邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2004年5月15日(土)
<<中国人スタンダード>>
3週間ちょっとの予定で緊急一時帰国したのだが、日々精力的に動き回った甲
斐あってか作業は一段落。今日現在では、今後突発的な事態の急変が無い限り、
予定より一週間早い19日にドイツに帰れる見通しである。本日自宅研究日。
行列の計算を沢山やりながら、昨日「15メートルブッ飛んだ」話を少し考え
てみるも、大きな進展無し。
さて、実用本位の安普請
で、悲惨とまでこき下ろされたエッセン中央駅。見ての通りのつまらない
建築物である。しかし駅構内には有料
トイレ1、理髪店1、花屋1、書店2、フィルム現像店1、チョコレート類専
門点1、煙草屋1、ピザ屋1、サンドイッチ・軽食スタンド5、中華軽食店1、
スーパーマーケット1、薬局1等等があり、実用面ではなかなかのものである。
特に、日祝日にはあらゆる店が閉まってしまう中で、クリスマスと正月を除い
て年中朝早くから夜遅くまで営業しているのは心強い。スーパーマーケットは
肉や野菜などの生鮮食料品は扱っていないものの、週末の食料品を買い忘れた
時の最後の駆け込み寺、砂漠のオアシス、地獄に仏の役割を果たしてくれる。
4月4日の日曜日に日本からエッセンにやってきて、とりあえず明日の朝
食でもと、中央駅のスーパーに行こうとしたのだが、駅まで迎えに来てくれた
チェンさん達中国人グループが「日曜日は全て閉まっている。ここのスーパー
も閉まっているはずだ」と頑強に主張したため、「そうかなあ」と思いながら
そのまま電車を乗り換えてステ−レ東駅に向かったのである。「確か3年前に
は日曜日でもここのスーパーは開いていたと思うのだが」などと言ってはみた
し、中央駅は余り利用しないという彼らよりもこの事実には自信を持ってたの
だが、こういう弱腰で遠まわしな発言スタイルは、中国人スタンダードからす
れば発言でも主張でも何でも無く、たぶん単なるウワゴトなのであろう。駅の
階段を少し下りればすぐにスーパーがあるので、「四の五の言わずにちょっと
私について来てごらん。。。 ほらね」と、彼らを強引に引っ張ってってやれ
ば良かったと、ちょっと後悔している。
2004年5月14日(金)
<<原風景>>
今日も午後から世界を飛び回り、夜遅く帰宅。Herzog先生からメイル。ここん
ところ、「Herzog主予想」の反例を構成してメイルで送り、Herzog先生から
「計算機で確かめてみたが、そんなのは反例ではない!」との返事を受け取り、
何を言うか、理論的に言ってかくかくしかじかであり、私のこの詳細な計算機
実験結果はそれを具体的に示しているではないか、どうだ?参ったかと反論を
送り、ということをやってきたのだが、今日は「お前の反例はなるほどその通
りだが、その反例をちょっと変形してこういうのを考えると、お前が先日『証
明した』Herzog第一予想の反例が出来てしまったぞ」と
いう返事が返ってきて、思わず1
5メートルほどブッ飛ぶ。早速計算機で実験してみると、なるほど私の証明に
穴があるとすれば、ここらあたりだなと目星がついてきた。さてどうやって穴
を埋めるか。それについては明日以降考えることにしよう。
可換環論では、計算機実験が研究の常套手段の一つになっているので、卒 研などにもそれを取り入れてみたい気持ちはある。しかし、入門レベルに限定 するにせよ、数学の理論以外に実験方法やその意味するところの学習をして、 理論と実験の間を自由に行き来して議論できるようにならないと意味が無い。 これはプログラム理論を勉強する場合と同じで、情報学科時代の経験では、こ ういう質の異なる内容を同時並行で学んで自分の頭の中で融合させるというの は、学生達にとっては大変な負担らしく、ある種のセンスか素養(それらの いずれも持ち合わせていなければ、強い興味とド根性!)を持った学生でないと 必ずや不本意な結果に終わると思う。 残念ながら私には、どんな学生に対してもこういった事の指導をうまくやれる という実績も自信も見通しも皆無であるし、 ましてや 「数学が出来ない学生は、計算機でもいじらぜて適当に 遊ばせておけばいいではないか。簡単だよ」という発想では、(私がやった場合は)必ずや学生にとっても私にとっても 単なる人生の浪費終わってしまう。従って、学生に対し て「じゃあ、君、ひとつコンピュータを使いながら可換環論の勉強をするって スタイルでやったらどうかね」と言えるのは、本人の様子や勉強の進み具合な どをよく見てからということになる。私が立命館大学の中でいくら「数理情報 系教員」という半額シールをベタベタ貼られても、頑として「計算機を使った 卒研をやります。皆さんいらっしゃい」というスタンスを取らないのは、こう いう理由があるからである。
さて、私にとってのドイツの原風景は何故かこれである。朝7時から全力営業を続け
る気合のスーパーREWEから、食料品などを一杯詰めた布袋を両手にぶら下
げ、ほんの少し嬉しい気分でこの道をまっすぐ1、2分程歩くと自宅アパート
がある。大学の帰りには、エッセン・ステ―レ東駅前からバスに乗り、REW
E前で降りて、やはりこの道を通って自宅に帰る。毎日ここを通るうちに、雨
の多い秋から冬の終わりにかけての、この風景が脳裏に焼きついてしまったので
あろう。
陰鬱な雨空に鋭い遠近法をもたらし、単純ですっきりした配色でありな
がらリズム感を持った構成のアパートの壁が一方にあり、もう一方にマルチン・
ルッター病院の木々が鬱蒼と茂り、両者を道路のゆるやかな曲線が隔てている。
そしてアクセントに(ドイツではごく普通に見られる)路上駐車された車。
まあ、どうってこともない西洋の町の風景である。しかし、
実のところ、前回のドイツ滞在から帰ってきた後、この風景が夢に出てきてう
なされた事一度ならず。必ずやもう一度この風景をこの目にしない限り、死ん
でも死に切れぬ。。。ぐらいの気分でいたのである。この風景をもう一度見る
チャンスに恵まれた私は、幸運だと思う。
2004年5月13日(木)
<<ヤキが回る>>
午前中はコンピュータで少し計算をし、Herzog先生にメイルを出す。ここには
ドイツに持っていった超低速低仕様オンボロPCと違って、最新型高性能ノー
トPCがあり、目の前に自分のプリンターがあり、メイルでHerzog先生と議論
ができ、そして大学の雑用は襲って来ない。昨日は夏のように暑かったが、今
朝は静かな雨である。ああ、何て素晴らしい環境なんだろう!ずっとこのまま
だったら良いのに、という錯覚にしばし陥る。午後は主に自宅で事務作業に忙
殺される。
ところで私は、組織
に対する帰属意識から自由な事を、内心誇りにして生きてきたようなところが
ある。おいらは一匹狼さってな感じで、職場は労働契約に基づいて給料分しっ
かり働くところであり、義務は淡々と、かつ、きっちりこなすけれど、それ以上の
何の思い入れも持たない。同じ職場に5年以上居るのはナンセンスで、より良
い条件や面白そうなところがあれば、日本でも外国でもいつだって他に移って
やるさってな具合。しかし、私の会社員時代は半分給料泥棒のようなもので、
給料分しっかり働いていたかどうかは極めて怪しいし、立命館にももう10年
以上も在籍し愛着のようなものまで芽生え始めている。そして、デュッセルド
ルフ中央駅の端っこにある時計塔を見て、「これって立命館の衣笠キャンパス
にそっくり!」と嬉しくなってしまうようでは、私も十分ヤキが回ったと言わ
ざるを得ない。
2004年5月12日(水)
<<好きにやってろ>>
どうも体の芯から疲れているようで、朝は7時半頃に起きて朝食をとったもの
の、ちょっと横になって、はっと気づいたら11時過ぎまで熟睡していた。午
後も作業リストをせっせとこなして、電話を掛けたり役所に行ったり航空会社
に行ったりして終わる。世の中の多くの人は、このようにあちこち駆けずり回っ
て、ひとつひとつ作業リストを潰すように仕事をして毎日を送っているのであ
ろう。こういう仕事の形態だと、幸運な時は一日の終わりにビールがうまいだ
ろうし、そうでなければくたびれ果てて風呂に入って眠るだけになることであ
ろう。いずれにせよ、そこには数学が入り込む余地は無いな。Herzog先生のメ
イルに対して、色々数学的な回答をしようと思うのだけど、それは明日に先送
りしよう。
さて、エッセン市中心街に位置するケネディー広場である。1960年代にア
メリカのJ.F.ケネディー大統領にちなんでわざわざ名称変更されたらしい
が、エッセン市が特にケネディ大統領と深い関係があったというわけでも無さ
そうだし、どうも奇妙な話だと思う。それに、アメリカ嫌いの私としては、何
でわざわざアメリカ人の名前などつけるのだ、と気に入らない。
こういう話の由来を色々詮索すると、若しかして面白いものが出てくるの かも知れないが、個人用プリンターを廃止してオンライン共有プリンターの世 界にバック・ツー・ザ・フューチャーしたのは何故?と色々詮索した時と同様、 「結局彼らの考えることはよくわからない」という結論にたどり着くだけとい う気もするので、放置してある。まあ、好きにやってろ、といったところ。
この広場は、クリスマスの季節にはクリスマス市の屋台が立ち並び、真冬
には臨時スケート場が作られる。もしかしたら土曜市(Wochenmarkt)も開か
れているかも知れないが、確かめたことはない。暖かくて天気の良い日は、広
場を取り囲むようにして建っている何件かのカフェーが野外にテーブルを出し、
結構繁盛している。これから暖かい季節には、どういう催しものが開かれるの
か楽しみではある。そして、柔らかい日差しの下でのんびり歩く人々の風景の
中にも、狂気の小枝をしっかり伸ばしている木々が見えるが、これは4月下旬
の写真で、今頃はもっと青葉が茂っていると思う。
2004年5月11日(火)
<<鉄の棺桶>>
朝、あちこち電話を掛けたり郵便局に行ったりの雑務の後、昼前から世界を駆
け巡り夜帰宅。くたびれますなあ。移動の友は数学にあらず。エッセン中央駅
の本屋で買った、ドイツの高校生用の物理の参考書(と居眠り)。ポケット・
サイズでも結構丁寧に書いてある。大学受験生時代は物理が一番得意だったの
だが、大学に入学した途端、空気枕の空気が抜けるように忘れてしまった。
さて、少なくともエッ
セン近辺で走っているS-バーンとは、この戦車のように頑丈そうな機関車に
引かれたり押されたりして走っている列車のことである。私は子供の頃から巨
大な鉄の塊としての列車が恐ろしくて、近くで見ると今でも少し足がすくんで
しまう。最近流行の鉄道自殺なんてする人の気が知れないし、事故で死ぬにし
ても電車に轢かれて死ぬなんておっかないことだけは勘弁してもらいたいな、
などと思っていた。それに、この「戦車」は見た目の通りのいかつい轟音を立
ててうなるので、この写真を撮るにもちょっと勇気が必要で、「おい、お前!
何写真撮ってんだよう」ってな表情でこちらを見ている運転手と、その仲間
(交代要員の運転手?)には気づかなかった。そういえば、日本で「戦車」に引
かれたり押されたりした列車に乗ってどこかに通ったのは、紀勢本線阿漕駅か
ら一身田駅までを往復していた中学生時代が最後である。東京や京都で走って
いる列車は、もっとスマートな感じだな。
ところで、最近の車はそういうものかも知れないけれど、BMWってキー を抜いて外から鍵をかけると完全に鉄の棺桶状態になる。一度Herzog先生のア パートの前でこれをやられて、折からの晴天で車内の気温は急速に上昇するわ、 ドアは開かないわ、窓は開かないわ、クラクションは鳴らないわ、助けを求め るにも人は通らないわ、第一「すぐ戻る」と言ったはずのHerzog先生はなかな か自宅のアパートから出てこないわで、「あわや、幼児車内で熱中症死。母パ チンコに夢中で気づかず」状態になるところだった。ちなみに、エッセンの地 下鉄やバスには非常口(非常扉)なるものは存在せず、その代わり非常時に窓 ガラスを割って脱出するための特殊なハンマーがあちこちに備え付けられてい る。私は、ドイツ人の考える事には、お前ら何考えとるんじゃ?!と思うことが 多いが、これは良いアイディアだと思う。今度Herzog先生の車に乗せてもらう 時は、そういう道具を持参しようかしら。
2004年5月10日(月)
<<先進的コンセプト>>
世界を駆け回っていると流石にくたびれる。昨夜は、ひょっとして死ぬのでは
ないかと思えてくる程気持ちの悪い疲れ方をしていたが、今朝は11時過ぎま
で眠り、何とか復活。午後は京大へ。ルネで昼食を取ってから、そこのパソコ
ン関連用品売り場でポータブルCD-ROM/RWドライバーを購入。
何せプリンターをオ
ンライン化して何人かで共有し、プリント・コマンドを打っては別の部屋にダッ
シュするという、まだ印字品質の良いプリンターが高価だった15年ぐらい昔
の古き良き時代に逆戻りするような「改善」をして威張っているエッセン大学
である。バックアップに関しても、メインフレーム時代のフル・バックアップを
彷彿とさせる集中オンライン・バックアップ・システム
なる自慢のシステムを開発し、素人の私をしてネットワーク・セキュリティーは
大丈夫なのだろうかとか妙に疑心暗鬼ならしめつつも、「これからは、こ
れでやってください」ということらしい。うーむ。エッセン大学の計算
機システム環境の先進的コンセプトについて行けない、オールド・ファッショ
ンの私としては、自前でCD-ROM/RWでも買って持って行こうかと思ったのであ
る。(あー、今日も毒を吐いてしまった。)
写真はキャンパスの芝生でくつろぐエッ
セン大学の学生たち。
その後、激しい雨の中を京大数理研まで行き、昨日不発に終わった論文の コピー。今出川通り付近を放浪しながら、論文を読んだり計算したりし、その 辺で夕食を食べてから帰宅。夜は少しパソコンで計算し、Herzog先生にメイル を出し、それから色々な雑務。どういうわけか、Herzog先生とのメイルのやり とりは完全にドイツ語になってしまっていて、読む方はともかくとして、書く のにはちょっと時間がかかる。まあ、いい勉強になって良いけどね。
2004年5月9日(日)
<<世界は一つ>>
ここんところ地球を股にかけて世界を駆け巡っているので、地理的遠近感覚や
時差の感覚が麻痺してしまい、世界は一つという観を強くしている。本日日本
国内某所で朝を迎え、夕方は大学に行き、日曜日でもやっている我らが立命館
の気合いの図書館に、論文のコピーをしようと立ち寄り(これは不発に終わる)、
自分の部屋に本や以前取った論文のコピーを取りに戻る。
この際だから毒の一つでも吐いておこう。エッセン大学というのは、私に とってはこの上無く不便な大学である。最初、ホコリを固めて作ってあるので はないかと思った汚い机がぽつんと置かれた、卓球でロビングを打っても届か ないほど天井が高い大きな部屋と、コピーカードと、計算用紙と称して紙質の 悪い再生プリンター用紙一束と、ペン3本は給付された。これは大変よろしい。 しかし、パソコンは自分で持参しないと無いし、部屋にはプリンターも無い。 理学部図書館に行っても、IDカードが無いと本は借りられないし、第一ロク な本が無く、日本に帰ったついでに自分の本を取りに行ったりする必要がある。 これは「可換環論に興味を持つ学生が多く、本が沢山貸し出されているから」 だそうなので慶賀すべき事実なのかも知れないが、私も本が必要なので慶賀ば かりもしてられない。
論文のコピーだけは自由にできるが、1990年代のバックナンバーしか 置いてない。それ以前や以後のものは、どこか遠い所に保管されていて、然る べき手続の後、翌日別の建物の中央図書館からコピーが手渡されるが、それも IDカードが無いとダメ。そしてIDカードは客員研究員には支給されない! 従って、何をするにもこの大学の学生か教員を捜して拝んで引っ張っていって、 彼らのカードで手続をしてもらわなければならない。トイレは一階上か一階下 のフロアに行かないと無いし、私の田舎の小学校の前にあった駄菓子屋と文具 屋を兼ねたような2坪程度の小さな店を思わせる、大学内や大学前の文具店に はロクな文具が置かれてないし、勿論パソコン関連用品各種何でも揃います コーナーなどというものは存在しないし、食堂やカフェは15時には閉まって しまうし、プリンター で印刷するには、やはりプリンターが大切に保管されている(一度も見たこと のない秘書の)部屋の鍵を持っている、学生か教員を捜して拝んで引っ張って 行かないとできない。
しかし良いこともある。ロクな本も置いてないくせに、IDカードIDカー ドと五月蝿い図書館などは意地悪の最たるものだが、それに対して大学の文具 店や食堂は、IDカードを持っているこの大学の学生か教員を捜して拝んで引っ 張って行かないと文房具を売ってやらないとか、飯なんか食わせないからそこ で指でもくわえて見てろとかの意地悪を言わない。私からプリンター・ジョブ をメイルでばんばん送りつけられて、さながら私の印刷下請け業者と化している Herzog先生は、「こんな事なら高山の部屋に一つプリンターを買ってやった方 がマシだ」などと弱音を吐くこともなく、喜んでプリント・コマンドを叩き、 プリンターの置かれている(一度も見たこともない秘書の)部屋にダッシュし てくれる。さらに、3年前は、オフィスの椅子は全てJR山手線の新型車両の 椅子よりも堅い椅子だったけれど、今はJR山手線の旧型車両 並に座り心 地の良い椅子である。また、Herzog先生の車が、3年前の小さなワーゲン・ゴ ルフからBMWに変わった事も、良いことの一つである。 さらに、物理的・制度的にどんなに不便でも、雑用が追っかけて来る 心配から開放されているのであれば、それだけでもあり難い。 そして一番良いこと は、勿論Herzog先生と直接数学の議論ができることである。まあ、これがある から他の事には全部目をつぶっていられるんだけどね。数学者にとって 一番大切な事は、そこにインスピレーションを与えてくれる優れた人が居るか、 そしてそこまで雑用が追いかけて来ないか どうかに尽きるってわけ。それにしても益々不便になってゆく大学である。 一体何を考えているのだろうか。
ところで、外国の教授に
BMWに乗せてもらうのは、否、そういう制限無しでとにかくBMWに乗れる
のは17年振りである。まだ駆け出し理論計算機屋をこれから目指そうかとし
ていた、国立研究所研究員時代の最初の頃、サンフランシスコで開かれたある
国際会議に参加するために、初めて海外出張した。出張ついでに、数学基礎論
の大御所でプログラム検証・合成のための基礎理論でも知られていたスタン
フォード大学のソロモン・フェファーマン教授を訪ねたのだが、彼に乗せても
らったのがBMWである。おーっ!流石スタンフォードの大物教授はお金持ち
だなーなどと感嘆したものである。
フェファーマン先生は、その数ヶ月前に私の勤めていた国立研究所を訪問 され、その時に我々の研究グループで歓待したのが功を奏したのか、まだロク な仕事もしていないチンピラ若造の私を丁寧に迎えてくれて、セミナーで講演 する機会まで作ってくれた。
ちなみにHerzog先生は、3年前と同様に今回も 「ところでお前車は持ってるのか?え、持ってない?何故だ?」と同じ質問を してきた。前回は狭い京都で車は要らないというような事を答えたが、今回は 「車に乗っていると、私の行く手を邪魔したり、追い抜きざまに罵声を浴びせ ていったりという、ロクでもないドライバーに少なからず出会う。そういう車を 見るたびに、ミサイルでもぶっ放してやろうかと思ったり、戦車で踏み潰して やりたい衝動に駆られるののだが、残念ながらミサイルも戦車も持ってない。 よって車というのはフラストレーションが溜まる。だから嫌いなのだ」 と正直に答えておいた。「へー、高山がそんな激しい気性の人間には 見えなかったけどな。」ま、ハンドルを握ると人格が変わるのでしょう。
写真は、BMW助手席から見たエッセン市内の道路。
柔らかい緑の葉をつけた立派な木々と、アパートの壁に差している夕日の光が良い。
2004年5月6日(木)
<<また閑話休題>>
午前中は、当面の研究方針などについてドイツ語でメイルを書いて、Herzog先
生に送る。プランはあるし、それについて電子メイルで連絡し合うことも
できるのだが、それを実行する時間はしばらく取れそうもないな。
時差ボケのため昼間の3時間ほど気を失い、その後色々雑務。
さて、ドイツの自宅
のポストに時々ステ−レ地区のローカル広告誌が入ってくるのだが、広告以外
に色々な地元情報などが書かれていて、案外面白い。そこに以前、「ドイツ・
ポストのサービス低下に抗議しよう!」という記事が出ていて、ドイツ・ポス
トが近年合理化対策として郵便配達委託員の削減を行ったため、配送作業が遅
れがちになっているという。昔は郵便配達員が来ると時計を合わせることがで
きたぐらいだが、今はそうも行かないなどといった、時間に正確なショーペン
ハウエルがドレスデンの畑を散歩すると、町の人々は時計を合わせたという逸
話を思わせるような話まで書かれていた。
京都の自宅でも、午前11時半にな
ると必ずラッパをぷっと鳴らして通る豆腐売りの親父がいて、まあ1分前後の
狂いなら気にしないというならば、確かに時計を合わせることができる。
郵便配達のおじさんに「お前、何写真撮ってんだよう!」と迫られるのを
恐れて慌てて撮ったので、アングルが少し良くない。郵便物の入った黄色い手
押し車の上に黒く丸いものが見えるが、それは背景にある車のスペア・タイヤ
のカバーであることに注意。ドイツ・ポストのマークは、何故か京都の豆腐屋
が吹いているようなラッパをデザインしたもののようである。
そういえば、今まで「イランから来た客員研究員のザマニさん」と呼んでいた人は、 全くの別人であることが、帰国の直前に判明した。 この「イェース!ノープロブレムのアハート」と呼ばれる、実はあまり 英語がわかっていない気のいい大学院生 については、また触れることもあるだろう。とりあえずは訂正まで。
次回更新日は未定です(と書いておきながら、毎日更新してるかもしれませんが)。
2004年5月5日(水)
<<閑話休題>>
ドイツ人の誰に聞いても「エッセンは美しい街ではない」と答える。第二次世
界大戦中に空襲でひどくやられ、戦後はルール工業地帯の一角を担う製鉄の街
として発展し、20年程前に最後の製鉄所が閉鎖された後は、商業都市として
発展してきた人口60万のどうってこともない街だから、美しくない
のも不思議ではない。
確かにエッセン中央駅、エッセン・ステ−レ東駅、エッセン大学、エッセン市
役所等々の建築物は、ヨーロッパのそれにしては酷く素っ気無い、安普請で実用
本位のデザインで、悲惨と言ってもよいぐらいだと思う。
しかし何ヶ月か住んでいるだけでも案外愛着が湧いてくるのは、この街にも
いくつかお気に入りの風景があるからだと思う。中心街が歩行者天国に
なっていてぶらぶら歩きが楽しい上に、所々に残っている古い教会と
狂気に満ちたドイツ的叫びの表情を湛えた立派な木々が嬉しい。
2004年5月4日(金)
<<またすぐ戻れる>>
本日、エール・フランスと日航を使い、パリ経由で帰国。計算機屋時代はフラ
ンスの研究者との係わり合いが深く、ちょくちょくフランスに行っていたけれ
ど、フランスに研究者がほとんど居ないとされている可換環論に転向して以後、
もうパリに足を踏み入れることはあるまいと思っていた。パリかあ、駆け出し
理論計算機屋時代にここにやってきて、フランス国立研究所を訪ねたりしたこ
とを思い出して、懐かしいなあ。乗り継ぎまで3時間以上あるし、ちょっとパ
リ見物でもと思ったけれど、生憎パリの地図やその他の情報類を持ち合わせて
おらず、元々あまり出来なかったフランス語もすっかり忘れてしまっているの
で、結局シャルル・ドゴール空港内をうろうろしたり、空港内のカフェでやり
かけていた計算の続きをやったりして過ごす。
最近の私はルフトハンザ一筋で、ヨーロッパに来るときや帰る時は、いつも フランクフルト・アム・マイン空港経由である。しかし、今回のフライトは4 月29日に緊急一時帰国することになった時、Herzog先生がデュッセルドルフ の旅行会社に電話を掛けて、航空券を適当にアレンジしてくれたのである。私 のたどたどしいドイツ語でやりとりしていたのでは間に合わないので、全て 彼にお任せにしたのだ。
30日金曜日の午後は、航空券を受け取りにデュッセルドルフへ。何でもHerzog 先生が、デュッセルドルフに住む娘を訪ねるついでがあるからということで、 ご自慢のBMWの乗せてもらった。しかし、その車のナビゲータ・システムは何 故かデュッセルドルフ市内に入ると誤動作を始めるらしく、「またこいつデタ ラメ言ってやがる!この糞ったれめが(Scheisse!)」とさんざんナビに八つ当 たりしていた。彼は以前、パソコンにも八つ当たりしていたな。
デュッセルドルフも久しぶりで、あまり長い時間おれなかったけれど、懐
かしかった。特別美しい町とは思わないけど、都会なのに静かな雰囲気があっ
て私は大好きである。イマ―マン通りの旅行会社で航空券を受け取った後、
「じゃあ、俺は今から娘の所に行くから、お前は電車に乗って帰れよな」と
Herzog 先生と別れる時、彼は「また月曜日に(大学で)会おう」などと言い出す。「え!?
(フライトは午後1時半にデュッセルドルフ空港発だから)月曜日は午前中か
ら電車で直接空港に行きます」「空港なんて、俺が車で送ってやるから、とに
かく月曜日は大学に来い」「へい」という事でその日は終わった。
エッセンからデュッセルドルフは、急行で20分ちょっとで行けるけれど、 各駅停車で1時間かかる。空港はもう少しエッセンに近いけれど、それほど近 場ではないはずである。月曜日の10時から12時にHerzog先生は線形代数の 講義を担当し、ジョルダン標準系を教えている。それから昼食をとって、車で 空港へとなると、かなり時間的に厳しいのではないか。それに14時から大学 でグレブナー基底の講義である。どうするんだろう。
それでやはり不安になって、11時半頃にチェンさんの所に言ってそれと
なく聞いてみると、「え?今朝先生に、1時半のフライトに高山教授を送って
行くのですね、と確かめたんですけど、『いいや、高山のフライトは午後3時
だから、昼食後ゆっくり大学を出れば楽勝だ』なんて言ってましたよ」とのこ
と。冗談じゃない(totaler Quvatcsh)!急いでHerzog先生の教室の場所を探し
たけれど見つからず、彼のオフィスの前で12時前までじっと待ち受け、「ハー
イ、高山!」と暢気な顔して講義から帰ってきたHerzog先生を三角眼で迎え、急遽昼食抜き
で空港へ向かうことにした。「何だ1時半だったのか。でも十分間に合うから
心配するな。」その言葉通り、アオト・バーンを時速120キロで快走するB
MWは、たったの20分で私を空港に送り届けてくれた。「またメイルで連絡
します」「今週も散歩(Spaziergang)を計画しているけど、高山の方位磁石
(私は外国では常に方位磁石を持ち歩いている)が無いとなると、また道に迷
ってしまいそうだな」などと言葉を交わしてHerzog先生と別れた。
それやこれやあって、京都に帰ってきた。ゲーテでは、ドイツ語圏の滞在 経験が長い程エライという雰囲気がそこはかとなく漂っていて、在独期間半年 少しの私がいくら威張ってみても、ゲーテにはごろごろ居る、私は2年半いた わよ、とか、僕は4年かな、などと言う連中には頭が上がらない。そこで今回 のドイツ滞在で、滞在記録を11ヶ月ちょっとに伸ばして、何とか「ドイツの 一年を一通り知ってるぜ」という形にしたいものだと思っていた。しかし、一 時帰国でまた滞在期間が短くなってしまったなあ。それにHerzog先生ともたっ たの2週間ぐらいしか直接議論してないし、何と言ってもシュパーゲルの絶頂 期に3週間を逃すのも痛い。
そういう事を考えながら、京都駅で電車を降り、とぼとぼと改札に向かっ ているとき、突然「そうだ!またドイツに行けるのだ!」と少し嬉しくなって きた。前回滞在時もそうだったけれど、ドイツから帰ってきた時「今度は何時 行けるのだろう。もうチャンスは無いのかなあ」と寂しい気分になったもので ある。しかし今回はまだ、ドイツの自宅や大学に私のものが色々置いたままに なっている。最低限あと一回はドイツに戻らないといけない。そう、また すぐ戻れるのだ。
(次回更新日は未定です)