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た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2007年2月28日(水)
<<他人?>>
昼間は京大へ。個人研究費が少し余っていたので、生協ルネで数学書1冊の他
に、中級レベルのフランス語文法・語法の本、かなり本格的なドイツ語文法の
本を購入。最近の数学論文はほとんど全て英語で書かれるため、フランス語や
ドイツ語の数学論文を読むことはそう頻繁ではないものの時々はあって、そう
いう時は大抵は薄い論文ではなくて分厚い講義録だったりする。しかも、それ
を読まないと研究が先に進めないことが多い。私が40歳を過ぎてから初めて
ドイツ語を勉強し始めたのも、Herzog先生のドイツ語の講義録が読めなくて往
生したことがきっかけ。そういえば、ドイツ語も数学研究もクラシック音楽狂も、
みんな40歳過ぎてからだぞ。30代までの私って、何となく他人みたいな気
がしてるんだけど。
本を買ってからは、数理研の図書室で少し数学の後、1時間半ほどかけて 大学に移動。入試関連の緊急会議を開くかも知れないため、学科長は18時よ り20時まで大学に待機するようにとのお達しがあったので。図書館で本を借 りたり、事務書類を提出したりしながら待機していたが、結局、緊急会議を開 く必要は無く、20時前に解散。生協で夕食をとってから、帰宅。
さて、25日のコンサートの余韻もようやくさめ始め、何か音楽 を聴きたくなってきた。今日の数学の友はほのぼのとした曲で固めようと、 ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」(モーツァルト)、 ディータ・クレッカーとヴァルデマール・ヴァンデルの 「ハイドン・クラリネット協奏曲集」、 古楽器アンサンブルのトリオ・ファン-ブルッゲン・ヴァン-ヘンゲル・ヴェーンホフによる 「クラリネットを 伴う室内楽作品集(アントン・エーベルル)」、 ポール・メイエとエリック・ル・サージュの 「シューマン・クラリネット曲集」。
2007年2月27日(火)
<<放浪>>
午後一番で学科長会議。1時間15分ほどで、特に難しい宿題も無く終る。た
だ、学部内で何やら不吉な事が起こっているらしく、3月末で任期を終えて晴
れて自由になるはずの学部長が、沈痛な面持ちで何やらぶつぶつ言っているの
を、内職の傍ら耳にしたような気がする。
会議の前後は、すこし学科長の雑用。すぐに終って早めに大学を去り、京 都駅から烏丸四条に出て、寺町通りを北上、ゼズト御池を経由して京都市役所 前から山科に帰るという、放浪コースを歩む。誰にも邪魔されない平和な時間 を過ごしたければ、街を歩くに限る。
放浪しながらJEUGIA四条店と三条本店、ジュンク堂四条店、ゼスト 御池や三条河原町の輸入雑貨店、蕎麦屋、コーヒーショップなどに出没。その 結果、ソムリエ・ナイフを1本入手し、"Haribo macht Kinder froh und Erwachsene ebenso." (大人も子供もハリボでご機嫌!)のコマーシャル・ソ ングで有名な ドイツのゼリー菓子ハリボのGold-Bearを日 本の会社がライセンス生産していることを発見し、 先日某数学者がアナウンスしていた新刊専門書が 書店に出ていることを確認し、 1ヶ月程前にいくら考えても分からなかった問題がほとんど自明だと判明し、 昨日から意味がさっぱり分からなかった某講義録に書かれているある定理の証 明が分かり、 論文レビューをきっかけに知ったある定理をいじり回しているうちに、ほんの 少しだけ面白いことが分かって、2年程前から漠然と抱き続けていた、ちょっ とした疑問が解けた。
2007年2月26日(月)
<<高山が20人>>
今日から新しい日々の始まりだ。
アメリカ数学会の頼まれ仕事も終ったし、
ゲーテ・クラリネット奏者氏のコンサートも終ったし、
学科長は事実上「店じまい」したし、
静かな研究生活を再開しようではないか、と。
朝メールをチェックしていたら、中学の同級生Aからメール。この男から メールを貰うのは、初めてである。何でも先週土曜日に所用で京都に来て、そ の帰りに車の中から、山科の路上を歩く私の姿を見掛けたという。「あの体を 斜にして、前方5mぐらいの地面を直視しながら歩く姿は、まず、間違いない と確信しました」だの「その手にはスーパーの袋とその袋からは『ネギ』が見 えていたが、まさしく、君でしょう」だのと、好き勝手な事を書いている。要 するに、あれはお前だったのか?という問合せ。最後の締めの言葉は「朝から、 くだらないメールですみません」だと。上等じゃないか。学科長会議に匹敵す るぐらい、十分くだらないぜ。これが、わざわざ他の同級生からメールアドレ スを聞き出してまで送ってくるようなメールかよ?
よろしい。誠実な人柄でもって鳴る私である。心を込めた返事を返してや ろうではないかとしばし熟考の末、Aは物理学専攻でも数学専攻でもないのをい いことに、次のような(数学的にも物理学的にもナンセンスな)出鱈目をぶち かましてやろうと思い立った。
「君は、自分が知っている中学の同級生の2人の高山のうちの、 ちょっと頭のおかしい方の高山は、あの高山に決まってるし、あの高山は この世で一人じゃあないかと思っているかも知れない。もしそうならば、 私はまず次のように語ることから始めよう。『君は高山不確定性原理を知 らないのか』と。『あの高山』は一人とは限らない。離散モデルを考えるとすれ ば、『あの高山』は世界じゅうに同時に100〜100000人ぐらい存在し て、複数の『あの高山』が確率論的に分布していると考えるのが妥当なのさ。 ある『あの高山』は誰も居 ない教室で講義をしているかも知れないし、別の『あの高山』は怪しげに街を徘徊して いるかも知れない、またある『あの高山』は、君が見たと主張するようにネギしょって その辺を歩いているかも知れない。串焼きにして食えば、高山ちっくな味(ど んな味?)がして、うまいぞ。タレは薄塩でネギは断然白ネギがいいぞ。場合 によっては、物陰から全く同じ顔した『あの高山』が20人ぐらい同時に飛び出し て来るかもしれないから、驚かないように気を強くもってなくてはいけない。下手をす ると、『あの高山』同士が「お前、何処のむさくるしいおっさんや?あっちへ行け!」 「お前こそ、あっちへ行け!この、わけのわからんおっさんが」「どっちがおっさんや?」「どっちもおっさん や!」「黙れ!おっさん」「何を、このおっさん!」と取っ組み合いの喧嘩が 始まって、それに巻き込まれたりするかも知れないから、用心し給え。つまり は、世界は『あの高山』に満ち満ち溢れているというわけだ。しかし 『あの高山』の居場所を正 確に特定したければ、高山波動方程式ってのを解く必要があるけれど、その方 程式はひとつだけ自明解を持っていて、それが『学科長会議で憮然としている 高山』てやつさ。それ以外の高山は全て不定解。解集合の構造定理すら分かっ ていないのさ」と。
しかし、結局ウケるかどうかわからないので没にし、平凡な返事を返して おく。こういう話は、たとえばゲーテ謎の広告代理店社員氏あたりに見せて、 「でや?おもろいか?」と聞いてみて「ううん。わけわからんし」と答えたら 没にするという手続きが正しいと思われるが、ゲーテは今学休期間中なので、 省略。
それにしても、この私がここに唯一人しか居ないという事実は悲しすぎる。 20人ぐらい居たら分業体制がとれるな。一人は学科長やらせて、くだらない 会議と五月蝿い人気者メールの相手やらせておいて、もう一人はネギしょって その辺歩かせといて、あと一人は。。。と、ムフフ、色々夢が膨らみます。
2007年2月25日(日)
<<店じまい>>
「翼よあれがパリの灯だ」と希望に向かって最後の力を振り絞ったリンドバーク
のように、
もう駄目だ諦めよと言うフィロストラトスを「いや、まだ陽は沈まぬ」と制し
て走り続けたメロスのように、
ラビから貰った「一切れのパン」をポケットに忍ばせ極限の飢えに耐えながら逃亡
を成し遂げた「私」のように、
長く苦しくおぞましい学科長生活を駆け抜け、ようやく今日とい
う日を迎えることができたのである。生きているということは、何と素晴らし
いことか。本日某所で、長らく楽しみにしていたゲーテ・クラリネット奏者氏
のコンサート。うーむ、氏はまた腕を上げたなって感じ。
帰宅後にメールチェックしたら、アメリカ数学会からレビュー・レポート を受け取ったという通知の他に、日曜日なのに学科長人気者メールが3つほど 届いていた。ま、特に私がどうこうしなければならない内容ではないので、適 当にやり過ごす。気持ち的には、今日のコンサートで学科長は店じまい!って 感じ。
2007年2月24日(土)
<<踊り出す>>
久しぶりによく寝た。昼前に起きて、野暮用などを織り交ぜながら論文レビュー
作業。途中山科駅前まで散歩がてらに買い物に出掛けた以外は、終日自宅。夕
食後にレビュー・レポートを仕上げてWebで送信。これで今回の作業は全て
完了。やっと不良債権化しかけている書きっ放し論文の梃入れ作業にと
りかかれる、はず。
とはいえ、今夜はちょっとゆっくりとしようということで、 楽譜を睨みながら モーツァルトの「クラリネット協奏曲(イ長調)」の ポール・メイエ版、 ザビーネ・マイヤー版の その1と その2、 ラルフ・マンノ版、 および カリ・クリーク版 を立て続けに聴く。
この「クラリネット協奏曲(イ長調)」は、昨年の1月頃「根性叩き直し プロジェクト」と称して、学生時代以来の根深い数学(者)コンプレックスに起因す るモーツァルト嫌いを叩き直そうと、吐気を堪えてポール・メイエ版 を1週間で30 回ぐらい集中的に聴き、最後にはモーツァルトを聴きながら思わず踊り出すま での進歩を遂げたという、思い出深い曲である。そして今や、この曲の演奏の 良し悪しを私がどうやって判断しているかというと、「聴いていて踊り出した くなるかどうか」なのである。
40年程昔のビートルズの初来日コンサートの映像など見ると、聴衆が興 奮して踊り狂っていたりするが、それは「クラリネット協奏曲」の聴き方とし ても正しいと思う。詳しいことは知らないけれど、元々この曲は貴族の舞踏会 か何かで演奏されて、皆さんいい気分で踊ってたんじゃないかしら。とはいえ、 クラシックのコンサート会場で踊り狂っていたりすると、流石に係員につまみ 出されてしまうであろうから、そこは理性の力で制御する必要がある。でも、 12月のザビーネ・マイヤーのコンサートでは、少なくともマイヤー自身と指 揮者(!)は、いい気分で踊ってたな。
ところで、今年は学科長会議、教室会議、教授会などなど60回を優に超 える会議漬けで、会議には何故かおじさんばかりが難しい顔して座っていて、 毎週毎週おじさん!おじさん!おじさん!おじさん!と図らずも「おじさん 嫌いの根性叩き直しプロジェクト」をやってしまった。それで、おじさん達に 囲まれたら思わす嬉しくなって踊り出せる位に進歩したかというと、残念なが らそういうこともない。その一方で、おじさん達に囲まれたら思わす興奮して 暴れ出すといった精神衛生の悪化も懸念されたが、長年の学問で鍛え上げられ た理性の力で、辛うじて制御されている模様である。
2007年2月23日(金)
<<督促状>>
朝、メールをチェックしたら、アメリカ数学会から(最初の2つの)論文レビュー
のレポートはまだ出来ないのか?と督促状が届いていた。ちょうど昨日出した
ばかりなので、行き違いになったのであろう。ぎりぎりセーフってところか。
気が短い私は、頼まれ仕事は通常締切りのうんと前に仕上げて出してしまうの
だが、今回は学科長の仕事が忙しくて、珍しく督促状を送りつけられることと
なってしまった。
気が短いといえば、何度もここで書いてきたことだけど、私は合議制とい うものが嫌いである。少なくとも、学科長のように合議制の議論の纏め役を仰 せつかるのは災難としか言いようがない。ああでもないこうでもないとグダグ ダ言い合って時間を潰すのに付き合うのは、耐えられないからだ。だから、 議論が煮詰まるのを待って結論を纏めるなどという事をせずに、この案件はこ うしましょうと、最初にパッと答を提案してしまう事が多かった。難色を 示す者が現れれば、どこが気にいらないか即答させて、それを勘案してさっと 別の案を提案する。しかし、どこが気に入らないのか愚図愚図として、なかな か要領を得なかったり、新しい案に今度は別の人が難色を示し たりして議論が紛糾し始めるともう駄目で、即座にぶちキレて、裁判官よろし くバンバンバンバンっとトンカチを振り回す。私はこの案件をさっさと片付け て、自分の人生に戻りたいのだ。貴方達は、それを邪魔して喜んでいるのか、 と。こちらは自分の人生がかかっているだけに、真剣に怒り倒すのである。
自分は今生きていて、 そして、どんなに大雑把に見積もっても百年以内には確実に死ぬ。「それは、 この圧倒的で厳然とした事実に匹敵することか?」私はあらゆる議題を前に、 この問い掛けをしてきた。この問にイエスと答えられないものは、すべて「く だらない議題」なのである。そして当然ながら全てはあまりにも「くだらな く」、「くだらない議題」や「くだらない案件」に塗れているうちに、督促状 を喰らったというわけだ。(でも、それがどうしたというのかって?どうも しやしないよ!ただ言ってみただけさ。)
午後は山科区内で野暮用の後、河原町三条界隈をぶらつき、夜はスポーツ クラブ。あちこち彷徨いながらも、残る最後の論文レビューの仕事。
2007年2月22日(木)
<<「ぬるい!」>>
午後は修士論文公聴会と判定会議。13時半に公聴会が始まり、
16時には判定会議も含めて全てが終了。
工学系の公聴会では、発表する学生はスーツ着用が義務付けられことが多 く、さらには、教員も自分の専門に関係無い発表もちゃんと聞いて、それなり に質問やコメントをすることが求められたりする。大学院生の数も多いので、 必ずしも興味深いとは言えない発表にまる一日付き合うことになる。私も(旧) 情報学科時代の修論公聴会は憂鬱であった。
かようにただならぬ緊張感でもって一日かかりの巨大プロジェクトの観がある 工学系の修士論文公聴会に比べれば、数学のそれは「ぬるい」もんである。何せ大 学院入試の面接で、面接に立ち会った年配の教員達が受験生の前で平然と居眠 りをするところである。院入試の面接で内職をしていた若い先生が年配の教授 から「受験生に失礼だろう!」とどやしつけられる工学系の世界とは、根本的に 文化が違うのである。
文化の違いは認めるとしても、流石に受験生の前での居眠りはまずかろう ということで、今年は年配の教授だろうが何だろうが見つけ次第学科長職権で どやしつけてやろうと思っていたのである。しかし昨夏の院入試では、受験生 が少なくて面接試験全体の時間が短かったことや、面接開始時間が過ぎている のに廊下で油を売っている教授をどやし付けて見せるなど、のっけから緊張感 溢れる院入試を演出したこともあって、誰も居眠りをしなかった。じゃあ、次 は春の院試だなと手薬煉引いて待っていたのだが、受験生ゼロのため院試自体 が流れてしまった。
それにしても、こともあろうにこの私が何を血迷ったのか、「時間厳守! 5分前集合でお願いします!」とか「面接受験生の前で棺桶の中で眠る練習を するとは何事ですか?!折り目切り目正しい職務態度でお願いします!」とか 言って、その辺の人間をどやしつけて回る図というのは、それ自体じゅうぶん 喜劇的悲劇である。学科長職というのは、規範意識の権化気取りや凶暴な暴君 性といった、私自身も知らなかったような自分の人格の闇の部分を引き出す作 用があるのかもしれない。
公聴会などの前後は、論文レビューの報告書の確認をしてWebで送った り、事務書類をいくつか提出したりといった雑務。夕方、図書館であと1つ残っ ている論文レビュー用の資料を借り出して、速攻で帰宅。夜は歯医者の後、レ ビュー用の論文読みの予定だったが、3月末の高飛び雲隠れ計画の策定に 意外に時間を取られる。
2007年2月21日(水)
<<「意見なし」>>
3月下旬のような暖かい快晴の一日。夕方、散歩と称して40分間だけ自宅と
山科駅前大丸ラクト店を往復した以外は、終日自宅にて仕事。アメリカ数学会
から依頼された論文レビュー3件中2件を片付け、3件目の論文レビュー作
業にとりかかる。科研費の出張報告書も3つ書いた。学科長の仕事もあったけ
れど、雑用系の軽めのものだったので、電話とメールで簡単に済ませる。
学科長の任期はあと1ヶ月ちょっと。その間、いくつか年度末の学校行事 がある以外に、くだらない会議が断末魔の叫びのように最低14回もある。ま あ、この時期の会議で無理難題系の宿題が出ることはないので、気楽に臨んで 聞き流しておこう。
しかし場合によっては、私にすれば全くどうでも良いような問題が提起さ れ、「各教室で議論のうえ、○月×日までに意見集約するように」との宿題が 出ることもある。何かにつけて議論だの意見集約だのと五月蝿い大学である。 「数理科学科を潰すと言っているが、それでもよいか」と聞かれても知らん顔 している我らが同僚諸君に、「何でもいいから、静かに数学を考えされてくれ」 以外の意見などあろう訳がないではないか。入試とか一般教養の数学教育とか、 特定の話題については俄然激しく反応して色々意見らしき事を言い出す傾向も みられるが、何せ「複雑系」なので、それも私から見ればかなり気まぐれなと ころがあり、よくわからない。まあ、よくわからないものを気にしても仕方あ るまい。 五月蝿い「意見集約」 系の宿題を独断でちゃっちゃと握りつぶし、「意見なし」との報告をしておく ことも、数理科学科の学科長の重要な任務である。
2007年2月20日(火)
<<「潰すな!」>>
本日午後一杯ずうっと、下らない会議が3つも4つも続いた。
勿論議事なんて全然聞く積もりは無く、論文レビューの内職に励もうかと
思っていたら、1つだけ気になる資料があったので、それだけは真面目に
読んだし議事にも加わった。
この資料の前のバージョンは、今年度の初めに学科長会議に出た「数理科 学科(と物理学科)を潰しますけど、いいですね?」という内容のものだった。 これは大変かも?と一応数理科学科教員各位に知らせて意見を求めたけれど、 「別にイ。潰したければ、潰せばァ。カンケーねーよ」という反応。この野郎、 じゃあ、その通りに報告して公約通り数理科学科を潰してやろうかとも思っ たけれど、「お前に『パンツをはいた複雑系』と心中する覚悟はあるのか?」 とわが身我が胸に静かに問うてみた結果、心中しなければならないとすれば、 やぱり何を考えているか理解可能で意思の疎通ができる人たちでないと嫌だと いう結論に達した。それで、物理の猛獣みたいな学科長と一緒になって「潰す な!」と反対しておいたのである。この思い出深い出来事の後、長く不気味な 沈黙があって、今日突然改訂版資料が提出されたというわけだ。 新しい資料には、「潰します」という内容は削除されていた。
数理科学科教員各位に限らず、私にとっては世の中のほとんど全ての人た ちは理解不能なわけのわからない生き物である。私が彼らに共感したり、友人 になることを求めたり、ましてや彼らと心中をしようと思うことはないが、職 場の同僚ならば業務連絡という形で、学会での研究仲間や学生なら数学という 言葉を介して必要最低限のコミュニケーションをとって平和共存し、必要とあ らば協力関係を形成することは十分可能なのである。たとえば、物理の猛獣み たいな先生と一緒に「潰すな!」と吠えてみたように。
2007年2月19日(月)
<<生存確認>>
22時過ぎ、高飛び雲隠れより無事帰還。おじさんを見ても、それほど強い嫌
悪感を感じなくなってきたところをみると、ようやく私の心も穏やかになって
きたということか。
雲隠れ中に聞いた他大学の先生の話によれば、私が受講生が高々1、2名の 授業ばかり担当していることは、別に褒めてもらえるようなことでもないけれど、 決して悲しむべきことではなく、むしろ本人としては喜ぶべきことらしい。
しかし、俺サマで自己中でクールな私は、大勢の人前で話をするのが大好き なのに、聴衆が1,2名では力が入らないんだけど。マイクのヴォリュームを 一杯にしないと自分が喋っている声も聞き取れない、300名ぐらいの私語学生 がひしめくマスプロ講義で、そこの学生!さっきからお喋りばかりしてるから、 ただちに教室から出て行きなさい!と怒鳴り散らしたりしながら講義してた、 (旧)情報学科時代が少し懐かしい。何か毎日がお祭りみたいだったな。今は、 毎日がお通夜で、シケた雰囲気である。
あと、雲隠れ中に論文レビューの仕事その1をあらかた仕上げてしまおう と目論んだものの、思うにようには進まず。
帰宅後、雲隠れの間に「不吉電話」の類が入っていないかを、早速メール 等でチェック。一部問題が発生していたようだが、深刻な事態には至っていな い模様。教室会議連続無断欠席の某先生も、無事生存が確認された。
2007年2月17日(土)
<<可哀想にと溜息>>
夕方まで山科区内で色々野暮用。夜はスポーツクラブ。その後、論文レビュー
の仕事を少し。アメリカ数学会の論文レビューの仕事も、最初は軽めの論文ば
かりで比較的楽だったのだが、数ヶ月の不気味な沈黙の後、今度は結構重い論
文が送られてくるようになって、なかなか作業が進まない。ここでもたついて
見せると、また数ヶ月の沈黙の後、もう少し軽めの論文が送られてくるのでは
ないかと予想、というか、期待される。従って今回のレビューもあまり無理せ
ずにもたもたとやりたいところ。しかし無理してでも速くやってしまわないと、
なかなか自分の研究に戻れないというジレンマもある。
大学の仕事も同じで、雑用をさっさと片付けないと研究時間が無くなって しまうし、さっさと雑用を片付けると、変に有能だと思われてますます雑用が 降ってくるというジレンマに陥る。さっさと雑用を片付ける要領の良さと、ま すます降ってきた雑用をはねつける強さの両方が無いと、研究者としてはやっ ていけないのであろう。
ところで今日の朝刊で、数学者A氏が某国立数学研究所の新しい所長に選 ばれたと報じていた。任期は2年。A氏は01、02年度にも所長を勤めてい る。私は、A氏が世界的大数学者であること以外は何も知らないし、その数学 研究所の事情についても全く知らないのだが、思わず、可哀想にと溜息が出て しまった。研究所長というのは、おそらく学科長みたいなもので会議と雑用に 忙殺される。A氏はタフなのかも知れないが、私のように(!)線が細かった りすると色々気を揉むことも多く、それだけでも参ってしまう。いずれにせよ、 研究には百害あって一利無しである。実際、A氏は01、02年度に所長をやっ て研究活動に深刻なダメージを受け、なかなか回復できなかったと、どこかに 書いていたように思う。おそらく回復し切れてないうちに再び所長に選ばれた のであろう。
明日から再び高飛び雲隠れ。次回更新は月曜日の深夜以降。
2007年2月16日(金)
<<ギラつく下心>>
昼食用にポールボキューズ・ラクト山科店のサンドイッチを買って、昼頃に出
勤。13時30分より大学院留学生入試の面接など。14時からすこし時間が
できたので、生協のカフェで論文レビューの仕事。16時から18時過ぎまで、
院生O君と修士論文公聴会の発表についての打ち合わせ。帰宅後も、強烈な睡
魔ゆえに途中1時間ほど気を失いつつも、論文レビューの仕事。面倒な頼まれ
仕事といえばそうだけど、これを逆手にとって何か研究のネタは掴めないか、
などと下心をギラつかせる。
最近教室会議の無断欠席が続いている某先生、大丈夫かなあ、 と不吉な「予感の予感」に怯えつつも、今日もとりあえず不吉電話 が掛かって来なかったことに感謝。
感謝の気持ちを込めて、 またもモーツァ ルト「クラリネット協奏曲」のCDを聴きながら楽譜を眺める。本日、ラルフ・マンノ版(普通のクラリネット) と ザビーネ・マイヤー版(バセット・クラリネット)の聴き比べ。 うーむ、さすがのラルフ・マンノ先生もデビュー当時は、円熟期の女王ザビー ネ・マイヤー様の圧倒的なモーツァルトには、とても歯がたたないようで。