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よ け ス ペ ー ス で す。

2006年9月30日(土)
<<ゆるぎない評価>>
ひとたび天才を返上してしまえば楽に生きられるのだ。 今朝もまた 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera) が頭の中で鳴り響いて目が覚めたのだが、

五月蝿い!!(怒)

と胸のうちで一喝してから、安らかに二度寝。もう布団の中では数学は考えな い。午前中はまた論文書き。午後は山科区内で野暮用。夕方、山科駅前Sbu xで科研費のネタ捜しを少ししてから帰宅。夜はスポーツクラブ。夜中も少し 論文書き。何やら学科長人気者メールがいくつか届いていたようだが、瞬殺ク リック。

そういえばHerzog先生が言っていたな。高山、今年は学科長か。そりゃあ 大変だな。俺は学科長なんか一度もやったことないぞ。何せ「Herzogにやらせ たら、物事が全て滅茶苦茶になってしまう!」との悪名が轟き渡っているから な、と。やはり何事においても、ゆるぎない評価を勝ち取った人間は強いな。 学科長もあと半年。会議を無くして感謝されているようでは全然駄目で、 頑張って「物事が全て滅茶苦茶になってしまう」との悪名を勝 ち取りたいものだ。

今日の心の友は、 ペーター・シュミードルの 「ベートーヴェン・ピアノ三重奏曲集」、 ディーター・クレッカーの 「20世紀のクラリネットVol.1」、 ジリ・コタルの クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲 (ミシェル・ヨスト)、 そして最後はトリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」 で締める。

明日から出張。次回更新は月曜の深夜以降。

2006年9月29日(金)
<<天才を返上する>>
明け方、頭の中でアレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera) が勝手にガンガン 鳴って、あまりの五月蝿さにふと目が覚める。布団の中でぼんやりしていると、 またもHerzog先生に問われていたもう一つの問題についてのアイディアが、頭 の中で急速に動きはじめ、なんとなく「解決」。おおおーっ!俺って天才じゃ ん!と気を良くして、証明の概略をメールに書いてHerzog先生に送り、もう一 度寝る。

昼前に再び起きると、Herzog先生から返事のメール。あほ!最初の前提部 分のところで既に誤解しとるやないか。でもまあ、気にするな。この問題は難 しくてちょっと手に負えそうにないシロモノだからなと慰めのお言葉。「前提 部分の誤解」が晴れてみると、思ってたよりも難問であることがひしひしと分 かってきて、こりゃあかなわんわと天才を即日返上して、出勤。学科長モード でしばし猛烈に仕事してから、院生O君との研究ゼミ。夜は、学科長人気者メールへ の対応、論文書き作業、そして種々の逃避行動など。論文書きが何故逃避行動 を掻き立てるかというと、喜び勇んで書いている最中に、例えば主定理の証明 の致命的な間違いに気づいて全てが灰燼に帰したりしないかと恐れるからであ る。

天才返上の友は、 ディーター・クレッカーの 「20世紀のクラリネットVol.1」 とアルフレット・ブレンデルの ベートーヴェン・ピアノソナタOp.7&Op.28"パストラル" &Op.49.No.2」。 さらに ペーター・シュミードルの 「ベートーヴェン・ピアノ三重奏曲集」。 ブレンデルのCDの最後に入っているピアノ・ソナタ (Sonata No.20 in G, Op.49 No.2)は、シュミードルのCD にも入っていて、「ピアノ7重奏曲Op.20からの編曲でOp.38」 となっている。編曲しているせいか、色々名前が変わってややこしい。

2006年9月28日(木)
<<スタンプ・カード>>
明け方ふと目が覚め、Herzog先生に問われていたある問題が突然解決。証明を メールで送ってから、もう一度寝る。本日午前中は近所で野暮用。昼前に河原 町三条に出てJEUGIA三条本店でCDを2つ衝動買いしてから、昼食。そ してゲーテに行って冬学期の講座申し込みをした後、大学に出勤。しばし学科 長の仕事をしたり、ふと数学を考えてみたりしているうちに17時。科研費申 請についての説明会。まだ科研費のネタが思い浮かばないんだけど。説明会は 18時過ぎ終了。生協で夕食をとったり、はたと数学を考えてみたり。帰宅後 も引き続き数学。Herzog先生に聞かれたもうひとつの問題はなかなか厄介で、 解けない。また、ある朝ふと目覚めたら突然解けてしまったって事になってく れないかしら、と二匹目三匹目のドジョウを狙う。

本日の衝動買いは、ディーター・クレッカー(Dieter Klöcker)の 「20世紀のクラリネットVol.1」 とアルフレット・ブレンデルの ベートーヴェン・ピアノソナタOp.7&Op.28"パストラル" &Op.49.No.2」.

ディーター・クレッカーは一度聴いてみたいと思っていたもの。もう一枚 のCDとして、本当は先日のコンサートで八つ当たりモーツァルトを演奏した 某有名クラリネット演奏家のものを買って、あの時は本当に八つ当たりだった のか検証してみたいと思ったのだが、JEUGIAスタンプ・カードのスタン プを効率的に集める観点からすると、値段の金額が微妙で (1000円につきスタンプ1個もらえるのに、たとえば 合計金額が4950円とかになってしまって悔しい)、今回の購入は見送った。勿論 ブレンデルのベー トーヴェンって綺麗だろうなあと、そちらの魅力に引かれたことも理由のひと つだけど。

「20世紀の」は、マックス・レーガーとパウル・ヒンデミットの クラリネット・ソナタ、クロード・ドビュッシーの「ラプソディー1番」、 ヴィトルト・ルトスワフスキの「5つの舞踏序曲」が入っている。 ラプソディー1番以外は初めて聴く曲で、否が応でもお買い得感アップ。 ブレンデルのCDのピアノソナタOp.49の2番って、クラリネットの 曲としてもザビーネ・マイヤーやペーター・シュミードルが録音してた ような気がするが、また確かめてみよう。

2006年9月27日(水)
<<ご同慶の至り>>
午前は2回生「離散数学」、午後は4回生「計算機数学続論2」の講義。その 前後は学科長のお仕事の一貫として、来年度の卒研配属の準備作業など。色々 微妙な点について教室構成員に諮らないといけないのだけど、五月蝿い事を言 い出す人が出ないことを祈るばかりである。さもないと「黙れ!学科が潰れる かどうかという大問題に知らん顔してたくせに、こんな小さな問題ぐらいでご ちゃごちゃ言うな!!」と、またぶちキレてしまいそうである。

夕方、Herzog先生からメール。お前なんで最近メールよこさないんだ?っ て、あなたね、一日中携帯メールやり取りしてるティーンエイジャーのカレシ とカノジョじゃないんだからね、私だって学科長だの科研費だのぶちキレだの 何だのって色々忙しいのよ、と。雑用にかまける大学教師の忙しさは、その研 究能力の低さを誤魔化すには格好の口実ではあるな、などと思っているうちに またすぐに返事。あれま、先生、よほど暇なんだなと思って見てみると、俺は サバティカルで京大に居るんだから数学以外にやる事がなくて暇なんだ(それ はそれはご同慶の至りでございますね)、先日一緒にやった議論に触発されて ちょっと新しい事を考えたから、お前も考えてみてくれ、と。私はエッセン大 に滞在して「数学以外にやる事がなくて暇」な時でも、こんなに次々と新しい 事は考えられなかったぞ(ふて腐れてあちこち一人旅してたっけ)。偉い人は 幾つになっても偉いんだな。ということで、何やら難しい宿題を押し付けられ、 今夜はそれと格闘。

格闘の友は、 トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)、 そして 内田光子 シューベルト「ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D.958」 および「ピアノ・ソナタ第20番イ長調D.959」。

2006年9月26日(火)
<<20のマズルカ>>
午前中は歯医者。その後出勤。学科長の私に新学期なんてカンケーないねと思っ ていたけど、新学期は半端じゃない。これからは入学志願者がどんどん減って いくのだから、新学部をどんどん作って入学定員をひたすら増やさないといけ ないという大学経営者の理屈は、何度聞いてもよくわからない。いずれにせよ 大学間競争修羅場時代の一人勝ちを夢想するRitsの飽くなき拡大路線によっ て、ここ1,2年学生数が一気に増えたせいであろう、南草津駅に着いた時か ら、学生の洪水の中を帆の無い小舟の如く流され、流され。昼食時の生協食堂 は満杯で入り口から中にも入れず。

弁当かサンドイッチでもと立ち寄った生協コンビニも、ラッシュアワー時 の新宿駅状態。学生の洪水の中を何度も押し流されながらも鯉の滝上りよろし く泳ぎきり、ようやく教員用レストランに逃げ込む。ここはメニューが単調だ し、密談に励むおじさんばかり集まって来るのであまり好きではないのだが、 昼食抜きでは辛かろうと久しぶりの天ざるセットでようやく昼食にありつき、 何とか13時からの学科長会議に間に合わせる。しかし、会議はたったの35 分で終了。いささか拍子抜け。こんな会議でいちいち人を呼びつけるなよな、 まったく。その後、研究室に篭って科研費申請の作戦を練るも、今日も名案無 し。学生の帰宅時間にぶつかると帰りのバスに乗れなくなるので、少し早めに 帰宅。

帰宅したら、教室会議はやらないのかとの学科長人気者メールが届いたの で、入試判定の臨時教室会議を除いて、今年度中にあと2回はやる積もりだと メールでアナウンスする。その2回というのは、まさに「シベリアに飛ばす」 (9月23日の日誌参照)みたいな事をやる会議だから、(自分がキレてどう なってしまうのかしらと)今から心配である。その手の会議を乗り切るカギは、 教室構成員相互の信頼感と協力的態度であろう。信頼感と協力的態度か。 そんなものまだ残っているのかどうか、わからないなあ。何せ皆さんとはもう ずいぶん長い間会ってないからね。 夜は少し数学

本日の心の友。 まずは久々にショパンのマズルカで。ユージン・インジック のピアノで ショパン・マズルカ集。 画像では57 Mazurkasと書かれている2枚組CD版だが、私の持っているCDは 同じデザインのジャケットでCD1枚組の「20 Mazurkas」と書かれている。 引き続き近藤良の ライネッケ三重奏曲(ビオラ)・ブルッフ8つの小品。 この近藤版ブルッフ8つの小品は、第7番ロ長調が私のオススメ。 夜はリチャード・ストルツマンの 「5つのバガテル」(フィンズィ)他。 聴きはじめた途端から、ふああああっと気持ちが楽になっていく感じが良い。 そして今日の締めは、桜井真理& 堀米綾の "Berceuse(子守唄)"。

2006年9月25日(月)
<<小さな白い鶏>>
明日からRitsは新学期だそうである。てやんでい!新学期がどうだってん だい?俺なんざ、9月初めから学科長会議とかガンガンやってんだぜ。と思い つつ、午後から出勤してしばし雑用。その後、科研費申請のためのネタを少し 考えてみる。折角夏休みに色々勉強したのだから、代数幾何学を絡めたテーマ でもぶち上げたいところだけど、なかなか良いアイディアが出ない。科研費申 請は真面目にやりすぎると落ちた時に悔しいので、気楽に考えることにしよう。

9月23日の日誌「シベリアに飛ばす」のストーリを思い返しているうちに、 ふと小学1,2年生ぐらいの頃、国語の教科書で「小さな白い鶏」というのを 習ったのを思い出した。細部は正確ではないけれど、確か以下のような文章だっ たと思う。

小さな白い鶏は、みんなに向かって言いました。
「この麦、誰が蒔きますか?」
豚は「いやだ」と言いました。
犬も「いやだ」と言いました。
猫も「いやだ」と言いました。
小さな白い鶏は、ひとりで麦を蒔きました。

小さな白い鶏は、みんなに向かって言いました。
「この麦、誰が刈りますか?」
豚は「いやだ」と言いました。
犬も「いやだ」と言いました。
猫も「いやだ」と言いました。
小さな白い鶏は、ひとりで麦を刈りました。

小さな白い鶏は、みんなに向かって言いました。
「この麦、誰が轢きますか?」
豚は「いやだ」と言いました。
犬も「いやだ」と言いました。
猫も「いやだ」と言いました。
小さな白い鶏は、ひとりで麦を轢きました。

小さな白い鶏は、みんなに向かって言いました。
「この粉、誰がパンに焼きますか?」
豚は「いやだ」と言いました。
犬も「いやだ」と言いました。
猫も「いやだ」と言いました。
小さな白い鶏は、ひとりでパンを焼きました。

小さな白い鶏は、みんなに向かって言いました。
「このパン、誰が食べますか?」
豚は「食べる」と言いました。
犬も「食べる」と言いました。
猫も「食べる」と言いました。

この後、教科書には「学習のてびき」として、「この後、小さな白い鶏は 何と言ったでしょう?」という問題があったかも知れない。当時の私は、義憤 に身震いしつつも、小さな白い鶏がどうすべきかの答を考えあぐねていたように思 う。40年近く経った今なら、「鶏クンのとるべき言動?そりゃあ、そんな悪 い豚はトンカツにして食っちまえばいいし、犬は北極にでも飛ばしてやっ て犬ゾリで強制労働させて、猫は皮を剥いで三味線屋に売り飛ばしてやればい いジャン」ぐらいの事は言い出しそうである。嗚呼、こんな心の荒んだ私に誰 がしたのよ!

しかし、我らが数理科学科の同僚達が、トンカツにされて食われたり、 北極の犬ゾリにされたり、三味線屋に売り飛ばされて当然な人たちばかりだっ たかどうかは、実のところよく覚えていないのである。何せ、ずいぶん長い間 会ってないからね。

今日の心の友。 まずは、ツアーバ・クレニャーンの ライネッケ二重奏曲・三重奏曲(ホルン)・六重奏曲。 最近の私は、「ゲーテ・クラリネット奏者氏ってどんな人?」って 聞かれたら「ん?ライネッケの二重奏曲や三重奏曲みたいな人」 って答えてしまいそうである。もう少し前だと「ん?フィンツィの5つのパガデルみたいな人」 って答えてただろうな。この手の思い込みは、私の悪い癖なんだけど。

次に、ポール・メイエの ブルッフ8つの小品(他) 、 ひきつづき、エマ・ジョンソンの 「グランド・デュオ・コンチェルタンテ(ウエーバー)他」。 ここに入っている「D. ロヴェリーリョの「椿姫」のモチーフによる協奏的幻想曲」は アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)にも 入っているけど、やはりカルボナーレの演奏の方がいいな。 さらに、エマ・ジョンソンの クラリネット協奏曲(クルーゼル、コゼルフ、クロマー) と Crusel 協奏曲2番、べーマン、ロッシーニ。 ここまで来れば、最後もやはりエマ・ジョンソンの Voyage で締めるしかあるまい。

2006年9月24日(日)
<<テキトーな勉強>>
今日も気持ちの良い快晴の一日。明け方、ふと目が覚め、何となく数学を考え てしまい、ちょっとした問題を解決し、再び眠り、昼前に起床。

それから自宅、山科区内、さらには河原町三条界隈まで繰り出して、色々 野暮用。ジュンク堂書店河原町三条BAL店の立ち寄ったついでに、ずっと昔映 画で見ただけのギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」ドイツ語版を見つけた が、その分厚さを見て購入意欲消滅。ついでに日本語版も見つけたけれど当然 ながら分厚い。そういえば私は小説を読まない人なんだと気づいて、退散。

あとは暇々に代数幾何学のお勉強。まあ、夏休み前よりは少しオリコーさ んになったような気はするけど、つまみ食い的に勉強しているので理解は結構 穴だらけ。まあ、他人の講演聞いてて、一体何のことだろう?と疑問に思う事 とか、彼らが常識的に使っている概念や論法などが少しでも分かればいいやと うスタンスだから、かなりテキトーな勉強だな。

今日の心の友は、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera), ザビーネ・マイヤーの UNA VOCE ... PER CLARONEと 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」。 一日の最後はジリ・コタルの クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲 (ミシェル・ヨスト) で締める。

2006年9月23日(土)
<<シベリアに飛ばす>>
気持ちの良い快晴の一日。午前中は自宅で代数幾何学のお勉強。午後は山科区 内で野暮用。夕方、野暮用終了。山科駅前Sbuxで代数幾何学のお勉強。夜 はスポーツクラブ。いつものように20時前に行って、22時前までの2時間 トレーニングしようと思っていたら、「21時前に閉店」とのアナウンス。し まった!今日は祝日だから早く閉まるんだった。私のように盆も正月も蹴飛ば して生きている気ままな人間は、時にこういう代償を支払う羽目となる。トレー ニング不完全燃焼状態で帰宅後は、再び自宅で代数幾何学のお勉強を少し。で も、そんなに代数幾何学ばかり勉強してどうするんだって?どうもしないさ。

折角の快晴なのに、今日は「学科長職が何故こうも私を憂鬱にさせるのか?」 という問題をまた考えてしまった。たとえばどこの大学の数学教室でも、時折 教室会議で以下のようなやりとりが展開されるのではなかろうか。 ちなみに、
(読者の皆さんへの注意:以下のストーリーはフィクションであり、登場す る人物像、役職名、委員会、予想名、学会名等は現実のものとは一切関係 ありません。ましてや、Ritsの数学教室での実話をもとにしたものでは ありませんので、悪しからずご了承ください。)

学科長:「大学執行部から、入学志願者確保のために各教室から教授 を一人出して高校訪問し、営業活動をして来いとのお達しが来ました。ついて はどなたか行って頂けませんでしょうか?」

全員:(無言)

学科長:「それでは皆さんの仕事の負荷を鑑みて決めましょうか。えーと、 A教授とB教授は出題委員で入学試験30セット分合計150問の出題とチェック、 え?そんなの2人だけでできるんですか? C教授は就職委員で連日企業の人事担当者との面談、 D教授は教務委員でほとんど複雑系とも最大過剰非決定系とも呼ばれる本学の 超巨大時間割作成と不足気味のティーチング・アシスタントの手配に日々奔走、 D教授は。。。(中略)。。。。、いやあ、皆さん大変ですね。 ということで、残ってるのは、と、P教授です が。P教授は、今年はホゲホゲ委員というどちらかというと軽い委員だけですし、 高校訪問に行って頂けないでしょうか。」

P教授:「え、私?私は嫌だな。拒否します。 大体ねえ、大学教授に対して高校教師た ちに頭下げて来いなんて、もっての他だよ。こんな事やれなんて、誰が言い出 したんだ?私は絶対やらないよ。」

学科長:「そうですか。それでは、と、あっ、そういえばQ教授も 今年は特に重い役職はされてないようですし。。。」

Q教授:「あのね、君。誰に向かってそんな事言ってるの?私は20年前 にあの有名なフー・マンチュー予想を解決して数学会の賞まで貰ってるんだよ。 そりゃあ、その後20年間1本も論文書いてないけどさ、それがどうだってい うのよ。フー・マンチュー予想だよ、フー・マンチュー予想。高校訪問なんて、 何で私がそんな事しなきゃいけないの?誰か若い人か計算機屋の人にでも行っ てもらったらいいんじゃないの?」

学科長:「(でも、超難問と呼ばれたヘゲモゲ問題を解決して同じく数学会 の賞を受賞したC教授は毎日企業の人に頭下げてるけどなあ)そうですか。 それでは、あと、R教授はどうでしょうかね。R教授!」

R教授:「ZZZ。。。」(例によって居眠り中?それとも狸寝入り?)

学科長:「R教授!」

R教授:「は?何か?」

学科長:「高校訪問の件ですが」

R教授:「高校訪問、いいですね。行ったらいいんじゃないですか?」

学科長:「いや、そうじゃなくて、R教授、貴方に行っていただけないか、と」

R教授:「よっしゃ、わかった!行ったらいいんじゃないですか?」

学科長:「(駄目だこりゃ)そうですか。それでは、 S教授はいかがでしょうか。今年はゲバゲバ委員だけですので、多少 余裕があるかと。。。」

S教授:「私は忙しくて研究時間が足りないんだ!ゲバゲバ委員会は、 3ヶ月に2回も会議があるんだぞ。忙しくてしょうがない!」

学科長:「(学科長会議は3ヶ月に12回あるんだけどなあ) 忙しいのは誰でも同じですが、学会等での学外役職なども 今年は無いようですし、S教授だけが特別忙しいという風にはお見受けしませんが。。。」

S教授:「兎に角、こんなに忙しいんじやあ、研究なんてやってられない! 高校訪問なんてやってる時間は無いですよ」

学科長:「『時間が無い』と言う話ではなく『時間を作っていただきたい』 という話なんですが。。。」

S教授:「兎に角、こんなに忙しいんじやあ、研究なんてやってられない! 高校訪問なんてやってる時間は無いですよ。それに営業活動なんて、 この数学教室全体、あるいは大学全体のことをちゃんと理解した上できちんと話 をしなければならないわけですから、大変な力量を要する仕事ですよ。 私には大学全体のことなんて全然わかりませんし、数学教室のことでも、 自分の狭い専門の範囲のことならわかりますが、他の先生方の専門の ことは何も知りませんし、兎に角私には無理です。」

学科長:「いや、別に高校の先生方に我々の専門の内容を紹介しろ という事ではないのですが。。。ま、それでは、教授の方は誰 も行っていただけない、と。じゃあ、助教授の方でも、仕方がないですね。大 学執行部の方には、教授の皆さんはお忙しいと釈明しておきましょう。」

Q教授:「S教授。貴方、下らない研究やってゴミ論文書いてる暇があったら、 高校でも訪問して少しは大学のために働いたら?」

S教授:「何だと?もう一度言ってみろ!」

学科長:「まあ、まあ、まあ。Q教授も、そういう話は別の機会に、という ことで。。。それでは、T助教授はオープンキャンパスでずいぶん頑張って頂 いてますし、U助教授はどうですか?」

U助教授:「へ?何か?」

学科長:「『何か?』って、会議はただその場で座ってさえいれば義務が 果たせると思って、全然聞いてなかったのですか。高校訪問の件ですけど」

U助教授:「さーあ、どうなんでしょうねえ。わかりませんねえ。」

学科長:「(この人会議中に何か聞かれると必ずこう答えるんだよね) 『わかりませんねえ』とかいう話ではないんですけど。」
(以下、同様のやりとりが延々とつづく)

例えば私に人事権が与えられていて、P、Q,R,S教授、およびU助教 授を即刻クビにするなりシベリアに飛ばすなりできるならばともかく、実際は 学科長には(教室会議の開催権を除いて)何の権限も無い。だから、学科長と してこういう教室会議に遭遇してしまうと、その後数日は腹が立って勉強がで きなくなるに違いない。否、私なら上記のような粘り強い話し合いはせずに、 さっさとキレて会議を放り出してしまうであろう。上の例は多少誇張気味 に描かれているけれど、学科長というのはこれと似たような意見調整の役目を 果たさなければならず、それは私の大の苦手とするところである。 こういうことが憂鬱の原因(のひとつ)なの だろうと思う。憂鬱だから、最近は手抜きし放題でやってるんだけどね。

今日の心の友は、ちょっと現代音楽シフト気味に アントニオ・サイオテの "A portrait" とトリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」。

2006年9月22日(金)
<<自信が無い>>
午後は院生O君と研究ゼミ。何とか論文がひとつ纏まりそうだ。さらにもうひ とつ論文を!と欲を出しているのだけど、うまく行くかしら。ゼミと野暮用、 雑用以外の時間は、代数幾何学のお勉強。昔から、夏休みは代数幾何学のお勉 強をするのが習慣になっているのである。というか、10数年前に計算機屋と して大学教師に雇われたとき、これで夏休みなどに学生時代から一度ちゃんと 勉強したかった代数幾何学が勉強できるぞと小躍りして、今日に至っているの である。

来週から新学期である。教室会議が廃止されて、今や数学教室の同僚と顔 をあわせるのは学会会場だけという状態で、それも「やあ」と会釈を交わす 程度。 次に彼らと顔をあわせるのは、2月の入試の採点の時か。いや、その前に卒研 説明会と来年の科目担当を決める会議があるか。私は人の顔は忘れないけど名 前はすぐ忘れるので、今度同僚教員に会った時、彼らの名前がすぐに出てくる かどうか、自信が無いなあ。

今日の心の友は、 アンヌ・ケフェレックの G.H.ヘンデル:ピアノ曲集、 ミシャ・マイスキー&マルタ・アルゲリッチの "in concert" 、 そして今日の最後はバロックで締めてみようと、ハインツ・ホリガーらの G.H.ヘンデル:トリオ・ソナタ選集。 しかし、何も聴いてない時は、相変わらず頭の中で アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera) と ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) が勝手に鳴り響く。

2006年9月21日(木)
<<オー・ウムラオト>>
今日も数学会に参加。満員電車で片道1時間40分以上。やはり大阪は遠い。

数学会では何人かの人が私に挨拶をしてくれた。挨拶さえしていれば、例 え強盗殺人を犯して捕まっても、近所の人たちは「ちゃんと挨拶をするいい人 でしたよ」と言ってくれるのである。まったく世間の人々は挨拶ぐらいで簡単 に騙されるのかよと半分馬鹿にしていたけれど、今日は何人かの「零点数学者」 たちが挨拶一発でポイントを少し上げたのだから、やはり挨拶は偉大である。

世間では「ろくに挨拶もできない人間」という言い方をするが、私はまさ にそれである。路上などで顔見知りの人間と出会うとじっと様子を伺っていて、 もし相手が挨拶をしてきたら即座に挨拶を返し、相手が知らん顔をしていたら こちらも知らん顔をする。自分から先に挨拶することは、 慎重に選ばれた限られた人間に対してだけである。

これは新入社員時代、自分が「ろくに挨拶もできない」事を恥じて、渾身 の力を振り絞って毎朝同僚、先輩、上司に挨拶をするようにしていたのだが、 私と同様にやはり「ろくに挨拶もできない」ある上司が、私が挨拶をすると必 ず「ö」(オー・ウムラオト)と小さくつぶやいてぷいと目を逸らすのが 常であり、その仕草にいたく心傷ついたトラウマを現在もひきずっているか らだ、というのが通説的見解である。 挨拶についての、上記のような私の奇妙な流儀は、 こちらが挨拶したのに無視されるのはまっ ぴらだし、かと言って、よほど相手を憎むか軽蔑かしていない限り、挨拶され たのを無視してはならないということである。

零点数学者たちの洪水の中、午後一杯講演を聞いて、夜帰宅。

ところで、先日のクラリネットのコンサートで、ベテランA氏のモーツァ ルトの五重奏の演奏がやけに乱暴だったのは、何かに八つ当たりでもしていた のではないかと思われる。A氏の演奏を聴くのは初めてであるが、クラリネッ ト業界では演奏の素晴らしさには定評があって、かなり偉い人のようである。 その評判と先日の演奏にはいささかギャップがあり過ぎて、どうもおかしい。

あれは某楽器メーカ主催のコンサートでA,B,C3名の出演者は全員そ のメーカの楽器を使っていた。しかし、少なくともA氏は普段そのメーカーの 楽器は使っていなかったように思う。そして、主催者側の意向で自分の意に沿 わない楽器を使うことになり、気分が悪かったのではないかと推察するのであ る。どの楽器を使うかは演奏家の音楽的感性の一部だから、それをビジネスの 論理で踏みにじられたとすれば、それは我慢ならんだろうなと思う。

今日の心の友は、ハインツ・ホリガーの モーツアルト&シュトラウス・オーボエ 協奏曲集、 シェレンベルガーの フランス・オーボエ名曲集。 一日の締めは、 トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」。 しかし、昼間は頭の中で アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera) と ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) が勝手に鳴り響いていた。

2006年9月20日(水)
<<零点のままの数学者たち>>
大阪市立大で開かれている数学会に参加。大阪は中途半端に遠いので、午前中 の可換環論関係の講演は聞けず。今日は主に、予稿集の購入、出張販売の数学 専門書の物色・注文、学会賞授賞式の見物などの後、早めに京都に戻って山科 駅前Sbuxで予稿集を読んで、明日聞く予定の講演の予習。

計算機屋時代は、学会などで分野の近い同業者に会うと、それほど親しい 人でなくても何となく行動を共にして、一緒に会場近辺をうろついていた ような気がする。数学会でもそんな風に(数学者特有の妖気をプンプン放ちな がら!)つるんで歩いている同業者達の姿はあちこちで見られる。しかし10年前 に数学に転向して以降の私は、学会ではむしろ同業者に見つからないように 逃げ隠れし、単独行動をすることが多い。これが何故か。自分自身の事は、 いつまでたってもよくわからないものである。

計算機屋時代は、誰とでもすぐに仲良くなれる才能に恵まれた友人が何人 か居て、彼らにくっついていれば自然に友人が増えていったという事情もある かもしれない。若い頃の私は、持ち前の毒のある突っ込みで相手を挑発しなが ら親しくなっていくというあざといやり方で、友人と敵をほぼ2:5の割合で 量産していた。しかし、計算機業界に比べて人の出入りの少ない閉鎖社会の 数学業界でそんな調子でやっていれば、早々と破綻することは目に見えている。 かと言ってそれ以外のやり方を知らないので、仕方なく猫をかぶっているうち に人格の偏屈化が進行していったのだという説も捨てがたい。

あるいは単に、私が数学者嫌いだからかも知れない。私の数学者に対す る人物評価は、無意識のうちに加点法で行っているようである。一応ある種の 価値観を共有している仲間という意識はあるので、マイナス点にはならない。 しかし、仲間だからいい人とは限らない。だから、最初は零点から始まる。そ して、「こいつ、数学者のくせに案外いい奴じゃないか」って感じで、 見所のある言動に対して少しずつポイントを加えていくのである。従って、 学会会場にはまだ零点のままの数学者たちが溢れ返っているというわけである。 零点の人間に迂闊に近寄ったら何されるかわかったもんじゃないから、私は逃 げるのである、と。

本日の心の友は、アンヌ・ケフェレックの ヘンデル・ピアノ曲集 と鈴木雅明の ゴールドベルク変奏曲(J.S.バッハ).

2006年9月19日(火)
<<結婚できない男>>
昼前に出勤。本日学科長モード。13時から15時過ぎまで学科長会議、16 時から17時過ぎまで教授会。会議の前後も色々雑用。21時前に家路につく。 山科駅から競歩モードで自宅に駆け込み、 「結婚できない男」最終回を リアルタイムで観ることに成功。テレビドラマにはまるのは「ロングバケーション」 「ショムニ」以来かな。

本日学科長の友は、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)、 ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) 、 そして、 トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」。

2006年9月18日(月)
<<何処にでも書いてある>>
祝日。午前中は自宅で、午後は山科駅前Sbux、京都駅前ホテル京阪、ラク ト山科を彷徨いながら、代数幾何学のお勉強。Hartshorneの教科書にはあまり きちんとは書いてなくて、でも、何故か代数幾何学のプロならみんな知ってい る事。彼らに、それって何処に書いてありますか?と文献を聞いても、え?そ んなの何処にでも書いてあるでしょ!という返事が返ってくるような事を、迷 宮入りしそうな地味な事件を執拗に追いかける刑事の如く調べる。

それにしても「何処にでも書いてある」というのは、「それでは 困る」と同様、私が決して口にしない言葉である。意味がよく分からないので、 使いようがないからである。そしてこの言葉を聞くと、 意味の不明さに対するストレス ゆえに、私はキレ易くなる。

この言葉は、数学者よりもOSとかネットワーク とかを弄り回している計算機屋が好んで使う言葉だと思う。以下の会話は実際に あったやりとりを少し脚色したものである。

私:「あのー、Proxyの設定ってどうやればいいんですか?と こかにマニュアルか何かありますか?」

計算機屋:「え?そんなの、何処にでも書い てありますよ」

「ぶちっ」(私の堪忍袋の紐が切れる音)

私:「ほーお。何処にでも書いてあるのですか。じゃあ蕎麦屋のお品書き見れ ば書いてあるんですね。三重県津市のJR阿漕駅の伝言板にも書いてあるんで しょうね。源氏物語の第何巻かを見ても書いてあるのでしょう。ベルリンの 壁の落書きにも書かれてますよね。とりあえず、ウチに帰ったらトイレの蓋の 裏でも調べてみますよ。きっとProxyの設定法って書いてあるでしょうからね。 あっ、もしかして、貴方の足の裏にも書いてあったりして。 とりあえず今日は寝ようと思って、布団に入って天井を見上げたら、 そこにもProxyの設定法なんて書いてあることでしょう。 もしかしたら、望遠鏡で月でも眺めたら、餅つきしているウサギの隣に Proxy設定法って書いてあるんでしょうかね。水族館に行ったら イルカの頭にも書いてあるし、コンビニで買い物してレシート見たら そこにも買いてある。この世界はProxyの設定法で満ち満ち溢れている! 何て素晴らしいことなんでしょう! 『何処にでも書いてある』というのは、そういう意味ですよね。ほーお。 そりゃあ、凄いわ!凄すぎる。貴方、凄い事を言うんですね。」

昔はこういう風に目を三角にしてキレていたのだが、最近は人格が円満に なってきたため、相手が「何処にでも書いてあるでしょ」と口にした直後には、 当の彼または彼女を(意味のわからない言葉を喋るわけのわからない人として) 静かに「葬り去」っているのである。え?それの何処が「人格円満」なのかって? まあ、機嫌の良い日だったら、「じゃあ、『何処にでも』というのは 例えばどういう所を想定していますか」ぐらいの事は聞いたりするけどね。 あくまで、機嫌の良い日限定の対応ですが。

それはさておき、本日の心の友は、 ザビーネ・マイヤー率いるトリオ・ジ・クラローネの UNA VOCE ... PER CLARONE。 皆さんドイツ式エーラー管で達者な演奏をしている。 マイヤーの夫君ライナー・ヴェーレもウエーバーの変奏曲を 綺麗に吹いている。 それから久しぶりにラルフ・マンノとギド・シーフェン(チェロ)の 「春のソナタ」「クロイツエル・ソナタ」(ベートーベン)。 ラルフ・マンノのマスター・クラスは楽しい雰囲気一杯なんだそうだ。彼の写真を見る 限りでは、さもありなんという気がする。 そして最後は今日も、アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera). 音楽はやっぱり、聴いていて楽しくなってきたり心が温まったりするのが一番で、 これはそういう類のCDのひとつである。

2006年9月17日(日)
<<数学者年齢>>
昼前まで熟睡。野暮用をしたり数学を勉強したりの一日。夕方頃、散歩がてら に山科駅前ラクト山科へ。買い物のついでに店内をうろついていたら、催事コー ナーでやっていた健康チェックに引っ張り込まれる。骨密度、肺機能、肥満度、 血圧、体脂肪率は大体普通程度なのだが、血管年齢だけが33歳!と異常に若 い。まあ、悪い気はしないけど、これは測定ミスか何かだろう。

ちなみに私は、自分の数学者年齢は33歳ぐらいだと思って、若いっ子 ぶっている。つまり、大学も大学院もストレートが、せいぜい1浪ぐらいで 入学して、修士卒1,2年後に最初の論文が出版され、比較的早くから論文書 いてるけど早けりゃいいってもんでもないし、高山君、君ねえ、いつまでもし ょぼい定理ばかり証明してないで、そろそろしっかりした研究やっていい論文 を書かないとね等と周りからプレッシャーを掛けられている年頃、という想定 である。

では、(実年齢47歳) −(数学者年齢33歳) =(14年間) は一体何なの かと聞かれた時には、陳腐な答ではあるが「放浪の旅を満喫してました。エ ヘッ」としか言いようがないな。君もそろそろちゃんとした論文書かなくっちゃ ねと叱ってくれる師匠が居るわけでもないので、自分で自分の尻を叩くわけだ が、勿論わが身可愛いで手加減はします。それで学会などで30代半ばちょっ と前ぐらいの数学者を内心ライバル視したりして、彼らがもうあの位立派な仕 事をしてるんだから、私も頑張らなくっちゃと思わず拳を握り締めたりしてい るのである。

今日の心の友は、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオ ペラ(Clarinet Sings Opera)」、 ジリ・コタルの 「クラリネットと弦楽トリオのための 6つの四重奏曲」(ミシェル・ヨスト) 、 トリオ・アポロンの 「20世紀のクラリネット、ヴィ オラとピアノのための作品集」、 および、ザビーネ・マイヤーの 「クラリネット協奏曲1番・2番およびクラリネッ トと管弦楽のための小協奏曲(ウエーバー)」。

2006年9月16日(土)
<<鰻、好きです!>>
昼前から夕方にかけて、自宅および山科区内で野暮用。夜はスポーツクラブ。 その合間は数学。 「今日の心の友」は、 昨夜のコンサートの余韻をかき消すのは良くないかと、 アントニオ・サイオテの "A portrait". と ポール・メイエの ブルッフ8つの小品(他) だけにとどめる。とはいうものの、 アレッサンドロ・カルボナーレの 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera) とかJiri Kotalの クラリネットと弦楽トリオのための6つの四重奏曲 (ミシェル・ヨスト) とかが突然頭の中で流れたりする。CD装置無しでCDが聴けるなんて、 なかなか便利である。

ところで、変な話だけど、クラリネットって何かの形に似てると思ってたら、私の大 好物である鰻である。 この写真を見ると、 「うまそうな鰻だな」「やめてくれよ!俺、まだ食われたくないよ」 という会話が聞こえてきそうだ。 ちょっと不謹慎な話で、失礼!