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告

よ け ス ペ ー ス で す。

2007年3月31日(土)
<<そして希望?>>
青白い憎悪と行き場の無い憤怒に塗りたくられた2007年度が今日で終るの である。これを希望と呼ばずして、何と言うべきか。来週は大学にせっせと通っ て、おぞましき1年間の傷跡が生生しく残るオフィスの整理をしよう。学科長 関連の下らない資料の山を十把一絡げにゴミ捨て場に放り出し、禄でもない 会議の合間に書き散らした間違いだらけの計算メモや、読む暇の無いまま放置 された論文のコピーを片付け、大学教師らしく新年度の講義の準備をしよう。

そして当面は、すなわち少なくとも精神安定剤から解放されるまでは、こ の新しい希望の日々を再び暗く悲しい記憶に引きずり戻すありとあらゆる企て を断固として拒否するのだ。私はありとあらゆる会議に欠席し、同僚との接触 も限りなく零に押さえ、オフィスのドアをノックされても応えないし、電話に も出ないだろう。メールにも返事を出さないかもしれない。何?それでは学科 長時代と同じではないか、と?否、学科長時代は絶望から身を守るためにそう していたが、これからは希望を守るためにそうするのだ。これは大きな相違じゃ ないか?

というようなことを考えながら、ゲーテ夏学期2回目。新たな受講者2名 が加わる。1名は古顔の久々再登板、もう1名は新しい人。彼らのお陰で、少 しはクラスも活気づくかも。夜はスポーツクラブでへとへとになる。

2007年3月30日(金)
<<最高の贅沢?>>
夕方、埼玉大学での学会出張から帰宅。埼玉は会社員時代の思い出の地だが、 出張などで足を運ぶことはこれまで一度も無かった。ジャズ・テナーサックス 奏者にしてミジンコの研究者としても有名な坂田明氏が住む蕨市に5年程、次 に浦和市にちょうど1年、最後は「キューポラのある街」川口市に2年ほど住 んでいたので、ちょっと懐かしくなって、結局川口駅近くのビジネスホテルに 泊まった。学会の合間を見つけては、蕨や川口の昔住んでいた所に行ってみた り、よく通ったおいしい洋食レストランや商店街を訪ねたりした。

浦和の方は、入寮期限を過ぎたということで蕨の社員寮を追い出され、安 月給でも楽に払える家賃というだけの理由で文字通り陸の孤島のような殺伐と した所に移り住んだのだが、通勤や買い物などがあまりにも不便で、1年で音 を上げて逃げ出した。家賃は安かったけれど、不便を補うための時間や労力を 含めたさまざまな出費が馬鹿にならなかったのである。殺伐とした陸の孤島ぶ りは20年近く経った今も殆ど同じで、結局学会会場に通うバスで近くを通っ ただけ。

学会では1年振りに会う他大学の友人と落ち合い、夕食をともにしたり、 学会を抜け出して街を歩き回りながら極秘(?)情報の交換。はてな。お前は 日頃あれほど「おじさんは嫌いだ」と言っておきながら、毎日とっかえひっか えおじさん達とデートかよ?うーむ、それは難しい問題だ。古い友人は大切だ が、彼らはもう立派なおじさんだ。やれ、俺ももう50歳だから人生下り坂だ の、子供がどうだの、老後がどうだのと、シケた話がポンポン飛び出す。何だ、 お前ら最近そんな「先が見えた」ようなことばかり考えてるのか。それじゃあ、 何も考えてない私がまるでアホみたいではないか、と。

夜、ホテルでテレビを見ていたら---(ちなみに私は出張先のホテルでしか テレビを見ないのだが、2005年10月16日に東京に出張した時に 見た関西テレビ「あるある 大辞典」”有酸素運動の画期的新理論”にまんまと騙され、1年半ぐらいの間 毎週土曜日のスポーツクラブ通いでその新理論の「追試」を行うことにより、 図らずしも効果が無いことを実証することとなり、捏造の可能性を早くから予 感していたのである)---、68歳になったダスティン・ホフマンが、役者志 望の若い人達の前で講演のようなことをやっている番組があって、「人生の先 が見えないなんて、最高の贅沢じゃないか」と若い人を励ましていた。それは それでいいんだけど、神様じゃああるまいに、若い人でなくたって人生の先なんて誰にも見えないんだ よ。私なんぞは24歳の時に「俺の人生は終った!あ とは坂道を転げ落ちるだけだ」と確信してたけれど、その後予想に反して上がっ たり下がったりと浮き沈みの激しい人生が進行中で、何が何だかわけがわけが わからないのである。兎に角、おじさん達のシケた話に付き合うのも良いけど、 そればっかりでは気が滅入る。さて、どうするか。

そこで、「デート」はほどほどにして、夜はコンサートを聴きに行くこと にした。有名な演奏家のコンサートは何ヶ月も前からチケットの前売り券を買っ ておかないといけなくて、例えばフジコ・へミングさんなんか、数日おきに今日は東 京、次は神奈川って感じで「コンサートやりまくり状態」みたいだけど、馬鹿 高い前売り券は全部売り切れ。しかしそのいっぽうで、観客が100名以上入るホールでせい ぜい7,80名集まればよいところで、その場でふらりと立ち寄っても比較的 安い当日券で入れるようなコンサートは、東京近辺なら捜せばいくらでも見付 かるものである。彼らほとんど無名の演奏者が音楽的にどれだけ優れたものを 持っているかは、自分の耳で聴いて確かめればよいことだ。そして、それは楽 しい作業である。

都内某所で開かれたコンサートでは、芸大を出たばかりぐらいの若い人た ちのアンサンブルが、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」などの 素晴らしい演奏を聴かせてくれて、とても楽しい夜を過ごせた。

翌日の埼玉県内某所で開かれたピアノリサイタルは、チラシに演奏者の名 前と曲目の解説が書いてあるだけで、演奏者の経歴などの紹介は一切無いし、 曲目を見ても演奏者がどんな音楽的情感を表現したいのか、どうもぴんと来な い。うむ、これは十分怪しい、と、怪しいものを見付けると放っておけない私 は、思わず当日券を買って入場。

コンサートホールの音響は素晴らしく良かったが、コンサートは予想通り 怪しかった。シューマンの練習曲とショパンの前奏曲などを合 計1時間暗譜でミスも(たぶん)殆ど無しに弾き切ったのにはそれなりの気合 いと力量を感じるけれど、ただ上手に弾いてるだけって感じで、ほんの部分的な 一瞬を除いてシューマンでもなければショパンでもなかった。少なくとも 良い演奏を聴いた後の幸福感 --- それの有る無しで私は良い演奏かどうか を決めている--- は無かった。 最後はアンコールも無くブチッっと終り、聴衆はさっさと会場を追い出された。 まばらな観客と投げやりな拍手は、私の大学での講義を彷彿とさせ、ある種 親近感が持てるとは言うものの、変なコンサート!でも、行って良かったと思う。

ところで私は出張にノートパソコンを持ち歩いたりする趣味は無いのだが、 ホテルに自由に使えるパソコンがあり、メールのチェックなどが出来た。新し い学科長と学科長に仕事を押し付けるために群がる人たちのメールが飛び交っ ていたが、それは既に私には直接関係無いメールであり、私は一人の傍観者で しかない。嗚呼、私はもう学科長ではない。やっと自由になれたのだ!!心の底 から沸々と喜びが湧いてくるってのは、こういう感触なのか。

2007年3月25日(日)
<<気分爽快?>>
ゆっくり寝てようと思ったが、地震で目が覚める。その後、終日自宅や山科区 内等で野暮用。夕方は大学に行って、学科長最後のお仕事。短時間で終わり、 すぐに帰宅。夜も少し野暮用の後、明日からの出張の準備。

学科長が終ってやれやれという気分だが、1年の苦難の傷跡が生々 しく、単純に気分爽快というわけにもいかない。私は執念深い人間なので、例 えば、(旧)情報学科時代には学生や同僚教師達にずいぶん酷い目に会わされ、 最後には体を壊すに至ったという思いは、いまだに持っている。 人が困っている時に、それに付け込んで追い討ちをかけるような事ばかりされ たとなれば、後々長く記憶に残るのも道理である。学生に対する私のある種の 冷ややかさは、この時の副産物だろうと思う。

同じような事が、学科長の1年で無かったとも言い切れないし、追い討ち とまでは行かないまでも、困っている時に教室の同僚たちに知らん顔されたり 突き放されたという思いは少なからずある。しかし、それが数学者というもの であり、私だって立場が変れば彼らと同じことをやってただろうと思うし、 そもそも私はプライドが高くて他人に助けを求めることが下手だからこういう ことになるのだという説もあるし、単なる被害妄想という面も無きにしもあらず である。 だから、結局誰が悪いというものでもない。しかし、それやこれやが私の 「数学好きの数学者嫌い(おじさんはもっと嫌い)」に拍車をかけ、益々 ひねくれた人間になってゆくだろうことは確かだろうと思う。これはまさに 「艱難汝をヒネ生姜にす」というやつであり、その人間の器を超える 苦労は結局その人を駄目にして、益々みみっちい人間に してしまうという典型例になるのではないかと思う。みみっちく 凝り固まってゆく私。

次回更新は30日深夜以降。

2007年3月24日(土)
<<藤子不二雄?>>
ゲーテ夏学期の初日。今学期の上級コースはF先生が担当だと思って登校した ら、何故かG先生に変更されていた。私は自分の下手な英語で数学者としては 世界中何処に行っても特に不自由はしないので、ドイツ語もそのレベルに達す ればとりあえずOKだと思っている。それにはあともう一歩だと思っているの だが、F先生の厳しい授業でびしびし尻を叩いてもらって一気にそのレベルを クリアし、秋からは念願の関西日仏学館でフランス語再入門!という野望を抱 いていたのである。リラックスムードの授業で人気のあるG先生だと、私など はどうしても怠けてしまい、野望の実現はさらに遠のいてしまいそうだ。

でもまあ、人生に疲れ果てた私には「静養」が必要だし、リラックスムー ドもいいかもね。ちなみに、今年度の日誌は「学科長ぶちキレ日記」がテーマ だったけど、来年度は「心を病んだ私の静養日記」にしようかしら。

それはともかく。今学期のクラスメイトは、2名が入れ替わっただけで前 回とほぼ同じ。また、しんみりした初七日法要のような雰囲気になるのかしら。 クラリネット奏者氏の留学時代からの盟友フルート奏者氏が今学期はお休みで、 何と!入れ替わりに別のクラリネット奏者氏が入ってきた!藤子不二雄じゃあ ないけど、ゲーテ・クラリネットA奏者氏、ゲーテ・クラリネットB奏者氏と でも名づけて区別しようかしら。「じゃあ、いつか二人で ハイドンの『2本のクラリネットのための協奏曲』でも聴かせてください」 と頼んでおく。

それで来学期、フルート奏者氏が復活したら、あとはオーボエ とファゴットの人を誰か呼んで来て、「ゲーテ管楽器アンサンブル」でも作っ てザビーネ・マイヤー管楽器アンサンブルの向こうを張るんだ!などという話に なれば面白いな。そしたら学科長の経験を生かして(そんなもの 生かせるのかよ?)マネージャーでもやらせてもらおう。 でも私、すぐぶちキレるので、1ヶ月でクビになったりして。

夜はスポーツクラブでへとへとになる。

2007年3月23日(金)
<<悪魔?>>
心を病んでいる私は、今日も精神安定剤の助けを借て終日「静養」に励む。午 前中は学科長人気者メールなどの処理。最後の最後まで色々あるものだと呆れ るが、ほとんど全て次期学科長に丸投げ。午後は京大数理研図書館へ。来週の 出張時に読むためのいくつか文献をコピーして、その後は勉強。今日は京大の 卒業式らしく、それらしい雰囲気の人たちをあちこちで見掛けた。夜も勉強の 続き。2月末から始めた小プロジェクトも、いよいよ全て終了。かといって、 今の所は、ほんのコメントやリマーク程度の発見があっただけだけど。

フジコ・へミングさんは「カラヤンは音楽は素晴らしかった けど、その心は清らかではなかった」と書いていたけど、それがどうもよくわ からない。音楽にはその人の心の内面性が非常によく表れるのに、清らかでな い心は音楽には表れないのか、と。某超有名クラリネット奏者はその性格の悪 さでも同業者の中では有名だそうだが、その人の演奏を聴いていても「性格の 悪さ」は聴き取れない。不思議なものである。心は清らかなのに 性格は物凄く悪いってことも、可能性としてはあるかも知れないけど。 例えば、この私みたいに!

数学の場合はどうかというと、数学の才能と心の美しさとはあまり関係な いと思う。途方もなく美しい定理を発見する数学者が、悪魔のような人間であっ たとしても、私は別に驚かない。そういう数学者を実際に知っているわけでも ないけど、この業界にしばらく居るだけで、何となくそういうもんだろうとい う気はしてくる。

2007年3月22日(木)
<<病んでいる?>>
学科長通達メールをいくつか飛ばした以外は、数学などをやりながら自宅や京 都市内で「静養」の一日。夕方、京都駅前のホテル京阪ラウンジで数学してた ら、近くに座っていた小学校か中学校の教師とおぼしき40代ぐらいの女性と、 その先輩(元?)教師とおぼしき60代ぐらいの女性の会話が面白く、、、も とい、五月蝿くて、これでは仕事にならないと1時間ほどで退散。

40代ぐらいの女性の方は仕事がきつくて相当ストレスが溜まっているら しく、推計では私が来る前から2時間以上ずうっと早口で一方的に切れ目無く 喋りまくり、私が退散する直前に新たにケーキセットを注文し(ケーキを選ん でいる時だけは静かになった)、それには殆ど手をつけずにさらに喋りまくっ ていた。あの調子ではあと1時間はずっと喋り続けていただろうと思う。

職場 の窮状、問題のある生徒の対応、新人教師の悪口や噂話といったことに 留まらず、どこのケーキがおいしくて、JRの駅がどうで、どこのデパー トのなんとかカードはどういう風に使えるか等々、世の中のありとあらゆる事 について息を継ぐ間も惜しいと言わんばかりに喋り続けている。対する60代 ぐらいの女性は、ただ聞いているしか手だてがないのだが、一度だけ一瞬の隙 を突いて、あなたも余程ストレスが溜まっていると見えて、さっきから水も飲 まずにずっと喋ってるけど、大変ね、などと言っていた。

ああ、この教師は病んでいる。学科長職に疲れ果て、医者から精神安定剤 をもらって「静養」している私以上に病んでいる。あるいは、この人は信頼で きる先輩教師や配偶者相手に何時間も喋り続けることによって、医者の厄介に ならずに済んでいるのかも知れない。しかし、精神安定剤を服用すれば、とど まるところを知らない言葉の怒涛の被害者を一人でも減らせて、世界平和に貢 献できるかもしれない。「精神安定剤、貴女も、いかが?」と声を掛けてみる のも気が利いてるかも。でも、それって何か悪い薬売って歩いている怪しいお じさんみたいだなと思って、踏みとどまる。

思い起こせば私の母も、気力溢れる40代の頃は、あんな調子で2 時間でも3時間でも喋り続けて周囲の人間を閉口させていたのだから、上記の 先生も、多少ストレスは溜まっているのだろうけど、見掛けほども病んでいな いのかも知れない。若い娘でも、同性の友達とぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ ぐちゃぐちゃぐちゃ4時間でも5時間でも電話で話すというし。 (あ、そういえば私の父も私と同じぐらいの年齢の頃、友人と電話で何時間も ぐちゃらぐちゃらぐちゃらぐちゃらぐちゃらと喋っていて、一体何を考えておる のかと母にとがめられていたけれど、あれは一体何だったのだろう。)

私は日頃、自分は見掛けはおじさんだけど、頭の中はおばさんなのだと思っ て生きている。でも、大学で爆睡学生を相手に講義する時は別として、一人の 人間を前にして何時間も休み無く一方的に力一杯喋り続けることは無いので、 やはりおばさんではないのだと分かる。では、おじさんでもおばさんでもない 私は、一体何なのだろう?

2007年3月21日(水)
<<白雪姫?>>
卒業式。スーツ&ネクタイ姿は今年度2回目である。出勤途中に同僚某先生と 一緒になり、何でもお上から愚にもつかない理由で緊急教室会議を開けとのお 達しがあったと伝え聞き、久しぶりにぶち切れる。これでは病気がさらに悪化 するではないか。早く手を打たねばと、研究室に着くやいなや学科長通達メー ルを作成。数理科学科教員各位、数理科学科の状況および学部の動向を総合的 に検討した結果、本学科においては緊急教室会議を開く必要はないと判断した とのメールを書いて、「ものども、喰らえ!」と送信。

その後、11時45分から半時間程度は学部の、そして、16時30分か ら15分ほどは大学院の卒業証書授与式。その間、研究室で雑用をしたり数学 をしたり。

学部の授与式では、予想通り何の祝辞も思い浮かばず省略。しかし一人一 人卒業証書を渡す時には「おめでとう」という言葉が自然と出てきた。 それで良いのだと思う。「おめでとう」を数十回。

彼らは前後数年間の中で最も元気の無い学年で、入学早々授業中に寝てば かりいた。私は、彼らは立って歩いている時以外は常に寝ているに違いないと 長い間固く固く信じていた。卒業率(4年間で無事卒業単位が取れた学生の割合)も他 の学年や同学年他学科と比べて群を抜いて悪いけれど、学科長としてひとりひ とりの学生の卒業判定 --- といっても決められた計算方式に従って事務で機 械的に処理されたものをチェックしただけだが --- をしている時でも、彼ら がたとえ1単位でも単位をとっていることが不思議でならず、うちの大学では 4年間白雪姫のように昏々と眠り続けていても、自動的に単位が降ってくるの かと目を疑ったほどである。それぐらい、彼らについては「寝てばかりいる人 たち」というイメージしか無い。

しかし、少なくとも今日の日を迎えることが出来た人たちは、例年の学生 達と同じように元気そうであった。少なくとも、もらったばかりの卒業証書を握 り締めたまま眠ってしまう学生はいなかった。前に出て私から証書を受け取っ て照れている友人に、茶々を飛ばしてはしゃいでいる学生もいる。何だ。彼 らは白雪姫ではなく、ごく普通の若者ではないか。願わくばこの元気が、卒業 式の軽い興奮による一時的なものにとどまらないことを。

修士の授与式では、やはり事前には何も準備はしてなかったけれど、すっ と自然に祝辞のような餞の言葉が出てきた。卒業生はたった5人なので時間は たっぷりある。「よし、サービスするぞ!」と同じ文面の卒業証書を教員免許 の証書も含めて、全員隅々まで読み上げてから渡す。

式典終了後、長居は無用と速攻で帰宅。夜は精神安定剤の睡魔と闘いながら、 少し数学。精神安定剤は文字通り精神が安定して大変よろしいのだが、 眠くなるのが玉に瑕である。気分爽快!頭スッキリ!でも精神は安定、という具合には、なかなか いかない。

2007年3月20日(火)
<<浅井忠って?>>
朝一番で、今日の会議の欠席届けをメールで出す。体調不良のため、と。これ だけで、大分気分が楽になった。医者ははっきりとした病名は言ってないけど、 要するに自律神経失調症であり、これを治すには、綺麗なものだけに囲まれて 静かに暮らすことが一番だというのが私の理論である。この際、責任だ の立場だの何だのは全て捨てよう。責任や立場が病気を治してくれるわけでも ないしね。私は物事の好き嫌いには明確な区別を持っている人間である。好き なものだけに触れ、嫌いなものは相手にしない。この態度を徹底することが肝 要である。

午前中は少し数学。午後は街へ。山科駅前Sbuxでしばらく数学。その 後、高島屋四条河原町店の浅井忠展を見に行く。油彩もあったけど、これはい まいち。しかし沢山ある水彩画はどれも素晴らしい。どんな有名な画家の展覧 会でも半分以上が駄作だが、今日の展覧会は駄作がざっくり2割以下と極めて低いとこ ろが驚異的。悪くても「傑作とは言えないけどかなり素晴らしい作品」という レベルの絵ばかりが並んでいる。これは浅井忠が偉いというよりも、コレクター の審美眼が良いということなのかも知れない。

それよりももっと驚いたのは、私が子供の頃からずっと描きたいと思って いたものを、彼が既に描いていたということ。これはちょうど、ある定理を予 想して、いつか証明してやろうと思っていたら、同じ結果が他の人の論文とし て既に発表されていた、という感じである。

晴れた日の舗装してない道路の土煙や木々の陰、民家の壁に反射する鈍く 薄い黄色い光、空の光と、それが水に映った姿。ここに居る私から、道路、民 家、空、水までの間にある、柔らかく光が充満した空間の広がり。それらをこ んな風に描いてみたいなあというイメージをずっと持っていたのだが、その通 りのものが目の前にあるのだから、驚かずにはおれない。

展覧会の絵のひとつひとつと無言の会話を交わしていると、病気もすっか り治ったかのような幸福な気分に浸ることができた。さて、気休め以上の治療 効果はあったかしら。

夜も数学をと思っていたが、学科長残務整理のような文章を書いてメール で送る仕事に励むことになる。精神安定剤がよく効いて、数学なしで眠ってし まいそう。あ、そうだ。明日は卒業式だった。忘れてた。まあ、ちゃっちゃと 行って、祝辞省略でさくっと卒業証書渡して、では、みなさんごきげんよう! で帰ってこようっと。

2007年3月19日(月)
<<囚われてた?>>
午前中はまたも近所の医院へ。そうですか、良くなりませんかと、今度は精神 安定剤を処方される。まあ、死ぬような病気じゃないし、見た目には元気で、 相変わらず馬鹿言って人を笑わせて喜んでますけど。

しかしながら、薬効を維持するためには、無意味な仕事にひきずられる事 を決然と断ち切らねばならない。人は何かに囚われて無意味とわかっている仕 事に自らを追い込んでしまうと、心身に異常をきたす。旧情報学科時代は、十 二指腸に穴が開いたし。 いずれにせよ、明日の 会議は病気を悪くするだけだから、他の人に代わりに出てもらうことにする。

明日は数理科学科を潰すかどうかに関係する会議だけど、代理で出る人が 賛成するのか反対するのか、それともどうでも良いとの態度表明をするのか、 私には全く予測不可能。そもそもそんな事が予測できるぐらいなら、医者に精 神安定剤をもらう必要は無いのである。それにしても私は、何に「囚われて」 いたのかしら。

午後は少し数学。それから京都の街に出て、綺麗なものを見て歩く。輸入 雑貨屋、各種工芸品点、画廊、家具屋、紙屋、かんざし屋、看板屋、和菓子屋。 京都には、それ自体がほとんど美術館やアートサロンみたいな店は少なくない ので、見て回っているだけでも楽しい。夜も少し数学。

2007年3月18日(日)
<<ミーハー?>>
「イングリット・フジコ・へミング 私が歩んだ路、パリ」は昨夜寝る前の布 団の中であっという間に読了。フジコ・へミングさんは、若い頃留学したドイ ツで散々な目にあったためかドイツ人が嫌いらしく、他人のことを監視ばかり していて、なんでもすぐに裁判にしてしまい、冷たくきまじめで意地悪で云々 と、いいとこ無し!と言わんばかりである。ご本人はおおらかな人柄なようで、 フランスやイタリアなどのラテン系が合っているようだ。

ドイツ人はこきおろされるし、パリの街やフジコ・へミングさんのパリの 自宅の写真は綺麗だし、ああ、やっぱり今度から通うのはゲーテじゃなくて関 西日仏学館にしとくべきだったかしらと一瞬血迷う、ミーハーな私であった。

本日、野暮用の日曜日。自宅や山科区内で野暮用。夜は、月末の東京出張 時にどこかコンサートにでもと色々検索。「フジコ・へミング&ブダペスト交 響楽団」「Thankis!宮本文昭&フレンズ」「福田進一・鈴木大介・村 治佳織・大萩康司、ジャパン・ギター・カルテット」とか、有名人のコンサー トは既にチケット完売済みたいなので、あまり名前が売れてなさそうな人の コンサートを狙おうか、と。本日、数学はなし。

2007年3月17日(土)
<<凄すぎる?>>
ああ、もうおじさん達の顔見たり、おじさん達の考えることに付き合うのはう んざりだ。だったら、まあ、会議はしょうがないとしても、被爆量2×Z = 2× 4 = 8ポイント・アップの危険を犯してまで昨日の親和会宴会に出かけたのは 何故?ひとりでは滅多に行かない料亭の料理が食べたかったから?学内政治に 熱心なおじさん達の陣地に潜入して「敵」の動向を知りたかったから?それと も、単なる怖いもの見たさ?はてまた、単に酒が呑みたかったから?

そういえば、親和会宴会で某先生は「大学教授は教育、研究、管理運営の 全て出来て一人前。私はそう考えて今まで頑張ってきました」などと物凄い事 を誇らしげに言っていた。この先生を前にしたら、数理科学科の教員は全員 「半人前」になってしまいますぞ。また別の先生は「私は何も趣味がありませ ん。私は大学で教えたり、大学を中心に色々な人と会って仕事をするのが大好 きで、それが私の趣味です」とも言っていた。うーむ、凄い、凄すぎる。皆さ んちょっと大学に過剰適応気味じゃないかしら。でもこういう人たちが居ない と、大学って回ってかないんだよね。願わくば、静かに研究だけしていたい、 彼らの対極にいる私のような人間を巻き込まないでください、と。

本日、終日のんびりすごす。自宅、河原町三条近辺、山科駅前等に適宜出 没し、数学したりスポーツクラブに行ったり買い物をしたり。 JEUGIA三条本店で「イングリット・フジコ・へミング 私が歩んだ路、パリ」 (ぴあ出版)を購入。パリの写真が綺麗だし、フジコ・へミングさんの苦労話 も読んでみたいし。

2007年3月16日(金)
<<赤い糸?>>
K川先生の作ったガロア理論の問題が解けず、何故か数理科学科の教授の身分 のまま受験したRitsの大学院入試に落第する夢でうなされて目覚める。 ああ、これが正夢にならないよう、さらに一層研究に邁進しなければとの 覚悟を新らたに、出勤。

10時から11時まで学科長会議(Z=2時間)。 11時30分から12時まで教室会議(W=0.5時間)。 13時から15時半ま で教授会(Z=W=2.5時間)。16時から16時15分まで教授会の親戚 のような会議(Z=W=0.25時間)。そして17時発のチャーター・バス に乗り京都南禅寺近辺の某料亭で開かれた親和会宴会へ。宴会は21時過ぎに 終了(Z=4)。かくして被爆時間は、

-0.2×0 + 2×0 + 2×(2+ 2.5 +0.25+4) + 4×(0.5+ 2.5+ 0.25) = 30.5 ポイント

嗚呼、もう駄目だ。私、死んでしまうんじゃないかしら。

で、(移動時間も含めて)親和会宴会の間じゅう誰にも邪魔されない時間 を楽しめたのかというと、そうでもなかったのである。この宴会には毎回理工 学部200名弱の教員のうち100名近い参加者があるが、大広間の宴会場の 座席はくじ引きで決められる。 クジで当った隣の人と仲良くなってくださいという趣向。まさに「親和」会な のである。しかし、合コンじゃああるまいに、いいオジサンたちがそんなんで いちいち仲良くなってられるかってんだい。

私は何故か数年前に隣同士になった先生と再び隣同士になってしまった。 これは確率的に極めて珍しく、我々は赤い糸で結ばれた関係ではないかと思っ てしまったぐらいである。反対側の隣の人は今回初めて隣合わせに なったのだが、何故か私が2004年にドイツに行ってたことを知っていた。 勿論彼らは私のような「変な奴」ではないので、今日は誰とも話をすまいと決心 しているわけでもなく、隣の私に気を使ってか適当に話掛けてきたりもして 、結局少しばかり会話らしいことをする羽目となった。

まあ、私は「変な奴」ではあるが、向こうから話しかけられても睨みつけて るだけでダマを通しているほど偏屈でもないのである。 人に対しては少なくとも最低限の敬意をもって接することが肝要であり、余程 敵意を持っている人間でも無い限り、聞かれた事に対してだけは愛想良く答える。 これが基本であると考えている。ただし、相手に対して特に興味は持っていない ので、こちらから話題は振ることはない。敬意と興味は当然別のものだから。