の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2005年7月31日(日)
<<ネコでも書ける>>
昼間、遠くで雷がゴロゴロ鳴る中を歩いてスーパーまで買い物に出た以外は、
終日自宅で数学。4月以来、こんな事を考えてみてはどうだろうかとか、この
問題はどこまで分かってるのだろうかとか、この論文にはこんなことが書いて
あったけれど、それに関連してこんな問題は考えられないか等等、折に触れて
書き溜めてきたノートを読み返す。どうせ碌な事が書いてないだろうと期待は
してなかったけれど、案の定、碌な事が書いてない。
どう贔屓目に見ても、「世の中には沢山の数学の問題があります。こんな のもあります、あんなのもあります。しかし、どれもこれも私にはさっぱり分 かりません」という事しか書いてない。それそれの問題や相互に関連する問題 に対する深い洞察が示されているわけでもなく、何かしらの新しい視点が導入 されているわけでもない。この程度の事ならネコでも書けるわけで、新しいゴ ミ論文ネタがひねり出せるような代物ではないな。
開講期間は講義だの演習だのゼミだの会議だ野暮用だのに追われ、さらに は1つの論文読むのにEGAまで遡ったりして七転八倒しという状態だったから、何かをゆっくり考え る時間が取れなかった。しかし、夏休みはそういう言い訳が通用しないのがか えって恐ろしい。何?1ヶ月余りゆっくり考えて、何もアイディアが出なかっ ただと?(怒)と、出るのは自虐ネタばかりなり、という事になりはしまいか。
明日から徳島大学に出張し讃岐饂飩三昧生活に突入。次回更新は4日深夜以降。
2005年7月30日(土)
<<閃く>>
土曜日である。Ritsは今日も何かやってるのだろうか。朝、少し数学。昼
間は山科区内で野暮用。夕方、少し数学。夜、スポーツクラブ。
ぼんやり数学の事を考えながら、スポーツクラブのロードランナーで走っ ている時、ふと閃いた。そういえば、以前(旧)情報学科の人々を味噌糞にけ なしていたけれど、あれは「愛」なのか?違うな。そうか。「罵詈雑言は愛!」 予想の反例が、あっさり見つかってしまったな。(数学考えてたんだろう?もっ とマトモな事を閃けよ!!)
2005年7月29日(金)
<<ちゃんと苦しむ>>
午前中は自宅および山科区内にて野暮用。昼頃出勤し、研究会発表準備の仕上
げ作業を終え、その他の雑用をいくつか片付ける。夕方より居眠りのきつい情
報理工学部1回生の線形代数の前期試験監督。居眠りをしない彼らを見たのは、
3ヶ月ぶり。帰宅後の夜は数学やらドイツ語やら。ここ2,3日夜更しが過ぎ
るせいか、ちと眠い。
夜、理科の実験ショーを生業としている元高校物理教師のドキュメントを テレビでやってた。断片的に見ただけだが、最近新しい実験のアイディアが湧 いて来ないと、のたうち回っている様子を密着取材したようだ。そうか。アイ ディアが出ない時は、お勉強に逃避したりせずにちゃんと苦しまないといけな いのだ、との個人的教訓を得る。ちゃんと苦しまなければ発見の悦びは得られな いのである。でも私なんぞは、只々苦しむだけで終わる場合がほとんどですぜ (マゾですか?)
2005年7月28日(木)
<<罵詈雑言は愛!>>
今日もRitsでは2つの時間割が同時進行してるのかしら。昼食後少し雑用
をして、午後一杯院生O君のMatsumuraゼミ。ゼミの後、事務が閉まるまでに
大慌てでもうひと雑用。風邪が治らないのか、ここ数回のゼミの間じゅうずっ
と咳をしているO君から風邪をうつされたのか、私も喉が痛く鼻水が止まらな
くなる。大慌てで帰宅。早めに風邪薬を飲んでから、深夜まで研究会発表準備
の続き。
ところで私は何故自分自身に対する罵詈雑言を面白半分に書き殴っている のか。元々快適毒舌三昧ライフを送っていた私であるが、立場上そうそう他人 の悪口ばかりも言ってられなくなってきた。それに以前は、筋肉中年のS藤先 生の個人研究室(別名筋肉部屋)が私の毒舌三昧ライフを支える重要なインフ ラで、そこに駆け込んでは「王様の耳はロバの耳!」とか何とか言いたい放題 言ってバランスを取っていたのである。だがそのS藤先生も、今や黄泉の国に 旅立たれた(と勝手に殺しておく)。じゃあ、しょうがないから、日誌で自分の悪 口でも書いてようかとなるわけである。
もうすこし別の観点から見てみよう。私に言わせれば、罵詈雑言は愛(!) なのである。悪口言うには、その前に相手を十分観察しなければならない。長 く注意深い観察期間の集中力を支えるものは、愛(!)以外に何がありえよう か。こいつ、けったいな奴やなー!何考えとるんや、あほちゃうか?ほんま、 何やしらおもろいやんけ、とつぶさに観察している間は愛があるのだ。しかし ながらこれが歪んだ愛情表現であることには変わりなく、この方法で一人の友 人を作るためには、その何十倍もの敵を生産しなければならない。実際、小学 校時代から思い起こすに、呪いの言葉を吐き捨てて私の元を去った友人は数え 切れない。長く生きるということは、沢山の敵を作ることにも等しい。それは 別に構わないのだけど、愛(!)ゆえにとは言え、あいつには結構酷い事言っちまった なあと、内心忸怩たる気分になること少なからず。
勿論これではいけないと思い、色々工夫を重ねて自制してきた結果、事態 は長期的には改善傾向を見せている。比較的最近学んだことには、一番良い方 法は他人に関心を持たぬことである。「愛の対極は憎しみではありません、そ れは無関心なのです」と言うではないか。かくして有り余る愛情のはけ口を自 らに求め、ひたすら自己愛の世界に耽溺すべく、今日も私は自分の悪口を考え るのである。
2005年7月27日(水)
<<ブスリが怖い>>
今日もRitsは試験時間割と平常授業時間割の同時進行。午前中は「留学生
数学」。しかし学生達には、試験期間だから何か質問がある時だけ出席すれば
よろしいと言ってあったので、予想通り受講生ゼロ。早めに教室から部屋に戻
り、夕方まで研究会の発表準備。7日に日大で話したものと同じ内容。ゴミは
いくら突っついてもゴミだけど、プレゼンテーションの改良(改悪?)ぐらい
はやっておかないと。帰宅後も色々な事に思いを馳せながら、数学。うーん、
問題はいくらでもある。無いのはアイディアだな。
新聞に某ベテラン落語家のコラムが出ていて、「好きでこの道に入ったけ れど、30年もやってると流石に嫌になってくる。でも、今更他に何が出来る わけでもないし、しゃーない!と腹をくくって落語に励むのだ」というような 事が書いてあった。想像するに、数学者もたぶん状況は同じで、「あーあ」と いう倦怠とも達観ともつかない気分の有り様は、自分が数学者としてどれぐら い成功したと考えているかに強く依存するのではないかと思う。
私の場合は仕事を転々として流浪の旅をしてきたこともあって、結局、全 人生を通して30年以上同じ仕事を続ける可能性は既に限りなくゼロである。 しかし強度のゴミ(論文)数学者なので、30年を待たずに10年ぐらいで 「あーあ」となってしまいはせぬかという危惧は持っている(10年といえば、 あと2,3年だな)。今の私は「嗚呼、日々数学が出来る幸福。合掌」の日々 をしみじみとかみしめている状態で、「ゴミ論文ばかり書いて地を這いつくばっ て生きる21世紀の負け組数学者、才能の無い奴がハズミで数学者やるとどう いう喜劇が生まれるかを実証するための生体実験!」等等の悪態も、単に面白がっ て言ってるだけである(事実ではあるが)。しかし、「あーあ。いくら頑張っ てもゴミ論文しか書けないし、最近じゃあそのゴミ論文も書けなくなってきた し、嫌んなっちまったなー」と冗談抜きで思うようになる日がいつか来るかも 知れないな。
その時はどうするんだろう。毎日絵を描いて、ぼーっと暮らしたいのだけ ど、その前に「冬の旅」の真面目腐った怖いお兄さんがやってきて、「そんな に堕落してまで生きる資格があるのか?!」と、(「絵描いてるのが何で堕落 なんだよう!」と弁解する間も無く)ブスリと刺されるんだろうか。ブスリが 怖いから頑張ってしまうって所も、確かにあるな。
2005年7月26日(火)
<<降参?>>
Ritsでは、台風接近に伴う強風注意報と試験時間割と平常授業時間割の3
つが同時進行。本日夕方から教授会で、その後親和会宴会。その前に来月の研
究会での発表準備を片付けておこうと作業を始めたところ、留学生数学の受講
生2名が質問に現れ、明日締切りの微積分・線形代数のレポートの問題を
交感神経全開状態でひたすら解きまくる。
線形代数はともかくとして、私は微積分の問題は苦手で梃子摺る場合が多 い。何せ微積分の問題解きが出来なくて大学院の入試に落とされ、そして 奇遇なことには(!)結局そのお陰で10数年後にゴミ論文数学者として返り 咲くことができたぐらいだから、私は筋金入りの微積分音痴である。 今までの所は、許された時間内にどうにかこうにかねじ伏せてきたけど、今後 学生の前で降参しなければならない時が来るかも知れないな。でも、こういう事 をやっているうちに、微積分の問題解きには少しだけ自信がついてきたけど。
ところで、学生のレポート問題を解いてやったのでは、学生の勉強にならない ではないかという説もある。それに対しては「学習効果を高めるために時々嘘の 答を教えることにしている」というのが公式見解である。 先生に嘘を教えられた事に気づいた学生は、何事も自分の目で見て、自分の頭 で考え、自分で納得した事以外は信じてはいけないという、大学生にとって 最も大切な事を学ぶのである。そのためには、あえて嘘つき教授の汚名も 買って出ようではないか。本当のところは、学生の質問をネタに自分が勉強した いだけであり、常に正解を目指しているけれど、図らずしも時々間違ってしまう のである。
質問攻めから解放されたらすぐに教授会。終了後はすぐに親和会の会場へ。 親和会宴会といえば、いつもは退屈に耐える精神鍛錬の場だけど、今日は隣が 事務の人だったので色々面白く話が出来て、あっと言う間に宴会が終わる。
2005年7月25日(月)
<<頭の風通しが悪い>>
EGAだの何だのと喜んでお勉強ばかりしているうちに、他の数学者が面白い問題を見出してさっさ
と解き進んで行く(「駄目な奴ほどすぐにお勉強に走るのさ」という天の
声)。あっ、その問題だったら自分だって見つけることができたに違いない。
以前に一部だけ考えたことがあるし、その先をどうしようかな、今やっている
お勉強が済んだら、ゆっくり考えてみようと思ってたんだ。嗚呼、お勉強に気
を取られて頭の風通しを悪くしているうちに、またゴミ論文のネタを逃がして
しまった!という不吉な夢から覚めて、今日は台風前の月曜日。
夜、夕涼みを兼ねて山科駅前SBUXまで散歩した以外は、終日自宅で野 暮用または数学。最低限7月中には読み終えたいと思っていた、基礎的なテク ニックを扱った某論文をほぼ読了。明日からは、少しは頭の風通しを良くしな くっちゃ。
2005年7月24日(日)
<<激しく同意>>
日曜日である。まさかとは思うけど、Ritsは今日も前期試験・平常授業が
同時進行しているかも知れない。まさかねと思う心が仇桜、花も嵐も踏み散ら
し行くがRitsの心意気。恐ろしいから大学の事は考えないようにし、自宅
にて数学したり野暮用したり。夕食後、夕涼みがてらに散歩、山科駅前SBU
Xでしばし滞る。
夏休みは切羽詰った生活から少しだけ解放され、日頃やらない読書なども 少し。私の人嫌い世の中嫌いの本質的原因は、基本的に私が日本人のモノの考 え方を深く嫌悪していしていることにあると気づかせてくれたのが、中島義道 「<対話>のない社会、思いやりと易しさが圧殺するもの」(PHP新書)。 中島氏の説に激しく同意する反面、氏のような人間が目の前に居たら嫌だなあ と思う私も、まさに自分自身が嫌悪している思考に知らぬ間に深く毒されてい る。
それ以外では、潮木守一「世界の大学危機、新しい大学像を求めて」(中 公新書)には、フランスの大学のどうしようも無い惨状が紹介されており、グ ランゼコールの輝かしい歴史ばかりに目を奪われていた私としては、ちょっと 意外な感じがした。大学に関してはフランスはいま一つでドイツの方が少しま しか。小田中直樹「フランス7つの謎」(文春新書)によれば、フランスは革 命的サンディカリズムとか言って、碌でもない経営者は労働者が団結して追放 すべしという思想の発祥地であり、誰でも単独でもストをし、人々はそれを 「お互い様」として容認するという。では、碌でもない経営者を追放した後ど うするのか?誰が”より良い”経営を担うのか?「そんな事は我々労働者の考 えることではない!」ああ、やっぱりフランスはいい国だ。私はこの国の言葉 を学んで良かったと思う。
2005年7月23日(土)
<<好感度アップ>>
今日ももしかして前期試験・平常授業が同時進行しているかも知れないけど、
恐ろしいから大学には近寄らないようにし、自宅にて数学。夕方は山科区内で
野暮用。通常日曜日にやっている事が土曜日に出来る。ゲーテの無い土曜日は
何だかトクしたような気分、なんて事を言ってたらバチが当たるか。夜は
2週間振りのスポーツクラブ。その後も少し数学。ここ数日EGAをひっくり
返したお陰で、ほとんど立ち往生状態だった論文読みが少し進展。
やはりEGAは大変よろしい本である。天才グロタンディエックにしてこ の「馬鹿っぽい」記述の仕方は何なんだろう?と思うほど、代数学者好みのエ レガント志向とは無縁で、「明らかに」とか「容易に」という単語の乱発によっ て記述量を限界まで少なくして喜ぶという小技を弄してない事が、好感度アップ に繋がっている。
でも、春休みはほとんどEGA読みだけで終わったみたいなものだけど、 夏休みもそんじゃ状態じゃあまずいんだけどな。やる事一杯あるけど、頭がつ いてかないのよ!
2005年7月22日(金)
<<自主課題演習>>
学生達は「前期試験で、もうテンパッテます!」状態だそうだが、Ritsは
今日も構わず前期試験・平常授業の同時進行。午後一番は元気の無い3回生
「外国書購読」。先週の授業の最後に学生達にこう述べた。「君達は元気が無
い3回生の中では少しは元気がある方で、今日で予定していた内容が全部終わっ
てしまった。見事なものだ。来週もう一回あるけれど、何がやりたい?もっと
位相空間論の演習問題をやりたいかい?それとも何か別の事をやりたいかい?」
彼らと相談した結果、今日は各自自分の決めたテーマ、自分の決めた場所で、
自主課題演習に励むこととなった。かくして本日午後は院生O君のホモロジー代数
ゼミ。
その後、部屋の片付け第2弾。1年前から積み上げられていた論文のコ ピーや、研究ノートなどを分類整理する。嗚呼、こんなに論文集めて、こんな に勉強して、こんなに計算して、色々やったんだなあと、しばし感慨にふける (でも錦鯉のゲップみたいな結果しか出なかったそうですぜ)。
夜は数学とかドイツ語とかで自主課題演習。
2005年7月21日(木)
<<夢にも思わない>>
前期試験と平常授業の同時進行である。本日午後は経済学部「C言語とUNI
X演習」。しかし、15回分の課題を10回で終えて追加の3回分の課題もほ
ぼ終了した2名の受講生に、さらに2回分勉強したいか、それとも試験期間だ
からそのための準備に専念したいか選択させた結果、本日自然休講が成立。午
後はアメリカからの来客と数学を中心とした色々な雑談をして過ごす。
現代日本人は数学嫌いだし、数学--- あるいは数学者!-- -は役に立たな いという思い込みも強いけれど、アメリカ人は必ずしもそうではないという 来客の話は驚きだった。ハイスクール・マセマティクスのレベルではあるもの の、数学は役に立つ、数学出来ないと仕事が出来ないと信じている人は少なく なく、2桁の足し算も怪しい(何故か少し年を食った)大学生が「だって、数 学って面白いじゃん!それに就職の条件良くしたいし」と猛烈な勢いで分厚いワークブックの演習問題を解き まくり、「生活掛かってんのよ」と出勤前にカレッジの早朝数学コースに通う 社会人が沢山居るとか、そういう話を聞くと、ほんまかいな?と思ってしまう。 そういうこともあって、アメリカでは数学のPh.D取得者の就職問題は、 研究条件に贅沢を言わない限り日本 ほど深刻ではないようだ。
ただ、私の偏見かも知れないけれど、日本では(日本に限らない?)数学 というとすぐに三角関数のチマチマした計算だの微積分がどうしただのといっ た話になってしまうような気がする。「ああいう数学なら学校時代だけでもう 沢山だ!」という気持ちや「三角関数の計算が一体万人が学ぶべきと言うほど の普遍性を持ちうるのか?」という疑問は、実は私も持っている。私は数学科 一旦落ちこぼれ計算機屋経由の代数屋だということもあって、数学といえば集 合、写像、圏論といった、何か物事全体を論理的に記述して、それらの構造や 相互の関係を明らかにしていくような思考方法、現実の分析手段をイメージし てしまう。数学としての面白さ、深さは、それを使って何を思考の対象とし、 どのように分析していくかに掛かってくると考えている。
今日も通勤電車の中で、どこかのビジネスマンが、何やらネットワークの ような図式を使った物流だか生産だか販売管理だかの資料に読み耽っていたけ れど、「それって立派な数学だよ。(純粋数学者好みの)深みは無さそうだか ら、私は好きじゃないけどね。でも、ほら、数学ちゃんと勉強しないと仕事が 出来ないでしょ!?」とか思いながら横から眺めていた。でも、本人も、そし て多くの数学者達も、これを数学だなんて夢にも思わないんじゃないかな。
2005年7月20日(水)
<<同時進行>>
午前中は「留学生数学」。今、前期試験期間中なんだそうで、今日の受講生は
1名。試験勉強に関連した質問多数。微積分の難しい演習問題をその場でいく
つも解くはめとなる(今日はミスはしなかったと思うけど)。はてな。何故試
験期間中なのに「留学生数学」の授業があるのか?何の事はない、試験期間と
平常授業期間が重なっていて、試験用と平常授業用の2つの時間割が同時進行
しているのである。
こんな事で驚いていてはいけない。今やRitsでは何が起こっても不思議で はないのである。そのうち、「夏休みと平常授業期間が同時進行」とか「平日と日曜が同時 進行」とか「食事と演習が同時進行」とか「睡眠と学習が同時進行」(これは情報 理工学部などで既に一部実現 している)とか「盆と正月が同時進行」とか「ハロー キティーと熊のプーさんが同時進行」とか、色々不条理で訳のわからない"同時 進行"がこの大学の中でどんどん現実のものとなっていくことであろう。
昼食後ひと休みしてから部屋の整理。開講期間中に溜まりに溜まった碌でもない 通達だの事務連絡だのの紙屑の山を捨て、授 業で使ったノートや資料、プリント、テスト問題などを片付けると2時間ぐら いはあっという間。これではキリが無いと思い、適当に切り上げてEGA読み に戻る。帰宅後もEGA読み。
2005年7月19日(火)
<<わずかな蓄積>>
昼頃出勤。大急ぎで昼食の後、院生O君のMatsumuraゼミ。事務所では年配の
先生達が「きな臭い話ですなあ」「それは大変ですねえ」とひそひそ話。その
後会議。夜は某決起集会とそれに続く某催しのテレビ中継があり、多数の教職員
の参加が呼びかけられていた。全力疾走のO坂先生に「高山さんも行かれるのです
か?」と聞かれたが、「行った方がいいのでしょうけど、後で腹が立って勉強
できなくなるといけないので、リアルタイムでは見ないようにしてます」と答
える。こう見えても(どう見える?)多感な中年期にある私である。ゲーテの
ドイツ語討論実習だけで激しくバンジージャンプの衝動に駆られ、一般ドライ
バーの走行を暴力的威嚇行為によって妨害する暴走族は装甲車で踏み潰し、
性悪ドライバーは構わずミサイル攻撃すべしと考える私が、そんな催しをまるで
プロレス観戦のように楽
しめるわけがなく、当然の如く自爆テロへの衝動に駆られてしまうではないか
(自爆テロはやりたくないよな、死ぬの嫌じゃん)、と。(え?何を言ってるか
わからないって?)
早めに帰宅して数学。またEGAを読むはめになった。この際だから、一 度フランス語文法と発音をちゃんとやり直したいけど、負け組数学者に そんな余裕があろう訳もなく、とりあえず読めればそ れでよし式の強行軍になっちまうな。若い時のわずかな蓄積だけが頼りですぜ。
2005年7月18日(月)
<<負け組数学者>>
梅雨が明けたそうだ。本日研究日にて終日何だかんだと数学。途中気分転換に
京都駅前近鉄プラッツ内旭屋書店近辺をふらついたり、山科駅前SBUXで油
を売ったり。夜は少しドイツ語も。
近頃は「勝ち組」と「負け組」という言葉が流行っているが、これには一 度「負け組」に転落したらもう二度と「勝ち組」にはなれないし、「勝ち組」 になってしまえば、余程の事が無い限り人生安泰という意味が含まれているら しい。人生一寸先は闇だし最後に笑うものが勝ちなのさという「勝負は死ぬ間 際までわからない」という麗しき社会思潮の中で育った最後の世代(?)であ る私としては、「勝ち組・負け組」って何て浅薄でつまらない思想なんだろう と思う。それはとりもなおさず、世の中が度外れて浅薄でつまらなくなった証 拠だとも思う(と、爺臭い意見を述べておく)。
しかしながら、実力の違いが身も蓋も無く白日の下に晒される数学者の世 界は、元々「勝ち組・負け組」の世界である。人生の比較的早い時期に自分が 勝ち組か負け組かが決まってしまい、大多数の数学者はその後の長い余生を 「負け組」人生としてすごさねばならない。数学者を目指す人間の殆どは、数 学者としての勝ち負けが決まる前に落ちこぼれて別の世界に放り出されるが、 それはそれで良いことだと思う。私のように、折角別の世界に放り出してもらっ たのに、わざわざ負け組数学者になるためにこの世界に戻ってくるのは頭がお かしいとしか言い様がない。
「負け組数学者」という言葉は昨日突然思いついたのだが、しみじみと良 い言葉だと思う。自分が負け組であることから目を逸らしていると、気分的に だんだんしんどくなってくる。負け組が負け組らしく清く正しく誇り高く生き ていくにはどうすれば良いか。そういう事を考えながら生きていけば良いのだ と思う。
2005年7月17日(日)
<<何とかしてよ!的な日々>>
野暮用と数学ないまぜの日曜日。
そういえばゲーテの皆さんは、夏休みにはバリ島エステの旅だの、ドイツ 自分探しの旅だの、チェコへの演奏旅行だの何だのと色々海外旅行の予定を立 てているそうである。ゲーテの人達に限らず日大セミナーの人達も、既に夏休 みはアメリカだのヨーロッパだのの研究集会に出かける予定を立てている人が 多いようだ。皆さん大変優雅で誠にご同慶の至りである。
私は「ああ、夏休みになれば少しは楽になるかな」以外の事は何も考えて いなかったな。野暮用雑用に追われながらも何とか時間をひねり出し、白い脳 味噌に一滴でも鮮血を巡らせんと無駄とは知りつつあれこれ手を打ち、無い知 恵絞って論文読んで、と、今日と明日の事だけ考えるのが精一杯の、秋霜烈日、 仏に会えば仏を殺し、何で私ってこんな切羽詰まってなくっちゃいけないの? ちょっと誰か何とかしてよ!的な日々を送っているうちに、はっと気づいた ら夏休みはもう間近である。夏休みですか。野暮用の合間にここ数ヶ月でやり 残した仕事を片付ける。それ以外の予定は思いつかないなあ。
これって、いかにも地面に這いつくばって生きている21世紀の負け組数 学者に相応しい夏休みだな。でも、何かもうちょっとのんびりしてみたいと思 うけどね。
2005年7月16日(土)
<<お家取り潰し>>
本日ゲーテ最終回。授業終了後、先生を含む有志数名で打上げ。祇園祭の混雑
を恐れながらも三条のトルコ料理店で一次会。その後ゼスト地下の喫茶店で2
次会をやって散会。まあ、間違いだらけのドイツ語だけど、何となく喋れるよ
うにはなった。しかし、もう少しまともなドイツ語が使えるようになるには、
日常的にもっと沢山のドイツ語を読まないと駄目だな。
打上げの時に受講生の一人に「数学者って一体どんな仕事をするんですか?」 と聞かれた。以前も別の所で同じような事を聞かれた事がある。「高校までは 先生に与えられた問題を解く事が数学ですが、数学者は自分で問題を作ってそ れを解くのが仕事です」と答えると、それだけで腑に落ちたという顔で納得し てもらえるようである。今日はさらに、「新しい問題と新しい解法の山を眺め ていると、それらが分かりやすく整理できることがわかったりします。あるい は、例えばインターネットの性能が良くなったり、電車が安全に走ったり、病 気の診断を正確に行ったりするのに応用できることがわかってきたりします。 そうやって有用性が分かってきて十分整理された部分を切り出して、学生に教 えるのです」というのを付け加えたのだが、これも結構納得してもらえたよう である。通常数学研究者は応用には興味が無いから、上の説明はちょっと嘘が 入っている。でも、これでいいではないかと思う。
数学者から見れば、応用としては新しくかつ目覚しくても数学的に何も新 しいものが含まれていないものは、数学ではなくて工学だという気がする。数 学科は数学を研究したり教えたりするところだ。工学なら別のところでやって くれというのが(特に日本の)数学者の標準的見解。でも、数学の良い応用が 見出されているのなら、それを鬼子のように毛嫌いして律儀に線引きして切り 離すのは必ずしも得策ではない。工学でも何でも数学の宣伝に効果的な分野な ら戦略的に取り込んで、あれもこれも数学だと言い切ってしまう。企業の研究 所でネットワーク・セキュリティー・システムの研究開発をしてたり、工場で 生産管理の技術者してたり、金融機関で投資分析してたりする人等々をぜーん ぶ数学者と呼ぶことにし、「数学者は、大学などの教育研究機関に限らず、世の中 の色々な所で日々大活躍しています!」と言いふらす。「あんなのは数学じゃ ない!」とか「彼らは数学科の落ちこぼれじゃないか。あんな連中が『数学者』 なんて、おこがましい!」等等人聞きの悪い事を言って騒ぐ”純粋な心の数学 者”達は、宣伝活動に支障をきたさないよう猿轡でもしてその辺に縛り付けて おけばよかろう。これを20年前からやってたら、少なくとも最近あちこちの 大学で流行りの「数学科お家取り潰し」は無かったんじゃないかしら、と思う。