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広

告

よ け ス ペ ー ス で す。

2006年1月15日(日)
<<三文感想文日記>>
今日も人生が有り余っている若者のように、昼前まで寝てしまった。 昼間はモーツアルトのクラリネット協奏曲と五重 奏を聴きながら、自宅および山科区内で野暮用。

モーツアルトとの和解は難しそうである。やはりただ闇雲に美しいだけで、 私の心にぐっと来るものが何も感じられない。その卒の無い美しさにむらむら と腹が立って来て、踏み潰してやりたく(何を?)なってくるところを、クラ リネットの幸福過ぎる音色がかろうじて私を引き止めてくれるのである。

ブラームスは晩年にクラリネットの偉大さに気づき、三重奏曲、五重奏曲、 ソナタの3つの傑作を残したけれど、バッハの時代にはクラリネットは存在し なかったそうである。シューベルトも晩年にやっとクラリネットに注目して、 クラリネットの出番が少ない「岩上の羊飼い」一曲しかクラリネット曲を残さ なかったそうである。これは私にとっては、とても残念なことだ。

夜は数学をと思っていたのだが、結局バッハの平均律を聴きながら自宅の 仕事部屋の整理作業。ただでさえ手狭な部屋が、最近急速に増殖してそこらじゅ うに溢れ返っているクラシック音楽のCDによって、どうにもならない状態に なっているため、何とかしようと重い腰を上げたというわけ。

私の持っているクラシック音楽のCDは今日現在で67枚(借りてきたC DをMDに録音したものも20枚分ぐらいあるが、それは含めていない)。こ れは決して多いと言える数ではないが、ほとんどが計算機科学から数学への転 向が一応の完了を見た2000年頃以降に購入したもの。そのうち40枚弱は 過去2年以内に購入したもので、より最近になる程増え方が大きい。勿論これ は私にとってのクラシック音楽が、趣味から心の支え、そして宗教(!)へと 変遷しているという説を裏書するものである。

特に、昨秋(もはや時代遅れの!)CDウオークマンを買って、常時音楽 が聴けるようになってからは、ほとんど病理現象としか言い様のない状態に陥っ ており、そのことはこの日誌が既にクラシック音楽三文感想文日記と化してい る事からも伺えるかと思う。

深夜、気休め程度に少し数学。

2006年1月14日(土)
<<平均率>>
ゲーテの日である。ゲーテ上級クラスは、F先生ばかりではなく、一受講生で ありがながら「ゲーテの秘密工作員では?」と噂されるほどのドイツ語の達人 G禅師までもがさまざまなプリントやカセット・テープを配布し、あっち からもこっちからも宿題が飛び交うという、恐ろしい状況になっている。今週 の私はF先生とG禅師の両方から激しい宿題の十字砲火 を浴び、G禅師配布のカセットテープを聞き終わり、やっと全ての宿題が完了 したのは今朝の11時過ぎであった。それから大急ぎで準備してゲーテに向か ったのである。ああ、これで私はメキメキとドイツ語の力を身に着けることであろう。

ゲーテの帰りは、今日もJEUGIA三条本店で道草。実は近く鈴木雅明 氏が某所でコンサートを開き、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻を演奏 すると聞き、ちょっと色めきだっているのである。鈴木雅明氏のチェンバロは ぜひ聴いてみたい。しかしバッハの平均律って、この、何故かキリコの絵を思 わせる(念のために書いておくが、私はキリコの絵は特に好きではない)魅惑 的な響きの名前はよく聞くけど、一体何なのか。

「平均律」の言葉の意味は、辞書の説明を読んでも私には全く理解できな い音楽理論の専門用語の洪水である。しかし、まあ、言葉の意味なんて、この 際どうでもよろしい。絶対安全牌何でも通しのシューベルトと違って、バッハ の曲には好き嫌いがあるから、決して安くはないチケットを買って、大学の数 学教師の書き入れ時である年度末に、万障繰り合わせて京都ならざる遠いとこ ろまで電車に乗って行って、それで「外れ」だったりすると目も当てられない。 事前調査はぜひ必要である。ということで、今日買ったのはトン・コープマン (Ton Koopman) という人の1982年の演奏の2枚組CD、毎度ありいーの 1900円はお買い得?それにしても、何で「平均律クラヴィーア」って"Das Wohltemperierte Clavier" なんでしょう?ドイツ語なら "Das wohltemperierte Klavier" じゃないかしら?これは来週F先生に聞いてみよ う。

もうひとつは、「心の闇」解消秘密プロジェクトとして、モーツアルトの 「クラリネット協奏曲イ長調K.622」および「クラリネット五重奏曲イ長 調K.581」の2曲が入ったCD、またまた毎度ありーい!の1000円は 断然お得か!?ま、これで「心の闇」が解消できれば安いもんだな。協奏曲の 方はポール・メイエとかいう人、五重奏曲の方はご存知アルフレート・プリン ツがクラリネットを演奏している。

夜はスポーツクラブ。深夜、早速CDを試聴。平均律は大変よろしい。少 なくとも「平均律」という美しい言葉の響きに見合うものであり、名前負けは していない。でも、私はゴールドベルク変奏曲の方が好きだけどね。期待に胸 膨らんだクラリネット協奏曲は、最初のアレグロでいきなりヴァイオリンの 「どモーツアルト節」というか「いかモー(いかにもモーツアルト)節」が出 てきてひっくり返った。私、これが嫌いなんです!うーむ、前途多難だな。次 は五重奏曲。こちらは私が忌み嫌うモーツアルト臭さが抑えられており、何と かなりそう。モーツアルトの厭らしさが、プリンツの透明感のある音色で毒消 しされている部分も無視できないかもね。では、ポール・メイエのクラリネッ トはどうかというと、これがプリンツともライスターとも違う音色で、今日の ところは協奏曲の曲の悪さも足を引っ張ったということで、プリンツの方に軍 配を上げておく。

2006年1月13日(金)
<<ウイーンの伝統?>>
ブラームスの五重奏曲と三重奏曲を聴きながら出勤。午前中は院生O君相手の 大学院「計算機代数学特論1」の講義。昼食は生協ラ・ポーズ。雀百まで踊り を忘れず今日も食べます執念の天ざるセット。私って何でもかんでも1つのも のに執着する癖があるのよね。昼休みはドイツ語の宿題を少し。

午後は情報理工1回生「数学4(線形代数)」の講義。試験範囲を終わら せないといけないので、黒板相手にぶいぶい進める。私は通常学生達がノート を取る様子を見て、それに合せて板書を進めるのだが、彼らが教室の後ろにへ ばりついていると様子がよく見えず、そういう配慮をすることは不可能である。 まあ、そんな配慮は要りませんし、私たちはどのみち寝てるだけですから、先 生、勝手に進めてくださいということだろうと解釈して、黒板に猛烈な勢いで 数式を書き殴り、早口で説明し、どんどん進めるのである。どんどん進めたら 最後に時間が余ってしまったので、先週やった小テストを返却して採点講評な どを説明。今回はみなさん出来栄えが芳しくありませんねえ。このままでは最 終的に半分ぐらいが単位を落とすことになるかも知れませんよと脅し、「それ では皆さん、後期試験は頑張ってください」と外交辞令をにこやかに一言添え て、この講座を終える。

部屋に戻って少し雑用をしてから、O君の都合により来週最終回の分の 「計算機代数学特論1」の講義を夕方に行う。1日に講義を3つ行うというの はちょっとしんどいけれど、その分まとまった研究時間が作れるので、そう悪 い話ではないな。生協で夕食後、ゲーテの宿題の仕上げ。ブラームスの五重奏 曲と三重奏曲を聴きながら帰宅。

やはり「深く静かなドイツの森が見えてくる」(CDの折り込みラベルの 文言による)カール・ライスターよりも、「ウイーンの伝統を受け継ぐ名手」 (同じくCDのラベルより)アルフレート・プリンツのクラリネットの方が好 きだな。で、「静かで深いドイツの森」は見えるような気がしないでもないの だけど、2つ以上のCDのラベルに書かれている「ウイーンの伝統」ってのは 一体何なんでしょうね?こういう事はぜひ、ゲーテのクラリネット奏者氏に聞 いてみるべきであろう。

2006年1月12日(木)
<<ほとんど自明>>
風邪は完全に治ったようだ。アルフレート・プリンツ「クラリネット・ソナタ」 を聞きながら出勤。午前 中は2回生配当「離散数学」最終回。さすがに教室にはいつもの倍ぐらいの学 生が詰め掛けていた。生協ラ・ポーズにて執念の天ざるセットでの昼食は、全 力疾走O坂主任と一緒になる。その後部屋で、以前から疑問に思っていた問題 について考える。どの文献にもさも自明な事のようにさらりと書かれているけ れど何故なのか、と。解決しないまま、院生O君のMatsumuraゼミに 突入。生協で夕食後また少し考えてみたら、ほとんど自明であることが判明。 またも気分良くプリンツの「 クラリネット・ソナタ」を聞きながら帰宅。夜は プリンツの五重奏曲と三重奏曲 に切り替えて、ドイツ語。今週は、何だかとてつもなく難解で長いドイツ語の 文章を読むはめとなっている。そういえば終日 プリンツ-ブラームス漬けだな。

2006年1月11日(水)
<<どうでもよろしい>>
バレンボイムを聞きながら出勤。午前中は4回生配当「計算機数学続論2」最 終回。昼食の後、夕方の会議の時間まで論文改訂関連作業の仕上げ。会議は3 時間以上続き、19時過ぎに終了。生協で夕食の後、引き続き作業続行。図書 館で論文をひとつコピーしてから、またもアルフレート・プリンツのクラリネッ ト・ソナタ(ブラームス)を聞きながら帰宅。夜はカール・ライスターのクラ リネット・ソナタ(ブラームス)に切り替えて論文改訂関連作業を完了。その 後、ドイツ語などを少し。

昨日の日誌に書いた「同じ人種」とは、「同じ価値観を共有できる人びと」 という意味である。勿論全ての事柄について自分と同じ価値観を共有している 必要は無く、いくつかの重点項目での一致がみられればそれで良いわけで、む しろいくつかの点て自分と考え方が異なっている方が刺激的で面白い。

大学の先生などが、学会に出張して「生き返った気分」になったり、大学 ではずっと不機嫌だったのが上機嫌になって帰ってくるのは、同じ分野の研究 者という「同じ人種」と交友できるからである。では、シンポジウムに参加し て憂鬱の塊になって帰って来る私って、一体何なんでしょう?という問題は、 この際どうでもよろしい。

2006年1月10日(火)
<<人種差別オーラ>>
風邪気味なのを売薬で抑え、午前中は自宅近辺で野暮用。輪廻から脱却するた めに、久しぶりにシューベルト「キプロスの女王ロザムンデ」を聞きながら昼 過ぎに出勤し、夕方の会議の時間まで講義の準備や雑用を片付ける。会議の後 も引き続き講義の準備など。結局輪廻からは抜け出せず、またもやプリンツを 聞きながら帰宅。夜はドイツ語を少し。

中学の同窓会で旧友に「そんなんで教育者が務まるのかよ!」と一喝され た件だけど、たぶん私は「自分と同じ人種の人間(学生)しか相手にしたくな い」という人種差別オーラを放ちながら日々キャンパスを闊歩しているのだと 思う。確かに自分と同じ人種の学生の勉学を助けたり励ましたりする労は何ら 苦にならないけれど、人種が異なるとそういう訳にも行かない。露骨な 事はしないけれど、どこかしら冷淡な面が出てくるのだろうと思う。勿論自分で は、どんな学生でも分け隔てなく適切に対応できることがプロの教師として望 ましい姿であり、実際自分は以前よりもその理想に近づいていると自覚している のだが、そうなればなる程逆に人種差別オーラが強くなるのかも知れない。

その辺のところを学生達はよく見ているのであろう。実際、卒研 ゼミだの大学院だので私のゼミに志望して入ってくる学生達は、皆ある意味で 私と同じ人種の人ばかりである。私とは明確に人種が異なる工学系の学生達が 講義中に寝てばかりいて、文系数学の講座にひしめく100数十名の 文系学生(彼らは私と同じ人種である!)が「さっぱり分からない!」と 言いながらも食い入るように私の講義を聞いてくれ たのは、いずれも私のオーラの毒気に当てられたからではないか と言えば、強引過ぎるだろうか。

問題は、どうやら私は希少種の人種らしく、数学教室ですら私と同じ人種 の学生は僅少なことである。これでは、本来沢山の学生の面倒を見るべき私大 教師として、いささか肩身が狭い。と、表向きには言っているけれど、本当は 全然気にしておらす、かえって(人種の異なる)学生の事に余り煩わされずに 研究に没頭できて良いと考えている。

2006年1月9日(月)
<<心の闇>>
祭日。すこしばかりの野暮用の他は、自宅や山科駅前SBUXで何となく数学 やってすごす一日。今日もバレンボイム、プリンツ、ライスターの輪廻から抜 け出せず。

最近はクラシック音楽ブームだそうで、CDの売り上げも好調で、日本人 には特にモーツアルトが好まれているらしい。モーツアルトを聞くと心が癒さ れるんだそうである。そんなもんかいな。私はモーツアルトを聞くと、むらむらと 腹が立ってくるんだけど。エッセンの大家さんから頂いたDie Zauberflöte (魔笛)のCDも1、2回聴いてそれっきりだし。まあ、私以 外の日本人が何を考えてようと私の関知するところではないのだが、モーツア ルト嫌いの心の闇は何とかしないといけないとは思っている。

では何処からモーツアルトを攻めるべきか。当たり外れ無しの絶対的安全 パイのシューベルトですら、オーケストラで聴くのは真っ平だと思う私である。 オーケストラ音楽は無理だな。私はそもそも一点集中主義で、色々な楽器があっ ちでもこっちでも鳴って気が散ってしまう状態が好きではないらしい。モーツ アルトのピアノ曲もどうも良くない。チェンバロ曲も、卵でも投げつけたくな ることであろう。これはもう完全な病気である!

となれば、難攻不落と思われた私のブラームス嫌いを「クラリネット・ソ ナタ」と「クラリネット五重奏」によって見事に解消させた、"幸福過ぎる音 色の"クラリネットが有力候補か。ゲーテのクラリネット奏者氏も、モーツア ルトはクラリネットのための良い曲を沢山残していると言ってたではないか。 私にとって不倶戴天の敵モーツアルトとの和解を実現するには、「クラリネッ ト協奏曲イ長調」K.622あたりが適当か、と。ということで、極秘プロジェク ト開始!

2006年1月8日(日)
<<どうだ?参ったか!>>
朝はゆっくり起きて、アルフレート・プリンツのクラリネットを聞きながら夕 方まで自宅や山科区内で野暮用。夕方、山科駅前SBUXで一息ついて、1ヶ 月ぐらい前まで考えていた事を思い出すべく某論文を眺める。図らずしも冬休 みに勉強した事が少し役に立ちそうだ。

夜はバレンボイムに切り替えて、数学。

バレンボイムのCDの2枚目は、ゴールドベルグ変奏曲の第26変奏から 後の部分とベートーベンの「ディアベッリの主題による33の変奏曲作品12 0」が入っている。このディアベッリの主題というのがかなり評判が悪く、C Dについている解説でも「凡庸とも言える主題」と書かれているし、試しに Webで検索しても「あまりにも平凡」「こんなにもつまらないテーマで33回も 変奏を繰り返してしまったベートーヴェンの作曲能力はすごい」「駄作」「何 という人生の中で無駄な50 分なのでしょう」等など味噌糞な言葉の乱舞状態 のようである。

確かにこの変奏曲は退屈で、実は私はほとんど聴いてない。この曲がゴー ルドベルク変奏曲と同じCDに入ってるのは、ほとんどベートーベンに対する 嫌がらせではないかとまで思えてくる。しかし白状すれば、私はこの「平凡で 凡庸な」主題の部分だけは結構お気に入りで、これから何か良いことがありそ うな素朴な期待にウキウキしてしまいそうな46秒間を楽しめる。 平凡でも凡庸でも、楽しければ何でも良いのである。

それに退屈な曲だからこそ、かえってバレンボイムの上手さが透けて見え てくる。ベートーベンに対する皮肉ではなく、実は自分の上手さを見せ付ける ために、この曲を録音したのかとも思えてくる。この曲を下手な人が演奏すれ ば、おそらく悲惨な結果になるであろう。私はピアノの演奏法の技術的な事は 何ひとつ分からないけれど、バレンボイムが「どうだ?参ったか!」って顔し て弾いている様子が目に浮かぶようである。先日行ったコンサートでも感じた けれど、上手い人って皆「どうだ?参ったか!」って顔して演奏するんだよね。

2006年1月7日(土)
<<今日のところは却下>>
ゲーテの日。時間を惜しんで講座が始まる直前まで数学を考えていたり すると、結局ドイツ語が思うように出てこず、夕方にはしっかりと自己嫌悪の 塊になって帰宅するはめとなることが、経験則として知られている。これを少し でも防ぐべく、朝からウオーミング・アップとして、WebでSPIEGELの記事 を読んだり、ゲーテの古本市で買った散文を音読したりと色々悪あがき。

バレンボイムを聞きながらゲーテへ。 なぜかいつもの半分の出席者。4分の1しか出席していないクラ スもあったそうである。誰も居ない教室で講義するのに慣れている私な どは、まあ、そういうこともあろうかぐらいにしか思わないが、ゲーテのF先 生は、今日は一体何が起こってるの?と騒いでいた。

ゲーテの帰りはJEUGIA三条本店で道草。ジャズ・ピアニストのキー ス・ジャレットがチェンバロでゴールドベルク変奏曲を演奏するというちょっ と変わった趣向のCDを見つける。これはぜひ鈴木雅明のチェンバロとバレン ボイムのピアノと聴き比べをしてみたい気もするけど、どうだかなあ。私はジャ ズ・ピアノの粗雑さが鼻につくようになってクラシックのピアノの方に興味が 移っていったので、キース・ジャレットを2千数百円出して買うのはちょっと 冒険かしら。と、迷っているうちに、アルフレート・プリンツのブラームス 「クラリネット・ソナタ」を発見。これはぜひ今持っているカール・ライスター の「クラリネット・ソナタ」と聴き比べをして、幸福過ぎるクラリネットの音 色の深遠に迫らねばと、キース・ジャレットは今日のところは却下。

夜はスポーツ・クラブとCDの聴き比べ。数学はお休み。ライスターは柔 らかく、深く、かつ、しっかりした音色。プリンツの方は草笛のように少し震 えるような音色で独特の透明感がある。同じクラリネットでも、演奏者によっ てずいぶん違うものだ。ただ、クラリネットの演奏の違いよりも、ピアノ伴奏 の違いの方が顕著で、同じピアノで何でこんなに弾き方も音も違ってくるのよ? ちょっとびっくりしてしまう。

2006年1月6日(金)
<<クールに乱発>>
今日から後期授業が再開される。バレンボイムのピアノを聴きながら出勤。午 前中は院生O君相手の大学院「計算機代数学特論1」。午後は情報理工1回生 配当「数学4(線形代数)」。

本日の「数学4」は45分程度の小テストを行う。講義の後は論文改訂関 連の作業の後、小テスト答案を2時間程度で一気に採点。前回は居眠りとサ ボりにもかからわらず好調な成績だったけれど、今回は悲惨で6割以上が「不 合格」点。さすがに日頃からあれだけ露骨に講義をサボったり居眠りをされた りすると、彼らに対する同情の念は湧きようが無く、採点も判定基準も 極めてクールで淡々としたものになる。後期試験の採点も、正答率の高い基本的 設問に対する重点的配点などといった一切の温情的措置を排し、極めて淡々と行 われることであろう。その結果落第点がクールに乱発されることも十分考えられる。

採点後、アフルレッド・プリンツのクラリネットを聴きながら帰宅。夜は カール・ライスターのクラリネットを聴きながらゲーテの宿題の仕上げ。

2006年1月5日(木)
<<23年振り>>
寒い。今日も人生が有り余っている若者のような眠り方をしてしまった。11 時半頃起きて朝食だか昼食だかと野暮用の後、京大へ。数理研の図書室はまだ 正月休みと知り愕然としたが、理学部数学教室の図書室に行ってみると閲覧だ けなら可能と知りおおいに助かる。少し古い論文を読んだりすると、今はなか なか入手できない単行本の教科書を参照している事が多く、古い本でも何でも 揃っている京大の図書室は大変重宝する。

京大数学教室の図書室は比較的最近まで学外者には一切門戸を閉ざし ており、閲覧さえも許していなかったため、私は計算機屋時代から専ら 数理研の図書室のお世話になっていたのである。学生時代に入り浸っていた数 学教室の図書室に立ち入るのは実に約23年振りで、「ああ、とうとうここに 帰って来れた」って感じで一寸嬉しかったな。23年ってあっという間だった ような気もするけれど、気が遠くなる程色々な事があった長い長い年月だった ような気もする。

夜はすっかり忘れていたゲーテの宿題と、数学を少し。今日も昼間はバレ ンボイム、夜はカール・ライスターなどを聴き続ける。

2006年1月4日(水)
<<確かに病的>>
世の中が再び動き始めたようだ。野暮用にて午前中に京都を離れ、夜戻る。移 動の車中は、短期集中お勉強ノートを読み返して論文改訂の方針を考えたり、 それに関連して演習問題のような事を考えたり。勿論、時間が許す限りバレン ボイムとカール・ライスターとアルフレッド・プリンツを聴き続ける。何か聴 いてないと地獄に堕ちるような気がしてくるのは、確かに病的だな。帰宅後は、 心に沁み入る白井光子様のソプラノでシューベルトを聴きながら、やはり演習 問題のような事の続きを考えてみる。少し前進したけれど、まだ半分ぐらいは 闇の中。こないだまで、シューベルトのピアノ曲でなくっちゃあ数学は出来な い!と言ってたのだけど、どうなんだかね。

2006年1月3日(火)
<<予行演習>>
夜2時過ぎに寝て昼の12時まで熟睡するという、人生が有り余っている若者 のような眠り方をしてしまった。そうか。学生が講義中に寝てばかりいるのは、 人生を持て余しているからなんだ。では、おじさん達が会議中に寝てばかりい るのは、何故だろう。墓の中で眠る予行演習か?寝るだけだったら、クタバっ てからでも幾らでも好きなだけ出来るではないか。

本日より論文改訂作業開始。自分のゴミ論文なんか見たくもないやという 心理が働き、昨日までと比べて大幅ペースダウン。壊れたコーヒーメーカを買 い換える事を口実に、夕方は山科区内の電機店へ逃避行。夜も論文改訂作業。 逃避行動ばかりが目立ち、遅々として進まず。今日は何故かブラームスのクラ リネット五重奏曲と三重奏曲がしみる。

2006年1月2日(月)
<<薬物中毒のような聴き方>>
まあ、正月とは言っても、クラシック音楽聴いて数学するぐらいしかやること が無い。というか、それ以外の事はやりたくないのである。予定していたいく つかの文献の検討は完了したので、ぼつぼつ論文改訂作業に進むことにしよう。

相変わらずブラームス「クラリネット・ソナタ」にはまったままである。 高山殺すにゃあ刃物は要らぬ。げにクラリネットとは恐ろしい楽器である。今 度ゲーテのクラリネット奏者氏に会ったら、どうしてくれるんだい!と文句の 一つも言ってやらないと示しというものがつかない。ああ、それにしても何て 幸福な音色だろう。幸福過ぎて数学するのがしんどい。私だけかも知れないけ れど、数学するには一寸だけ不幸な気分が必要で、心のどこかでこの野郎!と か思ってないと出来ないものだ。

ブラームスばっかりじゃあ人間をやめなければならないと思い、正気を保 つために、これももう何回聴いたかわからならいバレンボイムの「ゴールドベ ルク変奏曲」。それだけでは足りないかと、夜はちょっと趣きを変えて、久し ぶりに白井光子様のシューベルト、シューマンのドイツ・リートのCD4枚を 一気聴きし、かなり「人間に戻る」。それにしても、こんな風に薬物中毒のよ うな音楽の聴き方ばかりしていて大丈夫かしら。どうも11月のシンポジウム から帰ってきてから、中毒症状が少し激しくなってきたような気がするな。

2006年1月1日(日)
<<率直さは美徳?>>
年末はブラームスとバッハを交互に聴きながら2泊3日の帰省。野暮用と散策 と中学校の同窓会、某数学者との久々の心温まる会話、および少し数学など。

中学時代の友人というのは口が悪い もので、「高山、お前が結婚しているようにはとても見えん。まるで寒空の下 に放たれた野良犬の如き雰囲気がプンプンする」というような、喜ぶべきか憤 慨すべきか判断のつかない事や、この場にはとても書けないような、こいつ、 ホンマにいっぺん首絞めたろかと思うような身も蓋も無い事など色々言ってく れる。その中で「高山、お前、何でも率直に物言えばええってもんやないで (その言葉、そっくりそのまま君たちにお返ししたいものだ)。そんなんで 教育者務まるのか?」には、一寸考えされられた。

そういえば、私は物事の「好き」「嫌い」「どうでも良い」の区別や、 「良い」「悪い」「どうでも良いけどつまらない」の区別がはっきりしていて、 割合自分の思うところを率直に表明する人間らしい。「らしい」とうのは、そ の自覚があまり無く、自分ではかなり言葉に気を使っている積もりだからだけど、 直接的な言葉であけすけには言わないにしろ、どう思っているか明確にわかる ような言動を取る傾向があるのかも知れない。 私は、率直な事は美徳だと考えていて、要するに「わかりやすくっていいんじゃ ん!」と言いたいのだ。しかし、例えばどんな学生でも懐深く受け入れて励ま すというタイプの教育者にはほど遠いかも知れないな。

でもこの手の率直過ぎる人格は、個人的資質の問題もあるかも知れな いけれど、数学者の職業病の一種じゃないかという気もする。別に腹 黒でも冷酷でも無いんだけど、「何でも率直に物言えばええってもんやない で!」と言いたくなる数学者は珍しくはない。率直さは美徳かも知れないが、 それ一本槍では時に嫌味でもあるし幼稚でもある。ああいう風にはなりたくないな と多少思ってたこともあって、自分自身が同じ事を言われて少しショックを受けた ことは事実。

今日はゆっくり起きて、朝食のような昼食のようなものを食べ、午後は 山科区内で野暮用。夜は数学など。