一部のブラウザのための

邪

魔

な

広

告

よ け ス ペ ー ス で す。

2004年11月30日(火)
<<不定積分>>
11月最後の日は自宅にて、微積分の演習の準備。「いたって健康」的に不定 積分計算マシーンと化す。ああ微積分の計算って面倒臭いし結構時間がかかる。 こんなチマチマした計算問題なんてやってられっかよ!と蹴飛ばしていたのは 学生時代の事で、そのツケを今払うはめとなった。個人的には積分の計算とは 無縁な研究人生を歩んでいるし、数学科の学生が不定積分の計算を一所懸命やっ てもねえって感じで思っているのだが、それは恐らく私の狭い人生経験と個人 的認識だけでモノを考えているからかも知れない。彼らの誰もが、(私のように) 計算機科学や可換環論を専門とするわけでもないし、 彼らが数学研究者になった 場合でも、卓抜な積分計算で理論的な問題を突き破れるような事もそう珍しく 無くあるだろうし。

人はたまたま自分が使わずに済んできたものを「いらない」と一般化して 言う習性がある。これは自戒しなければいけないと思う。作家として成功する には二次方程式は「いらない」し、計算機科学を研究するのに高校数学より高 等な数学は一切「いらない」し、そもそも商売するのに学問は「いらない」。 自分の人生の実感をそういう風に語る分には一向に構わないが、色々な可能性 をもった学生達に何を教えるべきかという問題に対しても、同じような調子で 個別の人生を単純に普遍化し始めた途端に話がおかしくなってくる。

夕方は歯医者、夜は野暮用。夜遅くになって、少し数学の勉強など。

2004年11月29日(月)
<<数学青い鳥症候群>>
出張中に溜まった雑用を片付けるため昼頃出勤。夕方には山科に戻りSBUX で少しドイツ語の復習。夜は微積分の演習の予習など。雑用や趣味にかまけて いる間は精神的に「いたって健康」なところをみると、やはり近頃鬱病気味な のは数学研究の停滞が原因のようである。でも数学研究が停滞しているのは今 に始まったことではないだろうがとか、そういう心無い突っ込みを自分で入れ るのはやめんかい、こら!と自分でほっぺたをつねってみる。それから、ずっ と雑用にかまけていたらずっと精神的に「いたって健康」でいられるのかとい うと、たぶんそういうものではなく、あまり長い期間雑用に縛られて数学から 隔離されていると、だんだん気分が荒廃してくる。しかしながら、荒廃した心 に数学は水の如く滲み入るもので、水に漬けておいた干し椎茸か切干大根のよ うに生気が戻ってくる。そう考えると、鬱病気味になるよりも荒廃する方がま だ生産的である。いっそ荒廃してみようかしら。

さて、シンポジウムである人から聞いた話だけど、数学研究のスタイルに は秀才型と鈍才型があるそうで、秀才型は色々な話題に手を出してそれなりの 結果を出して行くスタイルで、鈍才型はずっと同じようなテーマを手を変え品 を変え徹底的に追求していくスタイルだそうだ。どちらが数学者として良いと いうことはなく、どちらのタイプでも猛烈に偉い数学者の名前はすぐに思い浮 かぶ。私は鈍才型の人間なのにやっている事は(「それなりの結果を出して」 の部分を除いた)秀才型なので、結局色々なものに手を出してどこに行っても 泣かず飛ばずである。だから鈍才型のやりかたに切り替えていかねばならない のだが、飽きっぽくてすぐに放り出してすっかり忘れてしまうところが障害と なっている、というのが第一学説。しかし、実は私は中途半端な秀才型人間で、 新しい話題に希望を求めては玉砕と沈没を繰り返す”数学青い鳥症候群”にか かっており、それを治療する方法は無い、というのが第二学説。自分は本当の ところは中途半端な鈍才型人間、あるいは鈍才型と秀才型が混じった雑種であ り、鈍才型の研究スタイルで細々とやっているだけなのに、自分の研究スタイ ルが秀才型であると勘違いしているだけだから放っておけばよろしい、という のが第三学説である。まあ、どっちでもいいんだけどね。

2004年11月28日(日)
<<「いたって健康」>>
日曜日ということもあって、少しゆっくり目に起きて、野暮用とスポーツ・ク ラブの一日。11月に入ってから色々忙しく、運動不足の上に3日連続酒盛り 三昧で体重1キロアップともなれば、これはもう体調調整に励むしかない。夜 はドイツ語など。

実は最近しばらく猛烈に鬱病気味である。シンポジウムだのゲーテだのは カンフル剤的効果はあるけれど、気分は「おもしろうて、やがて悲しき シンポジウム(ゲーテ)」という具合に推移する。 原因はおそらく研究上の問題だろうと思う。折角半年間のサバティカルが 取れて、大学からお金出してもらってドイツに行ったのに完全に空振りだった し、研究不良債権問題はまだ手付かずの状態だし、新しい方向での基礎的な勉 強は思うように進んでないとなれば、気分が良いほうがおかしいのである。鬱 状態だから、新しい方向で研究を始めてもどうせまた鳴かず飛ばずに終わる だけじゃないかとの考えがよぎる。だって今までがそうだったじゃん、とか。 これこれ、そんなに自分を苛めてどうすんのよと言いたくなるが、こういうの はあまり精神衛生上よろしくない。何とかせねば。

こういう時に正真正銘の鬱病と診断されれば、医者から幸せ気分になれる クスリなんか貰えるかしらと思って、ネットで捜した鬱病自己診断チェック・ シートなどを片っ端からやってみたけれど、どうか鬱病であってくださいと祈 るような気分ではじき出した自己診断結果はいずれも「いたって健康」あるい は、せいぜい「少し疲れているかも知れません。しばらく休んでみるのもいい でしょう」といったもの。そうか、病気に逃避する手は使えないかと、ちょっ とがっかりする。で、しょうがないので、当面は一寸休み気味のスローペース で勉強を続けるという手でも使おうかと思っている。

2004年11月27日(土)
<<刺激的なシンポジウム>>
朝、出張先の倉敷を発って昼頃に京都に戻り、京都駅からタクシーを飛ばして ゲーテへ。夜は久々のスポーツ・クラブと思ったが、今晩はゆっくりしてみよ うと明日に延期。倉敷のシンポジウムでは某宿泊施設に缶詰になって、朝の9 時から夜の9時近くまでびっしり講演が詰まっていてぎゅうぎゅうと勉強させ られ、それが終わってからは夜中の12時頃まで酒を飲みといった調子。講演 のみならず休憩時間や酒の時間に、色々な人から(数学に限らず)色々な事を 教えてもらい、とても有意義な出張であった。

さて、最近あちこちに出掛けて行って他大学の先生と話をすることがちょ くちょくある。そして何処に行っても、おたくの大学の学生さんがうちの大学 院を受けに来たけれど、数学の基礎的な事からして十分に理解していないよう である。一応合格にしておいたけれども、一体そちらの大学ではどういう教育 をやっているのか。単位認定を甘くしたり、内容の薄い枝葉の科目だけ受講し て卒業できるカリキュラムになってたりしてるんじゃないですか、といった事 を言われる事が多い。今回も似たような事を言われてしまった。

単位が甘いだの枝葉の科目だのは、昨今の大衆化大学の時代では当然のこ とと少なくとも立命館では考えられており、私などは枝葉の科目で単位を乱発 するために大学に雇われているようなものである。それでもまだ数理科学科は 単位が厳しい方だし、私なども単位乱発とは言え、零点は断固と不合格に するし、滅多にA判定以上は出さない。 それに、もし受験生の能力が当該大学院の教育を受けるに十分でないと判断 すれば単に不合格にすれば良いことで、当該大学院の責任において合格させておい て、後でその学生の出身大学の方に文句を言うのもどうかと思う。文句のひとつ も言いたくなる気分はわかるのだけど。

しかしその一方で、やはりウチの数学教室のホンワカぬるま湯体質がいけないの かしらと気になる。学生にとって逃げ道が沢山用意されていて、厳しい事を言う先生 や厳しく鍛えられる科目は単純に敬遠されるだけだから、馬鹿馬鹿しくなって誰も 五月蝿い事は言わなくなり、ますますホンワカぬるま湯に拍車がかかるって構造は あるような気がする。

あとは、立命館の数学教室に(人格的に色々)難しい先生っていますか?僕 は高山さんが一番難しいんじゃないかと思いますけど、どうですか?なんて言 われたな。この世でもっとも不可解なのは私自身であると考えるほど私は哲学 者ではないから、自分にとって自分は常に自明である。いつも言っていること だが、私は自分の事を、深い森の奥で滾々と湧き出る清水の如く限りなく無色 透明な存在であると自覚している。そんな無色透明な人間だったら何故(旧) 情報学科の殆どの教員を敵に回して大喧嘩して平気なのかとか、Herzog大先 生にも噛み付いたりしてたじゃないかとかいう話もあるけれど、まあそれは 今後の検討課題として残しておこう。とにかく、シンポジウムに行っても半分 透明人間のつもりで漂っていたのに、その私を捕まえて「一番難しい」とは何事ぞ。 さらに続けて、高山さんっていかにも学内で発言力無さそうですねと言われた時 には、図星なだけに、この野郎!首でも絞めてやろうかしらと思ったものである。 発言力ゼロも大いに結構。なまじ発言力があれば、喧嘩と雑用の日々で勉強どこ ろじゃなくなってしまうではないかと負け惜しみを言っておこう。ああ、それに してもシンポジウムって何て刺激的なんでしょう。

2004年11月23日(火)
<<ポイントを稼ぐ>>
快晴の初冬。明日から土曜日の午前中まで出張なので、昨夜はドイツ語の宿題 に励み、またも夜更し。今日の午前中で独作文の宿題は片付いた。今度の作文 のテーマは「コマーシャルは好きですか?」そりゃあ好きですとも、と色々 書いた。午後は数学のお勉強。1、2ヶ月ぐらい前から、明日からのシンポジ ウムの前までに終わらせたいと思っていた勉強だけど、何だかんだで全然進ん でいないな。

夕方は散歩がてらに山科駅前SBUXへ。ドイツ語の宿題の続きなど。つ いでにラクト・スポーツクラブで先日の体力年齢測定の結果を聞きに行く。若 い時から体力は同世代平均よりかなり下でずっと推移しているので、筋力48 歳はまあまあといったところ。むしろ、スポーツクラブ通いの効果が少しあっ たかも。柔軟性48歳はスポーツクラブ通いの効果がはっきりと出ている。そ れまでは体がカチカチだったので、何もしてなかったら柔軟性60歳ぐらいに なってたかも知れない。敏捷性は何歳に相当するか書いてないけれどかなり良 く、これでポイントを稼いで総合評価は体力年齢45歳。ちなみに実年齢は4 6歳です。うーん、自宅でもストレッチなどをやって、柔軟性でもっとポイン トを稼いでやろうかしら。

夜も数学のお勉強とドイツ語の宿題を適当に織り交ぜて行う。次回更新は 早くても土曜日の深夜。

2004年11月22日(月)
<<ブルー>>
今日、やっとYahooのホームページ・サーバの障害が治った。

昨夜はシンポジウム発表準備で明け方近くまで起きていて、一応完成。今朝は 昼前に起き、山科区内で昼食・野暮用・山科駅前SBUXで一息の後、夕方頃 に出勤。出張準備の仕上げ、および、図書館で某論文を調べたついでにコピー。 MathSciNetのレビューで珍しくドイツ語で書かれているのがあって、ドイツ語 習ってた事が初めて役に立った。途中、雑誌「数学セミナー」をぱらぱらっと 眺めていたら、数学研究で最も大切な事は良い問題を見つけることであり、優 れた数学者とは詰まるところ良い問題を見出しそれを自分の物にしていける人 であるというような文章が目に止まり、グサリとくる。まさにその通りなんだ けどね、と溜息が出る。

優れた数学者から見れば、ほれそこに面白い問題が転がってるじゃないか! となるところを、わからんわからんと言いながら通り過ぎて行ったり、そんな 所を掘りくり返しても何も出ないんじゃないの?となるところを一所懸命掘り くり返している。それが自分の姿ではないかと思えてきて、ちょっとブルーに なる。

そういえばこの頃私は数学教室から遠い存在になったような気がする。卒 研生も院生も居ないし、講義をすれば学生が居眠りをしているか伝説の講義か 自然休講かのいずれかだし、同僚教師や4回生以上の学生がうごめいている6 階のフロアとは違って、他学科の教員研究室や学生実験室のある5階の部屋に ぽつりと居を構えている感じだし。その研究室も週に2日行くだけで、あとは 衣笠キャンパスだの自宅だのだし。以前は、数理科学科の教学に熱く!コミット しようかしら、どうしようかしらという迷いがあったけれど、半額おまけシー ルが貼られてしまって以来、ああそういうことかとふっ切れたし。

大学教師にとって、職場である大学から遠い気分になれるという事は、と りもなおさず落ち着いて研究できる静かさを手に入れたことを意味する。少な くとも、頭の中が忙しくて研究どころではないという状態ではない。かと言っ て時間がたっぷりある感じはしないな。むしろ、何だか一週間があっという間 に過ぎていくという感覚は以前と何ら変わりが無い。

時間が足りないというけれど、それは呆け防止だか体調の維持だか知らな いけれど、ドイツ語だとかスポーツ・クラブだとか数学研究以外の事に色々手 を出しているのがいけないのである。数学とは生命の燃焼なんだから、呆け が進行しようとも体調がガタガタになろうとも、命を削って打ち込むべきであ る!という説もあるし、呆けて体もガタガタになったら数学どころではないで はないかという通説的見解もある。しかし、人生の目的はそれを楽しむ事なのだから、 やりたいようにやってればいいではないか、というのが現在の有力説である。

夜は数学とドイツ語。

2004年11月21日(日)
<<絶句>>
Yahooのホームページ・サーバの障害は「調査中」とのこと。つまり、いまだ に復旧の目処は立っていない。

昨夜はゲーテの宿題などで少し夜更ししたし、睡眠不足解消のため昼前ま で寝る。快晴でとても気持ちの良い初冬の午後は、山科区内で野暮用。夕方は 山科駅前SBUXで一息。

夜はシンポジウムの発表準備。いつもの事だけど、私は昔(と言っても数ヶ 月前だが)やった事には全く興味が無く、それを思い出して研究発表するなど という作業は苦痛以外の何物でもない。さらに今回はドイツで考えた事を発表 するので、思わずHerzog先生の事も思い出してしまい、苦痛が倍増してしまう。 苦痛には逃避が一番。逃避活動の口実は無いかと捜しながら、ぼつぼつと作業 を進めているうちにずいぶん夜更ししてしまう。

大学の方で、もっとウチの学科の数理情報だか情報数理だかのコースの宣 伝をしようという話が持ち上がっている。よおし、私も一肌脱ごうじゃないか と思ったのだが、残念ながら自分は何もわかっていない事に気づいてしまった。

何でも確率論を中心とした金融工学のコースに情報ナンチャラがくっつい て今のコースが出来たそうなのだが、私には下駄と饅頭ぐらいに異質に見えて しまう2つのものがくっついたのは、単なる数合わせなのかそれとも学問的に 何か意味があるのかといった事からまず分かっておらず、金融工学の本をぼつ ぼつ読んで、その辺の謎を解明しようとしているところ。

基本的に私は「半額おまけシール」をベタベタ貼ってもらって、四の五の 言わすやれと周りから言われた事や、ちゃっちゃとやれば簡単な事なのに何故か皆さん 嫌がってやりたがらない雑用を引き受けているだけである。そんな事で数理情 報系ナンチャラ教授が務まるのかというと、講義や演習やその他教務関係の実 務をこなす分には何も問題は無い。これは天道説も地動説もわからなくても、 地球上で日々立派に生活していけるのと同じ道理だと思う。ただ「お前のやっ ている事は要するに何なんだ?」と問われれば、絶句するしか無いな。

2004年11月20日(土)
<<構想>>
今日もまたYahooのホームページ・サーバの障害で日誌の更新ができない。 メイルを出して原因を調査してもらっている。

午後からゲーテ。今日は12月に順番が回ってくる10分間の発表のテー マを思いついた。ドイツ社会はその根幹の部分はしっかりしているようだけど、 ドイツ・テレコムの杜撰さや、整備不良の電車が平気で走っているドイツ鉄道 が示しているように、日常生活の身近な所で誰も責任を持たずほとんど制御不 能な部分が存在する。これに対してドイツの人達は当然怒っているけれど、同 時に「お互い様」と思っているフシもある。つまり、それを改善することはと りもなおさず、自分達が大切にしている生活スタイルや価値観を犠牲にしなけ ればならず、そんな事をするぐらいなら、多少の不便や不条理は目をつぶろう と考えているのではないか。そして、よく捜せば日本にも似たような事がある のではなかろうか。

以上が、発表内容の構想である。あとはこれをどうやってドイツ語に翻訳 するかだな。

2004年11月19日(金)
<<何も考えてない>>
衣笠キャンパス出講日。キャンパスは綺麗だし、学園祭が近いこともあって学 生達は楽しそうに見えるし、ほとんどの受講生は居眠りもせずに熱心に講義を 聴いてくれて後で質問などもしてくれるし、まあ、今のところ言うこと無しだ な。

夜はドイツ語の予習と宿題に追われる。今週は集中講義だったし、来週は シンポジウムだし、その合間に呆け防止のゲーテに通い、宿題やって、講義し て、会議に出て、野暮用やって、研究時間をひねり出してと、結構忙しいので あります。忙しくてあまり余裕も無いのだけど、何故か毎日が静かな感じがす るのは、ゲーテ通いも実は焼け石に水で、結局何も考えてないからかしら。

Yahooのホームページ・サーバの障害で、日誌の更新ができない。

2004年11月18日(木)
<<画期的な出来事>>
午前中は2回生「離散数学」の講義。昨日も述べたが、毎年同じ内容の講義を している。そしてカスピ海の湖岸の如く、学生達の座席は教卓からどんどん遠 くに後退している。居眠り学生はもう出て来なくなり、教室はかなり閑散とし ていた。ただ、講義が始まってもいつまでもお喋りをしている学生がいたので、 びっと注意したら、予想通り魔法をかけられたかのように そのまま眠り込んでしまった。

今日はこの講座で恐らく最も難しい議論の部分をやった。難しい部分を細々 説明したところで、初めてその話を聞く学生がすっきり理解できるとは考えに くい。講義は適当にわからない部分を残しつつも、見通し良く軽快に進むのが よかろうということで、例年この部分はさらりと通り過ぎる。今日もそうする つもりだったのだが、その場のノリで、よおし今日は徹底的に議論して見せて やろうと急遽方針転換。そのための準備不足も祟ってちょっと見通しの悪いご たごたした話になってしまった。しかしそのお陰で、後でこの部分のもっと見 通しの良い説明を思いついた。そうか、そうやって説明すればいいんだ。「前 回の復習」と称して、次回の講義の枕としてこの説明をさらりとやってみよう と思う。

その後は、昼食時に野望と戦略のA堀先生と、娘にせがまれない限り絶対 スーツを着ない事にしている(らしい)全力疾走のO坂先生と一緒になり、「金 融業界の展望、そして私の野望・戦略の今後の展開」というテーマでA堀先生 から色々面白い話を聞く。昼食後は、来週末のシンポジウムでの発表準備をし たり、その途中廊下の立ち話で隣部屋のT先生と所謂「半額部屋」の管理運営 について少し相談。夕方は3回生「外国書購読」。またも学生不在で自然休講 となる。数日前に学生に会った時、先週は風邪で寝込んでましたなどと言って いたが、どうも先週末と今週末は学園祭があり、サークル活動が忙しいからと いうのが本当のところではないか。そういう事なら事前に言ってもらった方が はるかに良いことを学生達にちゃんと言っておいた方がいいな、などと購読を 手伝ってくれているO助手と話しながら部屋に戻り、出張準備の続き作業など。 かくして今日は都合4名の同僚教員と話をした。これは最近の私としては、 ちょっと画期的な出来事である。夕方には生協前で院生T君とも会って少し話 したし、職場で5名の人間と話をした。すごい、すごい(何がすごいのか?)。

通勤などの移動中に、ここ数日考えていた小さな疑問が2つ解けた。野暮 用で、河原町四条と三条に寄ってから帰宅。夜は呆け防止のドイツ語の宿題な ど。

2004年11月17日(水)
<<干上がる>>
寒い。亜熱帯ニッポンらしい半分夏みたいな秋だなと思っているうちに、週末 あたりから突然冬になってしまった。午前中は4回生の講義、昼食は徳島出張 の勢いで思わず釜あげうどんセットにしてしまった(本当は水、木曜日は天ざ るセットと決めていたのに)。昼食後、微積分の演習問題を解いたり何だかん だ雑用をやっているうちに午後の1回生の演習の時間。その後ひきつづき来年 度院生予定のO君のプレ・ゼミ。19時前に終了。生協で夕食を食べてから帰 宅。夜は、徳島に出張してて全然手をつけていなかったドイツ語の宿題など。 何か忙しいなあ。

2回生の離散数学の講義は、ここ数年ずっと同じ内容で同じような講義を していて、ちょうど定点観測をしているような感じである。そこでは、教室で 学生達の座る位置は年々後退していっている。数年前は、一番前に陣取って、 なるほどとか、え?とかいう顔をしながら聞いている学生が多かったが、その うち前の方に陣取る学生の数が年々減り始め、めっきり少なくなった前列の学 生が講義の流れに呼応して居眠りをするようになり、今年はさらにほぼ全員が 無表情な顔をして後ろの方にへばりついて、そのうちの何割かは講義の流れと は無関係に居眠りばかりするようになってきた。実際の受講者数も単調減少気 味である。徳島のホテルで、地球温暖化でカスピ海やアフリカの巨大な湖が干 上がっているというテレビ番組を見たのだけど、学生達も年々干上がっていく ような感じだな。

2004年11月16日(火)
<<ナレーション付き板書>>
16日夕方まで徳島大学工学部の大学院で集中講義をして、夜遅く帰宅。ふう。 学生達には「鬼のように板書の多い先生」という評判だったそうである。そう いえば私は板書の量が多いような気がする。それはたぶん、講義の各時点で、 今何が問題で、それをどういうアイディアで解こうとしていて、そのために今 から何を考えようとしているかといった事まで板書しているからだと思う。ナ レーション付き板書ってやつだな。

学生にとってナレーション付き板書は、後でノートを読み返した時にわか りやすいという利点がある一方、講義の時間はノートを取るのに忙殺されて、 話を聞いて考えて理解する余裕が無くなるという欠点がある。その欠点を補う ために、立命で数学の講義をする時は、まずバケツの水でスポンジを絞って、 おもむろに黒板をスポンジで消して、一息おいてワイパーで水を切り、また一 息おいてから板書を始めるという具合に十分間を持たせているつもりなのだけ ど、どこまで成功していることやら。綺麗なノートを作ることに固執している のか、単に字を書くのが遅いのか、はてまた私の間の置き方が足りないのか、 黒板の右端まで板書して次に左端に戻って板書を始めているのに、まだ黒板の 右端を眺めてノートを取っているような学生はなかなかゼロにならない。あと は、噛んで含めてお粥を炊いて懇切丁寧極まる「ナレーション」をつけている つもりなのだけど、それを読み返してもさっぱり理解できないなどと言われた 日には、もうこちらとしてはお手上げである。

さて、徳島にいる間は讃岐うどん以外のものは食べないと決心していたの だが、朝からやっているうどん屋がみつからない。とにかく今回 は2泊3日で4回讃岐うどんを食べた。私が知っている限りで、徳島市内で 一番おいしい讃岐うどん屋は山ろく本店。本店と は言っても支店があるわけでもないらしい。値段は他の店に比 べて若干高め。しかし値段分の価値あり。私のお勧めは天婦羅ざるうど ん、というか、天婦羅ざるうどんと野菜天婦羅ざるうどんしか食べたことがな い。徳島名産のワカメがついてくるところも良い。 私は讃岐うどんの腰の強さを歯で噛んで楽しむのだが、徳島の人は、うど んはのど越しを楽しむものだから飲み込め、噛んで食べるお前は食べるのが遅 い、早く食え!と言う。せわしい連中である。何を言うか、そういう貴方達は 喉に歯でも生えているのかと言い返すのだが、てんで埒があかない。