一部のブラウザ

の

た

め

の

邪

魔

な

広

告

よ け ス ペ ー ス で す。

2006年9月15日(金)
<<イカ現は嫌いです>>
午前中から夕方頃までは、自宅で数学。これが分かってないと、どんな講演を 聞いても肝心な部分は何もわからないはずという、代数幾何学の基礎的事項の お勉強。夕方からは、大阪市内で開かれたクラリネットのコンサートを聴きに 行く。ベテランA氏、中堅B氏、若手C氏の3人が順番に弦楽四重奏団と共演 するというもの。

若手C氏が演奏したK.ヴォ−スレフの五重奏は日本初演ということで期 待したけど、ふたを開けたらいかにも現代音楽(以下「イカ現」)って感じの 曲。私は音楽を聴いて幸福な気持ちになりたいのである。なのに何だよ、これ は。ふーん、そうやって人間の不安や不条理な感情ばかりを掻き立てて勝手に 遊んでてください!ということで特に感動なし。

中堅B氏が演奏したR.フックスの五重奏曲も日本初演らしいけど、私は ポール・メイエのCDで既によ く知っている。 メイエとカルミナ四重奏団の演奏 に馴染んでいると、どうして も他の演奏は霞んで聴こえてしまう。B氏は相当な実力者らしいけれど、 その実力のほどはJ.キュフナーの「序奏、主題と変奏曲変ロ長調」で発揮さ れたようだ。これは溌剌とした綺麗な音で素晴らしい演奏だった。

ベテランA氏のW.A.モーツァルトの五重奏は、音色はとても綺麗だけ ど、音の強弱のつけ方が強すぎたり、ペラペラぺラーっと速く演奏し過ぎたり と、こんな乱暴なモーツァルト五重奏曲は初めて聴いたって感じ。ゲーテ・ク ラリネット奏者氏のモーツァルト五重奏曲は、聴いているとだんだん楽しくなっ てきて、最後には幸福感で一杯になるのだが、A氏の五重奏曲は楽しくなりか けたところで冷や水を浴びせられるという事の繰り返しだったところが残念。

アンコールはA,C氏がそれぞれイカ現、B氏がチャイコフスキーの「四 季」から「秋の歌」。若手C氏はイカ現が大好きなようだ。ベテランA氏のイ カ現は自分で作曲したものらしい。イカ現はテクニックの凄さを見せ付けたり 変わった音を出して楽器の限界に挑戦したりと、 コンクールの課題曲に指定して応募者の脚きりに使うのに 便利かも知れないし、特に技術面で自信のある演奏者にとっては面白いのか も知れないけど、それを聴かされる私としては 「へーえ、すごく上手なんだね」ぐらいの感想しか湧いて こないな。つまり、感心はするけど、感動はしない。

以上、ちょっと辛口の感想を書いてしまったけど、朝から数学やってコン サート聴いてと、とても楽しい一日だったことには違いない。2時間半ク ラリネットばかりのコンサートを聴くのは初めてで、こういうのがもっと増え ればいいのになと思う。

2006年9月14日(木)
<<数学者嫌い>>
この数日不眠症気味だったけれど、昨夜で解消できたようだ。昼前に起きて午 後は京大前喫茶進々堂で数学。夕方は草津に移動し買い物をしてその辺で夕食。 CD収納ケースをいくつか買ってきて、本棚にごちゃごちゃに突っ込まれてい た大量のCDを整理した。そのお陰で結局、パソコンや資料や書き散ら した計算用紙で埋め尽くされていた小さな勉強机がすっきりした。すっきりし た机で、また少し数学。

学科長をやっているため四六時中不機嫌なのだが、何故そんなに不機嫌にな るのかよくわからない。確かにどうでも良いような(としか私には思えない) 議題で毎週学科長会議に引っ張り出されるのも困ったものだが、そのお陰で親 和会の宴会で「先生、もっと楽しんでくださいよ!」などと声を掛けてもらえ るようにもなる。たまに他人から声を掛けられる分にはは、悪い気はしない。 会議の多さは不機嫌の一つの原因ではあるが、主原因ではなさそうである。

ひとつ考えられるのは、私は数学者が嫌いだということである。 数学者はある意味でエゴイストで我がままなところがある。 そうでなければまともな数学研究なんてやってられないと思う。 では、まともな数学研究をやっていないくせに、 エゴイストで我がままなだけのお前は一体何なんだ?という質問は、この際瞬 殺却下しておこう。

学科長だと数学教室の同僚たちという数学者集団と、数学以外の部分で向 き合わなければならない。数学を介して数学者と向き合うのもそれなりに大変 だけど、数学以外の部分で数学者と向き合うのは、往々にしてもっと大変であ る。全く、どいつもこいつも勝手な事ばかり考えてやがるぜ、とムカムカして くる。ああ、そういう自分も彼らと同じなんだと思うと、ますますムカムカし てくる。このような一種の近親憎悪と自己嫌悪の波状攻撃に見舞われることが、 不機嫌の原因ではないか、というのが目下の仮説である。 いずれにせよ、普段とは違う、そして自分にとって必ずしも心地良いわけでも ない他人との関わり方をしなければならず、パニックになっているのだと言っ ても良さそうである。

本日の心の友も、昨日と同じ ザビーネ・マイヤーの 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」、 トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオ ペラ(Clarinet Sings Opera)」、 そしてジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) 。

2006年9月13日(水)
<<「それでは困る」>>
午前中は山科区内で野暮用。午後から京大数理研図書室で数学。帰宅したら学 科長人気者メールが届いていて、特にこれといった剣呑な用件でもなかったの だけど、ぶちキレる。嗚呼、学科長になってまだ半年も経っていないけれど、 およそ精神の柔軟性なるものは急激に失われ、本当に私はキレやすくなってし まった。数学とか音楽とかで、何とか誤魔化して日々平穏を保つようにはして るけどね。

夜、ひとしきりぶちキレた後は、また少し数学。

今日のぶちキレとは直接関係無いけれど、私は他人と押し問答をしながら 解決を見出して行く作業能力に乏しいようだ。私はA案に賛成です。貴方はど うですか?ああ、反対なんですか。じゃあ、私は私、貴方は貴方で、別々にや りましょう、はい、サヨナラ!え?それでは困るって?だって、一方は賛成で 他方は反対なんだから、論理的整合性が取れない事は明らかだし、「両者は相容 れない」という結論がすでに出てるじゃないですか。問題はもう解決しています。 これ以上何を議論せよと言うのですか?まあ、単純に言えばこんな調子である。

これまた一般的な話だけど、世の中のある種の人は「それでは困る」とい うフレーズをよく口にする。この言葉の意味が昔からよくわからない。一体誰 がどう困るのか。少なくとも私が困ることは無い。ちょっと考えただけでは、 相手が困る理由も思い当たらない。しかし、私も一人の誠意ある人間として生 きてゆきたいと考えているので、私の言動によって私が思いもよらない理由で 相手に迷惑が掛かるというのなら、考慮しようではないかと思う。そこでその 点を問いただしたりするのだが、要領を得た答が返ってきたことは、私が記憶 している限りでは皆無である。これでは考慮の仕様が無い。

この背景にはおそらく次のような事情が隠されているのだと思う。つまり、 「それでは困る」という言葉を使う人びとは、社会をある種の秩序の下に動かした いと考えている。その実現に責任を持ちたいと考えている。秩序ある社会の実 現は良いことだ。Alles in Ordnung! 私も賛成。だがこれはたぶん同床異夢に 過ぎない。彼らが考える秩序と私が考える秩序は同じではなく、彼らが「それ では困る」と言うとき、彼らは彼らが考える秩序(それが何なのか、大抵の場 合私にはわからない)に従うべきだと言いたいだけなのだろうと思う。

いずれにせよ、私は(悪戯心で言う時は別にして!)「それでは困る」と いう言葉を死ぬまで口にしない人間だろうと思う。そうでなければ、学科長やっ ててこんなにブチ切れたりはしないはずだ。

さて、本日の心の友は、 ザビーネ・マイヤーの 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」、 トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオ ペラ(Clarinet Sings Opera)」、 そしてジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) 。

2006年9月12日(火)
<<潤滑油>>
昨日は寝不足でふらふらだったのに、昨夜は何故か深夜に目が覚め未明まで眠 れずに悶える。眠れない時は数学を考えればそのうち眠くなるさと、昨日He rzog先生と議論した時の宿題を考えてみても一向に眠くならず、とうと う1つ解決する。そうこうしているうちに、やはり明け方には気を失う。

午後一番は学科長会議。特にこれといった議題も無く40分で終る。不思 議だ。40分で終るような会議をわざわざ開くのは何故か。日頃の定期的なコ ミュニケーションは職場の潤滑油ってことなのかしら。そういえば、7月の親 和会宴会の時、学科長会議で顔見知りの他学科の先生に突然、「先生、もっと 楽しんでくださいよ!」などと言われてしまった。余程私は退屈そうな顔をし てたのだろう。でも、私は退屈極まりないこのイベントを、まさに退屈極まり ないが故に心から楽しむのである。こんな手の込んだ物事の楽しみ方は、数学 教室の同僚達にはとても真似できまいと思うと、密かな優越感さえ湧き起こっ てくるのだ。ああ、何て俺は変な奴なんだろう。ま、それはともかく、こうい うのを潤滑油って言うのかも知れないな。潤滑油か、悪くないな。牛乳に浮か ぶケロッグ・コーンフレークのように、私もたまには潤滑油の中にプカプカ浮 かんだりしないと、ただでさえ偏屈なのが益々酷くなってしまう。

会議が早く終ったので、珍しく夕方まで研究室で研究。色々具体例を計算 してみたりして、Herzog先生の宿題の2つ目を解決する。 生協で夕食の後、山科駅前SBUX経由で帰宅。夜はドイツ語など。

本日の心の友は、 ザビーネ・マイヤーの 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」 およびトリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」を繰り返し。

やはり楽しさという点ではアレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオ ペラ(Clarinet Sings Opera)」、そして、 曲想の奥ゆかしさという点では、ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) の方が「大当たり度」は大きいかな。

2006年9月11日(月)
<<寝不足>>
何故か寝不足の一日。午前中は寝てるんだか勉強してるんだかという感じで、 代数幾何学。午後は京大数理研で院生O君と待ち合わせて、数理研に滞在中の Herzog先生と共同研究。その後3人で京大近くのカフェで一休み。He rzog先生も、教室会議を全部メール済ませるのは良いことだという。誰も が皆、会議をやらない事は良いことだという。ある人は褒めてくれ、ある人は 私に感謝し、またある人はスキップしながら大喜びで去っていく。では人々は 何故悪いことだと分かっていて会議をやるのか。悪い事と分かっていれば、勇 気を持ってやめましょうと学校で習わなかったのか。

その後私は数理研図書館で少し調べものをしてから、JEUGIA三条 本店道草経由で帰宅。

今日は前々から目をつけていた、ザビーネ・マイヤーの 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」を購入。 協奏曲1番は 「クラリネット・コネクション」 に入っているものと同じ。やはりザビーネ・マイヤーにハズレなどあり得ない。 ウエーバーもなかなか良い。

それから、ディーター・クレッカーのCDも目をつけていたのだが、気が 変わってトリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」。これもずいんぶん前から目をつけていたもの。 ベルリンフィルの首席クラリネット奏者(だった)マティアス・グランダー は結構綺麗な音を出す。写真で見る限りではフランス流ベーム管を使ってるようだ。 ベルリンフィルなのに、何でドイツ流エーラー管を使わないのかしら。

プーランクの「クラリネット・ソナタ」は ポール・メイエも、 ラルフ・マンノも、 シャロン・カムも 録音している定番曲。ジェルジ・ク ルタークの「ロベルト・シューマンへのオマージュ作品15d」やたぶん世界 初録音(という言葉に弱い私!)のジークフリート・マトゥス「水の遊び」などは、 初めて聴いたけど「現代音楽やなーあ」って感じ。同じ現代物でもジャン・ フランセの三重奏曲はもう少し聴きやすい。

しかしこのCDでは、ヴィオラのフェリックス・シュヴァルツが断然良く て、「ヴィオラとピアノのための演奏会用小品(ジョルジュ・エネスク GEORGE ENESCU)などは、ぐっと来る。たぶんこのCDの中で一番ぐっと来る。

2006年9月10日(日)
<<勉強すると眠くなる>>
昼前に起きて、WebでNHKやDeutsche Welleのドイツ語 ニュースを聞いたりしているうちに昼になる。午後は少し代数幾何学のお勉強。 相変わらずよく分からないので、眠くなる。しかし、数学の難問を考えている 時も、やはりよく分からないが故に眠くなる。眠たいのが嫌だなんて言ってた ら数学者稼業などやってられない。数学者として生きるという事は、即ち睡魔 と闘うということなのである(嘘だよ)。

寝てるのだか勉強してるのだかよくわからない状態ではしょうがないと、夕 方は街に出る。地下鉄京都市役所前駅から寺町通りを南下し四条通りに突き抜 ける。そこから右に折れて大丸四条烏丸店で少し買い物をしてから帰宅。本当 はJEUGIA三条本店で目をつけてある CDを買おうかと思ってたけれど、 今日のところはぐっと堪える。

夜も気を取り直して、また少し代数幾何学のお勉強。

今日の心の友は、 クラリネットの良い音の何たるかを確認するために、まずは ポール・メイエとカルミナ・カルテットの クラリネット五重奏曲 (フックス、ウエーバー) と ザビーネ・マイヤーの クラリネット協奏曲73番 (ウエーバー)およびクラリネット協奏曲10番(スタミッツ)。 カール・マリア・フォン・ウエーバーは「魔弾の射手」などの、ドイツ・オペ ラの作曲家らしいけれど、クラリネット用の綺麗な曲を沢山書いている ようだ。 さらに、ウルフ・ローデンホイザーの クラリネット五重奏曲(モーツアルト)。 そして今日もまた ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲」 (ミシェル・ヨスト) で締める。ミシェル・ヨストはフランスで活躍したクラリネット奏者らしい けど、生まれはスイスらしいのでYostは「ヨス」ではなく「ヨスト」と読むべ きか、と。

2006年9月9日(土)
<<継続の快感>>
何故か異様に蒸し暑い一日。午前中は少し数学を勉強したりWebのドイツ語 ニュースを聞いたりして過ごし、午後から自宅や山科区内で野暮用に励む。夜 はついでにスポーツクラブを済ませ、週末の野暮用雑用を一日で全部片付ける。

スポーツクラブは「済ませる」ものである。それは単に健康上の理由で通って いるだけで、好き好んで行っているわけでもないから。私は割合、習慣的に何 かを継続することが得意で、その事があまり苦にならない。この日誌もかれこ れ7年ぐらい続いているが、本来は気晴らしに雑文でも書こうということなの だが、それを毎日欠かさず更新しているのは、単に何かを習慣的に継続する快 感に酔いしれているからにほかならない。

何かを習慣的に継続していると、そのうち意地になって続けようという気 になってくる。そういう例はスポーツクラブやWeb日誌以外でも色々ある。 例えば、夕食後に饅頭やケーキを食べ始めるとそれが習慣になって毎日食べな いと気がすまなくなり、そのうち体重がどんどん増え始め、検診で引っかかっ て医者に脅されるはめになる。そこで泣く泣く継続の快感を断ち切ることにな る。もっともこれは習慣というよりは、中毒と呼ぶべきか。

それ以外には、 医者に脅されてダイエットをした時に始めた毎回の食事とその日の体重の記録作業、 ドイツ語の勉強とゲーテ通い、 教室会議をメールだけで済ませてしまうこと、 瞬殺ぶちキレで「葬り去られた」人々に対する対応の仕方、 JEUGIAでクラシックのCDを買うこと、 そして、数学の勉強と研究。 いずれにせよ、私にとっては続けるのは簡単だけど、やめるのが大変なものばかりである。 でも、案外ちょっとしたハズミで、いつの間にかやめてたりもする可能性も あるけどね。

本日の心の友。アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオ ペラ(Clarinet Sings Opera)」ひとつに絞って繰り返し聴いてみる。

2006年9月8日(金)
<<ロッシーニ病>>
ロッシーニのメロディーが頭の中で勝手に走り回る病気は、いっこうに治る気 配を見せない。午後は院生O君と研究ゼミ。今日はちょっとした打ち合わせだ けで1時間ほどで終了。その前後は、五月蝿い学科長人気者メールにせきたて られて、適当に数学に逃避したりもしながら、色々雑用。夕方は比較的早く帰 宅し、夜も少し学科長モードで仕事してから、適当に数学に移行。

本日の心の友。「ロッシーニ病」も何のその、大学ではアレッサンドロ・ カルボナーレの 「クラリネット吹きのオ ペラ(Clarinet Sings Opera)」。引き続き、ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨス) .

帰宅後は、久々登場!アルフレート・プリンツの 「クラリネット・ソナタ(ブラームス)」。 やはり音色の美しでさはプリンツに勝るもの無しか。 ピアノ伴奏のマリア・プリンツは奥様。 プリンツは現在70代で健在のようだけど、だいぶ前から演奏活動からは遠の いている。しかし、クラリネットは演奏しないけどクラリネットの伴奏でピアノを弾 いたりしているらしい。器用な人だ。

演奏家は何歳ぐらいまで活躍できるものなのかしら。楽器にもよるだろう けど、数学者よりは長く活躍できるんじゃないかしら。しかし、先日90歳の チェリストがバッハの無伴奏チェロ組曲を演奏するのを聴いたけれど、さすが に色々無理があるようで、音の張りなどなかなな厳しいものがあった。

プリンツを聴いたついでにカール・ライスター の「クラリネット・ソナタ(ブラームス)」 。 ライスターの「ころころした音」は独特で美しいけ ど、私としてはやはり透明感のある音色のプリンツの方がいいな。

ライスターはベルリン・フィルの主席奏者を引退して以降、精力的に沢山 のCDを録音して日本にも売り出している。販売促進のためであろうか、今年 来日したライスターは、津々浦々までコンサートやマスター・クラスの公開レッ スンなどをして回ったそうである。津々浦々の文字通り、私の故郷である小さ な田舎町三重県の津市にもやってきたというから、その力の入れようがうかが い知れる。

プリンツとライスターのブラームスを聴けば、ペーター・シュミードルを 聴かないわけにはいかない。実は、ゲーテ・クラリネット奏者氏に「押しかけ 弟子入り」した時、最初の課題が「プリンツとライスターとシュミードルの演 奏するブラームス・クラリネットソナタを比較検討せよ」というものだったの である。

ということで、シュミードルの 「クラリネット・ ソナタ(ブラームス)、幻想小曲集(シューマン)」 で一日を締めくく る。

2006年9月7日(木)
<<悪魔の一突き>>
今日も基本的には終日自宅で数学。しかしながら、ブンブンと五月蝿く飛んで 来る学科長人気者メールに返事を出したり瞬殺クリックしたりして、適当に対 応もしていた。

同僚教員の中には、大学のPCが壊れていてメールが読めない人が複数人 居て、私の学科長通達メール(ばかりではなく大学当局からの色々な「お達し メール」も)が届いてないらしいとの噂が聞こえてきている。しかし本人から、 そういう事情ゆえ、メールの内容を印刷してポストに入れて欲しい等の要望が 出れば考えないでもないが、何も話が来ないので放置してある。

しかし考えてもみよ。何でもかんでもメールで済ませたがる自爆テロリス ト学科長が居て、そのいっぽうで、自分のPCが壊れてメールが読めないとす る。私ならこれ幸いと、大学経営や学校運営に関するゴタゴタしたメールに煩 わされる事のない素晴らしい時間を満喫することであろう。素晴らしい時間を 満喫することは、良いことだ。もしかしたらゴミ論文のひとつも書けるかも 知れないし。

さて、夕方頃、逃避活動の一貫として山科駅前まで徒歩で2往復する。1 往復目は食料品の調達、2往復目は山科駅前SBUXにシケ込んで、小一時間 ほど,, Rückenschule''に読みふける。ぎっくり腰のことをドイツ語では Hexenschuss (魔女の一突き)などと洒落た言い方をするそうだ。私がよく経 験する(まずい事に突然気づく)電撃的天啓のことはTeufelsschuss (悪魔の一 突き)と言うべきか。私の辞書には載ってないけどね。

自宅引きこもりの心の友は、ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨス) とエマ・ジョンソンの Voyage。エマ・ジョン ソンの音を最初私は「(ビブラート抜きの)リチャード・ストルツマン系の音」 とかなり綺麗なように評したのだが、ゲーテ・クラリネット奏者氏は「ん?普 通だと思いますが」と言っていた。実はこの微妙なギャップをどう捉えどう埋 めれば良いかが、ここ数ヶ月の間私を密かに悩ます懸案になっている。確かに 「リチャード・ストルツマンみたい」と言うのは褒め過ぎだとは思うけど。

2006年9月6日(水)
<<名コンビ>>
秋雨の一日。数年前までは9月下旬まで熱帯夜が続くのが普通だったように思 うけど、今年の今頃はずいぶん涼しい。夕方頃ふらりと家を出て、JEUGI A三条本店を偵察、その帰りに京極通り紀伊国屋書店前喫茶平野屋改めSBU Xで、昔エッセンの書店で安売りしてたのを衝動買いした肩こりの本 (,,Rückenschule'' 直訳すると「背中学校」。「肩こり・腰痛教室」程度の 意味であろう)を読みふけった以外は、終日自宅で数学と僅かばか り学科長のお仕事。

今日はバッハの日にしようかと思い、 戯れにトン・コープマンの 平均律クラ ヴィーア曲集第1巻と 平均律クラヴィーア 曲集第2巻の全曲聴破だあ!と勇めど、その退屈さに泣きて三歩歩まず。 第1巻の半分で投げ出す。気をとりなおして藤原真理の 「無伴奏チェロ組曲(バッハ)」 に手を出すも、組曲第2番の途中で倒れる。 やはりご宣託も無いのに 勝手に「J.S.バッハの日」なんて決めてはいけないのかしら。

そこで、まだ頭の中で勝手に曲が流れたりする発作は治っていないけれど、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラ リネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」。さらにはポール・メイ エの 「フレンチ・クラリネット・アート」。 この写真ではまだ二人とも20代ぐらいのようだが、クラリネットのポール・ メイエとピアノ伴奏のエリック・ル・サージュのコンビはずっと続いているら しく、いい年のおじさんになった今でも彼らは一緒に世界中でコンサートをやっ ている(来日公演でも何故か関西圏には来てくれないのが悲しいが)。 チェロのミッシャ・マイスキーとピアノ伴奏のマルタ・アルゲ リッチのコンビ(たとえば コレとか コレ)や、 ソプラノの白井光子さまとピアノ伴奏のハルトムット・ホ ル(たとえば コレとか コレ)は夫婦だし、まあ、こういうウマが合うというか、相性の良いコンビという のは少なくないようだ。数学でも小平&スペンサーとか、森&コラーとか超有 名な名コンビをはじめとして、長く続くコンビは少なくない。私は「いつも、 ふと気が付いたらひとり」が習い性の人間なので、そういうコンビは羨ましく もあり、不思議でもある。

一日の終わりは ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲」 (ミシェル・ヨス) で締める。やはりこの人の音色は物凄く綺麗なんじゃないかしら。 一度、クラリネットの音色に厳しいゲーテ・クラリネット奏者氏の意見を 聞いてみたいものだ。

2006年9月5日(火)
<<メールをください>>
シューベルトのピアノ・ソナタが頭の中でガンガン鳴って目が覚める。今朝の ご宣託はアルフレッド・ブレンデルである。最近ずっと聴いてなかったけれど、 今日の心の友はブレンデルで決まりだな。

13時より17時過ぎまで会議が3つ。その合間や前後を縫って、ゲリラ 的に数学。大学教師の間の常識として、大学の研究室というのは通常単なる資 料置き場であって研究する所ではないのだが、会議の合間のちょっと空いた時 間に仕事をするには実に役に立つ。会社員時代は大部屋暮らしが普通で、重役 以上でないと個室には入れなかったことを思うと、こういう隠れ家的空間があ るのは有り難いことだ。

特に私などは、学科長をやっているうちに(特に数学教室の)同僚教員の誰 とも話をするのが億劫になってきて、近頃は研究室に居る時は必ず内側からカ ギをかけ、誰かがノックしても絶対に出ないようにしている。今後は電話も出 ないようにしようと思う。ただでさえ今年度は学科長ゆえに憂鬱で機嫌が悪い のに、ぐちゃぐちゃ面倒な話を持ちかけられた日には、何が起こるか知れたも のではない。世界の平和と安全のため、用件があればメールでどうぞ。 気に入った用件に限り誠意を持って対応致します。 それ以外は瞬殺クリックしますから、ヨ・ロ・シ・ク! どうし ても私と直接話をするなどという冒険がしたければ、廊下で捕まえてください。 勿論私も捕まらないように全力は尽くしますけど、と。

さて、引き篭もりの心の友は、お約束のアルフレッド・ブレンデル。「ピアノソナタ第13番D.664、第14番 D.537(シューベルト)」、および、「ピアノソナタ第42番D.845および 即興曲D.946(シューベルト)」。そらからジリ・コタルの「 クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲 (ミシェル・ヨス)」とペーター・シュミードルの「ベートーヴェン・ピアノ三重奏曲集」。聴 いているととても幸福な気分になれる。やっぱりベートーヴェンは偉いなあ。 この幸福な気分をもう少しだけでも持続させたければ、これしかない!と、 ゲーテ・クラリネット奏者氏のデビューCD「クラリネット五重奏曲(モーツァ ルト)」で一日を締める。

2006年9月4日(月)
<<商売の苦労>>
学科長人気者メールがやんややんやと五月蝿い。しょうがない!ひと仕事しに 行くかと昼前に出勤。十分気配を殺して大学構内を忍び足で歩いていたはずな のに、何故か事務の人に見つかってしまって想定外の仕事を仰せつかったり、 そうこうしているうちに新らたな学科長人気者メールが届いて仕事が増えたり。 15時頃には業務終了してあとは数学をと思っていたのだが、結局夕方まで何 だかんだと学科長のお仕事。まあ、途中逃避行動がかなり入って、だらだら仕 事してたせいでもあるのだが。

会社員時代に友人と「研究の苦労は楽しい苦労だけど、商売で苦労するの は耐えられないな」というような話をしたことがある。 「売れる物を作れ」 「商売に直結する研究をしろ」 「論文発表の前には必ず特許を書け」 「研究計画を提案するときは何年後に何億円の売り上げが期待できるか数字を 書き、その算出根拠を示せ」 「技術一辺倒じゃ駄目だ、人々の心を掴む商品を作れ」 という世界は、ある種の人たちにとってはワクワクするものであろう。 彼らは早く研究成果を出して事業化し、研究所を飛び出して工場で生産の指揮を とったり、全国を飛び回って自分が作ったものを売りまくる日を夢見ることだろう。 でも、自分達にとってはそういうのは夢でも何でもないし、時代の流れや人々 の欲望を相手にするよりも、静かに学理を探求していきたいという話だっ たと思う。それで頑張って大学に転職しようということになったわけだ。

その大学も今や生き残りを賭けた経営至上主義の時代に入り、大学教師も 商売で苦労するようになってきたけれど、会社員時代のそれと比べると、今の ところはまだ大したことはない。学科長の仕事も商売の苦労と比べたら、やは り大したことはない。だけど、学科長の任期中は基本的にずうっと不機嫌な状 態が続くというのは、やはり問題だな。今のところは、 日に数回は自爆テロで数理科学科を吹っ飛ばす白昼夢を楽しみ、 瞬殺クリック!音信不通の雲隠れ、案件の手抜き処理等で適当に憂さ晴らしをし、 クラシック音楽漬けと数学で何とか騙し騙しやってますけど。 これがもし2年3年続くとなれば、意味不明の言葉をわめき散らしながら、そ の辺に火点けて回るようになることは間違いない。そうならないように、自分の 身は自分で守らないといけません。

今日の心の友。最近アレッサンドロ・カルボナーレを聴き過ぎて、今朝は カルボナーレのクラリネットが頭の中でがんがん鳴って五月蝿くて目を覚まし てしまったため、今日一日は聴かないことにした。 まずは、アントニオ・サイオテの "A portrait". 変わった曲が入っていて面白いCDなのだが、やはりサイオテの音は×であろう。 続いてジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲」 (ミシェル・ヨス)。 そして、音色の美しさといえばリチャード・ストルツマン。 まずは”ARIA”. うーん。でも、やはりビブラートがちょっと気持ち悪いな。 ではビブラートを押さえたストルツマンということで、 「5つのバガテル」「クラリネット協奏曲」(フィンズィ)・ イギリス民謡「四季」「グリーンスリーヴス」(アシュモア)」。 と、ここまでくると必然的に(何で必然なんだよう?)ゲーテ・クラリネット 奏者氏のデビューCDを聴きたくなってくるのだが、そこはぐっと我慢して (何で我慢するんだよう?)、 シャロン・カムの「クラリネット・ピアノ二重奏曲集 (シューマン、ドビュッシー、プーランク、フランセ)」。ゲーテ・クラ リネット奏者氏によれば、シャロン・カムは「このCDよりもコンサートで聴 いた音の方が綺麗だった」とのこと。CDの音色が、結構いい線行ってるけど もひとつという点では納得。 そして最後は 桜井真理の "Berceuse(子守唄)". この人の音色も結構綺麗だと思う。 何か音に張りが無いのが前から気になってるんだけど、 それは「子守歌」なんだから当たり前か。

2006年9月3日(日)
<<深い虚脱感>>
今朝寝ぼけ眼で朝刊を見て驚いた。朝日新聞に某学習塾の全面広告が出ていた のだが、授業風景として大きく写っている講師は何と!今は亡き筋肉中年S藤 先生の元学生H場君。「H場!どうしちまったんだよう!?こんなにエラくなっ ちまって!」と、いきなり眠気が吹き飛ぶ。その勢いで午前中は自宅および山 科区内で野暮用。

午後は諸般の事情で観劇に出掛ける。劇場でふと見回すと周りの人たちの 約99%は50代以上、90%以上は60代以上で、観客の平均年齢は 推定70歳前後。役者の上手さでそれなりに見せてくれるのだけど、 芝居自体は昭和初期が舞台の、私にはあまり面白く思えない陰鬱な物語。 何だかずいぶん場違いな所に来てしまったような感じで、深い虚脱感に襲われる。

帰宅後は、大急ぎで ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲」 (ミシェル・ヨス)、 ポール・メイエの 「ブルッフ8つの小品」 、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」 を立て続けに聴いて気分の持ち直しを図りつつ、急遽頼まれた雑文原稿書き。

2006年9月2日(土)
<<潜伏生活>>
午前中は自宅でメールをいくつか書いて学科長関連のお仕事。まあ、瞬殺クリッ ク!などと書いてはいるけれど、適宜フォローはしているのである。 午後は山科区内で野暮用の後、山科駅前SBUXにて、また少し数学。夜はス ポーツクラブでへとへとになる。夜中も少しだけ数学。

今日の野暮用と数学の友は、音色の美しいJiri Kotalの「クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲 (ミッシェル・ヨス)」、 そして、おなじく「世界初録音」ものCD、アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」。 この2枚のCDは、音色はどちらも綺麗だけど微妙に前者が勝っていて、内容 の楽しさではロッシーニやプッチーニの曲とかが沢山入っている後者の方がい いと思う。

オペラってこんな楽しい曲が聴けるのか。でも言葉が分からないと欲求不 満が溜まるな。私はイタリア語はさっぱりで、学生時代にイタリアン・スクー ルの代数幾何学の論文と解体新書的格闘を繰り広げて、往生したものだ。そう いえば先日寺町通りで3年振りに偶然再会したB氏は、ゲーテから失踪して潜 伏生活でも送っているのかと思いきや、いつの間にかイタリア語などを習ってい たようで、ドイツ・リートの他にイタリア語の歌などを歌って楽しんでいるよ うである。私はイタリア語の前に、フランス語をもういちどちゃんとやり直したい けどね。

「世界初録音」CDの他には、クラリネットの美しからざる音とはどんな ものかをいま一度確認するために、久々登場!セア・キングの「クラリネット協奏曲集(タウシュ&ズースマイヤ)」 。ははあ、この音か。だんだん分かってきたぞ。 でも、プロの演奏家として活躍している人で、こういう音を出す人って結構沢 山居るんだけど。

2006年9月1日(金)
<<教授会の「学級崩壊」>>
京大数理研での研究集会最終日。途中の講演を聞くのをさぼって研究所構内で ぶらぶらしていたら、数理研滞在中のHerzog先生が疾風の如く私の横を通り過 ぎ、一瞬足を止め、ふとこちらを振り返って Die Zeit habe ich! ("今なら 数学の議論をする時間はあるぞ!"の意味か?)と言ったような気がしたのだ が、私としては急にドイツ語(らしき言語)で何か言われてもわからず「へ?」 とかいう顔をしているうちに、先生、また疾風の如く去って行った。私はおじ さん嫌いだが、ああいうおじさんならなってもいいな(なれないだろうけど)。

それにしても研究集会やシンポジウムというのはしんどい。教室で1時間 から1時間半ぐらいの、あまりよくわからない講義を聞いてせっせとノートを 取ったりするのだから、学生と同じである。それが1日何回も繰り返されて、 そういう日が数日続くわけでだから、いくら講義の内容が面白くても疲れ果 てる。

文明国の子供はそういう生活を10数年間続けるのだから、物凄いことで ある。とくに勉強嫌いの子供たちは小さい時から、ひたすら早く家に帰れる事 を祈りながら苦痛に耐えて黙って教室に座り続ける訓練を受けるわけである。 これは大人になって退屈な会議に出なければならなくなった時に役に立つ。逆 に、学校時代に秀才で通してきたような人はこういう耐性があまり出来ていな いわけで、教授会や学科長会議や教室会議の退屈さが余計に骨身に沁みるのだ と思う。

そういう意味では、学校時代に勉強嫌いだった人ほど、大学教師に向いて いる。しかしそのうち私語世代や学級崩壊世代が世の中の主流になって、教授 会なども学級崩壊状態になって目出度く廃止に追い込まれるかも知れない。否、 昨今どこの大学でもトップダウン経営が流行しているから、教授会の廃止も時間 の問題かもね。ちなみに数理科学科の教室会議は既に廃止されているけど、これ は教室会議が「学級崩壊」したからでも学科長が強権主義に走っているからでも なく、単に学科長の適性がおおいに欠けている私が早々とキレたからだと考えら れている。

研究集会の帰りはJEUGIA三条本店で道草。「世界初録音」の触れ込 みに惹かれて以前から目をつけていた、Jiri Kotalの クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲 (Michel Yost)を購入。Michel Yost (ミシェル・ヨス)というのは18 世紀にクラリネット奏者として活躍したフランス人で、モーツァルトと ほぼ同世代だが作曲家としてはかなり マイナーなのだそうだ。マイナーだけど死後200年以上経って世界初録音されて (少なくとも私には)注目されるのである。私の論文も死後200年ぐらい待てば誰 かに注目してもらえるかも。でも自分が死んでしまってからの事なんて、私に はどうでも良いことだ。Jiri Kotalの音はとても綺麗で、クラリネットの音色 に厳しいゲーテ・クラリネット奏者氏も○をつけるんじゃないかしら。他には、 ラルフ・マンノの 現代ものと シューマン物。