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告

よ け ス ペ ー ス で す。

2006年2月28日(火)
<<構わず行く>>
今日は大学へ行って雑用でもと思ったが、明日できる雑用を今日やる馬鹿が居 るものかと思い、結局パス。自宅にて野暮用と数学。数学の友は今日もいろい ろ。シューマンのピアノ曲をいくつか聴いてみて、ちょっと変化をつ けてみたところが、目新しいかと。

途中、夕方から散歩がてらに京都駅前近辺に出掛けその辺で適当に夕食を 摂り、アバンティーが潰れてないか視察を兼ねて、サンリオショップでハロー キティー・グッズの新製品をチェック。ついでにプラッツ近鉄京都(が正式名 称のようだ)が潰れてないか視察を兼ねて、閉店30分前の旭屋書店を冷やか す。楽典の本を物色したが、これぞというものは見つからず。 プラッツ近鉄京都はちょうど1年後に潰れるのだそうだ。潰れた後どうな るのか私は知らない。

今日、ゲーテから夏学期の講座の案内が届いた。店はどんどん潰れ、私の 部屋に散乱するCDはどんどん増殖し、ゲーテの講座受講料はどんどん上がる。 数%値上がりした前回の冬学期から、またも一気に一割近く値上げされていた。 まあ、面白くてためになるゲーテですから!私は構わず行くけどね。

2006年2月27日(月)
<<生ける屍>>
この1年ぐらいの間にずいぶん視力が落ちたので、午前中は山科区内の眼科で 視力などの検査を色々やってもらい、午後は寺町四条の眼鏡店へ。それから新 しくできた河原町三条のジュンク堂書店BAL店を偵察。そういえばここ半年 ぐらいはJEUGIA三条本店とか新京極のSBUXなどに気をとられて、ブッ クファーストや丸善が消滅していたのを知らなかった。どちらも15年前に私 が東京から戻って来て以降に新装オープンした店なのにね。近鉄プラッツも同 じ運命をたどるみたいだし。時代は流れ、学生はどんどん卒業し、ゲーテのク ラスメイトはどんどん入れ替わり、店はどんどん新装オープンしては潰れ、し かし相変わらず私は今日も生きていてる(だからどうだと言うんだ?)。それ にしても、京都駅前アバンティーとJEUGIA三条本店と明治屋とラクト山 科と山科駅前SBUXは大丈夫かしら。

夜は数学。数学の友は、クラリネットやチェロの曲を色々。

「忙しい数学者」が忙しいもうひとつの理由として、数学は何時研究成果 が得られるか予想がつかないにもかかわらず、一定の割合で研究成果を出し続 けて行かないと就職や昇進がおぼつかないばかりか、(エルディッシュ大先生 流に言えば)「死人扱い」されてしまうことが挙げられる。これは、犯罪事件 が一般に何時解決できるか予想がつかないものであるにもかかわらず、一定の 割合で犯人を検挙し続けることが要求される、刑事の仕事と同じような話では なかろうか。予定が立てられないものを相手にして、予定を立てることを要求 されるのだから、そのギャップを埋めるべく色々無理をしないといけないわけ で、それが「(少なくとも精神的には)忙しい」状態に繋がるのである。

ちなみに(「忙しい数学者」の積もりでいる)私などは、まだ「死人扱い」 される状態には至っていないと信じているのだけれど、最初から「生ける屍」 だったじゃん!という説もある。(嗚呼、自虐ネタはやめようと心に誓ったは ずなのに。。。)

2006年2月26日(日)
<<忙しい数学者>>
春の嵐か、荒れ模様の天気。昨日と一昨日の二日間は美術展だのコンサートだ ので出歩いたので、今日は自宅で野暮用と数学。サーベイ・ノート(旧称「研 究ノート」)を突っつき回して、主に基礎的なところを精査。 数学の友は、現在持っているクラリネット曲のCD全て。

(エルディッシュの意味で)「まだ死んでいない」数学者の中には、研究 時間がたっぷり取れる立場にあるのにもかかわらず、年中「忙しい、忙しい」 とバタバタしている人や、講義や会議などの仕事に忙殺されてほとんど研究時 間が取れないのに、暇そうな顔をしている人も珍しくない。

その理由としては、次のようなことが考えられる。数学の研究は真面目に やりだすとどれだけ時間があっても足りないから、研究をメインの仕事として やっていける立場の人ほど益々色々な研究プランを思いついたりして、気分的 に忙しくなる。逆に研究時間があまり取れない、教育や学校管理の仕事が中心 の立場の人は、時間の経過とともにその立場に適応してしまって、例えば、ま あ週に一日でも研究日が取れて、細々ながらも研究生活が続けられればいいか という気分で安定してしまう。少ない研究時間でそんなに色々な事ができるわ け無いし、できる事をコツコツやっていきましょうという感じになる。その気 分が、暇そうな顔となって表に出るというわけである。

私などは、研究時間がたっぷりというには程遠いけれど、かと言って、研 究時間がほとんど取れないという訳でもなしという微妙な立場である。自分と しては「忙しい、忙しい」と言っている部類の数学者の気分でいるのだけど、 結構暇そうな顔をしているらしい。よく「忙しい数学者」の家族の人から、ウ チの誰某は年中忙しそうにしているけれど、何がそんなに忙しいのかしら。貴 方も数学者らしいけど、何か心当たりはないかと聞かれることがちょくちょく ある。先日も、某若手数学者の家族の人にそういう質問をされて、思わず(心 の中で)大笑いしてしまった。そこには、貴方は暇そうな顔してるのに、何故 ウチの誰某はそうじゃないのかしら?という素朴な疑問、というニュアンスも 微妙に含まれていたりするのである。

ま、私の場合、こんな日誌毎日書いてるから、益々暇そうな顔になるの かもね。

2006年2月25日(土)
<<椎名雄一郎コンサート>>
外出には薄手のコートで十分だ。暖かくなったものだ。土曜日にしては早起き して自宅の野暮用を片付け、北山の京都コンサートホールへ。11時より椎名 雄一郎のパイプオルガンのコンサート。J.S.バッハの曲を中心に、アンコー ルを含めて10曲。楽しいコンサートであった。京都コンサートホールのパイ プオルガンは西日本最大で国内でも最大級を誇るのだそうだ。コンサートは1 3時終了。遅めの昼食、デザートは北山駅前で買った公家芋。その後、山科区 内に移動して夕方まで野暮用。夜はスポーツ・クラブ。帰宅後、少し数学。基 礎的な事で、昼間路上や電車の中で考えていた事を纏める。数学の友はカリ・ クリークのクラリネット、およびマイスキー&アルゲリッチの古い演奏でアル ペジオーネ・ソナタなど。

2006年2月24日(金)
<<プーシキン美術館展>>
自宅での野暮用を済ませ、昼頃から大阪へ。中之島の国立国際美術館で開かれ ているプーシキン美術館展を見に行く。ピカソの「アルルカンと女友達」 とドガの「写真スタジオでポーズする踊り子」 は泣けてくるほど 圧倒的に素晴らしかった。それ以外にも良いと思う作品が20点近くあり、ピ カソの駄作数点など変なのも少しは混じってはいるものの、全体的に大変レベ ルが高く、大満足。

それから、展示場を出るとピカソの鳩や闘牛士などの版画や鉛筆画などの レプリカを売ってるコーナーに迷い込むようになっており、これもまた泣けて くるほど圧倒的に素晴らしいのばかり。「久しぶりにええもん見せてもろた」 とホクホクしながら帰宅。

夜は数学。研究ノートを突っつき回しながら、基本論文を精読。ここで研 究ノートと言っているのは、要するに沢山の文献を斜め読みにして纏めたサー ベイ・ノートのこと。これでどの辺りをどう攻めるべきか大体の目星をつけて、 これからじっくり足固めしてという作戦なのだが、こんな調子でうまく行くか どうかは、全く不明。

数学の友は、藤原真理の無伴奏チェロ組曲(J.S.バッハ)全曲、マイ スキー&アルゲリッチのイタリア組曲(ストラヴィンスキー)、チェロ・ソナ タ(プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ)。最後はカリ・クリークのクラリ ネットで締める(予定)。

2006年2月23日(木)
<<立派な覚悟>>
自宅にて野暮用の後、山科区内の電気店に「生命維持装置」の修理を依頼して から、昼頃出勤。生協で昼食後、同僚Y先生と転学科志望学生数名の面接。そ の後、研究室に戻り書類書きの雑用に励み、夕方帰宅。雑用の友は、 ポール・メイエのクラリネット協奏曲(モーツァルト)と アフルレート・プリンツのクラリネット五重奏曲(モーツァルト)など。

夜は、修理に出していた古いプリンタが何故か新品の商品に化けて帰って来 たので、プリンタ・ドライバーなどのインストール作業の後、数学。研究ノー トを少し突っ突く。

数学者にとって一番恐ろしい事は論文が書けなくなることだと、どこかに 書いてあった。エルディッシュによれば、数学者の生物学的死は「去 る」、論文が書けなくなった数学者は「死んだ」と呼ぶべきなんだそうだ。数 学者が「死んでしまう」理由は色々あると思うが、膨大な時間と労力を費やし た後に、自分が開拓しようと決めた荒野に、自分の手で見つけられるような美 しい真実は何も存在しない事がわかった時などは、「死ぬ」しかないだろうな と思う。そのような事態に陥るかどうかは、やってみないとわからない。やっ てみないとわからないということは、図らずしも上のような形で「死んでしま う」事態も覚悟しないといけないということである。しかし、実のところ、私 はそんな立派な覚悟は出来てないような気がするな。じゃあ、どうする?

数学の友は、久しぶりにアルフレート・プリンツのクラリネット五重奏曲・ 三重奏曲(ブラームス)。その後、カリ・クリークのクラリネット協奏曲(モー ツァルトおよびヨハン・モルター)、ポール・メイエの「フレンチ・クラリネッ ト・アート」(サン=サーンス、ショーソン、ドビュッシー、ミヨー、プーラ ンク、オネゲル)。今日はクラリネット連続乱れ聴きの日になってしまった。

でも最後はまたも、タチヤナ・ヴァッシリエヴァのチェロで「イタリア組 曲」で締める(予定)。

2006年2月22日(水)
<<ショスタコーヴィチ>>
今や私の生命維持装置のようになっている、CDウオークマンがまた壊れた。 ま、どうせ街を歩きながらだと騒音でロクに音楽なんて聞こえないから、よし とするか。

山科駅前SBUXで昼食の後、大学へ。昨日に引き続き、論文コピーの山 の整理作業。やはり探していた論文は見つからず。雑用の友はカリ・クリーク のクラリネットとロストロポーヴィチのチェロなど。作業が完了した頃に、修 士論文の公聴会を聞きに行っていた院生O君が帰ってきて、Matsumur aゼミ。ゼミの後も少し雑用をして帰宅。

ここ数日の通勤の友「誰でもぜったい楽譜が読める!」によって、初めて 変調の意味や色々な長調だの短調だのの系列がどのように作られているか(い くつかの微妙そうな問題を除いて)理解できた。うーむ、こういうシステマ ティックな体系を扱ったりするのだから、音楽家って結構理系のセンスが必要 なのね。

夜は数学。先日纏めた研究ノートを突っつく。数学の友は昨日に引き続き、 キング(クラリネット)、マイスキー(チェロ)&アルゲリッチ(ピアノ)。 マイスキー&アルゲリッチの「イタリア組曲」は少しくどい感じがするけれど、 ドミトリ・ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタ二短調作品40 第 2楽章の凄みのある演奏がたまんない。アルゲリッチの天才が炸裂し、 マイスキーもそれに負けずに頑張ってます。

2006年2月21日(火)
<<ゴールドベルク変奏曲>>
15時半からの会議のために、午後から出勤。出勤途中の山科の路上で、 ゲーテの講座のクラスメイトだった人にばったりと出会う。はあ?何であなた がこんな時刻に、しかも山科の路上にいるのか?それは私が聞きたい質問だ 云々。それで、何だか知らないけど彼女もやはり出勤途中だという。お互い午 後からの出勤で、よかったですね。じゃ、またゲーテで!

会議の前に研究室に散乱する論文のコピーの山を整理するために、生協に それ用の文房具を買出しに行ったり、整理作業をしたり。実はこの整理作業を 通して、先日から探している、数年前に読んだある論文のコピーを見つけ出そ うとしているのだが、大山鳴動して鼠一匹も出ず。こういうものは「仕方ない」 と諦めてもう一度コピーを取った直後に出てくるのが常で、今日の作業でも、 そうやってして作られた同じ論文のコピーが2部見つかるケースが2,3あっ た。

通勤の友は、鈴木雅明のチェンバロでゴールドベルク変奏曲。無謀にも、 先日買った楽譜を片手に電車の中でソルフィージュのトレーニングでも、と。 しかし、全然歯が立たない。ゴールドベルク変奏曲はその演奏の難しさで有名らしいか ら当然楽譜も難解かつ複雑なはずである。昨日今日「誰でもぜったい楽譜が読 める!」をちょっと読んだだけの私が読もうとするのは、初級ドイツ語文法と 簡単な例文を勉強し始めたばかりの初学者が、いきなりシュピーゲルの論説を 読もうとするようなものなんだろうね。

それにしても、ゴールドベルク変奏曲の楽譜は綺麗だし、眺めているだけ でも楽しい。鍵盤が2段になっているチェンバロ用なので、楽譜がト音記号の ついているのとへ音記号のついてるのとで2段になっている--- 驚くべきこと( かどうか知らないけど) に、それらが時々上下入れ替わったり、1つの段の中でト音記号とへ音記号が 両方でてきたりする!--- のだが、8分音符や16分音符が電子回路のジャン パー線や配線ケーブルのように上下で繋がっていたりする。計算機ソフトウエ アの技術者として企業の研究所に勤めていた時、並列計算機アーキテクチャを やっていた隣の研究室に憧れ、よく試作版のデータフローマシンなどを見せて もらった。手作りの実験機の筐体の扉を開けると、その中は電子回路の基板や 基板の上を飛び交うジャンパー線や基板同士を繋ぐケーブルなどがぐちゃぐち ゃっとなっていて、ゴールドベルク変奏曲の、例えば第1変奏曲みたいだった、 というわけだ。それ以外にも、8分、 16分休符と和音が入り乱れていて収穫間近の麦畑のようにも見える部分(特 に第29変奏曲)があったり、造形的に見てこんな面白いものはないって感じ だな。

夜はカリ・クリークや(イギリス・クラリネット界の女王) セア・キングのクラリネットや藤原真理やマイスキーのチェロ&ア ルゲリッチのピアノなどを友に、数学。そういえば、クラリネット界の 貴公子と呼ばれるポール・メイエって、誰かに 似ているなあと思っていたのだが、日本の可換環論業界にその人が居た ことを思い出し、少し感動してしまった。 それはさておき、 日大セミナーなんかで見てても、良く 出来る人は良く勉強している。私も頑張らなくっちゃね。

2006年2月20日(月)
<<一拍の意味>>
夜遅く、日大での月例セミナーから帰宅。行きの新幹線の中では、先日眺めた 猛烈に難解な代数幾何学の論文のアイディアを徹底解明して書かれた(と思 われる)、分厚いレクチャー・ノートをひっくりかえす。まあ、お話の筋は掴 めたけれど、核心部分のアイディアはわからずじまい。帰りの新幹線の中では、 以前買っただけで放置してあった「誰でもぜったい楽譜が読める!」(辻志朗) 音楽之友社を6割程度読む。これはソルフィージュと楽典をミックスした内容 の初心者版。

私が学校の音楽の授業で落ちこぼれた理由の一つに「『一拍の意味』の曖 昧さに頭が爆発したから」というのがある。曰く「全音符は4拍、2分音符は 2拍、4分音符は1拍、8分音符は1/2拍、16分音符は1/4拍」ふむふむ。 これはジョーシキね。しかし問題はその先だ。楽譜の先頭には4/4、3/4、 2/2、6/ 8といった分数が書かれているが、それについて「この分母であ らわされる音符の種類が『拍』の単位となる。つまり、分母が2なら2分音符 が1拍となり、8なら8分音符を1拍として数えることになる」とくる。 ちょっと待った!2分音符は2拍、8分音符は1/2拍と言った舌の根が乾か ぬうちに、2分音符や8分音符を1拍と考えよとは、明らかに矛盾ではないか。 わけがわからんぞ!かくして小学生の私は小さな頭で混乱の奈落に落ち 込んだのである。しかし今勉強しても、やはり同じ所で躓く。この原因は、 「一拍」という言葉の意味を明確に定義しないまま話を進めていることにある と思われる。

数学者とそれ以外の人々の最大の相違点の一つとして考えられるのは、基 本的な用語(例えば「一拍」)を未定義語として使われると頭が混乱するのが 数学者、基本的な用語の明確な定義を示されると頭が混乱するのが数学者以外 の人々。その意味では、私の場合、子供の頃よりも今の方が格段に物分りが悪 くなっており、世の中に対する興味が年を追う毎に薄れていくのは、 人々の言っている事がよく理解できないからではないかと思われるほどである。

しかし、真実はたぶん簡単な事なんだろうと思う。簡単だからこそ、学校 時代の音楽教師も、さもどうってことも無さそうに教えていたし、私以外の生 徒もどうってことも無さそうに理解していたように思う。

実はこういう事は、学生に数学を教えていてもよくあることである。本当 は何でもない至極単純な事なんだけど、ちょっとした隘路に陥ったばっかりに 世界の七不思議ぐらいに徹底的にわからず、それがきっかけて数学からドロッ プアウトしてしまう学生、生徒というのは、少なからず居るはずである。多く は教師のちょっとした手助けがあれば救われるが、本人も自分が何がわからな いのかわからないまま、教師の目の届かないところでそのままになってしまう ことも多いと思う。

私の場合も、音楽教師の目の届かぬところで「そのまま」になっていたの だが、何せ私は恐ろしく執念深い人間なので、小学生以来ずっとこの疑問を忘 れずに胸に抱き続けてきたのである。しかし、4月にゲーテの夏学期が始まっ た時にでもクラリネット奏者氏に聞いてみれば、解決するだろうと思う。

2006年2月18日(土)
<<心洗われる>>
また寒くなってきた。自宅で野暮用の後、山科駅前SBUXで昼食を摂りなが らBoschのAlgebraを読む。午後、カリ・クリークの不思議な音色のクラリネッ トを聴きながら、たった30分の形式的な会議に出るためだけに出勤。

帰宅の途中で小腹が減ったので南草津駅前のコーヒー専門店に立ち寄るも、 店員が全然注文を取りに来ないし、こちらに目も向けようともしないので、し ばらくBosch のAlgebraを読んでからそのまま店を出る。ま、水と紙お絞り付 きの無料休憩所だな。

BoschのAlgebraは一段落したので、夜はマイスキー&アルゲリッチの強力 コンビに「押し倒され」たり、カリ・クリークのクラリネットに心洗われたり しながら、代数幾何学のえらく難しい論文を眺める。ちゃんと理解することは 最初から断念しているのだが、せめて欲しい情報だけでも切り出せれば、と。 フランス語の論文なので、仏独辞典を使って少し遊ぶ。

「クラリネット用のクラシックの定番曲は少ないから」という理由で、カ リ・クリークは積極的に現代音楽を演奏したり、作曲家に新しいクラリネット 曲を作ってもらったりしながら活動しているそうである。

確かにブラームスは晩年に「クラリネット・ソナタ」「クラリネット五重 奏曲」「クラリネット三重奏曲」の3つを書いただけのようだし、シューベル トもやはり晩年に「岩上の羊飼」1曲のみ。J.S.バッハは「幻の無伴奏ク ラリネット組曲」が発掘されない限りゼロ。シューマンは「幻想小曲集」と 「3つのロマンス」はよく演奏されているようだけど、他はあるのかしら。モー ツァルトは、モーツァルト生誕250年記念特設コーナーを設けているJEU GIA三条本店で探しても「クラリネット協奏曲」と「クラリネット五重奏曲」 以外は見つからない(ゲーテのクラリネット奏者氏は、モーツァルトは「沢山の」 クラリネット曲を残しているとか言ってたような気がするけどなあ)。という ことで、誰でも知ってる有名作曲家の曲が比較的少ないというのは、言われて みればそうかも知れないという気がしてくる。これはクラリネットが比較的新 しく発明された楽器だという事も、関係しているそうなのだが。

では、編曲はどうかというと、J.S.バッハやシューベルトのクラリネッ ト編曲なんて、もっとじゃんじゃんやればいいのにと思うけれど、何故だか 知らないけれど少なくとも「じゃんじゃん」というわけには行かないらしい。 「アルペジオーネ・ソナタ」のクラリネット版も、ジルバース・ドゥ・ペイエ の「失敗」(と私は考えているのだが)以後、誰も再挑戦していないようだし。

となると、誰もが知ってるわけでもない作曲家の曲から、良いものを探す 必要がある。今後も引き続き調査を続けることになろう。

明日から東京出張。次回更新は月曜深夜以降。

2006年2月17日(金)
<<カリ・クリーク>>
午前はドイツ語の代数の教科書(BoschのAlgebra)で少しお勉強。午後より山科区内で野暮用。夕 方終了。その勢いで久しぶりにJEUGIA三条本店へ突撃!本日の衝動買い CDその1は、ミッシャ・マイスキーとマルタ・アルゲリッチの2003 年のブリュッセルでのコンサート・ライブ。お目当てはイタリア組曲(ス トラヴィンスキ−)。マイスキーとアルゲリッチなら絶対「外れ」はあり得ない はずと、信用と実績の2548円也!もう1枚は、フィンランドのクラリ ネット奏者カリ・クリーク(Kari Kriiku) の輸入版CD。モーツァルトと ヨハン・メルヒオル・モルター(そんな人、知らんけど)のクラリネット協奏 曲。どんな音を出す人か全く不明なので、先日のジルバース・ドゥ・ペイエの 二の舞になりはしまいかと、不安に震える手を振り切って勝負に出ました 2300円也。計4848円のところ、ここ数ヶ月で猛烈な勢いで集まったサー ビス・スタンプ券が今日で一杯になったため、まいどありい!の1000円割引 の3848円也! よし、これでカリ・クリークが「外れ」でなければ、今日は良い買い物をした ということになろう。

で、カリ・クリークは正解であった!ヨハン・メルヒオル・モルター のクラリネット協奏曲自体は別にどうってことのない曲だけど、クリークのク ラリネットはとても高く、かつ、柔らかな音で演奏していて、これがちょっと 不思議な感じのする音色。CDのジャケットにある顔写真とKari Kriikku という名前とこの音色の雰囲気から、北欧系じゃないか?と踏んだの だけど、よく調べてみたらフィンランドだったというわけ。

フィンランドというと、私は、森と雪とムーミンとFreeBSDと猛烈に教育水 準が高い国、ぐらいの事しか知らないのだけど、寒い所で皆さんちぢこまって 生きていて、それでいて高い精神性と豊かな想像力に溢れた文化というイメー ジを持っている。まあ、そういうイメージを裏切らない音色なのである。モー ツァルトのクラリネット協奏曲の方も、ポール・メイエ版の名演奏にも決して ひけを取らない深い音を出している。

マイスキー&アルゲリッチのコンビは1984年にもアルペジオーネ・ソ ナタやシューマンの幻想小曲集を録音していて、これはみずみずしさに溢れた 素晴らしい名演奏だと思う。そして、20年後に録音された今度のCDを聴い た第一印象は「とにかくクドイ!」年を重ねて表現に深みが増したとも言える けど、そこまでやるか?!と思うほどお二人とも饒舌でクドイ演奏でもって、 聴く者を押し倒しにくる。

お目当ての「イタリア組曲」の最初の曲(第一楽章って言うの?私、呼び 方を知らないんだけど)は、タチヤーナ・ヴァシリエヴァ版の、まっすぐな心 で空を見上げるような感じの演奏が好きで、私はそこにに限りない夢と希 望を感じてしまうのだけど、マイスキーのはちょっとひねり過ぎ。思わず「夢と 希望は何処へ行ったんだよう!?」と心の内で吠えてしまいましたね。それか ら、マルタ・アルゲリッチの、この圧倒的な即興性と想像力の深さは一体何な んでしょう。やっぱり彼女は天才やね。

夜はマイスキー、アルゲリッチ、クリークを数学の友として、Boschに読み 耽る。

2006年2月16日(木)
<<玉砕願望>>
昼過ぎに出勤し、院生O君のMatsumuraゼミ。夕方終了し、帰宅後は 数学。通勤の友は、今日も「フレンチ・クラリネット・アート」。サン= サーンスの「クラリネットとピアノのためのソナタ変ホ長調作品167」 は聴けば聴くほどじみじみと良い曲である。しかしポール・メイエの、あの品 のある豊かな音色で演奏しているから良いのであって、この曲を、あのアルペ ジオーネ・ソナタを台無しにしたジルバース・ドゥ・ペイエがお洒落に演奏し たら、やっぱり駄目だろうなと思う。お洒落だけじゃあ人の心を打つことはで きないから、芸術としては駄目です。

ピアノでも演奏者によってずいぶん音が違い、ステージに置いてある同じ ピアノを、複数の演奏者が順番に演奏していくような場合でも、人によって音 が違うのに驚いたことがある。しかしクラリネットの音色の違いというのは、 こんなものでは済まず、ほとんど人の声がそれぞれ違うぐらいに、演奏者によっ て全く音色が違うと言っても良さそうである。たぶんその道のプロならば、 ちょっと音を聴いただけで、「あ、これは誰某さんが吹いてるな」と簡単に分 かるのではないだろうか。だから、楽器を演奏しているというよりも、その人 の歌を聴いているという感じ。そういう意味で、お気に入りの演奏者の「美声」 に酔いしれてみるのも、クラリネットの楽しみ方のひとつだと思う。

「干乾びた研究ノート」の改訂作業が一段落した。何だか私、物凄い難問 に突撃して行きそうな気がしてきたのだけど、大丈夫なのかしら。私って玉砕 願望があるので、超難問で花と散って本当に「干乾びて」しまうのも悪くない という気もあるんだけどね。「でも、お前は既に玉砕してるじゃん」 とか「元々、干乾びてるじゃん」という意見は、とりあえず却下。

夜はドイツ語の代数の教科書で基礎的な事のお勉強。数学の友は、ひきつ づきポール・メイエ「フレンチ・クラリネット・アート」。その後、図らずし もペーター・シュミードル、カール・ライスター、アルフレート・プリンツの クラリネット・ソナタ(ブラームス)の聴き比べに突入。でも、やはり最後は イタリア組曲。