の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2006年8月15日(火)
<<それが日課?>>
午前中は少しだけドイツ語の勉強。午後は京大数理研図書室と喫茶進々堂。夕
方、百万遍のバス停でぼんやり考え事をしていたら、目の前でバスを一本やり
過ごしてしまった。しょうがないので考え事を中断し、次のバスまで待って、
やっと乗り込んだら、何と!この夏に京都に滞在しているというHerzog先生夫
婦とかち合った。こういう偶然というのは楽しいものだ。三条のがんこ寿司に
行く途中だというので、エッセン大学でお世話になった新憲(Xinxian Zheng)
やその夫君、そしてAhad君なの近況を訊ねたりと、色々楽しくお喋りしながら
がんこ寿司の前までご一緒する。夜も引き続きパンク寸前の小さな頭で、数学。
さて心の友。 昼間は、 内田光子の シューベルト・ピアノ・ソナタ第19番と20番、 ハインツ・ホリガーの オーボエ協奏曲(モーツアルトおよびシュトラウス)、 ハンスヨルグ・シェレンベルガーの フランス・オーボエ名曲集。
オーボエやクラリネット奏者の中には、自分でリードを作る人も少なくな いらしく、特にヨーロッパの音楽学校ではリード作りを実習する講義もあるそ うである。リードは消耗品だし音の良し悪しを決定的に左右するとなれば、自 作しようと思う演奏者が居ても不思議でもない。テレビで少し見たけれど、色々 な工作道具を使う結構繊細な作業みたい。ゲーテ・クラリネット奏者氏の場合 は、買ってきた既製品を自分で削って調整はするけれど、自作まではしないと のこと。
まあこういうのは、地震学者が地震の電磁波を観測するために特殊なアン テナを自作したり、天文学者が天文計算のために超高速専用並列計算機を自作 開発したり、計算機科学者がコンピュータに特殊なソフトをインストールした り設定したりするのにも似ている。数学者だと何に相当するかしら。昔、計算 用紙に使う特殊な紙とペンの調達・確保が日課だという学生が居て、良い紙と ペンが如何に彼の数学的思考に決定的影響力を持つかを力説していたけれど、 なぜそうなのか理由はついぞわからなかった。
夜はちょっと趣向を変えて、 シカゴ交響楽団(サー・ゲオルグ・ショルティ指揮)の マーラー・交響曲第1番二長調「巨人」(Titan)。 マーラーって普段は全然聴かないのだけど、去年の11月に 白井光子さまのコンサートの予習と称して 「大地の歌」(Das Lied von der Erde) をよく聴いたけれど、ドラマチックに 壮大な大騒ぎを派手にやらかすところは共通しているな。たまには こういうのを聴いてスカッとするのもいいかも。 あとはフジ子・へミングの リスト&ショパン・ピアノ曲集。 このCDはリストとショパンの有名な曲ばかり集めてあるけれど、 テンポとか情感の込め方とか、何だかかなり独特な解釈でやってる みたいなところが面白い。 そして最後は桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)"で締める。 特に、Paul Reade の組曲「キッチンガーデン(The Victorian Kitchen Garden)」 が妙に気に入ってしまった。
2006年8月14日(月)
<<小さな頭>>
魔がさしたのか、昨夜もまたつまらない本に読み耽って夜更かしをしてしまい、
昼前に起床。「他人を見下す若者たち」(速水敏彦)。教育心理学者の手によ
る、結構学問的な本。でもこんな本を読んで世の中の事が少しわかったような
気になったところで、どうだというのだ。それで数学研究が進展するわけでも、
気分が良くなるわけでも、ましてや、9月から目出度く学科長職が免除される
わけでもないではないか。そういう意味で、私には猫に小判的に「つまらない」
本なのである。
もしかして、学生達のことが少しはわかるかも知れない けれど、学生というのは「何だかよくわからない人たち」として入学してきて、 「何だかよくわからない人たち」のまま卒業していくから面白いのであって、 なまじわからない方が良いのだと思う。
朝昼兼用の簡単な食事を済ませて京大数理研図書室へ。8月16日の五山送り火 に合わせて、8月14,15,16日は3連休する京都の個人商店が少なくな い。途中の町並みも何となく静かである。夕方、喫茶進々堂へ。今日は結構混 んでいて、私が密かに「作家先生」と呼んでいる(本当は何をやっている人か 全く謎の)数年来の常連客も、「指定席」の窓際の席が取れなかったとみえて、 奥の薄暗い席に座ってなにやら葉書を書き散らしていた。その後、JEUGI A三条本店道草経由で帰宅。今日は特に衝動買いは無し。こっ ちを押し込めばあっちが飛び出す小さな頭で、夜も少し数学。
心の友は、 アンヌ・ケフェレックの ヘンデル・ピアノ曲集、 ツアーバ・クレニャーンの ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏曲、 ウルフ・ローデンホイザーの ライネッケ三重奏曲 (ビオラ三重奏とホルン三重奏) ラルフ・マンノの シューマン・クラリネット曲集、 カリ・クリークの クルーゼル・クラリネット協奏曲、 最後は、シューマン・クラリネット曲集の原曲、 アルフレッド・ブレンデル&ハインツ・ホリガーの シューマン・オーボエ曲集 で締める。
2006年8月13日(日)
<<代数幾何学てんやわんわ>>
折角の夏休みなのに、「学科長職憎し!世の中の馬鹿野郎!」の思いがイナゴ
の大群の如く頭の中に充満しているというのは、とても不幸なことだ。もっと
楽しいことを考えようと、今日も終日代数幾何学の復習。
代数幾何学の勉強は 楽しいけれど難しい。人にはそれぞれ許容できる複雑さの限度というものがあ る。あまりに巨大で精緻で複雑な理論は、こっちを押し込めばあっちが飛び出 すといった具合で、その全容が頭に入り切ることはほとんど望み薄である。ま してやその理論の中で自由自在にモノを考えるなどという芸当は、望むべくも ない。まあ、私の場合は可換環論研究に必要な範囲だけ何とか分かればいいと いう感じでやっているけれど、こんな大変な分野を専門にしなくて良かったと つくづく思う。
さて今日の心の友。 まずは ラルフ・マンノの フランスもの(ドビュッシー、プーランク、ミョー他)と ポール・メイエの フランスもの(ドビュッシー、プーランク、ミョー他) を聴き比べ、その勢いでポール・メイエの ブルッフ8つの小品(他)。 そこで気分を変えて、 美し過ぎて危険につき本当は45歳以上立ち入り禁止! アルフレット・プリンツの クラリネット五重奏曲・三重奏曲(ブラームス)に突入。 こっちを押し込めばあっちが飛び出す、代数幾何学てんやわんやと同時並行で 聴き流すことによって、何とか危険状態に陥ることなく終了。 代数幾何学あらばブラームスの脅威も平気かと勇気百倍、 調子に乗って今度は、さらに同じく45歳以上立ち入り禁止! アルフレート・プリンツの クラリネット・ソナタ(ブラームス)。 次はちょっと気分を変えて、久々登場カリ・クリークのD管 クラリネットの高い音が美しい クラリネット協奏曲(J.M.モルター)。 そして就寝前は桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)"で締める。
そういえば1月頃はたった2枚だったクラリネットのCDが、今は 丁度40枚になっている!
2006年8月12日(土)
<<スパイ容疑?>>
昼前後は山科区内で野暮用。その後、山科駅前Sbuxで少し数学。激しい夕
立の後の涼しい外気の中を帰宅。また少し数学をと思ったけれど思わず昼寝
に突入。夜はスポーツクラブ。帰宅後、また少しだけ数学。今日も代数幾何学
の復習。
諸般の事情で本日の心の友は、ゲーテ・クラリネット奏者氏のデビューC Dを2回聴いただけ。これを聴くととても幸せな気分になれる。無人 島に流刑になる時に、1枚だけCDを持ってっていいと言われたら、やっぱり これで決まりでしょう。それに、無人島に流刑になったら学科長会議に出なく ていいし、数理科学科潰すぞ!なんていう無理難題に孤独に立ち向かなくて済 むし、このCD聴いて数学だけ考えてればいいのだから、まさに夢のような生 活ではないか。パラダイス!そうだ、誰か私を流刑にしてくれ!でも何の罪で? アンドレ・ヴェイユみたいに、スパイ容疑ってのもいいな。それで獄中で数学 研究がはかどった頃に、こんな奴にスパイなんて出来るわけないじゃん!と容 疑が晴れて放り出され、その頃には目出度く学科長の任期が終ってる、とか。 うーん、話の設定に無理があり過ぎるな。
2006年8月11日(金)
<<オープンキャンパス >>
今日からちょうど一週間Ritsは一斉休業に入り、しばらくは学科長人気者
メールに脅かされる心配は無い。昨今どこの大学でもそうなのかも知れないけ
れど、大学改革が自己目的化してしまって、経営者の単なる自己満足、何かやっ
てないと不安だから闇雲に何かやってるに過ぎないような仕事がどんどん降っ
てきてせわしい。そういうのにいちいちまとも付き合っていると、現場の教育
や研究が滞ってしまうから、誰か一人人身御供を立ててその人に全部押し付け
ることによって、現場の被害を最小限に食い止めようというのが学科長職であ
る。
そう考えると、教室会議が居眠りと内職の修羅場と化する理由も理解でき る。学科長は「俺一人に全部押し付けるなよ。心細いよう!」と仲間を引っ張 り込むために会議を開き、他の教室メンバーは「知るか。お前だけで全部やっ とけ!それがお前の仕事だ」と突き放すというわけである。私はそういう事情 を無意識に悟って、教室会議を事実上廃止したのかも知れない(何せ論理的に 生きていないので、自分の言動の意味が自分でも分かってないのです)。
また教室会議を全てメール会議に切り替えて、さまざまな案件に対する意 見をメールで求めると、若干名の常連を除いて、たとえ「数理科学科が潰され そうですが、どうしましょうか?」と問いかけても誰も何も言ってこない。で は私の学科長通達メールを無視しているのかというと、必ずしもそうでもない らしく、自分の利害に関係する記述だけは見逃さず、今度の教授会をサボりたい とか、夏休み中の出勤を一日でも短くしたいとかということを、大そうな大義 名分を並べて理路整然と訴えるメールだけはきっちり出してくる。 この数理科学科が潰されるかどうかという重大問題に孤独に取り組まねば ならない重圧に日夜あえぐ私が、この手のメールに見出せるものといえば、 ひとえに悲しくなるほどのみみっちさと安っぽさだけである。 勿論、瞬殺クリックの対象となる。
それにしても、学科長になる以前の私もまさにそうだったのだけど、学科 長の立場から見ればとても重要に思える事には知らん顔を決め込み、どうでも 良いような事に目くじらを立てるというこの現象は一体何なのか。「経営者の 自己満足に現場がいちいち相手してられるか」という意識の反映であろうとい う、というのが最近の仮説である。
そういえば会社員時代も、経営者というのはよほど暇なのか、たまには良 いこともするのだけど、多くの場合気まぐれに組織をいじってみたり、馬鹿な 学者にそそのかされてつまらない社内運動を「強力に推進」してみたりして、 現場を混乱させることに熱心だったように思う。しかし彼らはそれが仕事なの だから、仕方がない。普通の人間は、日々沢山の馬鹿な事をやらかし、たまに 良いことをする。
そのいっぽうで、経営者たちが自分達がいかにも立派な仕事をしたかのよ うな自己満足を得るために持ちかけてくる下らない話をいかにやりすごし、現 場の業務に支障をきたさないようにするかが、現場の人間の知恵の絞りどころ とされていたように思う。そして組織全体がうまく動くかどうかは、経営者が 「自分はもしかして馬鹿なことをやって現場を混乱させているだけでは?」と 内省する知性と人間としての品位を持ち合わせているかに大きく依存するのだ ろう。幸い私の居た会社の経営者たちは、それなりの知性と品位を持ち合わせ ていたと思う。
そんな非数学的な事を考えながら、そして、同時にそのようなつまらない 事を考えている自分を嫌悪 しながら、昼前に京大数理研図書室に向かう。はてな。今日は何だかRits に出勤しているみたいな感じで変だぞ。此処は本当に京大か?と頬をつねりな がら回りを見回すと、何と!今日から京大がオープンキャンパスをやっていて、 あちこちに高校生が溢れ返っているのである。オープンキャンパスがいけない とは言わない。私が高校生だったら喜んで行ってたと思う。しかし「京大がR itsの真似してどうするんだよう!」と思わず胸のウチで叫んでしまった私 は、やはり学科長職に疲れているのだろうか。
本日は代数幾何学の復習など。心の友は、 リチャード・ストルツマンの 世の終わりのための四重奏曲、 桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)"、 ウルフ・ローデンホイザーの クラリネット五重奏曲(モーツアルト)、 ベニー・グッドマンの バルトーク他、 ザビーネ・マイヤーの UNA VOCE ... PER CLARONE。
2006年8月10日(木)
<<もっとお喋りを! >>
昼前に出勤し、書類を何枚か書いて事務に提出。数物事務室でK川先生を見掛
ける。数学教室の同僚教員を生で見るのは、ずいぶん久しぶりのような気がす
る。午後は院生O君と研究ゼミ。夜も少し数学。
そういえば私は職場では一切雑談をしない。教職員とは業務連絡、学生と は数学の話をするだけである。それが良いことかどうかはわからない。しかし 私は元々とてもお喋りな人間で、高山殺すにゃあ鉄砲は要らぬ、しばらく黙ら せておけばそのうち狂い死にするぞとまで言われていた(かどうかは知らない けど)。会社員をやってた若い頃は、上司の目を気にしつつ、年の近い同僚達 と色々余計な事をくっちゃべりながら仕事をしていたし、大学教師になってか らも今は亡き筋肉中年S藤先生の研究室に乱入しては、色々な雑談をしていた ものである。
話好きの大学教師は別に珍しい存在ではなく、同僚達と何やかやとつるん だり、ゼミの学生達を飲みに連れて行ったりと、それなりに話相手を作っては、 お喋りを楽しんでいるようである。では何故私はそうしないのかというと理由 は簡単で、話相手といっても相性というものがあり、私はひと一倍気難しいか ら特に好みがうるさいし、会話のシチュエーションにしても色々条件が整わな いといけないのである。だからと言って、お喋りせずにいて大丈夫かというと そうでもないらしく、「狂い死に」とまでは行かないまでも、近年の私が色々 精神的に弱ってきたような気がするのは、お喋りが不足しているせいかも知れ ない。もっと光を!もっとお喋りを!そして今日も琵琶湖に向かって馬鹿野郎! だぜ。
今日の心の友。昨日の反動なのか、クラリネット曲をがんがん聴きまくる。 まずは久々登場、エンマ・ジョンソンの Voyage で 出勤し、ゼミの前の雑用と昼食の間はシャロン・カムの、 二重奏曲集、さらに続けて、ご存知、津田&サイオテ の "A portrait"。帰宅の友はラルフ・マンノ の 現代もの。夜の数学の時間は、特にカール・ スタミッツのクラリネット協奏曲が軽快で楽しいザビーネ・マイヤーの クラリネットコネクション、と、来 月に狙っている某コンサートの予習としてR.フックスのクラリネット五重奏 曲を聴き直してみようと、ポール・メイエとカルミナ・カルテットの クラリネット五重奏曲(フックス、ウエー バー)。一日の最後は、再びザビーネ・マイヤー率いる Trio di Clarone の 「パリのメカニック」。 同じTrio di ClaroneのCDでは最近買った、 UNA VOCE ... PER CLARONEがあるが、 「パリのメカニック」の方が玩具箱をひっくり返したような内容が楽しい。
2006年8月9日(水)
<<人間関係の話 >>
午前中は自宅にて少し数学。昼前後は、台風7号で大荒れの予想とは裏腹の炎天
下、近所の銀行回りをしてから山科駅前ラクト山科で買物をし、そのついでに
山科駅前Sbuxでまた少し数学。帰宅後も数学。夕食後はNHKで洞窟の綺
麗な映像の番組をやっていたので、珍しくテレビをしばらく見て、また少し数
学。「人生が切羽詰って来たから、のんびりとテレビなんか見てる暇なんか無
いんよ」が正しいのか、それとも「たまにはのんびりとテレビを見たり、なん
て事をしなくなったから人生が切羽詰まって来るのです!」が正しいのか。
少なくとも「数理科学科が潰される年に学科長が回ってきたから、益々人生が
切羽詰まって来ている」というだけは、正しそうだな。
山科駅前Sbuxには、よく勤め人の友人同士と思われる若い女の二人連 れ客やかなり年配の女性客の二人連れが来ていて、多くの場合職場や恋愛、は てまた息子夫婦との確執などの人間関係の話をしているようである。彼女達自 身はどう思っているのか知らないけれど、そういった割合頻繁に連絡を取り合っ て自由にお喋りができる懇意の友人を持つことは、良いことだ。Sbuxなど で見掛けるのは女性が圧倒的に多く、男同士というのはあまり見たことが無い。 これは何故だかわからない。男同士だと、喫茶店ではなくどこかの居酒屋など に行ってしまうのだろうか。
私は、人間関係の話が友人と軽く小一時間語れる話題になるという事自体 がよく理解できない。私のように、協調性と社交性に欠け、自尊心が高いくせに 自己評価が低く猜疑心が強いという、ほとほと困った人格の持ち主が人間関係 での悩みを持たないわけがなく、会社員時代は上司に睨まれ同僚社員達といが み合い、大学教師になってからも学生や同僚教員とうまくいかず胃に穴を開け たりしているのだが、そのことで同性の友人とコーヒーなり酒なりを飲みなが ら小一時間お喋りした記憶はあまり無い。それは何故かしら。おそらく潜在意 識では、私は「男は基本的に全部敵だ」と思っているので、そんな敵に弱みを 見せるような話などできるものかと無意識に考えてしまうからかもしれない。 じゃあ、どうしてるのかって?琵琶湖に向かって「馬鹿野郎!」って大声で 叫ぶんだよ。
本日の心の友は、 ハインツ・ホリガーらの ヘンデル:トリオ・ソナタ選集、 さらにハインツ・ホリガーの 「無伴奏オーボエのための12の幻想曲」(テレマン)、 アルフレッド・ブレンデルの 「ピアノ・ソナタ第13番D.664、第14番D.537」(シューベルト)、 ダニエル・バレンボイムの ピアノ版ゴールドベルク変奏曲(J.S.バッハ), 最後はトン・コープマンの 平均律クラヴィーア曲集第1巻(J.S.バッハ)。 クラリネットの音を全く聴かなかったという意味では、今日は珍しい一日。
2006年8月8日(火)
<<頓挫した計画 >>
午前中は京都駅の旅券事務所に新しいパスポートを受け取りに行く。9月初旬
の学科長会議の前日を狙って、「ざけんじゃないよ!」と学科長職を放り出し
て失踪し、高飛びし、そして華麗なる政治亡命を果たし、数理科学科の皆さん
さようなら!後は野となれ山となれ潰れてしまえ!という具合にならないかと、
極秘に画策していたのだが、残念ながら計画は頓挫。パスポートを使う予定は当
面無くなってしまった。
それにしても、黒川紀章が設計したという京都駅は、黒御影石の壁で異様 に暗く狭いトイレがどうにも好きになれないけれど、あのダイナミックな大空 間のデザインが凄いなと思う。
その後、烏丸四条、寺町四条、河原町三条界隈をしばし徘徊して野暮用。 野暮用後、河原町三条からバスに乗り、15時過ぎに京大数理研図書室に到着。 しばし数学。喫茶進々堂は定休日で、JEUGIA三条本店も先日行ったばか りなので、ぜスト御池地下のパン屋Cascadeでちょっと一息入れてから帰宅。 夜も少し数学。今日は可換環論の研究は休止して、代数幾何学の基礎的事項の 復習。
本日の心の友は、桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)"、 アントニオ・サイオテ&津田理子の "A portrait", ツアーバ・クレニャーンの ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏曲、 内田光子の シューベルト「ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D.958、第20番イ長調D.959」 および シューベルト「即興曲集作品90および142」、 ポール・メイエの ブルッフ8つの小品(他) 。
2006年8月7日(月)
<<天国みたいなものさ >>
夕食後、野暮用のためすこし山科区内をうろついた以外は、終日自宅でなんと
なく数学。最近までそこはかとなく考えてきたことを纏めたり、昨夜発見した
ある悩ましい病理現象が実は単なる勘違いで心配することはないことを突き止
めたり。
今日の心の友は、まずは桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)"。 真昼間から子守唄ってのも何だなと思い、 アントニオ・サイオテ&津田理子の "A portrait". やはり柔らかい音のクラリネットはピアノのガンガンとどやしつける 音で締めるぐらいが丁度良いのかしら。 それから、ウルフ・ローデンホイザーの ライネッケ三重奏曲(ビオラ三 重奏とホルン三重奏)、 アンヌ・ケフェレックの ヘンデル・ピアノ曲集 と続き、最後は久しぶりにリチャード・ストルツマンのきついビブラートが懐かしく なって(?)ALIA.
こんな風に毎日音楽を繰り返し乱れ聴きしていると、ぼんやりしていても 頭の中では色々なメロディーの切れっ端が乱舞してたりするし、ああ、これい い曲だけど誰の何の曲だっけな?思い出せないかなあ。。。うーっ、 Scheisse! (クソ!)忘れてたんかいな!?と、早朝に思わず目覚めるなんて事 もあるけれど、多くの場合結局全然わからない。でもいいんですよ。いくら極 楽往生を祈願して念仏のようにガンガン音楽聴いてても、頭の中でロクでもな い学科長仕事の切れっ端が乱舞する日々を思えば、今は天国みたいなものさ。
2006年8月6日(日)
<< berceuse >>
昨夜はスポーツクラブの帰りに衝動買いしたつまらない本に読み耽ってかなり
夜更かししたので、今朝は正午前まで爆睡。今日もカンカン照りの真夏日だ。
午後は冷房の聞いた部屋で数学。そこはかとなく考えてきた事を纏める。夕方
は散歩がてらに河原町三条界隈へ。JEUGIA三条本店など。夜も少し数学。
本日の心の友。前半はドビュッシー で決まり。 駄目録音のドビュッシーのピアノ小品集。 ドビュッシーのピアノ曲には綺麗な曲が多くて好きなのだが、 クラリネット曲としては「ラプソディー1番」と「小品」ぐらいしか 知らない。これらは割合有名な曲らしく、例えば ポール・メイエの 「フレンチ・クラリネット・アート」 やラルフ・マンノの 「フレンチ・クラリネット・ラプソディー」、 そして今日衝動買いしたCDなどでも取り上げられれいるけれど、 特に綺麗だとは思わない。ドビュッシーはやっぱりピアノの独奏曲に限るな。
さらにはPeter Röselの 子供の領分(Children's corner)、 ベルガマスク組曲(Suite bergamasque)、版画(Estampes)、 Zoltan Kocsis(残念ながら画像無し!)の ベルガマスク組曲、忘れられた映像(Images oubliees)、 ピアノのために(Pour le piano)、版画。 あと、「沈む寺」「亜麻色の髪の乙女」とかの録音を色々持ってたんだけど、 何処へ行ってしまったのかしら。
本日の衝動買いCDは、桜井真理(クラリネット)& 堀米綾(ハープ)に よる"Berceuse"。berseuseとはフランス語で 「子守歌」のこと。マイナーレーベルから出ている日本人演奏家のCDは一般 に何故か割高感があって、例えばポール・メイエの 「フレンチ・クラリネット・アート」は100 0円そこそこで、ラルフ・マンノの現代もの やベートーベンもの は700円 を切っていたのに、このCDは2600円である。近頃はちょっとした本を買っ ても2000円ぐらいは軽くかかり、大抵はつまらない内容で一晩でさあっと 読んだら二度と読み返す気が起こらない。こういう事を繰り返すとだんだん本 を買うのが嫌になってくる。活字は読むよりも、自分で書く方が面白いやって ことになる。 しかしCDは何度も聴きなおし、その度に幸福感を楽しむことができるの だから、2000数百円は決して高い買い物ではない。
しかしながら、聞いた ことの無い演奏家のCDに果たして2600円の価値があるのかどうかは、お おいに迷うところである。ザビーネ・マイヤーの2500円は安い買い物だけ ど、よくわからないままに買ってしまった ジルバース・ドウ・ペイエの2200円 (ぐらいだったと思う)は今でも 悔しい。その悔しさのリスクは避けたいものである。
ということで迷った末に一度は購入を見送り、寺町通りの画廊を外から冷 やかしながら地下鉄京都市役所前駅に向かっていたのだが、ふと思い立って引 き返し、衝動買い!何と言ってもクラリネットとハープの組合せは大変珍しい。 さらに、取り上げている曲もサティーの「ジムノペディ第一番」とドビュッシー の「小品」以外は全部私の知らない曲ってところが、微妙にお買い得感を盛り たてる。ジムノベティーは、5月頃に京阪天満橋駅ビル内を光速通過(いろ いろ忙しかったため)した時、そこのフロアで大阪音大の学生さんのような人 たちが無料ミニ・コンサートをやっていて、そこで演奏しているのが耳に入っ たのを覚えている。あれは良かった。ジムノベディか。演奏者にとっては比較 的簡単な「軽め」の曲なんだろうけど、クラリネットで聴くと結構いい。
Berceuseは結局私の期待を裏切らなかった。桜井真理のクラリネットは 綺麗な音だし、堀米綾のハープも美しい。 でも、さすがに子守唄というだけあって、ちと刺激に乏しいCDである。
2006年8月5日(土)
<<世の中の馬鹿野郎!>>
嗚呼、また土曜日がやってきた。”土曜日をどうすごせば良いか?”は今なお
未解決難問として私の行く手を遮っているかのようである。さしずめ今日の午
前中はエアコンのきいた涼しい部屋で寝転がって数学。それから、炎天下の京
都を歩くなら断然これだぜ!と、
ハ
インツ・ホリガーの「オーボエ協奏曲(モーツアルトおよびシュトラウス)」
を心の友に、午後は山科区内で野暮用。野暮用の合間は、そこはかとな
く数学。夜はスポーツ・クラブ。筋トレや有酸素運動をしながら、やはりそこ
はかとなく数学。昼間の疑問を色々解決。帰宅後はツアーバ・クレニャーンのライネッケを心の友に、ちょっ
とぼんやりしてみる。
「そこはかとなく数学」というのは良い傾向である。ゆるやかに流れる生 活の時間の隙間という隙間に数学が沁み込み、何となくほんわかとした気分で 一日が過ごせるのである。そういえばちょっと前までの私は、「そこはかとなく 学科長」という心荒む日々をすごしていたのである。
何となくぼんやりしている時などに、 ああ、最近数理科学科を潰すなんて話が出てきてるし、 他学科も「おおむね賛成」みたいな事言ってるし、 おおむね賛成されては困るはずのウチの学科の同僚達といえば、「どうでもい いっす。関係ないっす」って調子で、本当にそうなの?と聞いても「さー」っ て感じだし、 じゃあ私は学科長会議で「数理科学科の意見集約の結果『どうでもいいっす。 関係ないっす』となりました」って本当に言っちゃっていいのかしら、 まあ、「さー」とか言ってる人達が青テント生活に突入する羽目になるのは 勝手だけど、一応数学という学問を担う立場の者として、私はこの教室を守る 社会的責任があるのかしら 等等 といった事をそこはかとなく考えてしまい、 そのうち、何で「おおむね賛成」なんだよう!とか、 何で「さー」なんだよう!とか、 世の中全てに対してむらむらと腹が立ってきて、大津プリンスホテルの最上階 の部屋から琵琶湖に向かって「世の中の馬鹿野郎!」と力一杯叫びたい衝動に 駆られるのである。こんな生活が楽しいわけがない。でも、またすぐ にそういう日々に戻ることになるんだろうけど。
2006年8月4日(金)
<<美し過ぎるから>>
午後は院生O君と研究ゼミをするために出勤。上手くいけば何か新しい発見が
出来るかも知れないので、夏休みといえども気が抜けないのである。その前後
と休憩時間は、久々の学科長モードで雑用と格闘。事務の某氏、「先日、○×
先生が高山学科長をずいぶん捜しておられたようですが」「ああ、そうなんで
すか。(瞬殺の被害者のひとりのようですな)まあ、いいんじゃないですか。」
ま、○×先生には「運が良ければお会いできるかも知れませんね」と、よろしく
お伝えください。
あとは、使いっ走りのような仕事をいくつか。私は使いっ走り仕事が大好 きである。何も考えなくて良くて、体を動かせて健康的だし、簡単に成果が出 て、それでいて適当に感謝してもらえる。自分がこの世の中に受け入れられて いることを最もお手軽に実感できて、人々は勿論のこと路傍の草木までも私に 微笑み掛けてくれるこの麗しき世界!という錯覚に酔い痴れることができるっ てわけだ。
今日の心の友。通勤時はトン・コープマンの 平均律クラヴィーア曲集第1巻。夕食時、ワインを飲みすぎて夜はちょっ とぼんやりしてしまう。,,Zu viel Arbeit ohne Ruhe macht Sie krank...'' (仕事のし過ぎは病気のもとですよ.)とゲーテの先生も言ってましたけど、 ほんの少し立ち止まってみようという時は、ベートーヴェンなどが心にしみじみと 沁みてよろしいようで。軽く論文などを読みながらペーター・シュミードルの ベートーヴェン、クラリネット三重奏曲 (「町の歌」ともうひとつ)、 さらには ラルフ・マンノの「春のソナタ」および ギド・シーフェンの「クロイツエル・ソナタ」(ベートヴェン)や ザビーネ・マイヤー版 クラリネット三重奏曲「町の歌」(ベートーヴェン)」 に手を伸ばす。
マイヤーのCDには、ゲーテ・クラリネット奏者氏 絶賛の名演奏「クラリネット三重奏曲(ブラームス)」も入っているが、 ,,Für mehr als fünfundvierzig Jahre alte Menschen ist Klarinettetrio von Brahms sehr gefährlich, besonders wenn Sie Alkohol getrunken haben. Der Grund? Weil es zu schöne ist! '' (45歳以上の人々にとって、 ブラームスのクラリネット三重奏曲は危険です。特に、アルコール が入っている時は要注意です。何故かって?それは、美し過ぎるから。) なので、今日はパスする。 [何を独作文して喜んでるんだよう!]
それでどうしたかというと、ベートーヴェンはやめて 鈴木雅明の ゴールドベルク変奏曲(J.S.バッハ) で一日を締めて、バッハにはじまりバッハに終る一日を演出したってわけ。
2006年8月3日(木)
<<永久故障願望>>
高山学科長は今日も引き続き「故障中」のため「音信不通」なのである。
大学には決して寄り付かずに論文読みの続き。
午後は京大。湯川記念館で研究会をやっていて、Herzog先生も(非専門向け
の?)講演をするようなので、挨拶がてらにちょっと覗いてみたものの、
Herzog先生はどこかに監禁されているのか雲隠れしているのか姿が見えないし、
講演会場を眺めても何となく雰囲気が合わない研究会だなあって感じだったの
で、すぐに退散して数理研図書室へ。夕方、道草無しでまっすぐ帰宅。夜も引
き続き数学。ああ、頭の中が静かだ。こうやって、ずうっと「故障」してたい
ものだ。
さて本日の心の友。まずは、 吉松隆の本も読んだことだし、「鳥の形をした4つの小 品」が収録されているアントニオ・サイオテの"A portrait" . 吉松氏はタイトルに凝る方で、まず気に入ったタイトルを思いついて、そのイ メージをもとに楽想を形成するのだそうだ。Herzog 先生も以前「ちょっと面 白いアイディアがあって、それにあわせて素晴らしい論文のタイトルも決まっ てたのだけど、結局その論文は完成しなかった」と言っていた。私だっていつ の日か,,Fünf himmelförmige Sätze über kommutative Ringe''(可換環に関する空の形をした5つの定理)というドイツ語の論文書こ うと画策してるのだけど、まだ全然内容が思い浮かばないな。「空の形をした 定理」は、人々の心の中にどこまでもどこまでも広がって行くような、自然で 美しいものでなければならない。そんな定理を私が発見できる日が果たして来 るのかしら。しかも5つも!
それから、ライネッケ乱れ聴き状態に突入!クラリネットとピアノの二重奏が 綺麗なツアーバ・クレニャーン、実はライネッケよりも ブルッフ8つの小品の7番目が私のお気に入りの 近藤良、 ゲーテ・クラリネット奏者氏断然おススメのウルフ・ローデンホイザー。 うーむ。どうもま た、いつものパターンになってきたな。そこでちょっと趣を変えて、久々登場 のラルフ・マンノのバルトーク、ストラヴィンス キー、カチャチュリアン、ミョー。 カラリと明るくもサティー風のひねりも効いているミョーの曲 が特に楽しい。
そして本日の締めは、リチャード・ストルツマンの 5つのバガデル(フィンツイ)。 うーむ、美しい。 これは私の 「空の形をした5つの定理」のテーマ曲にする予定だ。 テーマ曲付きの数学の定理って、聞いたこと無いだろ?
2006年8月2日(水)
<<10周年記念>>
そういえばちょうど10年前の夏休みは、計算機屋を廃業して数学に戻ろうと
本腰を入れて勉強をし始めたのだった。その10年後、自爆テロ活動に疲れ果
てた私は、「故障中の音信不通学科長」としてメールも留守電も瞬殺しまくり、
少し頭の中が静かになってきたところを見計らって、今日は終日自宅にて某論
文読みの勉強。途中、夕方頃散歩がてらに山科駅前SBUXへ。そこでも少し
数学。
本日の心の友は、 ツアーバ・クレニャーンの ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏曲、 ザビーネ・マイヤーらの UNA VOCE...PER CLARONE、 アントニオ・サイオテの "A portrait" ウルフ・ローデンホイザーの ライネッケ三重奏曲 (ビオラ三重奏とホルン三重奏)、 ポール・メイエの ブルッフ8つの小品(他) 、 タティアナ・ヴァッシリーヴァのチェロで 「イタリア組曲」(ストラヴィンスキー)、 さらに、「イタリア組曲」をもうひとつ!と ミシャ・マイスキー&マルタ・アルゲリッチの "in concert" で一日を締める。
2006年8月1日(火)
<<夢の三段飛び>>
人が生きていくには、夢と希望が必要だ。私のパスポートは今年1月に期限切
れしていたので、いつでも学科長職を放り出して失踪、高飛び、そして華麗な
る政治亡命!と夢の三段飛びができるようにと、午前中は京都駅の旅券事務所
へ。
午後は京大数理研図書室で「土台固めの勉強」をシコシコと。数理研の院 生あたりが借り占めているのか、最近は書棚から可換環論関係の基本図書がごっ そり消えてしまっていて、いささか不便である。
帰りはJEUGIA三条本店道草経由で帰宅。 JEUGIAにて「大人の楽典入門」(CD付き)と「図解クラシック音 楽大辞典」(吉松隆)を購入。 長期の休みになるたびに新しい楽典の本を買って挑戦し、中途半端で終ってしまう。 それにしてもCD付きの楽典の入門書って、どうして今まで無かったのかしら。
吉松隆の名前はサイオテの"A portrait"にも 収録されている「鳥の形をした4つの小品」で知ってた。このタイトルは お気に入りだし、曲もいい。「図解。。」の本も吉松氏本人の手による漫画ちっくなイラ ストが沢山描かれていて、吾妻ひでおのファンでもあるらしいし、この人とは 何となく波長が合いそうだということで、思わず衝動買い。
帰宅したら、先日瞬殺したメールの主のひとりから、その後応答が無いがどうなっ ているかとの督促留守電が入っていた。五月蝿いなあ、 ,,Ich bin schon ausser Betrieb!'' (私は故障中なんだよ!)と、とりあえず留守電メッ セージも瞬殺。
夜もまた少し数学。本日の心の友は、 サイオテの"A portrait", ウルフ・ローデンホイザーの ライネッケ三重奏曲(ビオラ三重奏およびホルン三重奏), トン・コープマンの平均律クラヴィーア曲集第1巻(J.S.バッハ)、 ポール・メイエのブルッフのクラリネット協奏曲、および8つの小品(他) 、 ツアーバ・クレニャーンの ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏曲。