ろ
一部のブラウザの
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2007年6月15日(金)
<<元気の出る病気>>
咳の方は日に日に良くなる感じ。ここ数年は医者に見離されるような治療法の
確立していない病気ばかり罹ってきたので、久々登場の治る希望が持てる病気
には元気が出てくる。「元気の出る病気」というのも変な話だけど。でもまだ
完治してないので、油断は大敵。
本日昼前に出勤。研究室でコソコソと昼食をとりながら、大急ぎで講義の準備。 12時30分から14時まで数理科学科2回生の数学の講義。14時10分か ら15時40分まで、数理科学科1回生のコンピュータ実習の授業。学生達は もう要領が掴めてきたとみえて、各課題毎に提出するレポート・メールが続々 と届く。今日配ったばかりのプリント課題もさっさと仕上げてしまう学生も何 人か居る。まあ、授業が繁盛するのは結構なことだけど、こんな調子じゃあ追 加の課題を準備しないとあと1ヶ月持たないかも。
授業終了後もレポート・メールのチェック作業などをしばらくやってから 帰宅。夜は少し数学。例の代数幾何学の常套手段、教科書を読んでももうひと つよく分からず七転八倒。
2007年6月14日(木)
<<最高級のソース>>
抗生物質などが微妙に効いて、咳の方はゆっくりと快方に向かい始めたようだ。
これであと数日のうちに完治してくれれば良いのだが、神経の病の方がそうだっ
たように、これ以上は現代医学では治りませんから病気と供に無事天寿を全う
されることをお祈り致します、では、さようなら!ってな具合になりはしまい
かと少し心配。
本日10時40分から12時10分まで経済、経営学部のコンピュータ実 習の授業。昼休みは研究室でコソコソと昼食をとりながら、事務的な書類を書 いたりといった雑用をいろいろ。その辺のパン屋やコンビニで買った簡単なも のでコソコソ昼食をとるのは学科長時代に身についた癖で、なかなか直りそう にない。
現代医学に見放され、心の病を抱えたまま野に放たれようとしている私に、 学生でごった返した生協食堂に突撃する気力はとても起こらない。教員用レス トランのようなものもあるが、何が悲しくてオジサンどもの顔見ながら昼食と らねばならないのだと思うと、これも論外である。やはり昼食ぐらいは、顔見 知りの人間が誰も居ないようなところで、コソコソと自由に食べたいものであ る。自由は空腹に次ぐ最高級のソースだ。
人はよく、一人で食事するのは味気ない、仲間と楽しく話しながらの方が おいしいと言う。私にはその感覚が全然わからない。他人の話に気をとられて いたのでは料理の味もわからないだろうし、ましてや親しい仲にもなんとやら で、色々気を遣いながらの食事では食べた気がしないではないか。
14時10分から15時40分までは、数理科学科1回生の情報処理の授 業。15時50分から17時20分までは、大学院の確率統計の授業。17時 30分から15分間きっかり、数理科学・物理科学科3回生対象の就職ガイダ ンスで就職担当教員ということで、「就職への心構え」について講演。
2007年6月13日(水)
<<8種類の薬>>
咳止めや風邪薬、ヨード液スプレイ、ヴィックス・ドロップ等、色々手を尽く
せど喉の調子は相変わらず。特に喘息の発作のように明け方の咳で起きてしま
うので、睡眠が不規則になりがちだ。
だいたい明け方というのは、それまでどこかに潜んでいたありとあらゆる 発作がここぞとばかり暴れる時間帯のようで、咳や心の病の発作、数日間考え 続けてきた問題の(ウソ)解法の電撃的天啓等、みな明け方に集中しているよう な気がする。
いずれにせよ、売薬で誤魔化すのは限界だと判断し、午前中に近所の医院 (精神安定剤屋とは別のところ)に駆け込み、抗生物質等の薬を山のようにどっ さり貰ってから出勤。
現在私が服用している薬は、心の病関係で3種、咳関係で5種。その中で 一番のお気に入りは勿論(!)精神安定剤である。精神安定剤を飲む時って、何 かちょっといいことありそうなワクワクした気分に。。。ならない、か。それ にしても飲む時間や間隔もまちまちで、わけがわからなくなってくる。私は一 体数学をやるために生きているのか、薬を飲むために生きているのか、はてま た毎日この日誌を書くために生きているのか。どれも当っているような気もす るし、どれも違うような気もする。
大学では14時過ぎから16時頃まで4回生M君の卒研。その後、授業の準 備などをしてから帰宅。夜は少し数学。例のフランス語の論文謎の3ページを 解き明かす鍵が一部分かってきた。代数幾何学の常套手段を使った議論らしい ので、この機会にちゃんと勉強しておこう。
2007年6月12日(火)
<<死期の迫ったミドリガメ>>
喉の調子は相変わらず。風邪薬では眠くなって数学研究に差し障るので、山科
駅前の薬店でスプレータイプのヨード液とヴィックス・ドロップを買って昼頃
に出勤。先週の計算機演習のレポートの整理。それが終った頃にちょうど会議
の時間。幸い形式的で短い会議だったけれど、大会議室におじさん達が集まっ
た風景はさながら地獄絵図というか鳥獣戯画というか。学科長時代に悪化した
おじさんアレルギーは相変わらずで、我ながら執念深いことだと思う。
会議の後すぐに家路につき、山科の某医院に立ち寄って定期検査と2週間 分の精神安定剤を処方してもらう。定期検査の結果はなにやら思わしくないの だが、現代医学をもってしてもこの病気がこれ以上良くなる見込みはないとの 判断から、薬の処方はこれが最後だとのこと。そして私は病気のまま野に放た れ、死ぬ病気でもないから会議に復帰し、ぶちキレ、机をひっくり返し、トン カチをふりまわすことであろう。あるいはその対極で、亡霊のように会議室の 隅に座り、死期の迫った夏の終わりのミドリガメのように不機嫌な顔をして押 し黙ったままか、せいぜい「ええ」とか「さあ、どうなんでしょうかねえ」ぐ らいしか言わなくなっているかも知れない。
我ながら何事においても思考が極 端だな。中間ってもんが無いのかしらと思う。
2007年6月11日(月)
<<音声合成装置>>
咳の具合は今日もあまり好転せず、20デシベル以上の声は出ない。先週は講
義の時にほとんど声が出なく困り果て、ホーキング先生がケンブリッジ大
学の講義で使っているという音声合成装置が欲しいなとつくづく思ったけど、
ああいうものは何処に売ってるのかしら。すくなくともラクト山科やJEUGIA三
条本店では見たことがないが、あれば今週末の授業からでも導入したいものだ。
どうせ買うのなら、色々な機能がついてるのがいいな。例えば「落雷ボタ ン」ってのがついていて、それをポンと押すだけでトンカチの爆裂音とともに 「そこの君達!さっきから何をごちゃごちゃお喋りしてるんだい?静かにしな さい!」と120デシベルぐらいの大音量で怒鳴り散らしてくれたら、さぞかし 楽チンであろう。私はトンカチ振り回して、口をぱくぱくさせてアクション入 れれば済むし。
それから、「目覚ましボタン」ってのを押すと「そこの爆睡学生、 起きなさい!君の頭のてっぺんの渦は既に撮影済みだ。無駄な抵抗はやめなさ い」(何?言ってる意味がよくわからないと?)と、やはり120デシベルぐ らいでわめいてくれるってのもいいね。
あと、「『あれ何だ?』『鳥よ!』『ロケットだ!』『ソ連のミサイル』 『カエルのケロちゃん!』。。。みんな、はーずれ!それはスーパーマン!で した」ボタンとか(ますます意味がわからないと?)、サイレンとか半鐘とか、 これから暑くなるから波の音とかの効果音が出たりボサノバが流れたりっての も気がきいている。夏だ!猫だ!ボサノバだ!っなんちゃって(さらに意味が わらかない、と?)。 それから何と言っても、私のかわりに全部喋って講義して くれて、私は横でうんうんとうなずいていればいいのだったら一番助かるんだ けど、、、って、私、何か勘違いしてますよね。
さて、先日買った咳止め薬は飲み干したが、咳止め薬も風邪薬も同じよう なものだとわかったので、本日、風邪薬を飲み病身に鞭打ちつつも体力を温存 するためにナマコのように緩慢な動作をたもちながら終日野暮 用。朝からタクシーや近鉄特急に乗りまくり、あちこちの役所に行ったり業者 に会ったりと野暮用に励み、帰宅は21時前。電車の中で数学をと思ったのだ が、風邪薬のせいか結局眠りっぱなし。
帰宅後、すこし数学。3行読んだらすぐにぶちキレてしまう「グレン・グー ルド、孤独のアリア」(ミシェル・シュネデール)は馬鹿馬鹿しくて読む気も 起こらず。
2007年6月10日(日)
<<それは離脱の問題>>
咳は一向に収まる兆しを見せず。咳止め薬は手放せないわ精神安定剤は手放せ
ないわで、私の薬物依存傾向はますます激しくなる一方である。本日、午前中
に色々野暮用を済ませ、午後は某教会で行われた古楽器などのコンサートに出
掛ける。その後、烏丸四条に移動して買い物や夕食。烏丸四条のデパートで福
引を引いたら、いきなりカランコロンおめでとうざいまーす!と鐘を鳴らされ、
フランスのシャンパンが当った。ああ、なけなしの運をこんなところで使って
しまった。。。夜は少し数学。
「グレン・グールド、孤独のアリア」(ミシェル・シュネデール)は全然 進まず。昨夜布団の中で嫌々読み始めたら、いきなり次の文章が出てきて、ま たこんな事を得意げに書いやがる、アホ!と放り出して寝て しまった。それは次の文章。
「もしも。。。だったら、というおなじみの遊戯はたしかに面白いものだが、 どこか空しいところがある。もしも彼が画家だったら、手によってではなくむ しろ思考---ときには思考の過剰--によって引かれる線、細部が重なり合った あげくに生まれ、意味作用によって息がつまりそうな形態の重圧という点で デューラーというべきであろう。それは離脱の問題だ。」 (「グレン・グールド、孤独のアリア」第15変奏より引用)
「彼」はグールドを指すものと思われる。デューラーのところまでは、ま あ言いたい事はわからんでもないけど、だからどうだというの?と思いながら 我慢して読んでいたが、最後の「それは離脱の問題だ」でブチっとキレた。こ の訳のわからない唐突な飛躍は何なの?と。
2007年6月9日(土)
<<直観主義論理>>
昨夜から咳が激しくなり、今朝はしわがれ声しか出なくなった。風邪で喉をや
られるのは40年ぶりぐらいだ。近所の薬局で咳止め薬を買い、通勤途中にそ
れを飲んで出勤。本日ゲーテは休み、5月3日(木)の休日分の補講日として
午前と午後に木曜日分の授業を1つずつ行う。特に午後の講義は板書を多くし
てしわがれ声の説明はできるだけ少なくした。早めに帰宅し、夜は少し数学。
それにしても、休日というのは、ただ単に休むから休日と言うのであって、 休んだ分の埋め合わせをせよというのは休日ではなく「シフト勤務」と呼ぶの が正しい。奇しくも今朝、23日に5月4日(金)の休日分のシフト勤務をせ よとのメールが届いていたが、1講座に1回だけならレポート課題で補講を代 替できるというルールが適用できるそうなので、それで済ますことにした。
レポート課題を1回の授業と読み替えるルールは、出張で休講したりする 時にとても便利だし、教員サイドから回数制限を断固撤廃せよ!との声もあっ たが、「それでは通信教育になってしまうではないか」という理由で 一蹴されたとか。
そのいっぽうで、こんな話もある。(旧)情報学科では教員が外国に留学 する年でも平気で大量の卒研生を割り当てるという無茶をするので、担当教員 が大学に居ないのに卒研生はどうやって指導を受ければよいのだと聞くと、郵 便もあるし電子メールもあるから、定期的にレポート提出させて指導 すれば良いとの返事。「それでは通 信教育になってしまうではないか」と抗議してみたけど「それで十分では ないか」と一蹴されたとか。
ところで計算機屋の頃の私は直観主義論理というものを研究していた。結局 この論理学を十分深く理解する以前に代数学の方に転じてしまったのだが、たしか 直観主義論理には「ひとたび矛盾が起これば、あとは何でもありの世界が展開 する」という推論規則があり、数ある推論規則のうちでも私のもっともお気に 入りの一品だったと思う。私は長らく計算機科学や直観主義論理を研究していた頃 の自分を否定するのに躍起になっていて、大学を卒業してから代数学研究に復帰す るまでの期間を「失われた14年間」などと考えていた。しかし最近では、あれは あれで結構ロマンチックな時代だったのじゃないかしらと、いくぶん肯定的に思い 返すようにもなってきた。
上の通信教育の話に例のお気に入り推論規則を適用して、たとえば 「大学人は、好きな時に好きな事を好きな様に一蹴してもよい」 「大学人は、好きな時に好きなだけ会議をさぼれる」 「大学人は、自分の研究室の電話線を好きなだけの期間ひっこ抜いておくことができる」 「大学人は、好きな時にだけ研究室の扉のノックに返事することができる」 等の教訓を次々と学んでしまいそうな自分が、ちょっと恐ろしい。
2007年6月8日(金)
<<卑しく虚しい期待>>
風邪は咳に特化して悪化し、喉がいがらっぽくて声で出にくい。
12時30分より14時まで数理科学科2回生の数学の講義。今日はゼータ関
数を使った素数の無限性の証明を紹介した後、リーマン予想の話をさらっと紹
介し、詳しいことが知りたければ4回生の卒業研究で整数論の先生について勉
強すべしとコメントしておく。
この授業では、今回以外にも、現代数学の先端に近い部分の話をしては、 この話題に興味があれば卒業研究で○×先生のゼミを選ぶと良いとか、△◇先 生の講義を受講すればよいといったコメントをすることが時々ある。しかし、 決して自分の専門分野の宣伝はしない。理由は簡単で、自分の専門分野を宣伝 してしまうと卑しく虚しい期待が芽生えてしまい、学生達が誰も自分のゼミを取って くれなかった場合に悔しい思いをしてしまうからである。いくら、学生の気ま ぐれなどいちいち相手にしてられないと強がってみても、自分の専門分野に 対する誇りを踏みにじられたようで、すこぶる気分が悪くなる。
思うに(旧)情報学科時代はそういう卑しい期待と完璧な落胆の繰り返し によって、貴重で楽しいはずの30代をどす黒く塗り潰してしまったような気 がする。自分の人生を大切にしたければ、自分の宣伝はしてはならないと気付 くのにずいぶん時間が掛かった。はじめから宣伝しなければ、卑しく虚しい期 待とそれに続く落胆からは自由でいられるのである。
しかも、この授業は元々私の専門に近い話題を扱っていたのだが、最近は やや専門外ともいえる内容ばかり話すようにしている(整数論は私の専門ではない!)。私にとって大学における学問の自由とは、自分の専門分野について自由に講義する ことによって得られるのではない。むしろ授業では自分の専門とはすこし外れた ことばかりを扱い、稀に自分と学問的感性の合う学生が目の前の現れたときにだ け、専門の深みを分かち合う。そのことによって(私の場合は!)初めて学問の 自由が担保できるのだ。
14時10分から15時40分まで数理科学科1回生の計算機演習の授業。 課題毎に提出させている小レポートをチェックして、理解の怪しそうな数名の 学生をリストアップして絨毯爆撃。彼らは決して馬鹿ではないし、特段に難し い課題をやらせているわけでもないので、実際に計算機を操作して見せながら 5分ほど時間をかけて個別指導すれば、なーんだ、そういうことだったんです か、結構面白いですねと納得してくれる(はず)。
まあ、折角うちの大学に来てくれたのだから、皆さん楽しく勉強して卒業し ていって欲しいと思うのだが、少なくともこの授業では学生達はわいわいと楽 しそうにやってくれていてるのは何よりだ。最近は小さな問題点は学生同士で 議論したり教えあったりして解決しているようで、あまり手が掛からず、私と してもずいぶん楽になった。
その後、少し雑用をしてから早めに帰宅。夜は少し数学。
ところで、「グレン・グールド、孤独のアリア」(ミシェル・シュネデー ル)は、原文が悪いのか訳が悪いのか、無意味で独りよがりな言葉の修飾ばか りが目立つ期待外れの本で、読んでいるうちにむかむかと腹が立ってくる。た とえば、「そこにはひとつの隠喩がある。この重々しさ、重み、くぼみという 意味での陥没、引き寄せる力をもつ垂直性などについての体験がなければ、い かなる創造行為といえどもこのような密度を獲得しはしないだろう」とか 「時 間、すなわち聖アウグスティヌスの言い方によれば、あの『魂の緊張』こそグー ルドのとりくむ相手だった。時間は焦りにみちた徒弟の忍耐、師の無知なる知 をもってとりくむ相手だった」といった、滅茶苦茶な文章表現にこれでもかこれ でもかと付き合わされるのは気の滅入る作業である。(あほ!と著者の 頭をはたいてやりたくなる)
しかし、グールドがどんな人だったかについての具体的記述が多少散見され るので、この本をゴミ箱に投げ捨てるのはひとまず我慢して、電車が到着する 直前のプラットフォームに立っている時とか、脳味噌は眠っているのに (病気のため)神経だけが昂ぶっていて布団に入っても寝付けない時の追加の睡眠薬 (精神安定剤は既に服用している)代わりに少し読む程度にとどめている。
2007年6月7日(木)
<<「例の物、入手」>>
10時40分から12時10分まで、経済・経営学部学生の計算機実習の授業。
本日受講生4名。昼休みは研究室でサンドイッチなどで昼食をとりながら、す
こし数学なども。14時10分から15時40分まで、数理科学科1回生など
の計算機実習のための準備座学の授業。受講生約100名分のレポートを回収
する。15時50分から17時20分まで、大学院の確率統計の授業。受講生
は3名。夕方は、回収したレポートのチェック作業や明日の授業の準備など。
その後、郵便物をチェックするために事務室に立ち寄ったら、同僚K先生に 目鼻立ちが良く似た人物が居て---本物のK先生はもうすこし小柄な人だったよう な気がする---、近々届け物をするために貴方の研究室を訪問したいので、ノッ クをしても無視しないでくださいと言う。そういえば私の研究室は相変わらず 電話線はひっこ抜かれたままだし、ノックは全て無視している。そのうち学内 からのメールは全て受信拒否するようにフィルターを設定しようかしら、など いう計画も密かに練られ始めている。どうやらこの人物は、私にまつわるそう いった事情を何らかの手段で知っているらしい。
そこで、貴方はご存知かどうか知りませんが、私は現在神経を病んで療養 生活中で、別に届けて欲しいものなど何も御座いません。しかし、もし 数理科学科教員集団の複雑系の秘密を解き明かす秘術が書かれた巻物とか、 飲めばたとえ一晩だけでも人嫌いの桎梏から解放されるドリンク剤とか、 おじさん達の姿になにかしらの美しさを見出せる色眼鏡とか、 そういう類のものが手に入った場合は、喜んでこちらから頂きに参上しますか ら、ぜひ「例の物、入手」とひと言メールにて連絡されたしと答えておく。
19時過ぎに家路につく。まだ咳が抜けないので、早めに就寝。
2007年6月6日(水)
<<燃え尽きた後の会議>>
風邪はまた少し悪化していて、鼻腔から気管支にかけて炎症している感じがあ
り、体がだるい。午前中は自宅で少し数学。昼頃家を出て山科駅前Sbuxで軽く
昼食を摂ってから出勤。14時から16時過ぎまで4回生M君の卒研ゼミ。ゼ
ミ終了後、図書館で文献を2つコピーして帰宅。炎症感はほどんど無くなった
が、体のだるさはまだ少し残る。明日から月曜日まで、連日授業や野暮用などの予
定が目白押しだけど、大丈夫かしら。夜は少し数学をして、早めに寝る。
電車の待ち時間に「グレン・グールド、孤独のアリア」を少し読む。グー ルドは文学作品や哲学書などを多く読んでいたそうだが、それに関して「 これはソリストとしては異例のことであるといってよい(一般に音楽家はあま り本を読まない)」というくだりには、日頃からたぶんそうだろうなと思っ てた通りのことが書かれていて、思わず笑ってしまった。(でも、先日ゲーテ・ クラリネット奏者氏は、白川静の漢字の本を持ってたな。)
それにしても、いかにも色々本を読んでいて芸術とはかくあるべきという ことを熱く語りたがる芸術家というのは、もし居たとしても私は興味を示さな いだろうと思う。私が興味があるのは作品そのものだけだ。しかしこれは絵画の話。美学や心理学の研究材料にするなら ともかくとして、そもそも絵そのものには理屈なんて無いし、絵で理屈を語ろ うとしてはいけないのです。では、音楽の方はどうなのか。絵画とはちょっと 違うような気もするし、私自身の態度ははっきりとは決まっていない。しかし、 グールド自身が書いているという膨大な音楽論の類は、読んでみたいとは思わ ないな。彼のCD を買うことはあっても、彼の音楽論の本を買うことは無いだ ろうと思う。
ところで体調もだいぶ回復してきて、少なくとも興奮に伴い病状が悪化す るということは無くなってきた。で、そろそろ会議に復帰かなとも思うが、一 度燃え尽きて何もかもがどうでも良くなってしまうと、今更会議なんかに復帰 してどうするの?という感じ。
基本的に私は同僚教師とは業務連絡的な会話(に毛が生えた程度のもの) 以外はしたことが無いし、そのほとんどが会議の場で間接的に行われる。1人 の同僚教員と直接言葉を交わす頻度は、年平均1分未満だと思う。何年も直接 言葉を交わしたことも無い同僚教員も少なくない。これには私の人嫌いな性格 も関係しているかも知れないが、実際、数理科学科に足掛け8年在職している けど、業務に無関係な会話は、とくにそういう機会を自分で努力して求めない 限り、全く必要性が生じないし、それで十分やっていけるのである。
その上に「業務」の方も、例えば授業 担当にしても、他の同僚教師達が職場における自らの自己実現を目指して 担当科目のぶんどり合戦をやった後に、余っている残り物科目を落穂拾い みたいにしてかき集めて教えているだけだ。卒研生や院生は毎年平均1名 未満だし、学科全体の重要問題といっても皆さん何を考えているのかわから ないような扱い方をするので、私にはとてもついていけない。それを無理に 何とかしようとすると、神経をやられて病気になる。と、なると「ただそこ に居れば何かしらの義務が果たされたことになる」という宗教を信じて、 蛤のように押し黙って退屈していることになるかと思う。
2007年6月5日(火)
<<悪性の溜息>>
風邪をひいたのか、喉がいがらっぽい。自宅を中心にゆっくりと研究日にする。
会議をさぼり倒すと研究がはかどるかというと、そういうものでもないところ
がツライところである。フランス語の難しい論文をちまちまと解読しながら、
前に書いて放置して、先日ちょっと見直して溜息ついて、また放り出してある
ゴミ論文に、何か新しい応用なり拡張なりは付け加えられないものかと暗中模
索。上記のフランス語の論文は、代数幾何学を知ってる人には簡単なんだろう
けど、それが理解できたからといって良い進展が得られるかどうかというと、
いささか心もとないのである。と、また溜息。しかしこの溜息は、
学科長時代の溜息とは違って、病気になるような悪性のものではないはずである。
夕方はアンジェ河原町本店、JEUGIA三条店、Sbux新京極店などをうろつき、 さらに思索。夜も同様の作業。そういえばJEUGIAでは、再びグレン・グールド の1955年版ゴールドベルク変奏曲を試聴して、やはりわざわざ買うまでも ないことを確認。そのかわり、「グレン・グールド、孤独のアリア」(ミシェ ル・ジュネデール著)[ちくま学芸文庫]を買ってみた。
2007年6月4日(月)
<<ただ単に変な奴>>
昼前に京大へ。北部生協で昼食の後、数理研図書室で夕方まで数学。その後、
喫茶進々堂に立ち寄って少し一服してから、家路につく。途中、グレン・グー
ルドのゴールドベルク変奏曲1955年版モノラル録音を買おうかと思ってJ
EUGIA三条本店に立ち寄る。試聴してみたところ、確かに切れのある音と
いえばそうかも知れないけど、まあ、しばらくJEUGIAさんに預けておく
ことにする。私はグレン・グールドが物凄く変な奴だったらしい事には興味津々
なのだが、ピアノの演奏自体は、非常に独創性があって面白いことは認めるけ
れど、ザビーネ・マイヤーのクラリネットほども思い入れはないので、ま、い
いか、と。
それにしても、若い頃は、自分は変な奴だからきっと天才に違いないとい う、論理的にも破綻した根拠不明の自信に満ち溢れていたのだが、年を取るに 従って、というよりも、学生時代には既にそういった自信の無意味さに気付き はじめる。物凄く才能があって変な奴というのなら良いけれど、特段の才能が あるわけでも無くただ単に変な奴ってだけの人間は、如何にして誇りと威厳を 失わずに生きることができるのか。これは目下の大問題である。とりあえずは、 誇りと威厳をもって教室会議をさぼり続けることが肝要だ。それから? それからどうするかは、精神安定剤から解放されてから考えることにしよう。
2007年6月3日(日)
<<労災申請>>
朝は日曜日にしては比較的早く起きて、近鉄特急で京都を離れ終日野暮用。某
大学数学科で学科長を2回やった人と話しているうちに、私が学科長をやって
心の病になったのは、人付き合いのストレス耐性が低いからかしらという
気がしてきた。「で、労災申請はしたのですか?」と聞かれたのだけど、過労
死と違って、誰でもやっているようなごく普通の仕事で何故自分だけが病気に
なるのかという証明が難しいので、申請はしない積もりだと答えておいた。
まあ、教室の皆さんのご理解を得て、教室会議さぼり倒し許可を貰ったから、それで十分だと思うし。
数学者は人付き合いが苦手な人が多いと言われるが、友人を作って楽しく 付き合うことにはむしろ積極的に思える。孤独を愛する孤高の天才数学者タイ プって感じの人は、私の見る限りそう多くはない。多くの数学者は、儀礼的な 付き合いにはあまり興味が無く、場合によっては少しシャイかも知れないが、 概して人懐っこく、仲間うちでは一緒に飲みに行ったり、趣味の話で盛り上がっ たり、気軽に数学の議論をしたりとなかなかお盛んである。 要するに、彼らの多くはopen mindであり人嫌いではない。たぶんそういう 人たちが数学科の学科長をやっても、自分の自由な時間が取れなくなることへ のフラストレーションが溜まることはあっても、心や神経を病むことは無い だろうと思われる。
人嫌いでも数学者稼業を楽しむことはできるが、他の職業と同様、人嫌い でない方が、学科長に限らず、研究生活においても、数学者としてより稔り多い 職業人生が歩めるのではないかと思う。人嫌いにつける薬とか、毎日 食べると人嫌いが治る健康食品とか、どこかの筋肉を鍛えると人嫌いが 治るとか、そんなものがあれば一度試してみたいものだ。
夜、京都に戻り、最近編み出したヘッドホンを使いつつもドクターストッ プに引っかからない特殊な方法で、少し音楽を聴く。音は余り良くないけど、 何も聴かないよりはましだ。
リュドミラ・ペテル コヴァ(Ludmila Peterkova)は、女王ザビーネ・マイヤーよりも10歳 ほど若く、昨日買ったCDを聴く限りでは、音がちょっと硬い感じが気になる けれども結構いいクラリネットを吹く人のようだ。
また、昨日買ったグレン・グールドの ゴールドベ ルク変奏曲(1955年再演) は、1955年の有名なモノラル録音の 音をコンピュータで詳細に分析し、それを自動演奏ピアノで再演させたものを 録音したものらしい(ということはスタインウエイではなくヤマハのピアノで ある)。グレン・グールドのファンに言わせると、グールドのピアノは音の切 れの良さが特徴なのだそうで、それが再演ではまろやかな音になっていて、し かも(当然ながら)グールドの演奏中の癖であったハミングや、息遣いなどが 聞こえてこないことに少なからぬ違和感を憶えるそうである。と、いう話を聞 いてしまうと、1955年版のオリジナルにも手を出してみたくなるな。
2007年6月2日(土)
<<実に厄介な生命体>>
ゲーテの日。少し早めに家を出てSBUX新京極店で昼食を取ってから、JE
UGIA三条本店へ。もう長いこと新しいCDを買ってない。ヘッドホンのド
クター・ストップは掛かったままだけど、1日のうちで短時間なら、あのおぞ
ましい冷却ファンの音と一緒ではあるが、パソコンで聴くこともできる。とい
うことで、グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲(1955年版)とチェ
コのクラリネット奏者リュドミラ・ペテルコヴァ(Ludmila Peterkova)のジャ
ズ、ポピュラー、クラシックのさわりの部分など色々ごった煮ようなCDを購
入。それからゲーテへ。
ゲーテではクラリネット奏者氏から6月と7月のコンサートの案内を頂い た。結局私の魂は、数学と芸術と言葉によってしか救われないのだから、 ぜひ両方とも聴きに行きたいものだ。
謎の広告代理店社員氏は、私の日誌を欠かさず愛読してくれているらしく、 「毎日高山さんに会っているみたいな気分です」と。それはお気の毒、もとい、 ご同慶の至りでございます。世の中には、「神の徴(しるし)に満ち溢れたこ の世界」で、毎日神とともに生きる喜びを噛みしめている人もいるそうであり ます。貴方にとって、世界が高山の徴(しるし)に満ち溢れる日がやってくるこ とを、お祈りしております、と。
しかるに私は、完全な無神論者なので神の徴は感じませんが、世の中の至 るところにオジサンの徴を見出し、反吐(へと)の出る思いで心の病の日々を過 ごしております。最近ではエチゼンクラゲにも抗菌、保湿等の有効成分が発見 され、健康食品や医療品への応用が期待されているそうですが、オジサンとい うのは煮ても焼いても食えない実に厄介な生命体です。世の中から(私以外の) オジサンとオジサンの予備軍が絶滅する日まで、私は全力を尽くして闘って参 る所存であります。(ああ、私、何わけのわかんない事を書いてんだろう?)
さて、ゲーテの帰りには、某スーパーで少し買い物。最近時々見かけるの だが、何か勘違いしているのか、それとも万引き防止のための心理的効果を狙っ てのことなのか、店員が商品の整理などをしながら野太い声で「いらっしゃい ませー」を連呼する店がある。このスーパーもそうである。発声方法からし て、高校時代などに野球部で鍛えたりしてたのかも知れない。
野球の練習では、なぜかよく「ちゃんと声を出せ!」などという指導が行 われるようである。野球というのは瞬間的に激しく的確な連携プレイが必要だ が、その瞬間がおとづれるまではぼんやり突っ立っているだけで暇でしょうが ないから、声でも掛け合って互いの意識の連帯を図り、来るべき時に備えるの だろうと思う。
子供の頃少し草野球などをやったこともあったが、馬鹿みたいに無意味な 大声出してどうするんだよと、外野のポジションでしゃがみ込んで草むしりし たり地面に絵を描いたりしていたが、ごく稀にボールが飛んできても仲間とう まく連携プレイが出来ず、すぐに仲間外れにされた。そして私は、「世の中の 人間というのは、訳の分からない理由ですぐ私を仲間はずれにしたがるものだ」 という教訓を学んですくすくと成長したのである。
ともあれ、私はスーパーでの無意味にでかい声での「いらっしゃいませー」連呼が嫌 でたまらず、いつも五月蝿い!黙れ!とトンカチでしばき倒したい衝動に駆ら れる。しかし、何せ日々大量に消費するプレーンヨーグルトがこの近辺では最 も安いので、可及的速やかに必要最低限の所用を済ませ、さっさと店を出るこ とにしている。
2007年6月1日(金)
<<鯉のぼり>>
早めに出勤し、午後の授業のプリントの印刷などの準備作業。コピー機が置い
てある会議室に、前回の教室会議で配布された1回生全員の名前と顔写真を集
めた名簿の残部が置いてあったのを、一部拝借。数理科学科では事実上2回生
のみ(今年は留学する先生の代理で1回生も教えているが)しか教えていない
私としては、学生の顔など覚えてもしょうがないのだけど。
12時30分か ら講義1つ。女子学生がひとり、鯉のぼりのような大口を開けて欠伸をしてい た。思わず「あれま、大きな欠伸!」と言ってしまったのだが、本人はこちら を見てノートは取っていても話はあまり聞いていないらしく、特に反応は無し。 その後しばらくして、比較的近くに居た別の女子学生も、やはり鯉のぼりのよ うな大口を開けて欠伸。教壇に立ってると教室全体が結構よく見えるし、 音響が良いのか、一番後ろの学生のコソコソ話も物凄く耳障りに聞こえてく る。と、いう事を学生は知らなんだろうな。
講義の後は、速攻で別教室に移動してコンピュータ演習の授業。このクラ スはようやく軌道に乗ってきた感じで、学生達は結構楽しそうに課題に取り組 んでいる模様。あまり手も掛からなくなってきた。15時40分に授業終了。 研究室に戻り、メールで送られてきたコンピュータ演習のレポートのチェック 作業など。良い意味でも悪い意味でも、一体こんなレポートを出してくる学生っ てどんな子なんだろう?と好奇心が刺激されることもあるが、そういう時は上 にも書いた写真名簿が役に立つ。19時過ぎに作業は終了し家路につく。