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告

よ け ス ペ ー ス で す。

2005年11月30日(水)
<<考えてなかった!>>
午前は4回生配当「計算機数学続論2」。受講生達はどうやら隔週で講義に出 席することにしているらしい。先週は1名だったので、今日は3,4名。いち いち気にしてもしょうがないので、構わず粛々と講義。目出度くカツカレーの 昼食の後、部屋で論文読み。夕方より3時間以上教室会議。夜は引き続き論文 読みを少し。

よく過疎の村の小学校で、例えば全校生徒が5名で学年がばらばらなので、 授業は全学年まとめて1クラスで行うというのがあるが、大学でも似たような ことができないかしらと思う。水曜日午前の「計算機数学続論2」と金曜日午 前の「計算機代数特論1」はコンスタントに出席している受講生は合計2名程 度。金曜日午後の爆睡情報理工1回生の線形代数も、起きてる学生はせいぜい 10名ぐらい。あと木曜午前の「離散数学」は受講生が30名程度。これらを 全て一緒にすれば、40名程度のクラスが出来上がる。これぐらいだと、大学 のクラスとして適正規模である。で、講義は週1コマ、このクラスを教えてお しまい。同じ教育効果で場所も時間もエネルギーも労力も大幅節約。あと下ら ない会議の2つや3つ入っても、十分研究時間が取れる。なかなか素晴らしい アイディアだと思うんだけど。え?隔週で講義に出席する学生や授業中に教室 で爆睡している学生はどうするかだって?いっけねえ、考えてなかった!

2005年11月29日(火)
<<必死仲間>>
午前中は自宅で野暮用など。午後は大学へ。図書館でちょっと古い論文のコピー をした後、部屋で退屈な管理業務。頭が悪くなりそうな文章を山程読むはめとなる。 さらに夕方から、頭が悪くなりそうな会議。あー、これ以上頭悪くしてどうするん だよー!と、夜は学生時代の友人と久しぶりに草津界隈で飲む。何故か飲み足 りず。山科駅前SBUXでコーヒーを飲んで酔いを覚まし、夜中に気休め程度 に数学(そんな事してると、また眠い眠い病になるぞ!)

まあ、私も日々それなりに必死にやってて、一所懸命というよりも 必死というのがしっくり来る感じである。すると他人の必死もよくわかるもの で、皆さんそれぞれ、必死です!必死です!必死です!と騒いだりはしないの だけど、そこはかとなく、ああ、この人も必死なんだとわかるのである。おそらく は必死にも色々種類があって、私が得意とする必死とそうでない必死があると 思う。得意な必死はすぐわかるが、不得意な必死はたぶんよくわからない。得 意な必死は、私のそれと質の似たものなのであろう。その気になって見回せば 私の周りに必死な人を沢山見つけることができて、まあ、私にしてみれば「必 死仲間」みたいなものである。私の「必死仲間」は年齢も性別も色々で、数学 をやっているとは限らず、むしろ数学以外の事をやっている人が多い。

2005年11月28日(月)
<<お前はもう死んでいる>>
研究日。眠い眠い病では気合一発の雑用はできても数学はできないことを鑑み るに、寝ることも研究の一部であると悟る。よって睡眠時間も立派な研究時間である。 従って寝てる間でも数学の問題を考えていなければなんらない!あれ?何か変 だな。

残る人生そう長くも無いことを思うと、つい欲を出してちょっとでも沢山 研究しようと、眠いのに夜更しし、朝はまだ眠いのに無理に飛び起きて、さあ、 さっさと野暮用雑用を片付けて研究研究...といった調子でやっていると、野 暮用雑用が終わった頃には眠くてぼんやりしている。慌てる割には研究はあ まり進展しない。慌てても慌てなくても進展する時は進展するし、進展しない 時は進展しないものだ。そして研究というものは、概して進展しない ものだ(私の場合は、だけど)。

よく、「死ぬ気で頑張る」とか「死んだ積もりで頑張る」というけれど、 この言葉の正しい意味は「もう死んでいるのだから、慌ててもうしょうがない。 落ち着いてやれ」である。私は座右の銘というものには頓着しないのだが、敢 えて言えばこれまでは「捨てる神あれば拾う神あり」だった。これは単に私の これまでの運頼みのトホホ人生を一言で纏めた言葉に過ぎないし、ちょっと迫力不足で ある。これからは

「お前はもう死んでいる。慌てても無駄だ!」

で行ってみようかと思う。 佛教ではこれを「南無阿弥陀佛」という。毎日毎日自分に 向って「南無阿弥陀佛(お前はもう死んでいる」)と念佛を唱えることによっ て、成佛できるのである。(さっきから嘘ばっかり書いてるけど、ま、いいか。) 死んだフリして生きることはできても、死んだ積もりで生きるのは難しい。だ から普段から「南無阿弥陀佛」と唱え続けなければならない。 南無阿弥陀沸。死は永遠だ、時間はたっぷりある。のんびり やろうぜ!あれ?何か変かしら。

本日、逸る心を念佛で押さえて十分な睡眠を取ってから起床。野暮用の後、 午後は数学。夜も数学。やっと「ソプラノで脳味噌ぐちゃくちゃ」病から 立ち直り、(CDを回すとすぐにオーバー・ヒートするボロPCで) シューベルトのピアノ曲が聴けるようになってきたが、数学は目立っ た進展は無し。

2005年11月27日(日)
<<眠い眠い病>>
野暮用の日曜日。野暮用その1は、CDウオークマンを電気店に持ち込み、修 理を依頼すること。野暮用の合間を縫って数学はほんの2、3時間、演習問題 のような問題を考えるも、答がわからず。また眠い眠い病で、コーヒーをいく ら飲んでも眠い。いっそ短時間でも昼寝をと思っても、コーヒーを飲み過ぎて 眠れない。何なんだ、一体!

2005年11月26日(土)
<<憶えてない>>
ゲーテとスポーツクラブの日。CDウオークマンが壊れて以来、私の頭の中で は時間が止まったかのようである。ああ、静かだ。昔、煙草をやめた時、香り も刺激も無い空気を呼吸して今ここに生存することが、こんなに静かなことだ とは思わなかった、と驚いた。ヨーロッパの空港に降り立つ時はいつも、空港な のに何でこんなに静かなのだろうと思う。静かな時こそ数学ができる?静かな 時は頭も空っぽで数学はできない?しかしこういう事は久しぶりなので、どう だったか覚えていないな。今日は眠いから寝る。

2005年11月25日(金)
<<ストライキ>>
午前中は院生O君に大学院「計算機代数学特論1」の講義。昼休みのキャンパ スは数十年振りとかいう労働組合のストライキと緊急野外職場集会で盛り上がっ ており、新聞などでも報道されたようである。 組合員でない私はストライキに は参加できないので、せめてもと職場集会場をウロウロして、「もっとちゃん としたマイクロフォンを用意せんかい!折角の演説が聞こえんぞ」とか吠えて 回ったり、おおっー!よう言うた、偉い!と演説に拍手してみたりして、 精一杯景気付けに努めた(つもり)。そして今日も生協ラ・ポーズ天ざるセットの 昼食。

午後は情報理工1回生の爆睡線形代数の講義。はてな。学生達もストライキをやっ ているのか、受講生が10名程度(90名近いクラスである)。毎週水曜日と 金曜日の講義は受講生がそれぞれ1名程度だから、10名もいれば上等だなと、 スト破り学生のうちの起きている数名を相手に粛々と講義。

その後、部屋でゲーテの宿題など。と、1月ぐらい前に買ったばかりで、 iPod にすれば良かったと少し後悔しつつも日々愛用している、CDウオークマンが何かのはずみで机から落下し、壊れる。

お前もストライキかよ!!

まだ病み上がりの私は、講義や会議の時間を除いて、ソプラノに脳味噌をぐちゃ ぐちゃ掻き混ぜてもらいながら青息吐息で仕事をしている。突然ソプラノが消 えて ,,jenseits der Stille'' (静寂の彼方)の世界に突き落とされた私は、 打ちのめされた気分でそくさくと帰宅。 夜もゲーテの宿題を少し。そして、私もストライキ!数学なしでぶらぶら してから寝る。

2005年11月24日(木)
<<あ、あ、あ、やめて!>>
午前中は2回生「離散数学」、生協ラ・ポーズで天ざるセットの昼食の後、数 理科学科会議室にて全力疾走O坂主任と某管理業務。その後、院生O君のMa tsumuraゼミ。その前後、爆睡線形代数の小テストの得点集計作業など をしてから帰宅。夜は数学。

シンポジウムからもう1週間経とうとしているのに、白井光子様とバトル (Kathleen Battle)のドイツ・リートにはまって抜け出せない。ソプラノとは 頭上15センチから発する殺人音波であり、ソプラノ歌手なる危険な肉体兵器 は口に絆創膏でも貼ってその辺に縛りつけておくしか無いなどと長らく考えて いた私だが、今や快感どころか中毒になりかけている。確かに、あのキンキン 声で脳味噌をかき回してもらうと、くたびれた脳と心が蘇生されるような気分 になるのだが、脳味噌がぐちゃぐちゃになってしまい数学はできない。

それで、数学をする時には、無作為抽出されたシューベルトのピアノ曲を 気付け薬がわりに強引に聴こうとするのだが、病み上がりの身体で出勤した時 みたいに頭の節々が痛むような感じがして、ちとキツイ。ああ、ピアノって鍵 盤楽器なのね。鍵盤楽器って、あのハンマーで何かをガンガンどやしつけて音 出してるのね。あ、あ、あ、やめて、やめて、そのガンガンが頭に響くからっ て感じ。心身ともに健康な時って、ああいうのが平気だったのだと、今更なが ら驚くのである。これではまるで、アル中のオヤジが仕事しなくっちゃと二日 酔いの朝、ドリンク剤か青汁飲んで、うっ、まっずうー、たまらん!と言って るのと同じではないか、と。

2005年11月23日(水)
<<微妙な人たち>>
なりふり構わぬ立命館に祭日はない。午前中は4回生配当「計算機数学続論 2」。受講者1名。淡々粛々と講義。昼食は”水、木、金曜日は生協ラ・ポー ズで天ざるセットの日々”が復活。シンポジウムで心身ともに生活のリズムが 狂っていたけれど、やっといつもの生活に戻ったかに見えるのは上辺ばかりで、 何故かシューベルトのピアノ曲を聴く気が全然起こらない。数学者が数学を 考えることが出来なくなってしまう日というのは、こんな風に突然に、そして 空気が入れ替わるようにすっと訪れるものなのかしら、という考えがふとよぎる。

午後は図書館などで論文のコピーを手に入れ、生協でボールペンの替え芯 をまとめ買いして、部屋に戻って純然たる雑用の書類を書いた後は、光子様と バトルのドイツリートのCDを交互に聴きながら、情報理工学部1回生の爆睡 線形代数の小テストの採点。講義中にあれだけ寝倒して試験中も爆睡している のだから、さぞかし惨澹たる出来栄えかと思いきや、そうでもないところが不 思議。落第点取得者は辛目の採点で3割強にとどまった(予想は8割以上)。寝てばかりいるからと言って、勉強が出 来るわけでも出来ないわけでもないところが、彼らの微妙なところである。

夜はドイツ語の予習、宿題。そして数学を少し。

2005年11月22日(火)
<<くわばらくわばら>>
今日も昼前に起きて野暮用を済ませた後、某絶版図書に書かれているという 「よく知られた」某定理を調べるために、京大数理研の図書館へ。帰りは数学 教室の方も少し偵察。夕方の5時を過ぎているのに、京大数学科らしいテンショ ンの高そうな子たちが何人か居たので、くらばらくわばらと早めに退散。京大 に行くのは2004年の2月以来。前回行った時は、生協のコピー機のところ で一人の学生が突然棒のように倒れ、皆で救急車を呼ぶなどして大騒ぎになっ た。その時の事がちょっとひっかかっていて、先日京都市主催の心臓マッサー ジ、人工呼吸、AED(自動体外式除細動器)の講習を受けてきたんだけど、 役にたつかな。京大は今、11月祭の時期らしい。

2005年11月21日(月)
<<一番幸せ>>
先週はシンポジウム、コンサート、スポーツ・クラブと、歯を食い縛って生死 の境をさ迷ったり、興奮したり、へとへとになったり、野暮用に歩きまわった りということが続いたので、今朝はゆっくり寝て午後は自宅研究日。シンポジ ウムで教えてもらった事について、おもむろに調査を開始。夜、京都駅前近辺 に繰り出し、白井光子様の歌声を聞きながら、その辺をふらふらとする。 ふらふらしている時が一番幸せだ。

2005年11月20日(日)
<<親のカタキ>>
夕方頃まで何だかんだと野暮用の、いつもの日曜日。夜は少し数学。シンポジ ウムから帰って以降、いつものようにシューベルトのピアノ曲でイケイケ ではなく、ドイツ・リートばかり聞いているのは、勿論金曜日のコンサートの 影響が絶大なことは確かだとしても、シンポジウム疲れの影響も無視できない。 ああ、光子様のどしんと腰の強いメゾソプラノが、ささくれた心に染みわたります。

計算機屋時代の後半は数学マニアだった。春と秋の数学会に参加しては、 色々な分野の講演を聴講して楽しんでいたし、長期の休みなどには、これま た色々な分野の数学の教科書を通読して楽しくすごしていた。専門の計算機科 学の研究に多少なりともヒントになれば儲けものとは思っていたが、数学で特 に何か仕事をしようとは思っていなかった。数学を純粋に楽しむだけのアマチュ アでいる間は気楽なもので、数学者の真似事をし始めた頃もまだまだ楽しさ一 杯なのだけど、数学者稼業一本でやっていくとなると、楽しい楽しいでは済ま されなくなる。

数学会の講演も、自分の専門とかけ離れた分野のものを聞いてみようとい う気は起こらなくなった。一方、自分の専門分野の講演になると、「この講演 から何とか新しい研究問題をひねり出せないか」とか「この講演から何とか自分 が考えている問題のヒントは引き出せないか」とか、場合によっては「この野 郎、よくも俺がこれから考えようかと思ってた問題を全部解きやがったな」と か、「楽しい」とは程遠い気分で聞くのが普通であり、ほとんど親のカタキに 向うが如くである。それでも講演に触発されて次々と良いアイディアが湧いて くれば、「ああ、シンポジウムは楽しい!」となるのだろうけど、凡庸なる私 の才能はそれを決して許さない。

それから、よく講演で「私はこの問題について色々考えてみたけれど、ど うしても解けなかった。もし皆さんの中に答を知っている方がおられて教えて いただけるのでしたら、私は大変嬉しい」というような事を言う数学者を 見かけるけど、私には本心で言っているとはとても思えない。命を削る思いで 考えた問題である、「大変嬉しい」どころか、 この野郎、よくも俺より先に解きやがったな!と悔しくて三日三晩寝られくな るのが普通ではないか。

かように数学者はシンドイ。しかし、♪花も嵐も踏み越えて、行くが 数学者の生きる道♪シンドさを踏み越えた所に楽しさがあるのだと思う。

それはさておき、音楽家は音楽をどのように楽しんでいるのだろうかと いうのが、近頃漠然と抱いている疑問である。 彼らは、計算機屋時代の私がアマチュアとし て数学を楽しんでいたような、あるいは、今の私がショパンだマーラーだと無 邪気に騒いでいるような楽しみ方は、決してしないと思う。例えばピアニスト ならば、自分以外のピアニストの演奏を親のカタキに向うが如く聴くのではな かろうか。仕事を離れた楽しみとしてパイプ・オルガンやフルートのコンサー トを聴きに行くなんてのは真っ平御免で、そんな事をするぐらいならマチスの 絵でも見にいった方がましだという風に思うのではなかろうか。機会があれば、 ゲーテのクラリネット奏者氏にでも聞いてみるか。

2005年11月19日(土)
<<深い憧れをもってひびく>>
ペケ数学者の私は、数学そっちのけでゲーテの日。帰りはJEUGIA三条本 店にて、白井光子様のCD、シューマン Frauenliebe und Leben Op.42 「女 の愛と生涯」(何か凄いタイトルだな)とLiederkreis Op.39 「リーダークラ イス」(これは数年前にテノールの誰かのCDを買って持っている)、さらに余勢をかって キャスリーン・バトルのソプラノによる、シューベルト・ドイツリート集のC Dの計2枚を衝動買い。

バトルのCDは、ゲーテで一緒のクラリネット奏者氏が、シューベルトで 唯一のクラリネット(とピアノ)曲だと教えてくれた,,Der Hirt auf dem Felsen'' D965(岩の上の羊飼い)が入ってたので、ひとつ試しにと 買ってみた。光子様にくらべると、バトルの声は細くて軽やかである。 これって、メゾソプラノとソプラノの違いなのか何なのか、私は知らない。

クラリネット奏者氏によれば、モーツアルトなどは沢山のクラリネット曲 を書いているそうだ。しかし私は学生時代のトラウマゆえに映画「アマデウス」 も断固拒否したぐらいだから、いまだに意固地にモーツアルト抵抗運動を続け ている。モーツアルトって、街を歩いていてふっと何か聞こえてきたときに、 あ、これ絶対モーツアルトだなって分かること(本当は勘違いしているのかも 知れないのだけど)が多々あって、そういう時はムラムラと腹が立ってきて、 その辺の猫でも蹴っ飛ばしたくなるのである。そんな調子なので、じゃあとり あえずシューベルトはお好きなようだから、「岩の上の羊飼い」でも聴いてみ ればどうですかという感じで勧められたのである。

それにしても「岩の上の羊飼い」の詩には、凄い一節が含まれている。

So sehnend klang im Wald das Lied
So sehnend klang es durch die Nacht

ぼくの歌は深い憧れをもって森の中にひびきわたった
ぼくの歌は深い憧れをもって夜の中にひびきわたった

意味はよくわかんないんだけど、私はこういう言い回しが大好きである。 これを光子様の歌で聴いてみたいものだ。夜はスポーツクラブ。

2005年11月18日(金)
<< Dunkel ist das Leben.>>
アルコールと睡眠不足は免疫力を低下させるらしく、今朝起きたら喉と頭が痛 い。そういえばシンポジウムの帰り際には、くしゃみなどをしていた。以前は 猛烈に怪しかったりむさ苦しかったりしたのだけど、今やダンディーなY先生 の下でずいぶんこざっぱりした元「怪しい学生K」君に、高山先生お風邪でも ひかれたのでしょうかと聞かれて「そんなことはない」と答えたものの、やは り「そんなことはあったのだ」と悟る。まったく私のように線の細い人間は、 シンポジウムに参加するのも命がけである。だがしかし、竹下景子姉ご推薦の 早めのパブロンで何とか押さえ込んで出勤。午前は院生O君相手の大学院「計 算機代数特論1」。Dunkel ist das Leben, ist der Tod. 生は暗く、死もま た暗し。せめて昼食ぐらいでも目出度くやろうじゃないかと、生協ラ・ポーズ でカツカレー。午後の居眠り情報理工1回生の線形代数は、本日小テストなり。 テスト中でも半分近くが居眠りしてるぞ。君ら、コアラか?ま、そんな事はと もかくとして、授業終了後は速攻で京都コンサートホールへ急行。

今日はシューベルト交響曲第7番「未完成」D759を軽くやってから、 お待たせしました Dunkel ist das Leben, ist der Tod! 白井光子のメゾ・ ソプラノ、クリストフ・プレガルディエンのテノールの独唱付きマーラーの交 響曲「大地の歌 Das Lied von der Erde」。曲の内容にあわせて、青空のよう なチャイナドレスでばっちり決めてご登場の白井光子様。はい、もうこの際だ から白井光子様と呼ばせていただきます。光子様はいつもああなのでしょうか。 今日は本当に神憑ったとしか思えないような完璧な独唱で、最後の Der Abschied (告別)の歌でEwig... ewig... ewig... (永遠に、永遠に、永遠に) と消え入るように、しかしながら確かな歌声で終えられた時には、何だか今日 はどえらいものを聴いてしまったと、しばらく胸騒ぎが止まらなかったのでご ざいます。

バカヤロウ!

「楽しい」ってのは、こういうのを言うんだよ!!

ったく、シンポジウムが楽しいわけねえだろうが! (なんて吠えてる私って、やっぱりペケ数学者だな。)

2005年11月17日(木)
<<歯を食いしばる>>
夜、富山出張から帰宅。合宿制シンポジウム。会場に到着した日に、参加者全 員相部屋と知らされた時は、この3日間どうやって生き延びればいいのかと目 の前が真っ暗になった。まあ、そういうのが余り気にならない人はいいのだろ うけど、私は駄目である。熊が出没する陸の孤島のような所なので、近くのビ ジネスホテルから会場に通うとか、将来の青テント生活の練習も兼ねてその辺 で野宿するとかの手も使えない。そうなると、出来ることは一つである。こう いうシンポジウムは、昼間はみっちり勉強して、夜は酒盛りと決まっているの だが、とにかく夜中の2時3時までガンガン飲みまくり、前後不覚に酔っ払っ たところで部屋に戻り、ベットに倒れこむようにして眠る。中途半端な酔い方 では、速攻睡眠に失敗した時が悲惨である。これは昔の苦い経験から得た教訓。 当然ながら、この作戦は睡眠不足気味にしておいた方が成功率が高い。 翌日は睡眠不足と二日酔いでふらふらの頭と身体をコーヒーがぶ飲みで鞭打っ て、朝から晩までみっちり勉強。そして夜はまたガンガン飲み。。。ああ、よ く生きて帰ってこれた。今、私は、再び静かな生活に戻れた幸福をしみじみと 感じている。今ここに生きていることの素晴らしさよ!

それにしても、今回の富山のシンポジウムに限らず、およそシンポジウム に参加する数学者たちは、しきりに楽しい楽しいと言う。ああ、大学に戻った ら××や△△の仕事が待っているかと思うとうんざりする。ここに来て初めて 数学者として生き返り、仲間達と議論し、勉強し、元気になって、さあ、また 頑張って研究しようという意欲が湧いてくると言う。なるほど、ご同慶の至り である。私も計算機屋時代はそうだったので、その気分はよくわかる。しかし、 数学に転向して以後、およそシンポジウムだの研究集会だのと名のつくものに に参加して、何かしら一抹の寂しさを感じることはあっても、「楽しい」と思っ たことは一度も無いような気がする。ただ、こういう所に来て立派な人たちの 話を聞いたり、時には自分の話も聞いてもらったりして色々勉強したり教えて もらったりしないことには、てんで仕事にならないから参加するだけである。 そういえば、今回のシンポジウムでも色んな人にずいぶん沢山の事を教えても らえて、まあ、「歯を食いしばって」行ってきただけのことはあったなと思っ ている。

私の見るところ、シンポジウムが楽しいと言っている人は例外無く優秀な 人達である。じゃあ、シンポジウムなんて楽しくも何とも無い、仕事の必要上仕 方なく参加してるんだなどと言っている私は、数学者としてペケなのか?と。 おい、また自虐遊びかい?ペケでもマルでもどうでもいいじゃんかとか、数学 者としてどうのこうのというよりも例の偏屈爺化の病理現象で「数学は好きだ けど、数学者は、人間関係がややこしいから嫌いだ」とか何とかひねくれた事 を考えてるんじゃないか等等、色々言い訳を考え誤魔化しながら今日明日を過 ごしているのである。まあ、一般に数学者の人間関係が独特のややこしさを持 つことは、事実だと思うけどね。

「シンポジウムがちっとも楽しくない私って、何?」という疑問は、シン ポジウムに参加するたびに程度の差こそあれ意識するようになってきたのだけ ど、あまり生産的な問題では無さそうなので、深入りはしないでおこうと思う。