邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2005年3月15日(火)
<<洟垂れ小僧>>
午前中は色々野暮用の後ゲーテで来年度夏学期の上級講座の申込み。午後は教
授会などの会議。引き続きチャーターされたバスに飛び乗って京都市内の料亭
に向かい、親和会宴会。例によって、数学教室の同僚教員ほぼ全員分の積立金
を、私一人で全て食べ尽くす。ざまあみろ。いつも通り一人黙々と料理を食べ酒を
飲もうかと思っていたのだが、今日は隣に座った電気電子系の先生と何故か数
学の話で盛り上がる。
ところで、今月一杯で定年などで退職する同僚教師の中に語学の先生も居 て、その人は定年まであと5年を残して60歳で退職するそうである。以前に も語学の先生が同じように60歳で退職していた。いずれも、「食うために仕 事するのは60歳までで、60歳からは自分の好きな事をやる時間を確保した いと思っていました。それが実現して私は希望に満ち溢れています」と挨拶し ていた。では大学の職を辞して行う「自分の好きな事」とは何かというと、英 文学とか仏文学とかの研究だそうである。
運良く(?)文学部の教授などになれればそうでもないかも知れないが、 大学の一般教養の語学教師というのは研究時間が確保しにくいのかも知れない。 その一方、60歳を過ぎて「さあ、これからは研究三昧でやれるぞ」と晴れ晴 れとした気分になれるのは文系の学問の強みだなあと思う。数学だと、若い時 にあまり研究できなかったけど60歳を過ぎてから研究三昧で行こうとか、5 0、60歳は洟垂れ小僧、70,80歳過ぎてやっと一人前なんて事はたぶん 無いと思われる。しかし、40歳を過ぎてから「さあ、これからやっと数学が 研究できるぞ」などと言っていたのは。。。何を隠そう、この私ですけど。
2005年3月14日(月)
<<思い出の美化>>
今日もまた、超お買い得!講演まとめ聞きの日大文理のセミナーに参加し、未
知の専門用語の洪水にあっぷあっぷしながらもみっちりお勉強。昨夜泊まった
ホテルでもせっせとお勉強。新幹線での行き帰りもせっせとお勉強。
明けても暮れてもお勉強!!
それにしても最近頻繁に出張しているので、東京はもう思い出の街ではな くなってきたって感じ。思い出の街といえば、名古屋と仙台もそうだな。浪人 生時代は名古屋の河合塾に通っていた。仙台は一時期日本のプログラム理論研 究の中心地で、当時は英国のエディンバラ、フランスのパリ、スウェーデンの イェーテボリ、米国のスタンフォードかイサカ、そして日本の仙台と並び称さ れていた。それで東京の国立研究所から年に数回ぐらい東北大学に通ったもの である。
しかし浪人時代は暗いし、仙台も最後は色々あった。ただ、私は思い出が 時間とともに美化されるクチなので、別に「忌まわしい思い出」ではない。あ あ、それからドイツだな。エッセン、デュッセルドルフ、ケルン、ミュンス ター、ゲッチンゲン、ゾースト、デュイスブルク。昨年のドイツ滞在では「酷 い目にあった」事になっているけれど、それも含めてもう既に思い出として 美化され始めている な。
2005年3月12日(土)
<<機知とひねり>>
寒い。雪なども降る。本日ゲーテ春の短期講座4回目。謎の旅行会社社員氏が
今度の夏学期のコースの授業料について交渉に来ていた。仕事の関係で隔週土
曜日にしか通えなので、授業料が半額にならないものかどうかという相談で、
結論は来週に持ち越しだとか。
とても認められそうには思えない話だけど、日本では最近10年間ドイツ語学
習者数は大幅な減少傾向にあるらしく、ゲーテも危機感を持っているなどと先
日の新聞の記事に出ていたぐらいだから、案外通ってしまうかも知れない。
ゲーテの短期講座の中心テーマでもあるドイツのコマーシャルって、何か 仕掛けがあって最後に意外な結末が待っているとか、ひねりが効いているとか、 機知があってああなるほどうまい事言うなとかとちょっと感心したり驚いたり してしまうようなものが多いようだ。そういうものがドイツ人に好まれるので あろう。ドイツでテレビを見ていた頃は、何を言っているのか聞き取れない事 が多かったのだが、講座で解説してもらうとよくわかる。いっぽう、先日の宿 題で日本のコマーシャルを100本近く録画してみたのだが、機知とかひねり とかいう感じのものは少ないな。そういうものは日本人には好まれ ないのかしら。
夜 はスポーツクラブ。明日からまた東京出張につき、次回更新は 月曜日深夜以降。
2005年3月11日(金)
<<不可解>>
冷たい雨。また少し冬に戻るのかしら。昼頃出勤。今日は成績発表の日とかで、
学生達が沢山来ていた。午後は4月から院生のO君とMatsumuraのゼミ。ゼミの
後、教室会議をやっているとかで現場に急行するも、ちょうど終わったところ
だった。帰宅途中はSBUXで道草。それやこれや以外はだいたい代数幾何学のお
勉強などをして過ごす。
私は「小集団教育」の理念なるものをよく理解していないし、大学の経営 サイドの都合や小集団教育制度が生まれた歴史的経緯から色々な思惑が交錯し ているので、それほどすっきりした概念ではない。ただ表向きによく言われて いる事のひとつとして、次のようなものがある。すなわち、クラスで和気あい あいとやれば大学生活も楽しくなり、楽しくなれば勉強する気が湧いてきて大 変よろしい。逆にクラスがつまらなければ大学に出てくる気力が無くなり、勉 強にも身が入らなくなってよろしくない。だからクラスづくりは大学としての 教学責任である、と。
まあ、クラスが楽しいに越したことはない。しかしクラスが和気あいあい と楽しければ勉強に身が入り、楽しくなければ勉学意欲が無くなる。その人に とって勉学がその程度のものでしかないのならば、別に無理して勉強しなくて いいわけだし、小学校じゃああるまいにそのレベルの学習意欲促進策を大学で やらなくちゃいかんわけ?というのが、昔、小集団教育に反発していた理由 のひとつだったように思う。
最近の私は、学生を自分と似たような人間だと考えているうちは大学人と してシロウトなのだという説を支持している。小集団教育に反発していた頃の 私はまだシロウトだったのである。大学教師13年の経験から現在は「学生と は(私にとっては)全く不可解な存在である」という立場に到達している。世の 中、私には理解できないものがあって当然で、何でもかんでも理解できるはず だと考えるのは知的傲慢である。そして、不可解な存在に対する不可解な小集 団教育というのも有りうるかもね、ぐらいに考えている。
本当のことを言うと、大学も学生も世の中もみーんな不可解である。私に とっては代数幾何学を理解する方がうんと容易だと思う。
2005年3月10日(木)
<<人生ナメ過ぎ>>
暖かくなった。少し雨なども降る。春は近いようである。午後は山科区内で野
暮用を少々。それ以外は何だかんだと代数幾何学のお勉強。
20年以上前の学生時代に読んだ何かの本に「Hartshorne "Algebraic Geometry"を読めば、本格的な研究に入る準備は終わったと思ってよい」とい うような事が書いてあってそれを信じていたのだが、どうも違うような気がす るなあ。
その頃にHartshorneを読んで「本格的な研究」に入った人びとが新しい理 論をどんどん発展させた結果、研究の最前線がずっと先に行ってしまい Hartshorneを読んだだけではまだ本格的な研究 には入れなくなってしまったような感じ。何だか逃げ水みたいだな。
私にとっては「逃げ水」というよりも、ほとんど蟻地獄だな、と愚痴の一 つも言ってみる。まあ、別に代数幾何学の研究をやろうなどと大それた 事を考えているわけでもないのだけど、 春休みにちょちょっと勉強して、それで何とかしよう という助平根性が間違ってるというか、人生ナメ過ぎなのかも知れないけどね。
2005年3月9日(水)
<<小集団教育>>
昼前に出勤。来年度1回生のクラス担任になったのだが、午後はそのための会
議。立命館のクラス担任というのは小集団教育とか呼ばれている独特の制度で、
この担当者であるクラス担任、特に1回生前期の担当になると色々大変である。
情報学科時代は6年ぐらいクラス担任をやっていて、その頃はこの小集団 教育にべっとり纏わり付いている立命館特有の教育思想にアレルギーを起こし て色々反発していた。この思想は私の人生観や大学教育に対する 考え方に著しく反している。一人の大 学教師として、教室において自分の思想・信条・良心に反する言動を強要され るのは我慢ならない。こんなものは断じて受け入れなれない!と。
しかし数理科学科の半額オマケ教師として日夜ひたむきに教育研究に励む 今日このごろ、「私は私、大学は大学」と突き放して考える習慣が身について きた。自分の思想・信条・良心だ!なんて突っ張ったところで、そんなものは 大多数の学生にとっては何の関係も無いことも分かってきた。そのせいか、今 は小集団教育とか言われても特に抵抗は無い。給料貰ってるんだし、やれと言 われればやりますよって感じである。
今日も電車やバスの中で10分15分って感じで代数幾何学のお勉強。
2005年3月8日(火)
<< Jenseits der Stille >>
昼間は自宅で代数幾何学のお勉強。やはり電車の中で10分、15分なんて勉強ばかりではなく、
腰を据えてやらないと駄目だな。
夕方からはゲーテの「ドイツ映画セミナー」に出掛け "Jenseits der Stille" (静寂の彼方)という映画を見る。耳の不自由な 両親の下で育つ娘が音楽に目覚め、クラリネット奏者を目指すという物語。会 場に現れたのは主催者であるゲーテ関係者のドイツ人1名とサクラと思われる ドイツ人1名、それから、映画が始まる前に帰らねばならないのだが、その前 に元塾屋が来るはずだから彼女に会ってからにしようと思うという清少納言さ まと、10分程遅刻してきた元塾屋、そして私。それだけ。 ほとんどホームシアター状態。前回の映画セミナーはもう少しサクラ・ ドイツ人が多かったような気がするな。
「ドイツ映画は訳が分からないストーリーと暗すぎる結末」という固定概 念植えつけられた、数年前に最初に見た "Der amerikanische Freund"(アメリカの友人)のショックからまだ立ち 直れない。しかし、今日の映画は日本語字幕もちゃんとついていて、映像もス トーリーも美しく、結末も「ああ、見てよかった」と思わせるものであった。 超オススメ!
2005年3月7日(月)
<<「すぐにわかるようになるよ」>>
午前中は山科区内で野暮用。昼前に出勤し、少し雑用を片付けてから、久しぶ
りに研究室で夕方頃まで過ごし、代数幾何学のお勉強。夜も引き続き代数幾何
学お勉強、そしてドイツ語をすこし。
以下はグロタンディエックが数学を教える事も上手だったという話。グロ タンディエックがパリで活発に活動していた頃、H.カルタンの助言に従って、 ひとりの学生が博士論文の指導をうけるべく彼の下にやってきた。その学生と 少し話した後、グロタンディエックは黒板を使って層だの何だのと説明し始め、 「来年のセミナーではL−関数とl-進コホモロジーを取り上げるから、セミナー ノートの作成は君に任せたよ」と言った。「え?!でも僕は今までトポロジーば かり勉強してきて、代数幾何学なんて全く知らないです!」と抗議すると、グ ロタンディエックは「すぐにわかるようになるよ。」
実際、彼の講義は極めて懇切丁寧かつ明快であり、その学生はたちまちの うちに代数幾何学の全容を理解したという。いいなあ。私もグロタンディエッ ク先生の講義聞いて勉強したかったなあ。
2005年3月6日(日)
<<長生きの効用>>
日曜日の午前はゆっくり起きてのんびり野暮用。午後はゴミ論文をいじりまわ
す。夕方は散歩がてらにSBUXへ。ドイツ語を少し。夜は代数幾何学のお勉
強など。毎月東京で開かれるセミナーでの講演がすっとわかるレベルに早く到
達したいものだと思う。しかし私もそんなに器用な人間ではないので、そのレ
ベルに達するのとドイツ語が真の上級レベル(今は「嘘上級レベル」)に達す
るのと同じぐらい時間がかかるかも知れないな。
このセミナーでは毎回、綺羅星の如く輝く気鋭の研究 者達の講演を2つ3つまとめ聞きすることができる。内容的には代数幾何学と 可換環論およびその周辺分野を自由に行き来するようなもので、これぞまさし く私が学生時代から夢見ていた世界である。とくに、可換環論と代数幾何学が 同じ土俵の上に乗っているところが、私の好みにぴったりである。このセミナー には最近参加させてもらえるようになったのだが、長生きしてて良かったなと しみじみ思う(とまた年寄り臭いことを言ってみる)。
2005年3月5日(土)
<<無駄に上達>>
ゲーテの日。苦労して録画したCMのビデオテープは、何故かゲーテのビデオ
デッキと相性が悪く、絵が乱れて使い物にならず。自宅で見直してもちゃんと
映るのだが。そういえば、今日は久々登場の数学者になりたかった技術者氏が
講座に来ていた。それから先週に色々いじけた発言をしていた清少納言さまは、
思い直して今度の夏学期も上級クラスに通うことにしたらしい。遊びの司令塔
を失うことを危惧していた私としてはひと安心である。また、清少納言人脈で
新しい人が上級クラスの生徒として何人か「動員」されるらしく、その辺は流
石にぬかりが無い。よし!来学期のゲーテ遊びは確保したと思ってよかろう。
それにしても、このままドイツ語が無駄に上達していって、そのうち頭打 ちになって、その先どうなってしまうんだろうとう危惧は確かにあるな。実用 面でも文化的な面でも特に高いモチベーションがあるわけでもなく、「若気の 至り」で始めたものの(とは言っても勢いでドイツ語文法の本を買ってきて読 み始めたのは40歳を過ぎていた頃だけど)収まりがつかなくなったという感 じが無きにしもあらず。まあ、今のところは牛歩の如しとはいえ上達するのが 面白いし遊び友達もできるしということで、趣味としては結構いい線行ってる からいいんだけどね。(あ、そうか!ボケ防止の意味もあったんだ)
夜は昨日吹っ飛んだスポーツクラブ。
2005年3月4日(金)
<<どっと空腹>>
昼前あたりから自宅で久々のシューベルトを聞きながらゴミ論文の修正作業な
ど。丸山真男じゃないけれど「へん、『シューベルト』なんか聞きながら学問
をしやがって!」って感じ(
2004年3月29日版の日誌参照)。ああ、優雅だ。さてと、ゴミ論文の最後の
ページをチェックしたら夕食を食べてスポーツクラブに行こう。スポーツクラ
ブから帰ったら、明日のゲーテのためにCM録画作業をもう少しやって等等と
思っていたところ、むむむ!?何かおかしい。さてはゴミ論文に致命的ミスが
見つかってクズ論文(「ゴミ論文」>「クズ論文」)に転落か?夕食も何を食
べていたのかわからず、スポーツクラブ行きもCM録画作業もぜーんぶ吹っ飛
び、あれこれ計算したり証明を見直したり具体例を調べたり。結局深夜にゴミ
論文にとどまっていることが判明し、とりあえず安心して眠れる状態になった。
あー、このスリル!たまんないなー。しかし夕食をまともに食べていないので、
どっと空腹が襲ってくる。
2005年3月3日(木)
<<絶命館?>>
午前中は自宅で野暮用。昼頃出勤。通勤途中に山科駅前で国立研究所時代に一
緒だった現在某私大のS先生とばったりと出会う。「立命館って『絶命館』と
か言われてますが、そんなに雑用が多いのですか?」「さあー、忙しい人は忙
しいみたいですねえ。でも、私のような無能でオマケで半額な人間には、あま
り巨大な雑用は回って来ませんけどね(しまった!再来年度は教室主任が回っ
てくるんだった)」「そうか。忙しかったら、こんな時間に出勤したりしてな
いですからね」「。。。(そういう貴女も何故こんな時間に?)」「うちなん
か文系学部だから卒研ゼミが25人も居たりして大変です。高山さんとこはど
うですか?」「えー、卒研ゼミですかあ。今年度も来年度もゼロですよ。たぶ
ん再来年度もゼロになると予想してます(永久にゼロかもしれないなあ。まあ、い
いけど)」「じゃあ、学生に人気無いんですね。ゼミでドイツ語の本読ませる
ぞ!とか脅かしてるからじゃないですか」「ああ、そういう事言ってた時もあ
りましたね」云々。話しているうちに、だんだん自分が極楽蜻蛉であることが判
明してきた。たまには友人ととりとめのない話をしてみるのも良いもんだな。
昼頃に大学に着き、昼食と雑用をすこし片付け、14時から院生予定O君 とMatsumuraゼミ。やはりMatsumuraは適当に刺激的なところがよろしい。ゼミ の後も少し雑用。帰宅後はゴミ論文の修正作業をやろうかと思っていたけれど、 その前にちょっとゲーテの宿題。ゲーテ春の短期講座の宿題「車、口紅、お菓 子、語学学校、コーヒーフィルターのCMを録画せよ」の一貫として数日前か ら少しずつ録画していたビデオテープを整理。いつの間にか100本近く録画されてい たため、結局それだけで一晩潰れてしまった。
2005年3月2日(水)
<<清清しい気分>>
今日は朝起きるのが少し遅く、ぼんやりしているうちに時間が経ち、昼前にやっ
と始動。夕方から山科駅近辺で野暮用に出た帰りにSBUXに立ち寄った以外
は、終日自宅で数学など。昼過ぎあたりからふと思うところあって色々考えて
みたところ、夕方頃に何かしら面白い結果を得る。ん?どこかで見たことのあ
るような式。うっ!こっ、これは20年ぐらい前から知られている有名な結果
の再証明ではないか!とほほ。夜は半分嫌々やっている(?)のでなかなか進
まないゴミ論文の校正のつづきをやってから、少しドイツ語。
例えば昔の街の写真や、あるいは「キューポラのある街」(である埼玉県 川口市にに住んでた事があります)とか「ゴジラ」の最初のバージョン(水爆 実験でゴジラが誕生した話)とか小津安一郎とかの昭和20年代や30年代の 映画を見ると、どの風景も地平線が低く空が低い。つまり都会でも高い建物が 少なくて視界が遠くまで広がっている。それはまさしく貧乏ったらしい昔の日 本の風景である。しかし、どれだか忘れたけれどそのうちの一つの映画には、 貧しいけれど敗戦の痛手からようやく回復してきてこれから社会はどんどん良 くなるのだという希望が溢れていて、何だか清清しい気分が漂っていたように 思う。そういえば私がまだ物心がつき始めた頃の日本には、確かにそういう風 景や気分があったような記憶がある。
思えば理論計算機科学の風景というのも、そんなものであった。大きな理 論や細々とした結果もそれほど多くはなく、この分野で一体何が分かっていて 何が分からないかが割合簡単に見通せた。そして、少なくともそれを始めた頃 は、これから色々な事が分かっていってこの分野は発展していくんだろうとい う希望もあった。
それに比べて純粋数学の世界の風景は、高い立派な建物がごちゃごちゃ建 ち並んだ現代の街のようで、どうも視界が悪い。ある研究問題を見出した時、 それが既に解かれているのか未解決なのかを事前に知るのは一苦労である。多 くの場合、長い時間を掛けて苦労して自分で解いてみて、完全な解答を得たと きに初めて既に知られていた結果だったと判明する。何故そういう現象が起こ るかというと、既知の結果の集積が膨大な上に、一つの結果でも色々な表現の 仕方ができるため、なかなかそれとは分かりにくいからである。また、 その方面に詳しそうな数学者に聞いてみるとしても、自分の研究プランが知ら れてしまって他人に出し抜かれてしまう(あるいは馬鹿にされてしまう?)の ではないかという危惧から、そうおおっぴらに聞いて回れない事情もある。 そういう意味で、純粋数学の世界に居ると、巨大で成熟した社会に生きる息苦 しさというのは確かにあるな。だからと言って、必ずしも不幸というわけではな いのだけどね。
2005年3月1日(火)
<<一般受け>>
3月最初の今日は、夕方から宵の口にかけて野暮用に動き回った以外は何だか
んだと数学。最近のゼミの議論の中でちょっと気になった事を調べたり、メモ
に残したり、代数幾何学のお勉強をしたり、ゴミ論文の校正をしたり。今日の
進展はごく僅かだけど、毎日がこんな調子ならばきっと楽しいだろうと思う。
数学は一日じゅうやってても飽きないから、きっと私の天職なのだろうと 思う。語学も好きな方だが、一日4時間以上語学をやっていると吐き気がして きて放り出してしまうから、これは天職ではない。計算機も仕事として一日 じゅうやってたし、概して特に苦痛というわけで もなかったけれど、それをやめてしまって10年近く経った今、 何の未練も無いぐらいだから、 きっと天職ではないのだろう。
昔から人に何か教えるのも好きな方で、それは相手の反応を見て教え方を 色々工夫するのが面白いからに他ならない。しかし大学教師稼業も詰まると ころ人の心を掴まないといけないようなところがある。もっとありていに言えば 「学生受け」する学問や教育をやってないと教師としては空回りすることが 多い。
「学生受け」は「一般受け」と言い換えてもよい。 私立大学とは詰まるところ「一般受け」で飯を食っていく業界である。 残念ながら私は一般受けする人間ではないし、心の底では一般受けなんか 真っ平だと思っているので、私立大教師という身分とどう折り合いを 付けて行くかは考えどころである。 こんな調子だから、きっと教師も私の天職ではないのだろうと思う。