の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2006年5月15日(月)
<<シャロン・カム>>
研究日。朝のうちに自宅で野暮用を済ませてから、数学。大学の研究室に置い
てきた論文を見たかったのだが、出勤するとロクな事は無さそうなので昼頃京
大数理研図書館へ。数ヶ月放置してあった戦略をもう一度見直す。戦略見直し
の友はリチャード・ストルツマン。ストルツマンのCD
に入ってるフィンヅイの「5つのバガテル」はほのぼのとしたいい曲で、
ちょっと泣けてくる。
ゲーテ・クラリネット奏者氏のフライブルク公演、聴きたかったなあ。ふらい
ぶるくに行きたしと思へどもも、ふらいぶるくはあまりに遠し、せめては新し
きCDを買って、近場のコンサートにでも出でてみん、とラルフ・マンノのC
D買ったり京都アルティーのコンサートに行ってみたりしてたんだけどね。夜
はシャロン・カムと
やっぱりまだ手放せないラルフ・マンノの現代音楽物
を聴きながらファラートの準備など。今日はほとんど漫画ばっかりのOHP
を完成させた。
さて、借り出しCD今日の1枚は、上でも少し述べたシャロン・カムの「幻想曲」と「ロマンス」(シューマ ン)、「ラプソディー」(ドビュッシー)、「ソナタ」(プーランク)、「テー マとヴァリエーション」(フランセ)。ピアノの伴奏付きクラリネット曲 の定番曲てんこ盛りCD。シャロン・カムを聴くのは初めてだけど、この人の クラリネットは表情豊かだという印象。最初は「元気が無い日のラルフ・マンノ」 みたいに思えたけれど、そのうち一瞬だけジルバース・ドゥ・ペイエの悪霊が 浮かび上がったかと思うと、透明感をちょっと消したアルフレート・プリンツ みたいになって、すかさず元気一杯が止まらないザビーネ・マイヤーばりの張 りのある音に移行するといった感じ。ゲーテ・クラリネット奏者氏によれば 「コンサートで聴いた生の音はCDよりも良かった」そうである。
音も結構いいし超絶技巧だし、かなり上手いんじゃない?って思うんだけ ど、ふるいつきたくなるような魅力はあんまり感じないなあ。例えばラルフ・ マンノって、私はいまだにあれで音が綺麗かどうか上手いのか下手なのかよく 分からないままに「人間やめますか?それともラルフ・マンノやめますか?」 状態に陥ったし。人の心を動かすのは、とどの詰まりは音色やテクニックとは 別のものなんだろうね。
2006年5月14日(日)
<<内田光子>>
夕方頃まで自宅や山科区内でせっせと野暮用。夜は数学。先日思いついた
「ちょっといい事」の可能性を色々当ってみたけれど、結局全然うまく行かな
いことが判明。ま、数学研究ってこんなもんよ。また次の事を考えるさ。
さて、借り出しCD今日の1枚は、内田光子「ピア ノ・ソナタ第19番ハ短調D.958、第20番イ長調D.959」(シュー ベルト)。シューベルトの ピアノ・ソナタの19番を聴くのは初めてで ある。20番は私の好きな曲の一つで マッ シミアーノ・ダメリニのCDを持っている。内田光子は有名なピアニスト らしいけど、演奏を聴くのはこれが初めて。第一印象は「ベートーヴェンみた いなシューベルトを弾く人だな」というもの。ピアノの音が深くて、澄んでい て、それでいてしっとりと重いから、そういう風に感じたんだなと、二回目に 聴いた時にわかった。非常にバランスの取れた演奏だけど超絶技巧マシーンみ たいではなく、何かしら胸に迫る深い情感が込められている。大変よろしい。
ストルツマン、赤坂達三、ラルフ・マンノ、ポール・メイエ、シャロン・ カムと、今日も沢山クラリネットのCDを聴いたけど、最後の締めはゲーテ・ クラリネット奏者氏デビューCD。
2006年5月13日(土)
<<5つのバガテル>>
3週間ぶりのゲーテの日。教室会議ぶち切れ体験のフラッシュバックをラルフ・
マンノの現代音楽物CDで押さえつつ、ゲーテへ。道すがら、正しい自爆テロ
リスト学科長としてのあるべき姿に思いをめぐらす。やはり結論は単純だ。
「純然たる事務的作業以外の案件では決して教室会議を開催しないこと。」こ
のことを徹底する以外にぶち切れ回避の道は無い。
今日もゲーテ・クラリネット奏者氏から何枚かCDをお借りした。こうい う調子でやっていると、一人でちまちまとCDを買い集めてコンサートに通って たんじゃあ10年かかっても知りえない世界を、たった数ヶ月で知ることがで きる。これによって、ああ、近頃私の人生は急速な進化を遂げつつあるなという 実感が湧いてくるのである。急速に進化してどうなるかというと、「あ、なーんだ。 そういうことだったのか」と納得してぽっくりと。。。この話、くどい からここで瞬殺打ち切り。
それともうひとつ。私は常々、氏の演奏が持っている不思議な魅力の秘密 を知りたいと思っている。だから、あなたは日々何を思ってクラリネットを吹 いているのかという事を手を変え品を変え聞いたりするのだけど、返ってくる 何気なさそうな答から、ああ、やはりこの人は真正の芸術家なのだとわかるの だが、それ以上のことは分からない。
まあ、分からないのは当然かも知れない。優れた数学者がなぜ次々と深い 定理を発見できるのか、その秘密を知りたいと思って、あなたは日々何を思っ て数学をやっているのかという事を手を変え品を変えて聞いたところで、返っ てくる何気なさそうな答から、ああ、やはりこの人は真正の数学者なのだとわ かるだけで、それ以上のことは分からないはずである。それと同じかしら、
さて、借り出しCD今日の1枚はリチャード・ストルツマンの「5つのバ ガテル」と「クラリネット協奏曲ハ短調作品31」(フィンヅィ)他。フィン ヅィ(Gerald Finzi 1901 -- 1956) はイギリスの作曲家。「5つのバガテル」 は私の好きな「ほろりとさせる」ほろり物。リチャード・ストルツマンの妙に 美し過ぎる音色はARIAではちょっと違和感をもっ たけど、この曲にはよく合っている。でも、ポール・メイエが演奏してもいい 感じになるだろうという気もするのは、何となく フレンチ・クラリネット・アート の雰囲気にちょっと似てるから。
それと、最近は日本ではあまり公演しないクラリネット奏者氏が、先日フ ライブルクでこの曲を演奏し好評だったそうである。そりゃあそうだろうなっ て気がするのは、この曲が氏の演奏が持っているものに何となく合ってそうな 感じがするから。氏の演奏ってあまり聴いたことないのに、こんなこと言うのは 変かもしれないけどね。
2006年5月12日(金)
<<分かってない>>
昨夜は布団の中で何となく数学を考えていたのがいけなかったのか、一昨日の
教室会議でぶちキレたのが尾をひいていたのか、それとも夜9時前に濃いコー
ヒーを飲んだのがいけなかったのか、明け方近くまで寝付けず。今朝は、半分
眠った状態で10時半頃出勤。
11時から13時過ぎまで院生O君のMatsumuraゼミ最終回。来 週からいよいよ基本文献の論文を読みながらの研究ゼミに突入予定。その後す こし遅めの昼食、学科長のお仕事、そして少し数学。16時から17時半過ぎ まで、4回生Y君の卒研ゼミ。その後また少し学科長のお仕事。帰宅後は、レ ファラートの準備と明日のゲーテの予習らしきことを少し。レファラートは、 ドイツ語そっちのけで OHPで漫画を沢山描いて紙芝居じみた事をやろうという趣味的世界に突っ走っ ているので、準備作業が少し大変である。結構楽しいけどね。
今日も心の友はラルフ・マンノ。しかし昨日と違って現代音楽物ではなく、 シューマン物とベートーヴェン物ばかり聴きたくなるのは、恐らくぶちキレ状 態がとりあえず解消しテンションが通常状態に戻ったからではなかろうか。な どと他人事のように書いているということは、やっぱり私は自分のことが分かっ てないということだ。
自分のことが分かった瞬間に、「あ、なーんだ。そういうことだったのか」 と納得してぽっくり逝くという死に方は美しいと思うけど、そんな調子には行 かんだろうなあ。美しく死のうなんて、傲慢だ。
2006年5月11日(木)
<<まだキレてる?>>
研究日。昨日はやっぱりキレてたようだけど、まあ、いいやと思いつつ山科駅
前Sbuxで昼食の後、昼過ぎに京大数理研図書室へ。昨日思いついた「ちょっ
といい事」について色々調べたり考えたり。それから喫茶進々堂でもう少し考
えてから帰宅。学科長人気者メールがいくつか届いていたけれど、今日は研究
日なので、学科長備忘録ノートに書き留めて瞬時に忘却!数学ってやはり難し
いもんだなと思いつつ、夜もまた数学。
今日はサビーネ・マイヤー「パリのメカニック」とラルフ・マンノの例の CD3枚(現代音楽物、ベートーヴェン物、シューマン物)を持ち歩いていた けれど、昨日に引き続きほとんど現代音楽物のCDばかり聴いていた。数学研 究促進効果はたぶん気休めだろうけど信じる者こそ救われるだろうし、「微妙 に外れ」と書いたストラヴィンスキーも完全に無視してたバルトークもそんな に悪くないし、ミョーやハチャトゥリャンは聴けば聴くほどしみじみと良いし、 それやこれやがぶち切れた心を癒し、研究日の幸福感を増幅させ、私に人生の 意味を知らしめ、明日への希望を与える。こんなにご利益のテンコ盛り状態な のに600円そこそこなんだから、超お買い得CDと呼ばずして何と呼ぼうか、 と微妙に過剰気味な絶賛の嵐。うーん、やっぱりまだキレてるのかなあ。
2006年5月10日(水)
<<私、キレてます?>>
早起きの水曜日。10時過ぎに大学へ。まずは10時40分から12時10分
まで「留学生数学」。授業後研究室に光速帰還すれば昼食にありつけると思い
きや、2名の学生達の質問に捕まる。うーむ。「留学生数学」は留学生達が数
学についてのありとあらゆる質問を自由にして良い時間だから、質問をするの
に授業が終わるまで待っている必要は無いことを彼らにきちんと伝えない限り、
私は昼飯にありつけないのだと悟る。空腹を抱えて12時30分から14時ま
で「C言語とUNIX演習」。今度は研究室に光速帰還。そして昼食。そして
1時間半ほど数学。
16時より17時20分頃まで、久しぶりに教室会議。そして久しぶりに わけのわからない議論。あー、こりゃあ駄目だと迂闊にも教室会議を開いて しまったことを深く深く後悔する。兎に角、不毛な議論を得意技の学科長権限 乱用で強引に瞬殺打ち切る。うーむ。数学という学問の百年二百年単位の発展のため を思えば、こういう議論をしている学科は早く潰した方が良く、やはり私の 自爆テロリスト学科長路線は正しいのだ、と。あっ!今の私ってキレてます?
それやこれやの合間は、数学。ちょっといい事を思いついたのだけど、う まくいくかしら。今日も心の友はおもにラルフ・マンノ。教室会議のぶちキレ 対策にザビーネ・マイヤー「パリの メカニック」を持っていって聴いてみたけれど、あまり効かず。今日はラ ルフ・マンノの現代音楽物 の方がよく効い たみたい。
2006年5月9日(火)
<<単なる憶測>>
学科長会議の無い奇跡の火曜日である。午前中は自宅で野暮用と少しばかり数
学。午後は出勤して雑用とまた少しばかり数学。帰宅後は数学。
今日は一日ラルフ・マンノばかり聴いていた。 現代音楽物も昨日思ったよりもいい感じだし、 シューマン物もペーター・シュミードルと比 べたりしなければ十分満足できるし、 ベートーベン物もやはりいい。
普段は街を歩きながらとか数学や学科長のお仕事をやりながら音楽を聴き 流す感じだけど、コンサートとなれば演奏を聴くことに集中するわけである。 私は多少音響効果を犠牲にしてでも演奏者の近くで聴きたがる方で、それはそ の方が演奏者の息遣いや表情などから、彼らがその曲や演奏に込めようとして いる想いが読み取れそうな気がするからである。 コンサートなどの演奏に「ぐっと来る」瞬間というのは、そうやってして 読み取れた演奏者の想いが演奏の中にちゃんと表れている時ではなかろうか、 というのは単なる憶測ですけど。
2006年5月8日(月)
<<奇跡のメール>>
いつの間にか世間の連休は終わったらしい。朝は10時頃に起きて、いつもの
ように、朝食、野暮用、昼食、数学、野暮用。ああ、何て単純で幸福な生活な
んでしょう。単純生活の友は、久々にシューベルトのピアノ曲。まずは久々に
聴く エリザベス・レオンスカヤのピ
アノでシューベルトの「幻想曲D.760(さすらい人)」と「ピアノ・ソナ
タ18番 D.894」。これは2年前の今頃エッセンで買った初めての
シューベルトである。次は、
マッシミアーノ・ダメリニのピアノでシューベルトの
「ピアノ・ソナタD.959、D844,D655」vol.2
(ただし画像はvol.1 のピアノ・ソナタD960、D625の方。
vol. 2のジャケットもほぼ同様のデザイン)。
私の連休は今日までで、明日はいきなり学科長会議でバトルだなと思っていたら、 事務長から「明日の学科長会議は議題が無いので中止」という奇跡のようなメー ルが飛び込んできた。まさか、旧暦のエープリル・フールとか言い出さないで しょうね。と、嬉しくなって夕方は ハインツ・ホリガーを散歩の友に JEUGIA三条本店に繰り 出す。嬉しい時はCDの衝動買いだ。悲しい時もCDの衝動買いだ。 先日のラルフ・マンノの大当たりに味をしめて、ARTE NOVA classicsの激安CDシリーズから、またもラルフ・マンノのCDを2枚、 どうだ参ったかの合計1358円也。夕食後はこの2枚のCDを繰り返し聴き ながら、数学。連休中に片付けようと予定していた、 サーベイ・ノート改訂作業を終了させる。
さて、本日の衝動買いCDその1は、4人の現代の作曲家、ダリウス・ ミョー、ベーラ・バルトーク、イーゴリ・ストラヴィンスキー、アラム・ハチャ トゥリャンたちのクラリネット、ヴァイオリン、ピアノの三重奏曲を集めたも の。私はフランス6人組の一人ミョーとストラヴィンスキーしか 知らない。ストラヴィンスキーは当り外れが大きいし、現代音楽物は要警戒だ と思いつつも、この思わず「ああ、いいなあ」とため息が出てしまう ジャケットの写真に溢れるほのぼのとした幸福 感と、ラルフ・マンノの名前と激安の値段につられて思わず買ってしまった。感 想としては、まずます良かったかな、といったところ。ストラヴィンスキーは やっぱり微妙に外れっぽいけど、ミョーとハチャトゥリャンは結構いい感じ。 ラルフ・マンノのクラリネットも、相変わらずいい感じだ。
衝動買いCDその2は、当たり外れが大きい現代音楽物のリスク回避策と してシューマンの「3つのロマンツァOp.94」 「アダージョとアレグロ変イ長調Op.70]「幻想小曲集Op.73」「お とぎ話Op.132」。ギド・シーフェンのチェロの音も綺麗だし、こ のCDも結構良かった。
でも、ラルフ・マンノってちょっと音が硬いというかまっすぐで筋肉質の音 みたいな感じがあって、多少曲を選ぶような気がする。例えば 「春のソナタ」のマンノはかなり衝撃的で中毒になってしまい2,3日のたうち 回ったけれど、「幻想小曲集」だとぺーター・シュミードルの1995年のCD の演奏の方が、霧に煙るドイツの森のぼわぼわっとした感じが出てて良いとか。 まあ、そんな感じ。
2006年5月7日(日)
<<自分の心に聞く>>
昨日より少し早起きして、午前中は野暮用。午後は京都府民ホールアルティー
にて京都市立芸大関係者のコンサート。最初の吉田聖子(クラリネット)と仲
香織(ピアノ)両氏による「クラリネットとピアノのためのソナチネ」(マル
ティス)は短い曲だけど、久々に生のクラリネットの音が聴けたのが嬉しい。
マルティスって初めて聞く名前だけど、いい感じの曲を書いてるんだなと思っ
た。吉田氏の演奏の方はというと、最初の方は、まあ、上手なんだろうけど何
かちょっと物足りない感じがするなあと思って聴いてたけれど、最後のアレグ
ロの所で思わずぐっと来てしまったので、力強く拍手!拍手!拍手!
私は技術的な面での良し悪しはよくわからないので、演奏の良し悪しは専 ら自分の心に聞いて決めている。これは実に単純で、演奏を聴いていて心にぐっ と来るものがあれば、それは誰が何と言おうと良い演奏なのである。この方法 の難しいところは、いかに自分の心をしなかやに保っておくかで、変なこだわ りや思い込みがあると判断が歪む。しかしまあ、私はコンクールの審査員でも 何でもないのだから、判断が歪んだところで、単に自分が真に美しいものを見 誤って人生をいくらか損失するだけのことなのだが。
あと、山本紗佑里、山本祐梨子両氏によるピアノの連弾、ストラヴィンス キーの「春の祭典」の演奏は、何だか鬼気迫るというか物凄い演奏で、私は最 初から最後までずうっと「ぐっと来っ放し」状態が続き、この長い曲の演奏が 終わった時にはへとへとになってしまった。ストラヴィンスキーは私の好みと いう観点から言えば当たり外れが大きい作曲家で、「春の祭典」は初めて聴い たけれど、外れ。しかしこの外れ曲でよくここまで強引に私の心を揺さぶって くれるものだ。何だか凄い人に出会ってしまったなと、あっけに取られて家路 につく。
コンサートの後は、山科駅前Sbuxで少し数学。夜は何となく勢いで解 禁してしまった ラルフ・マンノの大 当たりCD を繰り返し聴きながら(また中毒になっても知らんぞ!)、 少し数学。
2006年5月6日(土)
<<意味不明な言葉>>
ああ、今朝も朝の8時半頃から頭の中でラルフ・マンノの「春のソナタ」(ベー
トーヴェン)ががんがん鳴っている。「五月蝿い!」と心の中で一喝して1
1時まで爆睡。午後は山科区内でレファラートの準備作業をやりながら野暮用
の後、山科駅前Sbuxで少し数学。帰宅して夕食の後、スポーツ・クラブ。
帰宅後は再び数学。
今日も引き続き「人間やめますか?それとも、ラルフ・マンノやめますか?」
状態なので、数学の友はポール・メイエとアルフレート・プリンツ
4.番目のブラームスのクラリネット・ソナタもかなり危険な音楽で、同じ くブラームスのクラリネット三重奏曲と同様、人生に疲れている時に3回ぐら い連続して聴くと、意味不明の言葉をわめき散らしながら崖から飛び込みたい 衝動に駆られそうになる。それをぐっとこらえながら、さらに頑張って4回、 5回、6回と聴き続けると結構良い精神修養になる。今日は1回にとどめたけ どね。モーツァルトは美しいけ れど、こういう狂気が潜んでないところが、つまんないと言えばつまんないな。
2006年5月5日(金)
<<もういいじゃないか>>
昨夜は3時に寝て今朝は11時に起きる。一見すばらしく健康的ではあるが、
実は朝の8時半ぐらいから頭の中でラルフ・マンノの「春のソナタ」(ベートー
ヴェン)ががんがん鳴って五月蝿くてしょうがなく、それと闘いながら気合い
で寝ていたのである。あー、しんどかった。
さらに起床後数時間は、春のソナタに限らず色々な曲が交互に頭の中で鳴 り響く。こりゃあCDかけなくてもいいや、私って何て便利に出来てるんでしょ う!と喜びながら、野暮用およびレファラートの準備作業を少し。その後、自 宅や山科駅前Sbuxにて数学。以下は本日の数学(および各種逃避行動)の友 の一覧(聴いた順)。
ナディァ・ルバネンコの「即興曲」を聴くと、04年のドイツ滞在時にゲッ チンゲンやハイデルベルクを当て所なく彷徨っていた事を思い出す。当時よく 聴いていたし、あの頃の気分にぴったりだ。研究の方で色々うまく行かなくて、 不貞腐れて週末毎にエッセン中央駅からICEに飛び乗って遠出してたのだけ ど、ドイツの街を歩 き回っているうちに「悲しいけれど、でも、もういいじゃないか」ってすごく 幸福な気分になってきたことを憶えている。
2006年5月4日(木)
<<迎えベートーヴェン>>
昨夜は白井光子さまで締めたはずなのに、今朝はベートーヴェンのクロイツェ
ル・ソナタが頭の中でがんがん鳴って、五月蝿くてたまらずに目覚める。ああ、
またこの病気が始まったか。二日酔いに迎え酒と言うけれど、よし!「迎えベー
トーヴェン」だ、とラルフ・マンノの大当たりCDで今日という日をスタート
する。
食事や野暮用を挟んで、レファラートの準備。軽く流してから数学に移行 しようと思ってたのだが、独訳文をざっと見直してあちこち手直しし、どこで どんな内容のOHPを使うか割り振って等々と凝ったことをやっているうちに 夕方近くになる。これではいけないと、ハインツ・ホリガーに切り替えて山科 駅前Sbuxへ。そこでしばし数学。帰宅後もずっと数学。毒食らわば皿まで と、今日も執拗に超難解論文とその周辺に食い下がる。
夜は久しぶりにピアノ・ソナタ「悲愴」「テンペスト」「月光」を聴いて みる。さらに「ディアベッリ変奏曲」はさすがに途中で倒れ(つまんないか ら!)、「クラリネット三重奏曲”町の歌”」(とついでにブラームス「クラ リネット三重奏曲」)と乱れ聴き、またラルフ・マンノの大当たりCDに戻る。
ベートーヴェンのピアノって、ひとつひとつの音がしっとりとした重量感 を持ちながら、玉石のように磨き抜かれているって感じがしてよろしい。特に テンポの速い部分にそういうところが良く出てて、時速140kmでアオトバー ンをぶっ飛ばしてても車内は静寂そのものという、BMWに乗ってるみたいだ。 ああ、ドイツか。何もかもが懐かしい。
今日はベートーヴェンの日だったけど、最後はゲーテ・クラリネット奏者 氏のデビューCDで締める。そういえば、このCDの1曲目の作曲者も曲名も チェコ語か何かで書いてあって全然読めない事に今気づいた。斬新な解釈による 画期的演奏らしいけど、元の曲も知らないし。
2006年5月3日(水)
<<難しいもの>>
朝はゆっくり起きて朝食らしきものを摂り、野暮用の後少し数学。それから五
月晴れの空の下、山科駅前Sbuxへ。そこで遅めの昼食らしきものを摂りながら、し
ばし数学。夕方、山科区内で野暮用の後、帰宅。夕食の後、また数学。今日も、
分かりもしない例の超難解論文を突っ突き回す。ああ、難しい。こんなに難し
いものを分からないままに終日眺めて暮らせる私は、一体何者なんだろうか?難しいものを眺めた
ところで、それが良い研究に繋がるわけではないのに。
ま、私が何者でもよいではないかと、気分を変えて深夜はレファラート草 稿の独訳作業を少し。この草稿は、私と数学、そして音楽との関わりについて 述べたもので、基本的にはこの日誌に書かれている事の要約である。 私は数学と芸術こそが大切でそれ以外は何でもよろしいという人間なので、 草稿には結構真面目な事を書いた積もりである。しかし、こうやって纏めたもの を読み返してみると、つくづく私は変な人間だなと思えてくる。 でもそんな事は、気にしなければそれで済むことだ。
今日もオーボエやクラリネットを沢山聴いたけれれど、一日の締めは白井 光子さまのシューベルトのドイツ・リートで行ってみようかと思う。
2006年5月2日(火)
<<八つ当たり>>
学科長の日。午前中に大学に到着。13時から15時前まで学科長会議。その
前後もラルフ・マンノ(クラリネット)、グイド・シーフェン(チェロ)、オ
ラフ・ドレスラー(ピアノ)のベートーヴェンをかけっ放しにした研究室で、
あるいは何人かの同僚教員の研究室を訪ねたり、学生の応対をしたりして、額
に汗してせっせと学科長してたような気がする。何故か今日は早く終わり、夕
方にはハインツ・ホリガー(オーボエ)を心の友に帰宅。今日はザビーネ・マ
イヤーの「パリのメカニック」が要らなかったぐらいだから、大した学科長は
してなかったんだろうと思う。
夜は数学。分かりもしないくせに、例の超難解論文を突っ突き回す。数学 者は難しい事を考える人が多くて困ったものだ。計算機科学ではよく 「難解な理論はそれだけで既に間違っている」と言われる。簡単な理論で本質 を突いて見せてこそ真に優れた計算機科学者だというわけ。 それに比べて数学 者には節操というものが無いのか?難しくすりゃあいいってもんじゃないぜ! と論文に八つ当たり。荒ぶる気分を、ハインツ・ホリガー、ラルフ・マンノ、 ゲーテ・クラリネット奏者氏、リチャード・ストルツマンを動員して静める。
ところで、ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタはシューベルト節と ベートーヴェン節が一緒になっているような感じがする。否、正確にはシュー ベルトがベートヴェンの影響を強く受けたということなんだろうから、全てベー トーヴェン節なんだろうけど。いずれにせよ私にとっては、シューベルトとベー トーヴェンの「選りすぐりいいとこ取りの断然お買い得セット!」みたいな曲 である。そう考えると、先日オラフ・ドレスラーのピアノとグイド・シーフェ ンのチェロのアンサンブルではちょっとお行儀が良すぎるというような事を書 いたけれど、やはりこれで良いのかも知れない。シューベルトはあまり情熱的、 あるいは、情緒的に演奏するよいりも、さまざまな想いがほとばしるのを理性 でぐっと押さえ込んでいるような演奏の方が、私は好きだ。
2006年5月1日(月)
<<五月の貴公子>>
初夏のような5月の始まりである。私は若い頃以下の詩を読んで以来、「五月の
貴公子」という言葉が好きである。
「若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつき(高山註:ステッキ)の銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。」
(萩原朔太郎)
少し嬉しくなった夕方、野暮用のため大阪へ。私は街をぼんやり歩いてい る時も、素晴らしい絵画が視界の隅にでも現れれば「お?何だ?」と直ちに反 応する。最近はそれにクラリネットが加わって、テレビドラマのBGMでも街 で流れている音楽でも、クラリネットの音には敏感に反応するようになった。 しかし、クラリネットの音に対する審美眼はまださほど自信があるわけでもな く、現在ゲーテ・クラリネット奏者氏に私淑して鋭意修行中の身である。
今日、京阪天満橋駅の京阪モール内を歩いていたら、何処からかクラリネッ トの音がしてきた。先を急いでいたのでゆっくり聴いてられなかったけれど、 大阪音楽大学の学生さんや卒業生の人達が、日替わりでミニコンサートを開い ているらしく、今日はピアノとクラリネットのアンサンブルの日だったという わけ。これはラッキーだ。演奏者は今年音大を卒業したばかりの人らしく、サ ティーのジムノぺティー(だと思う)などの割りと軽めの曲を綺麗な音で演奏 していた。サティーをとりあげてくれるのは、嬉しい。
帰宅後、学科長人気者メールがいくつか届いていたけど、何だか意図も意味も よくわからない事が一杯書いてあるメールだったので、学科長権限ですかさず却 下。