邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2005年1月15日(土)
<<偏向教育>>
午前中少しだけ積分の計算をやって1回生微積分の演習の準備。午後はゲーテ。
夜は、数ヶ国語何でも来いの謎の旅行会社社員氏の誕生日のお祝いを兼ねて、
遊びの司令塔清少納言様率いるゲーテの皆さんと一緒にカラオケと酒食のひと
ときを過ごす。勿論数学はお休み。
ジャンボ・カラオケ河原町三条ではいきなりNenaの99Luftballonで始まる。 そういえば元塾屋が来てないではないか!元塾屋はどうした?99Luftballonが かかっているのに何で元塾屋が居ないのだ!?とシラフで暴れてやろうかと思っ たけれど、何とか踏みとどまる。しかし、私以外のメンバーは皆、Billy Joel の"Just a way you are" を聞いた事が無い世代(?)である事を知り、愕然とす る。ああ、私って浦島太郎なんだ。否!彼らと(たぶん)同じような世代の殴 り込み通訳女史は、ちゃんと、Billy Joel!何もかもが懐かしい、みたいな事 を言ってだぞ。
大体やねえ、ABBAとかQueen とか、おまけにCarpentersとかも知ってるく せに、何でBilly Joelを知らんのや?あほ!それに、Queen は知ってるがToto は知らないっていうし、Elvis Presleyの"Love me tender"は知っ てるくせに Cat Stevens の"Morning has broken" は知らないなんて、一体 貴方達はどんな偏向教育を受けていたのですか?!
という感じで楽しくカラオケ終了後、清少納言様が12月末に予約しておいた河原町三条のイ ラン料理店へ。イラン料理といえば、エッセン滞在中にアハード夫妻に手作り のイラン料理をご馳走してもらったこともあって、とても楽しみにしていたの だが、なんと、店が潰れていた!何でやねん!?しかしそこは「遊びの司令塔」 の 名に恥じない清少納言様である。皆を近くのブラジル料理店に案内し、何故か ゲーテの前のクラスのG先生も合流してそこに落ち着き、帰宅は深夜12時前。
2005年1月14日(金)
<<今日が最後>>
午後一番で「数理の世界」。RSA暗号の原理やリーマン予想との関連、量子
コンピュータの話題等に触れて締めくくる。今日はやはり試験直前とあって、
大教室は日頃の2、3倍の受講生でほぼ満杯状態だった。そこで後期試験重要
情報をアナウンスする。数理科学科の講義と違って、こちらはサービス満点で
ある。
後期試験は簡単な証明問題と作文の2題。作文の方は数学とは何かということ を問うもので、その場で適当に書くよりも事前に色々考えおいて、しっかりし たものを書いて欲しいという事で、今日問題を公表した。
引き続き「情報の数理」。有限集合の包含と排除の原理の話で締めくくる。 今日この講座の講義アンケートの集計結果が届いたのだが、よく見てみると気 合い満々の燃える「数理の世界」に比べて意外と学生達の理解度や満足度が大 きい。数年前に滋賀大学教育学部の非常勤講師で反響が良かったネタを使って みたのが正解だったのか。あるいは、あのぐらい力を抜いて講義する方が、学 生にとってはついて来やすいのか。
いずれにせよ、美しい衣笠キャンパスへの出講も今日が最後である。私に とっては楽しく講義をすることが出来たし、またこういうチャンスがあればい いなと思う。
その後、寺町電気街に繰り出し買い物などしてから帰宅。
2005年1月13日(木)
<<理想的な教育現場>>
午前中は元気の無い2回生の離散数学の講義。試験前とあって30名近く出席
していた。かと言って、今日初めて、あるいは、久しぶりに現れた学生諸君の
ご期待に応えるべく何か試験情報をアナウンスするわけでも無いんだけど。
昼食後、夕方の3回生外国書購読の時間まで数学演習の準備として積分の 計算でもと思ったが、結局色々雑用をやっているうちに夕方になる。
購読の学生は二人とも来ていた。どちらも特に熱心に勉強するタイプの学 生には見えないし、先週勉強した事などもすっかり忘れているのだが、その割 には楽しそうに出席しては2名の教員にいたぶられている。いたぶるのが好き な教員といたぶられるのが好きな学生という、数学科としてはまさに理想的な 教育現場と言えよう。
夜は数学的雑用(?)とドイツ語を少し。先日の「物凄いことになってい る計算」は、しばし中断。
2005年1月12日(水)
<<もう一度やり直す>>
何のかんの言っても、やはり教室に学生が居ることは良いことだ。本日少し早
めに家を出て、山科駅前SBUXでドイツ語の予習を少ししてから出勤。午前
中は4回生可換環論入門講義。先週「伝説の講義」バージョンでやった超越拡
大のところをもう一度やり直す。昼食も早々に済ませ、昼休みは色々雑用。午
後は1回生微積分の演習。ひきつづき院生予定O君のプレ・ゼミ。今日は圏論
の関手と自然変換のところ。その後、生協で夕食をとり、来週の授業の準備な
どをしてから帰宅。夜は野暮用とドイツ語の予習の続き。
2005年1月11日(火)
<<如何ともし難い>>
午前中や自宅および山科区内で野暮用。午後から大学に出勤して雑用でもと思っ
たが、やはり自宅に戻って夜まで数学。面白そうな具体例の計算を始めたとこ
ろ物凄いことになり、半日やっても終わらず。
ところでアラン・コンヌによれば、多くの人が現代数学を理解できない大 きな理由は、多くの人が楽譜だけ見て音楽が頭に思い浮かばないのと同様、数 学記号を見て数学的意味が頭に思い浮かばないからだそうである。ああ、そん な簡単な事だったのかと腑に落ちる。道理でいくら噛んで含めてお粥を炊いて 懇切丁寧に講義しても、さっぱりわからないと言う学生がいるわけだ。まるで、 ちっともお音楽を聞かせてもらえずに楽譜の解説だけ聞かされているようなも のなのだろう。しかし、数学の場合は音楽と違って記号無しでは何も語れない。
記号の意味を頭に思い浮かべるトレーニングは 地道な努力が必要だけど、数学が好きな人は苦にせずに自然とやっているし、 嫌いな人はそんな難行苦行は真っ平御免ってところか。 天才でもない限り、トレーニングしないと絶対に分かるようにはならないのだけどね。 こればっかりは如何ともし難い。
2005年1月10日(月)
<<よくわからない>>
成人式だそうである。大学に私語学生が溢れ返っていた頃は、私語の嵐が吹き
荒れる成人式だったそうだ。しかし近頃私の周囲では私語学生は影をひそめ、
それに代わって脈絡無き居眠り学生が大量発生している。これが局所的で
一時的な現象に過ぎないのか、それとも日本全国で広く見られる一般的傾向な
のかというのは、ちょっと興味深い問題ではある。
もしこれが一般的傾向だとすれば、今年の成人式あたりでは新聞などに 「各地の成人式で集団睡眠。催眠ガスによる同時多発テロか?」なる見出しが 躍るはずである。しかし私語の嵐に懲りたのか、成人式自体が形を変えてきて いるらしく、どうも様子がよくわからないし、上記の問題も解けないままである。 こうやって、わからんなあ、わから んなあと言っているうちに居眠り学生も姿を消し、数年後には全く新しいタイ プの学生が姿を現すのだろうと思う。
今日は数学と軽い野暮用を織り交ぜた一日。
2005年1月9日(日)
<<「優雅」と「ゆったり」>>
地球は温暖化しているはずなのに、いっちょまえに寒い。朝はゆっくり目に起
き、少し数学して、それから夕方遅くまで鼻水を垂らしながら山科区内を駆け
ずり回り野暮用。夜は数学。
時間を気にせずに好きな本を読んだり音楽を聴いたりしてのんびり一日を 過ごすという事を、もう長い間やってないような気がする。某電気メーカーの 研究所や某国立研究所勤務時代は、生計のための仕事と研究生活がほぼ一致し ていたから、夜や休日はのんびりと過ごせた。音楽を聴いたり、本を読んだり、 街をぶらついたり、酒を飲みに行ったりといった、世間一般の遊びを覚えたの もこの頃である。この頃は「優雅」でかつ「ゆったり」した生活だったように 思う。
大学教授というと、人々からよく優雅な生活でしょうねとか言われるけれ ど、研究生活がある程度認められているという意味では確かに優雅である。し かし、研究もプロの厳しい競争社会の中で行われるため必ずしも優雅とばかり も言ってられないし、研究所勤務と違って生計のための仕事と研究生活が微妙 に食い違っているため、その分のんびりする時間が無くなる。また、野暮用の 方も年齢の狭義単調増加関数で増大してくるので、ますます「のんびり」とは 程遠くなる。結局、研究生活の方をリタイアしない限り、「優雅」かも知れな いが「ゆったり」とは行かない。
東大医学部の某先生は世界のライバルに負けたくないからと毎日猛烈に勉 強している、みたいな記事が新聞に出てたことがあるけれど、「ゆったり」と は程遠い気分で毎日を過ごしている大学教授は別に珍しくも何ともないのじゃ ないかと思う。
2005年1月8日(土)
<<心、傷付いてる?>>
ゲーテの日。久しぶりにボケた頭が活性化するのを感じる。輝くフリータ氏は
ロシア語三昧が嵩じて年末年始にロシアをぶらついていた反動か、ドイツ語を
忘れてしまったなどと言って騒いでいた。清少納言様は欠席。また風邪でもひ
いて寝込んでいるのかしら。謎の旅行会社社員氏も欠席していたが、スマトラ
沖地震・津波関係の対応に追われてゲーテどころの騒ぎではないのかも。
思えば昨日の文系数学の学生も不思議な存在である。数学 がさっぱり駄目で、高校の授業も「わけがわからなかった」と言っていた 学生は、何故もう数学なんて真っ平だと思わずに、わざわざ私の講座を 選択したのか?同様の学生が他にも20名程度は居るはずだが、 彼らは一体何を思っているのかしら。 数学の講義なんて一つも取らなくてもいくらでも卒業単位は集められるは ずである。文系数学の講座は伝統的に単位認定が甘いという噂でも流れている のかも知れないが、だからと言って例え講義に出て板書をノートに書き写すだ けであれ「わけのわからない」ものを勉強するのは避けたいと思うのが人情で はないか。
昨日の学生達と話していて気づいたのだけど、数学を暗記科目とか、計算 技術の体系とか考えているのはむしろ高校時代に数学が得意だった学生であっ て、本当に苦手な学生にとっては「わけのわからないものなんて、そもそも暗 記の仕様がありませんから、残念!」という事なのかも知れない。だから、彼 らにとって数学は暗記科目でも何でも無いのである。数学を暗記科目として勉 強していると、そのつまらなさに心が傷付いて、嫌いになってしまうのは自然 な道理だと思うけど、徹底的に「わけがわからない」とかえって心に受ける傷 が少なくて、「あのわけのわからなものをほんの少しでも良いからわかってみ たいものだ」と思えてくるのかも知れない。もしそうならば、これは良い傾向 である。残念ながら私の講義では、その要望には応えられなかったけどね。
2005年1月7日(金)
<<違い、分かる?>>
それにしても昨日の新春ボケボケ興行の背景には、教室に学生が一人も居なく
ても、「おかしいな、教室を間違えたかな」とは決して思わず、ただ、「ああ、
とうとうこの講座も伝説の講義モードになってしまったか」ぐらいにしか思わ
ない病理が隠れているように思う。
本日衣笠キャンパスで文系数学「数理の世界」「情報の数理」の講義。 「数理の世界」の後に、試験対策でどのような勉強をすればよいかと聞いてき た学生が何人か居た。その件については12月最後の講義で説明してある。特 に、数学の内容的な理解に自信の無い学生は、あらかじめこういう事を考えて おけば良い式の事を話した。
例えば、「数理の世界」では、題材としては中学・高校の数学でお馴染み のものばかりだけど、(何せリーマン予想やRSA暗号の話を目指しているぐ らいだから)その扱い方は中学・高校の授業とはずいぶん違うと思う。少なく とも「数学は暗記科目」「数学は計算技術の訓練」という一般的認識とはかけ 離れているはずである。その違いは何なのだろう?という所から「数学とは何 か?」を自由に考えてみればどうか。
という、12月末に教室で話した事を繰り返すと、その学生は「先生の講 義は高校の授業と同じです」と言う。ちょっと驚いて詳しく聞いてみると、 「何かΣ記号とか素数とか出てきて、ああこれ高校でも出てきたなとか思いま すし、あと、私、数学が本当に苦手なんですけど、
しかし、分からないなりに何となく違いがある事ぐらいは分かるはずだと いう設計思想に基づいて、試験問題、特に所謂”点取らせ問題”の部分を作っ てしまったけど。さて、どうしようかな。
2005年1月6日(木)
<<新春ボケボケ興行>>
仕事始めである。午前中の4回生配当可換環論入門講義をするために教室へ。
教室には誰も居ない。ははあ、学生どもめが、まだ正月気分が抜けないと見え
て、今日はサボりを決め込んだか。よろしい。では久しぶりに「伝説の講義」
を始めようではないか。昨年度、大学院で初めて「伝説の講義」をやった時は、
要領がつかめず図らずしも音声ミュート状態になってしまったが、今ならそん
なヘマはやらない。いつものように板書して声を出して説明して、快調に講義
を進めた。今日は超越拡大体論の続きだが、今日中に全部終わってしまうことに
しよう。ふむ。
10分程した頃、ふと思うところあって講義を中断して隣の教室を覗いて みると、元気の無い2回生達が先生の居ない教室でたむろしている。もしやと 思い、「君達、離散数学(の講義聞きにきたの)?」と聞くとうんと言う。「とい う事は、私を待っていたのですね?」と念を押すと、またうんと言う。 この瞬間私は全てを理解した。
この大ボケ野郎めが!!!!
慌てて部屋に講義ノートの交換に行き、と言っても離散数学のノー トは自宅に置いてあるし、今日の講義のためには何の準備もしてない。とりあ えず、今は使ってない旧版のノートを引っ張り出して教室に戻りがてら歩きな がら講義の準備。よし!今日はこのネタで行こうと段取りを決め、20分遅れ で講義開始。ある複雑な等式の証明を、組合せ論的アイディアを使って極めて 初等的に行う方法と、母関数の方法を使って機械的にやってしまう方法の両方 を紹介するという話。私のお気に入りの一品料理的ネタの一つである。
2つ目の解法の話が時間的に厳しくなり、ちょっと急いだところ、どうに か間に合って12時きっかりに「ということで証明終わり、です」と言い終え ることができた。どうだ、ぴったりに終わっただろう。これを芸術的講義と呼 ばずして何と呼ぼうかと得意げに教室を見回してみたのだが、一向に講義終了 のベルが鳴らない。はてな。もしかして。「この講義って、12時10分に終 わるんでしたっけ?」と学生たちに聞くと、またうんと言う。今日の彼らはな かなか健気でよろしい。全く新春ボケボケ興行ですねとか何とか言って誤魔化 しながらも、あと10分間何を話そうか考える。ふと、これまでの講義の流れ から考えて、ここはぜひ母関数の積とその組合せ論的意味をきちんと話してお くべきだと気づき、その導入の話をして目出度くベルが鳴った。
午後は1回生微積分演習の準備として積分の計算に精を出し、夕方は3回 生外国書購読。今日は2名の受講生はともに元気に出てきていた。夜も、翌日 の講義の準備など。冬休みの研究モードからすかーんと抜け出して、気分はも う臨戦態勢。
2005年1月5日(水)
<<暢気坊主>>
冬休み最後の日。やはり遅く起きて若干の野暮用の後、午後は「考えるモード」
で数学。夜はスポーツ・クラブ。今日はSBUXは無し。短いながらも静かな
良い冬休みだったと思う。でも、考えてばかりであまり勉強はしなかったな。
「私は今でも変な人間なのか?」という問題だが、昨日も書いたように1 5歳から35歳までの「人格のエルニーニョ現象」の時代には、そうだという 自覚が多少あったのだが、今はそういう自覚は全く無い。何せ自分のことを「深い森 の奥に滾々と湧き出る清水の如く限りなく透明な存在」だと思ってるぐらい だから。実は、日々生きるのに精一杯で、自分が変な人間なのかどうかな んてそんな事はどちらでもよろしいというのが本当のところである。今一番の 問題は、何故私は日々こうも切羽詰った気分で生きているのだろう?にもかか わらず、何故私をよく知る人は私のことを何も考えてない暢気坊主のように言 うのだろう?そのギャップは一体何か?ということである。
2005年1月4日(火)
<<貴方は誰?>>
今日も遅く起き、ゲーテの宿題の手直しなどをやってから近所で野暮用。思っ
たよりも手間取る。その後山科駅前SBUXや自宅で「考えるモード」の数学。
私は生まれてこのかたずっと私であり続けており、人格の一貫性は保たれ ていると日頃は思っているのだが、時折私の周囲の人間の証言を聞いたりする と、どうもそうでもないような気がしてくる。中学時代の友人は、お前は少し 変わった奴だったという。「少し変わった」というのは、クラスでも目立って ユニークで面白い奴というぐらいの意味だそうだ。しかし、中学・高校と一緒 だった友人によれば、私は高校に進学してから見る見るうちに「完全に頭がお かしくなっていった」らしい。そういえば、女子学生などからは「高山君は頭 がおかしいから、近寄ると危ないわよ」と、爆発物処理班が到着するまで近寄 らないようにしましょうみたいな感じで見られていたような覚えもある。
24歳で会社員になったとき、社員研修の一貫として、今後会社で仕事を していくにあたっての自分の行動基準書なるものをまとめさせられ、それを複 数の上司がチェックするというのがあった。ひとりの上司は「高山ってのは、 つくづく変な奴だなあ!」と感心、否、あきれ返っていたのを覚えている。そ の上司の気持ちは今ならわかるような気がする。先日実家で28、9才頃に書 いた短い文章が見つかったのだが、確かに自分がそれを書いた記憶はあるのも のの、内容をみるとホトホト変ちくりんな奴だなあと思う。30代前半の頃は、 ちょっと凶暴なところがあって、電車やバスの中でマナーの悪い乗客に噛み付 いたり、いろんな事務所(もちろん「組事務所」ではないけど)や民家に怒鳴 り込んでいたような覚えがある。それやこれやの過去の私は、どれも皆今の自 分とは全く別の人格のように思えてきて、「貴方は誰?」と問いたくなってく る。
こうやって振り返ると、どうやら私のこれまでの人生は、「少し変わった」 子供が15、6歳ぐらいから35,6歳ぐらいまでの約20年間「完全に頭が おかし」く「つくづく変」で「凶暴」な人間として推移していたけれど、30 代後半あたりで急速に血の気が引き「深い森の奥に滾々と湧き出る清水の如く 限りなく透明な存在」となって現在に至るといったところだろうか。10代の 半ばと30代半ばの急激な人格的変化は何によってもたらされ、何を意味する のかは、今のところ謎である。また、30代半ばまで程度の差こそあれ「変わっ た」人間だった事は確かだが、今はどうなのだろう。
いずれにせよ、私としては30代後半から2度目の人生を生きているって 感触があって、まるでそれ以前はどこか別の世界に漂っていたのが、ちょうど 高山某の体が空いたのでウマウマと乗り移ったみたいな感じが無いでもない。 オカルトですねー。
2005年1月3日(月)
<<訓示>>
地球最後の寒い正月は終わり、今日から暖かい冬の日が始まったようだ。午後
は調べ物をするために大学の研究室へ。ある事実が成り立っていないと何ヶ月
も考えて来た事が全て吹っ飛ぶ可能性大という、かなり切羽詰った調べ物だっ
たのだが、幸いOKであることが直ぐに判明した。それ以外はテンコ盛りのゲー
テの宿題と格闘。深夜に一応全て片付く。大学の郵便ポストには、大学から支
給された立命手帳が入っていたが、私は既に自分のを買ってしまったので返却
手続をしておいた。
最初はこの立命手帳を重宝していたのだが、ある時期からよく企業の経営 者が社員の意識改革を促すためと称して繰り出す「時間は与えられるものでは なく作るものである」「常に自らを高める努力を惜しまない人間のみが組織の 力となる」式の訓示が各ページに印刷されるようになったので、毎年支給され るや否やゴミ箱に捨てていた。
私と同じようにゴミ箱に捨てる教職員が多かったのか、訓示で社員の意識 改革をというのは昨今の経営者達の間ではもうファッションではなくなってし まったのか、それとも何かの折にお得意さん(というのは誰になるのかよく知 らないが)に配る時に訓示入りでは格好が悪かろうと思ったのか、はてまた単 に訓示の印刷代が馬鹿にならないためか、少なくとも今年の立命手帳には訓示 は印刷されておらず、昔のようにごく普通の手帳に戻っていた。さらに、この 手帳が要らない人は庶務課に返却せよと書いた紙切れまで挟んであった。
私はこの手の訓示が嫌いである。経営者の職権で従業員個人の良心の領域 にまで土足で踏み込んで来られるような感じがするし、訓示を垂れ てもらわないと自らを律する事ができない程自分は落ちぶれてはいないぞと思 うからでもある。訓示を垂れたくなる経営者の気分もわからなくもないのだが、 垂れる方にも垂れられる方にもなりたくないと思う。
山科区内の某床屋にも、色紙に下手な毛筆の字で書かれ たこの手の訓示が店の中に所狭しと並べられている。沢山雇われている従業員 たちの意識を高め、お客様に常によりよいサービスを提供しますという姿勢を 示したいのかもしれない。私は一般に商売人のこういう心意気を高く評価する のだけど、ことこれに関してはそれを見ただけで猛烈に落ち込んで しまう。しかし、速い・安い・近いの3拍子の魅力に負けて一度で懲りずに先 日二度目も行ってしまい、少し後悔している。どこかに安い・早い・近い・訓示 無しの床屋は無いかしら。
また、私がかつて奉職していた某電気メーカは、少なくとも当時は業界を リードする超一流企業というわけではなかったけれど、100年以上の歴史を 誇る品の良い老舗である。私はこの品の良さを気に入っていて、良い会社だな と思っていた。しかし、ある時から技術系社員ひとりひとりの特許出願件数の ノルマが導入された。まあ、それは良いのだけど、私の上司はやけに張り切っ てしまい、自分の部下達に各自の目標出願数を申告させた上で、特許推進会議 なる会合において直立不動の姿勢で大声で目標達成を誓わせるという悪夢のよ うな施策を導入した。これには往生こいたな。こういうのも、私の嫌いな「訓 示」と同じ思想圏に属する。幸い私の上司はあの会社にふさわしい品の良い人 格の持ち主だったためか、1ヶ月もたたないうちに直立不動云々はやめてしまっ たけどね。
2005年1月2日(日)
<<平和利用>>
少し寒さが緩んだような気がするが、やはり地球最後の寒い正月。三週間分の
テンコ盛りの宿題を放置したままゲーテの授業まであと一週間を切った事にふ
と気づき、青ざめる。午後は山科区内で野暮用を色々。夕方、予想に反して正
月3カ日を休むスーパーが案外多い事に気づき、あちこちウロウロ。野暮用と
ウロウロの前後はドイツ語モード。本日数学はお休み。
昨日の日誌に書いた、パスカル、デカルトの世界(?)から転じて数学科 の大学院に来た人は、(日本語の)講義を聞いてフランス語でノートを取って いたそうだ。さしずめ私としてはドイツ語で講義ノートを作って「先生の講義 のレジュメか何か無いですか?」と聞いてくる学生に「私の講義ノートでも良 ければコピーして渡せますよ。えーと、ドイツ語で書いてあるんですけど、君、 ドイツ語大丈夫でしたよね?」と嫌がらせでもしてやろうかと思っていたのだ が、実現のメドは立っていない。研究で特に必要性が無いため、ドイツ語の数 学書をあまり読んでおらず、数学独特の言い回しをドイツ語でどう表現するか 全然知らないからである。
そういえば、Herzog先生に、名著"Commutative ring theory"の故松村英之 はドイツの大学に来た時ドイツ語で講義してたぞ。お前はドイツ語でやらんのか? と言われ、松村先生は旧制高校の時代の人だから語学に堪能なのだ。俺は元祖学力 崩壊の新制高校、 新制大学の出だから英語を使うのがやっとだというような話をしたような気がする。 まあ、ドイツ語は松村先生のように平和利用すべきであって、学生苛 めの道具にしてはいかんのだろうな。
2005年1月1日(土)
<<暗くやるせない衝撃>>
温暖化時代の今、地球最後の寒い正月ではなかろうか。午前中は何となく過ぎ
てゆき、午後は「考えるモード」で数学。数学を考えている時間は幸福である。
しかしこの幸福は決して単調なものではない。何日もかかって考えた事が、ふ
と見つけたたった一箇所のミスで全て瓦解することも珍しくない。私の如き凡
庸なる数学者には、これまでの努力が全て吹っ飛んでしまう瞬間にも微笑みを
絶やさない勇気が必要である。その事によって初めて真実への正しい道がぼん
やり見えてくる事もあれば、とても自分の手には負えない暗闇が見えてしまう
事もある。勿論、何も見えない事もある。どちらに転ぶかは神のみぞ知るであ
る。まあ、スリルがあって良いではないか。
さて、またも昔話。私の学生時代は数学科の大学院の入試はとても難しく、 数学科で4年間(あるいはそれ以上)わき目も振らず数学だけを必死に勉強し ても、合格できる人は僅かだった。しかし私が3回生の頃だと思うが、フラン スに留学してデカルトだのパスカルだのを勉強してたけど、思う所あって数学 に転向しようと思った哲学専攻の学生とか、数学科進学を親に反対されて医学 部に進んだが、来春に卒業予定だから、研修医をやりながら趣味で数学でも勉 強しようと思ったという医学部生が院試を受け、4年間必死組の数学科の学生 達を蹴散らかして易々と合格した。そのニュースを聞いた私を含むあまり優秀 でない学生達の間に、暗くやるせない衝撃が走ったのを覚えている。カッコい い、余りにもカッコ良すぎる。それにひきかえ、地を這いつくばって生きてい る我々は一体何なのだ、と。彼らには面識が無いしその後どうなったかは知ら ないけれど、世の中は広くとことん頭の良い人は幾らでもいるものだと思う。