の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2006年3月31日(金)
<<トトロ人形>>
モーツァルトのクラリネット五重奏曲が頭の中でぐるぐる回っている。まあ、
幸福なのは結構なのだが、今日ぐらいは少し意識的に別の物を聴くようにしな
いと、また人格崩壊が進行してしまいそうだ。と、いうことで、今日はオーボ
エ協奏曲いろいろと、ザビーネ・マイヤーのクラリネット協奏曲いろいろで、
リハビリ。
午前中は自宅にて野暮用、および少し仕事。MathReviewの原稿書きなど。 午後は出勤。通勤途中はちょっと数学をやってからドイツ語の予習。ぼんやり していて草津駅まで乗り越したので、その分長く予習ができた、、、はず。
大学では、学科長の細々した仕事とMathReview原稿の仕上げおよびそのWeb 投稿作業。それから、今日で退職する契約事務職員のFさんにご挨拶。餞に東 京出張で買ってきた手のひらにすっぽり入るぐらい小さなトトロ人形をプレゼ ントしたのだが、結構気に入ってもらえたようだ。Fさん、長らくご苦労様、 お元気で。
帰ろうとしていたら、君、確か今度の数理の学科長だったねとバス停で学 部長につかまり、今度これこれの仕事を押し付けるから覚悟して待っているよ うにと仰せつかる。なるほど、学科長になると日々色々な人間が私の所にやっ てきたり、あるいはメイルや学内便で、これこれの件よろしく、あの話もお願 いしますと、次々と仕事を持ってくる。営業活動しなくても、向こうからどん どん仕事がやってくる!いくら逃げても隠れても、仕事が私を追いかけてくる! この感触って初めてじゃないような気が、、、そうだ、10数年前にやった町 内会長と同じではないか!
帰りは同僚N先生と一緒になり、数学の話を色々やりながら山科までご一 緒する。明日の朝は早いので、夜はドイツ語の予習の続きを少しやって、早め に寝ることにする。
2006年3月30日(木)
<<幸せになるための特効薬>>
山科駅前Sbuxで昼食の後、午後の院生O君のMatsumuraゼミのた
めに出勤。ゼミは夕方までたっぷり4時間弱。その前後は、既に洪水の如く押
し寄せている意味のよくわからないメイルと、ポストに入っていた、これまた
意味のよくわからない分厚い資料を精査して、学科長のお仕事の準備など。帰
宅後も準備のお仕事。数学には音楽が必要だが、ぶち切れそうな学科長のお仕
事にはもっと音楽が、それも心にぐっと来る飛びっきりの音楽が必要だ。賢そ
うなオーボエのCD、そして、幸せになるための特効薬ゲーテのクラリネット
奏者氏のCDを交互に乱れ聞く。
とは言うものの、今日はまだ準備だから大したことはない。しかし、これ から私は一体何に、そして、どういう風に「ぶち切れる」ことになるのだろう か。
2006年3月29日(水)
<<学科長ぶち切れ日記>>
夜、東京で開かれていた数学会から帰宅する。いくつか数学の講演を聞き、偉
い先生を捕まえて質問などをし、展示販売の専門書を何冊か買い、久しぶりに
友人達に会って近況や研究の進展具合などを聞き、会場近くのカフェで数学を
し、といった幸福な数日間をすごす。
私は人格が歪んでいて友人が作れない性質(たち)なので、それでも 友人でいてくれる人たちは大切にしなければならない。
学生時代からの友人某国立Y大Y君には、東京の街をひたすら歩き回りな がら、国立大学の愚痴と彼の研究の輝かしい進展ぶりをたっぷり聞かせてもらっ た。薄々気づいてはいたけれど、君がそんなに優れた数学者だとは知らなかっ た。何を言うか、無礼者、云々。
会社員時代からの友人都内某私立T大Y君には、彼の研究室を訪ね、私立大 学の愚痴と彼の研究の輝かしい進展ぶりをたっぷり聞かせてもらった。前に会っ た時、君はすでにその分野では押しも押されぬ大御所だぞと威張っていたけれ ど、あれからさらにまた偉くなったのかい。そうさ。一つのことだけをずっと やり続ける奴が一番偉いのさ。もっとも、俺なんかまだまだだけどね、と。
一つのことをやり続ける、か。私の場合は、 会社員は9年でやめたし、 計算機科学の研究は12,3年で放り出したし、 数学の研究はやりはじめてまだ7、8年ってところ。 もうすこし細かく見れば、同じ計算機科学や数学の中でも、 数年単位で新しい事に手を出している。 ある種器用なんだろうけど、どれもこれも中途半端だな。
それにしても、大学の先生というのは、あのように挨拶の如く誰彼と無く 愚痴を言うものなのだろうか、それとも、人は私の顔を見ると思わず愚痴の一 つも言ってみたくなるのだろうか。愚痴が言いたくなる顔って、どんな 顔だ?と、あまり見たくもないのだけど、鏡を覗き込む。
それから会社員を続けている友人達とも飲んだ。白状すれば、実はボウリ ングもやった。私は年に1回、彼らと会う時だけボウリングをする。 最近は玉が前に転がるようになった事が自慢である。 以前彼ら からは、会社員の悲哀についてたっぷりお話を聞かせてもらったけれど、今回 は大人しい。皆さん、研究部長だのプロジェクトリーダーだのといつの間にか 大層御立派になられて、研究開発の現場から離れてしまったことに一抹の寂し さを感じつつも、管理職としてそれなりに満足にやっているようである。
2006年3月25日(土)
<<デビューCD>>
ゲーテの夏学期が始まった。今度の上級クラスには、既に顔見知りの人が半数
程来ていた。今日はクラリネット奏者氏に、何年か前に
出したというデビューCDを頂いた。ヨーロッパ
の某弦楽四重奏団との共演録音で、氏が演奏しているのはモーツァルトのクラ
リネット五重奏曲イ長調K.581。
それにしても、アルフレート・プリンツの1979年の名演奏の録音でし かモーツァルトの五重奏を聴いたことがないこの私に、このようなCDをプレ ゼントするとは、いい度胸してるじゃん!と(本当は私の方から「くれ」と言っ たようなもんなんだけど)、早速聴いてみた第一印象は「あれ?この人、こん なに上手かったかな?」(相変わらず口が悪くてすみません!!)。本人は色々 不満が残る演奏だとか何とか言ってたけれど、この際、そういう当事者サイド の意見は、「不満を持たない人生は疑問を持たない研究生活と同じで空虚です」 と意味不明の理由を付けて却下しておこう。兎に角、私をクラリネットの世界 に目覚めさせてくれた、あの懐かしいような独特の深さと不思議な透明感を持った柔 らかい音色が美しいのである。だから、読者の皆さん!幸せになりたければ、 ぜひ氏のCDを買って聴くべきです!と言いたいところだけど、残念ながら一般 には販売されていないのだそうだ。
ゲーテの帰りはいつものJEUGIA三条本店で少し道草。今日の1枚は ハンスイェルク・シェレンベルガーの「フランス・オーボエ名曲集」、 何で突然オーボエなの?と挙動不審の1050円也。実は、あの「賢そうな音 色」で、かつ、ジュンク堂BAL店でかかっていた夢と希望の「イタリア組曲」 (ストラヴィンスキー)の管楽器版で使われていた楽器は、もしかしてオーボ エでは?との疑問を解き明かそうというわけ。サン=サーンズ、プーランク、 デュティユーのオーボエ・ソナタの他に、ファンタジー・パストラール作品3 7(ボザ)、アフター・シランクス(R.R.ベネット). サン=サーンズ やプーランクのクラリネット曲は、ポール・メイエのCD「フレンチ・クラリ ネット・アート」でも取り上げられていたな。
明日から東京へ学会出張。次回更新は水曜深夜以降。
2006年3月24日(金)
<<オーケストラ嫌い>>
私にしてはいつもより早起き。昨日にひきつづき
鈴木雅明ゴールドベルク変奏曲を通勤の友に、10時ちょっと前に大学に
到着。
京都コンサートホールのアンサンブルホールムラタよりも少し大きめかと
思われる、ウチの大学で一番か二番目ぐらいに大きな教室プリズムホールにて、
まばらに座っている数理科学科の学生達相手に20分間の履修ガイダンス。そ
の後、昼食の時間まで研究室などで雑務。昼食後帰宅。自宅にてドイツ語の予
習少々、近所で野暮用の後、夕方から宵の口にかけて山科区内でぼんやり数学
を考えながらの野暮用。夜は数学。MathReviewのレビューの依頼をほったらか
しにしていたので、週末からの学会出張までに片付けてしまおうか、と。それ
やこれやの間に、何となくカリ・クリークとフィンランド放送交響楽団による
クルーセルのクラリネット協奏曲を3回程繰り返して聴く。
京フィルのコンサートが良かったことも手伝って、最近私のオーケストラ 嫌いがずいぶん治ってきたようだ。しかし大音響のオーケストラとそれほど音 量が出ないクラリネットが共演するクラリネット協奏曲は、何だか大勢の人間 が一人を取り囲んでいじめている図を思い浮かべてしまう。 君達、そんな卑怯な事をしてはいかん!と学校で習わなかったのか、と。 (「卑怯者」というのは今ではもう死語だという説もあるが。) クラリネットの音 がオーケストラに掻き消されてしまうのも痛ましい。かと言ってオーケストラ の音量に負けないようにと、力づくで音を出してしまうのも美しくない。あく まで優雅に、かつ、オーケストラの音に邪魔されることなく聴く人の耳にすっ と入ってくる、際立った音を出すとなると、大変な技量が必要になるんじゃな いかしらと思う。CDだと録音技術で何とかなるのだろうけど、コンサート だとそうはいかないしね。
2006年3月23日(木)
<<広告宣伝我関せず>>
午前中は少しドイツ語。午後は鈴木雅明ゴールドベルク変奏曲を通勤の友に大
学へ。院生O君のMatsumuraゼミを夕方遅くまで。夜は大学の履修要
項なる冊子に初めて真面目に目を通す。これ、学科長のお仕事の始まり
なんよ。
多様な学生のニーズに応える(フリをする)ためか、数理科学科には膨大 な数の科目が開講されており、「○○コース××重視型履修モデル」なる名称 の、学生各自の志向性に応じた各学年に履修すべき科目一覧表が5つぐらい示 されている。べつにこれらのうちのどれか1つを選ぶ必要は無く、単なる履修 例である。ツナのサラダ油漬け缶詰の缶や、プンパーニッケルの包み紙などに 示されている、「盛り付け例」みたいなものと思えば良い。
一覧表の中身は、注意深く観察すれば「間違い探しクイズ」程度の差異は 認められるが、大して違わない。大して違わないものに大そう違っているかの ような名前を付けて、僅かな差異を強調するのは一種の宣伝・営業活動、プレ ゼンテーション技術であるが、それがどれ程有効に作用しているのかはよくわ からない。宣伝文句を額面通りに受け取って、こちらの思惑通り、その気になっ てくれる学生がいるかも知れないし、広告宣伝我関せずで、「自分のテイスト に合いそうで、しかも単位が比較的楽に取れそうな科目を選ぶ」という原則に 徹する学生も少なくないと思う。
私は額面派学生よりもテイスト派学生の方が少し好きである。出来合いの 「お勧め盛り付け例」なんて鼻っから蹴飛ばして、自分の勘とセンスだけを信 じて生きていく。それって大事な事じゃないかと思う。それに、そういう学生 ばかりだったら、私は明日早起きして大学で履修ガイダンスの説明、やらなく て済むもんね。
夜中は少しドイツ語。
2006年3月22日(水)
<<勝手に仕切る>>
午前中はドイツ語の予習、と言ってもテキストにざっと目を通すだけだけど。
午後はどうしようか。そうだなー、少し数学をやって、それからスポーツクラ
ブに行って、夜はまた数学やって、などと考えていたのだけど、突如私は副学
科長であることを思い出した。副学科長は卒業証書授与式で学生の名前を読み
上げて、全力疾走O坂学科長の補佐をするというのが慣例じゃなかったかしら。
ついでにサーベイノートを大学のプリンタで印刷したいしということで、急遽
出勤。何とか学部と修士の証書授与式の補佐役を果たすどころか、式を勝手に
仕切ったりもして、すぐに帰宅。
夜は京都駅近辺で謝恩会が開かれたそうだが、 今年は卒研生も居ないことだし、出席しても別に学生と話すわけでも なく、ましてや同僚の数学者達に腐った生卵をぶつけるわけでもなく、大人し く黙って酒飲んで料理食べてカロリーオーバーして太って帰ってくるだけの展 開になることは目に見えているので、パス。帰宅後はスポーツクラブへ。夜中 はまた少しドイツ語。今日も数学は電車の中で30分ほどやっただけ。
2006年3月21日(火)
<<賢そうな音色>>
今日はJ.S.バッハの誕生日なんだそうである。午後は京都コンサートホー
ルへ。今日は京都フィルハーモニー室内合奏団の定期公演会。J.S.バッ
ハのブランデンブルク協奏曲とモーツァルトのクラリネット協奏曲
。休憩を挟んで後半はベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調Op.2
1というプログラム。ブランデンブルク協奏曲とベートーヴェンの交響曲
は今日初めて聴いた。
モーツァルトのクラリネット協奏曲は、ほとんど「クラリネットのCDを 買うとオマケについてくる曲」--- 本当はクラリネット協奏曲のオマケとして 別の曲が入っていると言うべきなんだろうけど --- みたいな感じなので、C Dではいくつかの演奏を何度も聴いている。しかし、生の音を聴くのは今日が 初めて。そもそも過去20年でクラリネットの生演奏を聴いたのは、ゲーテの クラリネット奏者氏と今日の京フィルの松田学氏の演奏だけ。これは問題だ。 何とかしよう。秋にはポール・メイエが来日するそうだから、さしずめこれは 外せないな。
それから、あれはたぶんオーボエだと思うのだけど、演奏中に時々とても 賢そうな音が聞こえてきて、ちょっといいなと思った。私はどの楽器がどんな 音を出すのかよく知らないので、 「高い音だからファゴットじゃあ無さそうだな。でもファゴットって 低音を出す楽器だってのは正しかったっけ?」という調子。 リートで音を出す楽器であることは確かだと思うんだけど。
時々聞こえてくるあの賢そうな声(音色)は誰(どの楽器)?と気になっても、 オーケストラというのは、大勢の人間が一斉にわあわあ喋っている数年前までの大 学の教室と似たようなものなので、誰がその声を出しているのかよくわからな い。これについては、引き続き調査が必要だな。たぶん音楽の事を良く知って る人を捕まえて、「リートで音を出す楽器の中で、一番賢そうな音出すのは、 どれ?」と聞けば直ちにわかること、かな?
それにしても、京フィルって初めて聴くのだけど、何だか物凄くレベルが 高そうで、最後のベートーヴェンの第4楽章なんかは圧倒的な上手さでねじ伏 せられたって感じ。おー、何かようわからんけど凄かったなーと思ってアンコール!アンコール! と拍手して待っていると、何と!先ほどの強烈な余韻まだ冷めやらぬ第4楽章 をもう一度演奏して、我々聴衆はもう一度ねじ伏せられてしまったのである。 この悪戯っぽさというか、聴衆の気持ちを巧みに掴んでいて、うまいことして やられたなって感じ。久しぶりにとても良い気分にさせてもらえた。
コンサートの帰りにJR京都駅伊勢丹に立ち寄り、美術館「えき」KYO TOで開かれている「ポーラ美術館の印象派コレクション展」へ。特にクロー ド・モネの風景画で良いものが沢山展示されていた。
夜はドイツ語の予習。数学は今日もほとんどお休みで、電車の中で先日来 の小さな疑問を解いただけ。
2006年3月20日(月)
<<俄仕立ては利かない>>
午前中に自宅の野暮用を済ませ、昼過ぎ早々に烏丸今出川近辺に繰り出し、夕
方頃まで野暮用。夜は安いワインなど飲んで、すこしゆっくりする。数学はお
休み。そのかわり、今週末から始まるゲーテ夏学期の予習を少し。
いまは卒業式のシーズンたけなわのようで、先日は近所の京都薬大が、今 日は同志社大の今出川キャンパスで卒業式をやっていた。私は中学校の卒業式 に出たのが最後なので、卒業式がどんな感じのものなのかよくわからないが、 ああいうものは格調高く、かつ、心温まるものに演出してこそ意味があると思 う。しかし、俄仕立ては案外利かないもので、格調の高い大学は格調の高い卒 業式が自然と演出できるだろうし、そうでない大学はどう頑張ってもそうはな らないと思う。
聞くところによると、同志社大学の卒業式では、最後に総長をはじめとす るエライ先生達が演壇を降りて、一列に並んで皆で手を振って卒業生達を会場 から送り出すのだそうだ。ああ、何て素敵な演出をする大学なのだろうと思う。 隣の芝生が美しく見えているだけなのかも知れないけれど、こういう心温まる 雰囲気はウチの大学には無いと思うな。労働争議の頻発で教職員の間に殺伐と した雰囲気が漂い始めた昨今は、特にそうなんじゃないかしら。この1年間で ウチの大学が失ったものは、我々が日頃自覚している以上に大きいのかも知れ ないな。
2006年3月19日(日)
<<サビーネ・マイヤー>>
午前中は自宅で野暮用。午後は、夕方の外出時を除いて、数学。サーベイ・ノー
トの整理作業を強引に終わらせる。
夕方はJEUGIA三条本店に繰り出し、正しいCDが選べるかどうかの テストを行うことにより、私の精神状態が心神耗弱状態にないかどうかのチェッ クを行う。1時間以上かけて熟慮と入念な調査を重ねた結果、Sabine Mayer (サビーネ・マイ ヤー)の"Clarinet Connection, the great concertos, Mozart, Weber, Stamitz" のCD、今度こそはヘマをするまい!の2100円也毎度ありい! を購入。中身は、モーツァルト、ウエーバー、スタミッツのクラリネット 協奏曲計3曲とモーツァルトのセレナーデ第10番変ロ長調(KV361) 「グラン・パルティータ 」(抜粋). このCDは大正解。ザビーネ・マ イヤーのクラリネットは、アルフレート・プリンツやペーター・シュミードル を彷彿とさせる透明感のある音色が美しいし、ポール・メイエばりの超絶技巧 も平気で繰り出したりして、大変よろしい。
クラリネットの良いCDを探すのは、それなりに大変なのである。まず、 ピアノやチェロやヴァイオリンに比べて、圧倒的に数が少ない。さらに、でき るだけ沢山の演奏家のCDを集めて音色の違いを楽しみたいと思うものの、ジ ルバース・ドゥ・ペイエのようなハズレを引いてしまうと、しばらくその悔し さから立ち直れない。また、超有名作曲家の定番クラシック曲があまり多くな いためか、よほど頑張って探すようにしないと、気が付いたら色々な演奏家に よるモーツァルトのクラリネット協奏曲と五重奏曲のCDばかりが家じゅうに 溢れ返る事態に陥りかねない。かといって現代音楽物に手を出すと、ただ心冷 え冷えと頭がおかしくなる思いをして終わる可能性も大である。まあ、そうい う意味ではスリルがあって、今日みたいに「大当り!」を引いた日は、結構嬉 しいのである。
2006年3月18日(土)
<<内向きでひとりよがり>>
午前中から夕方頃まで自宅にて野暮用と大学の雑用をこなし、その後山科区内
にて野暮用。合間合間に3つぐらいの小さな疑問を考え続ける。夜はサーベイ・
ノートの整理。新学期が始まるまでにノート作りを終え、その後はノートを眺
めながら色々考えてみようという魂胆なのだが、そんなにうまい具合に行くか
どうか。昼間の3つの疑問のうち2つまでは解決。
「内向きでひとりよがりな数学者」というのは、ある意味で私に最もよく 当てはまっているのだけど、どうも「内向きでひとりよがり」 の意味するところが私の場合と他の数学者の場合とでは、ずいぶん違うよう である。数学という学問に忠実に生きているがために、いわば職業病みたい な形で「内向きでひとりよがり」になっている数学者というのが通常の意味だ が、私の場合、元々「内向きでひとりよがりな」人間がたまたま数学者稼業を 営んでいる、という感じ。自分以外の人間は、私が例外として認定した人たち を除いて原則として全て嫌いというところも、「病巣は深い」って感じだし (まあ、「例外」認定を受けた人は沢山いますけど)。こういうのは、 数学者云々以前の問題だって気がしないでもないな。
2006年3月17日(金)
<<お望み通りの死>>
午前11時から断続的に合計3回の全く形式的な会議。夜は祇園の某料亭にて
親和会宴会。人生に疲れた私は、月桂冠の冷酒を痛飲して泥酔。親和会の数理
科学科からの参加者は例によってごく僅か。別にこの退屈極まる宴会に出て、
およそ学問とは関係無さそうな学内政治の話に花を咲かせたところで、何がど
うってことはないし、参加不参加はまったく各自の自由なのだけど、この徹底
した不参加ぶりは、いつもながら”内向きでひとりよがりな数学者”というイ
メージと重なってしまう。
数学科に対する風あたりが益々強くなる昨今、特に私大の理工学部の中に あって”内向きでひとりよがりな数学者”として「自分たちは自分達の好きな ようにしかやりたくない、それが許されないのならば、それはそれで仕方の無 いことだ」と考えているならば、たぶん大人しく死を選ぶ道しか残されていな いのではないかと思う。そして彼らは、自分達とは価値観の異なる人たちを説 得したり、多少の法螺を交えて戦略的に何かを主張したりといった、およそ非 数学的で精神的な苦痛を伴う事をするぐらいならば、潔く静かな死の方を選ぼ うと決心しているかのように、私には見えるのだ。薄汚く生き延びるぐらいな らば、清いままで短くとも美しい人生をまっとうしたい、というわけである。 薄汚く生き延びてきた私には、どうもこういう価値観はよくわからない。 だったら、もし私に何かしらの権限が与えられたならば、貴方達にお望み通り の死をもたらして差し上げましょう。私の自爆テロ志向というのは、要するに そういうことなのだと思う。
2006年3月16日(木)
<<即興曲D899とD935>>
終日春の訪れを感じさせる激しい雨。通勤の友は、久しぶりにシューベルトの即興曲
D899とD935。人生に疲れて自爆テロ志向が高まっている心に、じんと沁みます。
私が持っているのはナディア・ルバネンコというロシア出身のピアニスト の演奏のCD。もう何十回と聴いていて「シューベルトの即興曲はこうでなけ ればならない」とう思い込みが出来上がっている。一人の演奏だけ聴いてこん な風になってしまうのは、あまり良くないことだと気づいたのは、ごく最近の ことである。また別の人のCDも買ってみよう。
午後は院生O君のMatsumuraゼミ。夕方終了。しばし雑用の後、 京都駅近辺に繰り出し野暮用と夕食。帰宅後は数学を少し。数学の友は、これ また久しぶりのシューベルトのハンガリー風ディヴェォルティメントとフラン ス風ディヴェォルティメント(いずれも四手ピアノ曲)。最後はポール・メイ エのクラリネットで締める。