邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2004年6月30(水)
<<2系統の発言>>
昨日はHerzog先生と色々議論できたので、かなり毒が抜けたように思う。しか
し彼は来週また出張するそうなので、再び毒が回りはじめるかもしれないし、
何とか持ちこたえられるかも知れない。そして今夜は、都合がつかなくなった
彼の奥さんの代理で、コンサートに招待される予定である。これはこれで有難
い事であるが、私は別にコンサートを聞くためにドイツに来たわけではないの
で、毒の軽減にどれ程貢献するかは不明である。ちなみに、コンサートはジャ
ケット着用のことらしいが、数学にジャケットは不要なのでこちらには持って
来てない。
これに関してここ数日のHerzog先生はニ系統の発言を断続的に繰り返して いる。まずは、「俺のジャケットを貸してやろう。明日、大学に幾つか持って くるから、好きなのを選べ」という発言。しかし、今日に至るまで、 大学にジャケットが持って来られたことは無い。 別系統の発言としては、「(年配のドイツ人だと、周囲から色々厳しい目 でチェックされるが)お前は日本人だし、若く見えるし、ジャケット無しでも 誰も気にしないかも知れない」というもの。
直前までジャケットの件は 忘れていて、結局「日本人だからいいだろう」の線で落ち着くのがHerzog先生 らしい結末ではなかろうかと推察している。結末は明日の日誌で明らかにされることであろう。 ま、私としてはコンサートが聞けるんなら、何で もいいんですけどね。
2004年6月29(火)
<<人体実験あるいは陰謀>>
本日、午前・午後と断続的にHerzog先生と議論。夕方は代数幾何・数論グルー
プのOberseminar に合流。今日のOberseminarはカラビ・ヤオ多様体の
話。カラビ・ヤオ多様体の定義は理解できた。
昨日と今日は、Herzog先生の出張の嵐のため、しば
らく放ったらかしにされていたシンシャンとアハートが、入れ替わり立ち代り
彼の部屋に出入りして、色々数学上の議論や指導を受けていた。
もう何度も書いている事の繰り返しになるが、ドイツに滞在していて何を 思い煩うかというと、何と言っても、(1)21世紀のドイツに復活した前世 紀の遺物! エッセン大学計算機センターが世界に誇るオンライン・プリンター・ システム、(2)エッセン大学意地悪図書館、(3)日本では既に伝説となっ た「古き良き時代」を今に残す教授天国、(4)ドイツ語がなかなか上達しな いぜこの野郎!の4つである。
(3)については、Herzog先生がたまにエッセンに居る週には著しい改善 をみることができる。(2)についても、意地悪図書館なんか頼らなくても、 (彼がたまにエッセンに居る時に限られるが)可換環論関連文献の膨大な Herzogコレクションを利用できる。 (4)については、焼け糞である。もう諦 めている。しかしながら、(1)だけはHerzog 先生が居ようが居まいが、 これといった改善は見られない。
どんな小さなものであれ、ひとつのファイルをプリント・アウトするのは、 ここエッセン大学では立派な巨大プロジェクトである。まず、出張でほとんど 留守ばかりのHerzog先生を何日も待った末に、ころあいを見計らってメイルで ファイルを送る。メイルの送付日時に注意しないと「出張中に溜まったスパム・ メイル」と一緒に消去されてしまう可能性が大きい。メイルを出してしばらく してから彼のオフィスを訪ねると、「Herr 高山、これが貴方の希望したもの ですね」と、ちゃんと印刷されたものが準備されているぐらいならば、誰も 「毒を溜め込ん」だりはしない。
メイルを出した後がプロジェクトの本番である。とりあえずはHerzog先生 の部屋に行って、私のメイルを読んでくれと頼む必要がある。でないと何時読 まれるかわかったものではないし、読まれないままにスパム・メイルと一緒に 消去されるかも知れない。しかし、それだけで事が済むほど世の中甘くはない。 メイルが読まれたとしてもその作業が「ちょっと後回し」にされた瞬間、 忘却の彼方に葬り去られることとなる。
従って、彼の尻を叩いて今すぐ作業をするよう懇願し、さらに彼の作業を 注意深く監視しながら、TeX ファイルは2回コンパイルしてくれだの、両面印 刷ではなくてメモが書き込めるように片面印刷にしてくれだの、メイルにちゃ んと書いてある事を口頭で伝えなくてはならない。
最後の「口頭で」の注意は重要で、それをうっかり忘れると決して満足な 印刷物は得られず、もう一度印刷をしてくれるように頼まねばならない。しか し、二度目の印刷作業を頼んでいる間に、学生が質問に来ただの、事務的な電 話が掛かってきただの、次回の講義の打ち合わせにTAの院生がやってきただ の何だととゴタゴタして、「ちょっと待ってくれ」「はい」などとお人好しな 返事をしてうかうかしているうちに夕方5時になってしまう。
「夕方5時」は「世界の終わり」の同義語である。Herzog先生は「あ、5 時だ。妻と約束しているから帰らねばならない」と怖いものが来たかのように 帰ってしまう。場合によっては「夕方5時の妻との約束」のかわりに「午後3 時の娘との約束」だったりもする。勿論、「妻や娘との約束」が人生の何より も優先されることは言うまでもない。結局翌日また上記の作業を最初から始め なければならなくなる。しかし、幸運な時はメイルを送る作業ぐらいは省略で きるかもしれない。
また、「共同責任は無責任」状態で、秘書の居ない(あるいは居るのかも知 れないが心の薄汚れた私の目には見えない)秘書室に厳重に施錠されて放置さ れている共有プリンタは何かと故障しがちで、誰か(それがHerzog 先生でな いことは確かである)が何とか処置をしてくれるのを待っているうちに、 Herzog先生はまたどこかに出張してしまう。
かくして、下手をすると10日待ってもまだプリント・アウトができない、 という状況は別に不思議でも何でもなく起こり得る。ならばシンシャンやアハー ドなどの学生に頼めばよいかも知れない。しかしHerzog先生は、自分が印刷作 業を代行しよう、なあに、どうってことないさと豪語したのである。豪語のと ばっちりを、彼の学生さんが受けなければならないというのは、理不尽な話で はないか。
そもそも、1位:妻、2位:娘、3位:数学、4位:音楽(含むオペラ)、 5位以下は(恐らく)無しの優先順位(1位と2位が逆転しているかもしれな い)で人生を送っていると推察される、お世辞でも器用とは言えない( 私は基 本的にお世辞を言わない人間であるが) Herzog先生のような人に、よりにもよっ て印刷代行業を任せなければならない構造に問題がある。やはり彼には、おぼ つかない手でプリンター・コマンドをクリックする印刷代行業者よりも、黒板 を前に議論する数学者の方がよく似合う。
かくして、本来10分で済むような事に何日もかかってしま うような事が常態化していると、人間の心というのはどれぐらい荒むものかと いう壮大な人体実験が、現在進行中なのである。これはもしかして、真のペー パーレス・コンピューティングを実現するために、人々にプリンター無しで生 きてゆく術を体得させようという、エッセン大学計算機センターの陰謀なのか もしれない。そう、彼らは私が考えているような、時代錯誤の頓珍漢などでは なく、もっと狡猾な野望家集団なのかも知れない。 人間の心は弱い。執拗な拷問を受けると、事実や信念や良心に反する事でも自 白して認めてしまったほうが楽だという方向に走るように、私は心を荒ませな がら、プリンター無しで半年生きてゆく訓練を受けているのかも知れない。そ ういえば何だか「欲しがりません勝つまでは」って気分に近づいてきたような 気もするな。
2004年6月28(月)
<<気分はすぐれず>>
昨日の日曜日は、やはり天気が良いし、
ドイツに来てからあまり運動してなくて体調はいまひとつだし、
「毒」も抜けないしということで、今日は一日遊びまくろうと決心。
朝は9時前に起きたのだけど、
結局居間のソファーで昼前まで昼寝。昼食後は、電車に乗ってボッフム(Bochum)とい
う隣町へ行き、駅前中心街付近をぶらつく。ゲーテのテキストに出てきた某中
年ロック・シンガーの大ヒット曲のタイトルにもなっている街だが、まあ、エッ
センよりも少し小ぶりの、どうってことのないドイツの商工業都市といった感
じのところであった。エッセンもケルンもボッフムも、街のほんの一部に残っ
ている古い建物に少し風情がある程度で、みな似たようなものである。一番左
は旧庁舎で今は商業ビルになっているようだ。残り2つに写っている教会は、
「マルチン・ルッタ−博士生誕400年を記念して」19世紀後半に建てられた
エバンゲリッシュ教会。建築のことはよくわからないけれど、エッセンにも似
たような教会があるし、ある時代のある一派の作る教会は一定の様式に従って
半ば規格品のようにして作られていたことがうかがえる。
2004年6月26(土)
<<憮然>>
本日午前中は、エッセン・シュテ−レ家具屋のクローガ前広場でにて、
おそらく最後のオランダ産最高級品質シュパーゲルの買出し。
ほんの少し数学をやり、昼食を食べ、天気も良いし、ここんところ
「毒」が溜まっていることだし、午後は出歩く。
まず、以前から気になっていた、
エッセン・シュテーレ東駅から見える一眼一角獣のような教会
に行ってみた。その教会は、前に散歩に行ったことのある、隣の駅エッセン・アイベルクから歩いて行けるとこにある、カトリック教会だった。意外と近い。
それから電車に乗ってエッセン市街に行き、劇場前SBUXへ。前に居た憶え
のある店員さんが、注文聞き以外に何やら親しげに話し掛けてきた(これはS
BUXではよくあることである。恐らくそのように接客するよう指導されてい
るのか)。しかし、私は簡単なドイツ語でもほとんど聞き取れない。そういえ
ば、プリンター、意地悪図書館、教授天国以外に、いつまで経ってもドイツ語
が聞き取れない自分に対するフラストレーションも「毒」の蓄積に確実に貢献
しているように思う。それで、この野郎、人が弱っている時に、わからん言葉
でべらべら喋るな。大人しく注文を聞け!と思わず切れて睨み付けてやったら、
その店員は「何でい!」って感じで、憮然としてしまった。「実は私は小学校
の教科書に出ているような、非常に簡単なドイツ語しか理解できませんので、
悪しからず」とドイツ語で言うことはできるのだが、それを言うのがちょっと
悔しくてあまり言った事がない。睨み付けるのが正しいのか、正直に「私わか
りません」と認めるのが正しいのか、いろいろ反省しながらコーヒーをすすっ
て帰ってきた。
2004年6月25(金)
<<今夜はこれでお腹一杯!>>
夏である。寒さの夏はおろおろ歩き、今日も傘を手放さず、トレーナーに薄手
のコートを着て出勤。これは異常気象かというとそうでもなく、20年前の今
日も同じような天気だったらしい。何故そんなことがわかるかというと、WDR
というテレビ・チャンネルで朝「20年前の今日のニュース」という妙な番組
をやっていて、天気予報(勿論20年前の!)までちゃんと放送してくれるからである。
午前中は研究ノート
を少しいじくり、午後は論文読みなどをしながら、時々思い立ったようにまた
ノートをいじくる。昼食はまた私の大好物Erbsentopf(豌豆鍋)。前回は脂肪
分の多いサラミ・ソーセージが入っていたが、今日はSchinkenwurstと言うの
だと思うけれど、もっと巨大に太くて脂肪分の少ないのが入っていた。豌豆鍋
としては、こちらの方が普通だと思う。赤く見えるのは紅生姜ではなくて人参、
ピンクに見えるのはヨーグルト。食べる時は、付け合せの人参を景気良くどっ
と丼にぶりまけ、ついでに、ヨーグルトもどろりと流し込み、スプーンでぐる
ぐるかき混ぜてから、、、なんて事はしない。一度自宅でも豌豆鍋を作ってみ
たいものだ。
メンザのカフェのうち一ヶ所だけは夜7時頃まで営業していて、夕食のよ
うなものも食べられるようである。ただしドイツは昼がメインで、夕食は適当
に済ませるのが普通らしいが。その「夕食」用と思われる、申し訳程度に2、
3種類置いてあるメニューの中に、この写真に写っているのと同じ大きさの、
丼一杯のクヴァ−ク(ヨーグルトとクリーム・チーズの中間のような乳製品、
喉越しがザラリとしていて、人によって好みが結構分かれるようである)とい
う不思議なものがある。あいいうものを丼一杯食べて今夜はこれでお腹一杯!
とやってみようという気には、なかなかなれないな。
一度はやってみたいと思ってるんだけど。
2004年6月24(木)
<<毒が溜まる>>
スーパーで食料品を調達してから出勤。大学の部屋で研究ノートの整理。今日
で予定していた分は一応終了し、シンシャンに手伝ってもらってプリント・ア
ウト。シンシャンは親切だから有難い。思わず、「それにしてもエッセン大学
の計算機環境は、私の若い頃の古き不便な時代に戻ろうとしていて、3年前に
ここに来た時よりも酷くなっている」と溜まりに溜まっていた毒をゲロ
ゲロ。プリンターが置いてある部屋の鍵を持っていて、自由に行き来できる彼
女も、やはりプリンターに関しては不便だと思っているようである。
それにしても今回のエッセン滞在では、毒がどんどん溜まってどうしよう もない。前回滞在時に「ここは天国みたいだ!」と手放しで喜んでいたのとは、 大違いである。原因は3つ。プリンター、意地悪図書館、そして教授天国であ る。教授天国というのは、私がはるばる日本から来ているのに、Herzog先生が 出張の予定をどんどん入れて、私の5ヶ月の滞在期間中2ヶ月近くエッセンを 留守にしている事を指す。大体1ヶ月程度の留守は想定の範囲内だが、その倍 ともなると、お前、ヒトをなめてんのか?と言いたいところ。しかし、実は彼 とはこれぐらいの距離を置いて、自分で調べたり考えたりする時間を確保した 方が色々都合が良いので、教授天国が100%けしからんとも居えず、良し悪 しである。かように1つ1つは何とか許容範囲だが、3つ重なると「ええ加減 にせえよ!」と言いたくなる。しかしながら、トータルで見て今回のドイツ滞 在は正解かというと、これはやはり正解で日本に居た場合よりもうんと良い、 というのが現段階の評価なのである。
ところで、人々は相変わらず京都の3月下旬のような格好をして街を歩い ているけれど、今日は夏至で夏の始まりだそうである。昨夜は台風のように風 が強く、どこかの州では木々がなぎ倒されていくらかの被害が出たようだ。大 風が吹くというのは、何だか季節の変わり目って感じがする。
夏至といえば、「シュパーゲルの季節は7月下旬頃でだいたい終わり」と 言うならわかるけれど「シュパーゲルの季節は7月24日で終わり」という言 い方をよくする。一つの農作物がある日を境に急に市場から姿を消すというの は、何だか不思議な感じである。
2004年6月23(水)
<<わけのわからない事>>
昨日の帰宅途中に悶絶!青色殺菌灯トイレのMayersche書店で、数日前に買っ
たElke HeidenreichのNero CorleoneというタイトルのHörbuch(朗読CD)
の元本を見つけて早速購入。イタリアの猫がドイツに旅をするという
子供向けの物語らしく、薄手だけれど後期印象派風のとても明るくて、しかも
幻想的な挿絵が沢山入っている。綺麗な本だというところが嬉しいし、これで
テキストと音声を突き合わせて効果的なドイツ語学習ができるぞと、ホクホク
して帰宅して早速読み始める。う、。。。Hörbuchを聞いててもさっぱり
分からなかったのは、文字で読んでもわからない文章を喋っているからだと判
明。子供用の物語らしいけれど、やけに単語が難しい。この国の連中は子供の
頃からこんな単語を山のように覚えているのか。それじゃあ彼らが普段喋って
る事がさっぱりよくわらかないのは無理も無いな。
本日朝一番でスーパーで買い物をしてから出勤。終日部屋で研究ノートを ひねくりまわす。今日の昼食はアハート夫婦と一緒。シンシャン(チェンさん のこと)は、たぶんHerzog先生の出張三昧のとばっちり(?)で昼一番の講義 のTAで不在。
日本にもわけのわからない事が沢山あるけれど、ドイツもそれに輪をかけ てわけのわからない事が多い。ドイツ・テレコム然り、悶絶!青色殺菌灯トイ レ然り、たった3ヶ月余りの開講期間中に外国出張3回、国内出張1回の通算 1ヶ月(あるいはそれ以上)もの出張が認められる教授天国ぶり然り、閉店時 間法然り、大学のツチノコ秘書然り、オンライン・プリンター共有や集中バッ クアップシステムなど古き不便な時代への回帰を目指して日夜奮闘努力するエッ セン大学計算機センター然り、3日に1回は祝日で「休養Erholen」の日々然り。
私は日頃何となく、ドイツ(人)は日本(人)とそんなに違いが無いし、 あまりに違いが無さ過ぎてかえって面白くない。中国(人)の方がよっぽど日 本(人)と違っているのでは、などと錯覚しながら暮らしている。しかし、こ うやって彼らのわけのわからなさぶりを並べてみると、ドイツ人というのは一 筋ならぬとんでもなく面白い連中なのではないか、という気がしてくる。 そういえばHerzog先生も数学者という共通項があるから何となく 違和感を感じずにいるけれど、思えば不思議な人であるともいえる。
わけのわからない事のひとつは、Sバーン(ローカル列車)の1等車と2等車。
両者の違いはどう見ても追加料金の有無と、座席の色の違い(たとえば
この写真のように1等車は布地青
色、2等車はビニール地オレンジ色。それ以外の配色もある)だけである。座席の座り心地も特に大き
な違いは無い。アハード夫妻は1等車、2等車の区別を知らなかったため、2
00円程度の追加料金切符を持たずに1等車に座ってたところ、車掌に見つか
り夫婦で罰金1万円程度を請求されて衝撃を受けているようである。彼らは、
色々な証拠書類とともに、「外国人だから知らなかったのだ、勘弁してくださ
い」という直訴状をHerzog 先生に書いてもらって、それをドイツ鉄道に送っ
て返答待ちだそうである。半年前にドイツに来たばかりのアハード夫妻はとも
かくとして、Herzog先生も自分の国の事を知らないのか。私のドイツ・
テレコムの経験から推察して、直訴の内容は結果的に無視されて、全く同じ罰金
の督促状がドイツ鉄道から送られてくることは確実だと思われる。そう、1等
車というのは、実は何も知らない外国人から罰金を巻き上げる外貨獲得のため
だけに存在している、と考えて良さそうである。
200円程度とは言え、座席の色が違うだけなのに追加料金を払うのは馬
鹿馬鹿しいと考える事については、流石に何を考えているか分からないドイツ
人も私と意見が一致するらしく、1等車は何故か高齢者が2,3名乗っている
ことが多いが、いつもガラガラである。そして今日も空車同然の1等車両付き
の列車が、ドイツの彼方此方を無駄に走っているのである。環境・エネルギー
問題にうるさいドイツ人も、これについてはやけにおおらかなのは何故か。否、
彼らに対して「何故か?」と問うのは不毛な行為なのかもしれない。問
う事自体はともかくとして、少なくとも何か納得できる答を期待することは間
違いであろうと思う。
2004年6月22(火)
<<年中梅雨>>
日本は暑いんだろうなと思いながら、今日も薄手のコートを着ていつもの通りに出勤し、
昼食時などを除いて終日部屋で研究ノートの整理など。
今週は超特急ICEに片道3時間乗ってハイデルベルグ一泊の旅を目論んでい
たのだが、天気が悪いことと、そもそも観光なんて面倒臭いなあと思っている
事が重なって中止。ドイツの冬は雨ばかりであるが、夏はカラっと晴
れ渡って気持ちいい、という私の想像と期待はもしかして誤りかも知れない。
たまにそういう日があるけれど、ゲーテの先生がぽろりと一言言ってたように
「ドイツは年中梅雨」と考えるべきか。
写真は3階に位置す
るHerzog先生のアパートの窓から見える風景。林というか森というか、立ち並
ぶ木々がずっと向こうの方まで続いている。市街地の、電車の駅にもスーパー
にも近いとても便利な場所でのこの驚くべき眺めは、烏丸今出川の京都御苑近
くのマンションにも匹敵するのかしら。山科の私にはわかりませんけど。まだ
陽が沈まない夕方、しんと落ち着いた雰囲気があるこの家の窓から、この風景
をぼんやり眺めて何時間も過ごせたら何と素晴らしいことだろうか。しかし、
ここにHerzog先生のような世にもせっかちの塊のような人が住んでいるという
落差を、どう考えればよいのか。
2004年6月21(月)
<<愛!が芽生える>>
今日から夏なんだそうである。しかし気温は京都の3月下旬並で、
久しぶりに薄手のコートを着て出勤。テレビでは、夏至に雪が降るなんてのは、
ドイツでは珍しくも何ともない、などという事を言っていた。
午前中はドイツ語講座。やはり私にはレベルが高すぎるので、今日を最後に通 うのをやめようと決心する。思うに、読み・書き・話しについては、やっただ けの進歩が感じられる。しかし、聞き取りについての進歩は極めて限定的で、 語学教師が教室で話すドイツ語については、時を追う毎に益々容易に理解でき るようになってきたけれど、例えば映画の中で人々が話しているドイツ語につ いては、3年前も今も「全く理解できない」状態は何も変わっていない。普通 の人たちの普通の会話だから、そんなに難しい事を話しているはずはないのだ けど。
英語を勉強した時の経験から考えると、多分今私に必要なのは、例えば、 映画の台詞が書かれたテキストを見ながら、台詞を何度も繰り返して聞いてみ るとか、字幕スーパー付きの映画のビデオを繰り返し見るとかといった勉強で ある。それのよって「こういう時はこういう風に言うのか」とか「あ、なあー んだ、ここはこういう風に言ってたのか」という小さな納得を積み上げて行か ねばならない。多くの人は、テレビや映画や日々の生活の中で、実際に話され ているドイツ語を沢山聞いているうちに、自然にそういった勉強ができるもの らしいが、私にはそれが出来ない事は既にこれまでの経験が証明していると思 われる。英語の時は、ビデオとかテキスト付きテープとかの適当な教材が簡単 に手に入ったけれど、ドイツ語ではなかなかそういう教材も講座も見当たらな い。
写真はエッセン中央
駅構内。左手がパンのチェーン店のKamps. ここではサンドイッチや菓子パン
をその場でコーヒーなどと一緒に食べられる。Kampsの向こう側には日・祝日
でも夜9時頃まで営業しているスーパーマーケットがある。ここは便利なだけ
に、自宅近所のREWEなどに比べてやや割高ではある。右手に青く見えるの
がたぶんカードのキャッシュ・デュスペンサーか何かで、その向こうには両替
カウンター、ピザ屋、中華料理、サンドイッチ等の軽食店が並ぶ。先日の
Trungさんらによるベトナム料理夕食会で、Herzog先生が「エッセン中央駅は
汚くて、まったくどうしょうもない」とドイツ語で話しているのが聞こえたの
で、思わず「でも、スーパーなど沢山店があって便利じゃないですか」と反撃、
したつもりだが、すかさず周りの人たちに「Aber das ist überall!(それ
はどこの駅でも同じでしょ!)」と押さえつけられた。ほとんど無意識に行わ
れたこの反応は、既に私の心の中に、あの汚いエッセン中央駅への愛!が芽生
えていることを意味するのか。
2004年6月19(土)
<<高々11年病>>
オランダ産超上物シュパーゲル調達の土曜日である。シュパーゲルの季節もこ
の一週間ぐらいで終わりだが、いつもの店は来週の土曜が最後らしい。今日は
いつもの倍の2キロ購入。その後、市場の近くのREWE Centerで食
料品を少し買って帰宅。昼食後、部屋に置いてきた論文を見たくて出勤。
先日見せてもらった20年前の国際会議の写真が、私にとってなぜあれほ ど衝撃的なのかをつらつら考えている。ひとつわかった事は、私はどうやら 「じゃあ、彼らは少なくとも20年以上も同じ事をやっているってわけか。よ く飽きないなあ」という風に驚いているようだということ。
それにしても、私は45年ぐらい生きてきて、同じ事を続けた最長記録は 理論計算機科学の11年である。OSだの通信だのという実際的な計算機科学 は2年で放り出した。今やっている可換環論は、綺麗さっぱり忘れていたイデ アルの定義の復習を始めた時から数えて8年目、最初の論文が出版されてから 5年目である。3年後ぐらいには可換環論の 「か」の字を見るのも嫌になっているかも知れない。可換環論に飽 きたら、次に何を始めることになるのかしら。ま、その頃には死んでるかも しれないし、先の事を考えてもしょうがないな。
高々11年病の私にとって、20年以上同じ事をやっている人間というの は驚くべき存在で、それだけで凄いことである。日頃業界人として普通にお付 き合いさせてもらっている彼らが、そんな凄い人たちだったのかと衝撃を受け ているのである。そんな事、ちょっと考えれば明らかな事実なのに、ああ、何 て愚かなんでしょう(溜息)。
写真左はこの6月始めに改築新装オープンしたばかりのエッセンのコンサート・
ホール。そして右は、コンサート・ホールの隣にある、Herzog先生が世界に誇
るオペラ・ハウス。共同研究面ではいささか散漫の印象無きにしも
あらずではあるが、色々気を遣ってくれてい
るHerzog先生は、メキシコ出張から帰ったらコンサートを一緒に聞きに行こう
と誘ってくれた。奥さんと2人で行く予定だったのが、彼女の都合が悪くなっ
たらしい。ハイドンとブラームスともう一人何とか言う人の曲の弦楽四重奏ら
しい。(ブラームスというのもいまひとつだし、弦楽四重奏よりピアノの方が
いいな)などと贅沢言ってはいけない。ハイドンはつい最近までのシューベル
トと同様に、私の巨大偏見の対象として「アウト・オブ眼中リスト」に入って
いるのだが、この機会にリスト脱出なるか?が注目点。
昨日の昼休み、Herzog先生は「オペラの魅力」を語り始めて止まらなくな
り、オペラはいいけど研究打ち合わせはどうなってるんだよと思ったのだが、
まあ話を聞いているとオペラというのも結構面白そうである。Herzog先生は、
「オペラもそのうち連れて行ってやるからな」と言ってたけれど、楽しみであ
る。
2004年6月18(金)
<<濃密と散漫の落差>>
朝一番でスーパーに行って食料品を調達した後出勤。昨夜、「論文の著者も気
づいていなかった簡単な事実」をもう少し考えて行くと、ちょっとばかり面白い
事実に繋がることが判明したので、午前中はその証明を書き上げる。昼食後は、
Herzog 先生の部屋で、賢そうなIyengarさんとHerzog先生の「数学的な会話」
を見学したり、エッセン大学意地悪図書館では見ることができない1980年
代の論文を、Herzog先生の巨大資料ロッカーから探し出してコピーさせてもらっ
たりして過ごす。夕方Herzog先生がIyengarさんをエッセン中央駅まで送って
行くのを見送る。そういえば、TrungさんとPatilさんは、既に今朝早くエッセ
ンを発ってしまったらしい。
Herzog先生は明日からまた一週間メキシコに出張である。その前に、今朝 証明を書き上げた事実などについて少し議論して、彼の留守中に私が考えてお くべき事を決めておくことが望ましいのかも知れない。彼は割合そういう事に は気を遣って時間を確保してくれる人であるが、今回は色々な事に忙殺されて、 何も議論しないままメキシコに発つことになった。
3年前の滞在時は、Herzog先生と濃密な議論を繰り返したけれど、今回は ずいぶんと散漫な感じである。前回の私は「駆け出し数学者」で、手取り足取 り教えてもらうという雰囲気が無きにしもあらずで、今回の私は「そういえば、 あの場合はどうなるんだろう?」と廊下を歩きながら一言聞かれれば「あー! それは考えた事無かったですねー。それは面白い問題ですねー。じゃあ、ちょっ と考えてみます」で済んでしまったりする。また、前回のHerzog先生はせいぜ い1,2ヶ月に1回ぐらいしか出張しなかったけれど、今回は隔週で出張し、 エッセンに居る時は先週の出張時の補講等と次週の出張の準備に追われるとい う、彼自身が言うところのterrible(酷い)という状態を通り越して、「異様」 としか言いようのない状況である。濃密と散漫の落差には、こういった背景が あると思う。
それにしても、Herzog先生はああいう、売れっ子アイドル・タレ ントのような生活を自ら選んで楽しんでいるようだけど、それは私の理想とす る、隠者のようにぼーっと暮らす数学者の生活とはちょっとかけ離れているな。
2004年6月17(木)
<<座敷童>>
昨夜はTrungさんと彼の同僚がHerzog先生宅のキッチンを借りて、Herzogグルー
プやHerzogファミリーにベトナム料理をふるまってくれた。メニューは椎茸・
春雨スープ、春巻き、そしてチャーハン。ドイツ料理は塩味がきつく、最近
ちょっと食傷気味なのだけど、Trung さんらのベトナム料理は塩味控えめのマ
イルドな味でおいしかった。
Herzog先生の自宅で、おそらく20年前のものだと思われるが、京都で行 われた可換環論の国際会議の参加者集合写真を見せてもらった。これは極めて 衝撃的な写真である。可換環論業界の主要メンバー(の一部)が写っているの だけど、皆さん若い。人によっては、誰だか分からないぐらい今と面影が違う (例えばHerzog先生!)。また、今や可換環論の重鎮として神様のような存在 になっているような人たちが、その辺のやんちゃ坊主やおてんば娘みたいな顔 して写っている。しかし彼らはこの頃既に世界にその名を轟かせるような仕事 をしていたのである。そしてこの人たちは、もう10年20年という長い間、 同じ業界人としての付き合いを続けている。ちなみに、この写真が撮影された 頃、私はちょうど大学を卒業し、計算機メーカーの駆け出しプログラマーか何 かとして、数学とは無縁の生活を始めていた。
私は大学卒業後15年近く、やむおえない事情(要するに勉強が出来ない あほ学生だったということ)で数学業界を離れていて、ごく最近「何かの弾みと 勢いで」この業界にもぐり込んだ。大学院生時代から、研究会や国際会議などでお互いに顔 を合わせ、先輩達に励まされ認められながらずっと一緒にやってきた体験を共 有する彼らと違い、私はほとんど「よそ者」のような存在として業界の片隅に ひっそりと息をひそめて暮らしている。その事に一抹の寂しさを感じないわけ でも無かったのだが、この写真を見て「やはりこれで良かったのだ」と思うに 至った。それは何故だかうまく説明できないのだけど、人の出入りがゆるやか な小規模なコミュニティーの中で、やんちゃ坊主みたいな時からずっと顔見知 りの人達と一緒というのは、私の場合きっと息が詰まってしまうのではないか と思う。15年ぐらい別の業界で暮らしていて、いつの間にか隅っこの方で座 敷童のように知らん顔して澄ましているというポジションは、結構私の性分に 会っていると思う。
本日午後はN. V. Trungさん、S. Iyengarさん、そして今日の昼から合流し たインドのD. Patilさんの3人の講演者によるミニ・コンファレンス。
2004年6月16(水)
<<金の窓>>
今日は先日のHerzog先生との議論で見出した2つ目の問題を考えてみようと、
何となくぼんやり考えてみたり、朝から関連する論文をひっくり返したり、証
明らしきものを書き下してみたり、コンピュータで具体例を計算してみたり。
夕方頃、具体例を計算していてどうも元論文に書かれている事と辻褄が合わな
いような雰囲気になり、しばし思案。と、突如電撃的解決!元論文を注意深く
読めば、我々の問題は問題でも何でもなく、既にその論文の中で本質的に解決
されていたのである。大体その事に、元論文の著者も気づいていないとは
何事か。その著者とは何を隠そうHerzog大先生である。
今日の件に限らず、この事に気づかなかったばかりにこ
の1ヶ月以上の間ずいぶん無駄足を踏んでたような気がする。勉強にはなった
けれど、研究の進展という意味では、どうかしらねえ。どっと疲れてしまい、
本日仕事はヤメ!
写真はエッセン・シュテ−レ東駅から東の方向を望んだ風景。遠くに大時計付
きの鋭い尖塔の教会が見える。この一眼一角獣のようにも見える教会は、前回滞在
時からずっと心に引っ掛かっている。どの街のどこに位置しているのかよくわ
からないけれど、一度行ってみたいと思っている。
昔小学校の国語の教科書に「金の窓」という話があった。毎日朝から晩ま
で家業を手伝う貧しい家の少年が、夕方外での作業を終えて東を望むと、いつ
も遠くに金の窓の家が見えた。金の窓の家なんて、きっとお金持ちで素敵な生
活をしているに違いない。どんなものだか一度行ってみてみたいものだと思っ
ていた。ある時父親から休みをもらって、心を躍らせて何時間も歩いてその家
に行ってみたら、自分の所と同じ貧しい家で、ただ夕日が窓に反射しているだ
けだとわかった。「第一、金の窓なんて、外が見えなくてかえって不便
じゃないですか」と言
われ、それも道理だなと思って帰ってきた、という話。
朝の通勤時に駅を利用するたびに、この話を思い出してしまう。