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よ け ス ペ ー ス で す。

2004年10月30日(土)
<<でも、何故?>>
朝は少しゆっくり起きて野暮用の後、ゲーテへ。上級クラスのF先生は、非常 によく練られた授業展開と臨機応変の対応が見事な、非常にしっかりした感じ の先生である。クラスの雰囲気はどうかというと、まあ、皆さん思っていた程 も暗くはなく、清少納言様も輝くフリータ氏もよく「健闘」しているものの、 全体的にオリコーさんな人ばかりというところが難点。松下巨漢社員のような、 どや?おもろいやろ!?とアホをぶちかませる、アホ・パワーのある人材が居 ないことが悔やまれる。

今日のゲーテでは、受講生の一人が自分の興味のあるテーマについて10 分程度発表し、それについて皆で自由討論するというレッスンが行われた。残 念ながら私は一度も発言できず。その理由は、ただでさえドイツ語が聞き取れ なくて困っている私にとって、日本人の話すドイツ語は非常に聞き取りにくく て内容がよくわらかないこと、私のドイツ語会話能力に問題があること、そし て、何よりも私がそういった討論に興味が無いことの3つである。

今日のテーマは現代芸術の話だったので、私としてはおおいに思うところ があったのだけど、いつもの「私はこう考えている。でもそれは貴方には何の 関係も無いことだ」という精神構造が邪魔をして、恐らく日本語で討論したと しても何も発言すべき事が思い浮かばなかっただろうと思う。これではドイツ 語の勉強にならないので、後で自分で「私はこう考えている」の内容をノート に独作文してみたけど。それにしても、こういう精神構造って、要するにコミュ ニケーション能力に問題ありということなのではないかしら。

ところで今日気がついたのだが、私は数日前から心身ともにお疲れ気味の ようで、今日のゲーテもしんどくて、スポーツ・クラブに行く元気も無く中止。 ゲーテの帰りに河原町通りで○×整骨院ミニ・マッサージ25分首・肩・背中 コース2100円の10%割引券!さあ、寄ってらっしゃい!!みたいなもの を配っていて、それに「あなたは疲れてませんか?」と書いてあったのに思わ ず「そう!私は疲れている!」と大声を上げて反応してしまい、立ち止まって その割引券に見入ったり店はどこだろうと回りを見回していたところ、割引券 配りのお姉さんに見付かって「店に寄って行きませんか?」と声を掛けられて しまった。そうか、おじさんは疲れてるんだ。でも、何故?

2004年10月29日(金)
<<これは、こうでしょ!?>>
午前中にゲーテに立ち寄ってテキスト代を支払い、そのまま衣笠キャンパスへ。 今日は午後一番から「数理の世界」と「情報の数理」の講義2連発の日。昼食 は教員用の生協レストランで「スペシャル・ランチ」を注文する。日頃こうい う脂っこい昼食は食べないのだが、レストランの人が「食後にデミタス・コー ヒーが付きます」と妙に胸を張って言うので、デミタス・コーヒーって何だろ う?名前からして飲めばモリモリ元気が出てきそうなコーヒーだなとか、何で 「胸を張って」ことさら「デミタス」・コーヒーと強調するのだろう、という のが妙に気になったからである。結局、元気がモリモリ出たわけでもないし、 「胸を張った」理由もよくわからなかったな。「猫に小判、高山にデミタ ス」ってやつかしら。

「数理の世界」は、今日もえらくゆっくり話してしまい、学生は退屈 してなかったかしらと思っていたのだが、後で「今日の講義はちょっと速かっ たです」と言って来た学生が居て、少しびっくりした。自分ではわからないも のである。

そういえば、数学科で講義をしていて、ノートを取るのがえらく遅い学生が 毎年少なからず居るのが、ちょっと気になっている。綺麗なノートを作る事を 何より大切にしているのか、それとも、講義を聞いて理解しながら理解した部 分の板書を順にノートに書き写すようにしているのか。どちらも間違いである。講 義中に綺麗なノートを完成させておいて、あとは自宅学習一切無しで試験前に 読み返せば万事OK!が通用する程数学はヤワな学問ではないはずである。 (実際は、学生達が一丸となって激しく「抵抗」するためか、それが「通用」し てしまっているようだけど。)それから、数学科の講義はその場で聞いて理解で きないのが普通だから、理解できなければノートを取らないという方針でいると、 結局ノートは取れないし、理解できる範囲はどんどん少なくなってゆく。つまり、理解のデフレ・ スパイラルに陥る。

数学科の講義が聞いてその場で理解できないのには、ちゃんとした理由が ある。数学の講義では数学の数百年分の発展を90分で説明したりするが、数 学の発展には多くの場合概念的飛躍が伴う。概念的飛躍というのは、例えば 「太陽が動いているのではなくて、地球が動いているのです」のようなもので、 単純過ぎるがゆえに「詳しくわかりやすく説明」することは原理的に不可能で ある。さらに、それを受け入れる人間が石頭なので、理解するには大変なスト レスを伴う。つまり、「太陽が動いているのだ」という思い込みを捨てて「地 球が動いている」という考えを受け入れるには、一般に大変な時間と労力が必 要になるのである。安定した思考と人格的同一性を保つためには石頭である事 が必要で、人間は石頭だからこそちゃんと生きていられる。しかし、人間の石 頭性は数学の理解には障害になるのである。この「石頭性」をうまく解きほぐ したり、肩透かしを食わせたりするような説明が「わかりやすくて良い講義」なのかも知れな いが、人の思い込みの激しさには個性があるので、講義技術だけでは自ずと限界があ る。これが、「自分で悩んで自習しないと数学なんて理解できっこ無い」と言 われる所以である。つまり、自分の石頭ぐらい自分で何とかしろってこと。

ところで私には、学生の頭の中を覗き込んで、ははあ、この人は此処がこう石頭だ から数学のこの部分がわからないのだなという事を調べるのが大好きという、 いやーな趣味があります。大学の数学教師の中には、学生がつまらない質問を すると「何でこんなことがわからないのですか?これは、こうでしょ!?」と 怒る人も多いようだけど、私はかえってニヤニヤし始めたりするのはこのためである。

2004年10月28日(木)
<<受忍限度>>
午前中は2回生配当の離散数学の講義。この講義は先を急ごうという気が全く 無い。水曜日の4回生配当可換環論・代数幾何学入門講義も、数年前に今の内 容で始めた時はブイブイすっ飛ばすサディスティックな講義だったけれど、今 は完全に「離散数学」化している。いずれの講座も、べつに教えなくても一向に構わ ないような事を教えているのだから、先を急ぐ必要なんて無いのである。単位 を厳しくする必要も無い。しかし「こんなに丁寧にゆっくり教えてるんだぞ」 という自己満足が裏目に出て、白紙同然の試験答案を見る目は思わず厳しくな るな。

昼食後、夕方の3回生配当「外国書購読」の時間まで、研究室でMumfordを 読んですごす。購読の受講生は今日も2人。この講座は来年度を最後に廃止さ れるそうである。その理由は私が推察するに、学生達の英語の出来無さ加減と やる気の無さが教員達の「受忍限度」を超えているからのようである。テキス トの厳密な読解法をちまちまと教えながら、若いコをねちねち苛めるイヤラシ イおじさんに徹することができるこの講座は、私の楽しみの一つである。 勿論来年も担当させてもらうことになった。 ふふ ふ、おもわず口元が緩んでしまうな。この楽しみを解さないとは、数学の先生 達の考えることはつくづくよくわからない。

帰宅後はドイツ語の予習など。

2004年10月27日(水)
<<頭の中がスカッーと>>
午前中は4回生配当の可換環論・代数幾何学入門講義。昼食と雑用にかまけて いるうちに、午後の1回生微積分演習の授業。引き続き、来年院生予定O君の ホモロジー代数ゼミ。私はテンソル積のヘビー・ユーザの一人だが、テンソル 積の定義の部分をこんなに丁寧に勉強したのは、実は初めてである。その後、 生協で夕食をとり研究室で少し雑用。今日は少し睡眠不足気味でしんどい。や はり、昨日19時以降にコーヒーを飲んだのは良くなかったな。

夜はシューベルトを聞きながら、MumfordのAlgebraic Geometry I: Complex Projective Varietiesを少し眺める。学生時代に七転八倒して読んだ 本だけど、「Mumfordが心を込めて丁寧に書いた教科書」というだけあってやっ ぱり良い本だなあと思う。何か、こう、頭の中がスカッーとしていく感じがし て、気持ちが良い。

2004年10月26日(火)
<<ぺリエ>>
冷たい雨の中、野暮用にて昼前に京都を離れ、夜帰宅。シャファレビッチは昨 日の晩で放り出すことにして、移動の電車やバスの中では別の教科書を使って 標準因子の勉強。ドイツ語もほんの少し。電車の中というのは安心して良く勉 強できるけれど、睡魔に襲われやすいところが難点である。バスは色々油断な らないので安心して勉強はしにくいが、睡魔はあまり襲ってこない。

ところで、日本に帰って来て以降、何となく 炭酸入りのミネラルウオータを捜しつづけている。最近近くのスーパーで ぺリエがよく売られている。今のところ、あれが一番いいのだが、 750mlで400円近くするのが玉に瑕。勿論毎日のように買うわけにも 行かない。先日同じスーパーで500ml 入りのカナダ・ドライの人工炭酸水を買った。味はぺリエには少し劣るが、 1本100円の値段の安さを考えると、なかなか捨てがたい。同じスーパーで 以前ドイツ・ビールが発泡酒扱いで安く売られていたが、私がせっせと買わなかった せいか、今は売ってない。ぺリエもカナダ・ドライもせっせと買わないと、 また店頭から姿を消してしまうかもしれないな。

2004年10月25日(月)
<<君子豹変す>>
久しぶりに自宅で静かな研究日。シャファレビッチの教科書で代数幾何学のお 勉強など。標準層とか標準因子の話は代数幾何学の基本中の基本だけど、実は まだちゃんとは理解していない。しかし、そろそろやらないとまずくなってき たってわけ。

今日、あのドイツ・テレコムから、まだ電話料金が支払われていないと追 徴金1ユーロを加算した再請求書が届いた。「ずいぶん前に郵便局から国際送 金で支払い済みだから、よく調べてみろ(ばーか!)」と手紙を出すのも一つの 方法だが、そういう手紙を真面目に処理する会社ではない。よって徹底的に無 視するに限る。ドイツは台風も地震も無い比較的自然環境に恵まれた国 だけど、ドイツ・テレコムがあるのは災難だろうな。

ところで、考えてみれば「限りなく透明な存在としての私」というのは、 数理科学科に移ってきた当初からの目標ではなかったかという気がしてきた。 (旧)情報学科時代は、”プログラム理論を中心とした計算機科学教育の拠点” の建設を目指し、カリキュラムも自分の思うようなものにさせてもらって、 それらしい専門科目の講義もいくつか担当して、大い に気を吐いていたような気がする。大学教師というのは、一般に自分の学問 を通して弟子を育てたいと思うもので、勿論私もそう考えていたのである。

しかしその結果が閑古鳥の鳴くぺんぺん草研究室で、数年間に渡って1学 年300名前後の学生の中に一人も卒研の志望者が居ないとなると、「何だか 私、頑張るところを間違ってたみたい」と悟るしかない。大学教育というのは、 教師が個人的に頑張り過ぎると学生相手の水商売みたいになってしまうことが ある。水商売が上手な人は良いけれど、私はもっと淡々とやるしか無いなとい うことで「限りなく透明な存在としての私」路線に転向したのだと思う。まあ 自分で言うのも変だが、「君子豹変す」ってやつだな。そして、(旧)情報学 科の学生たちも、今の数理科学科の学生たちも、基本的にはあまり違いは無い ことだし、当面この路線を変更する必要はないと思う。

2004年10月24日(日)
<<太く短くツマラナク>>
朝はゆっくり起き、野暮用とそれに続く昼食の後、ゲーテの宿題。「平均寿命 が800年の時代になったら、やはり800年間生きたいですか?」の答を独 作文をせよという課題。無茶な事を聞いてくるものである。人生800年だっ たら世代間ギャップの大きさは今の比ではないだろうから、760歳にもなっ て18歳ぐらいの大学生に情報処理演習だの微積分演習だの教えるなんてのも 気が滅入る物があるだろうし、講義中に居眠りばかりしている学生なんか見る と「あと200年ぐらいそのまま寝てろ!」と癇癪の一つでも起こしたくなる であろう。22歳で院試に落ちて、その後600年ぐらいずっと「あいつ大学 院入試に落ちたくせに数学者やってるぜ」とか何とか言われ続けるのもヤなもんだ し(20年ぐらいならネタとして使えるけど)、半額おまけシール450年! というのも流石に洒落にならない(10年ぐらいはネタとして使ってやろうと 思っているけど)。やっぱり大学教師は100年以上続ける仕事ではないな。 では、その後はどうしようか。何か別の仕事でもやりながら、リーマン予想と か、とりあえず50年ぐらい考えてみるってのもいいな。で、200歳になっ たら数学なんか全部忘れて、絵を描いたり諸国を放浪したりして200年ぐら いぶらぶらするってのも悪くない。それで、400歳ぐらいで「夭折」するっ てのも一寸カッコいい。俺は太く短くツマラナク生きたんだぞーって大威張りだ。 ざまあみろ!宿題の 後は、数学の勉強。

2004年10月23日(土)
<<頻出基本単語>>
卒研配属や科目担当者の決定など、色々調整作業の多い一週間であった。調整 の結果「限りなく透明な存在としての私」が規定された事自体は歓迎すべきこ とだと思う。もっともそれ以外の選択枝はあらかじめ排除されているのだけど。 しかしこのことによって、私は自分の学問・研究の事に意識を集中させること ができると思う。自分の専門に近い「マトモな」科目を担当してしまうと、色々 力が入り過ぎてかえって現実と理想の乖離に悩んでしまい、余計な事ばかり考 えてしまうであろう。これは研究生活にとって好ましくない。そういう意味では、 どうでも良いような科目を、適当に楽しみながら淡々と教える方が良いのであ る。

それにしても人相手の調整仕事は疲れる。こういう疲れ方はきっと脳に悪 いに違いない。疲れた時は気分転換。ということで、今日はゲーテとスポーツ・ クラブの日。ゲーテは成り行きで今更やめる訳にも行かないドイツ語のメンテ ナンスのため、スポーツ・クラブは体のメンテナンスのため。

今日のゲーテにはいよいよ清少納言様が御登場!お懐かしゅう ございますと挨拶をした後、(元)塾屋と数学者になりたかった技術者氏の消 息を聞く。(元)塾屋とは、カラオケに行くと「私、壊れます!」と宣言して ネーナの 99 Luftballons (ロックバルーンは99)を熱唱したりする、あの(元) 塾屋である。日本ではネーナはすっかり忘れ去られているけれど、ドイツでは まだ結構人気を保っていて、テレビのコマーシャルなどにもちょくちょく出て いる。私は洗剤のコマーシャルで見たような気がするな。

ところで、現地でのドイツ語の聞き取りが全然駄目なのに、何故ゲーテの 先生達の話すドイツ語はほとんど全部聞き取れるのか。その理由の一つは語彙 の少なさかも知れない。ゲーテの教師達は頻出基本単語だけを使ってあらゆる 事を話す特別な訓練でも受けているのだろうと思う。清少納言様によると、聞 き取れないのは相手のドイツ語が訛っているからでしょうとのこと。まあ、 中・高校生ぐらいの子供の話し方というのも確かにあって、それはドイツ語で あることを認識するのすら難しかったりするな。

2004年10月22日(金)
<<限りなく透明な存在>>
本日、午後一番から衣笠のパンキョウ数学の講義を2つ。「数理の世界」は1 回生配当の講義らしいのだが、教室を見回すとどうもヒネた感じの受講生が多 いので、文系の学生というのは理系の学生よりも大人びて見える人が多いのだ ろうと思っていた。ところが今日講義の後に質問に来た学生は、私の母親より もちょっと若いぐらいの人。ははあ、社会人学生とか単位聴講生の人が結構混 じっているのかと悟る。もう一人質問に来た若い学生は、何だか知らないけど 他の数学系の講義のレポート課題を教えてくれと言ってきた。はいはい、何で も照れずに教えちゃいますよ。

16時過ぎに講義を終え、いつもならバスに乗って京都駅遊びだの同志社 遊びだのに走るのだけど、今日は夕食もそこそこにBKCに戻る。18時過ぎ にやっと到着し、来年度の担当を決める教室会議へ。20時過ぎに終了。 「画期的事前調整」の件 で色々心配していた事があったのだけど、何となくうまくまとまりひと安心。

ところで来年度の私の担当科目は、1回生の情報処理演習、1回生の微積 分の演習、2回生の離散数学、3回生の外国書購読、他学科1回生留学生の数 学の補習、4回生の可換環論・代数幾何学入門、大学院の伝説の講義、恐らく 受講生はゼロの3回生配当群論演習の再履修クラス。あと、工学系の線形代数 か微積分の講義が1つぐらい入り、卒研担当は無しの予定。マトモな専門 科目の講義担当は無し。どうです、見事に「その他諸々科目」のオンパレード でしょう。学生から見て、一体私は何の先生かさっぱりわからないはずである。 実は私に もわかならい。こういう「限りなく透明な存在としての私」ってのも悪くない な。別に私自身が望んだ事でもなく、まあ、成り行きというか、どちらかと言 えば教室の意向って感じなんだけどね。

2004年10月21日(木)
<<超お買い得>>
午前中は2回生の離散数学の講義。昼食、そして夕方の外国書購読の時間まで 部屋で勉強。しかし睡眠不足で能率上がらず、昨夜の夜更しを後悔する。外国 書購読は今日も受講者2名。彼らに、ほとんど卒研ゼミの感じでみっちり教えてもら えるから「超お買い得」授業だろう?と迫り、無理矢理「うん」と言わせる。

夕方、私と半額部屋を共有する予定の半額系某同僚教員の卒研に、希望者 が約1名現れたことを知る。その1名の卒研生は、現在倉庫として使われてい る半額部屋にぽつんと一人で放り込まれるのかしら。まあ、本人がそれを望め ばそれでいいかと思うけど。

(旧)情報学科時代、卒研生は毎年10数名居るのだけど、皆ムクレて自 棄を起こし、卒業式まで一度も姿を見た事が無い。しかし、年によっては自棄 も起こさず一人だけ何となく卒研をやりに研究室に出て来る学生が居たりした。 こういう学生に、この広い学生研究室は君以外誰も使わないから、君専用の部 屋として好きに使えば良いよと言うと、大喜びしてその部屋に住み着いてしまっ た。さらに、研究室の学生10数名分の設備・備品予算も毎年下りてきて、そ れを使わないといけない。この予算も他の学生は皆権利放棄しているから君以 外使う人は居ない。だから君が欲しい設備・備品を買えば良いと言うと、また また大喜びでパソコンだの何だのと色々買いまくる。まあ、そういう事はちょ くちょくあったな。閑古鳥の鳴くペンペン草研究室は、実は「超お買い得」研 究室でもあったのだ。しかし、「超お買い得」を大喜びで利用するというのは、 力のある学生だからこそ出来る芸当だと思う。

2004年10月20日(水)
<<複雑系>>
午前中は4回生の可換環論・代数幾何学の入門講義。何かしらないけど余り進 まず。例年と同じようにやっているつもりなのに例年よりも進度がぐっと遅い ような気がする。S藤先生亡き後、この講義の大口ユーザだった計算機代数グ ループの学生が居なくなって、知らず知らずのうちに力が入らなくなってきた のかも知れないけど、まあ、いいか。

この講義が終わった頃に校内放送が入り、暴風雨警報が出たから午後の講 義は全て休講となった。とはいえ、大学のバス停は凄い行列ですぐには帰れず。 結局、風雨がいよいよ台風っぽくなってきた3時過ぎに帰宅。

そういえば、卒研配属は半数程度の学生が希望ゼミを申請した段階。数名 の半額シール系教員と約1名の半額おまけシール教員(私のことである)のゼ ミの人気は「さっぱり」といったところ。何でも今年から半額部屋という、半 額系教員の所の卒研生用大部屋が出来たそうである。私のゼ ミ、および私と半額部屋を共有する某同僚教員のゼミは、最終的に志願者ゼロ になり、来年度の卒研ゼミは開かれないことになると思われる。かくしてその 半額部屋は、来年度も引き続き「倉庫」として使われることになるであろう。

今年から学生定員が大幅増になり、彼らの3年後の卒研配属を睨んで、半 額系教員のゼミで大量の学生を吸収する体制を整えようというのが数学教室の 思惑。しかし、半額部屋とかのハード面の整備は出来ても、思惑通りに学生が半 額系ゼミに集まるかどうかは全く別の話。膨大な学生を抱え た(旧)情報学科で色々苦労してきた私の考えでは、学生集団というのは立派 に複雑系で、彼らをコントロールするのは原理的に不可能である。

例えば、学生を引き付ける良い卒研テーマの設定が肝要と言っても、一体 何が学生を引き付けるのかが簡単に分かれば誰も苦労はしないわけで、ほとん ど「商売で一発当てて億万長者を目指す」のに近い話である。これには勿論、 学者、研究者の能力とは別の、特別なセンスが必要であろうと思う。

その一方で、テーマなんての実はどうでも良くて、教員のパーソナリティー が肝要だという説もある。では、どういうパーソナリティーが良いかというと、 それもよくわからない。仮りにそれがわかったとして、自分がそうなれるかど うかは別である。こういうタイプの人が異性にモテると言われても、そういう 自分になれるかどうかは別、というのと同じ話である。

ただ、経験的に見て、私のゼミに志望してくる学生というのは、メンタルな 部分で何となく私と共通する部分を持っていることが多い。パーソナ リティーというよりも、人と人との相性といった感じである。私も癖のある人間 のようで(自分では深い森の奥で滾々と湧き出る清水の如く無色透明の人間だと 思っているのだけど)、相性という事を言い出すとかなり対応範囲が限られて しまう。こうなると、いくらこれでもか、これでもかと半額シールだのおまけ シールだのをベタベタ貼ってもらって、半額部屋まで与えられて、じゃあひとつ やってみましょうかと鋭意努力しても、残念ながら教室の皆様方の思惑にお応え できないということになる。

パーソナリティーよりももっと浅い部分の、学生に対する立ち振る舞い を考えれば良いのだという説もある。つまり、従業員の人格には踏み込まな い単なる接客態度の改善というやつである。接客態度といった薄っぺらな事 で大学教育のありようが左右されるのかという疑問もあるが、人は一般に道で 会った時に挨拶してもらうだけで、例え相手が凶悪殺人犯であっても「挨拶す るいい人で、そんな悪い事をする人だとは思ってなかった」と言うではないか、 と反論することもできる。もし「接客態度の改 善」で物事がうまく行くのなら、同じような問題を抱える他大学の数学教室相 手のコンサルタント業でも始めて、大儲けしてやろうかしら。

かくして、思惑通りに学生が半額(おまけ)シール系教員のゼミに集まら ない状態が何年も続く場合どうなるか。最終手段は実験系の学部学科でやって いる卒研の強制配属である。我が数学教室がそれをやるかどうかは知らない。 しかし、これをやると希望のゼミに配属されなかった学生はムクレてしまって、 自棄になったりする。教師から見れば実に些細な事で「絶対ここに行きたい」とか 「このゼミだけは嫌だ」と思い込んでいるに過ぎないのだけど、そんな事が わかるには彼らはもう2,3年若すぎたりする(つまり修士を卒業するぐらいに なると、それが些細な事だとわかるようになる)。(旧)情報学科時代は、閑古 鳥の鳴くペンペンく草研究室を主催していたので、そういう風につまらない事で 自分を不幸に追い込んでいる学生を沢山見てきたな。

2004年10月19日(火)
<<トンデモ・メイル>>
本日野暮用にて昼前に京都を離れる。移動の電車の中で少し研究など。大学の 先生というのは、時間の融通が利くような利かないようなである。平日の真昼 間から、上司の顔色を伺いながら有給休暇届を出すわけでもなく(そもそも私立 大学の教師には上司だの有給休暇という概念自体が無い)私用野暮用が出来る 反面、講義のある日などは時間のやりくりに全く融通が利かない。以前はそう 頻繁でなければ休講することもできたのだが、今は大学も色々五月蝿くなって、 原理的には休講できても実際問題としては休講はほとんど不可能に近い。これ が会社員だと、今日休んだ分は明日取り返せばいいやということができる。

一日京都と職場を離れ、ああ、そうだ、自分の生活と研究、これこそが自 分にとって一番大切なものだとしみじみ思いながら、夜遅く帰宅。

帰宅後、自宅でメイルをチェックしたら、大学からのトンデモ・メイル2 通で心はいきなりバック・トゥー・ザ・ユニバーシティー。学内の講義用何と かツール(私は使わないので関係無いのだが)のパスワードを電子メイルで送 り、さらに「このパスワードは変更できません」と書いてある。ははあ、これ は以前夢見るH先生が呆れていたやつだな。私だって知っているネットワーク・ セキュリティのイロハを敢えて無視する高度な政治的判断か?一応当局に「如 何なものか」メイルを出しておく。

もう一つは、台風が来そうだから明日の教室会議を延期しますというメイ ル。そうか、会議が無いなら院生予定のO君とゼミでもするか。いや、待てよ。 ゼミなんかやってたら台風で帰れなくなっちまうな。それにしても、ウチの数 学教室は私以外全員「台風なんて何のその」の人達だと思ってたけど、そうじゃ なかったんだ。これは新鮮な驚きだな。待て待て。そんな事より、問題は来年 度の科目担当を決める教室会議を、私が衣笠に講義に行って居ない金曜日に延 期するとは如何なものか、ということだ。科目担当調整役を仰せつかっている キーパーソンの私抜きで、一体何が決められるというのかな。一応関係者に 「如何なものか」メイルを出しておく。

2004年10月18日(月)
<<疲れる>>
本日、来年度の担当科目についての事前調整という、数理科学科としては画期 的な雑用のため大学へ。1時間もあれば終わるだろうからあとは研究をと考え ていたのが大間違い。結局半日それだけで潰れてしまった。大した事をやって いるわけでもないのに、人相手の調整仕事は時間は食うわ精神的疲労は大きい わで大変である。事務職の人などに聞くと、彼らの仕事は「まあ、年中社内の 調整ばっかりやってるようなもんですわ」とニコニコしながらさらりと言って のけるから驚く。それが適性というものだろうけど、私だったら1週間もやっ てれば、きっと屋上から飛び降りるか電車に飛び込みたくなるに違いない。

そういえばまだ会社員だった頃、遅くまで仕事でさぞお疲れでしょうとの 言葉に、「へ?仕事では別に疲れませんよ」と答えて相手をのけぞらせたこと がある。仕事で疲れるとすれば、その原因はずばり対人関係におけるストレス 性の精神的疲労である。当時はバブル崩壊直後にしてリストラの嵐の 前夜。「窓際社員」(この牧歌的な言葉はもう死語だろうと思うが)の日々を 送っていた私は、どのチームにも属さず、自分のペースで一人黙々と何かを設 計して作るというお気楽な仕事をしていたので、疲れとは無縁だったのである。

数学の研究も一人でやっている分には疲れ知らずだが、共同研究の形態を とると場合によっては猛烈に疲れる。講義というのも一種の対人関係で、どう にも学生諸君の態度がよろしくない授業というのは、やはりストレスが溜まる。

ところで、どの科目を担当させられるかというのは、一般に教師にとって 大きな関心事の一つである。数学者は初等的な内容の講義は苦痛に感じ、自分 の研究分野に近い専門的な内容の講義をやりたがる、というのが一般法則であ る。しかし、自分の研究分野に近い専門的な内容の講義をやったら「伝説の講義」 になってしまうようなこともあり、一度ぐらいは話のネタとして面白いけれど、 毎年そんな調子じゃあ嫌になってしまう。その一方で、高校数学に毛の生えた ようなレベルの講義でも、やっていて結構楽しいこともある。

大学のカリキュラムというのは、どうでも良いような科目が沢山入ってい るもので、私などはそういうのばかりを担当するためにこの大学に雇われてい るようなものである。「どうでも良い科目担当教員」という位置付けの上に、 半額おまけシールまで貼られるとなると、お前は「どうでも良い半額おまけ学 者」だと言われているようで、学者の端くれとしてのプライドが多いに踏みに じられているような気もするが、そういう事はあまり気にしない事が楽しく職 業生活を送るためのコツである。実際、担当科目と研究上の専門分野はリンク しないのが普通だし、リンクさせたところで何がどうなるって訳でもない のである。 それに実は、内容が初等的か専門的かと いう区別よりも、どうでも良い科目か否かの方が担当する立場からすればはる かに重要で、概してどうでも良い科目の方が教えていて楽しい。

2004年10月17日(日)
<<さあ、ドイツ文化です!>>
昼過ぎ頃まで、ゲーテ上級クラスのテキストと格闘。ふう。あのドイツのイン テリ雑誌シュピーゲルの記事などをガンガン読ませたり、レポート課題を出し て発表させたりと、上級クラスは大変である。私はシュピーゲルなんか読めな くても良いのである。雑誌なんて、もうちょっと絵や写真が多くて気軽に読め るフォーカスとか、さらにもう少しオゲレツで世間話的世界が展開する大衆誌 シュターンあたりの記事が面白ろおかしく読めれば、とりあえずOKだ。それ よりもSBUXの店の兄ちゃんが急に注文聞き以外の事をニコニコと喋り出し たり、スポーツ・クラブを訪ねて店の料金システム等の説明を聞いたりする時 に、相手の言っている事がちゃんとわかるとか、テレビ見ててアナウンサーや ドラマの登場人物の台詞や漫才師(ドイツにも居ます!)のギャグが分かるよ うになる方がよっぽど大事ではないか。はてな。今後ドイツ に住む予定も無いのに、そんな事が出来てもしょうがないか。

まあ、ドイツ語も趣味としては悪く無い。今回Herzog先生にはずいぶん苦 い思いをさせられて、今度会ったらどうしてくれようと、今日もハラワタ煮え たぎりの発作が起こってしまったし、エッセンではドアが開かない電車が毎日 のように走ってたり、へまばかりして小回りの利かない電話会社があったり、 一つの手続の必要書類が係員によって言うことがまちまちの役所があったり、 蚊がぶんぶん飛んでいるのに金鳥蚊取り線香が売ってなかったり、現地に居る と色々ゴタゴタした所が目につくけれど、ゲーテってところはそういうのがぜー んぶ抽象化され、さあ、ドイツ文化です!どうです、素晴らしいでしょう?と くる。まあ、少なくとも語学を通してドイツ文化を売り込むという戦略はうま く行っているな。私なども、それにうまく乗せられてるってわけだ。うまく乗 せられて失望問題の心の傷も癒されそうだし、「癒されたいオジサン」として はこんな良い所は無いな。今日も京都駅アバンティーの中古CDショップで シューベルトのCDを2枚買っちまった。そのうちの1枚は、白井光子とかい うメゾ・ソプラノの人がキンキン声でドイツ語の歌うたってるんだけど、ああ あっ、そこそこ!うーっつ、もう一寸右、あーあー、もう一寸下、そう、そこ そこ、くーっ効くうううって感じで、ドイツ文化が心に沁みます。何か私っ て、疲れてるのかしら。

でも、今シーズンはまたぞろ新規分野進出で色々勉強しなければならない ことがあるし、ドイツ語に現を抜かしている暇は無いんだけどな。 夕方は京都駅前ホテル京阪ラウンジで、レクチャー・ノートをひっくり返したり。 夜もその続きを少し。

2004年10月16日(土)
<<散りじり>>
本日より久々のゲーテ通い。先日申し込んだ中級クラスの教室に行き、講座が 始まるのを待っていたのだが、前にもお世話になっていたこの講座のG先生が やってきて、何だかんだと話しているうちに、結局上級クラスに移ることになっ た。土曜午後のG先生 の中級クラスは内容的には前にやったものと同じで一寸退屈そうだけど、 松下巨漢社員や(元)塾屋をはじめとするかつての楽しい人 達が残っていると思っていた。しかし、G先生から彼らは既に散りじりになって しまった事を聞いたので、もうこのクラスにこだわる理由は無かろうと思った のである。

ゲーテのコースは、クラスのメンバー次第で最高に愉快にもなれば、どう しようもなく気の滅入るものにもなる。上級クラスの今日の印象は「ずいぶん 暗いクラスで先行きが大変危ぶまれる」といった感じだが、謎めきの大インテ リ!輝くフリータ氏も一緒だし、来週から遊びの天才にして無類の嬉しがりで ある、ご存知清少納言さまが登場するらしいので、輝くフリータ&清少納言コ ンビでもう少し盛り上げてくれるのではと、他力本願の淡い期待を寄せている。

それにしても、ドイツでは聞き取りが全くと言っても良い程できずに閉口 したのだが、今日のF先生の話す言葉は、ずいぶん早口で色々な事を話すのだ けど、何の苦労も無くほぼ完璧に理解できる。この違いは何なのだろう。同じ ドイツ語とはとても思えない。私はあのドイツで聞いた"わからないドイツ語" を聞き取るためのトレーニングをしたいのだけどな。夜はスポーツ・クラブ。