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2004年10月15日(金)
<<存在そのものが悲劇>>
本日午後一番は、衣笠キャンパスで文系数学の講義を2つ。「数理の世界」で は、平常点プラスのレポート課題の1つだった「ペトロス伯父とゴールドバッ ハ予想」の読書感想文を提出した学生が居た。このレポートを熟読吟味するに、 「この講座を通してひとりでも多くの数学シンパを世に送り出し、世直しをす る」という私の世界戦略が、僅かならがも進展を見せているという印象を持つ。 よろしい。このレポート一番乗り学生以外にも、毎回講義の後に質問に来る数 学マニアっぽい学生や、私の講義の小さなミスを注意深く見つけては指摘して くれる学生などが居て、こちらとしても益々気合いが入る。

ところで、「ペトロス伯父...」には次のようなくだりがある:「数学では 芸術やスポーツのように第一人者でなければ何にもならない。技術者・弁護士・ 医師は、単に有能であるだけでプロとして創造的で充実した人生を送れるだろ う。しかし、ただの平均的な数学者は、存在そのものが悲劇なのだ。」この部 分を引用して、この本を読んで数学者の世界とは大変なものだとわかりまし た。先生はご自分の悲劇的な存在とどう向き合っておられるのでしょうか、な どとヌケヌケとレポートで書いてくる学生が現れたらどうしようか。まあ、 とりあえず最優秀Aプラスの二重丸でもつけますかね。近頃の学生は礼儀正しい から、滅多にそんな事は書いてこないと思うけど。

数学者は第一人者でなければ存在そのものが悲劇という考え方は数学界に は根強いし、私もそうだなと思うところがある。しかし実際問題、平均的(以 下)の数学者である私は、自分の存在が悲劇だとは全然思ってないどころか、 三国一の果報者だなぐらいに思っている。私の周りの第一人者ならざる数多の 数学者を見ても、ああ自分は存在そのものが悲劇だと考えていそうな人って、 居ないような気がする。このギャップは一体何なのでしょう。

例えば、ナントカ高等数学研究所みたいな所で、あなたは基本的に数学の 研究だけやっていればよろしい。たまに学生の教育もやってもらわないといけ ないが、それは研究者として将来有望で優秀なごく少数の大学院生を何年かに 1回ぐらい、それも自分の研究のプラスになると思った時だけ指導すればよろ しいというような、人もうらやむ最高の研究環境で日々数学の研究に打ち込め ることが出来るとする。もし第一人者で無い人が、何かの事情でこのようなご 身分になった場合、確かに「存在そのものが悲劇」だろうなと思う。つまり、 本当に、純粋に、数学者としてだけの職業生活を送っている場合、彼または彼 女は第一人者でもない限りその存在は悲劇そのものだろうし、その悲劇から逃 げられないだろうって気がするのだ

しかし普通の数学者は、主観的には数学者100パーセントで生きている かも知れないが、実際には数学教師としての人生が大半を占めて日々バタバタ しながら暮らしているわけで、その辺の事情をうまく利用して、「存在そのも のが悲劇」という概念をどこかの押入れにでも放り込んで知らん顔して生きて いるのであろうと思う。そうやれば数学者として楽しく生きていけるし、そう でもしないと身がもたないよって面もあると思う。でも、繰り返しになるけれ ど、私は「存在そのものが悲劇」という事を”数学者としての自分”の問題と して考えた事はないから、”押入れに放り込む”必要も無いってわけ。

2004年10月14日(木)
<<画期的な出来事>>
午前は2回生の離散数学の講義。おかしい。誰も眠っていない。授業中に板書 のミスの指摘などをしてくれる学生も居るぞ。教室を間違えたのかしら。昼食 後、16時前の3回生外国書購読の時間まで部屋で某レクチャー・ノートを読 んで勉強。外国書購読は学生2名。今日は関係代名詞の掛かり受けをネチネチ とやって、うふふの気分。

その後、教務委員の先生からメイルが来て、来年度の講義担当を決めるに 際して、たとえば”半額おまけシール教員”同士で事前調整をせよとの連絡。 何事にも事前調整一切なしでぶっつけ本場でえいやっと決めてしまうのが、ウ チの数学教室の伝統的なやりかたである。科目担当も然りで、ほとんど学生の 数学演習みたいなやりかたで、「各自、自分の担当したい科目を黒板の所に来て書 いてください」という調子。数学演習の授業が、やさしい問題の取り合い合戦・ 難しい問題の押し付け合い合戦になって、色々なかけ引きが展開されるように、 科目の取り合いや、押し付け合い、それを巡るかけ引きなどもあり、何て野蛮 で粗雑な世界なんだろうと驚いていた。それを思うと、今回のは画期的な出 来事である。しかし、事前調整というのは案外時間を食いそうで面倒臭い。 ぶっつけ本番は、実は雑用を減らすための知恵だったのではないかしらと、再 評価し始めている。

事前調整関係でK川先生の部屋を訪ねたら、来客2名でさながら某W大学数学 科の小OB会という雰囲気が漂っていた。学会などで見ているとよくわかるのだ が、K川先生というのは「歩くOB会」って感じで、二日酔いの翌日をのぞいて 一人でその辺をふらふらしていることは稀で、いつも誰か数名と盛り上がって いるようである。これは某W大学の学 風なのか彼自身の人徳なのか、いずれにせよ私には無縁の世界である。写真は ケルン駅を通過する都市間高速列車ICEの車窓から見たケルンの大聖堂。ケル ンは2000年度にドイツに滞在した時に行ったけれど、今回は駅を通過した だけ。この街も先の大戦で焼け野原にいなったらしく、大聖堂とローマ時代か ら残っているというわずかばかりの小さな寺院を除いて、特に美しいという感 じではない。戦後復興で大慌てで建てられた建築物に風情が無いのは、エッセ ンでも同じ。しかし、ケルンは活気のある良い街だと思う。

2004年10月13日(水)
<<今度は「おまけ」>>
午前は4回生の可換環論入門講義。イデアルと代数的集合の定義をして、代数 的集合の具体例を色々挙げる。

短い昼食時間の後、卒研ガイダンス。教員一人一人が学生の前で数分程度 卒研テーマ等を説明するのだが、私は「半額シール」なので、可換環論だの代 数幾何学だの以外に”計算ナンチャラ系”のテーマもさり気なく(あくまで 「さり気なく」だが)交えておいた。

ところで、どの先生も今日から来週水曜日までの予定とか、何時頃なら部 屋に居るとかをアナウンスしていた。後でわかったのだが、興味を持った学生 が後で詳しい話を聞き行きたい時の便宜を図っているらしい。私は自分の予定 を言いそびれたけれど、毎年のことながら 「興味を持った学生」が現れる気が全然しないし、 まあ、別にいいんじゃないのって感じ。

卒研ガイダンスの後、ひき続き1回生の微積分の演習。その後、会議が2 つあるかと思っていたのだけど、1つは来週に延期になり、もう一つは直前に 「別に出席しなくてもよい」と言われたので、自分の部屋で色々雑用など。

それから、ドイツから帰って来たら、何故か「半額シール」の上にさらに 「数理ファイナンス・コースおまけ教員」というシールまで貼られていた。 なるほど。今度は「おまけ」と来たか。 では、「おまけ」の私としては本体の(数理)ファイナンスの様子も一寸は覗いてみよう かしらと、奮発して生協にて 「金融工学入門」なる猛烈に分厚い本を購入。実はこれ、昨日一緒に飲 んだ友人が推薦してた本である。

写真は、ハイデルベルクの旧市街を抜けてネッカー川を北岸に渡ったところに ある、新市街の端っこ部分。見ての通りここはもう普通の街なので、あまり観 光客も足を運ばないし、観光ガイド本の類にもおそらく紹介されることはない。 ただ、エッセンに比べると、少しだけ古都の雰囲気というか、落ち着いた感じ が無いでもない。

2004年10月12日(火)
<<華やかで波乱万丈>>
午前中は銀行でお金を下ろし、先日の数学会で買った本の代金を振り込んだり、 ゲーテまで足を伸ばして講座の申込みをしたり。何故かゲーテの語学部の係の 人は、私に上級クラスを進めたがっている様子。土曜の午後の中級講座を受講 されるのでしたら、同じ時間帯に上級講座をやっています。もし中級講座でレ ベルが低すぎる等の不具合がありましたら、まだ定員に余裕がありますので電 話連絡していただければ上級講座に変われます等々。上級講座は人数が少な過 ぎて困っているのかしら。とにかく私は聞き取りが全然出来ないので、当面中 級講座が適当だろうし、それに土曜午後の中級クラスだと、清少納言様や巨漢 社員、輝くフリータ、元塾屋等々の千両役者達が居て、また楽しくやれるので はないかという期待もちょっとある。しかしそれと同時に、今度のドイツ滞在 で痛い目に会ったように、その手の期待は裏目に出ると後に引くし、前回中級 コースの思い出は美しいままでそっとしておき、見知らぬ人達と一緒の上級コースであっぷあっぷす る方が良いのかしら、という危惧もないではない。

ゲーテの申込みを終え、京都市役所前で昼食を摂ってから大学へ。中四日 置いて大学に来てみると結構雑用が溜まっていて、せっせと片付けているうち に16時になる。約束通り学生時代の友人が現れ、しばらく研究室で談笑して から四条河原町の小さな飲み屋「静」へ繰り出す。彼の学生時代の思い出の店 らしい。大学卒業後、私とは全く違う華やかで波乱万丈の世界を渡り歩いてき た友人なので、色々面白い話など聞けて楽しかった。

「静」は名前の通り静かな店で、古く汚らしい店構えがいかにも(昔の)学生 向けって感じ。店の親父によると、学生時代にこの店に親しんで今大学教員に なった人達が、時折ゼミの学生達を引き連れて訪れるらしいが、今の学生さん 達からの人気はもうひとつといったとこらしい。古き良き大学文化の場だと思 うけれど、貧乏学生だった私は飲み屋に行く金が惜しくで、自分でつまみを作っ て自宅で安いウイスキーをあおっていたし、今、草津キャンパスの学生をわざわざ 京都まで引き連れてこの店を訪ねることは無いだろう(それ以前に私は学生を 連れて飲み歩く習性が無い)。しかし、気の会った友人を接待する場所として は良いかも。写真はハイデルベルク中央駅から観光地の旧市街に向かう途中の 道。ハイデルベルクは中央駅を中心にして南北に新市街が広がっていて、中央 駅から東に少し行ったところに旧市街がある。こうやって見てみると、何とい うこともない普通のヨーロッパの街であるが、山の迫り具合など何となく京都 の街を彷彿とさせる。

2004年10月11日(月)
<<希望に胸躍り>>
祭日。夏は息をひそめたようだが、まだ油断はできないな。午前中は研究ノー トを眺め直したり、居眠りしたり。午後は野暮用にて烏丸今出川近辺へ。つい でに久々の同志社遊び。この大学の学生会館改め寒梅館は、ビジネススクール やロースクール、色々な催しのためのホール、事務部門等の他に、レストラン 兼喫茶店や、何となくそこで休んだり勉強したりできるフロアがあってなかな か居心地がよろしい。今日は祭日だけど、京都映画祭か何かの催しをやってい て、多くの人が出入りしていた。ニック山科店でプリンターの黒インクを買っ て帰り、プリンタが使える平和な国に戻ってきた喜びをかみしめる。夜は某レ クチャー・ノートをひっくり返す。新しい事を勉強する時って、希望に胸躍り 結構気分が良いものである。しかし、しばらくして、そろそろ自分で何か新し い事を考えなければならない段階に来てもまだ希望に胸躍りの状態でいられる かどうかは保証の限りではないし、その状態からさらに1年ぐらい経ってから もまだ希望に胸躍りの状態で居られることは「ほとんど稀」である。

写真はハイデルベルク旧市街の(おそらく)中心地。教会があって、それをぐ るりと取り囲むように広場があって、店があって、たぶん定期的に市がたって、 そこに人々が集まって。これすなわち門前町ですな。ゲッチンゲンでもゾース トでもミュンスターでもこういう感じの所があったし、古いドイツの町の基本 的な作りには共通したものがあるようだ。

2004年10月10日(日)
<<自己嫌悪>>
台風一過のせいか、再び夏である。昼前にスーパーに行った時、じりじりと照 りつける真夏の日差しを感じ、夕方、野暮用で四条河原町高島屋に向かうバス の中から、もくもくと成長する入道雲を発見した。やれやれ、日本の夏はかく も執拗なものなのか。ドイツの夏は淡白で、2、3週間ぐらい期間限定でもあ ああっーと暑くなり、蚊取り線香も無いくせに蚊もぶんぶん飛び、夜毎蚊と闘 いながら、これはえらい事になったな扇風機でも買わねばならないかしらとか 思っているうちに、すっと涼しくなり。一度涼しくなったら最後、日本のよう に「未練がましく」と言うべきか「ゾンビのように」と言うべきか、執拗に暑 さがぶり返すというような事は無かったと思う。

野暮用の後は、寺町通り平野屋改めSBUXで休み、駸々堂書店河原町三 条店改めブックファースト前の酒屋でフランスの炭酸入りミネラルウオーター が比較的安かったので、試しに一本買って帰る。後で飲んでみたけれど、ちょっ と頼りない感じである。私は炭酸が強いものが好きなのだが、そういうものは 日本では売ってないのかな。ウイスキーのハイボール用の(人工)炭酸水を試 してみたこともあったけど、あれも飲料水としてはいまひとつである。炭酸水 と一言で言っても、炭酸の含有量でずいぶん味が違ってくるようで、なかなか 難しい。また、人工炭酸水か天然炭酸水かでも、味は違ってくるのかも知れな い。

そういえば、先日日本の普通の米でリゾットを作ってみたけれど、あまり うまく行かなかった。やはりリゾットは表面が多少煮崩れ気味になる(つまり クリーム状になる)と同時に、芯の方はシコシコと堅さが残るものが良いよう だ。日本の普通の米は、炊飯器でぐつぐつ煮て調理するのに向いているだけあっ てか、表面がクリーム状になってくれないし、芯がシコシコという感じにもな らなかった。後日もう一度日本の米で作ってみて再現性があるかどうか確認し てから、最終結論を出すことにしよう。あと、白ワインをきらしていたので、 日本酒で代用してみたけれど、これもあまりよろしくなかったな。実は今まで 何で白ワインを使うのかよく理解しておらず、Herzog先生は白ワインは風味付 けのために使うのだと言っていたけれど「ほんまかいな」程度にしか思ってい なかった。この日本酒代用実験によって白ワインを使う意味が確認された。さ らにこの実験結果から推察するに、やはり料理本の指示通り辛口ワインでない とよろしくないと思われる。

ところで、ハイデルベルクに来たかぎりには”数百年の歴史を誇るハイ デルベルク大学”を一度見てみたいものだと思ったのだが、旧市街に残ってい るのは、写真に写っているような管理部門と観光客用の学生牢跡(この道をまっ すぐ10メートルぐらい行って左に曲がった所にある)ぐらいで、主要な部分 は新市街の方に移っているらしい。実際のところ、どこまでが大学でどこから がそうでないのか、判然としない。ちょうど写真を撮っている私の背後のあた りはちょっとした広場になっていて、ドイツには珍しく公衆トイレもあり助かっ た。家族連れとすれちがいざまに、小さな男の子が「お母ちゃん、おしっこした いよー」と訴えて、若い母親が「えー!?困った子ねえ。こんな所にトイレは無 いわよ。もう少し我慢しなさい」と言っているのが聞こえてきた。私の推察では、 この場合「トイレならそこにありますよ」と教えてあげるのがドイツ人と昔の 日本人で、知らん顔しているのが現代日本人。そして私は昔の日本人に育てらて たので、「トイレならそこにありますよ」と喉元まで出掛かるのだが、やはり 現代日本人でもあるので結局知らん顔して通り過ぎ、後で一寸自己嫌悪に陥って しまった。これが現代日本人相手なら放っておけばよいが、そうでない場合は ちゃんと言ってあげるべきであった、と(しかし、この考え方もどこか 歪んでいるような気がするなあ)。

2004年10月9日(土)
<<偵察>>
観測史上最強の台風だとかで、またも台風こわいようと多いにびびっていた のだが、京都地方はかす りもしなかったようだ。来週土曜日からゲーテの冬学期の講座が始まるのだが、 どんな様子なのか偵察に行く。半年ご無沙汰している間に、近所の教会だの宗 教関係の会館だの古い大きな家だのの建て替えとかリフォーム工事とかマンショ ン建設とかが行われていて、街の表情も変わりつつあるようだ。

ゲーテでは今日の夕方からOktoberfest(10月祭)が行われたようだが、 時間が微妙に合わないので、今年もパス。去年は確か冬学期の最初の日が10 月祭と重なっていて、それをパスしてスポーツ・クラブに行こうとしたら、ド イツとスポーツ・クラブとどちらが大事か!?と清少納言様に詰め寄られ、 「えー?スポーツ・クラブの方ですけどー」と答たら、馬鹿もん!と一括され た。10月祭はバイエルンを中心とした南ドイツの習慣のようで、北ドイツに 位置するエッセンでは全然聞いた覚えがない。何故かシュトゥッツガルトを 「故郷」と呼び、「里帰り」のついでにミュンヘンまで足を伸ばし、短い時間 がとれたので、10月祭で人々がビールを飲んで騒いでいる巨大仮設テント小 屋みたいな所に乱入し、ビールも飲まずソーセージも食わずで、1分に1枚の 割合でひたすら写真を取りまくって帰ってきた清少納言様である。10月祭へ の思い入れは半端じゃないようだな。

写真はハイデルベルク城への登山道入り口あたりから、街の方を眺めたところ。 写真の位置から左手に行くと登山列車の駅があるが、土砂崩れのため何ヶ月か 前から運休状態。代行バスが走っていた。健脚に自信があるなら歩いて上るこ とも十分できる。私は行きはバスを使い、帰りは歩いて下りてきた。ちょうど 下り坂を下り切ったところに、向こうからアジア系の若いカップル。サングラ スをかけた女の子の方がこちらに気づき、ちょっとすまし顔をしてポーズをとっ ている。

2004年10月8日(金)
<<ぐったりとする>>
台風の影響で終日雨模様。時折激しく降る。今日は衣笠キャンパスで文系数学 の講義を2つ。ゲーム理論入門の方は、いかにもやさしくて有用性に富んだ数 学って感じなので気楽に教えられるのだが、もう一つの素数の話の方は結 構気合が入る。技術的に難しい事を話しているわけではなく、恐らく中学生で も理解できる事だと思うのだが、こういう話題で話をするとなると、結局自分 の数学的教養の全て、すなわち今まで自分は何を学び、そして、それについて どこまで深く考えてきたのかということが問われてくる。それだけに大変な緊 張を伴い、講義が終わるとぐったりしてしまう。幸い学生達の反応は今のとこ ろ良好なので、それが励みになっている。

写真はハイデルベルクを流れるネッカー川のほとり。遠くに中世の香り高き旧 市街やハイデルベルク城が見える。冷夏気味で「今年の夏は何時来るのだろ う?」と騒がれていたのだが、やっとおとづれた夏らしい日。遊覧船が浮かび、 カヌーの練習を終えた人たちが、ちょうどここに接岸して上がってきた。お姉 さんたちが、川の流れに足を浸してのんびり過ごしている。私も彼女達の真似 をして、裸足になってまだ冷たい川の流れに足を浸した。「ああ、気持ちいい。 それにしても今度のエッセン大学滞在はロクな事がないな。もう7月半ばだけど、 残された1ヶ月余りはもう少しマシになって欲しいものだ。」しか し、残る1ヶ月間で状況はさらに馬鹿馬鹿しいものになることを、この時はま だ予想してなかったのである。

2004年10月7日(木)
<<ネチネチとやりたい>>
午前中は、寝てばかりいる2回生の離散数学の講義。でも、今日は寝ている学 生はほとんど居なかった。ふーん。そういうこともあるのか。昼食時は、例に よって数名の学生と一緒のA堀先生が食堂にいた。勿論「例によって」は「学 生と一緒」に掛かる。

昼食後、夕方の3回生の外国書購読の時間まで部屋で勉強。購読の授業は、先週と 同じく3名。ただし、3名の内訳は微妙に変わっていた。外国書購読は数学の ゼミとしてやるのであって、英語の授業ではないというのが公式的見解である。 しかし、数学のゼミとしては使っているテキストがあまりにも初等的過ぎて面 白くないし、そもそも学生は英文解釈のレベルで頓挫している。そういう事も あって、実のところ私は外国書購読を英語の授業としてやって、関係代名詞の 係り結びなどをネチネチとやりたいのだけど、TAの人なども数学のゼミのつ もりで正しく張り切っている手前もあって、なかなかそうも行かない。

その後、廊下でK川先 生の友人K先生と出会い立ち話。「ドイツでは酷い目に会ったそうですねー」 「そうなんですよー、思い出しただけでも腹が立ちます」等々。その声を聞き つけて、K川先生も現れる。写真はハイデルベルクの静かな裏道。子供たちが 遊んでいる。奥に見える三角屋根の建物が、何ともヨーロッパ的である。

2004年10月6日(水)
<<巨神兵?>>
水曜日は忙しい。午前中は4回生の可換環論入門の講義。先週は可換環とその 例について話したので、今日はR-加群の話。来週はイデアルの話に入る予定。 ずいぶんのんびりしたペースだけど、こんな調子でヒルベルトの零点定理まで 行けるかしら。ネーター環の準素イデアル分解まで進むのは、多分無理。

その後、昼食、「1日30分大人の計算ドリルで頭すっきり」、雑用等を しているうちに、14時過ぎから微積分の演習。演習は学生が黒板に書いた解 答を学生自身が説明する手はずだったのをすっかり忘れ、(私が子供の頃の) 高校の数学の授業みたいに、一問一問一所懸命説明して添削したり○をつけた りしていた。授業の終盤になって「それは違う!」と気づいたのだが、学生達 は「先生が説明してくれた方がわかりやすい!」そりゃあそうだろうけど、そ んなんじゃ君達の発表練習にならないです。去年の1回生(現2回生)は寝てば かりいて、生きてるのか死んでるのかよくわからないけど、今年の1回生は元 気一杯に色々反応があって面白い。

演習の後は、来年院生になる予定のO君のホモロジー代数ゼミ。さくさく 進む。立命館在職中に、学生と層のコホモロジーのゼミをすることはあるまい と思っていたら、何と!昨年度の卒研で実現してしまった。立命館在職中に、 学生とホモロジー代数のゼミをすることはあるまいと思っていたら、何と!今 年実現してしまった。今のところ、「立命館在職中に、学生とスキーム論のゼ ミをすることはあるまい」と思っているのだけど、それもいつか実現してしま うのかしら。末恐ろしい大学ですねえ(私もうかうかしてられない)。ゼミは19時 前に終了し、生協で夕食を食べて帰宅。

写真はハイデルベルク城。緑の芝生部分は、ちょうど水の無い内堀のような感 じになっていて、写真を撮っている私の所から見ると断崖絶壁で結構怖い。落 ちたら確実に死にます。”内堀”の中のお城は、あちこち崩れたままになって いて、何となく「天空の城ラピュタ」の廃墟みたいである。思わず「巨神兵」 の残骸でも転がってないかしらと、あたりを捜してしまった。左の中ほどに青 や白の胡麻粒のようなゴミが横一文列という風に見えるのが、見物客の列。

2004年10月5日(火)
<<焼け太り>>
午前中は雨など降ってすっかり秋めいた感じ。自転車で山科郵便局へ行き、国 際送金で無事ドイツ・テレコムへの送金終了。その後山科駅前SBUXで1時 間程すごしてから大学へ。

雑用をいくつか済まし、「1日30分大人の計算ドリルで頭すっきり」と 微積分の演習の予習をしていたところ、慌しく二度程電話が掛かってきたり某 先生が部屋に現れたりと何やら騒々しくなる。何のことはない、明日の微積分 演習の授業に際して教科書が無いと言って騒いでいる同僚教員がいるとのこと で、お前確か教科書を一冊余分に持っているはずだからそれを供出せよだの、 やっぱり供出しなくて良いだの、別の教科書が出てきたからもう1冊持っとけ だのとバタバタ。

直前まで知らん顔し ていて急にバタバタするのは、いかにもここの数学教室らしいやり方だと思う が、私は焼け太りのように、同じ教科書を3冊も持つに至った。騒ぎが起こる 度に、一冊ずつ同じ教科書が増えていく感じ。1冊は大学に、1冊は自宅に、 もう1冊は山科駅前SBUXにでも預かってもらおうかしら。そうすれ ば、何処に行っても微積分の勉強ができる。3冊の教科書で他の先生の3倍分 しっかり勉強しなさいということだな。

それにしても、前日まで教科書の事など考えたことがないなんて、皆さん余裕 ですね。もっとも、微積分の演習は、私以外は全て解析が専門の先生ばかり。 私などはン十年振りに「微分する」ということで、勉強しなくっちゃと思って 早くから騒いで教科書を確保したんだけど。通常、非・解析系の先生は「微積 分はやっぱり解析の先生でなくっちゃ!僕らは線形代数しか教えられませんよ」 とか言って逃げるそうだけど、私は半額シールだから何でもやることになっている らしい。何でもやらせてもらおうじゃないの。写真 はネッカー川のほとりの丘の中腹にそびえるハイデルベルク城の遠景。私の心 の中には「ハイデルベルク→Herzog先生の里→ハラワタが煮えくり返ってくる」 という図式が出来上がっており、美しい街の写真だけど、あまり気分が良くな い。ゲッチンゲンは美しさではハイデルベルクに少し劣るけれど「ゲッチンゲ ン→ヒルベルト、ネーターの里→一人でやるぞー!の決意」という図式により、 ちょっと元気が出る。

2004年10月4日(月)
<<上出来>>
本日極秘重要任務日。昼頃京都を離れ、夜遅く帰宅。手持ち無沙汰な電車の中 では、石井志保子「特異点入門」と川又雄二郎「代数多様体論」をぱらぱらと 拾い読み。「特異点理論」はとても面白い本だが、そこに書かれている証明は どれを読んでも私にはよく理解できない。「代数多様体論」は数年前に買った のだが、当時はこんな難しい本一生読まないだろうなと思っていた。この他に も、積読用に買った本で後に何となく真面目に読むようになったものは少な くない。読もうと思って買ったのに、何となく読んでないものも多いな。

任務を終えて自宅に戻ったら、ドイツ・テレコムからに請求書が届いてい た。封筒の中にもうひとつ、表面に色々な事が上書きされた封筒が入っており、 その中に請求書と督促状が入っている。 このことから以下の事情が推察される。

あの間抜け会社は、予想通り何も考えずにエッセンのアパートに請求書を送り、 おそらく諸事情を確認した大家さんの手によって返送された。しかし、間抜け テレコムは、またぞろ何も考えずに督促状付きで同じ請求書をエッセンにアパート に送り、再び大家さんが「どあほ!何べん言うたらわかるねん!?請求書の 転送先は、とっくの昔にそちらに申請してあるはずだ!ちゃんと確認してから 仕事せい!!」という意味の コメントを封書にタイプした上で突っ返したものと思われる。最後にこの間抜け 会社の中にも少しは間抜けでない社員がいるらしく、おもむろにコンピュータを チェックし、ちゃんと請求書の転送先である日本の住所が登録されていることを 発見し、手書きで住所を書いた封書で私のもとに送ってきた。しかも、その手書き文字 は、恐らくドイツ人にしか読めないであろう”Herzog文字”ではなく、活字体 で書かれている。よろしい。あの会社にしては上出来だ。しかし、ドイツ・ポ ストの振込み用紙を日本の郵便局に持っていって処理できるのかどうか、ちょっ と不安である。それから、自らのミスで請求書をなかなか送ってこなかったあ の間抜け会社が、後に延滞料金などを請求してきた日には、かなり厄介である。 しかし、某ドイツ人の助言によれば「そいういう意味の無い請求は踏み倒して おけばよろしい」のだそうだ。

写真はゲッチンゲン中央駅の正面玄関を入ったところ。あまり広くない吹き抜 けのホールに、何だか空港のような発着列車の案内用電光掲示板が掲げられている。その 下のぐっと天井の低い通路はホームに通じている。エッセン中央駅にくらべれ ば、ずいぶんこじんまりとした中央駅である。窓からの日差しがあるものの、 ホールが何となく薄暗いところが、いかにもドイツ的。

2004年10月3日(日)
<<転落?>>
本日ドイツ統一記念日にして、ヴェイユ予想を解決して私が大学に入学した年に フィールズ賞を受賞したピエール・ドリーニュの60回目の誕生日。そして 何を隠そう私の46回目の誕生日である。よく46年も生きられたなあって いうのが、正直な感想。気分的には図らずしも3回ぐらい生まれ変わって いるので、今4回目の人生を生きているって感じがするな。回を追う毎に少し ずつ転落していっているような気がするのは、やっぱり気のせいかしら。

本日もレクチャー・ノートだの単行本などを色々ひっくり返して調べ物。 だんだん全体像がわかってきた。いつも履いている靴の底に穴が開いてしまっ たので、夕方靴を買いに行く。四条河原町高島屋と四条烏丸大丸を行ったり来 たりして、やっと気に入ったものを手に入れる。夜も色々ひっくり返す。

写真はゲッチンゲン 中央駅。エッセン中央駅よりはうんとマシだが、それほど風格のある建物でも ない。勿論京都駅などと比べれば、うんと小じんまりとしている。駅前広場は 広くすっきりと整備されており、中世の雰囲気を残す旧市街とは違って、街灯 やその他のちょっとした装飾にも近代的な雰囲気すら漂う。正面玄関の前にオ レンジ色の車が止まっているが、これは救急車。誰か気分でも悪くなって倒れ たのかしら。

2004年10月2日(土)
<<嫌な予感>>
亜熱帯の日本も、少しは秋らしくなってきた。4月にドイツに行った時に冬に 逆戻りし、8月末に日本に帰ってきたときに夏に逆戻りした。冬から春、夏か ら秋という季節の移り変わりを、今年はドイツと日本あわせて2回ずつ経験し ている。なんだか得した気分。今日ふと気づいたのだが、遅くとも9月下旬に 届くはずの、ドイツ・テレコム8月分の請求書がまだ届いていない。ケネディー 広場前T-Punktでちゃんと請求書の送り先として日本の住所を知らせ、窓口 の兄ちゃんが端末に打ち込んでいるのをこの目で確かめたんだけどなあ。またぞろ 妙な事になってなければいいんだけど、嫌な予感がするなあ(私の予感って当 たったことがないんだけど)。エッセン大学の居室で使っていた電話料金の 請求書も出ているはずだけど、私が依頼したように 送金方法を指定した上で私に請求書を転送する などという複雑な手続きを、あの面倒臭がりのHerzog先生がやるはずがなく、 おそらく彼のポケットマネーで支払われて一件落着となっていると思われる。 まあ本人がそうしたいのだし、電話代の肩代わりは 「失望」の慰謝料の一部とでも考えておきましょう。

昨夜すこし夜更しを したので、朝はゆっくりめに起きる。昼間は自宅や山科駅前SBUXで野暮用 をしたり、先日ダウンロードしたレクチャー・ノートをひっくり返したり。夜 は久々にスポーツ・クラブ。夜中はまた少しレクチャー・ノートなどをひっく り返す。写真は中世城壁都市時代の名残り、ゲッチンゲンのグローナ門跡。巨 大一つ目小僧のぱっくり開いた大きな口に、おばさん(?)が飲み込まれそう。

2004年10月1日(金)
<<パンキョウの数学>>
本日午後は、衣笠キャンパスにて文系用一般教養科目「数理の世界」と「情報 の数理」の講義。「パンキョウ」この、学生達に限りなく軽い存在として受け 止められている事実を想起させる、可笑しくも悲しい名を持つ科目を担当する のは、大学教師になって以来初めてである。

「数理の世界」の方は、受講生数が教務課の予想を大幅に上回り、急遽巨 大教室に変更になった。それにしても私立文系でわざわざ数学の講義を受講す る学生という存在も、不思議といえば不思議で、そういう学生が教室変更を余 儀なくされるほど沢山いるというのも不思議ではある。伝統的にこの科目は単 位認定が甘く、今年から担当者が私に変わった事に気づかずに、噂を信じて受 講登録したのかしら。それとも時間割の関係上、選択の余地が無かったのかし ら。

しかし、実のところ私は結構彼らに期待しているのである。近年数学嫌い の学生が大量発生しているのは、中学や高校の数学が暗記科目になってしまっ た事が主要な原因の一つだと私は考えている(私は数学が暗記科目で無かった 最後の世代だと思う)。そして、例えば情報学科での苦い経験が教えるように 理工系学生の数学嫌いを「改心」させるのは大変だが、文系学生の数学嫌いは 「暗記科目」にさらされた期間が短いぶんだけ「改心」させるのは容易なので はないかと踏んでいる。そして将来、役人なり管理職なり経営者になって、世 の中を仕切る立場に立つであろう彼らを、今のうちに「改心」させて数学のシ ンパにしておくことは、数学にとって極めて重要である。

「数理の世界」は何故か自然科学系の科目ではなく、人文社会思想系の科 目になっていることに気を良くして、平常点プラスの任意提出のレポート課題 として、ハーディの「ある数学者の生涯と弁明」、アポストロス・ドキアレス の「ペトロス伯父とゴールドバッハ予想」、小川洋子の「博士の愛した数式」 のいずれかを読み、数学と数学者の世界について考え感想文書け、というのを 出してやった。ちょっと数論と純粋数学至上主義に偏り過ぎなきらいはあるけ れど、まあいいか。さて、何人の学生がのってくるかしらね。

写真は、赤の通り(Rote Strasse)にある、ゲッチンゲン大学の学生寮。この 街の建物によく見られるように、壁に案内板が掲げられていて、「1751年 −1752年、ウィルヘルム広場のギムナジウム(普通高校)の教師のための 宿舎として建設される。1935年、大学の管理棟およびゼミナール棟となる。 1970年以降、大学学生寮として使われる」と書かれている。250年以 上普通に使われている建物というのも、紙と木で作られた建物に地震や嵐が頻 繁に襲う亜熱帯の国から来た私にとっては、驚きとしか言いようがない。学生寮 はこれ以外にもあるが、近代的な建物であまり風情は無い。