の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2006年11月28日(火)
<<相談が出来ない人間>>
学科長鬱に効きそうなものは何でも試してみようと、
イディル・ビレト
のショパンのワルツ集、
バラード・幻想曲、
ピアノソナタ、
および、マウリツィオ・ポリーニの
ショパン・ポロネーゼ集
などの、ジャンマルク・ルイサダ先生に比べていくぶん理性的なショパンのC
Dを持って昼前に出勤。
研究室での昼食を挟んでしばらく学科長のお仕事。13時より 14時25分まで学科長会議。今日で30回目なんだそうだが、よく 生きてここまでたどり着けたものだ、と感慨深いものがある。 幸い今日は手配師の仕事は降ってこなかった。研究室に戻り、明日の講義の準備。16時から18 時過ぎまで別の会議。都合4時間近く会議に出てたことになるが、やれ手配師を しろだの、お前とこの学科を潰すぞだのといった修羅場を経験すると、ただそ こに居ればいいだけの会議が何と平和に思えることか。
そういえば、学科長でも学部長でも、上から重い課題が降ってくると会議 を開いて皆に「相談する」のだということに、今日初めて気づいた。相談する からには信頼関係が必要だけど、私は生育過程に何らかの問題があったのか、 基本的に他人を全然信用してない人間なので、会議を開かずに自分だけで解決 しようとする。だから、手配師の仕事をしろだとか、お前とこの学科を潰すぞ! といった自分一人だけでは解決できない宿題が降ってくると、無茶な事言って 来るな!と、キレる。他人に相談できるというのは一種のコミュニケーション 能力だが、他人が信用できないとコミュニケーションもうまく出来ないという わけである。
研究室に戻って講義の準備を仕上げ、生協で夕食の後20時前に大学を出 る。帰りのエレベータの中で、スーツを着た野望と戦略のA堀先生と一緒にな る。これは珍しい図だと、思わず携帯電話のデジカメで撮影。帰宅後は出張の 荷物を纏めたり、ゲーテの宿題をやったり。
ポリーニのショパンって何か面白みが無いなと、 耳直しに久々の 鈴木雅明のチェンバロで ゴールドベルク変奏曲(J.S.バッハ)。 しかし、どうも具合がよくない。やっぱり今日は これか、と。
明日から徳島大学に出張。次回更新は金曜日の深夜以降。
2006年11月27日(月)
<<石の上で眠る>>
何かに怯えながらも、久々の研究日。午前中は京都駅前で明後日の徳島出張の
ための高速バス・チケットの手配。ゲーテ・クラリネット奏者氏久々のコンサー
トを断腸の思いで蹴飛ばして出掛ける徳島出張である。また、学科長会議や授
業等の日程を考えると、今週の水曜日は絶対に教室会議を開かないという前提
で出張スケジュールを組む以外にない。
で、何を怯えるかというと、学科長のお仕事関連でまたぞろ面倒な事が勃 発しないかということである。今週水曜日に出張を入れてしまったので、たと え緊急案件が起こっても教室会議が開けず、放置して徳島讃岐饂飩の旅に出る ことになる。そして饂飩三昧の日々にしばしこの世の憂さを忘れ、やれ やれと帰ってきたら問題は放置されたままで、むしろこじれているというよう な事態にならないか、と。
先日もシンポジウムに出張している間に、色々面倒な事が起こって往生こ いた。副学科長もいることだし、適当に自分達で教室会議でも開いて良きには からっておいてくれても良さそうなものなのに、何を遠慮しているのか、と。 そして私は、胸にどす黒い情念の炎をちろちろと燃やしながらトンカチ持って 教室会議に臨み、その夜は疲労困憊して酒に溺れたのであった。
高速バスのチケット購入後、京大数理研へ。途中、今出川の同志社大学の 前を通ったら、何と!大学祭(「同志社EVE」と呼ぶんだそうだ)をやって いた。平日に大学祭をやるとは、何と牧歌的なことか。祝日は全て蹴飛ばして 授業日とし、大学祭も金曜日の夜から土日にかけて行っているRitsで働く 私としては、ちょっと、いや、かなり羨ましい。
京大数理研図書室で久しぶりに論文読み。ゆっくりと数学の感覚が戻り始 めるも、何となく数理研のPCで不吉な学科長人気者メールが届いていないか チェックしてしまう。何かに怯えて生きる日々、か。そういえば、昔、「逃亡 者」というテレビ・ドラマがあったな。妻殺しの冤罪で死刑を宣告 された外科医リチャード・キンブルが隙をみて逃亡し、刑事の執拗な追跡をか わしながらも、真犯人と思われる片腕の男を追い続けるという物語。当時私は 幼稚園児だったけど、(君は今晩泊まる所はあるのかね?と聞かれて)「私は 石の上で眠るのには慣れてますから」という台詞だけはよく憶えている。追っ 手に怯えながら必死に生きる逃亡者の、ぞくりと冷たい感じが伝わる言葉だと思 う。
夕方、JEUGIA三条本店道草経由で帰宅。JEUGIAでは、NHK 教育テレビのスーパー・ピアノ・レッスンという番組でショパンの公開レッス ンをやっていた、ジャンマルク・ルイサダ先生がショパンのワルツを弾いてい るCDが1000円で売っていて、ちょっと試聴。1990年の録音のようだ けど、15年後の昨年テレビで聴いたショパンの方が良いような気がしたので、 しばし迷った末、購入を見送る。ショパンのワルツってのも、学科長鬱に効く かも知れないな。効きそうなものは何でも試してみよう、と。
2006年11月26日(日)
<<睡魔と幽霊>>
気持ちが幽霊のままの私は、またも眠い眠い病が始まり、昨夜は早めに寝て今
朝は10時に起きるも、ほぼ終日睡魔と闘い続ける一日となる。夕方まで自宅
および山科区内で野暮用の後、京都駅前アバンティー近辺へ移動。ホテル京阪
のラウンジでしばしリーマン・ゼータ関数の初歩的な話のお勉強の後、サンリ
オ・ショップへ。再度ハローキティー・デスクカレンダーを慎重に比較検討す
るも、結局今期での採用を見送ることとなり、そのかわりハローキティー・マ
グカップとハローキティー・カレンダーシールを購入。その後その辺で夕食を
とり、6階の文具店で来年の手帳を購入する。夜は何故か学科長人気者メール
が1通。日曜日にこんなもの送ってくるな!とぶちキレて瞬殺クリック。それ
に興奮したせいか、はてまた今日3杯目のコーヒーが効いてきたのか、少しだ
け眠気が覚めたので、リーマン・ゼータ関数の話を簡単に纏める。内容的にま
だ十分でないけど、この話題にあまり深入りしてもしょうがないだろうと、適
当に切り上げることにする。
昨日のゲーテで扱ったテーマのひとつに、「私のストレス解消法」という のがあったが、G先生は何でもいいから文章を読むと心が落ち着くというよう な事を言っていた。流石、子供の頃から国語(つまり、ドイツ語)が大好きで、 とうとう外国人に国語を教える先生になっただけのことはあるなと、妙に感心 した。私にはそういう芸当はできないな。文章を書いているうち心が静まるっ てことはあるけど、書いているうちに益々腹が立ってくることもあるし。私の ストレス解消法は、結局、数学と音楽とハロー・キティーかな。
睡魔と戦う幽霊な私の心の友は、 ラ・フォンテーニュの「テレマン室内楽作品集」、 ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa、 そして 最後はカート・ラダーマの クラシック・ギター版「ゴールドベルク 変奏曲」(J.S.バッハ)。
2006年11月25日(土)
<<大喝の応酬>>
午前中は自宅で野暮用。JEUGIA三条本店をすこし冷やかしてら、午後は
ゲーテ。夕方も山科区内で少し野暮用。夜はスポーツ・クラブでへとへとにな
る。
シンポジウムから帰ってきてから、野暮用だの雑用だの何だのでずっと本 業の数学研究をやっていないので、何だか生きている心地がしない。生きてい る心地がしないとういうことは、すなわち、自分が幽霊になったような気分な のである。存在の耐えられない軽さと定番台詞の「うらめしやー」に込められ た陰鬱さ。
でも考えようによっては、幽霊ってのもいいな。学科長会議でまたぞろ手 配師の仕事をせよとの話が出てきたら、「うらめしやー」とか言って消えてや るんだ。あるいは、学科長に押し付ける手配師仕事のネタばっかり考えている 輩が居るはずだから、そいつの枕元に夜な夜な「うらめしやー」って化けて出 てやるってのもいいし、数学教室内にもし該当者が居るとすれば(注意:「居る」と は書いてないよ!)、「シベリア、送ったろかー」 とか言って化けて出てやるのも気がきいている。あー、こんな事書いてたら、だんだん腹が立っ てきた。別の話をしようか。
謎の広告代理店社員氏が、「高山さん、 『私の日記を読んでいないどこかの馬鹿が2度ほどやってきて、研究室のドアをノックして』みたいな事書いてていいんですか!」と、今日は逆ギレ大喝を飛ばしてきた。 私はすかさず「それは定理ですから、大丈夫です」と答え、
「私の日誌を読んで『馬鹿』呼ばわりされていることに腹を立てた読者Aが居 たとしよう。Aは日誌を読んでいるので、誰がノックしようと電話を掛けて 来ようと、私が無視することを知っているはずだから、研究室のドアをノック したりはしない。 ところが、私が馬鹿呼ばわりしているのはドアをノックした人間である。 よって私はAを馬鹿呼ばわりしていないことになり、馬鹿呼ばわりされていないAが 腹を立てるはずがないから、矛盾である。よって背理法により、Aのような 人間は存在し得ない。従って、『私の日記を読んでいない。。。どこかの馬鹿』 と書いても全く大丈夫である。Q.E.D.」
という証明を示して応酬したのだが。。。はいはい、わかりました、わかり ましたよ。あー!だから、世の中って嫌なんだよう!と、いうことで 「どこかの馬鹿」を「どこかのオリコーさん」と書き換えておく。上の「証明」の不備は、私の日誌を中途半端にしか読んでない読者 を想定していないことにある。 高山の日誌?ああ、毎日読んでるよ。 下らないことばっかり書いてるけど、息抜きにはいいんだよね。でも 俺、昨日急な用事があってあいつの部屋ノックしたんだけど、それを「どこかの馬鹿がノックして」 なんて書きよって、けしからんぞ。え ?高山は学科長やらされて毎日ふさぎ込んでるから部屋ノックされても絶対返事 しないんだって?そんな事日誌に書いてあったっけ? 何度も繰り返し書いてるって?そんなの知らないよ、と。
オレさまで自己中でクールな私は、全ての読者が、プラトン全集の 一言一句の意味を慎重に吟味しながら読み進める西洋哲学研究者の ように、注意深く私の日誌を読むだろうと勝手に思い込んでいる。 謎の広告代理店社員氏に2週間前の 「量子波動の静かな音楽」(11月11日)の記事の感想はどうかと 聞いたら、そんなのは読んだ覚えが無いというので、私はおもわず ぶちキレて、折角あなたのために心を込めて書いたのに知らんとは 何事ぞと大喝。その大喝の逆襲が上記の逆ギレ大喝というわけだが、 私の日誌の忠実なる読者を自認してくれる謎の広告代理店社員氏でも こんな調子なのだから、やはり世の中は難しいものだと思う。
2006年11月24日(金)
<<引篭る>>
昨夜は某私大の友人から「来年4月から1年半も学科長やらされるんだ」と書
かれたメールが届き、押さえに押さえてきたものが爆発。1年半は大変だな、
俺なんざ、学科長やってまだ8ヶ月なのに、荒れすさんだ精神生活で人格変わっ
ちまったぜという話から始まり、とてもここでは書けないような話を延々と書
き連ねて送信。この話をCCで読んだ会社員の友人は、おー!久しぶりに高山
のぶちキレ話だあ、と拍手喝采。まあ、楽しんでいただければ私としては本望
ですが。
本日昼頃出勤し、学科長のお仕事。全力疾走O坂先生の協力を得て、学部 執行部への某意見書を作成。13時半から15時半まで、院生O君と研究ゼミ。 O君もそろそろ研究者として十分自立してやっていけそうな感じになってきて いるので、今回はほとんど研究の進捗を聞いて、今後の方針について色々相談 する程度で終る。その後しばし学科長有酸素運動を行ってから、16時から1 7時20分頃まで卒研ゼミ。
一息ついて17時35分頃から19時まで、野望と戦略のA堀先生主催の 通称野望セミナー。今日は花のお江戸は八百八町のK川先生の楕円曲線に関す る講演。その後、南草津駅前の野望セミナー懇親会場に向かう途中のバスの中 で、今日の講演の話を高次元に拡張して、あの条件をこう緩めるとナントカ消 滅定理の正標数版の話に関連してetc.の妄想を色々ぶつけて、K川先生を閉口 させる。
今年度は学科長で毎日鬱状態である。精神的に弱っている時は守りの姿勢 で引篭り気味で、飲み会参加には慎重になっているのだが、はずみで参加した昨日 の懇親会では、久しぶりに楽しい酒が飲めた。皆さん、有難うございました。帰宅 は深夜12時頃。
守りの姿勢で引篭る私の、今日の心の友は、ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」。
2006年11月23日(木)
<<リーマン・ゼータ関数>>
昨夜は壊れていた私だけれど、今朝は少し復活。午前中は自宅で野暮用。それ
から山科駅前Sbuxに立ち寄って、最近色々なことがあまり上手く行かないけれ
ど、去年の今頃はどうったかしらと思い出したりしながら、一服。昼頃出勤し、
学科長のお仕事を色々。夕方終了。
先週木曜日にシンポジウムから帰って来て以来、研究の方は全く手が付け られない。研究できないついでに、今後の講義のネタに使えそうだから、少し リーマンのゼータ関数の基本的なことを勉強しようかと、図書館で資料を物色。 いくつかコピーして目を通そうかと思っていたところで、学生がやってきて質 問。
あれこれ説明している途中に電話。私一人だと無視するのだが、話の邪魔 になって五月蝿いので仕方なく取ると、やはりロクでもない電話。今からそち らの部屋に行って説明するなどと言い出すので、今は来客中だから駄目だとい うと、明日はどうかという。明日だろうが明後日だろうが、そんな用件はメー ルで済むからいちいち部屋に押しかけて来るなと言って電話を切る。
再び学生の質問に答え続け、終了したのは20時過ぎ。2時間半ぐらいホ ワイト・ボードに数式を書き散らして喋りまくってたことになるな。まあ、学 生に教えるのは結構好きな方である。よく出来る学生より、色々なところでつ まづいている学生の方が、概して教え甲斐があって面白い。少なくとも、学科 長会議で、見たくもないおじさん達の顔を眺め、手配師の仕事を押し付けられ て腸(はらわた)を煮えくり返しているよりはうんとましだ。
9時半頃帰宅。夜は少しだけリーマン・ゼータ関数の勉強。話の流れは面 白いんだけど、詳細に議論を見てみると、えらく特殊な形の式をちまちまちま ちま計算してて、どうも私の趣味ではないな。
リーマン・ゼータな私の今日の心の友は、 ホアン・エンリク・ルナの 「Rossini Y Espana (ロッシーニとスペイン)」 と ザビーネ・マイヤーの 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」。 そして今日の締めは、 ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」。
2006年11月22日(水)
<<私、壊れます!>>
午前、午後と1コマずつ講義。午後の講義の後は16時から教室会議。金網デ
スマッチ状態で朝まで生会議!を予想し、トンカチ抱えて満を持して臨むも、
うまく逃げ切って、
何と!たったの2時間10分で終了。目出度いことに、トンカチ連打の危惧は
「単なる笑い話」で終り、会議の途中に入れた休憩時間の終わりを告げるため、
コンコンとやさしく連打するにとどまった。会議の後、宿題の整理やその他の
学科長業務を行い21時半に大学を出る。
それにしても、疲れた。インディアンと高山は嘘をつかないのである。「疲 れた」と言えば本当に疲れたのである。花のお江戸は八百八町のK川先生など は、「トンカチ、本当に買ったんですか?冗談だと思ってました」などと言っ ていた。これをもしゲーテ・謎の広告代理店社員氏が言ってたら、思いっきり 大喝!である。「トンカチの導入は冗談でも何でも何でもない」と書いてあっ たのが目に入らぬか。字は書いてある通りに読むものだ、と。もう一度言おう、 インディアンと高山は嘘をつかない、と。
先日のシンポジウムで、70名の数学者の海に投げ出された人嫌いの私は、 それだけでどっと疲れてしまうのに、身の程知らずにも怖い大先生の目の前で 嬉しがって2件も研究発表をしてしまい、その緊張も重なって疲労困憊してし まったのである。
シンポジウムと教室会議の二重疲労の波状攻撃にさらされたとなれば、も う壊れるしかないのです。高山幸秀、壊れます!と、こともあろうに品行方正 で鳴らしたこの私が、生まれて初めて学校の帰りにコンビニで焼酎の小瓶を買 い込み、深夜に密かに飲んだくれる。
壊れた私の心の友は、 勿論!ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」と ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa. そして、こういう日のための大事に取ってある私の宝物、ゲーテ・クラリネッ ト奏者氏のCDのモーツァルト・クラリネット五重奏の連続3回聴き!
2006年11月21日(火)
<<覚悟してください>>
学科長モードの日。明日の教室会議に備えて、出勤前に近所の雑貨量販店に行っ
て木槌を購入する。はてな。何故教室会議に木槌なのか?理由は簡単だ。紛糾
が予想される教室会議ゆえ、裁判官がパンパンパン!静粛に!!とやる、あの
トンカチが必要なのである。私は大きな声が出ない体質なので、仮に声がデカ
イ同僚が議長の私の制止も耳に入らず暴走した場合、机をひっくり返して口か
ら火を噴くか、トンカチでバンバンバンをやるしかないのである。これまでは、
知恵と勇気のロンドンの警察官よろしく、丸腰で相手の動きの隙を突いて静止
に入るチャンスをうかがったものだ。残念ながら学科長も半年以上やっている
と、そんな寛容な精神は摩滅するのである。トンカチの導入は冗談でも何でも
ないのだが、単なる笑い話で終ることを祈るばかりである。
ところで、2年前エッセンに滞在してた頃、テレビドラマで裁判ものをやっ ていて、ナントカという(名前を忘れた)綺麗な女優が裁判官を演じていた。 私はその美しく颯爽とした裁判官にただ見とれていたのではない。ちゃ んとドイツ語で「静粛に!」というのは,,Ruhe, bitte!''と言うのだというこ とを学習したのである。今でも彼女の発音が耳に残っている。トンカチでパン パンパンッっとやってから、Ruhe! Ruhe, bitte!! と、眉間に少し皺をよせて、 ちょっとハスキーな声で言うのだ。
13時から14時半まで学科長会議。またも手配師の仕事をしろだと!? 今朝量販店で買ったのがトンカチでなくて手裏剣だったら、あたり構わず投げ つけて暴れていたであろう。会議終了後、半時間程煮えくり返る腸(はらわた)を冷 ましてから、明日の教室会議の準備に着手。議題の論点整理と資料作成。 私の日誌を読んでいないどこかのオリコーさんが2度ほどやってきて、研究室のドアを ノックしていたが、当然無視だ。 そし て学科長通達メールに「明日は長い会議になりますから、覚悟してください」 と書いて、これでも食らえ!と送信。19時前に作業終了。生協で夕食の後、 明日の講義の予習をやって21時に大学を出る。
帰宅前に、研究室でトンカチでパンパンパン!ってうまく音が出るかどう か実験してみたが、あまりいい音が出ない。やっぱり代用品では駄目か。裁判 所用具店って何処にあるのだろう。それとも、プールの監視員が使ってるみた いな笛が良かったかな。ピリピリピリッ!はい、そこ!静かに!とか、ピリピ リピリッ!はい、もう分かりました。時間の浪費ですから同じ意見を何度も繰 り返すのはやめてください!とか、ピリピリピリッ!はい、そこ!いつまでも 居眠りしてないで、シャンとする、シャンと!とか? じゃあ、私は一体何なんだ?小学校の体育 の先生か?で、教室会議は小学校の体育の授業?似たようなものかしら。 長い間同僚教員と接触してな いから、何だかわけがわからなくなってきたな。
ああ、疲れた。教室会議する前から、自滅してますね。もうちょっと違う ことを考えようか。
そういえば30日はゲーテ・クラリネット奏者氏が京都市内某所で40分 ほどのミニ・コンサートを開くそうだが、生憎私は徳島大学に出張で聴きに行けない。 嘆き悲しむ私に氏は、たった40分間だし、○×で△◇■だから、別にそんな に残念がらなくてもよいというような事を言って取り成してくれたけれど、そ れは間違いである。間違いであることを、実は氏も知っているはずである。
何でもシュヴァルツコップフ(ドイツ語で「黒い頭」という意味、フラン ス語で言えばテットノアールだろうけど、そんなことは関係ない)という凄い 名前のソプラノ歌手が、「私の音楽を聴く前と聴いた後で、その人の人生が変 わっていなければならない」と名前に負けないぐらい凄い事を言っていたそう である。たった40分で聴いている人の人生が変わることもあるわけで、私は 人生を変える40分を見逃そうとしているのかも知れないのである。よし! そのかわり徳島大学で人生変えましょう(って、何を訳のわかんない事言っ てるんだよう)!
荒れる私の今日の心の友は、 まずはラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」 を狂ったように繰り返して沈み行く気分の高揚を図り、 ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa で煮えくり返る腸を冷まし、 ザビーネ・マイヤーの "A Night at the OPERA" で未来への希望を夢見、 カリン・ドルンブッシュ "Nordic Clarinet Concertos (北欧系クラリネット協奏曲集)" でしばし現実を忘れ、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera) で元気を出し、 そして、最後は トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」 で締める。
2006年11月20日(月)
<<河合塾の夏期講習?>>
月曜日は研究日のはずだが、午前中は山科区内で野暮用。山科駅前SBUXで
一息ついて昼食の後、出勤。雑務を色々。ついでに何か面白い論文はないかと
検索し、そのうちのひとつを図書館でコピーし、電車の中で眺めながら帰宅。
少しずつ静かな心を取り戻しつつある。
そういえば、楽しい事が沢山あった去年は、シンポジウム後遺症で挫滅し た心を白井光子さまの深く張りのあるソプラノが癒してくれた。今年、シンポ ジウム帰りの私を迎えてくれたのは、悩ましい学科長のお仕事の山である。ま あ、気が紛れていいんだけどね。でも、もう少し死んだフリして頑張ってれば、 ザビーネ・マイヤーのコンサートの日がやってくる!楽しみだなあ。夜は野暮 用とゲーテの宿題。
挫滅な私の今日の心の友は、 ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」、 ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa, そして、久々にアントニオ・サイオテの "A portrait". 横川晴児氏の公開レッスンでも取り上げていた ヴィドールの 「クラリネットとピアノのための序章と舞曲」作品Op.72 はこのCDに入っている。でも横川氏の演奏の方が綺麗だったな。 さらには、哀愁がこもった渋い音色で泣かせます、ディーター・クレッカーの 「20世紀のクラリネットVol.1」。
そういえばコンサートで貰ったパンフなどをぱらぱら眺めていたら、演奏 者の経歴に、「ディーター・クレッカー教授に師事」だとか、「ウォルフガン グ・マイヤー教授(ザビーネ・マイヤーの兄)に師事」だとかというのがあっ た。数学では誰それの弟子というのは経歴にはあまり書かないけど、まあ、音 楽業界はそういうもんなんだろう、と。それは良いとしても「ポール・メイエ のマスター・クラスを受講」ってのは、業界事情が分かってない私などは、 履歴書に『河合塾の夏期講習に参加』と書くようなものなのかしらと思って しまうんだけど、どうなんだろう。
2006年11月19日(日)
<<シンポジウム後遺症>>
野暮用の日曜日。まだ風邪が少し残っているような感じなので、できるだけ遅
くまで寝ていて、午後からは山科区内や自宅で野暮用。シンポジウム後遺症は
心身両面に及び、学科長の土曜のお仕事だの、教室内の揉め事だので頭の中が
忙しく、従って現在数学的には放心状態。静かな心を取り戻すには、まだ
しばらく時間がかかりそうだ。
来週の教室会議を思うと気が重い。「数学教室が潰されそうですけど、ど うしますか?」という重要案件を「それはどうでも良いこと」と断じた彼らが、 今更何を真面目くさって議論をするというのか。論理学には「ひとたび矛盾 (などというとんでもない事)が起こってしまえば、あとはどんな命題も真と なる」という原理がある。それに倣えば、「数学教室が潰れようが、そんなこ とはどうでも良いことだ」と断じた後の数学教室においては、もはやどんな命 題も真であり、要するに全てが無意味なのである。
私は会議室に集まった人々を、今日殺されるかも知れないというのに、明 日着ていくネクタイの柄は縦縞が良いか水玉模様が良いかという問題に熱中す る伊達男や、今まさに沈み行く豪華客船の中で、水夫が怠けていて甲板掃除が 不十分な事をどうやって船長に訴えようかと思案に暮れる気難しい老女を見る ような眼差しで眺めながら、教室会議の議長を務めることであろう。
野暮用と放心状態の心の友は、 ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」、 ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa, ザビーネ・マイヤーの "A Night at the OPERA", そして最後はカート・ラダーマの クラシック・ギター版「ゴールドベルク 変奏曲」(J.S.バッハ)。
2006年11月18日(土)
<<中面(ちゅうづら)>>
本日午後は大学に出勤して学科長のお仕事。就職委員の全力疾走O坂先生と二
人で父母懇談会。最初に学生生活の様子や進路状況の説明を簡単に行い、その
後、勉学や学生生活に関して、親御さんサイドからのさまざまな疑問や悩みに
ついて個別面談。予定の時刻を大幅に超過し17半頃終了。まあ、父母の皆様
方には、丁寧で誠意ある対応であったと満足して帰って頂けたのではないか、
と。
はてな?人嫌いで、社交性ゼロで、瞬殺ぶちキレですぐに人を「葬り去り」、 オレさまで自己中でクールな私に、なんで父母との個別面談が務まるのか?ま あ、自分で言うのも変だけど、私は外面(そとづら)と内面(うちづら)はそ う悪くもないのである。外面と内面が良ければ全部良いということではないか。 否、「中面(ちゅうずら)」というものも考えないといけない。人嫌いとか社 交性云々は、詰まるところ「よその人」と「身内・気のおけない親しい友人」 の間の、距離のとり方が微妙な相手に対する付き合い方を意味し、それがここ で言うところの「中面」である。私は中面があまり良くないので、無意識のう ちに外面か内面のどちらかで対処しようとするところがあるようだ。それが うまくいかない時に、いろいろ厄介な事態に陥ることがあるのだと思う。
中面のよろしくない私の今日の心の友は、 ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」。
2006年11月17日(金)
<<セレブ買い>>
シンポジウムで70名の数学者集団の毒気に当たり、本日風邪気味。そういえ
ば、去年の今頃の日誌を読み返すと、やはりシンポジウムの出張から帰ってき
て風邪をひいている。さらには、シンポジウムなんて楽しくも何ともないし、
一人引き篭もっている方が心安らかでいいのだけど、一人で数学はできないか
ら仕方なく大勢の同業者が居る所に行って、歯を食いしばって勉強してるんだ
などと、去年も今年と同じような事を書いているところが我ながら可笑しい。
体調を気 遣いながら昼前に出勤し、夕方頃まで学科長のお仕事。色々下準備的な作業は 片付いた。しかし、私が出張中に勃発した厄介な問題の数々を解決するために、 来週久しぶりに開かねばならない教室会議をどうしたものかと溜息。会議は紛 糾しそうだし、そういう時に真っ先に議長の私がキレてしまって、テーブルを ひっくり返して会議室を飛び出してしまいはしないか心配だし。やれやれ学内 政治は大の苦手なんだけどなあと思いながら家路につくと、たまたま同僚某先生 と一緒になり、電車の中でサバイバル学内政治のワンポイント・レッスンを色々 授けてもらいながら帰宅。
シンポジウムの夜の酒の席で、洋服の「セレブ買い」というものがあることを教 えてもらったけど、私も一度JEUGIAで「この棚のCD全部ちょうだい!」 みたいなCDセレブ買とか、サンリオ・ショップで店ごと丸なり買い取るハロー キティー・セレブ買いとかやってみたい気分だな。
学内政治の心の友は、ラ・フォンテーニュの 「テレマン室内楽作品集」、 ウイーン・クラリネット・コネクションの cafe europa, ザビーネ・マイヤーの "A Night at the OPERA", ホアン・エンリク・ルナの 「ロッシーニとスペイン (ROSSINI Y ESPANA)」.
2006年11月16日(木)
<<俺は知らんぞ>>
13日から今日の昼まで連日、東京都内の某研修施設に朝から晩まで缶詰になっ
て、可換環論のシンポジウム。院生O君もやや緊張気味ながらも修士論文の一
部の話を発表し、無事シンポジウムのデビューを果たした。
今年は学科長が回ってきたし教室会議も廃止してしまったので、日頃、ご く限られた同業者を除いて数学者とはほとんど没交渉である。そんな私が、合 宿制シンポジウムで数日缶詰になって、いきなり70名前後の数学者集団の中 に放り込まれるわけだから、ただではすまないのである。例によって、できる だけ透明人間モードでそこはかとなく漂うように大人しくしてたけど、今夕京 都の自宅に帰ってきた時にはぐったり。数学は楽しいけど、数学者は疲れます。
ある偉い先生が「私はいい仲間を得たいがために一所懸命数学をやってき たのかも知れません」というような事を言っていた。私も計算機屋時代から、 自分の好きなことを一所懸命やって、それでいい仲間が沢山できるって いう人生に憧れてたけれど、人嫌いで社交性限りなくゼロで特別 優れた能力があるわけでもない私に、そういうのは無理だということが だんだん分かってきた。 それで現在は、「私は一人になりたくて一所懸命数学をやっているのかも 知れません」という路線に切り替えているのである。
しかし、数学者以外の人たちには意外に聞こえるかも知れないが、社交性は 数学者としてうまくやっていくためには必須と言っても良いぐらいに重要な人 格的素養だと思う。私などは、深い森の奥で美しい音楽などを聴きながら一人 静かに数学だけやっているというのが理想だけど、今や数学は壮大な知的共同 作業で、進歩も結構速いので、余程の天才でもない限り一人ぼっちで数学はで きないんだよね。私が数学やってて「しんどいなあ」と思う時は、多くの場合 は、自分の社交性の不足が関係しているような気がするな。
帰宅後、250件以上届いているメール(勿論大半はスパム)のチェック をしたら、案の定というか相変わらずというか、学科長のお仕事関係は色々厄 介なことになっていて、思わず溜息。あーあ、俺は知らんぞ、とまた別の意味 でどっと疲れる。