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2006年6月15日(木)
<<数学がある>>
研究日。昼間は京大数理研図書室近辺。昨日まで得られていた「否定的結果」 の証明がうんと洗練され、それ自体はほとんど何の価値も無い結果、というよ りちょっとした「リマーク」に落ち着いてしまった。ま、私のやることだから、 そんなところである。また別の作戦を考えることにしよう。

夕方京大を離れ、バスと電車を乗り継ぎ17時前に大学に出勤。事務的な 用件を済ませてから、17時30分より19時まで会議。生協で夕食の後帰宅。 大学のバス停には、横殴りの激しい雨の中、なかなか来ないバスを待つ学生達 の長蛇の列。若い子たちって、こういう貧しい状況に置かれても輝いているん だと、ちょっと感心する。同じく貧しい状況に置かれた私には、彼らのような 若さはないかも知れないけれど数学があって、来ないバスを待ちながら新たな 進展は図れないものかと作戦を練る。夜はゲーテの宿題など。

本日の心の友は、ポールメイエの フレンチ・クラリネット・アートと ポールメイエとカルミナ・カルテットの クラリネット五重奏曲(フックス、ウエーバー)。

2006年6月14日(水)
<<好きにやらせろ!>>
昼食サバイバルの水曜日。昼食の分割摂取を行いつつ「留学生数学」および 「C言語とUNIX演習」。後者の授業では、TAと課題プログラム作成に励 む学生の監視をしながら、文部科学省科学技術政策研究所から発表された報告 「忘れられた科学ー数学」をぱらぱらと眺めてすごす。

この報告で提案されているような、数学の周辺分野に対する関心や連携を 保ちながらおおらかな発展を目指す方向と、「本物の数学」と「偽物の数学」 を厳しく峻別して「本物の数学」だけを守らんとする独善的な孤立主義とのせ めぎ合いは、日本の数学科ならどこでも見い出されることだと思う。

しかし、よそ者を近づけず「純粋数学の牙城を守り抜くんだ!」という、潔 癖症にとりつかれた17歳の少年のような頑張り方がかえって「牙城」の地盤 沈下を引き起こしている面はあるわけで、異質の者と手を組みながらも自分の 立場は一歩も後退させないようなしたたかさとしなやかさを持たないと、 数学(者集団)の未来は無いと思うけどね。

とは言っても、教室会議の徹底排除や数学・物理合同教室会議の開催 といった私の自爆テロ行為は、別にこういった思想的背景があるわけではなく、 権限とは自分が不愉快なことを避けるために使うべきだという、単なるエゴイ ズムなんだけどね。ただでさえかったるい仕事なんだから、せめて俺の好きな ようにやらせろ、と。

早めに大学を出て山科駅前SBUXで少し数学。先日とても興味深い対象 を定義し色々虫の良い予想を立てていたのだが、今日は「そういう対象は存在 しない」事が証明された。否定的結果だけど、一応「進展」としておこう。 でも数日後には、それやこれやは全て間違いだと判明して全てが振り出しに戻 るかもしれないな。ま、それも良くあることだけど。帰宅後はSBUXで考え た事を纏める。

さて、本日JEUGIA三条本店に電話を掛けて日本の市場に出回ってい るライネッケのクラリネット・ヴィオラ・ピアノの三重奏曲のCDを捜しても らったところ、1枚だけ見つかったので、早速取り寄せてもらうことにした。 何でも関東の方でFM放送会社の社長さんをやって生計をたてながら、クラリ ネットの演奏活動をしている人のCDらしい。ちなみに私は、某学会事務局の 事務長をやりながらオーボエの演奏活動をしている人を知ってるけど、その人 はCDは出してないようだ。

今日の心の友は、ザビーネ・マイヤーの「クラリ ネット三重奏曲(ブラームスおよびベートーヴェン)」、 「クラリネットコネクション」、 および、 「パリのメカニック」。 CD3枚しか持ってないけど、ザビーネ・マイヤーってインパクトが大きい。 一日の最後はハインツ・ホリガー 「無伴奏オーボエのための12の幻想曲」(テレマン)で 締める(予定)。

2006年6月13日(火)
<<金輪際やりません!>>
学科長モードの日。13時から14時15分まで学科長会議。その後、学科長 お仕事メールを軽く流してから、少し数学。さらに15時50分から17時過 ぎまで教授会。会議の後、事務のIさんに明日教室会議はあるのかと聞かれ、 「教室会議は金輪際やりません!」と大見得を切る。ああいう唯々腹が立つだ けの不毛な時間潰しに現を抜かすほど、私は人生を持て余してはいないのだ。 生協で夕食を挟んでまた少し数学をやってから帰宅。

夜も少し数学。私の浅知恵では、なかなかうまく行きません。本日の心の 友は、

  1. ザビーネ・マイヤーの「パリのメカニック」、
  2. エンマ・ジョンソンのクラリネット小品集Voyage、
  3. ハインツ・ホリガーの「オーボエ協奏曲(モーツアルトおよびシュトラウス)」、
  4. ハンスイェルク・シェレンベルガーのフランス・オーボエ名曲集、
  5. クラリネットというよりは笛のような「キラキラした音」ウルフ・ローデンホイザー のクラリネット五重奏曲(モーツアルト)
  6. リチャード・ストルツマンのクラリネット小品集ALIA。 ビブラート抜きの時は、ストルツマンの音色は絶品だ。
  7. じゃあ、もひとつ行ってみよー!と、さらにリチャード・ストルツマンの世の終わりのための 四重奏曲(メシアン)。

2006年6月12日(月)
<<平静を装う>>
研究日、とは言っても難問を前に良い戦略があるわけでもなく、何をすれば良 いことやらと溜息をつきつつ、午後は京大近辺へ。 敗色濃厚なときもうろたえずに平静を装うことは大事なことだ。 京大数理研図書室へ向かう 途中の進々堂で落ち着いてしまい、先週の初め頃まで考えていた事をまたぐじゅ ぐじゅと考え直す。夕方、JEUGIA三条本店経由で帰宅。夜も少し数学。 昼に考えたロクでもない事をノートに纏める。

本日の心の友その1はリチャード・ストルツマンの 「5つのバガテル」(フィンズィ)他。 ゲーテ・クラリネット奏者氏のフ ライブルク公演の「5つのバガテル」、聴きたかったなあ。これはまさにチャー ド・ストルツマンのための曲だと解説に書かれていたけれど、私が確信を持っ て断言できることは、これは同時にゲーテ・クラリネット奏者氏のための曲で もあるのだ。くっそー!それにしても何で京都でなくてフライブルクなんや!? 暴れてやるー!と発作に襲われている自分をぐっと押さえて平静を装う。

それから、かなり久しぶりにホロヴィッツのシューマン(トッカータToccata Op.7,子 供の情景Kinderschenen Op.15、クライスレリアーナ Kreisleriana Op. 16,アラベスク Arabesque Op.18,花の曲 Blumenstück Op.1 9). シューマンのお耽美な世界が堪能できる名演奏。

それからエンマ・ジョンソンの昔のCDでヴェニスの謝肉祭やウエーバーの変奏曲など 。 エンマ・ジョンソンも特にこのCDではラルフ・マンノに似たちょっと 野性味のある音を出している。その一方で、その後Voyageなどにみられるリチャード・ストルツマン(ほ どでもないにしろ)っぽい綺麗系の音に向かっていく片鱗も見られるところが 面白い。

2006年6月11日(日)
<<見つからない>>
野暮用の日曜日。午前中から何やかやと16時前ぐらいまで、自宅や山科区内 で野暮用。その後、京都駅近辺および四条烏丸・河原町三条近辺をうろつく。 この辺りCDショップを冷やかしたついでに、ライネッケのビオラとクラリネッ トが入った三重奏曲は無いかと色々捜したけれど、見つからず。ネットで検索 してもこの曲のCDはほとんど出ていない。ゲーテ・クラリネット奏者氏も、 ずいぶんマイナーというか、珍しい曲を発掘するものだ。 夜は数学。先週の初め頃まで考えていた事を整理。

今日の心の友は、内田光子の ピアノ・ソナタ第19番と20番(シューベルト)、 ラルフ・マンノの フランスもの、 ベニー・グッドマンのジャズだか何だか、そして ずいぶん久しぶりではあるが、アンドレアス・バッハのピアノで シューマンのピアノ・ソナタ Sonata Op.11、 アラベスク Op.18、 森の風景Waldszenen Op.82,3つの幻想曲Drei Fantasiestücke Op.111(曲の邦訳は私が適当につけたもの)。森の風景を曲にするとは、いかにも シューマンらしいって感じがするな。

最近はCDばかりで全然本を買わないけれど、今日は四条のジュンク堂書店に 立ち寄ったついでに、中島義道「働くことがイヤな人のための本」を購入。私 はべつに働くことがイヤではないけれど、この本を読めば、何故私の人生がか くも切羽詰っているのか、その理由が見つかるのではないか、と。

2006年6月10日(土)
<<生涯の禍根>>
ゲーテの日。クラリネット奏者氏は、7月のコンサートでカール・ライネッケ の三重奏曲(クラリネット、ヴィオラ、ピアノ)を演奏する予定だというので、 ライネッケの曲想を理解する上で参考になればと、ちょうど持っていたクラリネット幻想曲・三重奏曲(クラリネット、ホル ン、ピアノ)・六重奏曲のCDをお貸しすることにした。今や活動の拠点 をヨーロッパに移した観のあるクラリネット奏者氏の待望の日本公演である。 この機会を逃がせば生涯の禍根となることであろう!とゲーテ内で触れ回っ ておいた。

生涯の禍根といえば、私は最近まで、学生時代に微積分学の勉強をさぼっ た事を後悔していた。これがもとで大学院入試に落第し、その後15年ぐらい 人生を浪費してしまったから、というのがその理由だが、今はもうそんな 事どうでも良くなってきている。そんな事がどうでも良くなるほど、 人生切羽詰ってきているというべきか。では、何故人生切羽詰っているのか? 切羽詰ることは良いことなのか?これについては、よく考えてみる必要が あると思う。

ゲーテの帰り道は、例によってJEUGIA三条本店で道草。ライネッケ のCDを捜してみたけれど、クラリネット、ヴィオラ、ピアノの三重奏曲は見 つからず。夜はスポーツ・クラブ。数学はなし。今日の心の友は、 ラルフ・マンノの現代ものと ベートーヴェンもの。

2006年6月9日(金)
<<こっそり解決する>>
院ゼミ・卒研ゼミの日。途中1時間15分の昼休みを挟んで、11時より17 時半まで学生相手にゼミ。その合間に密かにあるルーチン的な問題を2つ ばかり解く。プロならば誰でも即答できなければならない問題群(ルーチン) が何となくあるのだが、それを全て完璧に押さえているかというと、私の場合 は時々そうでもないことが起こる。かと言って今更他人に聞くわけにもいかず、 表向きはそんなの当然知ってますよという顔をしておいて、裏では「やばい!」 と思いながらこっそり自分で解決するのである。

今日の心の友は、 ラルフ・マンノのフランスもの、 内田光子のシューベルト即興曲、 エンマ・ジョンソンの クラリネット協奏曲集(クルーセル、コーゼルーフ、クローマー)、 セーバ・クレーニャンのクラリネット 幻想曲・三重奏曲・六重奏曲(ライネッケ)、 および ベニー・グッドマンの ジャズなんだかクラシックなんだかよくわからないCD.

夜は少しだけ数学をやってから、最近さぼり気味のドイツ語のお勉強を 少し。

2006年6月8日(木)
<< Xデーは近いのか?>>
研究日。昨日から4日間の予定で奈良市内で開かれている、某数学理論の勉強 会に1日だけ日帰り参加。自分で文献を読んで勉強してもいいのだけど、賢い 人達と一緒だと色々得るところが大きい。今夜は京都市内で開かれる某コンサー トに行こうかと思っていたのだが、勉強会参加のため中止。

奈良行きの友は内田光子のシューベルト とエンマ・ジョンソンの各種取り合わせ。

帰宅後に気づいたのだが、私があまりにも教室会議を開かないので、本来 なら教室会議の「その他議題」として小1時間ぐらい費やされるいくつかの話 題が、今日の昼間メールで飛び交っていたようだ。良い傾向だ。会議なんかし なくても学校運営ができることを、人々は学び始めたというわけだ。この習慣 が定着すれば教室会議は過去のものとの意識が定着し、入試採点打ち上げ廃止 とあいまって教室の結束は弱まり、この私が稀代の馬鹿学科長をやっている在 任期間中に数理科学科崩壊のXデーを迎えることも、あながち夢でもあるまい。 そしてある者は野望と戦略を胸に華麗な転職を果た し、ある者は路頭に彷徨う青テント生活に突入し、そしてある者は猫になって 1秒たりとも 会議のない日々を心から楽しむことであろう。

夜はさらにエンマ・ジョンソンの協奏曲集 (クルーゼル、ウエーバー、ベーマン、ロッシーニ) と内田光子のシューベルト即興曲などを心の友に、 少し数学。しかし人生の疲れが溜まって眠いので、早く寝る。

2006年6月7日(水)
<<猫になればよろしい>>
昼食サバイバルの水曜日。10時半頃に「前倒し昼食」を少し腹に詰め込み、 いざ出陣。10時40分から12時10分まで「留学生数学」。微積分の教科 書の演習問題や他の授業で配布されたプリントの問題の答を教えてくれと、質 問攻めにあう。私は学生時代に微積分が出来なくて結局大学院に入れてもらえ なかったんだけど、こういう授業を担当すると結構鍛えられるし、ボケ防止に もよろしい。医者は救急病院で働くと短期間でぐんと腕が上がるとか言うけれ ど、何が飛び出すかわからない質問攻めというのは、ちょっとそれに似ている。

「留学生数学」の後、光速帰還するも昼食時間は7分間。12時30分か らの「C言語とUNIX演習」の教室に向かいながら食後のコーヒー。14時 「演習」終了。その後、学科長のお仕事を1時間ほどやってから、数学。今日 は教室会議の日だけど、当然会議はやらない。会議をやらなければ潰れてしま うような数理科学科だったら、潰れてしまえば良いのである。会議をガンガン やったぐらいで潰れてしまうような数理科学科だったら、ガンガン会議をやっ て潰してしまえば良いのである。たまの会議に引っ張り出されて猫を羨ましが るぐらいなら、いっそのこと猫になってしまえば良いのである。簡単なことさ。

帰宅後も少し数学。今日の心の友は、リチャード・ストルツマンの世の終わりのための四重奏曲, シャロン・カムの二重奏曲集, 内田光子のシュー ベルト「ピアノ・ソナタ第19番・20番D.958、959」, セーバ・ クレーニャンのクラリネット幻想曲・三重奏曲・六 重奏曲(ライネッケ), ベニー・グッドマン , ここに収録されているバルトークの「コントラスツ」を聴き比べようと ラルフ・マンノの現代もの、 さらに今日という日の最後は、やはり時々聴きたくなってくるゲーテ・ クラリネット奏者氏のデビューCDで締めくくる(予定)。

毎日音楽を聴いていると調子の良い日と悪い日があるようだ。例えば一度 に大量のおじさん達を目の当たりにして、人生の希望を一瞬見失ってしまった 日などは調子が悪いらしく、内田光子のシューベルト「ピアノ・ソナタ第19 番ハ短調D.958」の特に第4楽章あたり(ここが一番聴かせどころだと思 う)を聴いていても何とも感じず、「ああ、私はもう本当に駄目になってしま うのかしら」とちょっと焦ってしまう。今日は調子が良いみたいで、ライネッ ケもしみじみとした味があって「ああ、いいなあ」と思うことができた。

2006年6月6日(火)
<<潰すのって案外簡単?>>
子供の頃は「6月6日の参観日。三角定規にヒビ入って。アンパン3つに豆3 つ云々」と歌ったものだが、近頃はどうなのだろう。それはさておき、本日学 科長モードの日。13時より14時半頃まで学科長会議。その後すこし学科長 メールを出したりして雑務をやった後、少し数学。17時半から22時10分 まで「数学・物理合同教室会議」と称して会議とも説明会ともつかない会議。

どうも実験系のおじさん達は数学者とは比べ物にならないぐらい元気なよ うで、休憩無しで5時間ぐらい会議しても、まだまだ2、3時間ぐらいはやれ ますよと平気な顔をしている。何を食べたらそんな風になれるのか知らないが、 これには驚いた。もし数学教室で週に2,3回程度夕方17時半から禁足令付 きの会議を5時間ずつぶちかませば、おそらく1、2ヶ月で数学者達はネをあ げ、ほぼ全員が辞表を提出し、ある者は華麗な転職に成功し、ある者は甘んじて 野垂れ死にする道を選ぶことであろう。つまり数理科学科を潰すのなんて案外簡単で、会議を ガンガンやればよろしい。

私も「教室会議はやらない」というこれまでの方針を転換して、教室会議 をやりまくる方に走って自爆テロを成功させようかしらなどと思いながら大学 を出たのが22時半だが、うまい具合にK川先生の車に乗せてもらって光速帰 宅。家に着いたのは23時過ぎ。

どうもウチの数学教室と物理学教室は犬猿の仲らしくて、 特に数学者の物理学者嫌いの傾向が強く見られる。まあ、そのお陰で私は ウマウマと情報学科から数学教室に移籍できたのだけど。しかし、何故 彼らが犬猿の仲なのか、私にはよくわからない。 今の物理の学科長もよくわからないらしく、二人で 「どうしてなんでしょうね?」と首をかしげているのだ。もっとも 有望な説として、近親憎悪説は古くか ら指摘されているが、今日ふと思いついた仮説は、会議に対する耐性が弱い方 (数学)が強い方(物理)に嫉妬するという構造があるのかしら、というもの。 ま、あくまで「仮説」ですが。

さて今日の心の友は、 ザビーネ・マイヤー「パリのメカニック」、 ハインツ・ホリガーの「オーボエ協奏曲(モーツアルトおよびシュトラウス)」、 リチャード・ストルツマンの「5つのバガテル」(フィンズィ)他、 およびラルフ・マンノの現代もの. 決して綺麗な音ではないけれど、ラルフ・マンノは疲れた心に効きます。

2006年6月5日(月)
<<だから潰れるのさ>>
研究日。午前中は自宅で、昼頃から京大へ。ルネで昼食の後、進々堂、数理研 図書室と移動。夕方はまた学生時代のように今出川から東山三条まで、そこは かとなく数学を考えながら裏道を歩く。夜も、学科長メールを1つ2つ出して から、また少し数学。

学科長というのは単なる雑役夫だと思っていたのだが、案外責任が重く重 要な仕事があって、教室会議で意味のわからない議論の相手をして暇潰しをす るような暢気なことはやってられないことがわかってきた。「教室会議は徹底 して開かない」という方針は、単にブチ切れたからそうしうているだけなのだ が、案外正鵠を得ているのかも知れないなって気がしてきた。じゃあ、お前は その「重要な仕事」とやらをちゃんとやってるのか?というと、それがそうで もなくテキトーなんだよね。(だから数理科学科はこの馬鹿学科長のせいで もうすぐ潰れるのさ)

さて、昨日はエンマ・ジョンソンを聴きまくったけれど、もう一度聴いて みたいと思う演奏も特になく、全体としては「ふつー」としか言い様のない。 今日はラルフ・マンノのフランスもの を聴いて みたのだが、曲目がドビュッシーの「ラプソディーNo.1」「小品」、プー ランクの「ソナタ」、ミョーの「デュオ・コンチェルタント」「カプリス」 「ソネチネ」、オネゲルの「ソナタ」と、ほぼ ポー ル・メイエの「フレンチ・クラリネット・アート」 と同じである。音の 柔らかさ温かさふくらみ、それらが醸し出す情感の豊かさからして、やはりポー ル・メイエの演奏の方が断然良い。ラルフ・マンノは綺麗というよりも個性的 な音なので、曲によって結構当たり外れがあるような気がする。あと、ライネッケもちょっと面白いんだけど、もひとつ すっきりせんなあって感じ。

どれもこれもどうもパッとしないなあと思いながら ベニー・グッドマンを聴いてみたら、これが結構 良かった。ベニー・グッドマンがこんな綺麗な音でいい感じだとは知らなかっ た。曲目はバーンスタイン「プレリュード、フーガとリフ」、コープランド 「クラリネット協奏曲」、ストラヴィンスキー「エボニー協奏曲」、グールド 「クラリネットとバンドのためのデリヴェーション」、そしてバルトーク「コ ントラスツ」。最後の「コントラスツ」は、バルトークがグッドマンのために 作曲した曲だそうで、ラルフ・マンノの現代もの にも入っているのだが、このCDでは残念ながらこの曲だけがモノラル録 音である。

2006年6月4日(日)
<<この人、ムリです!>>
日曜日なのに適当に早く目が覚めて何となく数学を考えてしまう。こうなると もう寝てられず、起きあがってメモに書き留めたりその先を考えてみたり。ほ とんど自明に近いつまらない事が少しわかっただけだが、まあ、兎に角進展は 進展だ。午前中はそれやこれやで終わり、昼前からいつも通り野暮用の日曜日 に突入。夜はまた少し数学。

数学の友、本日のメインはエンマ・ジョンソン。まずは、「ヴェニスの謝肉祭」他。シューマンの「幻想 小曲集」は定番曲。あとは、C.M.ウエーバーの「7つの変奏曲」と「グラ ンド・デュオ・コンチェルタンテ」、A.ジャンピエリ「クラリネットとピア ノのための二重奏曲」やD.ロヴェリーリョ「『椿姫』のモティーフによる協 奏的幻想曲」。「7つの...」はどこかで聴いた覚えがあると思ったら、ジルバース・ドウ・ペイエの大外れCD にも入って いた。どの曲も特に熱狂的には感動しないなあ。

では、次行ってみよーと、 クルーゼル、コゼルーフ、クロマー、ウエーバーのク ラリネット協奏曲集 (その1) および(その2)。 クルーゼル(B. H. Crusell)のクラリネット協奏 曲<は カリ・クリークのCD でも持ってい るけど、結構いい曲である。カリ・クリークの演奏はより軽快な感じがあって良いけ れど、クラリネットの音はエンマ・ジョンソンの方が綺麗である。ウエーバー はザビーネ・マイヤーのクラリネッ トコネクションに入っているクラリネット協奏曲(Op.73)がしみじみと良 い曲だと思うけど、ジョンソンのCDに入っているOp.26の方や、その他の曲は特に感動しない。 コゼルーフ(L. Kozeluch)やクローマー (F. Krommer)のクラリネット協奏曲は何となくモーツァルトの影響が濃厚な感 じ(特にコゼルーフの方)。まあ、モーツァルトと同時代の人だし、当時あん な感じの曲が流行ったのでしょう。

エンマ・ジョンソンのクラリネットの音は、それぞれずいぶん違っていて、 手元にある一番新しいVoyageはリチャード・スト ルツマンっぽい綺麗な音だけど、上のCDではラルフ・マンノっぽかったり、 もうちょっと違った音だったりと、色々である。

あとは、ライネッケのクラリネット幻想小曲集、 三重奏曲、六重奏曲集. うーむ。クラリネットの音といい曲想といい、特 にどうってことも無い感じだけど、ちょっとブラームスっぽい感じが独特の 味を出している。

クラシック音楽中毒の症状が半年ぐらい前から更に悪化してCDウオーク マンが手放せなくなっているのだが、そのせいで耳がおかしくなったのかしら。 近頃は、テレビの音や街の騒音、腹に力の入った元気一杯のおばさん達の会話 の声、男のキンキン声等が耳障りでしょうがなくなってきた。少なくとも「お 前ら!もうちょっとヴォリュームを下げんかい!!」と吠えたくなる。特に地 声がデカくてキンキン声の男はそれだけで私の心の中ではかなり大きめのバツ 印が付き、さらに彼がおじさんだったりすると「あー、この人。ムリです」っ て感じになる。

2006年6月3日(土)
<<おじさんはずうずうしい>>
ゲーテの日。相変わらず滅茶苦茶なドイツ語を喋っているのだが、度胸だけは ついてきた。しかし実際はドイツ語は退化していて、度胸は単におじさんのず うずうしさの表れなのかも知れない。私はもともとずうずうしい人間だけど、 加齢に伴ってずうずうしさに益々磨きがかかってきたような気がする。

ずうずうしい私は、今日もクラリネット奏者氏から大量CDをお借りした。 先日、エンマ・ジョンソンってちょっと気に入りましたと一言言えば「エンマ・ ジョンソンは確かウチにもありましたね」と、 クルーゼル、コゼルフ、クロマーやクルー ゼル、ウエーバー、ベアーマン、ロッシーニ のクラリネット協奏曲や変 奏曲、はてまたヴェニスの謝肉祭やウエーバー の変奏曲など のCDが出てくるし、ラルフ・ マンノの現代ものは結構良かったですと言うと、「ああ、その中のバルトー クの曲はベニー・グッドマンのために書かれた曲ですよ。留学生時代の卒業試 験で演奏しました」とベニー・グッドマンのCD が出てくるし、「そういえば、貴方がお好きなラルフ・マンノでしたら、 ウチにも1枚ありました」と ラルフ・マンノのフラ ンスものが出てくる。で、「じゃあ、これでまたしっかり勉強してくださ い」(とは言わないけれど)という感じで上記5枚のCDが目の前にどさっと 積み上げられるのは、何とも楽しい。

氏のCDコレクションを全部聴けば、氏の脳味噌に何が入っているか解明 できて、その芸術的感性の秘密がわかるかも?でも、あの膨大なコレクション を全部聴き終わる日と石油が枯渇する日とどちらが先になるかしら?などと途 方もないことをふと思ったりもする。

今日5枚もCDを借りてきたのに、さらにJEUGIA三条本店でライネッケのクラリネット幻想小曲集、三重奏曲、六 重奏曲集 を衝動買い。カール・ライネッケ(Carl Reinecke 1824-1910) はブラームスの影で霞んでいるドイツの「マイナーな作曲家」だけど、結構綺 麗な曲がありますよとクラリネット奏者氏が言うので、信じるものこそ救われ る2199円也。

2006年6月2日(金)
<<大学教授失格>>
人生の疲れには睡眠だ!と昨夜は数学を考えながら早めに寝たのだが、5時過 ぎにふと目が覚めてしまい、寝る前に考えていた数学の続きを考えてしまい、 1時間ほど布団の中で悶え苦しみそのうち気を失う。結局睡眠不足のまま8時 起床。10時過ぎ出勤。事務的な書類をひとつ書いて提出した後、11時より 16時頃まで院生O君の院ゼミ。途中1時間15分の昼休み時間に図書館で論文を ひとつコピー。16時過ぎより4回生Y君の卒研ゼミ。1時間ほどで終了。

このタイプ別性 格診断は、以前は何度やってもINTP型「問題を解決し たがる」だという判定が出て「考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描い たようなタイプがINTP型である」という解説文に気を良くしていたのだ が、最近は何度やってもISTP型「何でも一度は試してみる」タイプの判定 になってしまう。Yes・Noどちらともいえない 設問に対して別々の回答をしたりして、今日も2、3回やってみたのだが、 やはりISTP型になってしまう。

一体いつの間に大学教授失格になってしまったのかしなないが、 これはゆゆしき事態である。それにしてもISTP型の 「控えめで、打ち解けず、対人関係に用心深いが、なんでも一度は試してみようとする」 で始まる解説文を読んでいくと、(バイク好き云々の部分を除いて)いつの間に 私の事をそんなに詳しく調べたんだよう!と叫びたくなってくるのだが、すぐ に結果に結びつく事だけに興味があるというような事が書いてあり、それでは 全く数学には向いてないではないか!と愕然としてしまう。

確かに数学以外のことでは、抽象的で理屈っぽいことは嫌いだし、効率良 くすぐに目に見える成果が出ることが好きである。でもそれは、色々な雑事を さっさと片付けて、数学やその他の美しい世界に遊ぶ時間を少しでも沢山確保 したいからなんだけどね(と言い訳をしておく)。

夜は、(数学に向いていようがいまいが)数学したり、ドイツ語の予習を したり。

今日の心の友は、 ハインツ・ホリガーの「オーボエ協奏曲(モーツアルト)」、 エマ・ジョンソンのVoyage 、 ラルフ・マンノのベートーベン、 さらに最近ご無沙汰していたシューベルトのピアノ曲で、 Jeno JandoとZsuzska Kollarの4 手連弾(序曲D675, 幻想曲D940, ドイツ舞踊D618, 変奏曲D968a, 3つの英雄 的行進曲D602) そして、Sontraud Speidel & Evelinde Trenknerの4手連弾で、 かつて狂いに狂った キプロスの女王ロザムンデ。 はてまた、ビブラートが気持ち悪い!と毛嫌いしていた リチャード・ストルツマンのALIAをもう一度。最後はクリスチーナ・ オルティッツのピアノでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」と第 14番の「月光」で締めてみる。

2006年6月1日(木)
<<何だかよくわからない>>
とうとう6月になってしまった。本日研究日にて京大数理研図書室近辺を呻吟 しつつ徘徊すれど、中年老い易く学成り難しといったところ。出るのは溜息ば かり也。ところで以下の詩は老い易い中年になる前からずっとお気に入りであ る。

「贈物にそへて

兵隊どもの列の中には、
性分のわるいものが居たので、
たぶん標的の図星をはづした。
銃殺された男が、
夢の中で息をふきかへしたときに、
空にはさみしいなみだがながれてゐた。
『これはさういう種類の煙草です』
萩原朔太郎」

別に煙草でなくてもいいけれど、この詩に匹敵する言葉を添えて誰かに贈物 をしてみたいとずっと思っていたのだけど、いまだに実現していない。実現の ためには2つの条件をクリアする必要があって、ひとつめの条件は「この詩に 匹敵する言葉」を思いつくこと。朔太郎の向こうを張ろうというのだから、こ れは無謀としか言い様がない。もうひとつは、その言葉を読んで「何だかよく わからないけど、いいですねえ」と言ってくれる相手が存在すること。「何だ かよくわからないけど」というところが大事で、実際私も上の詩は「何だかよ くわからない」けれど「いいなあ」と思っているのである。

今日の心の友は、ザビーネ・マイヤーのブラーム ス&ベートーヴェン とラル フ・マンノのベートーベン。

先日のゲーテのレファラートの時、「ベートーヴェンのピアノ曲とモーツァ ルトのピアノ曲を聴いたことがあるけれど、両者ははとても良く似ていて区別が つかなかった」という意見の人が居て、ちょっとびっくりした。私は楽譜も読 めないし楽器も演奏できないし歌ってみせようにもマトモに声が出ない人間だ けど、もしピアノが弾けたらシューベルトとショパンとバッハとモーツァルト とベートーヴェンのピアノの使い方の違いをサワリの部分を弾いてみせて、そ の違いを一瞬でわからせる自信があるのだけどなあ。でもそんな自信なんて、 あってもしょうがないんだけどね。