の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2005年9月30日(金)
<<学生たちの頭の渦>>
午前中は大学院「計算機代数特論I」の講義1回目。院生O君の予言通り、受
講生は院生O君のみ。まあ1名とはいえ、受講生が内容を100%理解できる
学生だけで占められているわけだから、悪い話ではない。生協ラ・ポーズで3
日連続の天ざるセットの昼食をとり、少し講義の準備などをやって、午後は
今や私は史上最強の居眠り集団だと信じて疑わない、情報理工学部1回生の
「数学4」(線形代数)の
講義1回目。ざっと見て7,80人ぐらいのクラスみたいだが、早速20人ぐ
らいは寝ていたな。ガイダンスで「上半身をドオッと机に投げ出して爆睡する
のだけはやめてください」とか「教室の9割の学生が寝たら暴れるかも知れま
せんよ!」と警告しておいたんだけど、本当に暴れて見せなければ
ならない日もそう遠くはないかも。引き続き2回生配当「代数学演習2」
の3回生以上"落ちクラス"1回目。受講者ゼロを予想してたのだが、1人現れた。
2人で相談した結果、群論の演習問題を解いてレポート提出という「特別指導」の形
にする。その後少し雑用など。
やれやれ開講期間へ「突撃!」の一週間が終わった。さてと、早めに大学 を退散して京都駅近辺にでも繰り出し新しいシューベルトのCDでも買って、 居眠り学生たちの頭の渦を見過ぎてささくれた心を癒そうかしらと帰り支度を しているところに同僚某先生が現れ、何となくお喋りなどをしているうちに京 都駅行きは中止に。
夜はシューベルトと数学、そしてドイツ語を少し。
2005年9月29日(木)
<<定義がわからん>>
明け方、この1年ぐらい「何でこういう定義をするのだろう」とずっと疑問に
思っていて、あまりのわからなさ故に理解する努力をほとんど放棄していた事
が、夢の中でふっとわかったような気がした。こういうのは、起きてからちょっ
と考えると全くナンセンスだと判明するのが常だが、今回のはなんだかもっと
もらしい。もっともらしいけれど、本当に正しいかどうかまだわからない。
午前は2回生「離散数学」。昨年度のこの講座は、教室はガラガラだわ、 いきなり半分ぐらいの学生が寝てるわで大変だった。知りうる限りの情報から、 今年は少しは事態が改善されていると予想して教室へ。今日のところはまずま ず大入りで、居眠りなし。今年度からは少し内容を変えて、昨年文系数学で講 義した初等整数論とRSA暗号の話をさらっとやってから、例年の内容に入る 予定。昼食後、部屋で講義の準備等をしてから院生O君のMatsumura ゼミを夕方まで。
最近1年ぐらいは、定義の意味がそもそもよくわからん式の疑問がウンカの 如く押し寄せていて、いささか閉口気味。今夜も定義(その1)の意味 で悩む。
2005年9月28日(水)
<<清明なる意識>>
午前は4回生「計算機数学続論2」なる講義の第1回。諸般の事情から受講生
ゼロを予想していたが、今日は数名の学生が居た。上等だ。グレブナー基底に
関するとっておきの講義をしてやろうじゃないか。「寝るなよ。寝るなよ。」
と念じながら講義終了。大学に勤めていると、子供とおっさんは居眠りばかり
していることがわかる。清明なる意識が持続できないのは、食い物が悪いのか、
それとも、精神の混迷か。しかし4回生あたりの年頃はあまり寝ないのかも知
れない。これは仮説。今日は誰も寝てなかったけど、来週以降も観察を続ける
ことにしよう。もっとも来週からいきなり伝説の講義に突入!しているかも
しれないけど。
午後は何だか知らないけどいきなりテストの採点、明日・明後日の講義の 準備。夕方教室会議。清明なる意識で全力疾走のO坂先生の司会進行にて、能 率良く終了。会議の後も部屋に残って講義の準備。近頃は、学生は寝るもんだ という思い込みがかなり激しくなっており、睡眠中の人間を想定した講義の準 備というのは、なかなか辛いものがある。
2005年9月27日(火)
<<脳波が停止?>>
自宅にて野暮用と数学。午後は外出して山科区内で野暮用の後、ゲーテの冬学
期の講座申込みのついでに図書室でドイツ語のDVDなどを少し見て、それか
ら京都駅方面に移動してアバンティー・ブックセンターなど。NHKスーパー
ピアノレッスンのジャン・マルク・ルイサダのCDでもと、アバンティーの中
古CD店などを捜すも収穫無し。夜、またも例のNHKの番組をやってて、ル
イサダ先生、パリに留学して3年目(いいなあ!)という日本人学生相手にショ
パンのピアノ協奏曲第一のレッスンをしていた。ぼんやり聴いてても私が持っ
てるCDとは演奏が全然違っててぐっと胸に迫るものがあり、こりゃあ何とし
ても先生のCDを手に入れなければならないなと、決意を新たにする。
そうはいうものの、ショパンではちょっと情緒的過ぎてある種の脳波が停 止してしまうようで、てんて勉強にならず、これではいけないと結局シューベ ルトに復帰。数年前はショパンを聴きながら平気で数学やってたように思うの だけど、この変化は何かしら。仮説その1:本来ショパンは数学向きではなく、 最近の私は音楽に正しく反応できるようになってきた。仮説その2:以前は頭 が強くて何を聞いてても数学が出来たが、最近は偏屈爺化の加速度的進行に伴 い頭が弱くなり、シューベルトの助けがなければ数学ができなくなってきた。 仮説その3:全ては気のせい。さて、正解はどれか?(どれでもいいんだけど)
2005年9月26日(月)
<<唐突にショパン>>
午前中は山科区内で野暮用。SBUXで昼食のようなものを取ってから「突撃」。
大学で雑用をいろいろやって、ひきつづき水曜日からの講義の準備。夜は
ショパンのワルツを聴きながら論文読みなど。
はてな。昨日は捲土重来云々と勇ましい事を書いていたくせに、なぜ唐突 にショパンなのか。先週出張先のホテルでテレビをつけたら(しばらく見忘れ ていた)NKHのスーパーピアノレッスンをやってて、ああ、あのフランスの何 とかというピアノの先生、まだショパン教えてらあとか思いながら見てたのだ が、そういえばこの人、私と同い年なのに(という事はカンケイないのだけど) 何て幸福そうな顔をしてショパンを弾くのだろうと一寸感心してしまった。フ ランス人は、ポーランド人であるショパンのロマンティックな音楽を、自分達 の国の音楽のように誇りに思いこよなく愛すというけれど、まさにその通りだ な、と。明晰ならざる私の精神は、シューベルトの明晰さだけではしんどくな ります。夏の疲れはショパンで癒すことにしよう(ということは、後期開講期 間「突撃」早々から疲れ果てているということか)。
2005年9月25日(日)
<<突撃!>>
ずいぶん涼しくなって秋の気配も感じられる一日。午前中はのんびりして、午
後はまたもやシューベルトを聴きながら後期開講期間に向けた準備。「胸一杯
の夢」の整理から進んで、完全にやり遂げる事は既に諦めた夏休みの宿題(そ
の2)を少しでも片付けておこうか、と。一応科研費がついたプロジェクトの
話でもあるし。
シューベルトのCD集めは、一応ピアノ曲を中心に誰の演奏でもよいからと にかく全曲集め、それからおもむろに別のピアニストのCDにも手を出して聴き 比べをやろうかなどと考えていたのだが、曲の数が多すぎててんでお話になら ない。一応収集済み作品リストを作って、シューベルトの作品全リストと比べ たりするのだが、ほとんどルベーグ測度ゼロの部分集合かザリスキー閉部分集 合を形成しているに過ぎないことを知って愕然とするばかりである。これでは キリがないですよ。
数学会である偉い先生が講演していて、ある難問がゼータ関数の「化身」 とも呼べるものを見つけることによって解決することに気づき、 「ゼータの化身」発見のために全力を尽くした10年の間に、 「化身」の本質や「化身」がどういう隠れ方や現れ方をするのかを理解するため に日本昔話全集を買い込み、「鶴の恩返し」をはじめとして膨大な昔話を熱心に 調査したというような話をしていた。これにはいたく感動した。
不肖私めは、大学入学直後 にちょうど岩波から西田幾多郎全集の刊行が始まったのだが、数学の真髄を極 めるためには、まず「絶対矛盾の自己同一」の何たるかを理解しなければなら ないと思い、とりあえず第1巻を買ってみたものの、3ページ読んですぐに投 げ出してしまった。それを思うと、日本昔話全集読破とは流石に超一流の数学 者は違うなと感じ入ったのである。
かくなるうえは学生時代の捲土重来を期して、「代数学の真髄を極めるた めには、まずは明晰なるシューベルトのピアノ曲の何たるかを理解しなければ ならない!」との大義名分のもとに、全曲聴破と詳細なる聴き比べを目指して 頑張っちゃおうかしら、などと夢のような事を考えながら明日からの後期開講期間に 突撃!
2005年9月24日(土)
<<すげえなあって感じ>>
朝と夜は昨日に引き続きシューベルトを聴きながら後期開講期間に向けた準備。
浜松の会議である人に教えてもらった文献がとても役に立つ。午後は山科区内
での野暮用に引き続きスポーツクラブ。
私は日頃数学者みたいな顔して生きているけど、やはりどこか数学崩れの 計算機屋の部分を残していて、数学者になり切ってないなと思う事がある。た とえば、数学者というのは互いに(多少数学的な)雑談を少しばかりすれば、 相手の数学者としての実力のほどが大体わかるものらしい。黙って座ればぴた りと当たる、じゃないけれど、その程度の会話で相手の実力がわかるとは、ほ とんど超能力じゃないかという気もしないでもないが、例えば初対面の人と初 めまして今後ともよろしくなどと暢気に談笑しているかに見えて、実は胸の内 で相手の実力を値踏みし合っているのだとすれば、数学者社会というのは油断 も隙も無い世界である。というより、むしろエスパー達が超能力戦争やってる みたいで、すげえなあって感じである。幸か不幸か私にはそういう超能力は備 わってないし、自分以外の数学者は全部自分より偉いと固く固く信じているの で、そもそも相手を値踏みする必要も無いのである。
実際に数学者社会が「油断も隙も無い世界」なのかどうかは知らない。し かし、いい加減でオープンで何でもありみたいな計算機屋社会で育った私とし ては、どうも数学者社会というのは色々ねちねちと面倒臭そうで、数学そのも のの魅力に比べるといまひとつぞっとしない、というのが正直なところ。でも ガウスみたいに孤高の天才じゃあるまいに、(数学者)社会に出ていって色々教 えてもらったりしないとやってけないのだから、膝を抱えて引き篭もってばか りもいられず、座敷童やったり透明人間やったりと、まあ、大変といえば大変 なのである。
2005年9月23日(金)
<<四捨五入と鯖読み>>
海外脱出の機会は逃したものの、徳島、浜松、岡山と渡り歩き、同業者達から
色々な事を教えてもらったり、共同研究したりした夏休みももう終わりである。
夏休み最後の週末は、シューベルトを聴きながら来週から始まる後期開講期間
の準備。すなわち、日々のあれやこれやに忙殺されて、この夏に仕入れた「胸
一杯の夢」を忘れがちになるであろうから、今のうちに整理して書きとめてお
こう、と。これが全て泡沫の夢とならない事を祈りつつ。
岡山で10数年振りに会った友人の一人は、今年48歳のはずだが「俺は もう50歳だぜ、50歳!下手すると学生の年齢の3倍だぜ」と、四捨五入し たり無理な鯖を読んだりして一人パニックになっていた。そういえば今は亡き 筋肉中年S藤先生も、まだ40代半ばにさしかかったばかりの頃に「俺は四捨 五入して50歳だ。高山なんかよりもうんと年上なんだぞ!どうだ、参った か?」とわけのわからない自慢をしていたな。体育会系のS藤先生は自分が幸 せになるために四捨五入していたのだが、上記友人はしなくても良い四捨五入 をして、自らを不幸な気分に突き落として楽しんで(?)いるように見えた。四 捨五入の仕方ひとつにも、人格の違いが表れるものである。
あと、自分と学生の年齢を比較していたのも、へー、そんな風に考えるん だって感じでちょっと面白かった。これは学生と自分を同じ種の生物だと考え ている証拠である。私はそんな風には考えてないから、最初上の発言を聞いた ときには、例えば「(生物として種が異なる)縞栗鼠と猫の生誕後の年数を比較する事 に一体何の意味があるのかしら?」というのと同種の疑問 (つまり学生と自分の年齢を比較する意味がわからない)に駆られて、しばらく何を言っ ているのかわからず頭が混乱した。日頃ごく限られた少数の人とだけしか話を しないので、たまに他の人と話をすると結構新鮮で脳味噌もフル回転し、ボケ 防止にも良さそうである。勉強もできてボケ防止にもなった、有意義な岡山出 張。
2005年9月22日(木)
<<お気張りやす>>
夜、岡山大での数学会から帰宅。前の週の浜松の国際シンポはキツかったが、
学会は勉強半分、他大学の友人との情報交換半分といったところ。
私が想像するに、どうやら多くの数学者は30代で気力や頭脳のピークを 迎え、その人の生涯で一番良い仕事をするようだけど、40代以降は衰えを感 じてそれなりに悩むようである。まあ、それはそれで好きに悩んでてください ねと言うしかないのだけど、数学者としてのピークは過ぎたかも知れないが、 今でも十分良い仕事をしている人が、今更この程度の(ピーク時の仕事に 比べれば)セコイ仕事をしててもしょ うがないんだけどなあとか内心思いながらも、かと言って今「筆を折っ」たと ころで自分に何ができるか?かえって惨めになりはしないか云々と千々に乱れ る思いを胸に秘めながら数学と向き合っているのだとすれば、ずいぶん勿体無 い話だなと思う。まあ、若い時から高い志を持って一つの道に邁進するという ことは、そういう事なのかも知れないけどね。
という話を同世代の友人にしたら、「図星を突かれた」と言ってのたうち 回っていた。まあ、(ピークだった頃の)過去の自分は他人だと思って、せい ぜいお気張りやす!と激励しておいたけど。勿論私は30代は何もしてなかっ たから、他人と思わなければならないい過去の自分なるものは、そもそも存在 しない。それゆえにすこぶるお気軽な身分である。お気軽だから本人はいたっ て気分が良いのだけど、若しかして私はずいぶん志が低い人間なのかも知れな いという危惧はある。そういえば計算機屋だった頃も一度「高山さん、 それではあまりにも志が低過ぎはしませんか?」と言われたことがあったな。
2005年9月18日(日)
<<雪ダルマ式>>
そういえば以前は一体どういうテーマを追いかければ良いのかわからなくて困っ
ていたけれど、いつの間にか複数のテーマを抱える身となった。何のことはな
い、一つの問題を考えて結局わからず、次の問題を考えて結局わからず、と
いう事を繰り返しているうちに、不良債権が雪ダルマ式に増えていっただけで
ある。
本日終日何となく不良債権テーマ(その1)関連の某論文を眺めたりして数 学。この問題に少しでも目鼻をつけるヒントが書かれてないかと、あっちを 突付いたりこっちをひねくったり。夕方以降、
今度の総選挙で与党が歴史的圧勝をしたことについて、「雰囲気に流され やすい日本人の気質」や「わかりやすいものだけに飛びつく日本人の習性」だ のを驚き嘆く声もあるようである。しかし(私立)大学関係者としては、別に 驚きでも何でもない。我々は日々大学全入時代の志願者集確保策や、あるいは、 例えば(旧)情報学科のような、卒研配属をめぐるすったもんだなどと日々闘っ ている。それはまさに、「雰囲気に流されやす」く「わかりやすいものだけに 飛びつく」日本人の気質や習性をどう逆手に取って生き残るかという問題のバ リエーションに他ならないのである。
明日から岡山に出張。次回更新は22日深夜以降。
2005年9月17日(土)
<<紙吹雪>>
朝は自宅で野暮用とメイルを出したりして少し仕事。それから久しぶりに大学
に行き、図書館で浜松のシンポジウムで教えてもらった文献などを借り出し、
郵便ポストに不吉な通達文書(?)の類が来てないかを確認。長居は無用と昼
過ぎに退散し、山科区内で野暮用。
さて、監禁状態で数日間ガリ勉にいそしむシンポジウムでは、ほとんど身 体を動かす事も無く、体中の関節がぎしぎしと音を立て始めすこぶる調子がよ ろしくない。かたや食事といえば、今や燃費抜群状態で基礎代謝がミイラ化直 前の即身仏同然のレベルにある私にとっては、一週間分の食事を一日で取るよ うな分量。育ち盛りの学生さんじゃああるめえし、こんな高カロリーなものば かり食べてられるかよなどと思いながらも全部平らげ、酒も毎晩飲み、一週間で 突然2kgも激太りしたとなれば、夜はスポーツ・クラブに救いを求めるしか ない。この春先までに体重を6kg減らすのに4ヶ月かかり、その後の数ヶ月 も細心の注意を払ってリバウンド無し状態を維持してきたのに、たった1週間 で元の木阿弥とは何たることか!
2kgの激太りと引き換えに得られたものはといえば、それは胸一杯の 夢! である。短期集中で大量の研究情報が飛び交うシンポジウム会場に 居れば、霞のかかった私の脳味噌も少しは刺激され、そういえばこういう事を 考えてみたら面白いかも知れないなとか、こういう方面を調べてみれば以前か ら抱いていた疑問が少しは解決するかも知れないな、といった事をいくつか思 いつく。そして、これらに当たっていくうちに何か面白いことを発見できるか も知れないと、色々夢が膨らむのである。私は競馬をやった事がないけれど、 大枚はたいて、よし、この馬なら行ける!どーんと行ってみよーっと馬券を買 い込んだ時の気分って、 こんなのじゃないだろうかと思う。
で、しばらくすると、その馬券が全部外れと判明し、
2005年9月16日(金)
<<座敷童の誕生>>
11日の昼前に選挙の投票に行ってから某国際シンポジウムへ出張。鰻で有名
な浜名湖岸にあるほとんど陸の孤島のような某研修施設に缶詰状態になり、連
日朝の9時から夜の7時前頃まで難しい講義を聞いて、みっちりとお勉強。夜
は流石にふらふらで、これが飲まずにおれようかと毎晩酒びたりになりながら
翌日の予習、という具合。大変密度の濃い一週間で、少しは頭が良くなった
ような幻想に酔い痴れているところである。
シンポジウムでは勿論多くの同業者達と一緒であったが、さて彼らとどう 接して良いものやら。日頃私は爆睡している学生ばかり相手にしているので、 目を覚ましている状態の人間とどう付き合えば良いのか忘れてしまった。
20代の頃は計算機屋として色々なシンポジウムや研究集会に参加したけ れど、国内の会議だと、知らない者同士でも同年輩ならば、じゃあ皆でちょっ と飲みに行きましょうかって感じで夜の街に繰り出し、それで何となく仲良く なったものである。子供同士は簡単に友達になれる。しかしトシ寄りになると、 皆何となく壁を作ったり妙な遠慮をしたりして、事が簡単に行かないのが厄介 である。トシ寄りってえのはヤだね、あれは何でなんだろうね。とか言ってい る私が一番壁を作っているようで、座敷童を気取って、俺は(心の美しい人間 にしか見えない)透明人間だ、(心の汚れた人間は)近寄るな!という雰囲気 をぷんぷん漂わせているようでもある。
それにしても、今回の出張では、この日記を読んでいる同業者 --- 特に将来のある若い 人たち --- が少なくないことを改めて知ったが、これは憂慮すべき事態である。 「何だ、君たち。俺の日記なんか読んでる暇があったら論文でも書いてろよ」 「ええ、私達、論文はちゃんと書いてますよ」「だけどさ、貧乏とアホは伝染 するんだぜ。俺の日記読んでたらアホが伝染(うつ)って、君達の数学者とし てのお先が真っ暗になるよ。今は勢いに乗って研究も絶好調かも知れないけど、 潜伏期間を置いてアホが発症した時にはもう手遅れで、ゴミ糞論文しか書けな くなってるんだぜ」「先生、どうぞご心配無く。先生みたいなのが数学科の教 授やってのさばっているという世の不条理をかみしめ、奮起するために日記を 読ませてもらってるんです」「おおおお!!君たちは何て健気な心を持った人 たちなんでしょう!俺はそういう形で君たちのお役に立てて嬉しいぞ。でも、 この不条理に耐え切れずに”2■ゃん■る”(伏字註:某大規模掲示板)なん かで、『変な日記書いている計算機屋上がりの自称数学者、ドキュン教授高山を 叩く!』なんて世界に突っ走ってもらっては困るんだけどね」「何で困るんです か?」「何で困るかって、そりゃあ、高山の自虐ネタよりも”2■ゃん■る” の高山叩きの方が刺激が強くて面白いってことになれば、俺としては張り合い ないじゃん」「張り合いない?」「そうさ。自虐ネタってのは、本人にとって は当たり前の事実を手を変え品を変え言ってるだけで、マンネリなのよね。マ ンネリな上に刺激がイマイチとか言われた日には、目も当てられないじゃない の。本当は自虐ネタよりも、自分以外の沢山の数学者の悪口書きたいのよ」 「色々な数学者の悪口ですか。それは面白そうだ。ぜひ書いてくださいよ、先 生」「だ、か、ら!同業者の君達が俺の日記読んでるとなると、迂闊に数学者 の悪口が書けないから困ってるんだってば!」(註:以上の会話は、事実に基づ くフィクションのフリをした、完全なフィクションです。)
しかし、諸条件が整えば数学者の悪口を一杯書くかといえば、実はおおい に躊躇するものがある。口は災いの元。私は口の悪さ故に多くの友を失い、膨 大な敵を作り、”太っ腹の大先生”の類の人々を怒らせるのは得意中の 得意科目であり、あっちの世界を追われては別の世界に拾われという事を繰り 返し、流れ流れて数学にたどり着いたのである。今度この世界を追われると、 いよいよ河原の青テント生活になりそうなので、毎日風呂に入れる生活を継続 するためには何としても口を慎まねばならないのである。てな事を考えているう ちに、とうとう私は座敷童になってしまったのだろうと思う。