邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2004年12月31日(金)
<<マツケンサンバII>>
昨夜は中学時代の友人達と津市某所で忘年会。突如思うところが2,3あって、
移動中の電車の中ではずっと「考えるモード」で研究ノートをせっせと書き進
める。忘年会では複数の友人から数学者って普段何やってんの?入試問題でも
解いてるの?式の質問を受けた。入試問題はないだろうと思うのだが、普段は
大学で講義して会議して雑用して、まあそんな所ですよという答では納得でき
ないらしい。
それで思い出したのだが、ゲーテの元塾屋が、実に感心なことに私の日誌 と 本の両方を精査し、私が大学で何をやっているのかを突き止めようとした のだが、結局わからなかったというような事を先日言っていた。 んなもん、日誌にも書いている通り、大学とは講義・会議・雑用をする 所に決まっているではないか、妙な事を言う人だなと私は思っていた。
しかし彼らは何の研究をやっているかを知りたがっていたようだ。同じ数 学者同士でも、分野が違えば相手の研究内容をおぼろげながらにも理解するに は1時間ぐらい講義してもらわないといけない。(ちなみに計算機科学だと立 ち話で10分位話を聞けば大体見当はつく。)従って研究内容の話をするのはほと んど不可能なので、昨夜の友人達には、数学者の仕事とは誰も考えたことの無 い問題を見つけて、できればそれを自分で解くことだ。入試問題は既に誰か (同業者)が解けることを確認した問題だから、それを解く事は数学者の研究 活動にはならないと説明したのだが、案外それで納得してもらえたようだ。
昨夜は津に泊まり、今日は夕方頃帰宅。全然見るつもりが無かったNKH 紅白歌合戦を何年振りかで見てしまった。あの暴れん坊将軍のマツケンサンバ IIとかいう、聞いただけでも頭が痛くなるようなタイトルの歌がどんなものか しらという怖いもの見たさと、目が恐い浜崎あゆみがどんなに恐くなってるだ ろうかとか、一応ウチの大学の学生だけど何度見ても顔が覚えられない倉木麻 衣の顔を今度こそ覚えてやろうとか、色々な思いが去来したことが原因である。
マツケンサンバIIでは、ちょんまげ姿のマツケンが、丸髷を結って着物を 着た夥しい数の踊り子たちと花の元禄お江戸でござる的世界を展開させつつも、 何の脈絡も必然性も示されること無く歌は南国サンバ!という、つくづく頭が おかしくなりそうな世界が展開されていて、私の期待に十分応えてくれた。浜 崎あゆみは何だかラストエンペラーみたいになって益々恐さに磨きがかかって いたし、人の顔を覚えるのが得意なはずなの私が(名前を覚えるのは苦手である)、今度も倉木麻衣の顔は覚え られなかった。そのかわり、先日ゲーテの皆さんとカラオケで歌った倉木麻衣 の歌は「明日『へ』架ける橋」であり、サイモン&ガーファンクルのヒット曲 Bridge over troubled water の邦訳は「明日『に』架ける橋」だとわかった。 それにしても紛らわしい題名だな。
2004年12月29日(水)
<<反例>>
適当に寒いのは冬らしくてよろしい。今日も遅く起き、昼食を挟んで銀行に行っ
たりスーパーに行ったりと何となく野暮用を色々。夕方、年賀状を書いてなかっ
た事を思い出して慌てて作業。予定していた山科駅前SBUXへの散歩に行き
そびれる。夜は「考えるモード」で数学。
今日もまた、大学院関係の昔話。修士課程の2年間で純粋数学で何かオリ ジナルな研究結果を出さねばならないというのは、今思えば大変な事である。 そのためか、4回生の夏に院試に合格すると、指導教授から卒業までに読んで おくべき論文をうず高く積み上げられるという、猛烈な詰め込み教育が行われ たようである。今の修士課程でもそういう教育が行われているかどうかは知らな い(立命館ではそういう事はやっていないと思う)。
これに関しては、私の4回生のゼミの指導教官が「20代の前半にそうい う詰め込み勉強をやっておかないと、まともな数学者になれない」と言ってた のがずっと心に残っていた。しかし、数年前にその事を某大先生に話したら 「そんなの嘘ですよ!」とあっさり否定された。流石に「だって、私がその反 例ですからね」とまでは言わなかったけれど。
私の指導教授とは別の人だけど、「今は数学者のような顔をしていても、 出自が情報ナンチャラ学科だったりする人は数学者としてはまともではない!」 という発言を実際に聞いたこともある。私は情報ナンチャラ学科の(数学者か ら見た)いい加減さを骨身に染みて知っているつもりなので、この発言はすこ し説得力を持って聞こえたりするのだけど、やはり反例は少なからず存在する ようである。エッセン滞在中に知り合った、新進気鋭のインド人数学者のイェ ンガーさんは学部ではコンピューター・サイエンスを専攻していたと言ってた し、メキシコ人(?)数学者の大御所ヴァスコンセロスさんは電子工学出身であ る。いずれも世界の可換環論研究をリードする一流の数学者である。
これらの例から何か教訓を引き出すとすれば、以下のことが考えられよう。 数学者が数学そのもの以外の事について何か断定的な事を言うときは、十分疑っ てかかるべきである。局所的な情報を元に完璧な論理を構成し、それで普遍的 な真実を語る事ができたと錯覚するのは、数学者の陥りやすい罠だと思う。何 故ならば、数学では局所的な情報を大域的な立場から見直せば意味が変わって しまうなどという現象は起こらないからである。要するに幾つになっても 「青臭い」ということなのでしょう。
明日は中学の同窓会というか忘年会で津市に帰る予定。日誌更新は明後日以降。
2004年12月28日(火)
<<右往左往>>
今日も少し遅めに起きて、野暮用して、午後は数学。夜は今年最終回のスポー
ツ・クラブ。夜中も少し数学。
さて、昨日に引き続き大学院の思い出話。勿論私は大学院で学んだ経験が 無いので、以下は全て友人や先輩から直接・間接に聞いた話でしかない。
近頃は博士課程進学志望者でも数学の修士論文に必ずしもオリジナリティー を要求されないそうだけど、私の学生時代(20年程昔)はそうでもなかった ように思う。修士2回生の11月頃からある問題を考え始め、1月始め頃に解 けたと思い、喜び勇んで修士論文執筆の準備をしていたところ、1月下旬になっ て深刻な証明のミスが見つかりあわや留年決定かと思いきや、火事場の馬鹿力 かド根性か論文提出1週間前に奇跡の証明修復に成功し、徹夜で論文を仕上げ て無事修士号取得なんて話を実際に聞いたことがある。その手の話は別に珍し いことでもなく、不幸にして証明のミスを修復できずに留年決定というような 事も少なくなかったようである。つまり、当時は何かしらオリジナルな結果が 書かれていなければ、修士論文として受理されなかったようである。しかしな がら、当時既に大学によっては総合報告の修士論文でも博士課程に進学できる 時代に突入し始めていたようでもある。
さて、修士論文の内容が格段に優れていればそのまま助手としてどこかの 大学に就職できた時代は既に終わっており、私達の時代はもう少しアカデミッ ク・ポストに就くのは難しかったようである。それでも、修士論文で良い 結果を出して将来を非常に期待されながら、博士課程に進学後色々悩んでし まって数学を続ける 意欲が減退した学生に、ボス教授がどこかで助手のポストを見つけてきて、 しばらくこのポストで腰を落ち着けて、ゆっくり再起を図ってはどうか と励ましたという話を聞いたことがあるから、まだのんびりした時代 だったのであろう。
数学者を目指す模範コースとして、修士論文でよい結果を出し、それを 纏め直して博士課程1回生の半ばにどこかの学術雑誌に出版し、その 後も博士課程2回生、3回生と1本づつ論文を発表していけば、博士課程を終 えた頃には十分どこかに大学の職にはありつけるという話を先輩から聞いた。 もしそれがうまく行かなくても、予備校などで教えれば当面の生活には 困らないという。その先輩は実際に模範コースのペースで論文を書き、 博士課程終了と同時にちゃんと大学教員の職を得た。
今から思うとその先輩はかなり優秀な人で、皆がそんな調子だったわけで もない。修士論文も学術雑誌で発表できる程の出来栄えでもなく、博士課程に 進んでからも思うように良い論文が書けないでいる先輩もいた。それでも、よ うやくまとまった論文が調子良く書けるようになってきた30代の半ば頃には、 多くの人がどこかに就職できたようである。
最近数学科のOD問題が再び深刻である。それも未曾有の深刻さである。ど こかの大学で助手の公募をすれば、2,3年前なら100倍、最近は150倍 以上の倍率になるらしい。ほんの10年ぐらい前だと、職を捜している 大学院生達が、私立大学の助手は講義等の負担が多くて研究に専念できないら しいから、まずは国公立大学の助手を狙おうなどいう話をしていたようだ。 今はそんなえり好みをしてられる状態ではなく、どこの大学の助手のポストでも 150倍以上なのだそうだから、もう滅茶苦茶である。
その一方で、修士論文の段階でオリジナルな結果を出す事は少なくなってい るような感じで、かなり優秀な人でも博士課程を終える頃に最初の論文が出版 される事が多いようだ。それは数学が20年前よりも難しくなっているからなの か何なのか、私にはわからない。確かに数学は単純に研究成果が集積されていく 学問だから、難易度は時間とともに単調増加する傾向にはあるし、私の専門の 可換環論も、私が大学を出て会社員生活をしているうちにこんなに難しい学問になって しまったのかと溜息が出る。
最初の論文を出版するのが20代の後半で、それで最初のアカデミッ ク・ポストである助手の倍率が150倍で、そうこうしているうちにポスト・ ドクの奨学金も切れて、今は少子化大学全入時代で構造不況産業になって いる予備校講師の口も無く、生活のために沢山の(時給の安い)非常勤講師の 掛け持ちをしながらようやく研究時間をひねり出して必死に研究し、20も30も 40も公募に応募しては150倍で蹴られてなんて事をやっているうちに30代半 ばを過ぎ等々という調子だと、普通の人間なら消耗してしまう。しかも頼みの綱の 非常勤講師の口も今後激減させるというのだから、あとは霞を食って生きてゆけ というのに等しい。
つまり、少なからぬ国家予算を投入して教育された、決して能力が劣っている わけではない、むしろ飛びっきり優れた人達が、それにふさわしい活躍の場を得る 事なく右往左往しなければならないのである。こういう優秀な人達をちゃんと雇っ ておくことができない日本の国って、何なんだろうと思う。
2004年12月27日(月)
<<屍累々状態>>
野暮用の一日。朝京都を発ち夜遅く帰宅。移動の車中は、「考えるモード」、
論文眺め、居眠りが2:1:7の割合。コーヒーを飲んでさてとっと座席に落
ち着くと、ふっと気を失ってしまう眠り病の再発である。睡眠不足かしら?
最近インターネット中毒気味で、深夜眠くなってきたらさっさと寝ればい いものを、ぼんやりした頭で仕事ができるわけでもないのに無意味に無理して 夜更ししたりしてしまう。昨夜も、人文系大学院元学生の超長文の悲惨な体験談 を読み、その勢いで理系大学院元学生の類似の(しかし悲惨さはぐっと少ない) 体験談などを読んでいるうちに、遅くなってしまった。こういうことをやって るから眠り病になるのだろう。
A. Weilによれば、博士課程の学生のための良い問題などは存在しないそう で、そんな問題があれば指導教授が自分で解いてしまうだろうとのこと。つま り、良い問題を見つけることは研究者にとって死活問題で、学生と指導教授の 間柄とは言え研究者としての競争相手同士の関係であることには変わりないか ら、「敵に塩を渡す」ような事はしないだろうという意味だと私は理解してい る。
学生時代に聞いた話で次のようなのがある。 某研究グループでは、教授、助教授達が猛烈な勢いで研究を進めており、博士 課程の学生がやっとの思いで見つけて博士論文のテーマにしようと思って密か に温めていた問題も、彼らが独立に見つけてあっという間に解いてしまう(つ まり博士論文のテーマが吹っ飛んでしまう)。だから、そこは博士課程の学生 の屍累々状態で、あの超優秀な教授達を打ち負かす自信が無い限り決して ○○○○学は志してはならない、と。
その一方で、博士課程の学生に良い問題設定を示して上手に成果を上げさ せる、「面倒見の良い指導教授」というのも世の中には少なからず居ることを、 自分が数学者になってから知った。あれは一体どういう風に指導してるのか知 りたいものである。それを博士課程の指導に役立てたいというのではなく(私 が博士の学生を指導することはまず無いから)、手頃な良い問題を次々と見つ けるノウハウを知りたいからである。まあ、知ったところで真似できるもので はないと思うけど。
2004年12月26日(日)
<<暗記科目>>
近頃は「数学は得意だけど大嫌い」という事を言う学生も居て何故だろうと思っ
てたのだけど、先日「数理の世界」の学生レポートを読んでいるうちに、それ
はきっと数学が暗記科目になってしまったせいだろうという気がしてきた。器
用な人ならば大した苦労も無く暗記した事を機械的に適用して上手に問題を解
けるようになるだろうし、それがゲーム感覚で面白いと思う人も居るだろうけ
ど、普通は「こんなゲームに一体何の意味があるのかしら」と立ち止まりたく
なると思う。
こんなゲームに一体何の意味があるのか?という問いは、多くの場合、こ んなつまらない事をやらされるからには何か見返りがないとやってられ ないという、将来的な功利性を問うているのであろう。しかし、そういう場合 ばかりではなくて、機械的に計算しているひとつひとつの数式や解法の背後に ある、豊かな数学的意味を問うている場合も案外少なくないかも知れない。そ れさえ教えてやれば十分納得し満足してしまう事だってあるはずだ。数学を暗 記科目として教えてしまうと、後者の答をすべき時や相手にそのチャンスを逸 してしまう。つまり受験生の促成栽培に貢献するかも知れないけれど、必要以 上に数学嫌いを増やしているのではないかしら。
今日もゆっくり起きて午前中は野暮用。午後は「考えるモード」に戻り、 自宅、山科駅前SBUX,京都駅前アバンティー等を徘徊しながら数学を考え る。
2004年12月25日(土)
<<冬休みの宿題>>
立命館は今日も営業しているらしいが、私は冬休み第一日目。昼前に起きて午
後は山科区内で野暮用。夕方山科駅前SBUXに戻り少し勉強するも病的な睡
魔に襲われる。良く寝たはずなのに何故?ほぼ治ったと思われる鼻風邪の最後
の悪あがきか。「考えるモード」に戻るきっかけがつかめず、夜も少し論文を
あちこちひっくり返して勉強。そういえば丸々1週間ドイツ語をやってない。
冬休みの宿題が沢山出てたような気がするのだが。
2004年12月24日(金)
<<貧しさの連鎖>>
クリスマス・イブ。そのせいかバスがまともに動いておらず、仕方なくJR二
条駅でタクシーを拾って衣笠キャンパスに急行し午後一番の講義にどうにか間
に合う。今日は文系パンキョウ「数理の世界」任意レポート締め切りの日。一
気に20名が提出してきた。これで講義に出ている学生50数名中、35名が
任意レポートを提出したことになる。
レポートは「博士の愛した数式」「ペトロス伯父とゴールドバッハ予想」 「ある数学者の弁明と生涯」のいずれかを読んで感想文を書けという課題だが、 これが毎週の講義とあいまって学生達が文化としての数学、あるいは人間の営 みとしての数学の価値について考える機会になってくれてれば、何よりである。
例えば昨今、公立大学の再編に際して職権で有無を言わさず数学教室取り 潰しを決めてしまう行政官や首長があちこちの地方公共団体でみられるそうだ が、このような人達を生み出したことについては、生徒・学生時代の彼らにう まく数学を宣伝して来なかった数学者達の責任も大きいのではないかと思う。
従来数学者達は、特に人文社会系学生の一般教養の数学の講義を何となく 軽んじていたのではないだろうか。理学部数学科の大学院で、数学者志望の学 生に研究レベルに近い専門の講義をする事が一番重要なのであって、文系の一 般教養の科目なんてものは誰か下々の数学者に押し付けておけばよい。そんな 雰囲気は無かっただろうか。私に言わせれば人文社会系学生の一般教養の数学 の講義こそが数学者にとって最も重要で、かつ難しいのである。文系の学生に は、数学の簡単なトピックスを適当に選んで、数学技術的に複雑な部分をうん と薄めて教えておけば良いなどと、ユメユメ考えてはいけない(もうひとつの 「情報の数理」の方はそんな感じの講義になってしまい、少し後悔している)。
理工系学生のように将来の商売道具だから勉強しなければという意識が無 いだけに、彼らの目は一層シビアである。数学というのは、ひとりの人間が人生 を賭けて挑戦するだけの内容のあるもの、数多くの天才達が全精力を傾けて知 恵を絞り営々と積み上げてきた深く美しい文化だという事をきちんと伝えない 限り、彼らは決して満足はしないであろう。数学に関する貧しい経験は、数学 に対する貧しい認識となり、それが数学や数学者に対する貧しいしっぺ返しと なって返ってくるのである。貧しさの連鎖を断ち切るにためには、 彼らに本物を伝えるしか方法が無いのではないか。その意味 で、文系一般教養科目の数学の講座には、本当は私のようなチンピラ数学者で はなく、フィールズ賞級の大物数学者を投入してもいいくらいである、と思う。
2004年12月23日(木)
<<馬鹿狂い>>
今日は祭日らしいが、勿論立命館には関係無いことである。
どうも鼻風邪をひいたらしく鼻が猛烈にむずむずして鼻水
が止まらない。昨日、もう年明けまで来ないかも知れないと書いておきながら、
鼻風邪を薬で抑えて午後から出勤し、いくつか論文をコピーしたり事務に書類
を提出したり。
こんな感じの定理が発見できればいいなと、それに向けてぼつぼつ研究準 備を始めようかとしていたのだが、今日コピーした20年程昔の論文を帰宅途 中の山科駅前SBUXで眺めてみたら、まさにその通りの定理が主結果として 示されていた。ああ、またやってしまった。私の数学的眼力は常に過去に向かっ て開かれている!まあ、この件に関しては私はほとんど何も労力をつぎ込んで 無いから実質的被害は無いけれど。しかし、まだ他にも(漠然とした)予想が いくつかあるけれど、過去20年ぐらいの文献を調べていけば全て解決済みで あることが判明するかも知れないな。
社会学の上野千鶴子は学生達に「あなた達が考えるような事は、全て既に 考え尽くされているのよ!」と言っているそうだけど、数学も似たようなもの である。可換環論でこんな調子なんだから、整数論とか代数幾何学みたいなメ ジャー分野や関数論みたいな歴史の古い分野だと大変だろうと思う。
夜は景気付けにサイモン&ガーファンクルを聴く。クラシックやジャズは 景気付け効果に乏しく、聴けばいきなり独りで盛り上がれるS&Gにはかなわ ない。これはまさにパブロフの原理で、中学生時代にS&Gで夜毎独り盛り上 がる日々を過ごしていたからに他ならない。子供の時に何かに馬鹿狂いしてお くと、大人になって役に立つものだな。問題はこれが私が大嫌いなアメリカの 音楽であること。ま、子供の頃はアメリカ大好き少年だったんだからしょう がないんだけどね。
2004年12月22日(水)
<<閑散とした講義>>
寒い。これでこそ冬だ。午前は4回生の可換環論の講義。例によって受講生数
名。情報学科時代は、3分間以上黙っていられない「私語学生」(この言葉も
死語になりつつある?)たちが押し合いへし合いしている大教室のマスプロ講
義ばかり。とてもじゃないが静かに講義を聴くという感じではない学生たちを
押さえつけるような感じで、片時も気合いを抜けないこれらの
講義はまさに格闘技であり、毎回くたびれ果てていた。しかし数理
科学科に移って数年、年を追う毎に学生の元気が無くなって行き、こうまで閑
散とした講義ばかりになると、こちらも力が抜けてしまう。金曜日の文系数学
の講義みたいに、数十名程度のクラスが一番講義がやりやすい。しかし、そんな
事を言ってるようじゃあプロとして失格なわけで、例え誰も居ない
教室での「伝説の講義」であろうとも
い
つもと変わらず淡々と出来るようでないといけないと思う。
午後は1回生微積分の演習。その前に部屋で昼食を食べながら、先日から どうにもうまく出来なかった積分の計算がとうとう片付く。積分計算に夢中に なっていて、今日約束していた用事をすっかり忘れてしまう。まあ、その用事 は年が明けてからでいいか。その後教室会議。達磨法師みたいだったA堀先生 が、(床屋に行ったせいか)かわいいとっちゃん坊やみたいな顔に変わってい た。最近また睡眠不足気味なので、会議の途中気を失う。教室会議の後は図書 館に立ち寄り、生協でノートを買って夕食をとり、シーキューブでコーヒーを 飲んでから部屋の片付け。もう年明けまで来ないかも知れないし。途中K川先 生の所に、文系数学の講義に関してちょっと簡単な質問をしに行く。何故か9 月頃はほとんど「魂が抜けていた」K川先生にも、ようやく溌剌とした反応が 戻ってきたようだ。
2004年12月21日(火)
<<密談モード>>
風はひんやりと冷たく、しかしながら陽射しは夏のようにジリジリという、狂
い始めた地球らしいわけのわからない陽気。午前中は年末大掃除の一部を含む
野暮用に精を出す。午後は極秘プロジェクトを完結するためゲーテへ。用事が
済んだ後もゲーテの資料室に居座って問題の続きをつらつら考えるも、そろそ
ろ壁にぶち当たり始めたのかあまり進まず。うんうんと唸っているうに、同じ
く極秘プロジェクトを完結させにやってきたという清少納言様とばったり出会
い、そのまま密談モードに突入。双方の極秘プロジェクトの進行状況等について情
報交換を行い、清少納言様の情報収集能力の凄さと壮大な野望に思わず息を呑
む。うーむ、極秘プロジェクトとゲーテを取り巻く状況はこんな風になってい
たのか。来学期のゲーテの学費稼ぎが成功するかどうか、微妙なところだな。
夜もまた問題の続きをうんうんと考える。
2004年12月20日(月)
<<東京タワー>>
暑い。街を歩きながらも暑くてしょうがなく、春がそこまで来ているのに気づ
かずに厚手のコートを着てきたことを後悔する3月下旬のような陽気である。
あるいは、12月上旬になっても薄手のセーター1枚で東京タワーが間近に見
えるオフィスに通い、東京というのは暑い街だなと思った20年前の会社員の
私を思い出したりもする。東京タワーか、何もかもが懐かしい(謎)。それに
しても、やっぱり地球は急速におかしくなっているな。
本日、野暮用と秘密プロジェクトの1日。昼間はあっちに行きこっちに行 きしてくたびれ果てる。夕方山科に戻り、駅前SBUXで一休みし、昨日寝る 直前に布団の中で考えたことを整理する。その後さらにあちこち動き回ってか ら帰宅。夜はまた昨日の続きを少し考える。考えている時が一番静かでいい。 考えた事が実を結べばもっと良いのだけど。
2004年12月19日(日)
<<考える>>
久しぶりに静かな日である。午前中の野暮用を経て、午後は街を彷徨って数学
を考える。何故街を彷徨うかというと、来期ゲーテの講座受講料を稼ごうとい
う極秘プロジェクトの期日が迫っているからである。極秘プロジェクトゆえ、
何処を彷徨ったかは極秘。日が暮れた頃に山科駅前SBUXに戻り、歩きなが
ら考えた事を整理。夜もやはり考え続ける。行きつ戻りつではあるが、やはり
考える事があるという事は、自分はまだ生きてたんだということが実感できて
大変よろしい。何を考えれば良いかを考えるために、惚けが進行するのではな
いかという恐怖と闘いながらも膨大な時間をぼんやりとすごす私としては、考
えるべき事がある時を大切にしたいものだと思う。
2004年12月18日(土)
<<体から抜ける>>
ゲーテの日だけど頭の中は半分数学で、あそこの部分でもう一寸きちんとした
議論ができれば何か新しい事が分かると思うんだけどなあ等々のような事ばか
りに気をとられる。こうなるとドイツ語は何処かに吹っ飛んでしまい、ただえ
さえ実力は中級の中ほどなのに無理矢理押し込まれた上級クラスであっぷあっ
ぷしている私は、本日ドイツ語がなかなか出て来ずさらにしんどい。
ゲーテの後、前のクラスのG先生と一緒に皆で四条のロシア料理キエフで 夕食をとり、それからカラオケに行って知らない歌を何となく勢いで何曲か歌っ た後にやっと数学が体から抜ける。これは二日酔いの酒が体から抜ける感覚に 近いな。こういう気持ち先行型の根の詰め方は頭に良くないと思うし、ゲーテ の皆さんに遊んでもらって気分の一つでも変えてみないとどうにもならない。
カラオケのメンバーは、G先生が急用で抜けて、 この人が居ないと何も始まらない遊びの司令塔清少納言さま、 今日は壊れ方が少し足りないようだけどボンジョビ1曲とネーナの 99ルフトバルーンを2回も歌ったから許してやろうかしらの元塾屋、 キエフに居る時から絶好調が止まらない本日ロシア語モードの輝くフリータ氏、 やたらドイツ語が出来る謎の大阪府職員氏、 若い力が賑々しい英・仏・独・西・伊太利語何でも来いの謎の旅行会社社員氏。 フリータ氏は(昨日?)が誕生日らしく、某カラオケ店の学生用無料サービスとして (フリータ氏は某大学の研究生でもあるらしい)バースデー・ケーキにありつけた。 我々の仲間の誕生日が来る毎にこのサービスを使ってカラオケ代を安くあげよう という陰謀が企てられ、次回は1月某日の決行が予定されている。
2004年12月17日(金)
<<切りが無い>>
午前中は積分の計算をしたりドイツ語の宿題をやったり。午後一番は衣笠キャ
ンパス出講。「数理の世界」では12月末締切と言っておいた任意レポートの
提出者が一気に数名。講義が終わって衣笠キャンパスの喫茶ゆんげでケーキセッ
トを食べながらレポートを読む。数学は苦手だけど問題を解いた時の嬉しさは
人並みに知ってますよという学生が今でも居るのは救いだと思う。
指定した課題図書の中で一番入手しやすそうな本だからかも知れないけど、 「博士の愛した数式」は割合人気があるようで、これを選んだ学生は結構多い。 「博士」のように風変わりで悲劇的で美しい人生を送っている天才的人物が数 学者の多数を占めているという風に誤解されても困ると思うけれど、まあ、ちゃ んと講義に出てる人は私の様子を見て、数学者も色々という現実的調整をして いることであろう。
帰宅後は明日のReferatの発表準備をしたり、野暮用にかまけたり、なかな か計算が合わない(!)積分の計算をしたり。研究時間を作ろうとして、隙間 の時間にせっせと雑用野暮用ドイツ語の宿題などを詰め込んでも、何だか切り が無いって感じ。このまま雑用野暮用ドイツ語の宿題にまみれたままで死んで 行って良いわけがない。やはり、それらは全て放り出して隙間の時間も全て研 究に充てるのが正しいのかも知れないな。
2004年12月16日(木)
<<一件落着>>
Herzog先生といつまでもいがみ合っててもしょうがないし、そろそろ潮時かな
と思い、今朝自宅からメイルを出して和解を申し出る。先日はずいぶん失礼な
メイルを出して申し訳無かったけれど、私は今回のエッセン滞在では貴方にちっ
とも議論の相手をしてもらえず猛烈にフラストレーションが溜まっていたので
す。そしてそれは貴方が私を見下しているからだろうと思っていたのですが、
それはどうやら私の誤解のようですね云々。深夜帰宅したらHerzog先生から返
事が届いていて、和解の申し出を歓迎するとのことであった。まあ、今回のド
イツ滞在は色々あったけれど、これはこれで一件落着。
本日ドイツ語の予習をしながら出勤。午前中は元気の無い2回生の離散数 学、昼食時は熱烈尊敬ドイツ在住15年のH先生と一緒になりドイツ語談義を 少し。午後は色々雑用を片付けていたところ、神出鬼没!心の美しい人間の目 にしか見えない座敷童のS太郎君が登場。この2年ばかり色々寂しい思いをしてい たそうだけど、目出度く修士終了後の進路の目処が立ったとのこと。これはこ れで一件落着。今後の活躍を楽しみにしていよう。
その後3回生外国書購読。今日は学生1名が教員2名にネチネチ苛めても らえるという「超お買い得講座」を絵に描いたような展開になる。その後、微 積分の演習の準備。積分の計算ってやはり面倒臭いな。つまらない計算ミスな ども重なって、ずいぶん時間を取られた。これも一件落着としたいところだけ ど、予定の所までは進まず。