トレイン(Sky Train)という天吊り型モノレールでしか行けないようになっ
ていること。Herzog先生の話によると、「スカイ・トレインはよく故障して長
時間止まるそうだ。そうなると飛行機に乗り遅れる。じゃあ、この責任は誰が
取ってくれるんだよ!?ってことになる。」走行中に故障して缶詰めにされた
ら一巻の終わりである。スカイ・トレインの乗車前に運休になった場合、迂回
の方法もあるのだが、最低40分程度余分に時間がかかる。したがって、リス
クを避けようと思えば、鉄道が遅れる可能性(これは十分にある)も含めて、
かなり時間的に余裕をもって自宅を出なければならないということになる。そ
の場合、何も無ければ空港で3時間ぐらいぼーっと待つことになる。ま、ぼーっ
と待つのはそれほど苦にならないけどね。
ところで、スカイ・トレインの故障で飛行機に乗り遅れた場合、誰が責任 を取ってくれるのか、どうやって責任を追及できるのかについては、Herzog先 生も口を濁していた。さあて、どうなのでしょうね。何せここはドイツである。 ドイツ鉄道の職員みたいに「さあねえ」と暖簾に腕押しよろしく適当にかわさ れるか、ドイツ・テレコムみたいに肝心の責任者が奥にすっこんだままでいて 知らん顔・聞こえないフリを決め込まれるか、あるいはHerzog先生のように 「お前、運が悪かったな」という風に問題を被害者個人の運の問題に矮小化す る手で攻め込まれるかのいずれかになりそうな気がする。もしそうなった時、 私はどうやって闘っていいのかわからないな。
昼過ぎにエッセンに戻り、殺菌灯トイレで御馴染みのマエッシュ書店エッ セン店のSbuxでひと休み。それから大学に行き、日本に送る郵便物をまとめて エッセン駅前の郵便局へ。
2004年8月18(水)
<<すること無し>>
本日、帰国の準備やオフィスの片付けなどいろいろ。あまり早く片付けてしま
うと、今日明日着る服が無いとか、PCが使えないとかという問題が起きる。
かと言って愚図愚図と引き伸ばしていると、なかなか片付かないので落ち着か
ない。厄介なものである。一番神経を使うのがドイツ・テレコムである。前回
滞在時は、2月末頃に3月末解約を申し出て、2月末に電話回線を切られてし
まった。電話の開設は毎月16日(かその前後の日)と決まっているようだが、
回線を切るのは随時1日2日でやってしまうものと思われる。この教訓から、
できるだけぎりぎりまで解約申し込みを引き伸ばしているのだが、何せここは
ドイツである。解約申し出の引き伸ばしが、新たな問題を引き起こさない保証
なんて、どこにもない。請うご期待!
さて、Herzog先生が五月蝿く催促していた論文も一応書き上げて、昨日の 夕方遅く彼に送った。何でも、きちんと読んで詳細なコメントをつけてやろう というらしい。既に「お前のための時間は全く無い」期間に突入しているのに、 どこから私の論文を読む時間がひねり出せるのか、とか、私が出したメイルは 面倒臭がって半分もまともに読解しないくせに、何でより複雑な内容の数学の 論文が読めるのか等々と疑問は尽きないが、"埋め合わせプロジェクト"的観点 から、歓迎すべき事として受け止めておこう。
あとはもうすること無いな。勿論、不良債権プロジェクトとか、色々やる 事はあるけれど、とりあえずは帰国の準備をして、ハーツホーンなどを読みな がらぼおっとしていよう。
明日は空港への電車の便などを実際に確認すべく、デュッセル ドフルに行く予定。Herzog先生が空港まで送ってくれることになっているが、 万が一の事を考えて電車の方も押さえておこうというもの。
2004年8月17(火)
<<心理サイクル>>
何だか日本の9月下旬の陽気である。涼しいというほどではないが、不快なほ
どの暑さはない。蚊の発生の方も下火になってきた。本日通常通り出勤。夕方
頃まで”どうってことのない論文”書き。Herzog先生は私の顔を見るたびに、
「あの論文書いてるか」と同じ質問を繰り返してきて、五月蝿い。自分が同じ
事を1回言われただけで(実際は私にそう言われたと誤解しただけであるが)、
顔を真っ赤にして「俺にプレッシャーをかけるな!論文書くには時間がかかる
んじゃー!」と吠えたくせにね。それに、何であんな結果がそんなにお気に入
りなのか。趣味が合わないとは、まさにこのことだな。
論文なんて、書く内容が決まってしまえば何時だって何処でだって書ける のだ。京都に帰ってからだって書ける。ドイツに来ているからには、 ドイツに居なければできない事をやり たいものだ。そう!議論だよ、数学の生の議論!!しかるに、わざわざ立命館 大学から滞在費出してもらって、月700オイロの家賃払って、数学の議論を するためにドイツに滞在している人間に対して、やりかけのプロジェクトの議 論を私が日本に帰る1月半前から事実上打ち切って(途中3日間だけ再開 したが)、プリンターも図書館も無いところで論文書きなり何なり勝手にやっ てろとは、よく言えたものだ。冗談じゃないぞ!ぶつぶつぶつといつものよう にはらわたが煮えくり返り始めるも、最後には「でも、やる気もアイディアも 無く逃げ回っている人間を今更つかまえてどうしょうってんだい?この期にお よんで大事なのは、まさに埋め合わせプロジェクトだろうに」という地平に行 き着く。
「やる気もアイディアも無く逃げ回っている人間」。Herzog先生がそうい う人間でない事は明らかである。彼は今日も、止め処なく湧き出る色々なアイ ディアに突き動かされて、元気に飛び回っている。しかし、こと我々の共同研 究プロジェクトに関して言えば、それは全く正しいと私は信じている。そして この観点は、私が精神的優位を確立し、踏んだり蹴ったりの状況を逆転するた めの重要な転換点である。
そして、しばし無力感に襲われはするものの、じゃ、ハーツホーンでも読 んでようか。これは、これから自分の数学を追いかけていく時に、必ず何らか の形で必要になってくるはずだから。暇な時に読んどかないと読めなくなるか もしれないからね、という結論に落ち着くのである。
これが最近一日数回繰り返される、私の心理サイクルである。同じ事を何 度もぐるぐる考えて、日に何回かハーツホーンを読もうという決心を繰り返す のである。毎日数回同じ事を考えて興奮するのって、結構疲れますよ。
2004年8月16(月)
<<故障ステッカー>>
いよいよ帰国10日前である。もう行ってみたい街はだいたい見て回ったし、
ドイツ生活も十分堪能したからもういいやって感じである。この週末はインター
ネットを使うために大学に休日出勤したり、自宅の近所をぶらつく以外は、自
宅で層のコホモロジー論の復習など。ドイツ生活をより深く楽しむためには、
もう少し言葉が出来るようになって(少なくとも日常会話が聞き取れない状態
を脱して)、例えばこちらで仕事を持って銀行口座を
作って(銀行口座はこちらで収入が無いと作れない)、不動産屋と交渉して自
分でアパートを探し、健康保険に入って病院のお世話になって等々といった形で、
より深くドイツ社会にかかわらないといけないと思う。しかし、正直言って、
ドイツ社会とはあまり深くかかわりたくないな。幸いそういう可能性は
、今のところ皆無だけど。
写真はドイツのロー
カル線Sバーンのドアに張られた「このドアは壊れていて使えません」という
ステッカー。こういうステッカーが貼られた電車が毎日どこかで走っている、
というよりは、通勤の行きと帰り両方でそういうステッカーが貼られていない
電車に乗れた日は、何か良いことがありそうな気がしてくるぐらいである。
ステッカーにはトイレ・バージョンもあって、ローカル線のみならず、I C,ICEといった特急列車のトイレのドアにも「このトイレは壊れていて使 えません」とベタベタ貼ってある。こういうステッカーが印刷されて用意され ているということは、ドアやトイレの故障なんてのは日常茶飯事であり、かつ、 修理もせずにそのまま列車を運行すること、すなわち整備不良が常態化してい ることを意味する。それにしても、ドアの壊れた列車って、最近特に多いよう な気がするなあ。それから、特にローカル線の車内トイレは手洗いの水が出ないの が普通で、そういうのは故障のうちには入らない。便器の水も出なくなった 時が故障と判断されるようだ。また、特に夕方の時間帯に なると、原因・理由について何のアナウンスもされること無く、突然電車が運休 になる事が珍しくない(電車が運休になりますという事だけアナウンスされているようである)け れど、それも整備不良で突然電車が動かなくなったとかいう事なのかしら。
さて、鉄道はこんな調子だけど、航空機はどうなのかしら。私はルフトハ
ンザ贔屓で、帰りもルフトハンザだけど、まさか鉄道と同じで、ちょっとぐら
いの整備不良なんか「故障です」ってステッカー貼っとけばいいからへっちゃ
らさってな具合で運行されているんじゃないかしら、と心配になってくる。
本日、郵便局で宅配用ダンボール箱を物色してから出勤。事務窓口で無事(!) 謝金を受け取ったり、少し部屋の片付けをしたりしてすごし、午後はダンボー ル箱やガムテープなどを調達し、日本へ送る荷物の仮り詰めをしたり、ハーツ ホーンを読んだりしてすごす予定。それから"驚愕の12時間論文"原稿のチェックも。 Herzog先生は、今週からこちらに滞在するという某大物数学者H氏との議論に集中 したいから、「お前のための時間は無い」と3回も念を押して言ってたけれど、 この論文のための時間はあるらしい。ま、教授会だの 委員会だのといった、自分でコントロールできないイベントが沢山ある場合は別として、 時間の有る無しは詰まるところ優先順位の問題である。だから、自分の興味のある事に は時間があるが、興味が無くなったことに関して「時間が無い」と言うのは、 まさにこの優先順位原理そのままの言動である。
問題は、興味の無いことを後回しにするのは良いとして、Herzog先生はさらに それを完璧に忘れてしまう、または、常に興味のある他の事を探してそれに集中したがり、 興味の無いことを忘れ続けるのではないかということである。 従って、不良債権として残っている、やりかけの共同研究プロジェクトも完璧に 忘れ去られることであろう。向こうから持ちかけておいて、こちらはせっせと 色々な事を考えたのに、忘れられ放り出されたんじゃあ、たまったものではない。しかし、 この点に関して、私のHerzog先生に対する信頼は完全に消滅している。 だから、「ひとりでやらなくっちゃ」なのである。