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よ け ス ペ ー ス で す。

2007年8月15日(水)
<<8月15日と4月15日>>
今日も蒸し暑い日本の夏である。京大数理研図書室で3ページ論文解読作業を と思ったが、某金融関連企業から「怪しい手紙」が届いたため、電話であちこ ち問合せたり、いくつかの資料を調べて事実関係を確認したりといった事に忙 殺される。それがようやく片付き、遅めの昼食を終えたらもう14時をとうに 過ぎていて、今から数理研行きはちょっと無理ということで予定を変えて山科 区内で野暮用。解読作業は夕方頃から開始。今日もまた少しだけ進展。この論 文を解読した後に考えたい問題についても少し計算を進めてみたけれど、良い 発見に繋がるかどうかは全く不明。

私の父は8月15日生まれらしいが、それでは26歳の誕生日に南方戦線 のニューギニアだかその近くの小島だかで終戦を迎えて感慨無量だったかとい うと、そうでもなかったという。何でも商売に忙しかった祖父母は、父が生ま れた後も長い間役所に届けずに何日、あるいは何ヶ月だったかも知れないが、 とにかく役所の届出期限よりもうんと長い間放置していたらしい。だから8月 15日は単に戸籍上の誕生日で、本当の誕生日としては「8月15日以前の適 当な日」よりも詳しいことは分からないし、「8月15日の誕生日」には特に 思い入れは無いという。

私が1浪1留の後24歳で2回目の大学院入試に落第して数学者への道を 断念し、俺の人生終ったも同然だ、わーっ!!と暴れていた頃、父は「俺は2 6歳の時に終戦を迎え、やれやれ生きて帰って来れた、これから俺の人生は面白 くなるぞと希望に溢れていたし、実際終戦直後は世の中が滅茶苦茶で大変だっ たけど、滅茶苦茶なりに愉快だった。お前は今、俺が戦地に居た頃と同じ2 4歳で(当時の俺と同じように)そんなに落ち込んでしょんぼりしなければな らないのは残念だ。でも、もうすこし我慢すればお前にも愉快な日々が訪れる と思う」と言っていた。テキトーな事を言うオヤジだなと思ったが、父の 予言通り私も26歳からの数年間は愉快で希望に溢れた毎日を送っていた。

ところで、内地の海軍廠の職員として終戦を迎えた母の誕生日も4月15 日だというので、父の8月15日と母の4月15日では話がどうもうまく行き すぎではないかと詰め寄ると、4月15日もたぶんいい加減に決めた日だと思 うとのことだった。母方の祖父母は、農作業の忙しい春先に役所くんだりに出 かけて届けを出す暇など無かったはずだ、と。誕生日なんて、昔は誰もそんな 事は気にしなかったというわけだ。昔の人は数え年で年齢を数えていたので、 生まれてから何回正月を迎えたかが大切で、何月何日に生まれたかは重 要でなかったということも大きく影響しているらしい。

父の場合も母の場合も、おそらく届出期限から逆算して役所から 文句の出ない月を割り出し、日付は1日とか31日とかの端っこの日だといろ いろ面倒になりそうなので、真ん中の15日にしようということで誕生日が 決められたのだろう。

母が勤めていた海軍廠は山の上にあって、実家のある平地の方がB29の 空襲にあっているのが見えたという。真っ赤に燃え盛る火の手を遠くに見て、 ああ、あの炎の下に父や母が居るのかしらと思ったそうだ。その話し方がどう も淡々としているので、「それは一大事ではないか。その時は、心配で居ても たっても居られなかったのではないか」とまたも詰め寄ったけれど、それほど でもなかったという。そりゃあ心配といえば心配だけど、安否を確認する通信 手段も(恐らく軍事上の理由もあって)無い時代だから、じたばたしても始ま らないし、父母のもとには兄や姉も居たことだし、末娘の私がそんなに心配 することでもないだろうと、実際あまり気にしていなかったという。この淡白 さは何なんだろうと思うが、この性格を結構私も受け継いでいる。 その母も、戦死した一番下の弟のことは、いつまでも悲しんでいたように思う。

2007年8月14日(火)
<<夏の幸福>>
断続的なにわか雨がかえってその後の蒸し暑さを増幅させる、変な天気の一日。 夕方、散歩がてらに山科駅前Sbuxに繰り出した以外は、終日自宅にて3ペー ジ論文の解読作業と昼寝。下品なるRitsは今週一杯一斉休暇で五月蝿いメー ルは飛んで来ないし、天気はまずまず良いし、冷房の効いた部屋は涼しいし、 嗚呼、気持ちいいなーっと、ちょっと横になって分からない数学を考えている うちに、眠ってしまうのだ。夏の幸福は昼寝に極まる。日頃切羽詰った人生を 送る私には、珍しくゆったりとした時間の過ごし方である。

少しずつではあるが着実に解読が進むのに伴って、少しは代数幾何学が分 かってきた感じだけど、作業収束の見込みはまだ立たず。流石に疲れてきたの で、夜は少し早めに切り上げて、のんびりする。

昨日さんざんブーたれた「ポアンカレ予想を解いた数学者」だが、ピタゴ ラスだのコロンブスだのと言ってたのは2章まで。3章からいきなり2次元 多様体論の話で、境界付き多様体やコンパクト性、2次元位相多様体の分類定 理までさらりと概観し、4章で3次元多様体の話に突入した。おいおい、一般 啓蒙書でそんな無茶やっていいのかよ!と言いたくなるテンポの良さ。これは ちょっと期待できそうだというところで、昨夜は眠ってしまった。

2007年8月13日(月)
<<屁理屈ぶちかまし>>
今日も3ページ論文の解読作業を続行。昼過ぎまでに、ほんの少しだけ進展。 それから街に出て、河原町三条だの京大数理研図書室だのとあちこちふらつきながら、 これまでに解読した部分を振り返ったり、関連する論文をちょっと眺めたり、 まだ解読されていない部分の攻略法を模索する。未解読部分についてはてんで 歯が立たないので、ハーツホーンの関連部分の議論をもう一度丁寧に読み直し てみようか、と。まあ今週はRitsが一斉休暇で大人しくしているから、静 かに学問をするにはちょうど良い。

「ポアンカレ予想を解いた数学者」は、昨夜寝る前に少し読んだけど、こ れが数学一般啓蒙書のお決まりのスタイルなのかも知れないが、やれピタゴラ スだのアリストテレスだのコロンブスだのと、さまざまなエピソードを交えて 歴史をごたごた振り返り始めたので、すぐに眠くなって寝てしまった。まあ、 もうちょっと我慢して読んでれば、面白くなってくるかも知れないけど。

だいたい私は、ビザンチンの修道士の誰それだのギリシャのなんとか山だ のどこそこの王の何とかだのという、聞いたこともない人名や地名が一度に3 個以上出てくるともう駄目である。頭がパンクしてしまう。そして、「いい加 減にしてくれ!そういう固有名詞を並べたてることによって、貴方は一体何を 言いたいのかね」と、声を荒げたくなるのだ。本質はいつも単純で、かつ、高 度に抽象的であるはずだ。だから、本当に言いたい事は固有名詞抜きで語れる はずで、固有名詞抜きでは語れない事など、そもそも語るに値しない、と 屁理屈をぶちかましておく。

そういえば、3年前にドイツで買ってきて、思い出した時に電車の中など で読んではすぐに放り出してしまう、Simon Singh "Fermats Letzer Sats" (邦訳:サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」)も、やはりピタゴラス だのアリストテレスだのという話から延々と説き進み、やっと半分ぐらいまで 読み進んだのに、まだ志村も谷山もワイルズも登場せず、ようやくコーシーと ラメとクンマーの話が出てきたところ。ドイツ語の勉強だと思うから頑張って 読んでいるけど、日本語訳ならとうの昔に放り出しているな。

2007年8月12日(日)
<<ゴミ箱直行>>
終日3ページ論文の解読作業と散発的な野暮用および昼寝も少々。解読作業は、 今日も「大山鳴動して鼠一匹」的な進展あり。つまり、うーん、うーん、と考 えている時間が長くて、あ、そうだ!こうすれば良いのだと、文献を調べたり 何か計算したり証明をつけたりしている時間はほんの僅か。うーん、うーん、 と唸っているうちに昼寝をしたり野暮用をしたり、そして下らない本を 読んでむかついたり!

合間合間に「若き数学者への手紙」を通読した。一言で言って、心を込め て読むに値しない詰まらない本である。何故詰まらないかというと、この本の 著者が恐らく、単に頭が良くて有能で何でも出来て、子供の頃から今に至るま でいつの頃もそうでない人たちを内心軽蔑し続けてきて、才気溢れる自分自身 と、これまでの人並み以上に成功し続けてきた職業生活に満足し切っているよ うな、明朗快活な俗物だからである。要するに人間としての深みがあまり 感じられない人物ってこと。そのことが文章の端々から読み取れる。

実は私はG.H.ハーディについても、数学者としての偉さには常々(そこ そこは)敬服しているけれど、それ以外の部分については、俺は歴代の数学者 の中でランキング何位だとか公言して得意になってたりしてたぐらいだから、 さぞかし詰まらない俗物だったのだろうと思っている。

深みのない俗物であることは別に悪いことではないが、それに付き合う ことは、特に数学研究の内容に直接関わることについて意見交換をする場合 を除いて、私にとっては時間の無駄でしかない。 ということで、「若き数学者へ...」はゴミ箱直行。次は「ポ アンカレ予想を解いた数学者」(ドナル・オシア)に移ろう。フィールズ賞の 授賞式をすっぽかして、「森にキノコの声を聞きに行っていた」とか噂されていた G.ペレルマンの物語の方が、きっとロマンチックなんじゃないかと期待 するのだが。

2007年8月11日(土)
<<嫌なものは、嫌!>>
昼過ぎに山科区内で野暮用、夕食後はスポーツクラブ。それ以外は例の3ペー ジ論文の解読。因子の引き戻し・押し出しだとか層のコホモロジーの計算とか に少しは慣れてきたけど、まだまだ五里霧中って感じ。

夜は「若き数学者への手紙」の気の向いた箇所を拾い読み。立ち読みした 時の印象通り、時々良いことも書いてあるけど、成功した数学者のさりげない 自慢話が無数に散りばめられた、なかなか気の滅入る本である。

もっとも、大して成功しているわけでもないぱっとしない数学者ならば、 たとえ天職として選んだ数学の道に後悔していないどころかおおいに満足もし 誇りも持っているとしても、後進の「若き数学者」にわざわざ「手紙」など書 かないはずだ(私なら天地天命に誓って絶対に書かない!)。それに、前書き のところに有名なG.H.ハーディー大先生の、これまた有名な「ある数学者 の弁明」の向こうを張ってその現代版のようなものの積もりで書いたとあるぐ らいだから、自慢話が多くなるのは必然といえば必然かもしれない。

偉い数学者の自慢話を聞いて素直に凄いですねえと感心できないのは、自 分が素直な気持ちを失った心の狭いつまらない人間である証拠であり、それは 同時に数学者としての「敗北」を認めたことにもなるのではと考え、今までは そういう事をおおっぴらには言わないでいた。しかし、つまらなかろうが敗北 だろうが、やはり嫌なものは嫌である。

以前、偉い数学者で学生も含め周りの人たちに大変尊敬されている人と酒 席をともにしたことがあったが、結局最初から最後まで自分の自慢話と有名大 学の有名教授たちの悪口ばかり喋っているのには閉口した。数学者は自分の 「偉さ」については正確に語る習性があるので、この自慢話と悪口を総合する ことによって、私と専門が異なるその大先生の偉さがどの程度のものであるか がよく分かったが、そんな事が分かったところで一体何になるのか?酒を飲む たびにそういう話をしているようだが、驚くべきことには、取り巻きの人たち は毎回それを聞くのを楽しみにしているようであった。楽しみにするのは結構 なことだ。おおいにやってくれたまえ。でも私はマッチョ軍団は願い下げだか ら、その数学者やその取り巻きの人たちとは以後酒を飲まないことにしている。

2007年8月10日(金)
<<間違ったスイッチ?>>
夏本番って感じである。午後は京大へ。(へえー、京大でもオープンキャンパスっ てやるんだ。) 生協ルネで昼食後、ルネ書籍部を少しぶらつく。「おひとりさまの老後」(上 野千鶴子)で社交スキルをひけらかされて気が滅入ったので、気分転換に「ポ アンカレ予想を解いた数学者」(Donal O'Shea) (日経BP社)と「若き数学 者への手紙」(Ian Stewart) (日経BP社)を購入。

「若き数学者への手紙」って本は前から知ってたけど、「私、若くないん ですけど、何か?」とずっと無視していた。しかし今ちょっと立ち読みしてみ て「18章、数学者の世界について」のところの「今度は...(中略)... ど うやったら数学界になじめるかといったことについて、話すとしよう。」とい うくだりに思わず釘付けになり、「数学者というのは概して友好的で、ゆった りとした心持ちの人間なんだ。こちらが、間違ったスイッチを押さないかぎり はね。」に益々興奮し、間違ったスイッチって何だろう?とか、数学者という のは概して閉鎖的かつ非友好的で、切羽詰った心持の人間なんだと信じていた 私は何か激しい思い違いをしているのだろうかとか、「閉鎖的かつ非友好的で、 切羽詰った心持の人間」とはまさに私のことではないかしらとか、千々に思い が乱れる。

いよいよ浮き足立ってきて、かなり斜め読みで立ち読みを続けると、 やれ数学者というものは世界じゅうの仲間と数学について語りあうのが何より も楽しみなのだとか、どこかに旅行した時はいきなりでもいいからその地の大 学の数学科を訪ねれば、誰かひとりは君の業績について知っていて、他の事を おいてでも君の話し相手をしてくれるであろうというような事が書いてあるので、 いよいよぶちキレる。この野郎、Ian Stewartってどんな奴だか知らないけど、 上野先生よろしく自らの社交スキルの高さにプラスして、ある程度以上成功し た数学者の華麗なる日々をこれでもかこれでもかとひけらかすような事を一杯 書きよって。いっぺん殴ったらなあかんな、と思わず購入。でも、こういう買い方っ て、何か自傷行為みたいで、いけない事のような気がするんだけど。

おそらく私に必要なものは、自己肯定感なのだろう。自分はそんなに大し た者ではないけど、あいつの相手するのは時間の無駄だと誰からも思われる程 つまらない人間でもないという感覚を持っていない限り、人々の中に入って行っ て自分の意見を聞いてもらったり、相手の話を聞かせてもらったりということ を自然に行うことは難しい。残念ながら私は、友人、先輩、先生にアホだバカだと罵られ続けた、学生時代の愛情に飢えた貧しい生育過程に加え、 人々の冷たい視線を踏み倒して突き進んだ数学者としてのいかがわしい出自 が関係してか、数学者の世界にいる時はまるで自己肯定感が持てない。 もっともっと一生懸命勉強すればそれが克服できるだろうと考えて自分なりに頑張って みたけれど、どうもそういう問題でもないらしい。

さて、「ポアンカレ予想を解いた数学者」は、勿論グレゴリー・ペレルマ ンの話。了見狭く、志低く、さらには心の狭い私は、「けっ、数学少年の中高生や数 学科の学部生じゃああるまいに、今更大成功した数学者の話なんか読んで面白 いかね」と今数学界で話題沸騰のこの手の話はほとんど無視してきた。しかし、 (微分)幾何学って全く専門外だけど、リッチー・フローってどんなアイディアなんだ ろうとか、ちょっと様子を覗いてみたい気はある。決め手は「ペレルマン氏を めぐるその後」の章にペレルマンに言葉として挙げられていた、「友人が欲しい のですが、数学者である必要はありません」。この発言が気に入ったので、思 わず購入。

その後、数理研図書室でしばし3ページ論文の解読作業の後、夕方帰宅。 夜もすこし解読作業を続行。

2007年8月9日(木)
<<私の流儀>>
大丸百貨店四条河原町店に時計の修理を依頼するという口実で、昼前から夕方 まで京都市内を彷徨う。京都市役所前のゼスト御池で昼食の後、JEUGIA 三条本店を偵察し、SBUX新京極店で1時間ほど数学。60才前後ぐら いの女性が二人、「そうなのよ。もう好きになってしまったんだからしょうが ないし、彼の方も(云々)。こうなった限りには(云々)。やっぱり恋は (云々)。で、主人は(云々)」というような事を熱く熱く語っているので、 そうかあ、この人たち、なかなかやるなあと感動して聞いていたら、どうやら 娘か息子の話のようだった。友達に身の上話を色々聞いてもらったり、聞いて やったりする。これが上野先生の言うところの「友人は精神安定 剤」ってことなのかしら。上野先生も凄い事を言ってくれるなと思ってたけど、 女同士の世界では別に珍しいことでもないかも知れない。私の母も私に似て非 社交的なんだか社交的なんだかよくわからない変な人だけど(ちなみに私の父 は私に酷似して相当変な人だった)、晩年はちゃんと「精神安定剤」の友人を 何人かキープしていたようだ。いずれにせよ、過去数年間、少なくともSbu xで男同士でこういう話をしているのを見たことはない。

その後おもむろに寺町通から錦小路を経由して大丸へ。錦小路のあちこち の店を冷やかしながらイチジクや胡瓜などをチェックしたが、いずれも山科の スーパーの倍近い値段であることが判明した。大丸に時計を持って行ったら、 お盆休みを挟んでいることもあり、見積もりに3週間、そして修理は1週間か ら1ヶ月かかるだろうと言われた。10月まで時計無しでは不便だし、どうし ようか。大丸の帰りは烏丸四条から地下鉄で京都駅へ。その前に、烏丸四条で私の お気に入りの店古今烏 丸を「再発見」し、今日は1階の雑貨店と家具店だけをちょっと冷やかした。 私は洒落たデザインの雑貨や家具を見るのが好きである。

ところでなぜ「再発見」なのかというと、私の記憶が変容していて、古今 烏丸は烏丸御池下ルにあると勘違いしていたのである。それで半年前にゲーテ・ フルート奏者氏が烏丸御池に用があると言っていたので、じゃあ、烏丸御池か らちょっと南に下ったところに外壁が唐草模様でデザインされた変わったビル があって、そこには色々洒落た店が入っているから、時間があったら立ち寄っ てみると面白いかもねと発言してしまったのである。それがその学期のゲーテの 講座の最終日で、次の学期から大阪校に転じた(らしい)氏とは以後一度も会っ ていない。 「烏丸御池からちょっ と南に下った」ところではなく、ずいぶん南に下らないといけなかったわけだ。

この誤りを半年後の今日になって初めて気付き、しまった!と思った。 嘘つき幸秀でんな。ボケてまんのか?ボケてまんのや!えらいすんまへん。 ここで氏にメールを出して、私は半年前に貴方にこういう嘘を教えてしまいまし た、御免なさいと謝罪するのが私の本来の流儀だけど、恐らく氏は私の発言を そんなに深く受け取っていなかっただろうし、私の発言自体を全く憶えていない 可能性も極めて大だし、そして何よりも、今頃そういうメールを送ると、また、 高山さんって地獄の底まで執拗に真実を追究する人なんですねと呆れられたり 不気味がられたりするのはほぼ確実である。呆れられることには慣れているが、 不気味がられるのはちとまずい。 先日のクラリネット奏者氏の「高山さんて、怖い人 ですねえ」発言も結構コタえたことだし、どうも私の流儀というのはよろしく ないらしい。と、いうことで、勇気をもって知らん顔をすることにした。

その後、京都駅前ホテル京阪のラウンジで少し数学の後、帰宅。夜は先日 大丸で福引を引いて当った、ちょっとだけ高級(かも?)なシャンペンをがぶ飲 みして泥酔の後、構わず3ページ論文の解読続行。

2007年8月8日(水)
<<友人は精神安定剤?>>
本日、津で買ってきた鰻蒲焼で鰻丼の上(鰻1切)の朝食。昼過ぎに出勤。1 4時から1時間ほど就職委員のお仕事で会社の採用担当者と面談。それからし ばし雑用の後、16時半からさきの前期試験の追試として、学生1名の口頭試 問。その後、前期試験の答案約300枚の束と成績集計票を事務に届けて17 時過ぎに家路につく。今日は大津の花火大会らしく、大会開始までまだずいぶ ん時間があるのに、南草津駅から大津駅までの間は既にかなり混雑していた。 夕食は鰻丼の特上(鰻3切)その他。ああ、極楽極楽。こんな素敵な食生活を 送っていて良いのかしら。その後、少し数学。昨日と今日の3ページ論文解読 のささやかな進展を纏める。風呂に入る直前に、7年前に買った腕時計の時間 を合わせようと思ってリュウズを引っ張ったら(旧式の時計である)、シャフ トが折れていたらしく、ぽろっと外れてしまった。慌ててセロテープで固定し て応急処置。明日はこれを買った時計屋に押しかける用事が出来てしまった。

「おひとりさまの老後」(上野千鶴子)第3章より。「わたしは、友人を精 神安定剤と思ってきた」だと。勿論、ちょっと前までの私のように、精神安定剤 を友にして心の病の治療を行うという意味ではなく、友人が自分の心を支えてくれる という意味である。これはかなり社交的才能に恵まれた人の言うこ とだ。この本のそれ以外の部分でも、上野先生の社交スキルの高さがこれでも かこれでもかと「ひけらかされ」た上に、社交スキルが無ければ老後は悲惨だ と言わんばかりのことも書かれている。そのスキルは努力によって勝ち得る点 を強調しているけれど、努力で何でもかんでも手に入れられるのならば誰も苦 労はしない。これを読んだ私の気分は、ちょうど自転車にも乗れない人が、努 力すれば私のようにオリンピックに出られるわよとアスリートから言われた時 と似たようなもにだと思う。上野先生のこういうところに、「もてない男-- 恋愛論を超えて」(ちくま新書)の小谷野敦氏が以前噛み付いてたんじゃなかっ たかしら。ま、才能がある人はおおいにその恩恵を享受すれば良いし、更に努 力を重ねてより多くの恩恵に浴せるようにすればよろしいのでしょう。知ら ないけどね。

それはともかく、「職場に友人は求めないほうがよい」のくだりは、我が意 を得たりという気がした。この場合の「職場」は、「自分が雇われている大学」 だけでなく、「学会」も含めて良かろう。同業者というのは全て潜在的ライバ ルだからお互い気が抜けないし、競い合う仲間という刺激的な関係が心地よい という人も少なくないけれど、私はそんな気分にはなれないな。 友人は利害関係も上下関係も無い異業種、異分野に限るというのは、やはり正 しいと思う。

2007年8月7日(火)
<<堕落の極楽図式>>
昨夜はジョンベネに始まり次から次へと人名が出てきて、自分は天才になった のではないかと浮き足立ったが、最後に「『津軽海峡冬景色』を歌った私と同 世代の演歌歌手で、大学1回生の頃、同級生のひとりがが『彼女こそ、正真正 銘の美人というものだ。お前ら、あの美しさが分からんか、ボケ!』と絶賛し ていた人は誰だっけ?」という自問に答えられず(正解は「石川さゆり」)、 やはり現実は現実なのよねと泣き濡れて、「おひとりさまの老後」(上野千鶴 子)を少し読んで寝る。上野先生曰く「他人が産んだ血のつながらない子ども たちを育てるのは、教師の楽しみのひとつだ」だと。へー、そういうもんなんかね。 知らないけど。

本日昼前に、(昼食がわりに)京都駅八条口にある祇園辻利の抹茶ソフト クリームを平らげて気勢を上げてから、近鉄特急で京都を発ち、松阪と津で終 日野暮用。夕食は私のお気に入りの津市内の某店で鰻丼、ついでに、もうひと つのお気に入りの別の某店でお土産用の鰻蒲焼を購入。よっしゃあ!明日の朝 食は鰻丼だあ。京都駅に着いた時、もういちど抹茶ソフトクリームをと思ったが、 「抹茶ソフト→鰻丼→抹茶ソフト」という図式は何だか恐ろしい欲望の蟻地獄 への第一歩かのような気がして踏みとどまる。 そのかわり、京都駅のコンビニで冷えた恵比寿ビールを買ってその場で一気飲み。 まあ、「抹茶ソフト→鰻丼→冷えたビール一気飲み」もじゅうぶん堕落の 極楽図式だけどね。

欲望にギラついた一日。近鉄特急の中では、3ページ論文解読作業を続行。 すこしだけ進展する。進展してもらわないと困る。これだけで夏休みが終って しまったら、何か馬鹿みたいだし。

2007年8月6日(月)
<<ジョンベネ事件>>
朝から晩までずうっと自宅。3ページ論文の解読など。夕食後、少し外が涼し くなったようなので、散歩がてらに山科駅前Sbuxまで出掛け、1時間半ほ ど解読作業の続き。散歩の帰りは冷房のきいた山科書店京都薬大前店に立ち寄 る。ここはいつも私好みのクラシック音楽が掛かっており、今日はシューベル トのピアノ三重奏曲。この曲を聴くのは久しぶりだ。上野千鶴子「おひとりさ まの老後」(法研)を購入。

帰宅途中、どこかの絵の展覧会のポスターに使われて いる少女の絵が目に入った。ああ、ジョンベネって、こんな感じだったかしら。 そして、突然色々な事が脳裏に思い浮かんできた。ジョンベネは確かアメリカ の少女猟奇殺人事件の時に出てきた少女の名前で、数多くの美少女コンテスト で優勝した美少女ジョンベネが不可解な死を遂げたが、両親がその犯人だと疑 われて、アメリカのテレビのワイドショーなどでセンセーションになっていた らしい。ジョンベネとボン・ジョビはよく似た(?)名前だが、ボン・ジョビ はアメリカのロックシンガー&俳優で、昔テーゲに来てた通称「塾屋」 (本名******[伏字])が彼の 熱狂的ファンらしいが、ひところNHKで放送していた「アリー・マイ・ラブ」 で、ハーバード・ロースクール卒の敏腕弁護士アリー・マクベールといい雰囲 気になりながらも結局恋愛には発展しなかった高卒配管工の役で出ていたのが ボン・ジョビだった。そのアリー・マクベールの役をやっていた女優の名前は キャリスタ・フロックハートといい、数年前、30代後半のフロックハートは 60代前半の俳優ハリソン・フォードと結婚した。ハリソン・フォードとあま り似てないかも知れないが、ちょっと似ているハンサム俳優で「愛と青春の旅 立ち」でデヴォラ・ウインガーと共演したのがリチャード・ギア。デヴォラ・ ウインガーは若い時ちょっと憧れた女優だけど、可笑しなことに、長い間ジョ ディー・フォスターと区別がつかなかった。メル・ギブソンはリチャード・ギ アと同世代ぐらいの俳優だと思うが、私が会社員をしていた頃、単身アメリカ 出張に放り出されることになって、大慌てで「時事英語研究」(研究社)などを購読して 英会話を勉強し始めたのだが、ある巻のカセット・テープに当時ブレイクして いたメル・ギブソンのインタビューが入っていて、あなたの価値はどのぐらい (の金額)か?と聞かれたのに対し、"Priceless! Ha ha ha..." と答えてい て、その時初めてpricelessの使い方がわかった。 某カード会社のCMが流行るずっと以前の話である。 当時ピンピンの若いお兄さ んだったメル・ギブソンもリチャード・ギアも、今はいいおじさんになってし まった。は てな?人名が覚えられず思い出せない私なのに、何で今日はこんなに次から次 へと人の名前で出てくるのだろう?じゃあ、もう少し確認してみよう。エート、 饂飩にコシなんて要らん、京都や大阪の饂飩は昔から箸で掴んだらブチブチに切れる ものと決まってるんやと言ってたのは。。。神岡竜太郎だな。 その発言の相手は確か山城新吾だったかな。すごーい!どんどん 名前が出てくる。また「高山さんって、怖いひとですねえ」って言われそうだ。 私、一体どうなってしまったんでしょう?もう死ぬのかしら?

帰宅後、部屋の隅に眠っていたシューベルトのピアノ三重奏曲(D898, D929)などのCDを取り出し、iPod「風呂焚き」をしながら、さらに解読 作業を続ける。今日は少し解読作業が前進した。

2007年8月5日(日)
<<長浜・北びわこ花火大会>>
午前中は野暮用と少し逃避数学。午後は某観光ツアーの長浜・北びわこ花火大会 を見に行く。遊覧船から花火を見物し、深夜12時前に帰宅。

長浜は確か10年ぐらい前にもいちど遊びに行って、自転車を借りて街を 探索したり、遊覧船に乗って竹生島まで行ったことがある。歴史を感じさせ、 落ち着いた中にも活気がある良い街だが、今回は彦根港から船に乗り長浜港 近くに停泊して花火見物し、そのまま彦根港に戻ったので、長浜には足を踏み 入れていない。

琵琶湖で花火といえば何といっても8日に開かれる大津の花火大会が有名 だが、10数年ほど前に一度見に行ってその大混雑ぶりに閉口して以来、近寄 らないようにしている。山科に住んでいると、東の山の向こうからどどーん、 どどーんと花火の音がかすかに聞こえてくるので、それだけで済ましている。 伏見に住んでた頃、宇治川の花火大会も割合近かったが、やはり人ごみを恐れ て遠くで音を聞くだけにしていた。

私の実家はその街の花火大会が行われる河口近くにあったので、子供の頃 は2階からせり出した物干し台から、まるで大輪の花が頭上から覆いかぶさっ てくるような迫力で花火を見ることができた。花火の爆音も、びっくりする程 大きく聞こえた。子供の私は勿論はしゃいでいたようである。戦時中内地に居 た母は「空襲を思い出す」と浮かぬ顔をしていた。しかし、南方戦線を中心に 6年程従軍していた父はそうでもなかった。外地では空襲よりも敵のゲリラや 戦闘機の機銃掃射の方が怖かったからのようである。この花火大会特等席の物 干し台も、隣にマンションが建ってからはあまり見えなくなり、いつしか花火 見物も行われなくなった。

東京で会社員をしていた頃は、港区の高層ビルのオフィスから隅田川の花 火大会が見えた。少し離れているので小さくしか見えないが、22階からだと、 花火が下から上がってきて、やはり下の方で破裂する様子が見えた。花火は下 から見上げるのが普通なので、上から見下ろす花火というのは珍しい。仕事の 手を休めオフィスの灯りを消して、皆で一緒にしばらく眺めていたものだ。

2007年8月4日(土)
<<あれも要らない、これも要らない>>
まだ台風の影響が残っているのか、今日も蒸し暑い曇り空。午後は山科区内で 野暮用。それ以外は例の3ページ論文で七転八倒を継続。

野暮用が終って山科駅前Sbuxで一休みしていたら、前期の私のクラス に居た数理科学科の学生が一人入ってきた。近くに住んでいるのか、よくこの 辺りで見掛ける。学生好きで教育熱心な教師なら、ここで学生に声を掛けたり するのかしら。知らないけど。

ところで、先日珍しくテレビをちょっとだけつけてみたら、米倉涼子と高岡早紀のド ラマをやっていて、ニヒルな若い兄ちゃんが、「あれも欲しい、これも欲しい、 その気持ちに正直に生きる」ってのは純粋なのではなく、単に欲望が抑えられ ない猿以下の人間ってことだ。「あれも要らない、これも要らない、で もこれだけは欲しい」というのが本当の純粋なのだというような台詞を吐いて いた。うまいことを言うもんだと感心し、時々思い出しては、また感心している。

2007年8月3日(金)
<<後先考えない>>
台風の影響でなにやら蒸し暑い一日。時折雨や激しい風も。午前中は少し野暮 用があって、それ以外は自宅書斎に散乱する資料やゴミの整理を行って夏休み の研究体制を整え、夕方近くからぼつぼつ活動開始。資料の整理をやっている うちに、この2月頃から今まで、自分は如何なる方針の下に、何をどういう経 緯でやってきたかを思い出した。実はこの1、2ヶ月ぐらいの間、そういった 事を全て忘れて後先考えずに目の前のものと戯れたり悪戦苦闘したりしていた のだ。まあ、数学研究というのは後先考えたところでどうにもならないような 所があるから、それでいいんだけど。それで、もう8月に突入してしまったの で、ちょっと気分を変えようということで、ハーツホーンをのんびり読み進め るのは中断して、例のたった3ページで七転八倒のフランス語論文の解読の続 き(まだ終ってなかった!)を再開。実をいうと、この解読作業を進めるため にハーツホーンを読んでいたのだ(ということを今日思い出した)。解読再開 は、いわば代数幾何学の力がいくらかでも身についたかどうかの力試し。夜は 久しぶりにスポーツクラブ。

2007年8月2日(木)
<<栗東経由>>
午前中はしばし自宅でメールで仕事したり、iPod「風呂焚き」をした後、 京都市内で野暮用。色々段取りが悪かったせいか、昼食サバイバル・ タイム真っ盛りの四条烏丸界隈でレストランを捜す羽目に。むさ苦しいオジサ ン達が、ぎゅう詰めの相席でひしめき合って定食を掻き込んでいるような所は 嫌だとか色々贅沢な事を考えて、あっちの店を訪ねこっちの店を覗きしている うちに結構時間が経ってしまった。やや遅めの昼食の後、地下鉄で京都駅にた どり着き、そこからJRで大学に向かったが、何だか疲れて居眠りをしている うちに南草津を過ぎて栗東まで乗り越す。栗東経由で大学に出勤し、16時前 頃からようやく前期試験の採点再開。途中生協食堂での夕食を挟み、明日のた めに打つべし!打つべし!打つべし!と入魂の気合い作業を続けること数時間、 予定通り採点、成績集計、採点講評執筆の諸作業を全て終える。22時過ぎに 家路につき、23時過ぎに帰宅。深夜、採点終了と明日からの逃避数学復帰を 祝い、焼酎で乾杯。(え?何故焼酎なのかって?たまたま家にあったから。)

2007年8月1日(水)
<<ほうほうのてい>>
今日も朝から会議室に監禁されて、大学の仕事。昼休みはトイレに行くふりを して抜け出して研究室に戻り、昨日採点を終えた定期試験の採点講評を執筆し、 13時過ぎに何くわぬ顔して会議室に戻る。何故か三時のお八つという大変結 構なものがあり、おいしいケーキとアイスコーヒーを頂いた直後に、むにゃむ にゃむにゃと意味ありげな事を口走りつつ、後の仕事を放り出してササッと退 散。「ああっ!食い逃げー!」という叫び声が聞こえたような聞こえなかった ような。ほうほうのていで研究室に戻り、演習科目のレポート提出状況の最終 チェックをして成績をつけ、その後、別の科目の前期試験の採点に着手。生協 食堂での夕食を挟んで、気合いで今日中にやっつけてしまおうと思ったけれど、 力尽きて21時半ごろ家路につき、22時半頃帰宅。とりあえず、朝早くから の監禁生活からは解放されたことを祝い、さらには、何としても明日じゅうに 採点をやっつけて逃避数学に復帰するぞという決意を込めて、深夜に焼酎を軽 くあおる。

そういえば、先日JEUGIAで試聴した内田光子のベートーヴェンの CD(ジャケットの写真が「ムンクの叫び」でない方)が凄かったので、買い に行きたいのだけど、最近CD買いすぎかなと思ってちょっと我慢している。 シューベルトのピアノ・ソナタ19番の時もそうだったけど、 あんな重厚で胸に容赦なく迫ってくる音をどうやって作ってるんだろう。