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な

広

告

よ け ス ペ ー ス で す。

2006年12月31日(日)
<<頭がくらくらする>>
夕方頃、三重県から無事京都に帰還。2泊3日の短い旅ではあるが、日頃は会 うことのない人びとと会い、日頃は聞くことのない話を聞き、ああ、それもこ れもすべて現実なのだと思うと、京都の日常との激しいギャップに頭がくらく らする。たまにはくらくらしてみるのも、良いかも知れない。

一番くらくらしたのが、年末恒例になっている中学校の同窓会で、くりく り坊主頭のかわいい坊や達の成れの果てのおじさん集団と酒を飲んだ。今年は 学科長で毎週毎週会議に引っ張り出されておじさん達と睨みっこをしているの で、今や私はおじさん嫌いの急先鋒を自認するに至っている。打倒おじさん! トンカチ握り締めていざ行かん!と。だったらさぞかし同窓会では荒れすさみ 暴れ回ったのかというと、そうでもなく、ただ、人生の真実を静かに受け入れよう ではないかと、破滅的気分を楽しんでいたのである。

短い旅の合間の書き溜めたゴミのような数学メモを整理しながら、新年を 迎える。年の瀬の心の友は、 ポール・メイエらの "Trios d'anches (リード楽器用三重奏曲集)" 、 ザビーネ・マイヤーの "A Night at the OPERA"、 そして ウィ−ン・クラリネット・コネクションの cafe europa.

2006年12月28日(木)
<<夢見るか、彷徨うか>>
途中買い物に出たりスポーツクラブに行ったり自宅で野暮用をしたりもしたが、 主観的には終日何となく数学の一日。トンカチを握り締める「おぞましき日々」 の記憶は薄れ、頭の中が数学のことで一杯になる。良いことだ。

一口に数学のことを考えるといっても色々である。研究問題を考えるとき は極度に意識を集中していて、故岡潔大先生が「数学は魂の燃焼です」と喝破 したのもさもありなんという気になるけれど、私は一流数学者ではないので、 こういう時間は案外少ない。第一、年中魂を燃焼させてたんじゃあ、身が持た ない。

研究問題を捜している時は夢見るようにぼんやり考えたり、学生のように 本や論文を勉強したり、あたりをきょろきょろ見回すように概念の世界を彷徨っ たりする。私の研究時間の大半は、このことに費やされる。つまり、夢見るか、 彷徨うか、たまに何か勉強しているかのいずれか。数学者の中には勉強嫌いも 沢山いて、その方がかえって自分の頭で考える事に専念できて良い数学ができ たりする。そういう意味では、私は変に勉強好きなところがあるので、 良いような悪いような、である。

時々論文を書くこともあるが、内容に間違いが無いかチェックしている時 は、あまり創造的でない作業ゆえに半分うんざりしているし、チェックを終え た論文をどこの学術雑誌に投稿すべきかを考える時は、数学者社会の下世話な 事情も色々考慮する必要がある。数学は美しいけれど、数学者社会が美しいか というと、別にそうでもない。

いずれにせよ、頭の中が数学のことで一杯になるのは、生きるに値する人 生を生きているという実感が持てるだけでも、良いことだ。

生きるに値する人生の心の友は、 アルフレット・ブレンデルの 「ベートーヴェン・ピアノソナタOp.7&Op.28"パストラル"&Op.49.No.2」、 ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa、 ポール・メイエらの "Triosd'anches (リード楽器用三重奏曲集)" 、 そしてザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」(モーツァルト)。

明日から2,3日京都を離れるので、次回更新は31日深夜以降。

2006年12月27日(水)
<<点滴一本、いっとく?>>
昨夜に引き続き朝っぱらから数学研究関連某不穏メールの件で、しゃかりきに 計算したり、断続的に色々な人たちとメールでやりとりしたりと、熱く数学的 な一日。夜には一応の決着がつく。もっとも不穏メール対応ばかりやっていた わけではなく、年明け早々に締切りの原稿3本のうち2本を仕上げて、夜には メールで送付したし、昼間は山科駅前Sbuxで3本目の原稿のための準備と して、以前から一度きちんと勉強しなければと思っていた某理論を調べ、実は 自分は肝心な事を何も分かっていなかったんだ!と知って愕然としたりもした。 汝自身を知れ。研究の第一歩は、自らの無知を知ることから始まる。とはいえ、 今頃こんな事が分からないなんて。。。

そういえば何だか乾いたような変な気分だなと思っていたら、ここ1、2 日音楽を聴いていなかったことを、夜中になって思い出した。

何だか知らないけれど体調が悪くなって町医者に転がり込むと、医者も何だか わからんということで、兎に角人間の体液に近い成分の点滴を一本打って患者の体の バランスを整え、様子を見ることがあるようである。それで体調が回復した ら良し、駄目なら次の手を考えよう、と。 深夜に聴くザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」(モーツァルト)は、 そういう点滴のような一本。

2006年12月26日(火)
<<数学的な一日>>
午前中に自宅での野暮用を済ませる。 先日来、電子レンジ用耐熱鍋を捜ししているのだが、 山科区内の店舗を捜してもネットで検索してもうまいものが見つからないのに 業を煮やし、昼頃から京の町に本格調査の大行脚に出る。 まずは山科駅前で腹ごしらえをしてから河原町三条へ。ゼスト御池は 先日調査済みなのでパスし、河原町通りを南下し、途中のそれらしい専門店を くまなく立ち入り調査しつつ高島屋四条河原町店へ。 それから四条通りを西に向かい、途中のそれらしい店舗を厳しくチェック。 大丸四条烏丸店は昨日調査済みなのでパスし、 あれま、何時の間にこんな洒落たものができた のかしらとcocoNdetails内を 詳細に調査。 それから京都駅前に移動し、3月末閉店売り尽くし大バーゲン中のプラッツ近鉄 と伊勢丹京都駅店も抜き打ち調査。くたびれ果てて、ジュース・バーで150円の ミックスジュースを一気立ち飲み。かくして考えうる限りの可能性を執念 深く調べ尽くし、結局欲しい答はそこには無いことを確認する。 そのときふと、数日前に確認した山科区内某店舗で販売されていた某商品が、 実は望みうる最良の解であることを悟る。うーむ、このプロセスは、まさに 数学研究と同じではないか。

ぼそぼそと降りだした雨の中、山科駅前Sbuxに戻り、一息ついてしば し(今度は本当に)数学。その後、激しくなってきた雨の中を歯医者へ。夜は、 数学研究関連某不穏メールが届き、思わず数時間ばかり熱く激しく計算しまく る。ああ、何て数学的な一日だったことでしょう。

そういえば、この2,3週間は曇りか雨ばかりのような気がするけど、 エッセンの初冬あたりって、こんな感じだったなあ。

2006年12月25日(月)
<<お菓子の国の王様>>
年に一度、この日だけはクリスマス・ケーキだけの朝食をとることに決めてい る。何たる幸福!お菓子の国の王様になって「民衆は一体何を騒いでおるの じゃ?饅頭が無ければケーキを食べればよいではないか、プリンが無ければチョ コレートを食べればよいではないか」という生活を夢見ているのは、子供だけ ではないのである。ところが、あっさりとした抹茶ケーキを平らげた後、濃厚 なチョコレートケーキを食べて幸福の絶頂にある時に、虫歯の大穴に詰めてあっ たセメントが外れてしまった!慌てて行きつけの歯医者に連絡するも、痛みが 無ければ急患扱いにはならず、明日の18時まで予約が一杯とか。

かくして明日19時からのコンサートを聴きに行けなくなった。一応ゲー テ・フルート奏者氏ともお友達になれたことだし、専属マネージャーへの 野望実現に向けた 準備として、フルートとピアノのコンサートでも聴いて勉強してみようかと思っ ていたのである。まあ、仕方あるまい。C'est la vie! (ドイツ語では So ist nun einmal das Leben! と言うそうだ)。

虫歯の大穴を気にしながら、夕方まで数学。EGA解読の纏め作業を急ぐ。 今日のRitsは営業日らしく、学科長人気者メールはなりを潜めていたもの の、それ以外の校務メールがせわしく飛び交っていた。美しからざるもの、我 の前にて命長らえることなし!勿論、瞬殺クリック。夕方は四条烏丸界隈に買 い物に出掛かけ、その辺で適当に夕食。夜は年賀状書き。

2006年12月24日(日)
<<フラッシュバック>>
美しい日々の2日目は、終日野暮用の日曜日。夜は少し数学。EGA読み作業 最終段階。ここ1,2日のうちに仕上げて次の仕事に移りたいのだが、そうは 問屋が卸すかどうか。

美しい一日であっても、おぞましき日々のフラッシュバックには苦しめら れる。あるいはふと我に返ると、何でこの私がそんな事を心配しなきゃいけな いの?というような無意味な事を考えてしまっている。例えば、数理科学科の教育にま ともに関わる立場にないし、学科の学生たちと接する機会もほとんど無い 私が、「数理科学科の学生たちの教育をどうするか?」といった問 題など考えてどうするの?これはもう立派に学科長職の 病理である。それやこれやをトンカチで振り切るようにして、今日という一日 を全力疾走。。。した積もり。

そういえば1年前の昨日は カール・ライスターのCDを衝動買いし、その翌日から私の重いクラリネッ ト病が発症し、JEUGIA三条本店のよいお得意さんになってしまったので ある。何だか夢を見ていたような一年だったな。前半はまずまず楽しかったけ ど、後半は脳が傷ついてトンカチ無しでは語れないほとんど悪夢の日々。

フラッシュバックと戦う私の今日の心の友は、 ポール・メイエらの "Trios d'anches (リード楽器用三重奏曲集)" 、 ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」(モーツァルト)、 そしてラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」。

2006年12月23日(土)
<< Les Vents Francais >>
数学と音楽と徘徊の美しい一日。徘徊と引き篭もりは必ずしも矛盾しない。ト ンカチとコンビニ弁当を持って薄暗い研究室に引き篭もるのと、知らない人ば かりが溢れ返っている街の中を徘徊するのは、私にとっては大した違いはなく、 どちらも心静かな美しい時間なのである。むしろ徘徊の方が、おぞましき日々 の中で染み付いた腐臭が少しずつ揮発して消えていくようで、心地良い。

午前中から午後にかけて、自宅に引き篭もりEGAのお勉強のまとめ作 業。夕方は三条河原町界隈を徘徊する。夜もEGAまとめ作業を 少し。

JEUGIA三条本店に寄ったら "Trios d'anches (リード楽器用三重奏曲集)" を見つけてしまい、先週のザビー ネ・マイヤーのコンサートで散財したことも考慮してしばし迷ったものの、 結局これは是非聴いてみたいと購入。

教室会議や学科長会議や教授会にこういう感じの人達ばかりが座ってたら、 脳が傷ついている私はトンカチ振り回さなくて済んだかも?と思わせる、ポール・メイ エ(クラリネット)、フランソワ・メイエ(オーボエ)、ジルバート・オーダ ン(バズーン)の3人の腕自慢のイケメンおじさん達に、ポール・メイエの盟 友エリック・ル・サージ(ピアノ)が時折り飛び入り参加して、オーリック、 イベール、ミョー、フランソワ、トマジ、シュミットといったフランスの作曲 家の曲ばかりをとりあげた、まさにジャケットにも書かれているように Les Vents Francais (フランスの風)と呼ぶにふさわしいCD.

ポール・メイエも断固としてフランスの作曲家にこだわるところがあるよ うで、先日の日本公演(何故か関西方面には来なかった)でも超難曲ゆえに ほとんど誰もCDを出していない、従ってほとんど誰も聴いたことがないと言 われる、フランソワのクラリネット協奏曲を取り上げていたそうだ。 その辺がすぐれてフランス人的だなと思う。

それ以外の今日の心の友は、 ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」(モーツァルト)、 ハインツ・ホリガーの(お待たせしました!今日から画像付き) 「協奏交響曲、オーボエ協奏曲K.313,314」(モーツァルト)、 そして、 アンヌ・ケフェレックの 「ヘンデル・ピアノ曲集」。

2006年12月22日(金)
<<自らに誓う>>
今日もポールボキューズ・ラクト山科店のサンドイッチを買って昼前に出勤。 午後は院生O君の研究ゼミと卒研。年内の教師稼業は今日で終わりである。こ の先僅か2週間余りではあるが、おじさんばかりの会議に引っ張り出されて、 吐気をこらえながら無理難題を仰せつかることも無いかと思うと、天にも昇る ような気分である。夕食時に、少し残っていたリースリング・ワインでささや かな祝杯をあげ、これからの2週間余りは断固として美しいものだけに囲まれ て過ごすことを自らに誓う。

天にも昇らんばかりの私の今日の心の友は、 ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」、 ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」、 アルフレット・ブレンデルの 「ピアノソナタOp.7&Op.28"パストラル"&Op.49.No.2」 (ベートーヴェン)、 そして最後は クリスチーナ・オルティッツの 「ベートーヴェン・ピアノソナタ集: 『悲愴』『テンペスト』『月光』」。

2006年12月21日(木)
<<へこたれる>>
今日もポールボキューズ・ラクト山科店のサンドイッチを買って昼前に出勤。 研究室で昼食をとりながら、少し数学。ああ、自分はこんな事も分かってなかっ たのかという問題を見出す。これが分かったところで論文が書けるわけではな いけれど、こういう事の積み重ね無しでは新しい発見はおぼつかない。しかし、 こういう事を積み重ねるばかりで、新しい発見が全然できないということも十 分ありうる。特に私のような凡庸なる数学者にとっては、数学研究とは気の遠 くなるような作業なのである。

数学研究では気の遠くなるような作業も厭わない執念深さが身上の私だが、 それ以外のことにはすこぶる淡白で、困難にぶつかるとすぐにへこたれる。教 育に関してはもうずいぶん前からへこたれている。本当はへこたれているの だけど、元気に頑張ってるフリして誰も居ない教室で「伝説の講義」を粛々 と行うのである(誰も見てない所で元気なフリしてどうするんだよう)。 学科長は、なる前からへこたれている。へこたれているのに 毎週毎週会議に引っ張り出されて面倒臭い用事を言いつけられ、事務からまだ かまだかと矢の催促が来てムチでしばかれる。へこたれている時にたまに教室 会議をやると、意味不明の饒舌と意味不明の沈黙の応酬で、司会している私は わけがわからなくなる。数学者は意味のわからない人が多すぎる、と。こなる ともうトンカチでも振り回すしか無いのである。

人間の脳は傷つきやすく、人のエネルギーは有限である。然るに学内行政 や学内政治は人の脳を激しく傷つけ、教育はそれを行う者から無限のエネルギー を容赦なく奪う。だから、何も考えないことによって数学する脳 を守り、へこたれることによって数学するエネルギーを温存する必要があるの だ。研究者としての自分が潰されたら元も子も無いではないからね。

13時30分から40分程、学科長のお仕事として事務職員の人と一緒に 数理科学科の学生研究室の安全巡検。その後も少し研究室で続きを考えてから 早めに大学を出て、久々に山科駅前Sbuxにも立ち寄ってさらに少し考える。 夜もEGAをひっくり返したりしながら、さらに少し考える。

2006年12月20日(水)
<<瓢箪鯰>>
午前、午後と1つずつ講義。その間、研究室で少しEGAを眺める。講義の後 は長居は無用とさっさと大学を離れ、最近ご無沙汰のスポーツクラブへ。その 帰りにラクト山科でリースリング・ワインを買って帰宅。

リースリング・ワインはドイツのモーゼル地方などの特産だが、飲んでみ たところ「炭酸を抜いたゼクト」という感じの味だった。ゼクト(シャンペン のこと)はドイツではちょっとした祝い事があるたびに好んで飲まれるので、 エッセン滞在時にちょくちょくご馳走になった。エッセンではHerzog先 生のご忠告に従って、もっぱらイタリア・ワインばかり飲んでたので、リース リング・ワインは飲んだことがない。

帰宅したら、かつての教え子が歌人として偉くなって歌集を出したとかで、 立派なハードカバーの本が送られてきていた。また、ゲーテの先生からメール が来て、先週私がザビーネ・マイヤーのコンサートで浮かれている間にどっさ りドイツ語の宿題が出ていることが判明した。しかし、今はEGA読みで頭の 中がフランス語モードだから、ゲーテの宿題をやる気が起こらない。

EGAというのは面白い本で、ぱらぱらと眺めると必ずどこかに私が以前 から知りたかったことに関係しそうな記述が見つかる。しかし、「この件につ いては第何章何節を参照せよ」というのが矢鱈多く、あちこちページをひっく り返して大騒ぎになるが、私が知りたいことそのものは決して書かれていない。 そこがミソで、瓢箪鯰を相手にしているようでなかなか腑に落ちないことに読 者が意地になり、思わず深みにはまって気がついたら7分冊1000ページ余 りをほとんど全部読んでいたとなれば、まさに著者グロタンディックの思う壷 なのである。EGA全巻読破!というのも数学科の学部学生ぐらいならばそれ なりにカッコいいかも知れないけど、いいおじさんがそんな事しても誰も褒め てはくれない。Herzog先生箴言集にも「人生は短い、されど、書くべき 論文は沢山ある」というのがあって、本の勉強ばかりで研究の方は一向に進ま ない、ではいけないと思うのである。もっとも私の場合は「人生は短い、され ど、書くべき論文はなかなか書けない」という状態なんだけどね。

夜も少し瓢箪鯰と格闘してみたけど、 講義2つやってスポーツクラブも行くと流石に疲れる。今日は早めに寝る。

2006年12月19日(火)
<<吐気>>
今日もボールボキューズ・ラクト山科店のサンドイッチを買って12時過ぎ出 勤し、またも数物事務室でパワーランチ。事務のIさんとの打ち合わせは短時 間で終わったのだが、たまたま事務室に入ってきた全力疾走O坂先生や物理の 猛獣のような先生と、学内行政および学内政治の情報交換を少し行う。

13時から14時20分頃まで学科長会議。その後、全力疾走O坂先生の 部屋に押しかけて少し密談したり、研究室に戻って学科長の雑務を中心に色々 と。16時から16時40分頃まで教授会。会議室に雁首並べて座っているお じさん達の顔をぼんやり眺めているうちに、突然吐気に襲われた。もう、おじ さん達の顔なんか見たくもない!俺は自分でもなるべく鏡を見ないようにして、 毎日を用心深く暮らしているんだ。なのに、仕事とはいえ何で毎週毎週こんな ものを見なければならないんだ?!どこかおじさんの居ない国で大学教員の公 募でも出てたら、すぐにでも応募するぞ、と。

人知れず興奮しているうちに会議は終了。今日は「宿題」もほとんど無いし、 気を取り直して17時頃からは生協食堂での夕食を挟みつつ講義の準備。一気 に最終回分までやって21時過ぎに大学を出る。帰宅後、少しだけEGAをひっ くり返す。それにしても、最近のおじさん嫌いの激しさは、脳が傷ついたことに よるひとつの病理かも知れないな。

脳が傷ついている私の今日の心の友は、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」、 ウイーン・クラリネットコネクションの "cafe europa"、 ハインツ・ホリガーの 「オーボエ協奏曲K.314およびK.313、 協奏交響曲K.297B(モーツァルト)」(画像なし)、 そして朝から「今日はベートーヴェンのピアノ曲が聴きたい!」と思っていたので、 クリスチーナ・オルティッツの 「ベートーヴェン・ピアノソナタ集(悲愴・テンペスト・月光)」。

2006年12月18日(月)
<<何も考えたくない人々>>
研究日。今日の目標は勿論「おぞましき日常からの逃走」である。しかしなが ら午前中、寝ぼけ眼で何となくメールのチェックをしていて、いつの間にか学科長 人気者メールにせっせと対応しようとしている自分にふと気づき、激しく反省。 今日はそういう日ではなかったはずだ。折り目切り目正しい生活をしなさい! と子供の時に習わなかったのか、と。

気分を引き締めようと、この冬一番の寒さの中、京大数理研図書室へ。夕 方頃までEGAの精読などを進め、JEUGIA三条本店道草経由で帰宅。夜 は、最近ご無沙汰のスポーツクラブへと思ったが、寒いし(弱虫!)、 折角の研究日だしということで、自宅で昼間の解読結果の纏め作業など。

今や「おぞましき日常からの逃走」はたやすいことではない。ぼんやりし ている時にはっと我に返ると、数学ではなく数学教室内外のあれやこれらの事 を考えてしまっている。このような状態は極めて脳に悪く、数学を考えるには 百害あって一利無しである。何故ならば、細々とした行政的案件は意識を寸断 し、人々の思惑が複雑怪奇に交錯する学内政治的な案件は、怒り、焦燥感、虚 無感、白け、悲しみ、失望等々という、「希望」の対極にあるありとあらゆるネガ ティブな気分を引き起こし、それやこれやのロクでもないストレスは、脳を激 しく傷つけるからである。

数学教室の人たちは、野望と戦略に生きるA堀先生などの少数の例外は別 として、皆私と同じ「何も考えたくない人びと」である。「何も考えない」こ とによって、数学する脳を守っているのである。そして「何も考えたくない人」 が考えたくもない事を考えてしまう状況に追い込まれて脳が傷つくと、30年 振りに突然トンカチ振り回すようになったり、楽しいはずのクリスマス・パー ティを意味もなく途中で抜け出したりするのである。沈める寺、貧しきものの 空想、そして、崩れゆく私。崩れ果てた後には、どんなお化けになっているこ とやら。我ながら恐ろしい。

崩れゆく私の今日の心の友は、 アルフレット・ブレンデルの 「ピアノソナタOp.7&Op.28"パストラル"&Op.49.No.2」 (ベートーヴェン)、 ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」、 アンヌ・ケフェレックの 「G.H.ヘンデル・ピアノ曲集」、 ジャンマルク・ルイサダの 「ショパンの17のワルツ集」 で締める、 ハインツ・ホリガーの 「オーボエ協奏曲K.314およびK.313、 協奏交響曲K.297B(モーツァルト)」(画像なし)、 カート・ラダーマの クラシック・ギター版「ゴールドベルク 変奏曲」(J.S.バッハ)。

2006年12月17日(日)
<<おぞましき日常>>
野暮用の日曜日。最近疲れが溜まっているようなので、起床は10時ごろ。夕 方頃まで自宅、および、山科区内で野暮用。夜は、またすこしEGA読み。 早くこの作業を終らせて次に進みたいのだが、なかなかはかどらない。

数学に限らないけれど、特に数学の場合は、常にそれについてずっと思い を馳せていなければ新しい発見などおぼつかない。

かならずしも特定の問題に深く集中しているわけでなくても、ぼんやりと 風景を眺めるかのように心の中で数学(教室内外で日々巻き起こるあれやこれ や)に思いを廻らせ続けることによって初めて感覚が冴えてきて、運が良けれ ば (12月13日(水)「トンカチを握り締める」のように 教室内外の悩ましい)難問の解決に 至る場合があるのだ。

上の文章で、括弧内を読み飛ばしたものが数学者の美しい生活を表し、括弧 内も省略せずに読めば学科長のおぞましき日常。

今日も切ない気持ちを堪えつつ、ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」 を心の友とする。それにしても、このCDのジャケットを見て 切ない気分になるというのは、かなりの病理かもしれないな。

2006年12月16日(土)
<<女王様のコンサート>>
ゲーテをさぼって大阪へ。待ちに待ったザビーネ・マイヤーのコンサートに行っ てきた。明るく突き抜けた綺麗な音、抜群のテクニック、年を重ねるとともに 深みを増す美貌。まさに女王様と呼ぶに相応しいお方である。女王様が演奏し たのはモーツァルトの「クラリネット協奏曲」だけだったけど、聴いているう ちにだんだん楽しくなってきて、うわああ、いいなあって気分が最後まで持続 するところが女王様の真骨頂なのである。

他は(昨夜予習した)「魔笛」の序曲、「3つのドイツ舞曲K.605] そして「交響曲第41番K.551ジュピター」。「魔笛」は先日 JEUGIAに公開レッスンを聴きに行った横川晴児さんの クラリネットが少し聴けた。同じくN響首席クラリネット奏者の磯部周 平さんは、本日はお休み。それから、「ジュピター」は初めて聴いたけど、モー ツァルトがこんな重たい曲も書いてたの?って感じ。

会場でCDを売ってたので、ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」 を購入。ジャケッ トの写真を見ると、背景の風景といい並んでいる人たちの服装や表情といい、 これはまるで数学の国際研究集会の集合写真である。彼らが楽器を持っていなくて、 人数が倍ぐらいだったとしたら、私は思わず顔見知りの数学者がこの中に居な いか捜していたであろう。

実際、このザビーネ・マイヤー管弦楽団が出来上がった経緯を読むと、ま さに、毎年夏休みにスイスの片田舎の美しい小さな町にヴァカンスを兼ねて音 楽家達が集まり、まるで自由な数学の議論を楽しむかのように音楽フェスティ バルを開いたこと始まるそうである。

私も計算機屋時代にはちょくちょく国際研究集会に出かけて研究発表した り議論したりしたけれど、数学に転向してからはさっぱりご無沙汰である。そ れには色々な理由があるけれど、要するに世界の数学者たちから「高山を呼ん だらきっと議論が面白くなるだろう」とは思われていないことと、呼ばれもし ないのにこちらから押しかけて行く(それも可能で一度イタリアに行ったこと がある)のも癪にさわるから、そういう事はしまいと固く決心しているからで ある。

私は数学に転向して以降、常に当面の目標を設定してそれをひとつひとつ クリアすべく全力を尽くすというやりかたをしてきた。例えば、まず、偉い先 生との共著論文でも良いからとにかく学術雑誌に自分の論文を出すこと、次は ゴミ論文でも良いから単著論文を書くこと、それが出来たら、次は大学院生を 研究指導して学術雑誌に投稿できるレベルの共著論文を書かせること。これら は辛うじて達成された、ということにしてある。

しかし、曲りなりにでも全然達成されていないのは、ゴミ論文でない単著 論文を書くことと、高山が加わったらきっと議論が面白くなるぞと国際研究 集会に呼んでもらえるようになることである。これは流石に私にとっては 厳しい目標で、達成は無理かもしれない ななどと一寸弱気になったりもする。だから、 この写真 を 見ると、選ばれし人々の屈託のない笑顔を見る思いがして、 少し切ない気分になるのだ。

そういう意味では、私も、単に数学とともに生きる幸福を噛みしめてい るだけではなく、学者としての世俗的な欲望を十分持っているのだとも 言える。それはあながち悪いことでもなくて、一応数学科の教授として結構 なご身分で居られるのだから、誰に言われるまでもなく自分自身に厳しい 目標を設定して、常に自らの尻を叩くようでないといけないと考えているのである。