の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2006年7月15日(土)
<<人生の小リセット>>
楽しかったゲーテ夏学期だが、最終日の今日はあっけなく終了。これを機に、
そろそろ人生小リセット・プロジェクト(Das kleine
Lebenserneuerungsprojekt)でもやらないと立ち行かないと思うに至り、JE
UGIA三条本店での道草衝動買いは、プロジェクトの門出にふさわしい曲を
と色々物色。新しい人生の門出はやはりJ.S.バッハかなと、当たり外れの
多いバロックの危険を冒しつつ、トン・コープ
マンの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」(バッハ)。第2巻の方もやはりコープマンの演奏でCDを
持っているので、揃えてみようか、と。第1巻は第2巻に比べて詩情溢れる美
しさがあるとか言われているけれど、よくわかんないですう。ゴールドベルク
変奏曲(たとえば鈴木雅明のチェンバロやバレンボイムのピアノ)みたいに、初めて聴
いた時から、うわああ凄くいいですう!これイケてますう!みたいな感じじゃ
ないしね。これは微妙に外れかも。最近どうも判断ミスが目立つのは、学科長
ぶちキレ自爆テロ活動に起因する鬱病状態が原因かと、ちょっとへこんでみる。
しかし、最後は気を取り直して少し前の大当たりCD、ケフェレックのヘンデル で一日を締める。
人生小リセットにはまず自己分析が必要だ。現実を見詰めよう。さあて私は、 といえば、プライドが高くそのくせ自己評価が極端に低いため猜疑心も強い。 さらには協調性や社交性は限りなくゼロに近いが、そのくせに真に孤独を楽しむ 素質に恵まれているかは、極めて怪しい。
このことは何を意味するかというと、まずは、受けない話をしてしまう事が何 よりも嫌いで、何かを聞かれた時だけ相手の関心の度合いを注意深く探りながら、 その関心に見合う事だけを過不足無く喋ろうとする。 3人以上の会話の場面で私が時に極端に控えめな態度に出るのは、会話の流れ がめまぐるしく変化し続ける状況で、その瞬間ごとの人々の関心の度合いや方向 を正確に読み切るのが難しく、発言の無駄玉を覚悟しなければならないよ うな状況など真っ平だと思っているからである。 特に自分自身に関する話題で「無駄玉」を打ってしまうことは、プライドの 高い私にとっては最も堪えられないことであり、さらに自己評価が低く私自身の事 なんて誰も興味は持たないと信じているため、たとえ会話のコントロールがしやす い2人だけの会話の場面でも、人前で自分の事を問わず語りすることは決して無い とは言わないが、「会議をする猫」や「饒舌に語る蛤」程度には珍しいことである。
さらには、自己評価が極端に低いため、どんな些細な事であっても人に褒めら れたりすると、それはタチの悪い勘違いか心にも無いお世辞かのどちらかにしか 受け取らない。勘違い人間も困ったものだし、私はお世辞やヨイショの類は言う のも言われるのも嫌いだということで、その手の発言を繰り返す者あらば、3回 ルールによって「葬り去られる」。そのくせ、自分に対して好意的であるという サインを常に送り続ける人間以外は全て「敵」だと思っていて、「敵」は3回ル ールによって、やはり「葬り去られる」。
かくして日々膨大な数の「葬り去られた敵」に囲まれ、彼らとうまく折り合っ ていくにはどうすれば良いかを考えあぐねて勝手に煮詰まる。元々傲岸不遜な私が 少しでも礼儀正しく見えるとすれば、その理由はまさにこれであろう。「敵」とう まくやっていくには、礼儀しかないと考えているからである。
嗚呼、これって最低の人間やん!リセットしたら壊れるかも知れへんでえ。 何を言うとんのや、壊れるぐらいが丁度ええんとちゃうか?と。 そして一番の問題は、「でも、私ってこんな人なんだし、それでいいじゃん。 るんるん♪」などとは思ってはおらず、むしろこういう人格を背負ってあと何年か 何ヶ月か何日か生きていなければならないとすれば、それはそれで大変だなと思っ ていることである。自分自身を「葬り去る」わけにいかないしね。 さあ、皆さん!「夢見る数学者日誌」恒例の自虐に走る夏の始まりです。
2006年7月14日(金)
<<幸福感の洪水>>
学生とゼミの日。11時から16時まで、途中1時間15分の休憩を挟んで院
生O君の研究ゼミ。某論文の「明らか」と「容易に」に七転八倒するも、こう
いうゼミはやはり何となく元気が出て来る。16時過ぎから17時40分頃ま
で4回生Y君の卒研ゼミ。その後、図書館で文献を一つコピーしてから帰宅。
夜も少し数学。ミスの修復に失敗した証明の残骸をかき集め、メモに纏める作
業など。
私の最近の一週間のパターンは以下の通りである。 月曜日と木曜日は激しく逃避する研究日で、研究の苦しみとJEUGIA三条 本店近辺散策の息抜きが適度に織り交ぜられて、かなり幸福である。 金曜日も半日缶詰状態のゼミで無理矢理勉強することになるが、私のような寒 空の下に放たれた野良犬のような人間はたまには拘束されることも必要で、総 じてまずまず幸福である。 土曜日も、昼間はゲーテで楽しく、帰りはJEUGIAでCDを衝動買いして、 夜はスポーツクラブでへとへとになりと、文字通り絵に描いたような幸福 な一日である。 日曜日は野暮用に明け暮れるが、夜は少し数学などもできるし、微妙に幸福である。 水曜の前半は、やや早起きが眠く、昼食分割摂取など物理的条件にはやや厳し いものがあるが、留学生達から浴びせられる線形代数・微積分の質問十字砲火 のスリルも悪くないし、たった2名の受講生相手にまったりと進行するC言語 とUNIXの演習も、平和を愛する私には好ましい世界とも言える。 要するにに私は、幸福感の洪水の中であっぷあっぷしているはず、なのである。 この全ての幸福感を完膚無きまでに破壊してチャラにしてしまうのが学科長全 力疾走モードの火曜日で、さらに教室会議は原則廃止されたものの火曜日の仕 事が飛び火したりする水曜日の午後が、幸福感叩き潰しの時間になる場合もあ る。 つまり、幸福感と不幸感のコントラストがきつい。まるで浮き沈みの激しい私 の人生を、一週間単位で再現しているようなものである。
本日の心の友は、リチャード・ストルツマンの「5 つのバガテル」(フィンズィ)他、以外はラルフ・マンノ特集。ラルフ・マンノの現代もの、ベートーベンの「春のソナタ」&(ギド・ シーフェンのチェロで)「クロイツエル・ソナタ」、シューマン物、フラン スもの、そしてモーツァル トの協奏曲。最後の協奏曲はデビュー当時のCDなのか、やや精彩を欠く。 録音も良くなくて、クラリネットの音が遠くの汽笛を聴くような感じになって しまっている。ラルフ・マンノは特別音が綺麗というわけでもなく、むしろお どけたような変な音だったりもするけど、ぱっぱっぱああーと快活に、お おーっ!楽しいぞぉー!って感じで吹くところが私のお気に入りである。
2006年7月13日(木)
<<抜き打ち実力テスト>>
数学と音楽に激しく逃避する研究日。午前中は自宅で、午後は京大数理研図書
室や喫茶進々堂で、数学。最近ちょっといい感じの定理が証明できた積もりに
なっていたけれど、本日詳細に見直したらとんでもないミスを発見。修復に奮
闘努力するも。。。うーむ。ま、いつものことさ。
一応JEUGIA三条本店道草経由で帰宅するも、ずっと証明修復の方法 についてあれこれ考えていたので、セルマー 社のクラリネットのパンフレットだけ貰って出て来たような気がする。楽 器は見ているだけでも楽しいし、自分がクラリネット吹いたらどんな音が出る のかしら?というのはちょっと興味があるところ。しかし、楽譜読めないし、人 生色々切羽詰ってるので、3回目だか4回目だかの人生リセットでもかけない 限りクラリネットを習ってる余裕は無いんだけどね。
研究日の心の友は、長らく封印されていたカール・ライスター版のブラームスのクラリネット・ソナタ を引っ張り だし、同じ曲の アルフレート・プリンツ版 、および、ペーター・シュミードル版 と聴 き比べ。やはり音の綺麗さでは「プリンツ > シュミードル > ライス ター」の順かな。さらに駄目録音CDの ドビュッ シーのピアノ小品集、それに続いてハインツ・ホリガーらのヘンデル:トリオ・ソナタ選集。それか らしばし間をおいてカリ・クリークのクラリネット 協奏曲集(モルター&モーツァルト)。J.M.モルターの協奏曲では通 常よく使われるクラリネット(B管とか呼ばれる)よりも高音域が出せる短い D管クラリネット、モーツァルトの協奏曲ではB管よりも低音域が出せる長め のバセット・クラリネットが使われている。
先日のゲーテのレファラートの時に、クラリネット奏者氏がモーツァルト の協奏曲の中の一節をちょっとだけ演奏してくれた。うわーい、やったあ!と か思って喜んで聴いていた私にすかさず質問が飛んできて、何でもちょっと前 にリガチャーだか何だかの部品を換えたので「以前とは音色が変わっているの ですが、お分かりですか?」と。「以前」とは、例えば昨年5月に2度行われ たコンサートと昨年12月のクリスマス会での演奏の頃を指すという。うーむ。 日々弟子を鍛えんとする師匠の心意気には胸が熱くなるものがあるものの、この 抜き打ち実力テストにはちょっと面食らった。しかし日頃からちょくちょく氏 のデビューCD(かなり前の演奏である)などを繰り返して聴いていたことも あって、何とか「先日のコンサートのアンサンブルの時にはよくわかりません でしたが、今クラリネット単独で聴いてみてちょっと変わってる事がわかりま した」答えることができて胸をなでおろした。こういう時に嘘がつけない私っ て、いい人でしょ?ただの馬鹿だという説もありますが。
カリ・クリーク版のモーツァルトの協奏曲を聴いたら、ザビーネ・マイヤー版のものも聴い て、音の違いをちゃんと押さえておかねばならない。一日の終わりは、常日頃 の準備が貴方を救う、ゲーテ・クラリネット奏者氏のデビューCD。
2006年7月12日(水)
<<カール・ライスター>>
昼食分割摂取で先生モードの水曜日。午前は「留学生数学」。例によって学生
から質問された線形代数と微積分学の問題を解きまくる。午後一番は「C言語
とUNIX演習」。14時終了。その後「留学生数学」で解き残した問題を片
付けた後、その辺の箱に放り込んであった学科長会議の膨大な資料の山を、ひ
とつひとつパンチで穴を開けてキングファイルに綴じる作業。その作業でわかっ
た事は、学科長会議は私の年齢と同じぐらいの回数あるらしく、昨日14回目
が終わったばかりだから、まだ3分の1も終わってない(溜息)。そういえば
まだ人生3分の1も終わってなかった14歳の頃の私って、何だか毎日がワク
ワクして楽しくて楽しくてしょうがなかったような覚えがあるな。あれから少
なくとも2,3回人生リセットしているから、14歳の頃なんて160
0年ぐらい昔のような気もするし、去年のことだったような気もする。
夜は少しだけ数学。 本日の心の友は、 アルフレッド・ブレンデル &ハインツ・ホリガーのシューマン 、 エンマ・ジョンソンのクラリネット協奏曲集 (クルーゼル、コゼルフ、クロマー) 、 アンヌ・ケフェレックのG.H.ヘンデルのC D、 シャロン・カムのクラリネット二重奏曲集、 そして今日の最後は久々のキャスリーン・バ トルのソプラノで、シューベルト・ドイツリート集。バトルのソプラノは やっぱり泣けます。「岩上の羊飼い Der Hirt auf dem Felsen 」はシューベルトが クラリネットを使った唯一の曲だけど、このCDではカール・ライスターがク ラリネットを吹いている。
昨年3月に見たドイツ映画でブラームスのクラリネット・ソナタが使われてい たけれど、あれはおそらくカール・ライスター。昨年11月頃に「シューベル トがお好きなら『岩上の羊飼い』って曲がありますよ」とクラリネット奏者氏 に教えてもらって、色々捜した末に買ったのがこのCD。そして昨年12月末 に街でふと耳にしたカール・ライスターのクラリ ネット・ソナタ(ブラームス) で電撃的天啓を受けている。かくしてカー ル・ライスターは私がクラリネットに目覚める下地を作ったといえる。でも今 聴いてみると「まあまあ」って感じで、ザビーネ・マイヤーとかアルフレート・ プリンツとかポール・メイエとかリチャード・ストルツマンとか、もっと綺麗 な音の演奏者はいくらでもいるじゃんって感じ。おっと、さらに師匠のゲーテ・ クラリネット奏者氏も挙げとかなくっちゃね。
2006年7月11日(火)
<<長い長い蟻の行列>>
学科長モード全力疾走の日。そういえば今日が終われば学科長会議もあと2回で夏休みか、や
れやれ。で、その次は後期に授業が始まる9月の終わり頃かな?と予定表を見
たら、9月の頭から3月末まで年末年始を除いて毎週毎週延々とかつ着々と会
議の予定が書かれており、それがまるで長い長い蟻の行列のように見える。流
石の私も、一瞬気が遠くなるような気分になってしまった。(ああ、猫になり
たい!)
13時から15時20分頃まで学科長会議。その後、野望と戦略のA堀先 生の部屋に押しかけて密談をしているうちに16時。慌てて研究科委員会と教 授会に出席。17時過ぎに終了。その後、生協での夕食を挟んで、研究室で資 料を読んだり、皆さん相変わらず黙ってるけど数理科学科本当に潰れちゃって いいの?と親切な警告文を再掲したメールを流したりと、学科長のお仕事を色々。 20時40分頃家路につく。
問題は、こうやって家に帰ってきても学科長メールの中身などをまだ覚え ていることだ。事務的雑用に忙殺されていただけの4月頃は「学科長備忘録ノー トを閉じた瞬間に美しい世界に旅立ち」なんて書いてたのに!このことは政治 が人間の精神を如何に深く蝕むかを雄弁に物語っている。自分で言うのも 大いに変だけど、上のような親切な警告文なんか流すような誠実で心優しい 人間は、政治なんかにかかわってはいけないのだ。
今日の心の友は、アンヌ・ケフェレックの ヘンデル曲集、ペーター・シュミードルの「幻想 小曲集(シューマン)」、ポー ル・メイエとアルフレート・プリンツのモーツアルト、ザビーネ・マイヤーのクラリネットコネ クション、アンドレアス・シュタイアー &アレクセイ・リュビモフのシューベルト・四手ディヴェルティスメントD. 818,823. この曲がそうなのか、この演奏が特別そうなのか、シュー ベルトのピアノ曲にしてはやけに東欧的なちょっと変わった雰囲気である。 最後はちょっと景気良く ミシャ・マイスキー&マルタ・アルゲリッチの"in concert" 。 この強力コンビの粘っこい「イタリア組曲」(ストラヴィンスキー)が、政治に疲れた 心に沁みます。
夜は少し数学。
2006年7月10日(月)
<<サンダーバード2号>>
数学と音楽に激しく逃避する研究日。昨夜の完全系列の問題は昼過ぎにふっと解決。
確かに「容易に示せる」けど、「容易に示せる」ことが分かるまでに一晩かかっ
たぞ!と自慢してみる(誰に?)。午後は京大数理研図書室と喫茶進々堂で数学。いつもはガラガラの数理
研図書室だけど、今日はやけに人が多かった。
夕方はJEUGIA三条本店に何となく立ち寄って、管楽器売り場を冷や かしたり、コンサート情報や楽器の個人教授の広告などを見て回ったり。 別に楽器を習おうという積もりはなく、何となく面白いから眺めてみるだけ。 例えば オーボエとかクラリネットって、黒い管の表面に銀色の金具が複雑に這 い回っていて、まるで蒸気機関車みたいなメカっぽい形をしているところが面 白い。クラリネットも フランス式べーム管とドイツ式エーラー管があって、ゲーテ・クラリネット奏者氏をはじめと してべーム管を使う人が圧倒的多数のようだが、 エーラー管の方がこと形だけ見れば管の穴も多く金具の走り具合も複雑で、 このごたごたああっとしたところがロココ調家具かはてまた19世紀後半の最 新型世界最強蒸気機関車もかくやって感じで、見ていてちょっと興奮してしまう。
夜も数学。昼間考えたことを纏める。
研究日の心の友。まずはペーター・シュミー ドルのベートーヴェン三重奏曲、エンマ・ジョンソンのクラリネット各種取り合わせVoyage、近藤良のライネッケ三重奏曲(ビオラ)・ブルッフ8つの小品 を立て続けに。それから久しぶりに福田進一(クラシック・ギター)の ジャコンヌニ短調BWV1004、「無伴奏ヴァ イオリンのためのバルティータ第3番BWV1006」改め「組曲ホ長調BW V1006a」、「無伴奏チェロ組曲ト短調第5番BWV1011」改め「組 曲イ短調BWV995」)。バロックの曲をリュートで聴くのも味がある けれど、より音色の豊かなクラシック・ギターで聴くのが私のお勧め。以前琵 琶湖ホテルで福田さんのコンサートがあったけど、ぼんやりしてたらたちまち チケットが売り切れていて、行きそびれたことがある。今日は何となくギター に目覚めたし、ナルシーソ・イエペスでつぎ行ってみよー!とタレガとバカリッセのギター曲集と、特に私のお気に 入りのソルなどの色々な人のギター曲集。現代ギ ター曲の作曲家としてはフェルナンド・ソルとフランシスコ・タレガの名前は 小学生時代から何となく聞き知ってたけど、それ以外の人は知らない。例えば、フェ デリコ・モレノ・トロバって誰やねん?って感じ。ナルシーソ・イエペスって 映画「禁じられた遊び」で使われた「ロマンス」とか、 「アルハンブラ宮殿の思い出」などで有名だ けど、私はそれほど熱狂的なファンでもない。補助弦の共鳴効果が自慢の特注 12本弦ギターの太っとい竿が面白く、何だかサンダーバード2号みたいなギ ターで凄いなーと感心するけれど、その割にはそんなに綺麗な音でもないし。今 日の最後は、ジュリアン・ブリームのバロック・ ギター・リサイタル で締める。クラシック・ギターでは使わない (勿論ブリームさんも使ってない) ピックが写っているこのCDのジャケットは、結構謎めいている。
2006年7月9日(日)
<<しんどい世界をしぶとく>>
蒸し暑い日曜日。朝はゆっくりと起き、夕方まで自宅や山科区内で野暮用など。
夜は数学。某論文の「容易に示せる」とある簡単な完全列の完全性がどうして
も証明できず、のたうち回る。
昨日は、先日のコンサートのそれぞれ出演者に対する玄人筋の人たちの評 価ぶりの一端をクラリネット奏者氏から聞いたけれど、その厳しさは我々が学 会発表などを行った時と全く同じだなと、ちょっと背筋が冷たくなる思いがし た。やはり専門家集団というのは、それなりに厳しい相互批判によって水準が 保たれているのであり、その中でやって行くのはそれなりにしんどいのである。 そういう所は数学業界もクラシック音楽業界も同じみたいだな。音楽業界はさ らに一般のファンの評価というのも加わるし。
私は、自分がどう感じるかが全ての人なので、クラリネット奏者氏が玄人 筋でどう評価されているのか知らないし関心も無いけれど、お互いそれぞれの しんどい世界でできるだけ長くしぶとく生き長られましょうやと言いたいと ころである。
今日の心の友は、駄目録音のドビュッシー、 アルフレッド・ブレンデル&ハインツ・ホリ ガーのシューマン 、ハインツ・ホリ ガーらのヘンデル:トリオ・ソナタ選集。そして最後はペーター・シュミードルのベートーヴェン・クラ リネット三重奏曲。
2006年7月8日(土)
<<チンパンジーと同じ>>
ゲーテの日。今日はスイスはEUに加盟すべきか、ja? nein? oder egal?
(賛成?反対?それとも、どうでもいい?)という模擬議論をやった。
最初は、私スイス人やないし、知らんがな、そんなん。スイス人がええっちゅうんや
ったら加盟しやはったらええし、嫌やったらやめとけばええこっちゃ。そんだけっ
ちゃう?答が決まっとるのに、何をごちゃごちゃ議論するねん?と思って白目をむいて
黙っていた。
そのうち、ふと、私は今、学科長として「数理科学科は×××(EUに相当する 学内新組織)に入るべきか。賛成?反対?それとも、どうでもいい?」というのを やってる真っ最中で、今日の模擬議論のような話が(日本語で)わんさか出てくる 事に気づいた。ああ、こういうの忘れるためにゲーテに来てるのに、勘弁してくれー と思いながら、目を白黒してやはり黙っていた。
今日はクラリネット奏者氏と先週のコンサート談義を少し。「人生を楽し むための学習教材」のCDを沢山与えられて、クラシック音楽とくにクラリネット 演奏の鑑賞者としてすくすく育ってしまった積もりになっている私は、弟子の分際 で師匠のクラリネット奏者氏の演奏を色々もっともらしく論評するまでになったの である。馬鹿野郎!お前なんざ10年早いわ!などとブチキレないところが氏の人徳。
確かに10年早いのかも知れない。あのコンサートで私が絶賛して大拍手 を送った某ピアニストの演奏は、会場に詰め掛けていた玄人筋には最も評価が低 かったそうである。でもそんなことはどうでも良いのだ。私はあの演奏を聴いて 感動した。その事実は動かせない。だからあの演奏は素晴らしかったのである。 玄人筋が何と言おうと、それはそれ、これはこれだ。以上!と。そういう風に構 えていないと、クラシック音楽なんて楽しめないよ。
ところでクラリネット奏者氏は、私が最前列でかぶりつき(とは言っても10 メートル以上離れていたけど)で聴いてたので、緊張してしてしまって最初の部分 がうまく演奏できなかったそうだ。10年前の私なら、そんなので緊張して演奏が 乱れるなんて、あんたそれでもプロかよ、ばーか!とか何とか憎まれ口叩いて喧嘩 になっていたはずである。しかし私にも多少は学習能力があって、沢山の友を失い 痛い目に合い続けると、少しは人徳らしきものが備わってくるのだ。
否、むしろ私は学習能力の塊らしい。三回同じことをされたらもうブチ切 れて、ああこいつはこういう奴なんだと「学習」して「葬り去る」なんて、そんな 貴方はチンパンジーと同じよ!互いに粘り強く付き合うからこそ人間なんです!と。 おい、また語尾に断定形の”!”マークかよ?(4月17日の日誌参照)
今日もJEUGIA三条本店で道草。今日の衝動買いはハインツ・ホリガー 病の復活。アルフレッド・ブレンデルのピア ノとホリガーのオーボエでシューマンの「3つのロマンス」「幻想小曲集」 「民謡風の5つの小品」 と来れば、買わないわけにはいかない。これら はオーボエ用の曲だけど、クラリネット用に編曲されて良く演奏されている (例えば、私が持ってるのはペーター・シュミードル、 ラルフ・マンノ、 ジルバース・ドウ・ペイエなど)し、 チェロ用に編曲もされている(例えば、ミシャ・マイスキー ロストロポーヴィチなど)。 それからアンヌ・ケフェレックのピアノで気を良くしたヘンデルのトリオ・ソナタ選集。これは2本のオー ボエとバズーン、コントラバス、チェンバロの木管アンサンブルによるもの。 まあ典型的なバロックですな。
夜はスポーツクラブでへとへと。
2006年7月7日(金)
<<猫になりたい?>>
凶暴化している私は、本日学生とゼミの日。11時より16時までは途中1時
間15分の昼休みを挟んで院生O君の可換環論ゼミ。こういう研究ゼミをやっ
ていると少し気が晴れる私は、やはり学者の端くれなんだなあと思う。16時
過ぎから17時半過ぎまでは4回生Y君の卒研ゼミ。夜は最近ご無沙汰気味だっ
たドイツ語のお勉強などをやりながら、少しのんびりしてみれば凶暴度が低下
するのではなかろうか、と。
凶暴なる私の今日の心の友。 出勤時。凶暴なる心に美を!まずは美しさのお手本のような曲をと、 ハインツ・ホリガーのオー ボエ協奏曲(モーツアルト、シュトラウス)。 うーむ、焼け石に水か。では、昼休みはちょっと個性的な音で気分を変えてみようかと、 ラルフ・マンノのフランスもの。 しかし、ドイツ人のマンノにフランスのエスプリは一寸厳しいか。 では、帰宅時はイギリス情緒で行ってみようかと、 リチャード・ストルツマンの「5つのバガテル」(フィン ズィ)他。 帰宅後は、さらにもう一発フランスものの駄目押しだ。やっぱり フランス物はこれに限る!と、 ポール・メイエのフレンチ・クラリネット・アート 。 うーむ、ポール・メイエをしてもすっきりしないとなるとかなり重症だな。い よいよ感情の動脈を素手ひっ掴んでぷあああーっと華やかな世界を広げるという 禁じ手を使う、ショパンのワルツをぶちかますかと、長らく封印していたイディル・ビレトのショパン・ワルツ集 。
今日は七夕だろ? 私だって少しは世間の様子を知ってるよ。星に願いをっ て、何を願おうか。とりあえず猫になりたい、とか?猫になって、 屋根で昼寝などをしてから、今後の身の振り方をゆっくり考えるんだ。 おああああおうううううとか鳴きながらね。 ところで凶暴な私の可哀 想な被害者となった者たちは、一体どうなるのかって?(7月3日の日誌の意味で) 「葬り去られる」のさ。また「蘇る」かも知れないけどね。
2006年7月6日(木)
<<凶暴人間の切羽詰り人生>>
研究日。午後は京大数理研図書室や喫茶進々堂で、ゴミ結果の纏め作業などを
慎重に進める。夜も同作業を継続。
研究日の心の友は、アンヌ・ケフェレック のヘンデル作品、藤原真理の無伴奏チェロ組曲 (バッハ)(2枚組)、ヴァイオリンとピアノのためのシューベルトの幻想曲・ソナタ集(2枚組)。そ れからライネッケ三重奏曲(ビオラ)・ブルッフ8 つの小品 で先日のコンサートの余韻に浸る。さらに、鈴木雅明氏の師匠 であるトン・コープマン指揮のバッハのヴァイオリン協奏曲(BWV1041, 1042,1043)(画像なし)、Trio Fontenaryとかいうピアノ、ヴァイ オリン、チェロのユニットによるピアノ三重奏 曲D897、D898、D929(2枚組)。最後はクラリネット奏者氏 デビューCDで締める。この、何故か私の心を芯から揺さぶる美しい音色は、先 日のコンサートでも健在だった。
研究日ともなれば、何かから逃避せんばかりに数学と音楽にのめり込む。 一体何から逃避しているのかって?勿論、学科長のお仕事です。事務的雑用は それほど苦にならないけど、組織をどうするだの人をどう動かすだのという政 治がからんでくるとかなり憂鬱になる。何故憂鬱かというと、そういうのが嫌 いだからである。憂鬱になると、私ってこんなに凶暴な人間だったかしらと思 うほど凶暴になる。今、私に近寄ると危ないぞー!
それはさておき、アルぺジオーネ・ソナタでもそうだったけど、シューベル トは弦楽器に結構切羽詰った音を出させるところが、気分はもう切羽詰った人 生真っ最中の私のお気に入りである。切羽詰ったといえば、ブラームスのクラ リネット協奏曲、五重奏曲、三重奏曲もかなり切羽詰っていて、やはり私のお 気に入りである。モーツァルトだと、私の言葉で言えば「ちゃらちゃらした 音」、クラリネット奏者氏の言葉で言えば「暢気な音」で弦楽器を使うことが 多いようで、ちょっと前まではそういうのがずいぶん癇に障ったものだ。でも 切羽詰ってるばかりでは人間持たないわけで、たまにはちゃらちゃらでも暢気 でも何でもやって、強引にでも弛緩させないといけないってわけ。
2006年7月5日(水)
<<考えてもわからない>>
早起きと昼食分割摂取の水曜日。午前中は「留学生数学」。先週学生から質問
があった微積分の悪問1問と良問1問を解説して終わる。午後一番で「C言語
とUNIX演習」。学生と一緒に色々プログラムをいじって実験しながら、何
でこうなるんでしょうね?変ですねえなどと話し込んでいるうちに終わる。1
4時をもって先生モードを終了し、学科長モードに移行。図書館で資料を借り
出して研究室で書類作りの作業。今日も教室会議は無し。18時頃に終了し、
帰宅。夜は数学。頻繁に逃避行動を繰り返しながら、引き続きゴミ結果の纏め
作業。
昨日書いたように数理科学科はいよいよ存亡の危機に瀕しているので、と り急ぎ教室会議などを開き今後の対応などを皆で協議するのが普通である。し かし、あくまで「配布される資料を自分で読め」「意見があればメールでよこ せ」「資料は読まない、意見は出さないというのならハイそれまで。本当に潰 しちゃいますからね」というスタンスに固執している私は何なのか?
本当は青テント生活に憧れているのに、自分では気づいていないのではな いか? あるいは、 自分は権力欲とは無縁な人間だと思っているけれど実はそうではな く、「でも俺は昔立命の数理科学科を潰してやったんだぜ!」と意味不明の自 慢をしたい一心で、絶妙のタイミングで自分に廻ってきた学科長の立場を最大 限に生かそうとしているのか?では一体誰に自慢をしたいのか?誰かを 見返したいのか? あるいはもしかして、元々エゴイストな上に、数理科学科の授業をほとんど担 当してないわ、教室会議が無いから同僚教員とほとんど顔を合わさないわで、 学科に対する帰属意識が限りなくゼロに近づき、「数理科学科なんてあっ てもなくても大した違いはないじゃん」という錯覚に陥っているのでは? そうでないとすると、実は何かに対して怒っている自分に気づいていないだけ か。では何に怒っているのか?例えば「奈良の猿沢池に泳ぐ亀がハロー・キ ティーを竜宮城に連れて行こうとしないのはけしからん!」といった類の不条 理系の怒りか? はてまた、自分はいま幸福の絶頂にあり、しかしながら幸福な自分が許せずに、 テレ隠しで自爆テロに走りたがっているだけなのか?テレ隠しで自爆テロするの かよ!?ああ、わからない!わからない!!
考えてもわからない事を無理して考えるのは、数学だけにしておこう。と、 自分がわからないままにお気軽に暴走する学科長の行く末や如何に?
本日の心の友は、 (残念ながら画像が見つからない)ハインツ・ホリガーのモーツァ ルト協奏交響曲(K.297b)、オーボエ協奏曲(K.313,K314) に始まり、 ペーター・シュミードルの「幻想小曲集(シューマン)」他と シェレンベルガーのフランス・オーボエ 名曲集 を経て、 ラルフ・マンノの現代もの、 ザビーネ・マイヤー 「パリのメカニック」、 リチャード・ストルツマンのALIA、 最後はエンマ・ジョンソンのVoyage で締める。
2006年7月4日(火)
<<それでいいですか?>>
学科長モード全開の日。11時過ぎに出勤し、研究室で昼食などを取りながら
13時まで執務。13時より15時23分まで学科長会議。研究室に戻り、会
議で提出された重要書類を眺めているうち、16時から臨時会議。途中17時
頃に抜け出し某先生の研究室を訪ね、ある厄介な事件に関する学科長特命密談。
臨時会議に戻ったものの、会議はまだまだ長引きそうだったので18時過ぎに
そっと抜け出し研究室に戻る。それから途中生協食堂での夕食を挟んで、メー
ル書きまくり出しまくり書類読みまくり書きまくりの学科長執務に励む。
このまま放置すれば数理科学科は特に深い理由も無いままに潰される予定 ですけど、それでいいですか?という3月末に予想した通りの話が降ってきた。 この話が食い止められるかどうかは教室構成員の意思ひとつに掛かっている。 さて、どうしますか?というメールを流しておいたのだけど、皆さん私のメー ル読んでるのかしら。兎に角、「潰しては駄目だ、こうすればいい!」という 反応がちゃんと返って来れば、私は学科長としてその方向で全力を尽くすだろ うけど、「どうでもいいです」というような反応なら本当に潰すまでだな。理 想としては、どうでもいいや俺には関係無いなんて考えてる人を全員クビにし て、そのかわり然るべき研究業績があるのに職にあぶれている数学者を雇い、 断固として学科の存続を図るという方向が正しいのだろうけど。でも、そんな 事をしたら私が真っ先にクビになってしまうな。そうかあ、青テント生活かあ、 風呂に入れないなあ、嫌だなあ、などと考えながら21時過ぎに家路につく。
学科長モードの心の友は、 ポール・メイエとアルフレート・プリンツのモーツアルト、 ザビーネ・マイヤーのクラリネットコネクション、 ハインツ・ホリガーの「オーボエ協奏曲(モーツアルトおよびシュトラウス)」、ペーター・シュミードルのベートーヴェン三重奏曲、 リチャード・ストルツマンの「5つのバガテル」(フィンズィ)他、 そして玩具のピアノみたいな音の駄目録音CD ドビュッシーのピアノ小品集。
2006年7月3日(月)
<<葬り去られた人々>>
今日は気が抜けた私の研究日。午前中は自宅で、午後は京大前喫茶進々堂で、
ゴミ結果の纏め作業。夜も引き続き纏め作業。
ひとたび私に、 「この人はお喋りよりもテレビが好きだ」 「この人は会議では蛤同然の存在である」 「この人は白雪姫のように眠り続ける」 「この人は虚言癖がある」 「この人は頭がおかしい」 「この人の自意識は17歳の少年のように歪んでいる」 「この人は猫になりたがっている」 「この人は頭蓋骨の中に風船ガムが一杯詰まった爬虫類である」 等等と決めつけられたが最後、以後「そのような人」として 私の心の中に永遠に生き続け、まるで機械のように 正確にしかも淡々と「そのような人」としての扱いを受け続ける。 何故ならば、私の心の中で彼らは既に「葬り去られて」おり、 そして死者は永遠だからである。 私の欠点として挙げられている「本人も気づかないうちにキレる」 の意味は、どうやらこういうことらしい。
こういう私なので、テレビ人間がテレビを消してお喋りを始めたり、会議 の中で蛤が何か意見を述べたり、白雪姫が溌剌とした表情で廊下を直立歩行を していたり、嘘つきが本当の事を言ってたりした時等等の驚きは大変なものである。 何せ「死者」が蘇ったのだから。蘇った「死者」を勘案しての世界観の再構築を 余儀なくされた私は、自らの存在の危機と闘いながらも、嗚呼、世界とはこんなに も驚きに満ち溢れた刺激的なものだったのかと深く感嘆するのだ。この欠点ゆえに、私に とって人の世とはいつも新鮮で不可思議なものなのだ。
研究日の心の友は、リチャード・ストルツマンの 「5つのバガテル」(フィンズィ)他、ア ンヌ・ケフェレックのヘンデル作品、内田光子の シューベルト「ピアノ・ソナタ第19番と20番」。
2006年7月2日(日)
<<気が抜けた感じ>>
野暮用の日曜日。夕方まで自宅および山科区内で野暮用。夜は数学。ゴミ
結果をTeX化して纏める作業の続き。
今年は学科長だから研究ができないかもと思っていたけれど、学科長だか らこそ石にかじりついてでも研究しないとやってられないってところがありま すな。私はエゴイストゆえ大学とか組織とか学生とかには何の期待も思い入れ も無く、それゆえに学科長の仕事も、ただ単にそれぞれの状況を分析して、必 要と思われる事を淡々とこなしているだけの積もりである。数理科学科も、勿 論立場上潰れないように手は打つけれど、結局潰れる時は潰れるんだろうし、 潰れない時は潰れないのさぐらいにしか思っていない。潰れた時は、皆さん華 麗に転進するなり、青テント生活に入るなり、猫になるなり、まあ、なんなり としてください。私?まあ、私は青テントかなあ。毎日風呂に入れない 生活って、気が進まないけどね。
醒めてるといえば醒めているのだけど、それでも時々ぶ ちキレてみたり、そこはかとなくイヤーな気分になったりして「壊れて」しま うのは、ひとつには、これまた立場上、見なくても良いものを見て、知らなく ても良い事を知ってしまうから。ささくれた心を癒すものは、私にとってはや はり数学と芸術だな。
それにしても、「予習」で個人的にはおおいに盛り上がったクラリネッ ト奏者氏のコンサートが終わって、ちょっと気が抜けたような感じ。
本日の数学の友として、ドビュッシーのピアノ 小品集 は何度聴いても耳が腐りそうな駄目録音CDなので業を煮やし、 耳直しにアンヌ・ケフェレックのヘンデル作品 集 に移行。次にペーター・シュミードルにしてはクラリネットの音色い まひとつの ベートーヴェンのクラリネット三 重奏曲。そして久々に内田光子のシューベル ト即興曲。さらに、ハインツ・ホリガーあたりで何か1枚と思ったけれど、 力尽きて就寝。
2006年7月1日(土)
<<人生の楽しみ方>>
嗚呼、もう7月になってしまった。本日ゲーテの日。
しかしその前に某コンサートにクラリネット奏者氏が出演すると
いうので、ちょっと立ち寄る。氏の演奏が終わったらタクシーを飛ばしてゲー
テに戻るという話もあったけど、何となくそのまま最後までコンサートを聴い
ていた。ひとつには、同じコンサートに出演する某ピアニストの演奏はぜひ聴
いて勉強しておくように(という言い方はしない人だけど)と、クラリネット
奏者氏に言われていたから。
まあ、私は氏の弟子のようなものである。私は楽譜も読めない人間だけど、 音楽を通して氏から人生の楽しみ方を学んでいるのである。ならば私は、数式 が読めない人間にも、数学を通して人生の楽しみ方を教えることができるのか?
コンサートの後は何となくJEUGIA三条本店へ。今日はちょっと趣向 を変えてドビュッシーのピアノ小品集を衝動買 い。EMI classicsだからと信用と実績の1785円也。特にPetite Suite Pour Piano à Quatre Mains (四手のための小組曲) は、本来はみずみずしく透き通 るような美しい小品集のはずだと思うけど、このCDの小組曲はちょっと期待 外れ。1982年とそんなに古くはないけれど、おそらく録音の仕方が悪く、 極端な言い方をすれば、まるで性能が悪くて消音し切れない消音機付きの ピアノの音を聴かされているようで、ピアノの音の軽やかな広がりが消えている。
私は音質が悪いともう駄目で、例えば歴史的名演奏の1940年のモノラル 録音などを聴いても、確かに名演奏だったんだろうなということは何となく 分かるけれど、あー!音悪うー!という思いばかりが先立ってあまり楽しめない。 以前クラリネット奏者氏からそういうCDを「人生の楽しみ方を学ぶ学習教材」 として与えられたことがあり、 後で「ね、綺麗な演奏だったでしょう?」と聞かれたのだが、「同じCDの ステレオ録音の演奏を聴いてこの演奏家の音色を確認し、このモノラル録音 の演奏と頭の中で音声モンタージュ処理を行うという複雑な過程を経ることにより、 『うん!これはきっと綺麗な演奏だったに違いない』と確信するに至りました」 と正直に答えておいた。
この野郎1785円返せ!とブツクサ言いながらも、 夜はスポーツクラブでへとへとになる。