の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2005年8月31日(水)
<<安全確実>>
8月最後の日の午後は教室会議。会議開始後3時間を過ぎても議論は同じ所を
ぐるぐる回っているだけなので、先の見えない議論が大嫌いな偏屈爺の私としてはキレ
るしかない。皆さんどうぞ一晩中ぐるぐる回ってて下さいと自主退散。部屋でし
ばし雑用の後帰宅。
小谷野敦「帰ってきたもてない男 --- 女性嫌悪を超えて」(ちくま新書) 購入。前著「もてない男」(ちくま新書)を読んだとき、こんな個人的恨みツ ラミと人間世界についての陳腐な(小谷野によれば”世間の多くの人々にとっ てはそうでもない”らしいのだが)事実をくだぐだ書いて本に出すのが文芸評 論家の仕事なのかと思ったが、小説や映画や色々な言論人の言説を引用批判し ながら論を展開するという、「肉付け」の仕方が文芸評論家的なのであろう。 実際、この小谷野節とも呼べる「肉付け」の部分が面白い。時に毒を含んだ、身 も蓋も無い言い回しも私好みである。さらに、言わんとする所は大筋に おいては至極当たり前に思える事ばかりなので「んな事あるか。何言ってやがるん だ、こいつは。ほんま、どつい たろか!」と腹が立って後で勉強できなくなる心配はほとんど無い。となれば、 安全確実、ローリスク・ハイリターンで楽しめる本として、続編「帰ってき た...」にも思わず手が伸びるというわけ。
2005年8月30日(火)
<<諦めた!>>
終日ぐずついた天気。夕方、雨の中を山科駅前近辺に野暮用に出た以外は、終
日自宅にて夏休みの宿題(その1)の仕上げ。TeXノートはとりあえず終了。
今日のところはもう阿呆ミスは無いと希望的観測しておくが、また再チェック
することであろう。それにしても夏休みの終わりまでに宿題(その2)ぐらい
は目処を立てたいものだ。宿題(その3)以降はもう諦めた。そんなにテキパ
キ仕事はできまへん!
2005年8月29日(月)
<<選択の問題>>
夏休みの終盤は宿題に追われるものというのが、世間の相場である。午前中に
歯医者などの野暮用を済まし、午後は自宅で夏休みの宿題(その1)の追い込
みに励む。途中山科駅前近辺まで散歩がてらに野暮用。
東京の方の話らしいが、自宅の庭で汚物の強烈な悪臭をせっせと作り出し 近所に嫌がらせを続けている男のニュースが流れていた。近隣住民の被害は 甚大で、千人以上 の署名を集めて警察や行政に陳情するも、直接それを取り締まる法律がなく、 公法関係はまるで駄目。民事訴訟を起こしても、せいぜい一時的な効果しか期 待できないという。つまり、悪臭男の行為は合法である。
私はここで、2年以上にわたり日夜悪臭生産に励む男や近隣住民に対して、 どうのこうの意見を述べる積もりはない。ただ、日本というのは、他人の平和 に生活する権利を踏みにじる自由が最大限に保障されている国なんだなと、し みじみ思うのだ(ちなみに今日は、他人が平和に生活する権利を踏みにじる 自由を認めるのなら、同時に、その権利を踏みにじる人間の家にミサイルを ぶち込む権利も認めよ!式の私好みの議論には立ち入らない)。 そんな国は真っ平である。しかし、そういう国であることを 選択しているのは、他ならぬ(私以外の、と言いたいのだけど)日本人ではな いか、と。
日本人は近隣騒音や悪臭に対して極めて寛容な国民で、狭苦しい土地にひ しめき合って暮らしているのだからお互いさま、人それぞれに感じ方に個人差 があるのだから、いちいち目くじら立てないで一番鈍感で何も感じない人達に 合わせて生きていきなさい、法律で取り締まるなんてそこまでしなくても、と いう意見が大勢を占めているようである。だから、今だに「直接それを取り締 まる法律」は無いし、それを制定せよという国民の声もほとんど聞かない。
立法関係者も判で押したように「騒音や悪 臭の被害は主観的要素が強いから法律で一律に禁じるのは難しい」云々ともっ ともらしい事を言う。しかし立法なんて、その気になればどんな滅茶苦茶な法 律だって成立させることが出来ることを思うと、単に刑事政策の問題を立法技術の 問題にすり替えて言い訳しているだけだとわかる。 もっとも、立法関係者が言い訳などして消極的態度に終始しているのは、 国民の声がほとんど無いからだろうから、結局は一般の日本国民の選択の 問題なのである。
悪臭生産男とか24時間ラジカセ騒音女とかの存在は貴重である。今の日 本は合法的に開き直ればどんな事だってできるし、開き直ったからと言って別 にどうってことも無く、健やかで平和な生活を続けることができる。その事に 既に気づいている人は少なくないであろう。「じゃあ、自分も開き直ってやろ うか」と。「いちいち目くじら立てなくても」なんて言っていると、合法的に 開き直った人達に対して全く対処の方法が無いという現実に気づかせてくれる のが、まさに彼らである。で、現実に気づいた皆さんは、何を思うのかしら。 私ならミサイルを、、、っと、今日は、やめとこう。
2005年8月28日(日)
<< schwarte Katz>>
終日何となく数学。先日発見した阿呆ミス修復に向けて、幾多の逃避行動を伴
いつつも、詰めの議論をしながらTeXノートの修正など。
夕食に初めてのドイツ白ワイン"Schwarte Katz (黒猫)"を飲んでみたのだ が、やや甘口。この味は覚えがあるぞ。そうだ、ドイツでちょっとしたパー ティーなどに好んで飲まれる Sekt (シャンペン) から炭酸を抜いたような味 だ。エッセン滞在中はHerzog 先生の「超高級品でない限りドイツワインは駄 目だ。飲むならイタリアワインが断然オススメだ」との強い勧めにより、スー パーで1本3〜400円ぐらいの安いイタリアワインばかり買って飲んでたのであ る。安くてもイタリアワインは、飲んでよし、料理酒にもよし、アルコール点 滴にもよし(意味不明か)。当然ドイツワインの味は知るよしもない。だか ら、一度飲んでみたかったというわけ。
Herzog亭で「Herzog vs 高山のリゾット競作パー ティ」をやった時、スーパーに買出しに行ったのだが、「ああ白ワインが必要 なのか。ワインならイタリア産に限るぞ。うむ、料理酒にするならこれぐらい が適当だろう。これにしとけ」「はあ。でも、料理の本にはtrokenen Wein (辛口ワイン)を使えとか書いてありますけど。これ、甘口なんてことはないで しょうね」「甘口?
んなもん、辛口に決まってるがな!
2005年8月27日(土)
<<自己肯定ズブズブ>>
午前は自宅で野暮用。午後は山科区内で野暮用。夜はスポーツクラブ。
とか何とか言ってるけど、
ダラクしてる場合かよ!!(怒)
ところで、20代の頃は毎日のように機関銃乱射の妄想に囚われていたよ うに思う。何かしら遠くにあるはっきりしない標的に向けて、何百発何千発と 乱射する様を頭に思い浮かべがら眠りにつく日々であった。これを心理学者は どう分析するのか知らないけれど、人生に立ちはだかる、主に自分自身に ついての思うにまかせない状況を何とか打破したいという気分が、意識となって 現れていたのではないかと思う。つまり、「はっきりしない標的」とは、自分 自身のことだったのであろう。
その後、所謂「中年の危機」を乗り越えて、自己肯定ズブズブの脂っ濃く もふてぶてしいオッサン的人生観を獲得するに伴い、この妄想は昔話のように なってしまっていたのだが、最近また同じ妄想に囚われる事がある。それはボ ケの進行によって、わけのわからない小学生の男の子の精神レベルまで退化す る途中経過として、20代の精神構造に「赤ちゃん返り」しているのかという と、そうでもなくて、20代のそれとは本質的に異なるもののようである。ゴ ミ糞数学者!とか日記に自虐ネタ書いて喜んでるぐらいだから、自己肯定ズブ ズブは相変わらず揺るぎない。したがって、今の標的は自分自身以外のものである。 それは一体何か?ま、どうせ妄想なんだから、それは内緒。
2005年8月26日(金)
<<野放しにされた精神>>
大学院入試の採点をするために、朝から出勤。午後は院試の面接、合否判定そ
の他。午後の比較的早い時間に終了。その後、研究室で夏休みの宿題(その1)
を見直す。予想通り阿呆ミスが見つかり、修復方法を色々考えている間に一日
が終わる。まあ、考える事があるということは良いことだけどね。しかし、
夏休みは終盤にさしかかっているのに、なかなか宿題が終わらないな。
それにしても、たまに大学に行ってほんの2,3時間ではあるが同僚など に会うと、バンジージャンプへの衝動とまでは行かないまでも、何だか知らな いけどムカムカと腹が立つような、頭の中が騒々しくなるのは何故かしら。別 に同僚に悪辣な人間が居て、彼または彼女の横暴が目に余るとか、そういう話 ではないのだが。
やはり加齢にともなう偏屈爺化が加速度的に進行しているようで、精神が 野放しにされた短い夏休み期間に、一時的に激しく悪化しているためかも知れ ない。野生の熊が人間界に紛れ込んでしまい、興奮しているようなものであろ う。そのうち夏休みが終わって人間界に慣れれば、自然と治るさ(と思うんだ けど)。と、ここで「嗚呼、私は熊になりたい!」と心にも無い事を書いてみ る。
2005年8月25日(木)
<<柄にも無い気分>>
午前中は自宅で野暮用、昼前出勤。昼食後、院生O君とホモロジー代数ゼミ。
夕方終了。少し雑用をして京都駅へ。帰りのバスの中に、愛!地球博の「もり
ぞう」さんこと、野望と戦略の策士A堀先生が学生らしき人と一緒にいた。「私は”
もりぞう”さんを見る度に、A堀先生の事を思い出しています」「そうですか。
それは光栄です」といった会話を交わす。
京都駅近辺で適当に夕食をとり、サンリオショップでハローキティーグッ ズを冷やかし、アバンティー・ブックセンターをふらついてから帰宅。夏休み の宿題(その1)は放置、(その2)は夕食時にちょっとだけ某論文の具体例 を眺めただけ。ここ数日は、たるんどるな。どこからともなく妙に真面目腐っ たお兄さんがやってきて、「堕落した奴!」とブスリとやられるのではないか と気が気でない。
さて今日は中村紘子「コンクールでお会いしましょう」(中央公論社) から、いくつかの 文章を引用する。
2005年8月24日(水)
<<ありえない!>>
夜更し朝寝坊の癖を直そうと、今日はいつもより1時間早く起きたものの、眠
くてあまり頭が働かない。午前中は野暮用の後、ドイツ語のニュースサイトを
冷やかして終わる。その後、溜まっていた雑用を片付けるため、昼頃出勤。夕
方雑用終了。生協喫茶でアイスコーヒーを飲みながら、宿題(その1)メモを
少しだけ見直す。夜は何だかんだやっているうちに、数学無しで終わってしまっ
た。
ところで、昨日は音楽家と数学者の類似性を考えたけれど、今日は相違点 について。仮に私が数学界のスーパースターとして綺羅星の如く輝いていたと しよう。そしたら、私には数多くのファンがつき、私が新しい定理を発見すれ ば、その研究発表会に多くのファンが馬鹿高いチケットを買って押し寄せ、高 山大先生講演シリーズのDVD「ホモロジー予想とp進ホッジ理論の麗しき邂 逅」とか「正標数代数多様体における特異点解消定理と密着閉包理論の黄昏」 とかがミリオン・セラーになる。。。なんて事は絶対ありえない! 念のため注意しておくが、これは、あのゴミ糞数学者高山が数学界のスーパー スターなんて、そんなのありえない!という話ではなく、たとえフィールズ賞 受賞者だって誰だって、お金を払ってまでその人の数学を楽しみ、喝采を惜し まない一般人のファンがつくなんて事はありえない、という意味である。その 辺が数学の悲しさである。「今はコンピュータがあるから数学者なんて時代遅 れだ」式の馬鹿気た理由で、あちこちの大学の伝統も実績もある数学科が有無を言わさずに潰され ても、数学者以外は誰も味方にはなってくれないのは、その辺の事情があるか らだと思う。
2005年8月23日(火)
<<後が大変>>
午前中は銀行や郵便局回りなど。午後は、夕方の山科駅前近辺野暮用およびS
BUX休憩を挟んで、宿題(その1)の纏め。とりあえず阿呆ミスは見つから
ず。単に見つからないだけかも知れないし、致命的阿呆ミスは無くても、よく
考えてみれば「それが出来たところで、特に何の問題も解決されていない」事
が判明するかも知れない。また、しばらく寝かしておいてからもう一度見直す
か。
最近、NHK教育テレビのスーパーピアノレッスンという番組をちょくちょ く見ている。8、9月はジャン・マルク・ルイサダというフランスを代表する (らしい)ピアニストが、一人の生徒にショパンのレッスンをしていて、番組 の最後にルイサダ先生の模範演奏が入る。私は楽しく見ているのだが、思えば クラシック音楽を志す人というのは、偉い先生に習うためにヨーロッパくんだ りまで出掛けて行って、先生にフランス語だのドイツ語だので何やかんや難し い事を言われながらレッスンしてもらって、コンクールにも出て競争して、そ れでもって成功するのはほんの一握りってわけだ。本人達はどう思ってるのか 知らないけれど、傍目には考えただけでも胸が苦しくなりそうな話である。大 体、音楽家、将棋指し、数学者への道は、険しいなんてもんじゃ済まないな。 と、非正規ルートでウマウマと数学者に収まった高山は思うのでありました。 でも、私みたいに、大した才能も無いのに苦労無しで運と勢いだけで数学者に なると、後が大変なのよ。
2005年8月22日(月)
<<読まずに溜息>>
そういえばもう秋の気配がしている。去年の日本は猛烈な暑さだったそうだけ
ど、私はドイツに居たから知らなかった。今年の日本の夏はそれ程暑いとは感
じなかった。それはダイエットで脂肪層が5kg以上減ったからかしら。
今日も昼前まで起きられず。午後は自宅や河原町三条近辺をふらつきなが ら数学。今日で夏休みの宿題(その1)問題も、ようやく解けたのじゃないかとい う気がするのだけど。私としては、夏休みの宿題(その2)が手付かず状態なので、 早く宿題(その1)に目処を立てたいところ。TeXで纏めながらもう一度確認する ことにしよう。しかし、こういう時は大抵阿呆ミスが見つかって振り出しに戻 るものなんだけどね。
河原町三条ブックファーストで、 中村紘子「コンクールでお会いしましょ う」(中央公論社)を購入。演奏家の経歴紹介には必ず、なんとかコンクール 何位入賞とかというのが、これでもかこれでもかと書かれていて、しかもコン クールも色々なのがあって、何が何だかわからない。そりゃあコンクールと名 の付くものに入賞すればエライんだろうけど、入賞しないからエラクないわけ ではないかも知れない。あるいは、コンクールにもメジャーなものとマイナー なものがあって、同業者同士相手の経歴を見て、Aコンクール優勝で、Bコン クール4位か、まあ、Aコンクール優勝なんて大した事はないし、こいつがB コンクールで4位なんて出来すぎた話で、多分マグレか審査員にうまく根回し したんでしょう式の意地悪な値踏みをし合ったりするのかしら。どのコンクー ルに優勝してデビューを果たすかが、演奏家としてのキャリアの出発点として 決定的な意味を持つのかも知れないし、そうでもないのかも知れない。若い音 楽家の就職問題を憂えた大御所達が、コンクールを沢山企画して優勝者を量産 し、レコード会社やファンの目に留まりやすくしようと画策する、なんてこと はあるのかしら。
一体演奏家にとってコンクールとは何なのか。私としては何となく、コン クールにしのぎを削る演奏者というシンドソウな図を勝手に想像して、まだこ の本を1ページも読んでないうちから溜息をついているのだが。
2005年8月21日(日)
<<熱い場面>>
昨日は数学を考えすぎて夜更し。今日は昼前まで寝ていた。午後は野暮用と数
学がないまぜになった、いつもの一日。夕食後は何となく勢いでテレビドラマ
などを見てしまう。
昼食に近所のスーパー店で買ってきた太巻をふと見ると、 人体の不思議展で見た人間の腹部の輪切りにそっくり。ははーん。この人 は内臓脂肪は少ないけれど、皮下脂肪の層がたっぷりあるから、中年女性かな。 この干瓢みたいなのが小腸で椎茸みたいに見えるのが肝臓みたいだけど、肝臓 に萎縮が見られるのは何かしらねえ。それで、この卵焼きみたいなのが胃で、 そういえばこの人参みたいなのが大動脈かな。でも大動脈、ちょっと大き過ぎ やしないか?腹部大動脈溜かしら。それともこの歯応えからすると閉塞性大動 脈硬化症かしら。あれ?それじゃあ脊柱は何処だろう?この人、背骨ねーじゃ ねーか(太巻に背骨があったら大変だけどね)!?それにしても、美味いなあ。 もぐもぐ。
夕方頃、ほとんど誰も路上に居ない静かな住宅街で、某政党の人が演説を していた。居るか居ないか聞いてるか聞いてないかよくわからない、家の中の 人に向って何かを訴えている積もりであろう。近くの住民とおぼしき年配の女 性が出てきて、騒々しいから他所へ行けと苦情を言っていたが、「お世話になっ てます」と答えてそのまま演説を続ける。その前を不肖私めが、お魚くわえた 野良ネコのような顔して「ネコには人間の言葉なんて、わかんないもんねー」 とばかりにヒトヒトと通り過ぎるも、構わず演説。うーむ、立派だ。大学教師 もこうでなくっちゃあいけないな。「伝説の講義」がいつの間にかミュートなっ てしまうとか、瞬間最大爆睡率95%でヤになっちまうとか言って、イジケテ いるようじゃあまだ修行が足りない。構わず演説、構わず講義。21世紀の 大学教師はこのぐらいの神経持ってないと、やってけない。
ところで、 夜見たテレビドラマというのは、何故か録画されていたWater Boys 2005夏 . ここ数年の傾向だが、私は、主人公達の行いに多くの人達が共感・熱 狂して喝采や賞賛を惜しむことなく贈ったり、あるいは、仲間同士が力を合わせて 困難な仕事を成し遂げ心の底から喜び合い祝福し合うといった、 人々の心が一つになるという熱い場 面に滅法弱く、涙腺がほとんど壊れてしまうのである。Water Boys はよく出 来た素晴らしいドラマだったと思うけれど、もっと安っぽいつまらないドラマ でも、そういうシーンが出てくると、パブロフ犬のようにきっちり反応してし まう。意外と涙もろい偏屈爺。これは加齢に伴う人格崩壊過程 の一貫なのか。
「皆の心が一つになる熱い場面」は現実の世界でそう度々訪れるものでは ないが、私の中学時代は割合そういうものに恵まれていたような気がする。そ れ以後はさっぱりだな。学校でも職場でも、チャンスは何回かあったのだけど、 何せ人間がひねくれているから、折角のチャンスをものにできなかった。結局、 偏屈爺への道をまっしぐらってわけ。心がけの悪いひねくれ少年ならまだ何と かなるかも知れないけど、偏屈爺の域に達してしまうと、もう駄目だな。ドラ マの熱いシーンで涙してしまうのは、何万光年果ての宇宙空間をあてどなく彷 徨う宇宙船の中で「地球か。何もかもが懐かしい」と呟くようなものかも知れ ない。そのくせ、普段は「地球なんて、どうなっちまったって構うもん か」って顔し て生きてんだぜ。
2005年8月20日(土)
<<それでオッケー>>
考える事が沢山あるというのは良いことである。しかし、一つの事を考え始め
るとそちらばかり愚図愚図考えてしまって、並行して考えておきたい別のテーマ
に手が回らない、正確に言えば「頭が回らない」。もっと優先度が低いほ
とんど不良債権処理みたいな仕事は、夏休みにでも何とか手をつけようかと思っ
ていたけれど、完全に放置されている。とにかく数学の並列処理は難しい。
よく偉い先生などが、複数の数学者と別々の共同研究を同時進行させている
けれど、私の頭はあんな風には出来ていない。まあ、いいや。
私は今日明日楽しければそれで良いという刹那主
義者なので、その日その時考える事があれば、とりあえずそれでオッケーである。
本日終日何となく数学。夜はスポーツクラブ。ロードランナーで走りながらも、
何となく数学を考えてしまう。帰宅後も愚図愚図と「ロードランナー」の続きを考える。
2005年8月19日(金)
<<ちぐはぐ?>>
終日、何となく数学。それまであまり関心を持っていなかった、既知の結果を
色々調べる。その合間に高校野球の試合も少し見た。夕方、散歩がてらに山科
駅近辺へ野暮用とSBUX。
衆議院解散総選挙の事で騒がしい。メディアのアンケート調査によれば、 日本国民は郵政民営化の問題よりも大切な政策課題が沢山あると深く認識して いるそうである。その一方で、郵政民営化の問題しか眼中に無いとされてい る政府に対する支持率が高まり、郵政民営化の問題よりも大切な政策課題が沢 山あると訴えている政党などへの支持は下がっているそうである。これは一体 何なのか。
日本国民とは何なのか?私は甘い物が好きですと言いながら饅頭には目も くれず塩煎餅に手を伸ばしている図や、ダイエットしなくっちゃと思ってるん ですと言いながら食後のデザートの巨大アイスクリームがやめられない図とか、 わーっ!またシステムがトラブルった!あーあ、今日も徹夜だ。たまにはゆっ くり寝たいよー!と嘆きながらも目だけは嬉しそうに爛爛と輝いているシステ ム管理者の図とか、講義中に寝てばかりいるくせに試験ではちゃんと合格点を 取る学生の図とか、NHKの子供番組に出てくる自分は鼠だと思っている猫 「にゃんチュー」君とか、ひとつの定理の証明と反例の両方を示した 論文を提出する数学者等等、 近頃の私は色々なものを連想しては首をかしげてい る。アンケート調査の方法が悪いのか、単に私の物の見方が浅いだけなのか。 今回に限らず、国政選挙のたびに「言ってる事とやってる事がちぐはぐな日本 国民」のイメージに悩まされる。
2005年8月18日(木)
<<想定の範囲内>>
雑用のため、ドイツ語の本などを読みながら昼頃出勤。夕方近くに雑用終了。
おもむろに数学でもと、生協喫茶シーキューブでアイスコーヒーを飲みながら、
先日寝かせておいたTeXのメモを読み返して間違い探し。と、いきなり間違い
を発見し、せいぜい特殊な場合にしか問題が解けてない事が判明。そのまま夜
中まで色々考えたものの、一般の場合の攻め方は皆目わからず。ま、こういう
ことは想定の範囲内だけどさ。
2005年8月17日(水)
<<極めてノーマル>>
予定よりも早く事が片付いたので、一日早く夕方頃京都に戻る。昨日の昼に鰻
を食べ過ぎて、少し胃腸の調子を崩した模様。2,3日数学と京都を離れて、
疲れて眠いことも手伝ってか、
まだ何となく数学に戻る気が起こらず、居眠りをしたり、ドイツ語の本やCD
の解説などを読んだりして過ごす。
スペースシャトルに乗っていた野口さんは地球に戻って来た直後は、明日 にでもまた宇宙に行きたいというような事を言っていたけれど、それに似たよ うな気分。2,3日後の野口さんは、日本に帰って温泉で酒飲みたいなどと、 極めてノーマルな発言をするようになったようだが、私もそのうち数学やって 日々を過ごしたいという極めてノーマルな事を思うようになることであろう。