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よ け ス ペ ー ス で す。

2004年7月31日(土)
<<ゾースト>>
「涼しいヨーロッパの夏」と書いているけれど、ここ数日は、別に涼しくも何 ともない。ちょうど地球温暖化が騒がれる以前の、私の子供の頃の日本の東海 地方の夏に近い暑さが続いている。すなわち、気温が体温を超える事は「よそ の国の話」でしかないけれど、それでも31度前後までは上がり、夜は決して 熱帯夜にはならないがそれなりに寝苦しい。昼間など、特別な冷房装置の無い ドイツのアパートの屋根裏部屋はちと暑い。自宅に居ても暑いだけなので、本 日午後はゾーストを探訪する。

ハンザ同盟都市として栄え1000年以上の歴史を誇るという、古い街ゾース トは、エッセン・シュテーレ東駅から各駅停車と快速列車を乗り継いで2時間 程でたどり着ける。直径1キロ程度の旧市街は今でも7割ぐらい残っている城 壁都市時代の城壁で囲まれていて、所々見張りの塔門もちゃんと保存されてい る。写真のオストホーフェン塔門(Osthofentor)は横の階段を上って中に入れ ば、そこは博物館になっている。内部の感じは丁度、日本のお城のような感じ。 ゲッチンゲンも少しだけ城壁が残っていたが、ゾーストほど保存状態は良くな い。

城壁は二重構造になっていて、その間と内側の城壁の土手は遊歩道になってい る(写真左)。遊歩道は絶好の犬の散歩道として使われている。日本の飼い主 のように糞の始末をする道具をドイツ人が持つとはとても思えず、糞はその辺 に散らし放題である。困り果てた(?)市当局は、遊歩道の所々に、上部の箱 からビニール袋が自由に取り出せ、糞を処理したら下部の専用ゴミ箱に入れる という仕組みのものを作り(写真右)、飼い主に利用を訴えているようだが、効果の 程はどんなものか。

また、旧市街の西北の外れにあるゾースト中央駅は、「中央駅」という名 前から、デュッセルドルフ並みとは言わないまでも、 エッセンやドルトムントやボッフムやデュイスブルクやドルトムント 、あるいはせめてゲッチンゲンやハイデルベルクの「中央駅」のようなもの を想像し、帰りの切符を自販機で買うための細かいお金も無いし、 小さな街の週末だから店らしい店も開いてないかも知れないから、 駅で買い物でもして両替しようかしら、それともReise Zentrumの窓口 で買おうかしら、などと考えていたのだが、駅に降り立っ た瞬間「しまった!」と思った。湖西線の某駅を思わせる、気が滅入るばかり の寂れ放題の半あばや屋状態で、駅の近辺も土曜日のせいかゴースト・タウン。

しかし、旧市街の中心に入ってしまえば、そこそこ賑わいのある街で、現 代風の建物も少なくないが、Fachwerkの建物(写真左)なども当たり前のように建ってい たり、立派はお寺があったりして(写真右)、まさに「絵に描いたようなドイツ」がたっぷり堪能できる。17時の電車 で帰ろうと思っていたが、それが突然運休になり(突然運休とか10分や20 分の遅れはドイツのローカル線では日常茶飯事である)、次の電車は1時間後 だったので、さらに城壁遊歩道などを中心にもう一回りして来れた。

しかし昔栄えた街だとは言え、今はゾースト中央駅の寂れ方に象徴される ように、街全体の活気はいま一つである。やはり街はそこに住んでいる人達の 生活に活気が無いと面白くないな。ハイデルベルクやゲッチンゲンが良かった のは、想像していたような単に古い美しい街というだけではなく、そこに新し い街が嫌味無く広がり、川原で日向ぼっこしたり、スーパーで食料品を買い込 んだり、仕事帰りにその辺カフェで一服して帰ろうとしているような、そこに 住んでいる人たちの暮らしぶりに賑わいがあったからである。まあ、そういう 意味では、美しくはないけれど、エッセンやボッフムといった街も、そう悪く はないような気がしてくる。

2004年7月30日(金)
<<新たなる潮流>>
今朝インドよりHerzog 先生の新しい院生ブッチャ−さんがやってきた。イン ドのカースト制度最上位ブラフミン出身者は徹底した菜食主義らしい。菜食主 義は階級が下がるほど緩やかになり、最下層は「日本人や中国人のように」 (つまり私やシンシャンのように!)何でも食べるのだそうだ。先日エッセン に来た”賢そうなIyengar”さんは緩やかな菜食主義者。ブッチャーさんは超 厳格菜食主義者らしい。メンザで昼食をともにしたけれど、予想通り先行きが 思いやられる雰囲気。まあ、アラーの神の教えを忠実に守り、ビールを飲み豚 を食べるなどというとんでもない不浄の国ドイツでほとんど何も食べられずに いる(?)、アハード・マツイア夫妻という先輩達がいるので、彼らが彼女にド イツで生きる術を伝授することでしょう。

それにしても、エッセン大学のドイツの学生やヨーロッパからの留学生は は皆代数幾何学グループに流れ、Herzog先生率いる可換環論グループの院生は イラン、インド、中国など中東から極東からの留学生ばかりである。これは可 換環論の衰退を意味するのか、新たなる潮流の始まりを意味するのか。それに、 インドというのもちょっと恐ろしいな。ラマヌジャンを生んだ彼らが大挙して 本気で可換環論をやりだしたら、どんな怖いことになることやら。

午後は部屋でお勉強を 続行。夕方頃Herzog先生に呼び出され、20分間だけ議論。あとはブッチャ− さんの荷物がどうのこうので、今から自宅に帰るからどうのこうので「続きは また来週」。どうぞ、ご自由に。とりあえず短い議論で飛び出した宿題だけ、 何とかカタをつけて、お勉強再開。写真は、デュッセルドルフとケルン間を結 ぶライン川の遊覧船。デュッセルドルフの船着場に到着しようとしているとこ ろ。琵琶湖の遊覧船ビヤンカを思い出す。琵琶湖は今暑いんだろうなあ。

2004年7月29日(木)
<<もう、いいんだよ>>
写真は、昨日、デュっセ ルドフル育ちの元同僚Tさん家族らに案内されて行った、旧市街(Altstadt) のライン川のほとり。Tさんが昔から知っているおいしいピザ屋でピザを買っ て、この広場でライン川を通り過ぎる貨物船や遊覧船を眺めながら食べた。嗚 呼、天気は上々、久々に友人に会って、そしてここは美しいデュッセルドルフ の街である。なのに私の荒廃し切った心は癒えることはなく、何時間眠っても 眠気と倦怠感が取れず、消化器系の調子はここ数ヶ月で最悪の状態である。ま じで鬱病かもね。などと考えながら夕方帰宅。

本日8時間以上眠るも、やはり眠気と倦怠感はそのまま。少し頭痛もする。 鬱病でなければ夏風邪かしら?食料品が底を突いたので、スーパーへ。その後 おもむろに出勤。元同僚Tさんからの頼まれ仕事などしているうちに昼食の時 間。昼食は例によって自己の奥底に埋没して過ごし、昼食後は体調最悪ゆえ部 屋でぐったり。しかし1時間ほど半死状態でじっとしているうちに少し調子が 良くなった。

15時頃Herzog先生に呼び出され1時間程何だかんだと話しているうちに、 また新予想がひねり出され、これを考えてみよとか、最近の結果(何故か Herzog先生はこの結果がずいぶんお気に入りであるが、私は「別にい」って感 じである)について来週の院ゼミで講義してくれとかの宿題をおおせつかる。 「独りでやろう」と決心して新たな勉強を始め、共同研究についてはさっさと 論文を纏めて終らせてしまおう思っていただけに、何だよ今更ってな気分であ る。

8月半ばには日本から某大物数学者H氏(何故か私の知り合いの数学者は「H 氏」とか「T氏」とかばかりだな)がやってきてかかりっきりになるので、 Herzog先生と議論ができるのはそれまでの2週間だそうである。ところが、H 氏がやってくる直前にまた2日程旅行の日程を入れたらしく、「高山、(昨日 のデュッセルドルフみたいに)また旅行する予定を考えてるんだったら、この 日に重ねた方がいいぞ。でないと、また俺と議論できる時間が少なくなるから な」と。議論の時間をどんどん値切りたければそうすればいいさ。もう、いい んだよ、そんな事。「独りでやろう」というのは、そういうことである。折角 涼しい夏のヨーロッパに来ているのである、私は勉強しやすい所を求めて、旅 行したければ好きな時に旅行するさ。

2004年7月27日(火)
<<意味不明の発言>>
終日お勉強。途中、Herzogグループの昼食と"苦渋に色塗られた驚愕の12時 間論文"の仕上げ作業に少し付き合う。

最近精神的に荒廃し切っているので、昼食時も自分の世界に閉じこもって ぼんやりしているのだが、シンシャンらとお喋りしていたHerzog先生が、突然 「高山、次に来る時は、奥さん連れてきて、ここで子供作ったらどうだ?」は あ!?このおっさん何言うてんねん?その「奥さん」だの「子供」ってのは 何やねん?また、プリンター無し、図書館無し、 Jürgen Herzog無し状態で、この小汚いエッセン大学に何ヶ月も滞在 しろってか?思わずキレて

「俺には未来なんてもんはねえんだよ(怒)!!」

と意味不明の発言をぶちかましておく。

”12時間論文”では私の貢献部分が思っていたよりも少し多くあったが、 その部分だけ付き合って、「あとはHerzog先生とS大Tさんでご自由にやって ください」とうまく押し付けて帰ってくる。そういえば、 そろそろHerzog先生との共同研究の論文を無理矢理にでも纏め始めな ければならないのだが、やる気が起きず放置。少なくとも今週一杯は、涼しい ヨーロッパの夏の快適な環境で!お勉強に励むことにする。

昔Hartshorneの本でスキーム論を一緒に勉強した、元同僚Tさんが里帰り でドイツに来ているらしい。明日はTさんとデュっセルドルフで会う予定。何 となくアポイントメントがあやふやで不安ではあるが、もし彼と落ち合えなく ても、デュッセルドルフのカフェでお勉強したり、街を彷徨ったりして、一日 遊んで来る予定。

写真はゲッチンゲンのグローナ門前バス停。ゲッチンゲン旧市街は昔城壁 で囲まれていたらしく、所々それが残っている。城壁は一部が建物になってい たり塔になってして、写真の建物は城壁の一部。そしてすぐ近くにグローナ門 が残っている。Herzog先生に「ハイデルベルクとゲッチンゲンで、どちらが良 かった?」と聞かれ、「へー、そうですねー。(観光客が少なくて静かな感じ だし)街の感じを比べたらやはりゲッチンゲンかな」と答えたら、彼は(この 野郎、殴ったろか!)というジェスチャーをし「しかし、山とか川とか城とか、 街を取り巻く環境を考慮したとしたら、どっちだ?」と(今度ゲッチンゲンっ て言ったら本当にぶん殴るぞ!)というジェスチャーをしながら聞いてきた。 ハイデルベルクは彼の故郷なのである。勿論、全体を考えたらハイデルベルク が良いでしょう、と答えておいたが。

。

2004年7月26日(月)
<<ラッキー?>>
朝はスーパーで少し買い物をしてから自宅にて勉強。Herzogグループが集まる 昼食前に出勤。途中昼食を挟んで引き続き勉強。14時よりほぼ1ヶ月ぶりの Herzog先生のグレブナ−基底の講義。その後、"驚愕の10時間論文" 改め" 苦渋に色塗られた驚愕の12時間論文"の仕上げに付き合う。この論文では、 4月から7月までの私とHerzog先生との共同研究の結果を纏めた別の論文が参 照されるのだが、その論文が書けるメドがまだ立っていない。

Herzog先生は、メキシコだのイタリアだのモロドバ共和国だのドイツ南部 の山里だのに行っている間に、それまでやってた事をすっかり忘れてしまい、 エッセンに帰ってきた時にその場その時の思いつきのアイディアを吐き出して また何処かに行ってしまう。そのアイディアを私が忠実に掘り下げて、色々な 事を考えてきた結果、バラバラの結果の集積が出来上がってしまい、それをど う論文に纏められるのか皆目見当が付かない状態なのである。

「高山、今回の滞在は不幸だったな。俺は出張ばかりしてたし、お前も日 本に一時帰国してたし、来客が多くてゆっくり(お前の)相手できなかったし」 か、貴方には言われたくなかったね。ああ、不幸だよ。十分不幸だよ。だから どうだってんだよ、悪かったな。そればかりじゃないぞ。くどいようだが、プ リンターは無いわ、図書館は使えないわ、だ。

しかし、これだけ酷い扱いを受けると、ボンヤリ者の私も流石にわかって くる。他人をアテにするっていう根性がそもそも間違いで、自分独りでやらな くっちゃ、とね。先週末ゲッチンゲンに行って、ヒルベルトとネーターの亡霊 を見て、「独りでやろう」と決心してきたんだ。これはいつかはやらないとい けない決心だし、ちゃんとした数学者ならもうとっくにそう決心しているはず だ。もし私が今回まともな扱いを受けていたら、そんな決心なんていつまで経っ ても出来なかったことだろう。だから、真面目な話、今回は「酷い扱いを受け ることができてラッキー」だったと言えないこともないし、そう言い切ってしま わないとあまりにも惨めである。

2004年7月24日(土)
<<ゲッチンゲン>>
今回のエッセン大学滞在で、数学的に一体何が得られたか。勿論、アイディア の巨人Herzog大先生の問題意識の先を掘り繰り返してみれば、何からかの発見 はあり、何かしらの論文は書けるかもしれない。論文が書ける事は職業数学者 にとっては悪いことであろうわけがない。 しかし、先週までのあの人生の浪費と言うにも近い、苦渋に満ち溢れた2週間 が象徴的に示しているように、単に何かしら「面白い」とされる発見をして論 文が書けることが、私の人生にとって、数学をやって数学を楽しみながら生き て行こうとしている私の人生にとって、意味があることかどうかは別の問題で ある。

今回ドイツに来た目的は、単なる職業数学者のひとりとしてではなく、数 学をやって生きていく一人の人間として、今後の糧となるような 何かを得て日本に帰ることであった。そのような糧は得られたか?否、そんな うまい話などあるわけが無いのである。今回のドイツ滞在の最大の収穫は、そ のようなものは野垂れ死に覚悟で自分で苦労して見つけるものであり、少なく ともHerzog先生に求めるのはお門違いであると明確に理解できたことである。 自分の数学は自分で見つけよ。然らば今後どうすべきか?

とまあ、こんな漠然とした問題を考えるには、まずヒルベルトとネーター の亡霊うごめく(?)ゲッチンゲンを訪ねることから始めねばならない。そう思って 土曜日は超特急・特急列車のICEとICなどを乗り継いで3時間ほどかかっ てゲッチンゲンへ。昼前頃から夕方7時前ぐらいまで、ゲッチンゲン大学数学 研究所や石塀で囲まれている旧市街などを舐めるようにして歩き回り、夜11 時近くに帰宅。快晴。気温は25度前後、湿度低し。先週のハイデルベルクの 30度前後よりもうんと快適。蒸し風呂亜熱帯ニッポンと比べれば、天国と地獄の 差ですな。

写真は左からゲッチンゲン大学数学研究所別館、数学研究所全景、および研究 所内の講義室。週末は閉鎖されているため、講義室は窓から覗いて撮影。教室 の壁にヒルベルトの写真が飾られているのが見える。教室の感じが、京大数学教室(最 近新館に移ったようなので、数学教室旧館)のそれに酷似しているので、思わ ず背筋に冷たいものが走り、震える手でシャッターを切った(嘘です)。ヒル ベルトの時代からこれらの建物が建っていたのかは不明。 この中の何処かに 書いてあるはずだから、追々調べてみることにしよう。 それ以外に、こ の街にヒルベルトやネーターの時代を偲べるものは何も見出せなかった。街の 中のガウス薬局とかレストラン・ガウスなんてものはあったけれど。

街の雰囲気はハイデルベルク の旧市街にとてもよく似ていて、ドイツの古い町に共通した特徴を表している と思われる。一つ驚いたことは、住宅地のアパートの中庭に洗濯干し場がある ことである。何かこういう図って、私の子供の頃の日本にもあったような。そ れにしても、ドイツでも有数の降雨地帯でほとんど毎日雨か曇りばかりの、ド イツ西部に位置するエッセンで、洗濯物を中庭に干して半日放置しておくなん てことは不可能である。私のアパートでもそうだけど、洗濯物は地下室で陰干 しか、乾燥機を使わねばならない。それに比べれば、ドイツ中部に位置するゲッ チンゲンは、天気が安定しているのであろう。ゲッチンゲンは小さな街で、エッ セン中央駅よりもうんと小じんまりとしたゲッチンゲン中央駅は、特急列車が 止まって乗客が降りるたびに、「大学の町ゲッチンゲンにようこそ!」とアナ ウンスが入るところが面白かった。

2004年7月23日(金)
<<災難>>
昨夜Herzog亭で行われた「Herzog・高山リゾット競作の夕べ」で食べ過ぎて、い ささかもたれる胃を抱えながら本日朝一番でスーパーに行き、出勤途中にエッ セン中央駅で明日のゲッチンゲン行き切符を買う。私はあまり観光には興味が 無いのだが、一度ぐらいは「絵に描いたようなドイツを!」ということでハイ デルベルク、そして、可換環論研究者たるもの一生に一度はネーターやヒルベ ルトの亡霊を表敬訪問すべしということで、ゲッチンゲンは外せないのである。

本日終日本読みなど。途中Herzogグループで昼食に出たり、"驚愕の10時 間論文"の細かい部分を詰める作業に呼び出されたり。過去2週間にわたる、 この論文に関する作業は最初の1日2日を除いてただひたすら苦痛で、どこの どの部分をとらえても楽しい事なんてひとつもなかった。楽しくない数学は人 生の浪費である。プリンターも図書館も使えない上に、さらにこんな苦痛な形 で数学をやらなければならないとは、とんだ災難である。しかし一応今日で開 放されたものと理解している。

2004年7月22日(木)
<<お人好し>>
午前中は自宅の居間のソファーで寝っ転がりながら勉強。Herzogグループは昼 食時に集まるのが常なので、それに間に合うように出勤。昼食後部屋に戻って 勉強していたら電話で呼び出され、Herzog部屋でS大Tさんも含めて「会話」。 正直言って興味も予備知識もアイディアも無い世界の問題なので、S大Tさんに この場は任せることにし、早く終らな いかという事ばかり考えて死んだフリして過ごす。14時から院ゼミ。今日は S大Tさんの算術階数(arithmethic rank)に関する講演。

今夜はどういうわけか、Herzog亭でリゾットを作って皆に振舞わねばなら ないはめに陥っている。「私の作るものが本当にリゾットかどうか、誰も証明 した事が無い。ただ私がそう信じているだけである。各自、生涯最悪の夕食と なるリスクを負う覚悟をした上で参加せよ」と宣言してある。 ちなみにリゾットの作り方は、ドイツに来てから料理の本やスーパーの 広告の記事などを参考に、独自レシピを開発した。この「独自レシピ」 というところが、食べる人にとって天国と地獄の分かれ目だと思う。

ところでドイツのベビー・カーはかなり大型である。日本でも、私がまだ 子供の頃は「乳母車」と言って、形は多少違うけれどドイツのものと同じ大き さのものが一般的だったが、現在では折り畳み可能な小さなベビー・カーが一 般的だと思う。この違いは、勿論日本の狭い住宅事情が関係しているだろうけど、 それ以外の理由もあると思う。

駅のホームの階段を上り下りするとき、ベビー・カーを押したドイツの母 親は気軽に近くの人に手伝ってくれと頼むし、頼まれなくても必ず誰かが手を 貸すのが普通である。これは何度見ても私には驚くべき風景に思える。何故な らば、日本ではまず誰も手を貸そうとはしないだろうし、たとえ母親が近くに 人に頼んでも無視されるのが普通と考えらえるからである。

また、こちらから手 を貸そうを申し出ても、余計なお世話!と追い払われる可能性も十分考えられ る。それは恐らく次のような事情があるからだと思われる。 もし気軽に手を貸してくれる人が居たとしても、その人物が頭のお かしい人間で、いきなりベビー・カーをひったくって赤ん坊もろとも階段の下 に放り投げないとも限らない。大体「知らない人」は「人の皮を被った悪魔」 かも知れないという可能性は、常に勘案しておかねばならない。かくして孤立 無援の母親は、子供を小脇に抱え、ベビー・カーを折りたたんで、一人で階段 を上り下りするしか無いのが、日本での普通の姿だと思う。

それを思うと、ドイツ人って何とお人好しなことか。写真は、その「お人 好し」の一人Herzog先生から土産として頂いたエッセン大学御用達!本物の黒 板ワイパー(Tafelwischer) である。そんじょそこらの日曜大工用具売り場で 売ってるちゃちなプラスチック製の窓拭きワイパーとは訳がちがう。しっかり とした金属性でずっしり重い。素晴らしい!と、しばしうっとりする。

2004年7月21日(水)
<<いつか来た道>>
S大Tさんが帰国するまでは平和な日々が続きそうだ予想し、天気も良いこと だし、本日エッセン駅から徒歩であちこちより道しながらのんびり出勤。午前 中は昨日に引き続き本読み。本読みなど日本に居てもできるではないかとも思 えるが、図書館は使えないわ、プリンターは無いわ、雑用は無いわ、亜熱帯ニッ ポンと違って涼しくて快適だわ、Herzog先生との共同研究は7月初旬からストッ プしたままで再開後の方向は予測不能だわ(たぶん適当に論文を纏めて終息に 向かうと思われる)という、身動きが取れない今だからこそ、ゆっくり勉強が できることも確か。

昼食後、ちょうどHerzog先生と"驚愕の10時間論文"の細かい部分を詰める作 業を始めた頃に、寝坊したS大Tさんが現れて何となく「会話」モードに。し ばらく付き合っていたら真剣に頭痛がしてきたので、部屋に戻って静養。再び本 読みモードへ。

中間総括数学編でも少し書いたけれど、今回こちらに来て、今ここでやっ ているような数学は確かに面白いのだけど、自分の一番やりたい数学ではない ことが日増しにはっきりしてきた。そして、自分の一番やりたい数学をやるに は、今まで私がやってきたように誰かに「弟子入り」する方法では駄目で、自 分で試行錯誤しながら勉強するしか無いことも次第に明らかになってきた。だ から、どこかで決心しなければならないのである。決心するのは簡単だけど、 それでうまく行く自信はゼロだし、それではどういう数学をやりたいかもまだ 具体的には煮詰まっていない(既に十分に詰まっているのだけど、単に 思うような研究成果が出ないだけだという説もある)。特に後者については、 某大先生に会うたびに「高山さんはどういう数学がやりたいのですか」と 聞かれて冷や汗をかいてばかりいるので、早く解決したい大問題である。

ということで、あとしばらくウジウジする必要 があるだろう。ドイツ滞在の残りの期間は、ウジウジすることに費やそうかと 思う。そういえば、「今やっている数学」「自分の一番やりたい数学」をそれぞ れ「計算機科学」「数学」に置き換えれば、まさに”いつか来た道”である。 何か、こんなことばかりやってたらいけないような気もするのだが。。。

その後15時から、何だか知らないけれどエッセン大学の野外パーティーなる ものがあって、皆で出かける。各学科がビールやサラダやソーセージやデザー トなどを用意して、中庭のあちこちに陣取って振舞うというもの。最初はカン カン照りの晴天だったけれど、半時間ぐらいしたら雲行きが怪しくなり(写真 参照)、1時間後には完全な雷雨。少なくともテントを確保してなかった数学 教室は退散し、パーティーは中止となった模様。

2004年7月20日(火)
<<虚しい議論を楽しむ>>
午前中は"驚愕の10時間論文"の私の担当部分を書き上げる。昼休みは、以前 Herzog先生の学生だったアッチラさんが遊びに来ていた。2年前にイタリアの 国際会議で会った時はまだ学生で、ただの嬉しがり少年だったのだが、今日会っ たら落ち着いた立派な大人になっていた。この2年間で就職して結婚して子供 作ってという事を経験したからであろうが、この急激な変化は驚くというより、 ちょっと可笑しかった。いまはドイツで一番大きなガス会社のマーケッティン グ部門に勤めているらしい。数学とはオサラバ状態だけど、仕事には満足して いるという。数学は好きだし、大学院も途中でやめた形になっているので、と りあえず数学の学位だけは取っておこうと、時々Herzog先生と連絡を取ってい るらしい。こういう人は数学をやっても決して不幸にはならないと思う。昼食 後珍しく皆で学生寮付属カフェBrückeに行く。

Brückeではしばらく普通の会話をしていたのだが、そのうちHerzog先 生が数学における存在とは何か?なる哲学議論を始めた。S大Tさん相手に何 だか熱心に議論しているけれど、どう考えても存在論における有名な論争の陳 腐な焼き直しでしかなく、双方代表的対立論点を言い合っているだけに過ぎな い。こういう新規性が無く生産性に乏しい議論は退屈極まりないので、こっそ り逃げ出してオフィスに戻る。

そういえばHerzog先生はTrungさんと会う度に、「共産主義と自由」(これ は私の命名)というテーマで同じような、私から見れば虚しい議論を楽しむの が好きなようである。先日Trungさんらがベトナム料理をふるまってくれた時 にも同じ議論が始まって、ああ双方3年前と全く同じ事を言い合ってらと思っ て逃げ出した。恐らく結末のわかっている同じ芝居を何度も楽しんだり、同じ 音楽を何度も聴き直すように、お気に入りのテーマで全く同じ議論を何度も繰 り返して楽しむという楽しみ方があるのであろう。

この場合、自分の意見を相手の前で開陳して、相手の反論を待って、再び 同じ意見を繰り返し、また同じような反論を待って、またまた同じ意見を繰り 返すという事を双方疲れ果てるまで続ける事に何か大きな意味があるらしい。 相手が簡単に「ああ、そうですね」と同調するようでは駄目で、双方絶対に自 分の意見を変えてはならないというのが暗黙のルールのようである。私は基本 的に「私はこう考える。でもそれは貴方には何の関係も無いことだ」という人 なので、何でそんな事が楽しいのか、よくわからないけどね。

午後はこの機会にちゃんと読んでおこうと思っていた某専門書に読み耽る。 夕方からオーバーセミナー。今日は標数pのD加群がどうのこうのという話。 局所コホモロジーやF-有理性といった言葉が飛び出し、おっと乗り出してしまう のだけど、可換環論のそれと定式化が全然違って見えるので、結局よく わからず。 写 真はハイデルベルクを流れるネッカー川河川敷。哲学者の道の方から降りてき た、新市街にかなり近い部分。珍しく天気が良くなったので、市民が早速日向 ぼっこをしたり、水辺で遊んだりしている。歩き疲れたので、裸足になって 川に足を浸して一休み。太陽はカンカン照りだけど、ネッカー川の水は ひんやりと冷たかった。

2004年7月19日(月)
<<ドイツ語蟻地獄>>
朝一番にスーパーで食料品の調達を済ませ、それからエッセン市街に出て旅行 代理店で帰国のフライトの日程変更を済ませてから出勤。先週からシンシャン がストレス性と思われる腹痛で大学病院に入院しているため、Herzog先生のグ レブナ−基底の講義は3週続けて休講。シンシャンはああ見えても色々気をつ かってストレス溜め込んでたのかしら。夕方頃、Herzog先生とS大T氏と「会 話」。1週間の「会話」を論文に纏めようとの相談。通算10時間ぐらいの 「会話」で論文が一つ出来上がるというのは恐るべきことである。私の貢献は ほんの少しだけど。それにしてもS大T氏は色々な事をよく知っている。大体 その場で考えたら、何らかのアイディアなり、何年前ぐらいの誰それの論文に こういう事が書かれていた式の情報なり、何か出てくるってところが凄い。私 の「この人は凄い!極秘リスト」に付け加えられたことは言うまでもない。ま あ、そんな事で感心しているようじゃいけないのかも知れないけどね。

さて今日の総括はドイツ語である。こちらに来て以来、大学以外の場所で はずっとドイツ語で通している。どんなにしどろもどろの状況でも決して英語 に切り替えたりしないのは、急に英語に切り替えようとしてもドイツ語とちゃ んぽんになってしまって、うまく言葉が出て来ないことが最大の理由である。し かし、無意識のうちに決して英語は使うまいと決心してしまっているような気 もする。それにしても何故?

こちらに来て、私が何故ドイツ語を勉強してきたのかその理由を思い出し た。そう、リベンジである。3年前に滞在した時の「Herzogグループ、ドイツ 語漬けの昼休みの退屈」の恨みを晴らさずにおれようかと、後先を考えずにゲー テに授業料をどんどんつぎ込んで、明日のために打つべし!打つべし!打つべ し!打つべし!とドイツ語学習に突入していったのである。しかし、今度 Herzog先生の所に来てみたら、昼休みの公用語は英語に変わってしまっていた し(リベンジの場そのものの消失)、主に著しく劣る聞き取り能力の故に、私 のドイツ語はそもそもリベンジできるレベルに達していなかったのである。

さて、リベンジは果たせなかったし、今後ドイツに滞在することもそう多 くはあるまい。英語と違って、研究でドイツ語の文献を読む必要性も限りなく ゼロに近い。かと言って語学というのは放っておくとどんどん「蒸発」してゆ く。これはゲーテに注ぎ込んだン十万円という大金が「蒸発」するという由々 しい事態を意味する。中途半端な語学能力が大金とともに唯々「蒸発」してゆ く事態は、何としても回避しなければならない。

かくして、気がついた時には嫌でもドイツ語学習を続けていかねばならな いという、ドイツ語蟻地獄に陥っていたのである。これからドイツ語とどうやっ て付き合って行こうかしら。この問題を真面目に考えないうちに、ドイツ語の料 理の本だの学部用の代数の教科書だの肩こり・腰痛本だの高校物理の参考書だのと色々 つまらないものを買い込んでしまっている。今日も大学の書 店で、ふらふらと(日本では滅多に手に入らないというだけの理由で)独仏・ 仏独辞典を買ってしまった。私は何処に向かっているのだろう。

2004年7月17・18日(土・日)
<<さーあね>>
この週末はやっと夏らしい天気になり、時折急に雲行きが怪しくなって雷雨が あるものの、おおむね快晴、気温も30度を超えたりする。この機会を逃さじ と、土曜日はハイデルベルク・プロジェクトを決行。ハイデルベルクまでは ICEやIC (日本の新幹線にあたる超特急)で3時間以上かかる。そこで朝5時 に起きて、エッセン中央駅から6時台のICEに乗り、10時前に現地に付き、 まる一日観光して、その日の夜帰宅するという計画。あるいは見る所が沢山あ れば、宿を探して一泊するのもよし。

しかし実際エッセン中央駅からICEに乗れたのは午前9時である。何故か。 朝は確かに5時に起きた。最寄のシュテーレ東駅には、5時40分頃には到着 していた。しかし、土日の在来線は真面目に運行していないことを忘れていた。 かくして、シュテーレ東駅で30分以上待つことになる。当然予定は変更され、 エッセン中央駅から7時前のICEに乗ることにした。

エッセン中央駅に着いたのは6時半頃。さて、チケットを買おう。長距離 の場合自動販 売機は現金は使えず、ドイツ鉄道の何とかカードでないと駄目。何とかカード を作るには銀行口座を持っていないと駄目で、銀行口座はドイツで収入を得て いない客員研究員には作れない。この客員研究員イジメの構造は、エッセン大 学の図書館の底意地の悪さにも通じるものがあるな。ま、とにかくチケット は窓口で買わないといけない。急がなくっちゃ。と、がびーん!私は第二のミ スに気づいた。土曜日の窓口は8時からしか開いてないことを確認してなかった! これにはかなり打ちのめされた。アパートに戻る気力も無く、明日に延期した ところで、明日も天気が良いという保証は無い。かくして、エッセン中央駅で 1時間半待つことに。予定は再び変更され、窓口8時開店とともに速攻でチケッ トを買い、8時20分頃のICEに飛び乗ることにした。

しばらくその辺の椅子に座ってぼんやり待ってから、7時40分ぐらいから 用心して窓口の扉の真ん前で待つことに。開店直前には私の後ろに10 名以上の人が行列を作っていた。よし、8時開店とともに 「当日券・お急ぎの方」のカウンターにダッシュしよう。これで一番乗りだから、 いくら窓口の係員がのんびりしてても8時20分には間に合うだろう。 そして8時きっかりに職員が現れ、扉が開く。計画通り 「当日券・お急ぎの方」のカウンターにダッシュ。と、またも私は 今期最大級のミスに気づいた。

今期最大級のミス:ここがドイツであることを忘れていた!

「当日券・お急ぎの方」カウンターの係員である女性職員は、開店早々から真 面目に働く気は毛頭無かったのである。カウンターの前に私ともうひとりのド イツ人が並んだけれど、カウンターにその職員が座る気配は無くその辺をうろ うろしているだけである。後ろのドイツ人が「カウンター業務しないのか!?」 と叫んでいたが、「予約・後日の方」カウンターの職員は「さあーね。お急ぎ でしたら自販機でどうぞ」(私は自販機が使えない)。ああ、これだ。そう言 えば3年前ケルンへ行こうとした時、ケルン行きの電車が途中で引き返したり、 止まったり、全然ダイヤ通り運行せず、なかなかケルンにたどりつけなかった 事があるが、その時乗客に詰め寄られたドイツ鉄道の職員も、やはり「さあー ね」と軽くかわしていたな。

しょうがないので「予約・後日の方」カウンターの方へ並び直したけれど、 8時前までは私の後ろに並んでいた10名程度の人たちに既に追い越されてし まっている。彼らはドイツ人だから、女性職員の素振りから、「当日券・お急 ぎの方」カウンターは当分機能しないであろう事を知っていたのであろう。流 石の私も頭に来て、何で「当日券・お急ぎの方」の窓口業務をやらないんだよ、 いい加減な連中だな。全く、5時起きして一時間以上待ってこれかよ!?馬鹿 みたいだなと日本語で悪態をついていたら、前の男が「ドイツではいつもこう なんですよ」となだめてくれた(言葉はわからなくても、何を怒っているのか はわかるのであろう)。私は6時半からここで待ってたんだ、お前さんみたい に8時前に来て私を追い抜かしていったような輩に慰められたくないわい!と 噛み付いてやろうと思ったのだけど、後半部分のドイツ語が出てこず、「私は 1時間以上も待ってたんですよ!」と言うのが精一杯。まあ、後から考えれば それで良かったけれど。

くだんの女性職員は8時20分頃になってやっと仕事をする気になったら しく、「当日券でお待ちの方どうぞ!」勿論、8時20分のICEには間に合わ ず、9時の電車となってしまった。ま、こういうことって日本でも あり得るかも知れないけどね。

ハイデ ルベルクには12時半過ぎに到着し、それから徒歩で観光。到着が遅かったか らホテルで一泊しようかと思ったが、小さな町なので何とか半日で見て回れた。 18時頃まで歩き倒し、在来線と特急列車ECを乗り継いで夜11時前に帰 宅。ハイデルベルクは美しい町で、普段エッセンだのボッフムだのデュイスブ ルクだのという色気の無い町でうろうろしている私としては、やっと「絵に描 いたようなドイツの街」を目の当たりにしたという事で、一応満足。写真左は ハイデルベルク城から旧市街を望んだ図。写真右は哲学(者)の道 (Philosophsweg)(勿論京都にもあります。実はシュテーレの新興住宅地にも あることが日曜散歩で確認されています)から同じ場所を望んだ図。山の中腹 にお城が見えることに注意。この絶景を見ていると、思わず(山科区民だけが 知っている?)山科将軍塚から山科市街百万ドルの夜景や、琵琶湖疎水遊歩道 から垣間見る山科の街を思い出してしまう私って、どこか心が病んでいるのか しら?

でも私にとって最も興味深かったのは、観光地になっている旧市街よりも、む しろそれを取り囲む新市街。エッセンのような普通のドイツの町だけど、デュッ セルドルフ並み、あるいは所によってはそれ以上に美しい。新市街の方は十分 見て回れなかったけれど、ハイデルベルクのデパート・チェーン店Kaufhofの 最上階のレストランで休憩して、ああ、エッセンのKaufhofと同じだけどエッ センよりも繁盛しているななどいうような事を発見するのは、結構楽しい。 写真はKaufhofハイデルベルク店最上階のレストランから見た、 新市街の様子。写真右手の白い建物の所あたりから旧市街の観光の中心 とされているハウプト通りに入る。ハウプト通りを歩きながら、銀閣寺道 や南禅寺道を思い出してしまう私って、やはりどこか心が病んでいるのかしら。

2004年7月16(金)
<<ほとほと疲れる>>
午前中は航空券の件で旅行事務所に立ち寄ってから出勤。ぼんやりして過ごす。 昼食後はHerzog先生、S大T氏の3人で3時間足らずの間「会話」。組合せ論の ちまちました話が中心で、ほとほと疲れる。「会話」の後もぼんやり過ごす。 ここ数日「会話」以外の時間は全 てを忘れてずっとぼんやりしているが、それは「会話」の内容が私の趣味に合 わず疲れるからである。しかし、新しい定理が生まれてくる秘密の現場に立ち 会うという意味では大変有意義なので、歯を食いしばってその場にとどまった。

ということで、今日の総括は数学。可換環論とひとことで言っても色々な 研究テーマがあるし、組合せ論のちまちました話から一般理論の茫洋とした話 まで色々なスタイルの数学がある。今回のドイツ滞在では、あるテーマで茫洋 とした一般論の世界を思い描いてやってきたのだが、結果的にはそれとはかな り異なる数学をやることになってしまった。当初思い描いていたような数学は、 日本に帰ってから再開することになるだろうが、ドイツ滞在中にやった事や勉 強した事が役立つかどうかは不明である。

かように生意気にも、ついこの前まで駆け出し数学者だった私にもそれな りの方向性や好みといったものが固まってきて、Herzog先生のスタイルの数学 にほんの少しではあるが居心地の悪さを感じるようになってきた。かと言って、 自分のスタイルでばりばり数学をやって行ける状態かというと、いくらか心も とないところがあり、今回のドイツ留学でしっかりと足場を固め直そうと思っ ていたのである。

新しい方向で足場を固めたい時、半年の留学期間というのは、うまく使え ば非常に有効である。しかし、今回の留学期間が有効に使えたかどうかは何と も言えない。あるいは、特定の数学者との共同研究という形をとらず、プリン ターや図書館の設備が整っている静かで美しい所の篭って、ひとり静かに自分 の思い描く方向の文献を読み耽り、思索を重ねるという形もあり得たのかも知 れない。しかしそれならわざわざドイツまで来なくても、京都に居れば良かっ たわけだし、そんな事をしてたらかえってロクな事になってなかったかも知れ ない。折角のチャンスだから最大限有効に活用したいと思うのだが、なかなか 難しいものである。