一部のブラウザ

の

た

め

の

邪

魔

な

広

告

よ け ス ペ ー ス で す。

2006年8月31日(木)
<<悪魔と手を組む>>
数理研での研究集会4日目。午前中、自宅で数学の関連したこまごまとした作 業を少しやって、午後から参加。一応可換環論の研究集会だけど、代数幾何学 の難しい話がこれでもかこれでもかと続く。最後の話は、代数幾何学からもは み出して、複素解析幾何学の話だった。こういう話が全部理解できたらさぞか し愉快だろうなと思うけど、真面目に勉強していたらそれだけで人生終ってし まいそうだ。

本日某時刻に某所にて、危険な数学者X氏が別の数学者Y氏と共同研究を している様子を初めて目撃した。X氏の「危険さ」については、この日誌にふ さわしい、毒を含みつつも愉快で心温まる(?)記述が思い浮かばないので、 省略。ただ、Y氏はX氏の「危険さ」に気づいていないのか、それとも気づい ているけれど良い研究をするためなら悪魔とでも手を組む決意でいるのか、は てまた私には気のいいおっちゃんにしか見えないY氏も、実は相当な悪魔なの か、私には良くわからない。

帰宅したら、某同僚教員から学校運営の某案件について数学教室の意見集 約のお願いメールが届いていた。恐らく他の同僚達たちがそうしたように、瞬 殺クリック! こうやって、 数学教室の同僚達が教室運営に関するお互いの仕事にどんどん無関心になって、 さらに教室会議が原則廃止されたラクな生活に慣れ切ってしまい、 皆で協同して教室運営にあたって行こうという雰囲気が消滅し、 会議が無いことに皆が小躍りして喜んでいる間に、数学教室崩壊の日が訪れる。 うーむ、私の自爆テロ戦略が着々と実現しつつあるとの手応えを感じるなあ。

今日の心の友は、ザビーネ・マイヤーの 「クラリネットコネクション」 、 アントニオ・サイオテの"A portrait", ツアーバ・クレニャーン ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏曲。 今や私は、ゲーテ・クラリネット奏者氏が目指す音色の何たるかが分かったよう な気でいる。それによれば、恐らくザビーネ・マイヤーは○、アントニオ・サ イオテは×、ツアーバ・クレニャーンは△評価になるのだと思う。

2006年8月30日(水)
<<「重要」メール>>
数理研での可換環論の研究集会3日目。朝一番から講演を聞く。午後は少し早 く終ったので、数理研図書室で講演ノートの解読など。その後、JEUGIA 三条本店道草経由で帰宅。

私は街中で知人を見つけるのが結構得意である。今日はJEUGIAの手 前で院生A君を見掛けた。寺町通りのある店のポスターのモデルを見て、A君 が仏頂面したらこんな顔になるだろうなとか思って歩いていた直後である。そ れから、JEUGIAを出て寺町通りの画廊をちらちらと覗いて冷やかしつつ、 ふらふらと地下鉄京都市役所前駅に向かっていたら、以前ゲーテで一緒だった B氏と3年振りぐらいにばったり出会う。少し近況などの立ち話をしてから分 かれる。

帰宅したら、サブジェクト欄に「重要」と書かれた学科長人気者メー ルが届いていた。 一体誰にとって「重要」なのかしら? 私にとってそのメールが重要かどうかは、それが誰から来たメールかによって決 まる。 少なくともサブジェクト欄に「重要」と書いたメールをよこすような人のメー ルは、その人にとっては重要かも知れないが、私にとっては重要ではない。そ の人にとって重要かどうかはその人の問題であって、私の関知するところでは ない。ということで、瞬殺クリック。 夜も少し数学。

本日JEUGIAの衝動買いは無し。心の友は、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」.

2006年8月29日(火)
<<携帯電話買い替え>>
可換環論の研究集会2日目。朝一番の講演を聞く。その後も面白い講演が続い たのだけど、学科長会議のために速攻で大学に帰還。結局、連続講演の最初と か2回目とかを聞き逃すことになり、明日以降の聴講にもずいぶん影響して被 害甚大である。しかも学科長会議の議題は、この程度の話でいい大人をいちい ち呼び出すのかね?と首をかしげたくなるようなものばかり。ま、会議という のは、そもそもそういうものだけどね。その被害甚大会議は2時間弱で終了。

それから山科に戻り昨日壊れた携帯電話を買い換える。買 い換える時になって初めて使う赤外線通信機能で、メールのデータを新しい携 帯電話に転送したり、色々やっているうちに一日が終る。

今日の心の友は、ザビーネ・マイヤーらの UNA VOCE ... PER CLARONE.

2006年8月28日(月)
<<率直に語る>>
午前中から夕方まで京大数理研。今週は可換環論の研究集会をやっているので、 時間が許す限りそれに通う積もり。昼休みは別の研究集会で数理研に来ている、 数年前に東京の某有名私大に華麗なる転職を遂げた筋肉中年S藤先生らと合流 してしまい、おじさん嫌いの私がおじさんと昼食をともにする羽目となった。

夕方、帰宅しようと今出川通りに出たら、危険な数学者A先生が前を歩い ていたので、これはまずいと吉岡書店に身を潜める。

A先生は、昨日の日誌に書いた、仙人、宇宙人、勘違い俗物数学者、心の 薄汚れた俗物中の俗物数学者のいずれにもあたらない。しかし俗物という感じ もしない。行政官としての素養にも優れ(だから「仙人・宇宙人」ではない)、 研究業績は第一級だがそれを過大に語ることも過小に語ることもない(だから 「勘違い俗物数学者」ではない)。自分自身の事も含めて、物事を徹底して正 確かつ冷徹に分析して率直に語る。自分の損得なんててんで考えず(だから 「心が薄汚れた俗物中の俗物」ではない)、兎に角自分の考えた事を率直に語 る。そして、この何事も率直に語ることが、私にとっては危険なのである。

かつて私は高校教員の採用試験を受けた。私が「試験はまずまず出来た」 と友人達に言ってたのを聞き知ったA先生は、「高山君の『出来た!出来た!』 はアテにならないからなあ」と言ったという。そして確かに私は教員採用試験 に落ちた。まあ、この手の率直さは慣れっこである。

会社員から大学教師に転職した時に挨拶に伺ったのだが、開口一番の言葉 が「よく君に大学教師の口があったねえ!」である。ちなみに彼の名誉のため に言っておくが、これは断じて意地悪で言ったのではない。当時の状況からし て、自分でも、よくウマウマと学位が取れて大学教師の口があったものだと驚 いていたぐらいだから。ただ、普通は胸のうちで思っていても、他人に対して 面と向かってそういう事は言わないものだ。まあ、この手の率 直さは嫌いではない。

しかしこういうのもあった。まだ計算機屋だった頃、「今、理論計算機科 学関係で優秀な研究者を捜しているのだけど、日本には全然良い人は見当たら ないんだよね。高山君、今、計算機科学を専門にしてるそうだけど、誰か知っ てる?」と。「優秀」とはどの位のレベルを指すのか知らないが、この時ばか りは、

貴方の目は節穴か。

今、目の前にいるではないか(怒)!!

とどやしつけてやろうかと思ったが、何故か思いとどまった事を今でも後悔して いる。

その私が、何年か後、中学校の同窓会で「高山!お前、アホちゃうか? 何でも率直にモノ言えばええっちゅうもんと違うんやで」とどやしつけられたのは、 皮肉といえば皮肉である。

今日の心の友も、昨日と同じアレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」と ザビーネ・マイヤーらの UNA VOCE ... PER CLARONE. さらに、 アントニオ・サイオテ&津田理子の "A portrait". そして最後の決め玉は、ゲーテ・クラリネット奏者氏のデビューCD。

2006年8月27日(日)
<<危険な数学者>>
午前中から夕方頃までは数学をと思ったものの、野暮用と睡魔でほとんど何も やらず。夕方は昨日行きそびれたスポーツクラブ。夕食後は睡魔は無いものの 疲れてあまり勉強できず。これではまるで、部活で疲れて帰って来て、夕食後 勉強に身が入らずぼんやりしてしまう中高生時代の生活みたい。

昨日も書いたように、数学者の多くは(聖人君子でもない普通の人間とい う意味で)俗物だけど、中には仙人みたいな人 も居る。「筋金入り」というやつである。私の学生時代の友人のひとりは、仙 人というよりも自他ともに認める「宇宙人」で、世間的に見て必ずしも面白い 立場に置かれてはいないけれど、彼を知る者達とその事について雑談するとき はいつも、「でも彼は宇宙人だから、あれはあれで十分幸せ一杯なんでしょう」 と尊敬とも羨望とも揶揄ともつかない結論に落ち着く。そして実際たまに彼に 会うと、いつも何物にも左右されない彼独自の幸福の世界に浸り切った顔をし ている。私にとって彼は、あんな風になりたいなという羨望の対象である。

最近では「人としての器の大きさ」などという事はあまり言われなくなっ たけれど、「数学者としての偉さ」と「人としての器の大きさ」には勿論直接 的な関係は無い。ほとんどの数学者は、多少風変わりかも知れないけれど、大 きく見ればその数学的能力を除いてごく普通の人間だから、自分の器をはるか に超えるような大きな研究業績を挙げてしまった時は、その事を持て余して しまう。そして、 (1) 自分の業績の大きさに見合う器に成長して多くの人から慕われる人と、 (2) 成長する自信も無いから自分の業績に誇りは持ちつつ、その大きさについてはあ まり深く考えないようにしようとする人と、 (3) 自分の業績の大きさに過剰に反応して押しつぶされてしまう人、 に分かれるようだ。

私の見るところ2番目の人が最も多いし、それは普通の良心的な人間としてはごく 自然な選択だろうと思う。 3番目のタイプの人も少なくなく、彼らは変な全能感に取り憑かれているのか、 王様気取りで威張り散らしたり、無闇に尊大な態度を取ったりと、周りは被害 甚大である。 理不尽な被害が悔しくて後で勉強ができなくなる愚を避けるには、その手の 「勘違い俗物数学者」に近寄らないのが一番だ。

音楽業界でも、底意地の悪さで演奏家達の間で有名な超一流オーケスト ラの主席演奏者とか、その演奏の素晴らしさ美しさからは想像もできないよう な話が漏れ聴こえてくる。最初はちょっとびっくりしたけれど、数学業界でも 事情はあまり変わらない。

ただ、数学業界にいて、真に心が薄汚れた俗物中の俗物とも呼ぶべき人間に 出会うことは少ない。少ないけれど、皆無ではない。「心が薄汚れた」という のは、例えば、世俗的な欲得や欲望を守ったり満たしたりするために、平気で 嘘をついたり、見え透いた言い逃れやこじつけや誤魔化しを言ったり、舌先三 寸の駆け引きのスキルで世の中を渡ろうとする人といった程度の意味である。 (記述が妙に具体的なのは、必ずしも特定のモデルを想定しているからではあ りませんので、悪しからず)。 若いうちはあまり目立たないかも知れないが、そうやってして年を重ねて来た 人というのは独特の妖気を漂わせているものである。私などは、たとえ何でも ないようなにこやかな会話で2,3の言葉を交わしただけでも、後で3日ぐら い不快感に苛まれて勉強の支障になる。

人の心の気高さはその人固有のものだから、他人がとやかく言ってもしょ うがないし、言う積もりもない。しかし「心の薄汚れた数学者」は私にとって は「勘違い俗物数学者」と同じぐらい危険だし、やはり近寄らないのが一番で ある。

今日の心の友は、引き続きアレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」を繰り返し。さらに、 ザビーネ・マイヤーらの UNA VOCE ... PER CLARONE. 後者のCDは最初は「ちょっとハズレかな」と思ってたけれど、 カルボナーレのCDと合わせて聴いているとだんだん面白く思えるように なってくる。

2006年8月26日(土)
<<やる事はちゃんとやる俗物>>
午前中は自宅で少し数学。去年からずうっとわからないままの代数幾何学のあ る理論。細かい議論は相変わらずわからないまま。しかし、何でそんな理論を 一生懸命考えるのか、少しだけわかりかけてきた。

午後は出勤して、院生O君との研究ゼミ。もはやお勉強モードは脱し、完 全に研究モードで3時間半ぶっ続けで色々議論。小さな論文が少なくとも一本 は書けそうだが、さらにひと頑張りしてもう一本書けるようにしたいものだ。 帰宅後も今日の議論の続きを少し考える。

ところで アレキサンドロフ・グロタンディエックはフィールズ賞受賞式 に出ることは拒否したけれど、 グリゴリー・ペレルマンみたいに 受賞 自体を拒否したわけではない。では、この2人の違いは何か。この問題につい て最近、「グロタンは軍事予算の一部が流れ込んでる事に反発して自分のために 作ってもらったIHES研究所をやめたり、もう70代の後半に差し掛かってるの にピレネー山脈で孤独な隠遁生活送ったりして、結構イケてると思うけど、何 だかんだ言ってもちゃんと結婚して(後、離婚)子供作ってるでしょ。やる事 はちゃんとやる俗物なのよ。でもペレルマンって40歳でまだ独身みたいだし 子供作ってなさそうだし、これは筋金入りよ」という説を耳にし、いたく感動 している。まあ、ほとんどの数学者はそれ以外の人たちと同様に俗物だってことは認 めますけどね。

今日の心の友は、アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」を繰り返し。さらに、 桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)".

2006年8月25日(金)
<<これでいいのだ!>>
午前中は自宅で少し数学。その後、昼前に出勤。院試関係のこまごまとした仕 事の後、13時半から院試の面接。今年は受験者1名。面接と判定会議で15 分余で終了。その後、別の会議を30分余。それから簡単な書類を書いて事務 に届けて、学科長会議の資料を少し調べ、本日の学科長業務は終了。

学科長をやっているせいだと思うが、今日は特に、数理科学科の同僚教員 の誰を見てもその一挙手一投足に闇雲に腹が立ってくる。勿論、相手にそれな りの原因がある場合もあるけれど、大抵は言い掛かりとしかいいようのない理 由で腹が立ってくるのである。 会議の合間に同僚達がちょっと談笑しているだけでも、お前ら何を青春真っ只 中の白い歯の若者の真似して笑ってるんだよう!と頭にくるし、 院試面接会場に早めに来て黙って座っている同僚には、お前、何でそんな所で ケンブリッジの哲学する猫みたいな顔してチマっと座ってるんだよう!と むかつくし、 廊下でふとすれ違った同僚を見て、何でお前、おじさんなんだよう?!俺の真似 するな!とぶち切れる。 こうなるともう滅茶苦茶である。でも、これでいいのだ!だいたい学科長やりな がら同僚教員に対してやさしい気持ちになれっていう事自体が無理な相談だし、 恐らく誰もそれを求めてはいない。人々はただ会議が無くなればそれでいいのだ。 例え来年度数学教室が消滅していようとも。

その後は数学。月曜日からの京大数理研の勉強会に備えて、去年からずうっ とわからないままの代数幾何学の基本事項のお勉強に再挑戦。

今日の心の友は、引き続きアレッサンドロ・カルボナーレの「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」、 ザビーネ・マイヤーの 「クラリネットコネクション」 (モーツァルト、ウエーバー、スタミッツにクラリネット協奏曲集)、 ポール・メイエとカルミナ・カルテットのクラリネット五重奏曲(フックス、ウエーバー)、 そして最後は、 ウルフ・ローデンホイザーの ライネッケ三重奏曲(ビオラ三重奏とホルン三重奏)。

2006年8月24日(木)
<<軽くブチ切れる>>
昼前に出勤。午後は院試の試験監督、答案の採点、それにまつわる諸々の雑用 など。試験監督というのはちょっと非日常的体験である。理工学部全体の院試 なので、試験会場には相当数の学生が居るが、何と言っても、普段こんなに長い 時間しげしげと学生を眺めることは無い。しかも、彼らは教室に居るにもかか わらず、目を覚ましている!

試験監督で学生を眺めてて何を思うかというと、別に何も思わない。あえ て言えば、ああ、自分は、教室で今目の前に居るような学生を相手にするか、 それとも、会議室でおじさん達を相手にするかのいずれかの仕事で給料を貰う 職業に就いており、今年はおじさん相手の仕事が中心なんだなというような事 が、ふと脳裏をよぎる程度である。

それでは、学生の相手するのとおじさんの相手するのとちらが良いか。私 は学生に対して何の思い入れも無いので、以前はおじさん相手も悪くないかと 思っていた。しかし、おじさんというのはそれなりにアクが強い存在だし、そ れ故に自分は実は(鏡で自分の姿を見るだけでも軽くブチ切れるほどの)「お じさん嫌い」だということが最近判明してきた。ただでさえアクが強いのに、 それが同僚ともなると色々利害も絡んでくるので、相手していると色々あって、 「何の思い入れも無い」という調子には行かない。何の思い入れも無く付き合 えるというのは、それだけでかなり幸福な関係だと思う。

今日の心の友は、引き続きアレッサンドロ・カルボナーレの「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」。 カルボナーレとポール・メイエとどちらが綺麗な音か? カルボナーレは、試聴してみて音色が綺麗だったから即決で買ったけど、 ポール・メイエの 「フレンチ・クラリネット・アート」 および ブルッフ8つの小品(他) と聴き比べてみたら、やはりポール・メイエの方が音が柔らかくて 美しい。

夜も少し数学。

2006年8月23日(水)
<<雲隠れ終了>>
月曜日の昼前アレッサンドロ・カルボナーレの「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」を雲隠れの友に旅立った、2泊3日の放浪の旅から夕方帰 還。数学の本なども持っていったけれど、結局何か読んだとすれば楽典の本と SPIEGEL のギュンター・グラスの記事を少し。長調だの短調だのの音階がほぼ 理解できた事が、この2拍3日の最大の進展。まあ、こんな風にたまには数学 も学科長も忘れてぼーっとする時間があってもいいか、と。 しかし帰宅後、早速学科長人気者メールがいくつか届いていたので、速攻処理。

2006年8月20日(日)
<<世界初録音>>
昼過ぎまで数学。その後JEUGIA三条本店に注文していたCDを取りに行 き、その帰りはスポーツクラブ。夜、 学科長人気者メールのようなものが飛び込んで来たけれど、 瞬殺クリック。そして少し数学。

JEUGIAでオーボエのリード作り講座が開かれるそうで、参加料もそ れ相応の金額が必要なのだが、見学だけだと500円なのだそうだ。オーボエ もクラリネットも、リードの材料は同じ植物(ケーン)の茎みたいなので、見 学してみたい気もするな。

今日買ったのはアレッサンドロ・カルボナーレ(クラリネット)とアンド レア・ディンド(ピアノ)の クラリネッ ト吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)。 プッチーニだのロッシーニだの のオペラで使われる(らしい)曲をおさめたもの。 イタリア・オペラって全然知らないなあ。 かと言ってドイツ・オペラだってモーツァルトの「魔笛 Die Zauberflöte」 ぐらいしか知らないけど。 カルボナーレの音色はザビーネ・マイヤーを思わせる明るく澄んだもので、 結構綺麗。

「『セビーリャの理髪師』よりロジーナのカヴァティーナ ”今の歌声は心にひびく”(ロッシーニ/ミューラー)」 は ザビーネ・マイヤーらの UNA VOCE ... PER CLARONE の中でウォルフガング・マイヤー(ザビーネの兄)も 吹いている綺麗な曲。 また、「『椿姫』の旋律による演奏会用幻想曲(ヴェルディー/ロヴレーリョ)」 はエンマ・ジョンソンの グランド・デュオ・コンチェルタンテ他にも 収録されてたと思う。 しかしながら、「ロッシーニの主題による変奏曲」(ロッシーニ/ルドルフ)、「エジプ トのモーゼ」よりソプラノ二重奏(ロッシーニ/ファッサノティ/スパディー ナ)」、「アンナ・ボレーナ」のメロディより(ドニゼティ/ミルコ)は( クラリネットの演奏としては?)世界初録音なのだそうだ。

世界初録音って何だか物々しくって、ちょっと興味をそそられるな。「世 界初録音!高山大先生が学科長人気者メールを瞬殺クリックする瞬間にふと漏 らす『ふん!』という鼻息の音」とか「世界初録音!高山学科長が学科長通達メール を送る時に心の中で叫ぶという『この野郎、これでも食らえ!』の掛け声」と か。何だかワクワクして来ませんか?(するわけないよね)

明日から雲隠れして放浪の旅に出ます。次回更新は23日深夜以降。

2006年8月19日(土)
<<苦節8ヶ月>>
夕方は山科区内で野暮用。それ以外は別に何をやってたという訳でもなく漫然 と時が流れ、ふと気が付いたら夜。少し数学。

私、鬱病じゃないかしらと、 うつ病チェック・リストで自己診断してみたが、異常無しの模様。例えば、 「この2週間、ほぼ1日じゅう憂うつ。しかも毎日。」いい言葉じゃないか。 まるで、この私に2週間密着し詳細に調査を重ねた優秀なる精神科医の手による 報告書のような言葉だ、と我が意を得たり!のYes.

これは行けそうだと思って次に進むと、「ほぼ一日中何もしたくないし、 何も面白くない。しかも毎日」の項目でひっかかる。「ほぼ一日中数学以外の 何もしたくないし、数学と芸術以外の何も面白くない。しかも毎日」とすれば Yesなんだけどなー。しかし、自分自身のことがてんで分かってない奴がチェッ ク・リストにYesだのNoだのと答えたところで、それが正しいかどうかが大い に疑問だな。

心の友その1は、アントニオ・サイオテ&津田理子の "A portrait", その2は、ザビーネ・マイヤー率いるTRIO DI CLARONEの 「パリのメカニック」、 その3は、エンマ・ジョンソンの Voyage. そして最後は、リチャード・ストルツマンの 「5つのバガテル」(フィンズィ)他。

ゲーテ・クラリネット奏者氏の言うところの「綺麗な音」と「普通の音」 の違いが、もひとつよくわからなかったのだけど、最近、もしやこういうことでは?と思 うところがあり、その点に注意しながら、いくつかのCDを慎重に聴き直そう としている。苦節8ヶ月にして、やっとクラリネットの音色に開眼できるかもね。

2006年8月18日(金)
<<危うげなところ>>
昼頃出勤。研究室で昼食の後、13時半より16時半過ぎまで院生O君の研究 ゼミ。その後、少し雑用の後帰宅。今日一日学科長人気者メールが届かなかっ た事を感謝しつつ、夜も少し数学。

それにしても「私が学科長やってるんだから、大丈夫なわけないじゃないですか」 は、我ながらうまい事言ったものだ。数学なら正解はひとつだけど、 大学の行政に1つの正解なんてあり得ない。あり得ない正解を無理矢理でっち 上げる仕事をするには、ある程度人間や人間社会に対する信頼感を持って いないとやっていけない。たとえば、意見の異なる人間でも粘り強く 話し合っていけば共通の認識に立つことができて、お互い笑って暮らせる時が来る に違いないと信じていなければ会議なんてやってられないはず。 しかし基本的に私は「意見の異なる人間と話し合ってもしょうがないから、それぞれ 別々にやっていけばいいではないか」と考える人間なので、皆さん会議で 何を長々と議論して暇潰してるんでしょうか?ぐらいにしか思えないのである。 こういうところが、高山学科長の危うげなところ(その1)だと思う。

それから、重要案件を教室会議に掛けても、3分の1は居眠り三昧、 3分の1は内職三昧、都合3分の2は蛤の如く押し黙っているだけだから 戦力外。しかも残りの3分の1が互いに意見を戦わせることはあり得ない。 だったら会議を開かずに、その3分の1の人と必要に応じて直接話しをすれば 良いことだ。と、いう風な決め付け方をするところも、高山学科長の危うさ (その2)だと思う。

それやこれやで、基本的に他人の力や知恵を上手に借りて事にあたると いう事がうまく出来ず、しかしながら適当に責任感も持ち合わせているので、 何とかしなくっちゃと一人に煮詰まって行くのだが、でもどうにもならなかったら 全部放りだして高飛び政治亡命してしまえ!とパスポートの更新に走ったり、 故障中と称して音信不通状態に陥ったり、学科長人気者メールを瞬殺クリック したりして精神的バランスを保とうとする ちゃらんぽらんさは、高山学科長の危うさ(その3)であろう。

さらには、これだけ危うさがわかっているにもかかわらず、それを何ら改め ようとせず、「いいじゃん、自爆テロで数理科学科を道連れに花と散るのさ」 と極端な美学に走って思考停止しているところが、高山学科長の根本的な 危うさなのだろう。要するに滅茶苦茶な人間が学科長を務めているわけで、 そのこと自体が危機なのだという説もあり、それでまかり通っていくのだから、 元々数学教室って大したものではないのだ(だから潰れても どうってことはないさ)とする説もある。

今日の心の友。昨夜、聴きそびれて眠ってしまった 桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)" で始まり、 ハインツ・ホリガーの 「オーボエ協奏曲(モーツアルトおよびシュトラウス)」、 ポール・メイエの クラリネット協奏曲(モーツァルト)、 を経てザビーネ・マイヤーらの UNA VOCE ... PER CLARONE で終る。

UNA VOCE ... PER CLARONEではザビーネ・マイヤーとその夫君、兄貴の3人がクラリネットを 吹いているが、合奏形式が多いので誰がどのパートを吹いているのかわかりに くい。しかし、ザビーネ兄貴であるウォルフガング・マイヤーがソロで吹いて いる曲も1つはいっている。ウォルフガングはザビーネほどでもないけれど結 構いい音を出すけれど、同じCDの曲が日によってはぼんやり聴いていてもザ ビーネとかなり違う音に聴こえたり、ほとんど区別がつかなかったりする。私 は元々そんなに上等の耳は持ち合わせてないのだけど、体調や気分に左右され て聴こえ方が違ってくるのだから、自分の耳も結構いい加減なんだなと思う。

2006年8月17日(木)
<<大丈夫ですか?>>
一斉休暇最後の日。昼前に京大へ。13時より14時半頃まで京大数理研で Herzog先生の講演を聞く。その後京都駅前新星堂近鉄プラッツ店に移動し、C Dを物色。 アレッサンドロ・カルボナーレ (Webページのデザインの趣味がちょっと異様である)とかいうスパゲティーみたいな名前 のイタリア人演奏者のCDが良さそうとわかり、JEUGIA三条本店に電話 を掛けて取り寄せてもらうよう注文する。なぜ新星堂で買わなかったかという と、JEUGIAのポイント・カードの事を考えたから。私のようにCDを 買いまくっていると、ポイント・カードというのは馬鹿にならない。 その後、久しぶりにホテル京阪のラウンジで数学。帰宅後、夜も少し数学。

今朝知り合いの某数学者から、「立命の数学教室が存亡の危機に瀕してい るそうですが、大丈夫ですか?」という電話を受ける。学科長人気者メールか ら解放されていた一斉休暇最後の日にふさわしい問いかけであるが、「大丈夫 ですか?」って聞かれても「私が学科長やってるんだから、大丈夫なわけない じゃないですか」としか答えようがないのです。これ、謙遜で言ってるわけで も何でもないのだけど。私はいつも誰に対しても、自分が真実だと信じている 事しか口にしない(たぶん)。ただ、真実だと信じている事が間違っている事は少なく ないけど。(今度のも間違ってればいいのだけどね)

今日の心の友。近藤良の ライネッケ三重奏曲(ビオラ)・ブルッフ8つの小品と ウルフ・ローデンホイザーの ライネッケ三重奏曲 (ビオラ三重奏とホルン三重奏) およびポール・メイエの ブルッフ8つの小品(他) の聴き比べをやった後、 桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)" で締める。

2006年8月16日(水)
<<恵みの雨>>
午前中は少しドイツ語。何でも「ブリキの太鼓」のギュンター・グラスが80 歳を前にして16,7歳の頃にナチ親衛隊に入っていた事を告白したそうで、 それで故郷のダンツィヒ名誉市民の称号を剥奪すべきだとか、ノーベル文学賞 を返上すべきだとかの大騒ぎになっているそうである。何で今まで黙ってたの か?何で今告白したのか?それでドイツの皆さんは、彼に対して何を要求する のか?このあたりは、日本人とは反応がずいぶん違ってきそうで興味深いので、 SPIEGELの記事とかを漁ってみる。

午後は京大近辺へ。ルネで昼食をとり、喫茶進々堂と京大数理研図書室で 数学の勉強。夕方は百万遍からバスで京都駅に移動。バスの中で京大の先生を している友人某君とばったり出会う。数年前の学会で会って以来だから、ずい ぶん久しぶりだ。四条河原町まで一緒。色々お喋り。昨日は同じバスで Herzog夫妻とばったり出会ったし。なかなか良い傾向だぞ。

私にとってお喋りはとても大事である。「水、酸素、お喋り」とか「蛋白 質、ビタミン、お喋り」とか、はてまた「窒素、燐酸、お喋り」とか言うぐら いで、生命の維持に欠かせないものである。ゲーテ開講期間中は、クラリネッ ト奏者氏などとお喋りができたのだけど、夏休みに入って干上がりかけていた ところで、2日続きの偶然。まさに恵みの雨のよう。

京都駅に着いてからは、アバンティーのサンリオ・ショップをチェックし、 その辺で簡単に夕食を済ませ、近鉄プラッツ新星堂でCDを物色してから、京 都市内某所に移動。久しぶりに五山送り火を見物する。鳥居は見えなかったけ れど、大文字、左大文字、妙・法、舟形が良く見えた。妙・法、舟形を見るの は実は初めてである。

本日の心の友。昼間は趣向を変えて ヴィルヘルム・バックハウスのピアノで ブラームス・ピアノ協奏曲第2番作品83。 まあ、クラリネット曲以外のブラームスもちょっと見直したな。 さらにウラジミール・アシケナージのピアノで ショパン・ピアノソナタ第1番他。 アシケナージのショパンはお行儀が良すぎて、ちょっと物足りない。 あとはリストの有名どころの曲を集めた The Best of LISZT。 「ハンガリー狂詩曲第2番」とか「愛の夢」とか の良く知られているピアノ曲は面白いが、私好みではないオーケストラ曲も沢山入っていて やや興ざめ。

耳直しはやはりクラリネットだ!と、 ツアーバ・クレニャーンの ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏 曲。クラリネットの音はいま一つだけど、特に最初の幻想曲は聴けば聴くほど 美しいと、感嘆。 あとは、最近ご無沙汰の アントニオ・サイオテ&津田理子の "A portrait". サイオテの音色もやはりいま一つかなどと、我ながら今日はやけに気難しい事ばかり 言ってるな。ならば、と、 一日の終わりはゲーテ・クラリネット奏者氏のデビューCDで締めてみる(予定)。

夜はまた少し数学のお勉強。