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一部のブラウザのための邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2004年9月15(水)
<<迎撃レーザー光線>>
気持ちの良い秋晴れ。しかし昼間はしっかり夏のまま。午前中から伏見区
羽束師(はずかし)の自動車免許試験場へ免許証の更新手続に行く。14時過
ぎに終了。この10年間ずっとペーパー・ドライバーの私のような人間にとっ
て、羽束師は文字通りの陸の孤島。バスは頼りにならず、結局行き帰りともタク
シーを使うはめとなり、更新手続料等も含めれば結構高くついいてしまった。
午後は、京都駅前京阪ホテルのラウンジで、ひきつづき論文を眺めて過ごす。
何となくEGAを読まねばならない雰囲気になってきたけど、フランス語忘れ
てしまったな。
陸の孤島といえば、
岡潔若かりし時代に多変数解析関数論のベーンケらのグループがあったという
ミュンスター大学数学教室の建物(写真)の隣は、何だかよくわからないドイ
ツの軍事施設になっていた。大きな敷地に兵舎みたいな建物が建っているのだ
が、地図を見ながら「何だこりゃ?!地図にも(空白になっていて)出てない
ぞ!大学の施設とは違うのか」とか思って門の所に近寄って行くと、門番が
「近寄っては駄目!」というサインをしてきた。そばの看板には、ここはドイ
ツ軍の軍事施設のため、施設、兵器、その他この施設のあらゆるもの写真撮影
を禁ずと書かれていた。近くで見ているだけでも、門番に追い払われる。スパ
イ衛星から何でもお見通しの時代に、見るな来るな写真を撮るななんて、えら
い古臭い事言ってるなと思いながら、すぐ隣のミュンスター大学数学教室の建
物(味気ない新し目の高層ビルである)に入ると、階段の各階の踊り場ところ
から軍事施設が丸見え。そこから写真を撮ることなんて全く容易そうだったが、
やめておいた。こちらがシャッターを切ったのを高感度センサーで感知されて、
迎撃レーザー光線(そんなものがあるかどうか知らない)が飛んできたら大変
だろうと思ったから。。。
ミュンスターは美しい街で、キャンパスが街と渾然一体となっているミュ
ンスター大学は概して美しいのだけど、写真で見る通り何故か数学教室の建物
はあまり風情が無い。学生用の計算機センターの建物も一緒に建っていて、下
の方の階は数値計算や実験数学の教室、上の階が純粋数学の教室になっている。
ああ、こんな所で静かに数学を考えていたいなあなんて気分が、特に盛り上が
るような所でもない。でも、一応次に海外留学できるチャンスがあった場合の
候補地の一つには考えているけど。
2004年9月14(火)
<<礼儀>>
野暮用にて昼前から京都を離れ、夜帰宅。途中、近鉄特急にドイツ人の10代
の子供達を中心とした10数名のグループが乗ってきて、私のすぐ後ろに
陣取った。そういえば埋め合わ
せプロジェクト物見遊山編の一貫として、エッセンから特急列車ECに乗って
何処かに行った時も、こんな感じの賑やかなグループが一緒に乗っていたし、
車窓から見える風景も似たような感じだった。彼らが喋っているドイツ語が、
私がゲーテで習ったものとは全く違う言葉であるかのように、全然聞き取れな
いところも同じ。また、気候もドイツの夏真っ盛りだった当時とほぼ同じである。
違いがあるとすれば、ドイツ鉄道のECよりも近鉄特急の方
がうんと清潔であることぐらいかな。なつかしい。ほんの少し前まで、私
を取り巻く環境はこんなのだったのだ。また、ゲーテに通おうかしら。
途中、「すみません、○○へ行きたいのですが、この駅で乗り換えるんで すよね」と聞いてきた引率の中年女性の日本語能力は、私が「ええ、そうですよ。 あ、いや、えーと、あっ、この切符でしたらまっすぐいけますよ」と いう分かりにくい答え方をしてしまったのにもかかわらず完璧に理解できたこと から、私のドイツ語能力をはるかに上回ると見た。 こういう人には、 下手なドイツ語で話しかける気が起こらないし、 日本語で受け答えするのが礼儀だって気がしてしまうな。 さらに言えば、たどたどしい日本語で一生懸命話す外国人には、 丁寧な日本語で一生懸命答えるのが礼儀って気がする。 理由は簡単で、私だったらそうしてもらいたいから。 こっちが必死でドイツ語で喋ってるのに、相手が英語なんぞで切り返して きよったら、ぶん殴ってやりたくなる。こともあろうに、日本語などで切り 替えしてきたら、聞こえないフリしてやるからな。
2004年9月13(月)
<<ツーショット>>
山科駅前SBUXで油を売ってから、昼過ぎに出勤。終日代数幾何学の論文を
眺めて楽しく過ごす。層やスキームの言葉を一通り知っているだけの、私にも何
とか読める代数幾何学の論文があるというのは、ちょっと嬉しい。しかも結構
メジャーっぽい問題を扱っている比較的最近の有名な論文ってところが、私の
ミーハーな心
をくすぐりますな。4年前にHerzog先生の所に行った時、代数幾何学の方を向
いて可換環論を研究するなんてツマラナイ事はやるな、みたいな事を言われて、
それがずっと引っかかっていたのだが、今回の「失望」によってその呪縛から
は完全に開放された。「失望」も悪い事ばかりではないな。かと言って、
数論幾何学に次ぐ秀才の学問(と私が信ずるところの)代数幾何学に
本格参入するつもりは、今の所無いんだけど。
夕方、エッセンのアハード君から、シンシャンの博士論文公聴会の日に撮っ た、私とアハード君のツーショットの写真が届く。私も彼らの写真を撮ったの で送ると約束してあるのだけど、まだCDに入ったファイルを整理してない。 夏風邪はまだ喉に少し残っていて、何となくいがらっぽく、しわがれ声しか出 ない。油断していると、また猛威をぶり返すので注意しないと。
2004年9月12(日)
<<懐が深い?>>
昨夜は夜9時まで全力営業のアバンティー・ブックセンターをぶらついていた。
ちょっと立ち読みした藤原正彦氏の本にフェルマー予想を解決したワイルズに
ついて書いてあって、他の研究をやめて数年間フェルマー問題だけに専念して
いたワイルズは、もしかしたら研究者としての黄金期である30代を完全に棒
に振ってしまうかも知れない恐怖と闘い続けた、とあった。ほんまかいな?私
は30代をしっかり棒に振りましたけど、別にどうってことないですよ、それ
で死ぬわけでもあるまいに。こんな事が書いてある本は、心を清める助けには
なりそうにないなということで、結局買わず。
かく言う私は30代を単にぼうっと過ごしたわけではなく、数学に転向す るための勉強をしていたのだが、そういえば”ナンチャッテ数学者”にもなれ ずマトモな計算機屋ですら無くなってしまう恐怖というのは、確かにあったな。 しかし、その恐怖をあまり感じずにいられたのは、私がもっとも厳しく批判し ていた情報学科の「いい加減さ」のお陰だったというのは、何とも皮肉な話で ある。つまり、例え転向に失敗してもここなら適当にやってけるさ、と高を括 れたというわけ。とりあえずこれを立命館の”懐の深さ”と呼んでおこう。
本日何となく色々野暮用、昨日買って来た本を読んだりの一日。数学はハー ツホーンを少し読み返しただけ。「失望」に伴う心の痛手は少しずつ癒えつつ ある。最近は、エッセンやゲッチンゲンやデュッセルドルフやゾーストやミュ ンスターの街をぶらついた事や、毎週シュパーゲルの買出しをして、色々調理 して食べたことなどが、美しい思い出となって心に定着し始めて、「やっぱり 行って良かったな」と思う事もしばしば。少なくともHerzog先生の態度や様子 がおかしいと気づき、急遽「埋め合わせプロジェクト」の一貫として物見遊山 路線に走った事は正解だったと思う。さらに、ちょっと距離を置いていたドイ ツ語も、そろそろ勉強を再開しようかな、という気分も少し高まってきた。
2004年9月11(土)
<<本当の友人>>
午前中は色々野暮用。午後から出勤。しばらく放置してあった、エッセン大学
滞在時の悪夢の名残”どうってことのない論文”の最後の仕上げをして、投稿。
これで少し気が楽になった。それから、戯れにインターネットを色々検索して、
昨日の元指導教官の自慢話の裏付け捜査のような事をして、なるほど自慢する
だけの事はあり、かつ、自慢を上回るような事実は無いようだと納得する。ついでに、
自慢話の最後にぽろりと一言言ってた事は、30代までの仕事ではなく50歳
前後にぽろりと発表した仕事らしいことも判明した。結局自分の今までの研究
者人生を全て正確に自慢してくれたことになる。良くも悪くも、というか、身
も蓋も無いほど率直な人で、その人柄に似つかわしい明解さがここにも表れて
いるな。
ところで、偉い数学者は世界中に友人が出来るそうである。数学者として の仕事が認められれば、ちょっとうちに来てお前さんのやった事を説明してく れないか、それについて一緒に議論しようではないかと、国内外からお呼びが 掛かるそうである。人を呼びつけておいてケンモホロロの扱いということは当 然無く、それなりに歓待してもらえる。あるいは、何かの折に会った時でも、 やあ元気にやってますか。最近はどんな研究をしてますか。ところで私はこう いう問題を考えているのですが、貴方はどう思いますか等々、何かと会話が弾 む。かくして「私は世界中の何処に行っても歓迎してくれる沢山の友人に恵ま れ、幸福な研究者人生を送ることができました」となる。まさにご同慶の至り である。
しかし、そのような友人達は、いわば数学者としての能力に惹かれて近づ いて来た人達なのであって、例えば年老いてかつてのよ うな頭脳の明晰さも鋭さも無くなって、 研究ができなくなった時や、怪我や事故や病気で数学が出来るような 状態で無くなってからも、友人であり続けるとは一般には考えにくい。 勿論自分が数学者としてバリバリやっている時に、仕事仲間としての友人が沢山いれ ば、それはそれで楽しいことだろうと思う。しかし、子供の頃習ったではないか。 「そんなのは本当の友達ではありません」と。そして私は思うのだ。"友人に恵まれた" 偉い数学者達って、「こいつら、今は何かれと自分に良くしてくれるけれど、 俺が年取って呆(ぼ)けてしまったら、(表面的には敬意を装いつつも)手の平を返 したように離れて行くんだろうな」と心に冷たい風が吹くことはないのかしら 、と。
2004年9月10(金)
<<取り付く島なし>>
午前中は歯医者、午後は先週末のスポーツ・クラブで痛めた左肩の治療のため
整形外科へ。その合間は数理研でコピーしてきた論文の解読。夕方から土砂降
りの中、怖いもの見たさの元指導教官の還暦祝賀パーティーへ。
パーティーでの一番の収穫は、私の元指導教官は私が考えてたよりも偉い ことを知った事かな。高校時代から学部卒業ぐらいまで抜群の秀才で通した事 は、学生時代にたっぷり自慢話を聞かせてもらったので知っていた。修士論文 が大変素晴らしかった事や、その勢いで修士を卒業して助手になってからもバ リバリやっていたであろう事は、代数幾何学を少しかじった者なら自ずと分か る。
では、その後はどうなのか?今日までその部分の情報は空白のままで、私 は本当に(ほとんど)空白だったと信じていたのだが、今日のパーティーの挨拶 で当の本人が、私が知らなかった学部時代の別の自慢話から始めて、大体30 代後半ぐらいまでの自慢話を延々と披露していた。これを信じるとすれば、ちょ うど私が卒研ゼミの面倒を見てもらっていた頃は、少なくとも同じ問題を考え ている同業者の間では、一応世界に名前の知られた数学者として活躍していた であろう事が判明した。当時自信満々の指導教官を見て、私は何もわからない 学部学生ながら「この先生まだ38歳だからフィールズ賞のチャンスはあるな」な どと考えていた事を思い出す。学生というのは単純なものである。
あと、還暦祝賀パーティーをやってもらえる数学者というのは、偉い弟子 や偉い友人(勿論数学者の友人)が一定数以上居る事を意味し、偉い弟子や偉 い友人が居るということは、本人もきっとある程度は偉いのだろうという推察 が働く。かように、元指導教官と言えども、専門が違えば、状況証拠を積み重 ねてどのぐらい「偉い」かを推察する以外に無いのである。まあ、元指導教官 が偉いというのは、自分にもどこかしら少しだけ偉さが伝染しているのではな いかしらという幻想を与えてくれるので、不肖の弟子の私としても悪い気はし ない。
参加者の中には、落ちこぼれ仲間のT君が来ていたな。今京都で高校教師 をしているT君と私と、もうひとり大阪で高校教師をしているK君(今日のパー ティーには不参加)は同じ卒研ゼミで、私は彼らの名前と顔は勿論、彼らの卒 研の成績(A,B,Cのどの評価だったか)、おなじ卒研ゼミの中で、唯一大 学院に進学できたT君が、その後どのような経緯で高校教師に落ち着いたかの 概略等等全て執念深く憶えていたり、調べがついていたりするのだが、T君は 私の名前も覚えていなかった模様。「おい、○○○○!(T君のフルネーム)」 「えーと、どなたでしたっけ?」「ほら、数学講究(卒研ゼミのこと)一緒に やっただろうが」「え?えーと、えーと」「高山だよ、ばーか。忘れたか?! そういえばK君は来てないな」「K君って?」「(ダメだこりゃ)」
さて、昨日予告した「色々冷たい仕打ち」についてはどうか。実のところ、 業界が違うせいもあって私を知っている人はほとんど居ないし、学生時代から 何かと優しくしてくれた某先輩は相変わらず私に優しいし、大した事は無いの である。しかし、2時間余りのパーティーの間、一度も元指導教官と言葉も挨 拶も交わさなかったな。向こうは向こうで「落ちこぼれらしく、大人しく 計算機屋でもやっている」訳でもない私に対して色々思うところがあるのか知らん顔 しているし、私もかなりプライドが高い人間なので、こちらは高い参加料 払ってわざわざ来てやってるんだ、向こうから「よう、高山君!」式のフレンド リーな素振りでもするなら、挨拶のひとつぐらいしてやってもいいぞ位の気分で いるから、双方取り付く島が無いのである。そういう意味では、十分冷たいパー ティーだったな。
2004年9月9(木)
<<怖いもの見たさ>>
夏風邪をちゃんと治そうと昼前まで眠り、午後は京大数理研へ論文をコピーし
に行き、その後喫茶進々堂などで解読作業をしたり、不良債権プロジェクトの
一つを少しだけ検討したり。その後、吉岡書店で古本を眺め、京大生協の書店
を冷やかす。
風邪が多少良くなったのか、流石に乗り物に乗って論文を読み始めたらす ぐに気を失うという事は無くなった。京大数理研では、代数幾何学の研究集会 をやっていて、ちょっと覗いて行こうかとも思ったけれど、休憩時間とやらで、 1階のフロアにどやどやと集まってきた恐ろし気なる数学者達に恐れをなして、 またの機会にすることにした。
数学者の集団というのは、やはりただならぬ雰囲気があって、顔見知りが 何割か居ない限り近寄り難い。数学者だからと言って、特にフレンドリーな訳 でもなければ、フレンドリーに立ち振る舞う術を身に着けているわけでもない。 また、数学者だからと言って特ににオープンな訳でもなければ、あらゆる偏見 から自由という訳でもない。さらに数学者だからと言って、特に謙虚な訳でも なければ、純粋な心の持ち主という訳でもない。むしろ、見知らぬ数学者の集 団を見れば、それは剥き出しのままの種々雑多な個性の集合体だと考えるのが 一番妥当だと思う。つまり、そこには何があるか予想もつかない。とんでもな い野蛮人が大手を振って歩いているかも知れないし、最高の紳士・淑女に出会 えるかも知れないのである。「失望」問題の後遺症で弱っている私には、いさ さかリスクが大きいので、パス。
と、今日はリスクを回避した私だが、明日の事を考えると頭が痛い。明日 は私の学部時代の指導教官の還暦記念パーティーだとか。 ドイツ滞在中に少し気が大きくなっていたのか、1、2ヶ月前に招待状が届いた時 何となく「参加」に○をつけてしまったのである。 出席するとなれば、今日の研究集会と同じく、見知らぬ数学者 集団の中に分け入るリスクを覚悟しなければならない。それだけではない。” 京大数学科落ちこぼれ学生の成れの果て”と現役京大数学科教授との関係とい うのは実に微妙なもので、立命館のそれのように「よお、○○君、元気にやっ てるかい。君は学生時代物凄いサボりだったけど、今はどうだい?」「へへへ、 先生、そういう事は早く忘れて下さいよ。今はバリバリにやってますよ」 「ほー、そうかい。それは良かった」という心温まるようなものとは対極であ る。おまけに、落ちこぼれて、院試に落ちて、数学崩れらしく大人しく計算機 屋でもやってればよいけれど、事もあろうに数学者のフリなんかしよって!と いう事になると、一体どんな恐ろしい事が起こるか想像もつかない。あー、や だやだ。フィールーズ賞でも貰って自信でもつけない限り、こういう悩みって つきまとうんだよね。落ちこぼれ仲間のK君やT君、一年後輩のNさんなどが 参加していたら、まだ救いがあるだろうが、私以外の参加者が数学者として正 しく生き残った人たちだけだった場合、決して安くは無い参加料を払って、色々 冷たい仕打ちを受けて、心が凍り付いた状態で帰宅することになろう。そこま で分かってるんだったらドタキャンすればよいではないか、と言われるかも知れ ないが、そこまで分かっているからこそ、怖いもの見たさで参加したい気分が むくむくと成長しつつあるのである。だから厄介なのさ。
2004年9月8(水)
<<覚悟はできているのか?>>
夏風邪の具合は少し良くなったが、まだ少し頭痛がして、さらに少し頭がぼん
やりして、乗り物に乗って座席に座った途端に気を失う。本日午前中は九条山近
辺で野暮用。その後、京都市役所前近辺で昼食を取ってから出勤。エッセン大
学での悲惨な経験から、研究ノートはプリンターが無くても大丈夫なように、
手書きノートで作る習慣を身に着けようと思い、今日はA4サイズのノートに
数ページ書く。まず、これからやならければならない事を列挙して、その前途
の多難さに溜息。次にエッセンでぼんやり考えていた事のとっかかりを少し考
え様子を見る。結局前途の多難さを確認して溜息。次に、これから調べるべき
論文のタイトルなどを書き留める。これは溜息なし。
途中、O坂先生の部屋に押し掛け少し雑談。それから、この秋からの文系 学生のための講義用にと、高木貞治「初等整数論」を少し眺める。この講義で、 素数の分布に関するいくつかの定理を、初等的な証明付きで紹介しようかと思っ ていたのだが、ほとんどのものが「証明は大変むつかしく、ここでは述べられ ない」ことを知って驚いた。整数論って、やっぱり難しいんだな。
ところでO坂先生によると、来年度はO坂主任・高山副主任、さらに前期 は大ボスAr先生不在の上に、ネイティブ立命語スピーカーのI先生も通年不 在、さらにO坂さんは数週間の海外逃亡を画策中だという。そうなると、数学 教室の将来を左右する高度に政治的な案件を私一人で処理しなければならなく なるという、"魔の数週間"が発生し、Kaz先生の必死の忠告も「私は○○ヘル ツ以上のキンキン声は聞かないことにしています」と意固地に一蹴し、訳もわ からずにどこかの大事な会議でデタラメに「うん」と言ってしまう大ボケをや らかし、その時から数学教室は崩壊の一途をたどることになるかも知れない。 さらに、次々年度は私が主任になる予定だそうである。「おい、あんな 半額シール野郎にそんな大事な仕事をやらせていいのかよ?!」という意見は 出なかったのだろうか。 数学教室の同僚諸君、覚悟はできているのか?ふっふっふ。
2004年9月7(火)
<<デュッセルドルフ>>
台風が近づいているせいか、昨日・今日と妙にベトベトした蒸し暑さが続く。
大きな地震も連日2、3回ずつ起こっているし、近畿地方は天変地異の大荒れ
状態である。自宅でこうやって日誌を書いていると、時折部屋がゆさゆさ揺れ
るのだが、それが台風の風によるものなのか、地震によるものなのか、よくわ
からないぐらいである。
昨日は天変地異にも負けずに、さらに夏風邪も押して野暮用にて京都を離 れ、今日の夕方頃帰ってきた。夏風邪のためか、別に眠いという感じではない のだけど頭がすこしぼんやりしていて、電車に乗って論文を眺め始めると、間 もなく気を失いいくらでも眠れる。体が休息を求めているのであろう。お腹の 調子もあまりよろしくない。1月程前、デュッセルドフルで元同僚Tさんと落 ち合った時も同じような症状だったから、あの時も夏風邪をひいていたのだろ う。
そういえば、あの日のデュッセルドルフが今でも美しく思い出されるのは、 Tさんと再会できたのがよほど嬉しかったからだろうと思う。再会の嬉しさの 背景には、おそらく「失望」問題が関係していることは間違い無く、「地獄で 仏」のように思えたからであろう。こういう所ではあまり詳しく書けないけれ ど、今のHerzog先生は3年前のHerzog先生とは全く別人と言っても良いほど変 わってしまっているように私には思える。この事が事前にわかっていれば、私 は決して今回のサバティカルの滞在地を、エッセンにはしなかったであろう。 そして、現地でもこの変化を正しく理解できなかったが故に「失望」問題に陥 り、心に想像以上の深手を負ったようである。今も、夏風邪でぼんやりした頭 ながら、エッセン大学でのおぞましい記憶が時折襲ってくる。これはちょっと 厄介だな。
夜も何となく某論文を眺めて、早めに寝る。
2004年9月5(日)
<<人生は短い?>>
午前中は60数ページのレクチャー・ノートの最初の数ページを眺め、午後は
山科駅前SBUXに行ったりしながら某論文を眺める。それにしても多くの数
学者は数学者としてのスタートを切ってから数年ぐらいで自分の土俵を固め、
以後基本的にはその土俵の中で、あるいは、土俵の中に軸足を置いて研究を続
け、年を追うごとに自分の土俵やその周辺への理解を深め、研究内容も深まっ
ていくようである。私もあちこちつまみ食いのような事ばかりやってないで、
そろそろ自分の土俵を固める時期だと思い、今回のドイツ留学でその仕上げを
しようと思っていたのだが、またしても新しい話に手を出すこととなり、いつ
まで経っても素人のままという状態はまだまだ続きそうである。
ただ、気まぐれに色々な事に手を出しているようでいて、実は自分の心の 中では全て -- 数学のみならず計算機屋時代にやっていたことまで遡って-- がちゃんと繋がっており、さらには、元々自分がやりたかった事に一歩一歩近 づいているという風に思ってはいるのだ。しかし、その「一歩一歩」というの が、最短コース一直線でないところが問題といえば問題である。人生は短いの にそんな暢気な事をやっていて良いのか。良いとは思っていないし、好き好ん で最短コースを避けている訳でもないのだが、図らずしもそうなってしまうの だからしょうがないのである。
しかし、Herzog先生のように、「人生は短い」と過剰に意識して、暢気な 事はやってられない、すぐに手がつけられそうな問題だけを考え、すぐに出て くるアイディアだけ追いかけ、既に良く知っている知識だけで考え、それ以外 のものは極力避けて通ろうなんて思い始めたら、もうオシマイだと思う。まあ、 Herzog先生は一流の数学者だから、今持っているものを全部吐き出すだけという” 店じまい出血大バーゲン”みたいな事をやっても十分立派な仕事ができるのだ ろうし、そうすることが特別な才能に恵まれた数学者としての最後の務め、人類 文化に対する義務という風に考えているのかも知れない。しかし、私はそういう のを「数学者として偉い」とは思うけれど「尊敬に値する数学者」だとは思えないな。 有限の人生を前にしても、永遠の 未来に対して常に開かれた心を持って数学に臨めるように、修行を積んで行きたい と思う。
2004年9月4(土)
<<不良債権>>
ハーツホーンも予定していた部分はほぼ読み終えたので、自宅で寝っ転がりな
がら、あるいは、山科駅前SBUXでコーヒーをすすりながら某論文を眺める。
色々面白い事が書かれているのだけど、もうひとつよくわからない。それ以外
に2,3眺めたい論文やレクチャー・ノートがあって、それらの内容を見て、
今後の方向を探りたいと思っているのだけど、なかなか大変そうである。これ
とは関係無い話で、エッセンでやり残した仕事やエッセンに行く前にやり残し
た仕事(それらのほとんどが不良債権化した話であるところが頭痛の種)など、
色々あるのだけど、まだやる気が起きない。そりゃあ、不良債権処理よりも、
未来の展望を探る話の方が夢があるからね。
そういえば、当時既に不良債権化し始めていた話に何とか解決のヒントは 得られないかと思ってHerzog先生の所に行ったのだけど、解決のヒントどころ か、別の不良債権を押し付けられて帰ってきたというわけだ。また腹が立って くるとしんどいので、これ以上この問題について考えるのは、やめておこう。
2004年9月3(金)
<<再度煮えくり返る>>
午前中は色々野暮用。昼から出勤。ドイツに持っていった、ブートに5分もか
かる超あほPCの設定変更をして、大学の部屋でメイル等が使えるようにした
上で、いくつかメイルを出す。おぞましいエッセン大学の記憶はサクサク消し
ちまおうぜ!と、現地での設定を消去しているうちに、間違えて、エッセン大
学に居た時に受信したメイルを全消去してしまった!ただし、送信したメイル
は何とか残った。まあ、向こうから送られてきて返事をしなかったメイルとい
うのは、消えてしまっても差し支えなかろう。PCの設定をしたり、出張の書
類を書いたり、図書館で本を借りたり、論文をコピーしたりしているうちに夕
方。雑用しているとどんどん時間が経つな。
本日昼過ぎ、BKCキャンパスの中を、浮遊するタツノオトシゴのような 歩き方で、何故か西に向かっていたK川先生をはじめ、日誌の読者の方々から 「今回(のドイツ滞在)は大変だったみたいですね」とか「数学的には残念な 結果に終わったみたいですね」等々いろいろ労いの言葉を頂戴する。確かにそ れは嬉しいのだけど、また色々思い出してしまって、沈静化の方向に向かって いたハラワタが再度煮えくり返って来てしまう。まあ、ここで十分煮えくり返 して膿を出しておかないと後でトラウマになったら厄介だし、それはそれ で良い事なのだろうけどね。
2004年9月2(木)
<<影響>>
朝から頼まれ仕事のPCの設定。昼食を挟んで夕方頃までかかる。昼食はドイ
ツから少しだけ持ち帰ったリゾット米を使ってリゾットを作ってみた。大丸に
はリゾット米が売ってなかったので、明治屋でもあたってみようかと思ったり
もしたが、結局日本で食べている普通の米はすべてリゾット米なんじゃないかっ
て気もする。今度試してみようと思う。
夕方は山科駅前SBUX。代数幾何学の論文とハーツホーンの教科書を交 互に眺めてすごす。夜は久しぶりにラクト・スポーツクラブ。半年ぐらいご無 沙汰しているうちに新しいトレーニング・マシンが沢山入っていて、フロアの レイアウトもずいぶん変わっていた。久しぶりの運動なので、今日は軽く流す 程度。
「失望」問題の影響で、「しばらくドイツはもうええわ」と当面距離を置 きたい気分に支配されているのだが、失望の範囲がHerzog先生だけなのか、ド イツ全体にまで深く及んでいるのかが、自分でもまだわからない。今言えるこ とは、(ドイツに限らず)ヨーロッパで広く販売されている炭酸ガス入りの水 が恋しくて、暑い暑いと言っては1リットル100円ぐらいで売っているガス 入りの水をガブガブ飲めたドイツでの生活も悪くは無かったなということ、そ して、バケツ・スポンジ・ワイパーの三種の神器を使った講義に対する情熱が、 一時的な現象かも知れないけれど、半減してしまっていること。
もう一つはドイツ語まで嫌いになったわけでも無さそうだということ。今回の ドイツ滞在の最初にHerzog先生から、語学の練習になるだろうから二人の間では ドイツ語で話すことにしようかとの提案があったが、私は聞き取りが全然駄目だし (貴方はせっかちな人間なので余計こちらが焦ってしまうから)英語でいいですと 答えたのは、今となっては正解だったと思う。ドイツ語とHerzog先生がリンクして しまうと、ドイツ語まで嫌いになってしまうからね。
2004年9月1(水)
<<心温まる会話>>
昼過ぎに久しぶりに立命館大学に出勤。数物事務室で溜まりに溜まった郵便物
を整理して、自分の部屋から必要な文献を持ち出したらすぐに帰ろうかと思っていた
が、偶然O坂先生と会って1時間以上立ち話。
「高山さん、今度もまたドイツの体験談を本にするんですか?」
「しませんよ、向こうの大学や先生の悪口ばっかり書いてもしょうがないで
しょう」「え!?」というところから始まって、ドイツの社会や大学の様子とか、
アメリカが自由の国なんていうのはやっぱり虚妄だとか、次に外国に行けるチャンスが
あったら何処へ行こうか等々。それから話が飛んで、私には単なる法螺吹き親父
にしか見えないグロモフが何故エライのかとか、確率論は立命館大学数学教室のみなら
ず数学のあらゆる分野を制覇しつつあるとか、可換環論に夢はあるのか等々そ
れぞれの専門領域の最近の様子など。心温まる会話というのはこういうものだ
とういう、お手本のような会話であった。