の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2005年9月10日(土)
<<正田健次郎説>>
朝から昼過ぎまで自宅で野暮用。夕方頃から山科区内で野暮用。夜は週に一度
のスポーツ・クラブ。その間、数学はSBUXで40分程度。こんな調子では
阿呆になってしまうと、夜も1時間程度焼け石に水数学をジュッと。まあ、明
日から1週間みっちり数学するから、いいか。
勉強をさぼってしまった時、半時間とか1時間とか気休め程度に勉強する よりも、徹底的にさぼって後ろめたい気持ちを溜め込み、それをエネルギーに して勉強に戻る方が良いという説もある。この説は正田健次郎が最初に唱えた という話もあるが、まあ、誰でも考えそうな事でもある。学生時代はこの説が 心の支えだったけれど、今は支持していない。人間明日にでも死ぬかも知れな いのに、エネルギーなんて溜め込んでいる暇などあるものか、というのが表向 きの理由。
明日から浜松の国際シンポジウムに出張。このシンポジウムに照準を合わ せて半年ぐらい前から色々準備をしていた積もりだけど、結局予定したところ までは全然進まなかったのが残念。あとは行き当たりばったりの勝負に出るこ とにする。次回更新は16日深夜以降。
2005年9月9日(金)
<<じくじくした話>>
学系長見習いの雑用をするために、昼前に出勤。雑用は朝飯前ならぬ昼飯前に
終了。午後は部屋で少し数学。夕方頃から京都駅近辺に繰り出して買い物など。
21世紀の大学人必須の素養、労働法関連本を旭屋書店にて物色。先日購入の
「労働法入門」を読んだ限りでは、労働法による労働者保護なんてほとんど
「屁の突っ張り」ぐらいのものでしかなく、「経営者に人間としての品位なん
て関係ねーよ!」と開き直れば、使用者側は大抵の事が出来るようになってい
るように思える。そりゃあ経営者の皆様にはご同慶の至りと申し上げるしかな
いけれど、「そうでもない」と書いてある本は無いかと捜してみたものの、見
つからず。でも、「開き直れば何だってできる」というのは、どこの社会でも
共通に見出される特性かも知れないな。
本日の収穫は、シューベルト・ピアノ曲・お手頃価格の3つの基準だけで 選んだシューベルトのCD(D797”キプロスの女王ロザムンデ”,D94 7アレグロ”人生の嵐”)と石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」 (みすず書房)。シューベルトのオペラ曲とはちと珍しい。漱石の『こころ』 を読んだのは大昔の小学生の頃だから、何だか暗くてじくじくした話だった事 以外は殆ど何も覚えてないな。ま、じくじくしてみようじゃないか。
夜はまた数学でも、と思ったけれど、明後日からの出張の事を何も考えて なかった!えーと、何処へ行くんだったっけ?という所から大騒ぎ。
2005年9月8日(木)
<<爆睡に値する>>
昼前に出勤。部屋でちょっと数学。やっぱり、良く知られているある古典的な
計算例を色々調べないと、前に進めないなと思い至る。と、Ar親分がやって
きて、後期の演習の授業への簡単な引継ぎ。そうか、そろそろ後期の授業の準
備の時期だな。しかし、私の講義では学生さんは寝てばかりいるから、何を
話しても同じだし、何もしゃべらずに口だけパクパクさせてても連中は気づか
ないかも。だから、もう準備はせずに出たとこ勝負で行こう。授業アンケートで、
先生は真面目に講義の準備をしてないなどと書く学生が居たら、それは貴方が教室
でそういう夢を見ていただけでしょうとシラを切ることにしよう。ま、準備と言っ
たって、来週も再来週もずっと出張だし、もう知ーらない。
っと思っていたら、後期に学科で1つ基幹的科目を選んで、他の教員がそ れを授業参観して講義方法について討論せよとのお上からのお達しメイルが届 く。同僚教員の皆さん!ぜひ私の講義を聞いて、それが爆睡に値するものかど うか考えてみてください、と言いたいところだが、私は半額オマケ教員(久々 登場の自虐フレーズ!)なので、基幹的科目は一つも担当してませんから、残念!と 古い(?)ギャグで誤魔化しておく。
てな事をやっているうちに、院生O君のMatsumuraゼミの時間。 夕方終了。帰宅後も少し数学。計算例を調べる。
2005年9月7日(水)
<<それは内緒>>
夕方山科区内に野暮用に出た以外は、自宅で何となく数学。某教科書をあちこ
ち掘りくり返し、どうも計算が合わないと色々やっているうちにミスプリント
を見つけたり、忘れていた事実を色々確認したり。
日本も今衆議院議員選挙たけなわである。新聞やテレビで日本の有権者の 様子が色々報じられていて、何となく眺めているとんだん腹が立ってくる。気 分転換に日本人から目をそらそうと、FOCUSやSPIEGELのサイトで、 ちょうど今たけなわのドイツの総選挙の記事を漁ってみるのだけど、何せゲー テ・インスティチュート嘘上級の不自由なドイツ語なので、そうすらすらと読 めないところがもどかしい。でも、知らないうちが花で、ドイツの有権者とい うのも、詳しく事情がわかると、これまた腹の立つものなのかも知れないな。 ところで、有権者の何に腹を立ててるのかって?それは内緒。
2005年9月6日(火)
<<凶暴な思考>>
台風が来るような来ないような妙な天気。夕方から会議があるついでに、何と
なく昼前に出勤。会議の時間まで部屋で少し数学。
昨日の暴論の続き。装甲車で暴走族を踏み潰せだの、故意に悪臭・騒音を まき散らす住人宅にはミサイル攻撃を合法化せよだの、労働基準法違反を改め ない使用者は刑務所にぶち込めだのと、思えば私の思考はかなり凶暴である。 昔からそうだったかと言えば、確かにそうだったと思う。勿論、理性で制御し ているから、日頃の言動に直接的な影響は無いけれど、もっと微妙な所で表に 出ているのではないかとも思う。
例えば、昔はそうでもなかったけれど、最近は人から気が長いとか、温厚 だとか、優しい人柄だとか言われる事がそう珍しくもなくなってきた。バンジー ジャンプへの衝動や偏屈爺化傾向、加齢に伴う人格崩壊過程の諸症状に日々頭 を痛める私としては、そういう自覚症状はない。けれどもしそれが本当ならば、 こういう所にも上記のような凶暴な思考の影響があるのではないかと思う。
この人なかなかキレない気の長い人だなと思ってたら、何のことはない実 は極端に気が短くて周りも本人も(!)気づかないうちにとうの昔に完全にぶ ちキレた後だった、とか(「私、知らないうちにキレてました」症候群)、ちょっ と淡白な感じだけど何だか温厚で(見掛けはそうでもないけれど)優しげな人だ なと思っていたら、実は何が気に入らないのかとうの昔に「こいつ駄目だ」と 見切りをつけられてた、とか(「世の中の人間みーんな大嫌い」症候群)。 社会に対して無関心だと本人も信じているようだけど、 実は社会に対して猛烈にぶちキレた(例えば、何故サービス残業強制を やめない使用者を晒し首にせずに放置しとるんじゃ!?という風に)後だった、とか。 しかし当の本人としても、簡単にぶちキレたり見切りをつけて、そのまま放置し たのではにっちもさっちも人生立ち行かなくなるから、何とかしようと考え、 廃墟から立ち直るべく、瓦礫をひとつひとつ片付けるように、人や社会との関 係を組み立て直していく。こういう日々これ復興事業、みたいな事を無意識に やっているのではないか。ま、本当の所はどうだか知らないけどね。
2005年9月5日(月)
<<暴論・暴言>>
昼は久しぶりに京都駅前アバンティー・ブックセンターへ。午後は先週末に行
きそびれたスポーツ・クラブ。平日の昼間なのに、何故か多くのおっさん、お
ばはん、にいちゃん、ねえちゃん達で混雑していた。まあ、サラリーマンの街
東京と違って、京都は平日の真昼間にわけのわからないオッサンが私服着てそ
の辺をウロウロしている事が多いけど。ところでよく誤解されるのだが、私は
好き好んでスポーツ・クラブに通っているわけではないので、夏休みだからと
言って週3回通ったり、1時間延長サービス券を貰ったからと言って3時間も
トレーニングしたりなんてことはしない。週1回2時間を半ば嫌々通っている
のである。
ああ、また今日も数学をサボってしまった、と夜少しだけ数学。
さて夏休みの読書。尾崎哲夫「労働法入門」(自由国民社)。一時期「大 学改革のデパート」ともてはやされたRitsも、ぼつぼつ労働争議が新聞紙 上を賑わし始め、いろいろきな臭い話も聞こえてくるようになった。来年の今 頃は「労働争議のデパート」などと週刊誌などに面白おかしく取り上げられて いるのではないかとの予想が杞憂で終わる事を祈るばかりの今日この頃である。 いずれにせよ、労働法は21世紀の大学人の必須の素養であり、法律音痴の私 も少しは勉強しなくっちゃと手を出したのが上の本。
それにしても世の中では、いまだにサービス残業だの不当解雇だのといっ た労働基準法違反がまかり通っているようである。労働基準局なるものがある そうだが、不法行為に対してはいかにも手ぬるく、殆ど何もしてないに等しい ように思える。たとえば麻薬マフィアに支配されている某国よろしく、その問 題にメスを入れようとする法曹関係者が次々に暗殺されるとかいった、アンタッ チャブルの闇世界でもあるまいに、何故不法行為がまかり通り放置されている のか不思議でならなかった。しかし、この本の最初に書かれていた「労働法は、 民法の特別法として位置づけられてます」の一言で謎は氷解した。ああ、民法 か、そりゃあ駄目だな、と。
法律音痴の暴言と言われるかも知れないけれど、私は民法というのはそも そも法律として欠陥品だと考えている。民事の判決なんていくら踏み倒しても 刑務所にぶち込まれる心配が無い。お金の支払い命令の場合は差押えといった 強制力も行使されるけれど、お金が無ければ「無い袖は振れぬ」と万歳すれば オッケーである。従業員の不当解雇で訴えられて負けても、弁護士やらその辺の 連中が五月蝿いから1回だけサービスして復職させて、すぐにまた首を切れば いいし、それ以後何度訴えられて負けても、面倒臭いから蹴飛ばしておけばそ れで済んでしまう。つまり、己の欲望のためには法律なんて蹴飛ばしても構わ ないと考える開き直った人々にとっては、民法なんて五月蝿いハエがぶんぶん 飛び回る程度の抑止力にしかならないのである。
という意見が本当に暴論なのかどうか確かめるには、やっぱり自分で法律 を勉強するしかないか、と。(ちなみに近くの法律関係者にこの意見を聞いて もらったところ、「あまりの暴論で、ひっくり返るしかない」とのことだった。 何でやねん?)
2005年9月4日(日)
<<人々>>
台風の影響か、曇り時々雨。今日から夏休みの宿題(その2)に突撃!っとそ
の前に自宅と山科区内で野暮用。結局「突撃」は夜になってから。まずは、こ
れまで何をやっていたかの記憶喚起から。
夏休みの読書でもと手塚和彰「怠け者の日本人とドイツ人、停滞を生んだ 国民性」(中公新書ラクレ)に手を出す。私は、人々が何を考えて、日々どう いう問題に直面し、それにどう対処しながら生きているのかに割合興味がある。 「人々」が「アメリカ人」の場合は、結局あいつらは大嫌いだ!という結論に 達し、「日本人」の場合は、結局アメリカ人ほどでもないけれど嫌いだ!とい う結論に達した。我ながら、なかなかの偏屈爺ぶりである。ただ、「人々」が 「フランス人」だった時期もあって、その時の結論としては、何だかへんちく りんな連中だなあとか、住みにくそうな社会だなあという風に思ったけれど、 割合好意的なものであった。
では、次の「人々」としては、まあ、折角ドイツ語勉強してるんだから 「ドイツ人」にしてみよう。過去2回ドイツに滞在してみて現地で色々見聞し た事の背景にあるものを知りたいし、ここはひとつドイツの社会を調べてみる か、と。しかし貧しい語学力でドイツ語のメディアに突撃しても、いまひとつ よくわからない。そこでまずは日本語で予備知識を仕入れて体制を立て直して から再突撃しよう、という次第。
2005年9月3日(土)
<<お友達になりたい?>>
暑い一日。夕方、山科区内に買い物に出掛けた以外は、自宅で何となく数学。
夜、夏休みの宿題(その1)終了。この宿題は、まあ、いろいろ事情があって、
いつもの調子でチンタラやってる訳にもいかず、かなりのプレッシャーだったっ
す。お陰で8月一杯ダレずに済んだけど。明日から宿題(その2)に突撃予定。
選挙運動たけなわである。選挙のプロ達というのは、街に出て選挙運動し ていると、人々の手応えが良いとか悪いとか、はてまた、もう当選ラインは超 えただの、まだまだ厳しいとかわかるらしいけれど、あれがどんな感じなのか よくわからない。私だって、候補者達がよろしくお願いしまーすとか言って寄っ て来たら、「こいつ嫌いや。落選してしまえ」と思っていても、一応愛想笑い (らしき微細な表情の変化)ぐらいは示すだろうし、「よっしゃ!心配せんで もええ。わしが今度一票入れたるさかい」と思っている候補者が居ても、急い でいる時は(ああ、お前さんの主張はもうよーわかっとる、とか思いながら) 知らん顔して演説の前を通り過ぎる。そりゃあ、人それぞれ都合もあるし、成 り行きってこともありますがな。見掛けだけでどこまでわかるというのか。
私の授業だって、あの学生毎回毎回寝てばっかりで一体何考えとるんや。 今度試験で落としたるぞ!と思っていると、どう厳しく採点しても楽々合格点 取りよることもある。逆に毎回一番前で熱心に聞いていて、この学生だけは俺 の講義を分かっててくれてるなと思ってても、試験をすると、どう甘く採点し ても合格点は無理、なんてことも珍しくない。(これは学生毎に採点の厳しさ を変えるという意味ではないので、念のため。)学生の反応や授業での手応えを 通して分かることは、結局、学生というのは不可思議な存在だという事だけで ある。
愛想笑いの不支持者や知らん顔の支持者。そんなのを全部お見通しで、よ し、あいつは一票入れてくれる。こいつはアカンってな感じで全部分かってし まうような悪魔のような候補者だったら、まあ、少なくともお友達にはなりた くはないな。
2005年9月2日(金)
<<幻想を抱く>>
終日自宅で野暮用したり、なんとなく数学したり。今日は、まだやっている!
夏休みの宿題(その1)メモの再チェックなど。
昨日の日誌で、高校時代の半ばぐらい迄は「数学なんてもっさりしたもの」 という風に思っていたと書いたけれど、これは一般の人から見て、数学者が何 をやってんだかさっぱりわからないという程度の意味である。
地震学者や気象学者よろしく、数学者がテレビに出てきて、自然現象について 何かピリっとした解説でもするわけでもなく、 「圧倒的な数学力で○○技術の未来を切り開く×○株式会社」式の宣伝コピー などついぞ聞いた事がないし、 巷の人々が、ある数学理論の発展が如何に宇宙や生命の謎を解き明かすために 寄与しているかについて、驚嘆といくばくかの敬意を込めて語り合っている、 なんて事も勿論無い。 今ならデリバティブとか暗号理論とか、(かなりちゃちではあるけれど)一応 一般ウケ用のネタはあるけれど、私の高校時代にはそんなものは無かったから、 数学を専攻した人が社会の中で華麗にかつ颯爽と活躍しているという幻想など、 抱きようがない。
だから、ちょっとばかり勉強が好きで、何かしらの形で学問でカッコよく身を 立てたいと思う少しミーハーな高校生だった私には、学問としての数学は「もっ さりしている」としか思えなかったのである。
2005年9月1日(木)
<<もっさりしている>>
蒸し暑い一日。今年の西日本の夏は観測至上4番目に暑い夏だったそうだ。ダ
イエット効果で脂肪層が薄くなったせいか、そんな実感は無いな。いつぞやの
夏は、2ヶ月以上にわたってずっと最高気温が38度、最低気温が28度を下
らなかったように記憶しているが、それに比べたら今年の夏なんて「普通じゃ
ん!」と思ってるのだが。気象庁の連中の言う事と、日々感じる事は往々にし
て食い違う。「今年の冬は寒いな」などと感じる年でも、気温の平均をとると
どうだとか色々屁理屈をこねて「昨年並の暖冬」とか言い出すし、第一連中は
強情にもまだ日本が熱帯であることを認めようとしない。温帯モンスーン気候
だとか言ってたのは、私が高校生だった大昔の話だ。モンスーンもモスキート
もあったものか、地球温暖化が進んだ今はもう熱帯なんだぜ。わかんないのか
ね、君達!
そういえば私は今でこそ、自分は生まれる前から数学が好きで、いつまで も老子気取りで母親の腹の中に立て籠ってても仕方あるまいと、数学をやるた めにこの世に生まれてきたのだと言うような顔をしてすましているが、実は中 学生時代は気象庁に入って天気予報だの地震観測だのをやりたいと思っていた。 しかし何せインターネットも何も無い時代の田舎の子供である。気象庁に入る にはどうすれば良いかわからないままにぼんやりしているうちに、何となく (誰に吹き込まれたのやら)原子核物理もいいかな、それならいっそ理論物理 の方がカッコよさそうじゃん(「理論って頭良さそうでカッコいいじゃん」と いう思想は当時から持っていたような気がする)とか、理論物理やるにしても 学部時代は実験もやらないと駄目でバイトしている暇がないだと?うちは貧乏 だから、そりゃあキツイな。じゃあ実験が無くて暇そうな数学にしようか。し かしなあ、
そんな具合で、高校、大学時代は気象庁の事は忘れていたのだが、私の中 学時代の友人で京大の電気に進んだのがいて、卒業後には何処かの電子機器メー カか電力会社にでも就職するのかと思っていたら、気象庁に入りよった。その 事を聞いたとき、そうか、そんな手があったのかと思った。当時の私は数学科 を放り出され、食いブチを求めてあまり気が進まない計算機業界に身を投じた ばかりの頃だったので、ちょっと「してやられたな」という気持ちになったも のである。
午後一杯院生O君と院ゼミ。