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2007年12月15日(土)
<<それは誤解?>>
関西日仏の日。昼前に自宅を出て、地下鉄の中で簡単に前回の復習、京大ルネ で昼食の後、隣の関西日仏に移動。

まずは図書室でCD漁り。ジャケットの写真が気に入ったというだけの理 由で、オリヴィエ・グレフ (Olivier Greif、1950年 - 2000年)のピアノ二重 奏・三重奏のCD。そして、何かもう一枚室内楽曲のCDがないかしらと思っ てたら、ふと印象派風の絵のジャケットが目にとまったというだけの理由で、 レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn, 1875年- 1947年)のピアノ四重奏のC Dを借りる。

それから14時の授業開始までの間、閲覧室でL'etrangerの「再読作業」。 これは、L'etrangeの第一部をほぼ読み終えたので、今度は最初から仏独辞典 を使ってドイツ語との対応を考えながら読み直すという作業。授業の合間の休 憩時間にもちょっとだけ図書室に立ち寄ったら、P.G.カスティックス著「カミュ と『異邦人』」という本が目に留まった。以前からL'etrangerの文学研究 書がないものかと思ってたので、即借りることにした。

小説を読まない私が「異邦人(L'etranger)」に執心するのは何故かという と、この小説を誤解しているからそう思うだけなのかも知れないが、主人公のムル ソー君に共感するところが大きいからだと思う。別に投げやりというのではな いのだけど、あらゆるものがどうでも良く、私自身の精神と世の人々との間には 何の関係も存在し得ないというような感覚は、ムルソー君と相通じるものがあると思うんだけど。ただ、私の場合、学問と芸術を通した世の中との繋がりは、かろうじて 保っている積もりではあるが。

この感覚は学科長の1年間とその後数ヶ月の「心の病」の療養期間で一気に深 まったのだけど、それは元々あったものが色々な経験を経て顕在化したということ だと思う。あるいは単に精神安定剤の副作用か後遺症なのかも知れないが。

授業の後は、烏丸四条近辺に移動。JEUGIA四条店が新装オープンし てたので少し偵察。数学者の某氏は研究室にグロムフォンのカレンダーを 掛けていると聞いたが、どうすれば手に入れられるのかと思ってたら、 どうやら然るべき期間に1万円分のCDを買えば先着何名かは貰えるらしい。 それから大丸などで買い物をしたり、夕食をとったりしてから帰宅。 夜は借りてきたCDを聴きながら、関西日仏の復習を少し。

2007年12月14日(金)
<<毎日ここで?>>
研究日。午前中、自宅で少し計算を進めていたら、ある部分の扱いが良く分かっ ていないことが判明した。そういえば数年前から、これはどうなるのかなあと 思って放置されていた事なので、この際はっきりさせておこうと思い立つ。

午後は京大数理研図書室。その前に関西日仏学館に立ち寄って例の詰まら ないフランス詩集とCD2枚を返却し、隣の京大ルネで昼食。今日も何故かゲー テ上級クラスで一緒だったY氏とばったり会ってしまった。彼は毎日ここで昼 食を取っているのだろうか。

数理研図書室では、まずは午前中の疑問を片付けてから学位論文の副査関 連の勉強をしようと思ったけれど、疑問の解決の方に案外梃子ずって、夕方ま でかかってしまった。

夜はスポーツクラブ。金曜の夜に行くのは初めてだが、いつも土曜日の夜 に行った時に見かける人が2人居た。彼らは毎日ここでトレーニングしている のだろうか。

スポーツクラブから帰ってからは、数理研でわかった事を纏めて、 計算を先に進めるのは明日以降にする。

2007年12月13日(木)
<<良からぬ企て>>
午前中は論文の最終原稿作成作業。どうも自宅PCのTeXのヴァージョンが古い らしく、大学の研究室に置いてあるPCを使わないとうまく行かないと 判明した。今日は研究日だから「街に出る」積もりだったのだが、予定を変更 して出勤することにした。私にとってRitsは研究するところではないので、授 業や会議が無い限りあまり行きたくないのだが、仕方あるまい。

ということで、山科駅前で少し野暮用、さらにSbuxで簡単に昼食を取り、 勢いをつけてから大学へ。研究室に立てこもって作業に励んだ甲斐あって、夕 方頃には原稿が仕上がり、メールで送って作業終了。それから少し雑用を片付 けてから、逃げるように帰宅。夜は少し数学。

サバティカルや研究集会などで他所の大学に滞在する分には、大学という のは実に良い研究環境だと思う。数学研究のためには静かな空間が必要で、多 くの大学はそのように出来ている。物理的に静かな事も大切だが、それよりも 精神的に静かな事の方が遥かに大事である。街に出ると落ち着くのは、精神的 に静かになれるからである。

しかし自分の所属する大学は、たとえ物理的には静かでも、精神的にザワ ザワしてあまり落ち着かない。例えば、こうしている間にも大学内の何処かで 良からぬ企てが進行していて、近い将来彼らが自分の研究生活を破壊すべく襲 いかかってくるのではないか?といった予感にさいなまれる。特に学科長など をやって、実際に「良からぬ企てが進行」する現場を目の当たりにしたりする と、ますます大学などには近寄りたくなくなるのだ。

2007年12月12日(水)
<<破り捨てる>>
午前中は経済・経営学部1回生の一般教養の数学の講義。24時間制の時間で 剰余系の話をしたとき、「24時の1時間後は0時」という唖然物の大ボケを ぶちかまし、それに気付かずにどんどん講義を続ける。ボケも嵐も踏み越えて、 学生達の反応はなかなかよろしく、授業後に何名かがかなり本質的な質問をし にやってきた。勿論、そのうちの1名は親切にも「でも、先生。24時は0時 じゃないですか」と教えてくれた(その時初めて大ボケに気づいた)。この失敗 が我ながら可笑しくて仕方がなく、ニヤニヤしながら研究室に戻る。

昼休みは、研究室でこそこそ昼食の後、昨夜遅く某学術誌掲載決定の通知 が来た論文の最終原稿作成の準備作業を少し。苦労して書き上げた論文だけど、 諸般の事情で出版を断念しなければならないかと思っていたので、掲載決定の 喜びはひとしおである。しばらくして学生が質問に現れたので、しばし対応。

14時10分から3回生の演習の授業。その後、事務で郵便物の整理。大 学教育に関するアンケートなるものが来ていたので、真面目に書き始めたのだ が、次第にむかむか腹が立ってきて、最後には例によって破り捨てる。最近こ の手のわけのわからないアンケートが多く、矢鱈沢山の事をあれこれ聞いてく るうえに、その設問には先方の価値観や思い込みが色濃く刷り込まれているた め、それを受け入れない限り答えにくかったり、あるいは答えようの無いこと ばかり聞かれることになる。その押し付けがましきにキレて、 思わず破り捨てるのだ。

その後、16時から17時45分頃まで教室会議。しばし休憩の後、引き 続き学位審議委員会数学分科会。この会議も30分ほどで終ったが、代数幾何 学の博士論文の副査を仰せつかり、ぶ厚い博士論文の原稿を預かることに。ま あ、光栄な仕事ではあるけれど、ちょっと大変。その後生協食堂で夕食の後、 少し雑用をしてから帰宅。夜は博士論文の原稿と少し眺めてみる。

2007年12月11日(火)
<<高密度実装の一日>>
午前中は4回生の講義。JR琵琶湖線は20分遅れ。10分ぐらい遅れるのは 毎度のことなので、それを見込んで家を出ているが、20分はちょっと想定外。 大学のバス停から小走りで直接教室に向かい、辛うじて授業に間に合う、はず だった。実際は教室がわからなくなり、いくつかの教室の扉を開けてみては、 既に別の先生が授業をしているのを見て「いや、失礼」「これまた、どうも!」 などと間抜けた挨拶を何度か繰り返して、最後にやっと正しい教室にたどりつ く。これも想定外。

火曜午前のこの授業は、大学の都合でこれまで2回教室変更を強いられた こともあって、教室名は覚えていない。どうやって教室にたどりつくかは体が 覚えており、研究室を出て広いキャンパスの中はぼんやりしながら無意識に体 が動くのにまかせていると、何となく教室にたどりつくのである。しかし今日 のように、バス停から直接向かうような通常と違うことをすると、迷子になる。

研究室こそこそ昼食の後、事務で郵便物の整理をしている間に昼休みは終 わり、午後は就職委員の関係で1時間程会議。引き続き4回生M君の卒研ゼミ。 それから45分ぐらいの間で定期試験問題を一気作成し、16時から教授会。 内職をしようと思ったけれど、司会者などのマイクの音が五月蝿くて何もでき ない(それが彼らの狙いなんだけど)。そこで電撃的天啓。そうだ!大きな声 が出ない人間は、マイクロフォンで武装すればいいんだ、と。

口元に小型のマイクロフォン、そして、頭の上に大出力スピーカが付いた ヘッドフォン型の耳栓。自分の言いたい事は大声で言い、他人の言うことは聞 かない。これひとつで貴方も無敵モードに大変身!まさに、私と同様に大きな 声が出ない人たちへの福音となるに違いない。これまではトンカチでバンバン ばーんとやって、その辺の人間を黙らせておいてから話すという方法をとって いたが、この機械を使う方がずっとエレガントかも。特許でも申請しておこう かしら。

教授会は3時間45分ほどで終了。生協で夕食の後、就職委員の雑用など を少しやってから家路につき、22時半頃帰宅。

2007年12月10日(月)
<<流行ってるの?>>
午前中は昨日修理した自転車を飛ばして山科区内で野暮用。さっさと片付けて しまおうと思ったけれど、やはり何だかんだと午後に食い込み、野暮用をやっ つけて京大数理研図書室にたどり着いた時は14時半を過ぎていた。それから 数学。17時に京大を追い出され、今日は関西日仏も休館日なので、ゲーテと JEUGIA三条本店とアンジェ河原町三条本店をそれぞれ少し偵察してから、 帰宅。夜も少し数学。それから明日の講義の準備を少しして、本日業務終了。

深夜、珍しくテレビを点けたら、車座になったむさ苦しいオジサンたちの 間に若いのがちらほらと混じって雑談をしている番組をやっていた。曰く、社 会的疎外感に苛まれたオジサン達がキレやすくなっている。曰く、某大学教授 が調査したところ、60歳のオジサンの感情を抑制する能力は6歳児のそれと 同じと判明?曰く、オジサンを大事にしないと暴れて大変なことになるぞ!等 等。そういえば、昨夜も同じような時間帯にふとテレビを点けたら、熱い思い を胸にフラダンスを踊る某商店街のオジサンたちを紹介していた。何なんだろ う。最近オジサンが流行ってるんだろうか。少なくとも絶滅稀少種ではないわ な。まあ、面白いんだけど、正視に堪えない世界が展開しているので、いずれ も思わずスイッチを切った。

2007年12月9日(日)
<<烏賊の塩辛頭>>
昼頃に近所に買い物、そして夕方に自転車の修理をしてもらいに自転車店Bに 出かけた以外は、自宅にて静養。午前中はフランス語の宿題を片付けたり、最 近急速にドイツ語を忘れ始めていることに危機感を持ち、インターネット版 SPIEGELの記事を少し読んだりしてすごし、午後はぼつぼつと数学。

ドイツ語の崩壊が始まっている。昨夜はふとErkaeltung(風邪)は思い出せ たのだが、Grippe(インフルエンザ) が出てこず。今朝も日仏の宿題でcheval (馬、[仏語]) が出てきたけれど、Pferd(馬、[独語])が思い出せない。それで、 ドイツ語の動詞の活用ってどんなのだっけ?と何か例を思い出そうとしても、 例えばフランス語のetre の活用などが出てきて、je suis, tu es, il est, nous sommes... 待てよ、ドイツ語のBe動詞ってseinじゃなかったっけ?そう だ、ich bin, tu bist, elle est ... あれ?何かおかしいぞ、と。

ドイツ語はどんどん忘れ、フランス語はまだまだ身についていない。かよ うに現在、確かだったはずの記憶は不確かになり、不確かな記憶は相変わらず 不確かで、不確かな記憶ばかりが寄り集まってグチャグチャになって、脳味噌 が烏賊の塩辛状態で、もーっ大変!なのだ。こういう事にならないように、日々 独仏・仏独辞典は常に手放さないようにしようと思ったのだけど、最近はどう もさぼりがち。まあ、そのうち何とかなるだろうとは思っているが、自らを混 乱に陥れて楽しむ習性があるマゾな私としては、実はこの混乱を少しばかり楽 しんでいるんだけど。

2007年12月8日(土)
<<フランス人の「イケズ」>>
関西日仏学館の日。ゲーテだの関西日仏だのに行っている日は、性格歪み病の 進行は押さえられているものと思われる。少し早めに行って、図書室で先週の おさらいなど。ドイツ語の時もそうだったが、動詞の活用とか、数の読み方とか曜日とかはなか なか覚えられないし、覚えられるとも思っていないので、週に1回だけ気休め 程度におさらいをするのである。

フランス語の数の表現は滅茶苦茶である。10進数、16進数、20進数 といった複数の概念がごちゃまぜになっているのは一体何の積もりだか良く分 からない。学生時代のフランス語の先生は、ローマ時代のナント カの名残で云々でこうなったのだと説明していたが、どんな話だったか忘れ た。まあ由来はともかく、少なくとも20世紀の半ば頃まではフランスの数学 は世界の最高水準だったとされているが、こんな滅茶苦茶な数の表現でよく高 度な数学が発達したものだと訝ったものである。フランスの数学も計算機科 学も、イギリスやドイツのそれに比べて妙に抽象概念の美しさに向かって突っ 走るようなところがあって、それはフランスの数学者や計算機科学者たちがフ ランス語を通して具体的な数字を扱うのにうんざりしているからではないかと 邪推したくなる。

フランス人の「イケズ」の話も色々言われているけど、今日はクラスメイトの 人たちから、名詞の性についての話を聞いた。パン屋で"Un baguette, s'il vous plait." (バゲットをひとつ下さい)と言ったら、後ろに並んでいるお ばさんに"UNE baguette!" とどやしつけられて、以後怖くて"Deux baguettes, s'il vous plait."と2本ずつ買うようにしたとか、カフェでギャルソンに"Un salad, s'il vous plait."と注文したら、その辺から「あいつ、un salad と か言ってるぜ。saladはuneであってun なんか付けないよね」と話しているの が聞こえたとか。へえー、フランス人らしいよなあって顔をして聞いてたら、 高山さん、ドイツ語でもそんな感じなんですかと聞かれたので、ドイツ語の名 詞は男性、女性、中性形があって、さらに形容詞もそれに伴って複雑に変化す るが、ドイツ人は外国人のドイツ語にはある種の諦観を持っているのか、名詞 の性を間違っても「まあ、外国人だからしょうがない」とあまり気にもとめな いようだと答えておいた。

そういえば昔フランスに出張した時、数日間泊まった小さなホテルの親父が、 部屋の番号を フランス語でちゃんと言えるまでは鍵を渡さん!とイケズしよった。私は心の 素直な人間なので、間違いだらけのフランス語で一生懸命部屋番号を答えよう としたのだが、親父はそれは違うこう言うのだと何度もお手本を示し、お前も 言ってみろと迫ってきた。そして、なんとか真似してちゃんと言えれば、「よし!」と 満足そうな顔をして鍵を渡してくれるのだ。しかしフランス語の数の表現なんて覚 えられっこないと信じていた私は、次に鍵を貰うときには何て言うのかすっか り忘れてしまってて、また同じようにイケズ、マゾ、お手本、「よし!」が執 拗に繰り返されるのであった。私はそういうフランス人が大好きである。

夜はスポーツクラブとフランス語の復習。

2007年12月7日(金)
<<何処か嘘臭い>>
失われた一日は数学で取り戻すべし、と本日研究日。午前中は就職委員関連の 仕事でいくつかメールを出してから家を出て、京大ルネで昼食。ルネでは以前 ゲーテ上級クラスに来ていたYさんとばったり出会った。外回りの仕事の途中 にルネに立ち寄り、食事を終えて今からまた仕事だという。ゲーテが「潰れた」 ことを知ってますか?といった事を少し立ち話してから別れた。そういうえば、 こういう時の私は自分でも驚くほど妙に気さくなオジサンである。そして私は、 妙に気さくなオジサンの怪しさが嫌いである。聖人君子じゃあるまいに、長年 人の世に生きてきて、それでもまだ気さくであり続けるというのは何処か嘘 臭いではないか。と、しばし自己嫌悪の後、気を取り直して京大数理研図書室 へ。その後、関西日仏学館のカフェに移動。夜も少しだけ数学。

学科長でえらい目に会って、心の病の投薬治療も見放され、野に放たれて 以降、この日誌でもシケたことばかり書いているし、どうも鬱病かそれに近い 病気になってるんじゃないかしらと思う今日このごろである。しかし、ネットで捜した鬱 病自己チェックみたいなのをいくつかやってみたけれど、「抑うつ傾向はほと んどありません。毎日を楽しく過ごしてください」などの診断結果ばかり出る。 この野郎、馬鹿にすんじゃないよ。 俺はちゃんと四六時中気分が沈んで憂鬱だし、 特に朝は地獄の底から這い上がるような気分でドーパミンのぶっとい 注射を頭に打ってもらいぐらいだし、 ごく限られた人たちを除いて他人に対する興味や関心はほとんど無いし、 全世界を敵に回して「欲しがりません、勝つまでは」と数学と芸術を糧にかろ うじて日々生きながらえているようなもんだぜ。(でも数学と芸術があれば 十分じゃないかという気もするが)。

でもそれって、鬱病というよりも、単に研究が中々思うように進まないから気が 晴れないだけか。しかし数学研究なんてそんなもので、「思うように進む研究」 なんてのは形容矛盾だ。ならば、単に性格が歪んだからかも知れないけどね。 性格が歪んでゆく病気。この病気の進行を止める薬ってないのかしら。

2007年12月6日(木)
<<呪われた一日>>
折角の一日が台無しになることも、たまにはあるものだ。

今日は午前中から昼 過ぎまでは山科区内で野暮用。その後研究日全開♪とばかりに京大数理研図書 室へ、という予定だったのだが、結局、野暮用は思わぬところで長引き、さら には、まるで呪われたかのように色々なアクシデントが重なり、さあ研究日の 始まりです!と思った時にはもう夕暮れになっていた。嗚呼、何ってことだ。 しかしまだ夜があるではないかと挽回を図ろうと思ったのだが、昨夜はまた色々 あってあまり寝ておらず、昼間のあれやこれやの疲れも手伝って頭がぼんやり し、気力も湧かない。

「アクシデント」が何だったかを少し書いておくのも良いかもしれない。 まずは、よりにもよって携帯電話が必要な今日の野暮用に、携帯電話を忘れた。 それから、自転車の前輪のチューブが劣化しているのか、空気を一杯に入れて もすぐに抜けてしまうことが野暮用中に判明した。電話を取りに戻ったり自転 車の修理をする時間が取れず、携帯電話のかわりにテレパシーを使ったり、空 気の抜けた前輪を念力で中空に浮かせたりして野暮用を強行した。

野暮用の後、一番近くの自転車店Aは何となく嫌な予感がしたので通り過 ぎ、うんと遠くの自転車店Bまで行ったのだが、♪しばしも休まず槌打つ響き 仕事に精出す♪働き者の自転車店Bは今日に限って臨時休業していた。仕方な い。念力も尽きたので、夕焼け小焼けの中とぼとぼと自転車を押して自転車店 Aに戻った。自転車店Aは車輪をちょっと見ただけで、虫ゴムが悪いだけだろ うと言い、それを取り替えて空気を入れ直した。しかし修理代50 0円を支払い一応修理されたかのように見えた自転車で自宅に戻った時には、 前輪の空気は再び完全に抜けていた。このヤブ医者、、、否、ヤブ自転車め!こ の段階で、私の気力も完全に抜けてしまった。ああ、今日はもうテレパシーも念力も 使えない。矢尽き弓折れくたびれ果てて、何をやってもうまく行かない日とい うのは、こういう日をいうのだろう。

もう駄目だ、我慢ならない。と、全てを放り出して(と言っても全ての野暮 用やアクシデントの連鎖はこの時既に終っていたのだが)気晴らしにJEUG IA三条本店へ。Arte Novaの激安シリーズ! ハイドンのピアノ三重奏第9番のCD(680円也)を衝動買いして、 Sbux新京極店 で少しだけ数学をやってから帰宅。夜は買ってきたCDを聴いてL'etrangerを 少し読んで、さっさと寝る(予定)。

2007年12月5日(水)
<<声が小さい!>>
出勤日。午前中は経済・経営学部の一般教養科目の講義。500名収容の大教 室の一番後ろでぼそぼそお喋りしている学生が居たので注意する。 大教室って案外音響が良くて、ここでコンサートやったらいいんじゃないかしらと思う。 学生たちは小声だからいいだろうと思ってるの かも知れないけど、黒板の前の私には良く聞こえてきて自分の声と重なってし まい、五月蝿くて講義ができなくなるのだ。

昼休みは例によって色々雑用を片付け、午後は3回生の演習の授業。50 名ぐらい収容の小さな教室だが、大教室に比べて音響が悪いような気がする。 珍しく始業ベルと同時に教室に入るぐらい早く着いたのだが、出席簿を忘れて きたことに気付き、また研究室に戻るはめに。それから、この授業で学生に指 摘されるまで12月26日も授業があると信じ切っていたのだが、年内の授業 は25日で終わりと知って衝撃を受ける。26日にも授業があると思って1月 の計画を立てたんだけど。

ところで私は声のデカイ人間が嫌いで、声がデカイというだけで、この人 は一体これまでどれだけ大声が出ない人間を蹴散らかし、言いたい事を言いた い時に言いまくって小さな傍若無人を積み重ね、今日までのうのうと大手を振っ て生き長らえて来たことかと思うと、ますます腸(はらわた)が煮えくり返っ てきて、でもそんな事で人を憎むのは正しくないと自らを厳しく戒めるのであ る。かくして声のデカイ人間の前では、憤怒と自制の狭間で頭がくらくらする 思いをしながら、かろうじてバランスを取っている。

そんな年月を送っているうちに、元々大声が出ないタチなのに、「大声を 出す自分は許せない」とばかりに知らず知 らずのうちに益々小声で喋るようになってしまったのであろう。昨年ぐらいか ら、「最近、体調でも崩されたのですか?お腹に力が入ってないようですね」 と心配されたり、「若しかして発声時に息を吸ってるんじゃないですか?」と 不思議がられたりしていたのだが、とうとう先日上記の演習授業のアンケート で「先生の話し声が小さくて聞こえにくい」と書かれてしまった。そして今日 は4,5メートルぐらい離れた所に居る学生に、何を言っているのかわからん と言われてしまった。小教室だけど、次回からはワイヤレスマイクを使おう。

演習の授業の後、また少し雑用を片付けたりしてから帰宅。

2007年12月4日(火)
<<上等の人間になる>>
出勤日。午前中は4回生の講義。昼休みは研究室で昼食をコソコソとりつつ、 メールや書類を書いたりコピーをしたりといった雑用。午後は4回生M君の卒 研ゼミ。その後1時間ほど定期試験の問題を作ったり授業の教材を印刷したり といった雑用をしてから、小規模な会議を40分程。そしてすぐに帰宅。

昔、数学なんか勉強して何になるんですか?と先生に質問した数学科の学 生が居て、聞かれた先生は「数学は人間を上等にします!」と即答したという。 それでその学生は数学者を目指すことにしたそうである。

数学科にもそういう質問をする学生が居ることには流石に驚かなくなった が、上記某先生の即答にはひっくり返った。だって、計算機科学から数学に転向し て早くも11年、あのまま計算機続けてたら私の性格はこんなに歪まなかった かも知れないな、と、しみじみ思う今日この頃だからである。 歪んだ人間が上等ってことはないだろうし。 即答した先生もそ うなんだろうけど、数学やって上等になれる人間は元々上等なのである。気を つけろ!元々歪んだ人間は、数学やると益々激しく歪むぞ。

では私が同じ質問されたらどう答えるか? この手の質問にまともに答える気が全然無いので、 「さあね(○×先生にでも聞いてみればあ、と適当な先生の名前を挙げて)」 と追い返すのが基本。しかしその時に機嫌がよければさらに、「私は幸せに なりましたけどね」と付け加えるかもしれない。歪んでも幸せ。歪んでなかっ たらもっと幸せ?

2007年12月3日(月)
<<ギロチン?>>
研究日。夕方、気晴らしに山科駅前Sbuxへ行き、夜、定期診療のために近 所の歯医者に行った以外は、自宅に引き篭もって数学。引き続き、過去3年程 あれこれ勉強したり考えたりしてきた事を纏める作業。纏めたら新しい発見が あるのかというと、今のところ「そうなればいいね」と言うのが精一杯の状態。

新しい発見は簡単にはできないから、同じ対象を根気良くじいーっと眺め ている事が必要になる。まわりの数学者達を見ていると、皆そうしているよう だ。他に面白いテーマが沢山あるのに、何故この人はこの問題ばかり研究して いるのかしら、と。そんな芸当は自分が一番興味が持てることじゃないとやっ てられない。しかし、自分が一番興味が持てる対象が、自分の脳味噌に収まり きらないぐらいに込み入った話だったらどうなるか。 どうなるんでしょうね?今、自分で実験してるところなんですけど。

夜は疲れ果ててしばし居眠りの後、音楽を聴きながら少しL'etrangerを読 んだり。L'etrangerはやっと第一部の終わりが見えてきたってところ。 もうすぐムルソーがアラビア人をピストルで射殺して第一部が終わり、第二部 では拘束されて裁判にかけられる話。最後は絞首刑になるんだっけ?それとも フランス流に ギロチンだったかしら?

Sbuxでは、一緒に勉強しに来た女子高生たち数名のグループが、勉強 はそこそこにお喋りに興じていた。クラスメートたちの噂話。楽しそうである。 はあ、こういう一見傍目には楽しそうな会話の中から「教室の悪魔」が誕生す るんだろうなと思いながら、数学してました。

2007年12月2日(日)
<<オッケーか?>>
昼頃近所に買い物に出た以外は、自宅で日仏の復習、数学、および静養の一日。 夕方頃には1,2時間昼寝もした。

人間と会話することが少ない私の場合、会話の履歴は自分の頭の小さな記 憶容量にも十分収まってしまうほどコンパクトなので、ずっと前の会話をちゃ んと覚えていたりする。それはそれで場合によっては便利なことだけど、1年 前のあの時貴方はこう言いましたよね、それで私はずっとそのことについて考 えていたのですが云々と、私としては鮮明な記憶をもとに話しても、相手がすっ かり忘れていたりするので厄介である。

しかしもっと厄介なことは、ごく稀に 人々と交わす僅かな会話の記憶をもとに、知らず知らずのうちに奇妙な世界観 が形成されているような気がすることだ。奇妙な世界観でも、それが自分を苦 しめるようなことがなければ、オッケーだけどね。あと2,3年したら、 ペンギンとお喋りしている変なおっちゃんになってるかも知れないけど、 そういうのも悪くないな。

2007年12月1日(土)
<<強い性格>>
フランスに浸る日。京大生協ルネで昼食の後、関西日仏学館へ。図書館でラヴェ ルのCDを返却し、新しいCDと本を借りる。時間が無かったのであま り考えずにテキトーに見繕った。

CDはプーランクの曲とラヴェルの曲のもの。日仏学館だから、当然ながら ドイツ音楽のCDは置いてない。 いずれもオーケストラ用の 曲のようだ。オーケストラ音楽は退屈だから嫌いなんだけど、たまには好き嫌 いせずに色々聴いてみようか、と。ラヴェルのCDはピアニストのダニエル・バレ ンボイムが指揮しているようで、指揮棒を振るまだ30代と思われ る頃の写真が載っていてる。バレンボイムがこんなに早くから指揮をしていたとは知 らなかった。

一部の演奏家は演奏家としての活動に飽き足らず指揮者になりたがるよう だが、何故なのか。それはベートーヴェンやリストが作曲家として有名だけ ど、元々はピアニストとして売り出していたのと同じことなのか、それ とも、一部の大学教授が学部長や学長になりたがるのと同じことなのか。

この問題について、博識をもって鳴るゲーテ・フルート奏者氏に聞いてみたこと があるのだが、分かったような分からないような答だった。「第一、私は指揮 者になりたいとは全然思いませんし」と。そうか。なりたいと思わない人にな りたい人の気持ちがわからないのは、道理だ。それで、最初はゲーテ・クラリ ネット奏者氏にも聞いてみようと思っていたのだが、どう見ても指揮者になり たそうな雰囲気ではない氏に聞くのはやめたのである。そういえば何かの折に、指揮者 は強い性格の人でないと務まらないし、私はそんなんじゃありませんというよ うなことをぼそっと言っていたような気もするし。

うーむ。数学は強い性格でなくてもできるけど、シンポジウムは 強い性格でないと楽しめないのかもしれない。

さて、本の方は「フランス名詩選」というのを借りた。日本語とフランス語の対 訳になっているので、ぱらぱらと眺めればフランス語の勉強になるかと思った のだが、後でよく見てみたらつまんない詩ばかりである。そこに散りばめられ た言葉に、私が今ここに生きているという感覚との接点が見出せそうにない。 たぶん読まずに早々に返却することだろう。

日仏の授業の後、バスで河原町三条界隈に出て、その辺で適当に夕食の後、 Sbux京極店でしばらくフランス語の復習をしてから、関西日仏学館の関連 施設である ヴィラ九条山の MIMIパーティーという催しに参加した。

ヴィラ九条山というのは何だかよくわらない施設だけど、フランス政府か ら奨学金を貰った若いフランス人芸術家たちがレジデントとしてしばらく滞在 し、日本や京都から何やらインスピレーションらしきものを得ておおいに芸術 活動に励むところなのだそうだ。そして今日はここの文化祭のようなもので、 彼らが創作した舞踊だのヴィデオだのコンサートだの放送番組だのが披露され ていた。

私は作曲家のレジデント達による現代音楽のコンサートを聴きに行った。 お化け屋敷のBGMみたいなのとか、独りよがりな音の空間を作って得意そう にしているようなのとかの、いかにも「現代音楽」やねえって感じの曲もあった けれど、フランス語と日本語の語りの音声を効果的に音楽に取り入れた斬新な曲 もあって、結構面白かった。