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よ け ス ペ ー ス で す。

2006年2月15日(水)
<<六人組・五人組・四人組>>
自宅にて研究日。論文コピーの山と格闘しながら、「干乾びた研究ノート」改 訂作業など。途中山科駅前近辺を2度ほどふらつく。1度目は昼間の散歩、2 度目は夜のスポーツ・クラブ。

数学の友は、ペーター・シュミードルのクラリネットでクラリネット・ソ ナタ(ブラームス)や幻想小曲集(シューマン)に始まり、藤原真理のチェロ で無伴奏チェロ組曲(バッハ)、トン・コープマンのチェンバロで平均律クラ ヴィーア曲集第2巻(バッハ)。ムスティスラス・ロストポーヴィチのチェロ でアルペジオーネ・ソナタ(シューベルト)、5つの民謡風の小品集(シュー マン)、チェロ・ソナタ(ドビュッシー)などを経て、ポール・メイエの「フ レンチ・クラリネット・アート」でサン=サーンス、ショーソン、ドビュッ シー、ミヨー、プーランク、オネゲルと乱れ聴き。うーん、やっぱりポール・ メイエは、いい。そして勿論最後は、イタリ ア組曲2回聴きで締める。

オネゲル(Arthur Honegger)、ミヨー(Darius Milhaud)、プーランク (Francis Poulenc)にさらにオーリック(Georges Auric)、デュレ(Louis Durey)、タイユフェール(Germanie Tailleferre) を加えて、六人組(Les Six) と呼ぶそうだ。第一次世界大戦後パリで結成された、エリック・サティのぱく りを目的。。。否、サティの音楽を「よりどころとした」(広辞苑)作曲家集 団なのだそうだ。どうりで。とか何とか悪口めいた事を書いているけれど、本 当はサティが書かなかったクラリネット曲を書いた彼らは、エライと思ってい るのだ。

それにしても、「俺たちは六人組だぜ」とか自分から称してツルんで活動 するなんて、何だかフランス人っぽく無いけれど、六人組という名前は某批評 家が新聞記事の中で嘲てロシアの五人組をもじって(まさか中国の四人組をも じったのではあるまいが)命名したのが起源だそうだ。そういう意味では、絵 画の「印象派」というのと同じ。そこで問題。六人組、五人組、四人組のうち、 作曲家と無関係なものはどれでしょう?

2006年2月14日(火)
<<それは、また別の問題>>
午後一杯会議。その合間合間に代数の教科書で、必要に迫られた割合基本的な 理論のお勉強。いい機会なので、ドイツ語の教科書で勉強してみる。通勤の友 は、タチヤーナ・ヴァシリエヴァのチェロでアルペジオーネ・ソナタ(シュー ベルト)とイタリア組曲(ストラヴィンスキー)、および、ポール・メイエと エリック・ル・サージュの「フレンチ・クラリネット・アート」。

夜は「干乾びた研究ノート」の改訂作業など。数学の友は、鈴木雅明版と バレンボイム版のゴールドベルク変奏曲の聞き比べ。先日買ったゴールドベル ク変奏曲の楽譜は机に積み上げたまま(だって、さっぱり分かんないんだもん)。 ついでにバレンボイムのピアノでディアベッリの主題による33の変奏曲 作品120(ベートーヴェン)。やっぱりベートヴェン節ってのがあるみ たいで、独特の透明感の後にほんの少しドロリとした後味が残るところなど、 「あー、これ、やっぱりベートヴェンだな」って気がしてくるのは、単なる気 のせい?私、この後味の灰汁の強さゆえに、ベートヴェン中毒にならずに 済んでるんですけど。

そこで今日の疑問:一拍の長さにメートル原器のような国際基準は無く、 演奏家の体内時計によってそれぞれ決まっているそうである。鈴木雅明のゴー ルドベルク変奏曲の演奏時間はバレンボイムよりも短いので、鈴木雅明の一拍 よりもバレンボイムの一拍の方が短いと思われる。しかし、詳しく見てみると、 32の変奏曲の中には演奏時間が同じものや、バレンボイムの方が短いものも いくつか見られる。これはどう説明したら良いのか?

  1. 演奏家の体内時計の一拍の長さは、演奏中も含め色々な状況で変わりうる。
  2. 演奏家の体内時計の一拍の長さは不変だが、人間は機械じゃないから楽譜で 一拍分の長さと書かれているものを正確無比に演奏しているわけでもない。
  3. その他。
まあ、ちゃんと分かっている人から見れば、わざわざボールドの活字 を使ってまで騒ぐような事か?と思うような疑問なんだろうけどね。

学校時代、音楽は常に落ちこぼれだった。それは要するに、楽器の演奏だ けはまずまず出来たのだが、「楽典」が徹底的に分からず、「ソルフィージュ」 も自信が無かったということだ、と最近判明した。より正確に言えば、自分は 何が分からず何がうまく出来ないかは昔から自覚していたのだけど、それらに 「楽典」とか「ソルフィージュ」という名前が付いていることが判明したとい うこと。

ただ、それだけの事なのだが、漠然とした苦手意識を抱いている状態より も、ああ、自分は楽典とソルフィージュが駄目なんだなと名前付きで認識でき る状態の方が、精神衛生上好ましい。これは、どうも体の調子が悪く、どこの 病院にかかかっても原因がはっきりしなかった人が、ある医者に出会ってはっ きり病名が判明すると、それだけでほっとした気分になるというのにも似たよ うな話である。

良い音感と実技の訓練が必要なソルフィージュはともかくとして、楽典の 方はガリ勉で何とかなりそうだ。楽譜が読めるようになれば、それはさぞかし 愉快な人生ではなかろうか。「俺は英語もドイツ語もフランス語も数式も、そし て楽譜も読めるんだぞ!(人の心は読めないけどね)」とか何とか言ってみたいもの である。

それまでは、楽譜の読み方とか、それに関係する音楽の理論の本なんてど こをどう探せばよいのか見当がつかなかったのだが、名前がわかってしまうと、 じゃあ「楽典」と銘打った本を買ってきて勉強すればいいのだなという風に、 対処の方法が思い浮かぶというわけである。ということで先日、JEUGIA 三条本店でちょっと「楽典」の本を物色してみたのだが、音大受験生用参考書・ 問題集の類から分厚い専門書みたいのまで色々あって、その種類の多さに面食 らい、とりあえず退散。でも、またそのうちに適当なものを見つけたいなと思っ ている(でも、さぼらずにちゃんと「ガリ勉」するかどうかは、また別の問 題)。

今日も最後は「イタリア組曲」2回聴きの儀式で締める(予定)。

2006年2月13日(月)
<<干乾びた研究ノート>>
本日研究日。解決済みか?未解決超難問か?の判別がつかない問題の件につい て思いを巡らす。午後から京大数理研図書室へ。資料を借り出して京大生協で せっせとコピー。喫茶進々堂に立ち寄り関連部分を拾い読みをしているうちに、 どうやら「イタリア組曲」50回一気聴きは免れそうだとの確信が持ててきた。

夕方帰宅したら、ぶ厚いレクチャー・ノートの著者からメイルの返事が 届いていて、私が昼間たどり着いたのと同じ回答が書かれていた。この著者 は数年前にイタリアの会議で講演をしているのを聞いたけど、誠実そうな人な ので、ちゃんと返事が返ってくるだろうと信じていた。有り難や、有り難や。

昼間の数学の友は、ポール・メイエとエリック・ル・サージュの「フレン チ・クラリネット・アート」。このCDの最初に入っているサン=サーン スの「クラリネットとピアノのためのソナタ変ホ長調作品167」は、モー ツァルトの華麗さやブラームスやシューマンのアクの強さは無いけれど、しか しながらそこはかとなく漂うこの艶っぽさは、フランス文化の面目躍如といっ たところか。テーマになっているメロディーにはほろリとさせれられる。やは りクラリネットというのは、「ほろりとさせられる」か「ぐっと来る」かのど ちらかでなければいけません。

ところで、エリック・サティの作品のタイトルには面白いものが沢山ある けれど、以下、私のお気に入りを幾つか挙げてみる。

こういうインスピレーションに溢れた言葉に対しては、直ちに数学アナロジー を思いつくわけで、私の場合はさしずめ ってところかしら。ちなみに数学アナロジーの方のフランス語はかなりテキトー ですので、良い子は真似しないように。こうやってわが身を振り返ってみると、 私ってつくづく駄目な数学者なのよねー。まあ、いいんですけど。

夜は、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を友に、干乾びた研究ノートの 改訂作業を開始。そして一日の締めは、今日も執念の「イタリア組曲」2回聴 きで終える予定。

2006年2月12日(日)
<<「勿論、解決済み」?>>
入試採点期間最終日の今日も、某所に監禁されて朝から夕方までせっせとお仕 事。通勤の友はタチヤーナ・ヴァシリエヴァのチェロでアルペジオーネ・ソナ タ(シューベルト)とイタリア組曲(ストラヴィンスキー)、および、アルフ レート・プリンツのクラリネットでクラリネット・ソナタ(ブラームス)。

昼食時一緒になった若い先生と少し生臭い話していて、ああ自分はつくづ く自分の研究環境を如何に良好に確保するか?という事しか考えて無い人間な んだなということに、改めて気づかされた。でも、それって研究者にとって一 番大事な事だと思うけど。研究者って本来物凄いエゴイストなもんなのよ。

夜は少し数学。レクチャー・ノートや論文をいろいろひっくり返してみて も、どうもよくわからない。昨日とうとうレクチャー・ノートの本人に「私は この問題を考えようかと思っているのだが、これは解決済みか?」とメイルを 出し、目下返答待ち。答は「勿論、解決済み」か「否、未解決超難問のままで す。ほんの少しでも何かわかればもっけの幸いです」かのどちらかのはず。 「勿論、解決済みです」なんて返事が返ってきたら。。。まあ、自分のトロさを呪っ て「イタリア組曲」を50回ぐらい一気聴きするんでしょうな。

今日の数学の友はポール・メイエとアルフレート・プリンツのクラリネッ トでクラリネット協奏曲・五重奏曲(モーツァルト)。および、藤原真理のチェ ロで無伴奏チェロ組曲(バッハ)の一部。藤原真理はちょっと前に京都でコン サートをやったそうだけど、何せそういうチェリストが居る事は、コンサート の数日後にCDを買って初めて知ったってわけだから、当然関知せず。

そういえば3年ほど前、某コンサートで思わず椅子から転げ落ちそうにな るほど「滅茶苦茶うまい」ピアニストを発見して、これからはこの人の「追っ かけでもやってみようかしら」と日誌に書いた(2002年12月13日)多 川響子というピアニストは、今、大阪の某合唱団の専属ピアニストをやっている そうだ。あれから全然消息を聞かないけど、どうしたのかなと何となく 気にはしてたのだけど、今まで全然気づかなかったな。

そして今日も夢と希望のイタリア組曲2回聴きで一日を締めくくる。

2006年2月11日(土)
<<空の形をした定理>>
入試採点期間6日目の今日は、某所に監禁されて朝から夕方までせっせとお仕 事。1992年に今の大学に雇われて以来、2月11日の建国記念日は毎年入 試採点の書き入れ時である。

夕方から、また別のお仕事。夜は数学。通勤の友は鈴木雅明のチェンバロ で「ゴールドベルク変奏曲」。乗り物の中や路上は中低音の騒音が多いので、 無伴奏チェロ組曲などは、よほどヴォリュームを上げないとほとんど聞こえな いことがわかったので、高い音のものにしようか、と。数学の友は、やはりク ラリネットの曲を中心に、最後は今日も「イタリア組曲」2回聴きの儀式で終 わる(予定)。

昼休みにネットで色々調べていたのだが、生前はあまり評価されずに貧乏 ピアニストで終わったエリック・サティは、ピアノ曲とシャンソンは沢山書い たけれど、どうやらクラリネット曲は書いてないようだ。サティの曲に「梨の 形をした3つの小品」というのがあるが、これはドビュッシーに、あなたの曲 には形式というものが欠けていると批判されたのに対して作った曲だそうで、 「これで誰も形式が無いなどと言う者はいないだろう」と澄ましていたそうで ある。この話を知った時、私は感動のあまり5分ほど胸が熱くなった。

クラリネットの曲で「鳥の形をした4つの小品」というのがあるそうで、 私は曲のタイトル以上の事は何も知らないのだけど、こういう名前の付け方は 好きだ。じゃあ、次の論文のタイトルは「空の形をした5つの定理」で決まりだな。 内容はまだ考えてないけど。

冗談はさておき、また、ちょっとサティも聴いてみたくなってきたな、と、 とりあえずクラリネット界の貴公子ポール・メイエのクラリネットで、 サン=サーンス「クラリネットとピアノのためのソナタ変ホ長調作品167」 でちょっとほろりとしてから、例の 「サティのぱくり」曲を聴いてみる。

2006年2月10日(金)
<<無伴奏クラリネット組曲>>
入試採点期間5日目の今日は、朝からせっせとお仕事に励む。夜は数学。ぶ 厚いレクチャー・ノートに読み耽る。通勤 の友は、バッハの無伴奏チェロ組曲。数学の友は、頭がおかしくなるポール・メイ エの無伴奏クラリネット現代音楽集「クラリネットの至芸」とサティーのぱく りが盛り沢山の「フレンチ・クラリネット・アート」、テァ・キングとニコラ ス・バックナールのクラリネットで亜流モーツァルトのタウシュとズースマイ ヤのクラリネット協奏曲集、さらには2300円金返せ!ジルバース・ドゥ・ ペイエのアルペジオーネ・ソナタおよびシューマンの幻想小曲集その他。ペイ エの耳直しにアルフレート・プリンツのクラリネット五重奏曲(ブ ラームス)。そして最後は勿論執念のイタリア組曲2回聴きの儀式で締める。

今日の疑問その1:エリック・サティーのぱくり、ミヨー、プーランク、 オネゲルはちゃんとクラリネット用の曲を書いている。では、サティーはクラ リネット曲を書かなかったのか?

今日の疑問その2:所謂「現代音楽」ではないところの無伴奏クラリネッ ト組曲なるものは存在するか? 「所謂『現代音楽』でない」というとこ ろが大事である。「頭がおかしくならない曲で」と言い換えても良い。ジーク フリート・カルク=エーレントの無伴奏クラリネット・ソナタというのがある そうだが、これって「所謂『現代音楽』」じゃないかしら。名前しか知らないけど。

クラリネットは吹奏楽やオーケストラの一部として使われる楽器というに とどまらず、ソロ演奏に耐えるだけの豊かさと深さを持っているはずである。 しかるに、多くの演奏はピアノの伴奏付きか、弦楽器やピアノとの三重奏や五 重奏の形で行われるようである。ピアノのように単独で演奏会を開くなんてこ とは、それほど一般的ではないのではなかろうか。ゲーテのクラリネット奏者 氏も、クリスマス会での演奏にピアノの伴奏者を探してて、私などは「んなも ん、伴奏無しで独りで演奏すればいいじゃん」と思ってたのだが。

私はピアノとクラリネットの二重奏の形が一番好きだけど、そこをもう一 つ頑張って無伴奏組曲の決定版ぐらいは無いと、チェロに負けてしまうではな いか!?と、思わず意味不明の対抗意識に突っ走りたくなるのである。J.S. バッハの遺稿をもう一度よおーく探してみたら、ありました!世紀の大発見、 無伴奏クラリネット組曲!--- なんてことには、ならないよな。

2006年2月9日(木)
<<筋の悪い問いの立て方>>
入試採点期間4日目の今日は、あらかじめ予定された「採点休業日」。山科駅 前SBUXで昼食を兼ねて少しドイツ語のお勉強をしてから、ポール・メイエ とエリック・ル・サージュを通勤の友に出勤。

ポール・メイエとジルバーズ・ドゥ・ペイエのクラリネットの音の違いは、 微妙な違いに過ぎないといえばそうかも知れないけど、その微妙な違いがとて も大きな違いに感じることも確か。

ジルバーズ・ドゥ・ペイエ以外で、アルペジオーネ・ソナタのクラリネッ ト版CDが存在するのかどうか、ネットで検索してもよくわからないし、ゲー テのクラリネット奏者氏に聞いても「さあー」という回答。そこで問題。 「『アルペジオーネ・ソナタをクラリネットで演奏すると必ず貧相な曲になってし まう。』この命題は真か?そうでなければ反例を見つけよ。」愚問かしら。 結構マジなんですけど。

午後から5時間、院生O君のMatsumuraゼミ。どうもMatsu mura+Hartshorneゼミに発展しそうな勢いである。帰宅直前に ちょっとした雑用を仰せつかり、無伴奏チェロ組曲を通勤の友に自宅に持ち帰 る。

無伴奏チェロ組曲の中には、2年程前によく聴いていた福田進一のクラシッ ク・ギターとか、小中学校の音楽の授業の課題曲とか、チェロ以外の演奏で既に 聴き知っている曲も結構含まれていて、通常は「ばら売り」されているのだと知った。 では、クラリネット曲として「ばら売り」されているのか?は不明。たぶん 答はNO.それは何故なのか。

「バッハの時代にはクラリネットは存在しなかったから、バッハの曲はク ラリネット用には作られてない」というのがプロの間の通説的見解のようだが、 「そのように作られてないなら、そのように編曲し直せばいいじゃん」と簡単 に考えてしまうところが、私のような何も分からない人間の恐ろしいところなの かも知れない。そこで問題。「(クラリネット用に作られた曲を除いて)与えら れた任意の曲に対して、そのクラリネット用編曲がまともに成立しうるための必要十分条 件を求めよ。ただし、『まとも』の意味は『元の曲に比べて貧相にならない』 と定義する。」 この問題に明快な解って、あるのかしら?またまた愚問かしら。

この筋の悪い問いの立て方、私の数学のヘボさに通じるものがあるかも知 れない。。。でも、「自虐に走るのはやめよう」と決心したんだったな。 要するに、クラリネット編曲が好んで作られて演奏される曲とそうでない曲って、 何処が違うの?って事が知りたいだけなんだけど。

夜は仰せつかった雑用をやっつけた後、シア・キングとニコラス・バックナールの クラリネットを友に数学。亜流モーツァルトだけど、2本のクラリネットの掛 け合いが面白い。でも、「ドラマチック」じゃないんだよね。

そして、最後は今日も執念のイタリア組曲2回聴きで締める。

2006年2月8日(水)
<<サティーのぱくり>>
入試採点期間3日目の今日は何故か「失業」。これ幸いと研究日。自宅や街角 で、以前ざっと目を通しただけの分厚いレクチャー・ノートを精読。何かヒン トになるような事は書かれてないか、と。午後はJEUGIYA三条本店へ。 一気にCDを3つ(4枚)購入。夜は買ってきたCDを聴きながら、数学。

以下、本日購入したCDについて。

1枚目は、シア・キング(Thea King)と ニコラス・バックナール(Nicholas Buchnall) の クラリネットでフランツ・ウィルヘルム・タウシュ (Franz Wilhelm Tausch) とフランツ・ジュスマイヤー(Franz Xaver Süssmayr) のクラリネット協奏曲集1600円也。

先日ジルヴァース・ドゥ・ペイエの2300円金返せ!の貧相アルペジオー ネ・ソナタで痛い目に逢っているので、初めて聴くクラリネット演奏者のCD は、まず1000円台から様子を見ることにしている。この「英国クラリネッ ト界の女王」という触れ込みのシア・キングだが、ちょっと聴いてみたところ、 中低音の安定感は特に心地良く、全体的にしっかりした音を出していて悪くな い。悪くないけれど、それほどの感動も無い音色である。

それにしてもこのタウシュとジュスマイヤーの協奏曲って、何故こうも亜 流モーツァルトっぽいのかしら。亜流だから、モーツァルトの協奏曲みたいに 踊りたくなったりはしないのである。モーツァルトと同時代の作曲家のようだ から、この時代はこういう感じの曲が流行ってたのか。先月の「モーツァルト 嫌いの歪んだ根性」叩き直しプロジェクト以前だったら、こんな曲は即時に放 り出しているぞ。

2枚目。ポール・メイエのクラリネットとエリック・ル・サー ジュのピアノによる「フレンチ・クラリネット・アート」1050円也は 断然お買い得。ゲーテのクラリネット奏者氏にお借りしているCD「クラリネッ トの至芸」は、「至芸」のタイトル通りメイエの超絶技巧が凄い。しかし演奏 している曲が曲だけに、クラリネット奏者氏の「こんなのばかり聴いてたら、 頭がおかしくなりますから、ほどほどに」の忠告を待つまでもなく、1度聴いただけ で頭がおかしくなりそうだったので、今度こそはとの期待を込めた入魂の1枚。

さてこのCD、色々なフランスの作曲家の曲が入っているけど、ドビュッ シーは勿論知ってるとして、サン・サーンス、ショーソン、ミヨー、プーラン ク、ネオゲルって一体誰やねん?って感じ。ちょっと聴いてみたところ、ふく よかで広がりのあるメイエのクラリネット音色は期待通り。エリック・ル・サー ジュのピアノも、切れ味抜群って感じ。ミヨー、プランク、ネオゲルの曲は、 結構エリック・サティーの影響を受けてるみたいな感じだな。「あ、この部分、 サティーのぱくりじゃん!」って所がちょくちょくあるぞ。

最後は密かに狙っていたJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲(全曲)。ミー シャ・マイスキーの2枚組みだと5000円といった高飛車な値段が付いてる し、他の演奏者のものも3000円以下じゃあ売らないぞって感じ。良く知ら ない曲でその値段だとリスクが大きい。その中で、(若き日の)藤原真理 のチェロで2枚組1575円はたぶん超お買い得。ざっと聴いてみたとこ ろ、全体的に平均律クラヴィーア曲集第2巻(第1巻は聴いたことがない)的 だなって感じ。つまり深い曲だってことはわかるのだけど、ゴールドベルク変 奏曲や、シューベルトのアルペジオーネ・ソナタ、ブラームスのクラリネット・ ソナタ、五重奏曲、三重奏曲、あるいはシューマンの幻想小曲集、はてまたス トラヴィンスキーのイタリア組曲みたいに、ドラマチックじゃないのよね。 私、今、「ドラマチック」に飢えてます!

ドラマチックなやつをもう1枚!という積もりで今日JEUGIYAを漁っ たのだけど、その意味ではちょっと「外れ」だったかしら。ということで、今 日も最後は執念の(?)イタリア組曲2回聴きで締めようか、と。

2006年2月7日(火)
<<ペーター・シュミードル>>
クラリネット五重奏曲・三重奏曲(ブラームス)を通勤の友に、入試採点期間 2日目。途中、後期試験の追試として学生に口頭試問をしたり、短時間に慌て てPCにTeXをインストールしようとして失敗したり。色々やっているうち に夕方になり、帰宅。夜もほんの少し数学をして、あとは何となくわけのわか らないままに過ぎて行く。

ま、こういう日の終わりはペーター・シュミードルのクラリネット・ソナ タ(ブラームス)と幻想小曲集(シューマン)がよろしいかと。ペーター・シュ ミードルはCDで聴いていると、ちょっとプリンツを彷彿とさせる澄んだ音色 なのだが、コンサートで聴くとそれほどでも無いとか。1、2年前に日本 に来たらしいけど、今度は何時来るのかしら。ちなみに去年の4月頃に ポール・メイエが 来日してたらしいけど、その頃はまだクラリネットには目覚めてなかったってわけ。

しかし、やはり最後は夢と希望のイタリア組曲(ストラヴィンスキー)を、 今日も2回聴いてから寝ることにしよう。

2006年2月6日(月)
<<ロストロポーヴィチ>>
今日から一週間入試採点期間。採点作業から開放された夕方は、新しく買った PCの設定作業などの雑用。夜は数学。数学の友のひとつは、シューマンの 「5つの民謡風の小品集」作品102をムスティスラフ・ロストロポーヴィ チとミーシャ・マイスキーのチェロで聴き比べ。どこかでムスティスラフ・ロ ストロポーヴィチのチェロを「饒舌」と評してあったけど、うまいことを言 うものだ。饒舌なシューマンもいいけど、ドビュッシーの「チェロ・ソナタ」 は饒舌さにぴったりだと思う。

私の今のところのコンサート予算は高々5000円前後(ちなみにCD予算 は高々2300円前後)としているので、ミーシャ・マイス キーの大阪コンサート4000円〜12000円也はちょっと気が進まないな。 クラリネットのポール・メイエのコンサートなら、ちょっと奮発して聴きに行 こうかって気が起こるだろうけど。本当はアルフレート・プリンツのコンサー トがあれば行きたいけど、もう演奏者としては引退しているのが残念無念。 それにしても、クラリネットのコンサートって案外見つからないものである。

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチは、最近は指揮者として活躍して いるそうだ。CDのジャケットの写真は元気一杯の壮年期のものだが、今は結 構いいおじいちゃんになっているみたいである。ピアノのウラジミール・アシュ ケナージやダニエル・バレンボイムも、今は指揮者が中心みたいである。どう やら有名な演奏者が年を取ってから指揮者になる例が多そうだけど、それは何 故かしら。裁判官や検事が定年などで辞めてから弁護士業に転じるようなもの か。ちなみに検事あがりの弁護士を「ヤメ検」と呼ぶそうだが、ピアノ奏者、 チェロ奏者あがりの指揮者は何と呼ぶか。さしずめ「ヤメピ」「ヤメチェロ」 ってとこか。「ヤメチェロ」は酷いな。

最後は今日もストラヴィンスキー「イタリア組曲」で明日への夢と希望を 新たにして、一日を終える。

2006年2月5日(日)
<<自然に反している>>
午前中は自宅でゆっくりして、午後は山科区内で野暮用を色々。野暮用の友は、 アルフレート・プリンツのクラリネット・ソナタ(ブラームス)とポール・メ イエとプリンツのクラリネット協奏曲およびクラリネット五重奏曲(モーツァ ルト)。私の時代遅れのCDウオークマンのイヤホンを、多少は耳に優しいか しらと耳掛け型のヘッドホンに買い換えてみた。電車の中で轟音に負けないよ うにヴォリュームを上げるのは、やめにした。電車の中で音楽が聞こえないの は当然で、聞こえる方が自然に反している。ついでに、近視は風景がぼんやり 見えるのが当たり前で、それを眼鏡で矯正するのは自然に反している、とゲー テの顰に倣って眼鏡を外してみたら、不便でしょうがなかった。

夜は数学。ようやく去年の11月頃までに何を考えていたか整理できてき た。整理したら、実は凄い難問じゃないかと思ってた小さな疑問のひとつが氷 解した。何だ、こんなつまらない事だったのか、と。数学の友として、マイス キー&アルゲリッチ版、ロストロポーヴィチ&ブリテン版、シュミードル&カ ニーノ版のアルペジオーネ・ソナタやシューマンの幻想曲集などを乱れ聴きし、 最後は今日も夢と希望溢れるイタリア組曲で締める。

2006年2月4日(土)
<<希望の糧>>
寒い朝。ジルバーズ・ドウ・ペイエの、私には貧相に聞こえてならないアルペ ジオーネ・ソナタ(シューベルト)と幻想小曲集(シューマン)を聴いて自虐 的気分にどっぷり浸りながら、ゲーテへ。今日は冬学期の最終日。

今期のゲーテでほんの少しだけど、またドイツ語が上達したような気がす る。とはいうものの、教室では相変わらず滅茶苦茶なドイツ語を喋っていて、 「上達」の正体は、以前なら喋っている途中で言葉が出て来なくなって立ち往 生したのが、最近は滅茶苦茶なまま最後まで突っ走れるようになったという程 度のものであるが。いずれにせよ「上達した」という感触を持つことが大事で、 ドイツ語が上達するぐらいだから数学も上達してるのでしょうという根拠不明 の希望的観測をして、明日への希望の糧とするのである。

それから、今期はクラリネット奏者氏の薫陶も受けることができて、今や 私の宗教となっているクラシック音楽について多くの事を学ぶことができたの も、大きな収穫のひとつだと思う。何だって師匠がつけば、上達が早い。春の 短期コースはお休みにして、4月からの夏学期も、また通うことにしよう。

夜はスポーツ・クラブ。夜中は、少し数学。数学の友は、自虐気分を転換 すべく、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)とミーシャ・マイスキー(チェロ) でアルペジオーネ・ソナタと幻想小曲集、5つの民謡風の小品集(シューマン) など。シューマンもいいなあ。しかし最後は今日もストラヴィンスキーのイタ リア組曲で締める。

2006年2月3日(金)
<<鈴木雅明の平均律>>
昨夜は「こりゃ、駄目だ!」と分かった積もりだったけど、布団の中で夢現に 悶々と考えるに、「非常に困難そうだけど、駄目というわけではない」と思い 直すに至る。気を取り直し、CDウオークマンのヴォリュームを極力小さくし て、イタリア組曲などを聴きながら昼過ぎに出勤。近いうちに、もう少し耳に 害の少ないヘッドホンに買い換えることにしよう。

14時より博士論文の公聴会。引き続き、15時より学位審議委員会。その 後、速攻で大学を出て大阪フェニックス・ホールの鈴木雅明「平均律クラヴィー ア曲集第2巻」のコンサートへ。深夜帰宅。

平均律クラヴィーア曲集第2巻を全曲聴くのは大変な重労働である。これ は、内容盛り沢山で色々良い事が書かれている古典的名著だけど、いささか退 屈という、S.MacLaneの”Homology”を最初から最後まで全 部通して読むようなものだと言ったら、音楽家にも数学者仲間にも怒られてし まうかしら。

「平均律」は、何だか物凄い超絶技巧なり作曲技法なりが満載で、そのあたり が面白いのだろうけど、 第2巻だけでもゴールドベルク変奏曲の倍の長さだし、 ゴールドベルクに比べればいささか退屈である。鈴木雅明氏自ら「弾くほうも、弾くほうですけど」 と冗談半分で言ってたけれど、私としても「平均律、あれ、本当に全部弾くつ もり?」という興味半分でコンサートに出かけ、終わった時には「ほー、本当 に全部弾いちゃった。凄い、凄い!」と拍手してしまった。全部ちゃんと弾い てしまうところが、確かに凄い。(鈴木雅明氏って、トン・コープマンに負け ないぐらいにうまいなと思ったら、彼はコープマンの弟子だったのだと!)

さて、当初から予想していたことだけど、「平均律」で感動していい気持 ちになって帰ってくるという図は考えにくいわけで、先日の白井光子様のコン サートの時のような幸福な高揚感は無いのだけど、生のチェンバロの音がたっ ぷり聴けたのは楽しかった。ただ、ホールに飾ってある彫刻や絵が気になるわ けで、彫刻はなかなか良いけれど、絵の方はもっと何とかならんのか、と。ま、 コンサートホールは美術館じゃないから、別にいいんだけどね。

2006年2月2日(木)
<<どうするかな?>>
自宅にて野暮用の後、ロストロボーヴィチのチェロを通勤の友に昼頃出勤。生 協で昼食の後、研究室にてイタリア組曲を聴いて勢いをつけてから、午後は院 生O君のMatsumuraゼミ。夕方終了し、ペーター・シュミードルのク ラリネットを通勤の友に帰宅。

と、まあ、相変わらずの音楽中毒状態なのだが、iPod で難聴になるとか ならないとかで、訴訟問題も起きているそうだ。イヤホンが耳に悪い事は 昔から言われているけど、最近のイヤホンは改良されていてほとんど問題無い と思っていたけど、 実際は色々問題があるらしい。特に最近の私のように、一日イヤホンを装 着していうろうろしているのは、やはり問題か。1日2時間以内にせよだと? 耳を覆うヘッドホンも駄目か?では私は一体どうやって生きていけば良いのか? 難聴になる前に死んでしまえばいいことか。

夜は数学。半年ぐらい前から何となく温めていた問題が、2,3ヶ月前あ たりから、ひょっとして何も新しい発見に繋がらないような気がしていたのだ が、今日はっきりと「こりゃ!駄目だ」と分かってしまった。さあて、ここか らが勝負だと思うけど、どうするかな?

2006年2月1日(水)
<<ドビュッシー>>
自宅で野暮用の後、アルゲリッチ&マイスキーのチェロ版幻想小曲集作品73 (シューマン)で心を清めながら、少し数学。それから昼前に出勤。鈴木雅明 のコンサートも近いので、その予習の一貫としてトン・コープマンのチェンバ ロで平均律クラヴィーア曲集第2巻が通勤の友。

昼頃に大学に着き、例によって研究室でイタリア組曲(ストラヴィンス キー)、アルペジオーネ・ソナタ(シューベルト)、クラリネット協奏曲・五 重奏曲(モーツァルト)を流しっぱなしにして、夕方まで情報理工学部1回生 「数学4」(線形代数)の後期試験の採点作業。大体予想していた通り4割近 く落第した。4割も落第したということよりも、あんなに講義をサボり倒し、 講義に出てきても教室の後ろにへばりついて爆睡しているだけの学生たちの、 6割もが合格点を取ることの方がむしろ驚くべきことだと思う。それは、 彼らにある程度の自学自習能力があることを意味する。現代の一般学生に 自学自習を期待する事は全く不可能と信じていたのだが、そうでもないという ことか。

16時から半時間ほど会議に出て、再び平均律クラヴィーア曲集第2巻を 聴きながら、すぐに帰宅。夜は数学など。

夜の数学の友として、ペータ・シュミードルのクラリネット・ソナタ(ブラー ムス)、幻想小曲集(シューマン)、ロストボーヴィッチのチェロ版アルペジ オーネ・ソナタ、5つの民謡風の小品集(シューマン)、チェロ・ソナタ(ド ビュッシー)などを乱れ聴き。ドビュッシーなんて久しぶりだな。 今日も最後はイタリア組曲で締める。