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よ け ス ペ ー ス で す。

2007年5月31(木)
<<感性が合う人>>
28日から今日の夕方まで、名古屋大学で行われた某大先生の最新理論に関す る集中講義に乱入。私のように常に脳味噌に霞がかかっている上に勉強した大 事なことを何でもかんでもすぐに忘れてしまう人間が、アタマ冴え冴えで博覧 強記の大先生の講義を聞くとどうなるかというと、1日1コマか2コマ講義が あるだけなのに、それ以外のほとんどの時間は栄のセントラルパーク近くのホ テルの部屋やロビー、Sbux栄店やテレビ塔の展望台、バスターミナルのベ ンチ、関東の集中豪雨の影響で大幅に遅れた新幹線のホームの待合席などで、 ノートの整理や復習などに忙殺されることとなる。という具合で、4日間数学 三昧で色々勉強になった。ホテルの近くの愛知県の文化会館みたいなところが あったけれど、それに気付くのが遅く、コンサート等は見逃してしまった。

しかし、夜は焼酎などを飲みながらテレビも見た。私は出張したときぐら いしかテレビを見ない。テレビで、キアヌ・リーヴスとサンドラ・ブロック主 演の「イルマ−レ」という映画を見た。韓国映画のリメイク版らしいが、いい 話だ。中でもサンドラ・ブロックの「あれほど感性が合う人は他に居なかった」 という台詞があったと思うが、あれが特にいい。ここ数年間で人格の崩壊と矮 小化が進行したためか、感性の合わない人と接するのが猛烈にしんどくなって きている私には、じんと響く言葉だった。

出張期間の食事はなぜか、Sbuxのサンドイッチと鰻の蒲焼ばかり食べ てたような気がする。名古屋の蒲焼は三重県の蒲焼と似ていて、例えば東京や 京都のように、鰻を蒸してぼろぼろになるまで柔らかくしたりしてないところ が私のお気に入り。

2007年5月27日(日)
<<わからないということ>>
日曜日なのに何故か早く目が覚め、結局終日睡魔と闘うはめに。午前中はコン ピュータ実習の50人分のレポート等の集計。特に難しい事をやっているわけ ではないのだけど、噛んで含めてお粥を炊いて、同じ事を手を変え品を変え何 度も説明しても、全然こちらの話が通じていないような学生は、やはり1割強 ぐらいは存在するものらしい。講義だと単に試験で零点をつけて落第させて終 わりだが、演習だと、その学生が一体何物なのか直接お目に掛かって観察する ことができる点がよろしい。でも、そんな観察をしてどうするのかって?どう もしやしないけど、ただ純粋な好奇心。それに、その観察によって、何故私は 数理科学科の同僚諸氏の不規則言動が理解不能なのか、その理由がわかるかも 知れないし。わからないということを理解することは、大切なことだ。

それにしても、新入生100余名全員の顔写真と名前のリストを作った先 生が居て、先日の教室会議で配っていた。ああ、うちにもそういう教育熱心な 先生が居るんだと感心したけど、私なんかは、学生の顔と名前覚えてどうする んだろう?って思うけど。そういうところから、もうわからなくなっている。

レポート集作業の計終了後、夕方まで山科区内で野暮用。夜は少し数学。 私が大学に入学した年に出版された代数幾何学に関するフランス語の短い論文 を読む。易しいフランス語だけど、数学の内容がよく分からない。

明日から名古屋に出張。次回更新は31日深夜以降。

2007年5月26日(土)
<<インパクトファクター>>
少し早起きして、午前中は臨時野暮用。赤外線追尾ミサイルと20ミリ機関砲 搭載の装甲車を持っていない私は、タクシーを呼んで山科区内を駆けずり回る。 割合スムーズに事は進み、14時15分からのゲーテの授業には余裕で間に合 う。今日は謎の広告代理店社員氏も来ていて、「私はカタコト以上の日本語が 喋れれます!」と何やかんやと日本語で喋っていた。 何やかんや喋られると、結局何を喋っていたか思い出せない。やはり氏は、 謎めきのカタコト日本語一発屋でいる方が、インパクトファクターという点で は強力なのかも知れない。

それはいいのだけど、授業中に皆の前でドイツ語で 話しながら、言ってる内容の確認を求めるような眼差しで私を見詰めるの、 やめてくれませんか。 道端で出くわした野良猫と睨みあいをするのには慣れてますが、人間相手の睨 みあいには慣れてませんので、と。 猫って、あっ猫や!と思ってじっと見ると、こちらの視線を察知するのか 「なんやねん?」って顔してこっちを振り返るんだよね。

夜は久しぶりのスポーツクラブ。

2007年5月25日(金)
<<イヤラシイ下心>>
12時半から15時40分まで、授業2つ。最初は講義、次はコンピュータ実 習。今日もコンピュータのトラブルへの対処など大騒ぎだったけど、学生達は ようやくプログラミングの感覚が掴めてきたようで、その面白さに夢中になり 始めている学生もぼつぼつ現れてきた。クラスの雰囲気も適当に活気あって、 大変よろしい。

そういえば(旧)情報学科時代は1、2,3回生のコンピュータ実習をずっ と担当していたが、3年間親身になって教えた学生が誰ひとりとして私の研究 室を志望してくれない等、良い思い出は無い。

しかし、優しくしておいて自分のところに引っ張り込もうなんて、そんな イヤラシイ下心を持つ方がおかしいのではないかというのは、工学部というも のを知らない人の言うことである。工学部の教師というのは、要するに自分の 研究室に一人でも良い学生を引き込もうという下心を日々ギラつかせて生きて いる動物である。そういう人たちが作りあげた工学部というシステムは、同じ ように下心マンマンで頑張らないと酷い目にあう仕組みになっており、それが 同時に工学部の活力の源となっている。

では、下心マンマンで頑張っても全然駄目で、何年も何年も 酷い目にあうとどうなるのかというと、私のように体を壊すのである。そうい えば私は仕事のストレスでよく体を壊す。(旧)情報学科時代は下心マンマン で胃に穴があき、今度は学科長のストレスで心に穴があいた。

ところで、工学部などでカリキュラムの改訂作業が盛り上がるのは何故か というと、単に自分の研究室に入ってくる学生の予備知識や基礎素養として必 要なものを、自前で教える代わりに、できるだけカリキュラムという形で教室 全体の共同作業化して楽したいからに他ならない。この点は数学科でも同じな のか、真摯に数学教育のあるべき姿の全体像を考えているのでなければ、 「数学科らしからぬイヤラシイ下心」を持った教員ほどカリキュラム改訂に熱心 にちがいないというのが、私の仮説である。そして、いくら綺麗ごとを言っても、 大学のカリキュラムというのは、要するに個々の教員の下心の寄せ集めなのだ と思う。

私の場合は下心があろうと無かろうと、研究室に入ってくる学生は毎年1名 以下と極端に少ないので、数理科学科のカリキュラムをどうするかなんて問題を 真面目に考えててもしょうがないのである。別の言い方をすれば、大学のカリキ ュラムは卒研も含めた4年間のトータルで考えるものなので、事実上1、2 回生の授業しか担当しない私は、何かを考えられる立場ではないのだ。

さて、授業終了後はすみやかに帰宅し、定期検査と精神安定剤の処方をし てもらいに近所の医院へ。精神安定剤はあと1ヶ月ぐらいは飲んだ方がいいで しょう、とのこと。ということは、6月下旬まで会議をサボり倒せるというわ けだ。

2007年5月24日(木)
<<以前の私と今の私>>
10時40分から経済・経営学部の計算機演習の授業。今日は技術者の人を呼 んで、先週あたりから学生や私が困っているコンピュータのあるトラブルにつ いて色々調べてもらった。どうもすっきりとはしないけど、技術者の人と話し ているうちに、何となく原因や対処法がわかりかけてきた。

計算機演習の授業にコンピュータのトラブルはつきものである。そして、 多くのものは原因も対処法もすっきりとは分からない。だから昔はこの手の 授業を担当するのがすごく嫌だったけど、今はそれほどでもない。学生と一緒 に、困ったなあ、俺、わからんわ、とのんびり構えている。これは、もう自分 はコンピュータの専門家でも何でもないしという意識が定着し、気分的に余裕 ができたからだろうと思う。

午後は数理科学科1回生の計算機演習の準備をする講義。教室には相変わ らず100名前後の学生がひしめいている。後半ざわざわと五月蝿くなってき たので、トンカチを取り出し「威嚇」のレベルまで達したけど、ぶちキレる前 に授業終了。そろそろ大学の授業についていけなくなる脱落学生が大量発生し 始める時期だけど、今年は何人引き止められるかしら。

以前の私は私語学生に対する嫌悪感がすざましく、授業中に雷を落とすほ んの2,3秒の時間に心の底からの憎しみをありったけ込めていたように思う。 しかし今は、ただびしっと注意しておかないと示しがつかないと思うから、び しっと言うって感じ。これは、1年間学科長を経験して、私語学生なんて 可愛いもんであり、真に憎むべきものは他に沢山あることを学んだからだろ うと思う。

引き続き輪講形式の大学院の確率統計の授業。確率統計のように、全く自 分の専門外の分野を学生と一緒に勉強するのは、ボケ防止に大変よろしいかと 思う。私のように、ただ何となく大学に雇われている者は、自分の専門とあま り関係無い科目を色々教えなければならない。以前は仕事とはいえ専門外の事を 勉強するのが時間の無駄のように思えて凄く嫌だったが、今はそれほどでもな い。これは、たぶん。。。本当にボケてきたからじゃないかしら。元々あまり 頭良くないから、ちょっとぐらいボケても大した違いは無いんだけどね。

授業終了は17時20分。授業の合間は色々雑用。19時すぎに帰宅。夜 は少し数学。

2007年5月23日(水)
<<唐人踊り>>
山科駅前Sbuxでしばし数学と昼食の後、出勤。14時過ぎから4回生M君 の卒研ゼミ。いつもより少し早めの15時40分頃に切り上げ、16時から大 学院学内進学の面接試験。引き続き面接試験の判定会議も兼ねた教室会議。M 君も面接の受験生なので、面接と判定会議に少し無理して出席。

最近、体調も少し良くなってきたので、判定会議後の教室会議も今日だけ は顔を出そうかと思ったが、窓の無い狭い会議室で複雑系のおじさん達が和気 藹々とむさ苦しく高密度に充満する場に座ってみると、途端に激しい動悸とと もに意味不明の怒りが沸々とこみ上げてきた(私は一体何に怒っているの?)。 まずい、これでは病状がまた逆 戻りしてしまいそうだということで、やはり予定通り判定会議終了後ただちに 退散させてもらった。

私が生まれ育った田舎では、朝鮮通信使の来訪を模した「唐人踊り」という伝統 行事があって、毎年秋祭りの時に行われる。エキゾチックな衣装もさることながら 、そのお面が不気味というか面妖である。これは当時の津の町の人々 の心象風景に映った朝鮮人の姿だとされている。初めて見る見慣れない外国人 に対する驚きや恐れが、その心象風景に読み取れる。その異形に扮した人たちの何 十人もの集団が、独特の踊りを踊りながら街を練り歩くのだから、子供心には その恐ろしさははかり知れなかった。私は今でも、唐人踊りを見て平然とし ていられる自信は無い。

今日何ヶ月ぶりかに、数理科学科の同僚達が束になっているのを目の当たりに して、ふと「あ。。。唐人踊りみたい」と思ってしまった。 これは何を意味しているかというと、彼らは誰であったか?ということを 裏付けていた心象風景が、私の中で解体してしまっているということである。 頭では分かっているのだけど、心はしきりに「誰?この人たち」と質問を発し 続けるのである。昨年の今頃、私は面白半分に「俺は自爆テロ学科長だ!数理 科学科を潰すぞ」と書いていた。数理科学科はまだ潰れていない。しかし 私の心の中では、既に潰れているのである。

ということで、私は立派に病気であることを再確認し、夕方の比較的早い 時刻に大学を発って、行くあてもなくとりあえず京都駅へ。最近京都駅のホーム には、ガラス張りの洒落た待合室にコンサートホールみたいな椅子が置いてあ る。これは静かに数学をするには最高に近い環境だ!と、しばらくそこで数学。 そのうち起こりかけていた発作もなりをひそめ、腹も減ってきたので、アバン ティーのレストランで夕食。食後、その辺を少しぶらぶらしてから帰宅。夜も 少しだけ数学。

2007年5月22日(火)
<<社会言語学上の問題>>
午前中は河原町三条ビブレのチケットぴあに立ち寄って、 アレッサンドロ・カ ルボナーレのコンサートの前売り券を購入。カルボナーレといえば、ザビーネ・ マイヤーやポール・メイエほどではないにしろ、クラリネット業界では結構有 名人のはずだから、全席指定で早々と完売かと思いきや、何と!全席自由席で まだまだチケット残ってますとのこと。

それから京大数理研図書室に移動し、しばし数学。夕方、就職委員の会議 に出席するために、1時間半かけて大学に出勤。会議開催30分前に大学に到 着。しばし雑用の後、会議室へ。と、誰も居ない。がびーん!時間を間違えて いたらしい。会議は私が京大を後にした時刻に始まり、私が大学に到着した頃 に終っていた。まあ、しょうがない。長居は無用とすぐに家路につく。夜も少 し数学。

5月20日の日誌で、一貫した論理の無い支離滅裂な発言は封殺すべしと 書いたけれど、それは例えばどんなものかというと、

Dr.X:「Aなんです」
私:「ほお、そうですか」
Dr.X:「でもA’ではないんです」
私:「え?AとA’って同じことじゃな いですか?」
Dr.X:「(その質問には答えず)Bって言い方もできますね」
私:「え?え? え?今、AとA’の違いを聞いてるんですけど、突然、Bだって、それは何で すか?AやA’とBは全然違う話ですよね」
Dr.X:「(また質問をはぐらかして)ま あ、そんなことは本質じゃないです。要するに前提としてDがあって、だから、 Cだと言いたいのです」
私:「次はCとDですか。論点をどんどん横にずらしてはぐらかすような 言い方はやめてもらいたいものですね。しょうがない。じゃあ、質問を変えましょう。 AとA’とBとCとDの間にはどんな関係があるのですか?」
Dr.X:「同じようなものです」
私:「正確には、『似て非なるもの』ですね」
Dr.X:「まあ、そういう風に見ることもできるか も知れません」
私:「それに先ほど貴方は、『AだけどA’ではない』って言った でしょう」
Dr.X:「そんな事、言いましたか?」(この段階で、さすがの私もキレて いる)

私には上のような話し方にしか聞こえない話し方をする人が時折居る。 今は亡き筋肉中年S藤先生はこんな感じだった。 原因は、(1)当人の頭の混乱あるいは他人の話を注意深く聞かない習性、 (2)私自身の頭の悪さ、 (3)対話における言葉の使い方のギャップという 社会言語学的問題、の3つが複雑に交錯していると思われる。 これもまた異文化交流の難しさを表す例であろう。 3番目の原因について言えば、 たとえば私の場合、会話の中で相手の言葉の裏や言外の意図を必要以上に 読み取る習性のある人とは、コミュニケーションギャップを起こしやすい。 なぜなら、私は文字通りの言葉の意味しか言葉に込めないように話す 癖があるからである。

このようにひとつひとつ考えていくと、私の心の病気は、異文化交流の修 羅場に突き落とされたことが深く関係しているであろうとの確信が高まってく る。数理科学科同僚諸氏がグロテスクな異形の複雑系集団に思えてならないの も、お互い分かり合えることが困難な者同士が、それでもうまく共存していく ために保っていた適正な距離のバランスが崩れたからであろう。 こういったことを、ひとつひとつ修復していかねばならないのだ。

2007年5月21日(月)
<<日々是異文化交流>>
自宅でしばし野暮用の後、昼頃に出勤。科研費報告書原稿のコピー・製本作業。 夕方頃完了し、事務に提出。その後、先週のコンピュータ実習の授業で発生し た某トラブルの対処法の調査。一応問題は解決し、18時頃家路につく。

山科駅前で以前ゲーテでクラスメイトだった人とばったり出会い、ご挨拶。 最近転職され、元々元気な人だけど益々元気にやっているようだ。私は人ごみ の中で知人を相手より先に見つけるのは得意である、というより、ほとんどそ のことに「命を賭けている」。方向は逆だけど二人とも山科駅を通勤に使って いるので、これまで2,3回ばったり顔を合わせているが、いずれも私の方が 先に見つけている。ふっふっふ。。。(と、勝利の美酒に酔い痴れる?)

夜は少し数学。

昨日少し書いたけど、教室会議や教授会など、大学の大抵の会議は「ただ そこに座っているだけで何かしらの義務が果たせる」と考えるのは、実は勘違 いではなく事実である。そして普通の議長は、例え、決して議事には参加せず発言も しまいと決心しているような人でも、「ただそこに座っている」方が欠席され るよりもうんとマシだと考えるようだ。私は全く逆。ただそこに座って黙って るだけなら、目障りなだけだから帰れ!と塩でも撒いてやりたくなる。

かように他の人と感性がずれているので、よく言われるように「自分で学 科長をやってみると、学科長の苦労がわかるようになる」というところまでは 正しいけれど、「だから他の学科長の気持ちもわかるようなる」は少なくとも 私には全く当てはまらないと思う。

「他人の気持ちが分かる」という言い方があるが、それは自分と同じ「人 種」の人でないと無理であるし、時に危険である。学科長時代、「人種」の違 う同僚に、良かれと思って応援の意味である助言というか進言のような ことをして、逆にヘソを曲げられ、その人に対応を依頼していた案件を突然放 り出されるという散々な目に会った。これは「人種」の違いを安易に考え、 「日々是異文化交流」の心得を忘れかけていた私の苦い失敗体験である。 「人種」の違う人間のことを安易に「慮る」のは大変危険で、時に愚かで すらあることを示す例だと思う。

私は日本人だけど、日本人社会の中でも 毎日が異文化交流の修羅場なので、もう大変!って感じ。心の病に罹ったのも、 日本人が全く文化の違う別の国に単身で移り住んで、そこで文化の違いを日々 目の当たりにして精神を病んでしまった、というのと似たような現象なのだろ うと思う。

自分と同じ「人種」の人というのは、極端な場合、ふと顔の表情を見た だけで、あるいは、その人が黙ってすっとどこかに座った仕草を見ただけで、 何を考えているか大体のところが分かったりする。 しかしそういう人は滅多に居ないことだし、原則として「他人の気持ちは、 正確な言葉を粘り強く積み重ねない限り、全くわからない」と考えるのが正しく、 また、他人の「沈黙」は、さしずめ 思考と感情の無意味な空白以外の何物をも表現していな いと考えるしか手立てはないのだと思う。

2007年5月20日(日)
<<いい子でいてはいけない>>
雑用と野暮用の日曜日。午前と午後は、自宅で科研費の報告書作成作業をした り山科区内で野暮用をしたり。夜、ほんの一瞬だけ数学。

グレン・グールド(Glenn Gould 1932--1982)はかなりの奇人だったらし い(詳細は例えば このサイトを参照)が、私が羨ましく思うのは、頑固で自分のスタイ ルを絶対に譲らない彼がもし私のかわりに学科長をやっていたら、決して心の 病気にはならなかっただろうという気がすることである。

やはり私のように微妙に神経質な人間は、いい子になろうとしてはいけな いのである。

教室会議を開く時は、例えば、ただ会議室に座っていさえすれば何かしらの 義務が果たせると勘違いして、決して会議中に発言をすることは無く、早く終ら ないかなあということばかり考えている人に対しては、貴方は単に目障りなだけ だからと、会議への出席義務の停止を宣言すべきだったと思う。何故なら、私の神経は 無意味な空白のような沈黙には耐えられないからである。

形式論理の遊戯に埋没して無意味な議論を延々と展開する人への対処としては、 「この人の発言が終った頃に戻りますから、その時は誰か私に連絡してください」と しばらく会議を中座して研究室に戻るべきだったと思う。また、その対極として、 自らの主張を論理的に一貫性のある言葉で語ることに何の興味も価値も見出すこ となく、矛盾だらけの発言を繰り返す人に対しては、トンカチを激しく 連打してでもその発言を暴力的に封殺すべきだったと思う。 何故ならば、いずれの場合も、歪んだ思考との付き合いに時間が奪われることに 耐えるには、あまりにも私の精神は歪んでいるからだ。

頼まれ仕事をわけのわからない理由でヘソを曲げて放り出す人が現れた場合は、 貴方にそういうことをする権利があるなら、私にも同様の権利があるはずですね と、学科長職を放り出すことを宣言して静かに会議室を立ち去るべきであったと思う。

毎週引っ張り出された学科長会議も、予告された議題を見て気が向いた時 だけ出ればよかった。「資料を10分程度ざっと眺めれば十分なことに何故2 時間も掛けなければならないのだ?」というのが執行部向けの理由で、「貴方 達は沈黙と無関心という広い意味の言動によって、数理科学科が潰れようと自 分達は知ったことではないとはっきり言明しているのですから、私が学科長会 議をさぼり倒したがゆえに数理科学科が不利な事態に陥ったとしても、やはり どうでも良いはずじゃないですか」というのが数理科学科向けの理由。

実際は、つまらぬ分別が邪魔して、上に書いたことの どれひとつとして実行できなかったけどね。(でもそのお陰で、今会議を堂々と さぼっていられる?)

2007年5月19日(土)
<<グレン・グールド>>
ゲーテの日。早めに自宅を出て、例によってSbux新京極店で昼食をとった り、しばしJEUGIA三条本店をぶらついたり。グレン・グールドというピ アニストが居たらしく、JEUGIAではそのCDのキャンペーンなどをやっ ていた。ゴールドベルク変奏曲のピアノの演奏が有名らしいけど、試聴してみ たところでは晩年のゆったりとしたテンポのものより、初期の猛烈に速いテン ポのモノラル版の方がいい感じだった。いずれにしてもずいぶん癖の強い演奏 に思える。バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻は、 トン・コープマンのチェンバロ で聴いたときは特に綺麗だとは思わ なかったが、グールドの演奏だとはっとする程美しい。先日天満橋の本屋に行っ てみたら、グレン・グールド語録とかそれに類するぶ厚い本が沢山売っていて た。私は今のところロストロボーピッチがどんな人だったかに興味があって、 適当な本はないかと何となく物色中なのだが、グールド語録ってのは今のとこ ろ読んでみたいとは思わない。ただ、あの晩年(と言っても50歳で脳卒中で 亡くなったそうだが)のグールドの顔は好きである。 決して美形ではないが、少なくとも私が嫌悪する「おじさん 性」が抜けたおじさんであるところが良い。何というか、とにかく芸術家の 顔をしている。

JEUGIAを出て、寺町通りをのんびりと北上してゲーテへ。今日は どこかのお寺の縁日らしく、歩道に沿ってたこ焼きだの金魚すくいだのと いった屋台が延々と軒を連ねていた。

ゲーテでは、今日は珍しく謎の広告代理店社員氏が欠席。そのため、氏の カタコト日本語による「心に響く今週の不思議ワンフレーズ」は聞けず。 それから、JEUGIA三条本店に「預けて」おいたはずの、ポール・メイエ &エリック・ル・サージュのブラームスのCDが誰かに買われてしまったらし く、どうも最近見当たらないなと思っていたら、ゲーテ・クラリネット奏者氏 が「私が買いました」と白状しよった。

夕方は河原町三条近辺で適当に夕食をとり、しばしその辺で野暮用の後、 帰宅。夜はスポーツ・クラブ行きを返上し、来週末までに提出しないといけな い科研費の報告書きなど。

2007年5月18日(金)
<<授業中にキレる>>
自宅で野暮用の後、昼前に出勤。12時30分より15時40分まで授業を2 つしてから、速攻で大阪へ。そこでしばし野暮用の後、22時前に帰宅。

そういえば、昨日今日とコンピュータ実習の授業が2つ、講義が2つ、輪 講形式の授業が1つだったが、コンピュータ実習以外ではそれぞれ1回ずつぶ ちキレた。輪講でキレたのは別の理由だが、講義でキレた理由は学生の私語で ある。コンピュータ実習の授業でキレないのは、学生からの質問攻め に対応するのが精一杯で、キレている暇が 無いほど忙しいからである。

教室全体がわいわいと五月蝿いと、あーあっもう!しょうのない子たちだ なーって感じで余り気にならないけれど、連中の大多数がなまじ静かになると、 ごく少数だけどノートも取らずに横向いて隣のコとずうううううううっとぼそ ぼそぼそぼそぼそぼそぼそとお喋りしている学生たちが猛烈に気になるもので ある。以前はそういう学生は見つけ次第雷を落としていたのだが、「男児三日見ざ れば括目して見よ」との言葉通り、今の私は以前とは違うのである。

学科長として、狡猾で老獪な学部執行部と何を考えているのかよくわから ない数理科学科教員集団という複雑系を相手に、孤独な闘いの日々を送るという 苦難の時代を経験し、それが元で心の病気にもなって、さらにそれを口実に会議 をさぼり倒している私は、既に人間的に長足の進歩を遂げたとみえて、多少は 自制心というものが働くようになったのである。

今の私は、いきなり雷を落とさずに講義をしばし中断して、 まずは「この野郎」って顔して「音源」を睨んだりする。 すると相手も気配を感じるのか、「まずいかな」という感じでちょっと静かになる。 しかし、何事も起こらないので、連中は「まあ大丈夫そうだ」と判断したとみえて、 またぼそぼそやりはじめる。

そういうことが何回か続いた場合、私はおもむろに鞄からトンカチを取り 出すのである。注意深い学生は、おおっ!先生がトンカチ出したぞ。これは何 か不吉な事が始まる前触れに違いないとニヤニヤしはじめる。私はしばらくの 間トンカチをチャラチャラ振り回し、ニコニコしながらああだこうだと講義を 続ける。これは既にまずい傾向なのである。それにも気付かず「音源」の学生 達は相変わらずぼそぼそぼそぼそとやっている。(空気の読めない奴!)

と、臨界点に達した私は突然キレて、トンカチをばあああああああああん! とぶっ叩き、「そこの学生!さっきから、ずうううううううと五月蝿い!」と トンカチで相手を指して怒鳴り、「お喋りが目的で来てるなら、帰れ!」とか 「今度喋ったら追い出すぞ!」と畳み掛ける。その間数秒。そして何事も無かっ たかのように平常の授業に戻るのである。

その数秒間の前と後とで何が違うかというと、表面的には、お喋り学生が 「爆睡」してしまうところだけが違う。真面目に講義を聞いてくれてた他の大多数 の学生にPTSDなどが残ってないことを祈るばかりである。

それにしても、講義は聞きたくないし、お喋りができないとなると、連中 はあとは寝るだけしかないと考えるようだ。このごろの若い子は人が良すぎる のか、それとも悪いのか。講義は聞きたくない、退屈凌ぎのお喋りもできない となれば、「下らない講義をだらだらやっているこのクソ教授。あばよ!」と きびすを返して教室を去るような学生が現れたら面白いかと思うのだが、そういう 大学生は私が子供の頃に伝説として聞いただけであって、私の学生時代にも滅多 に居なかったと思う。もっとも私の学生時代は、授業中に私語をする学生って私 しか居なかったんだけどね。

しかし思うに、ぼそぼそ学生に対して、「そこの君達、ぼそぼそ抑制気味に お喋りしてるから良いだろうと思ってるかも知れないけど、それは困るよ」 ぐらいの事を言ってやる段階をすっ飛ばして、いきなりトンカチの世界に突入して しまうところに、私のコミュニケーション能力の危うさというか、導火線が極端に 短い凶暴な精神構造が見てとれると思う。そしてそれ故に私は心の病に罹り、 音楽を聴くのに不自由する反面、堂々と会議をサボり倒せる幸運にも 恵まれているのかも知れない。ならば私は、自らの 幸福のために、この凶暴な精神構造の改善に全力を尽くすべきなのか、それとも このままで良いのか、さっぱりわからないのである。

2007年5月17日(木)
<<「静か」である>>
10時40分より17時20分まで、途中昼休みを2時間程度挟んで授業を3 つ。プログラミングの演習やその背景の理論、そして大学院生との確率統計の ゼミ。昼休みや夕方はレジュメの追加コピーをしたり、月末の出張に伴う休講 の補講義務を免れるためにレポート課題を作ったり。今日は大阪行きは休み。 久しぶりに生協食堂で夕食の後、20時半ごろ帰宅。夜は野暮用と来週中に仕 上げないといけない書類の作成準備など。本日数学研究はなし。

それにしても静かである。学科長の任期が終わり、幸運にも中途半端な病 気になって堂々と会議をさぼり、元々会議の時にしか顔を合わせることも無かっ た教室の同僚諸氏との接触もほとんど無くなり、実は私が会議に出なくても何 ら不都合が起こるわけでもなく大学はこれまで通りに動いていることが日々確 認され、ただ(私の専門とはあまり関係の無い)授業を週に何回かと、若干の 雑用をやっていれば、あとは野暮用の合間に自由に数学研究に励んでいれば良 いという状況は、「静か」だとしか形容の仕様がない。「静か」なことは、良いことだ。

こんなに恵まれた状況にあると、折角の病気も早く治ってしまいそうだ。 そしたらまた「静か」でない世界に戻らないといけない。病気が治っても、治っ てないフリをしてようかしら。

2007年5月16日(水)
<<「卒業」後の身の振り方>>
午前中は山科区内で野暮用後、山科駅前Sbuxで簡単に昼食を済ませて、出 勤。しばし雑用の後、14時過ぎから16時過ぎまで4回生M君の卒研ゼミ。 引き続き卒業アルバムのための卒研の写真撮影が短時間。終了後、速攻でバス に飛び乗り、今日も大阪へ。JRの中でゴミ論文見直し。大阪で野暮用の後、 その辺て適当に夕食。今日は京阪特急で京都に戻る。帰宅は22時前。 京阪電車の中でもゴミ論 文見直し。

しかし、ゴミ論文はいくら見直してもゴミ論文である。従って、ゴミ論文 とともに生きる覚悟が必要である。この覚悟ができていないと、研究すること 自体に嫌気がさしてしまう。そうなると、タナボタとはいえ 折角研究ができる大学教員の身分をウマウマと与えられ、しかも都合よく 中途半端な病気になったため「控えおろう!この精 神安定剤が目に入らぬか」と堂々と会議をサボれ、潤 沢な研究時間が確保されているにもかかわらず、その時間を持て余してしまう。

大学教員は、研究者として現役のまま定年を迎える人も少なくないが、 多くの人はそれ以前にさまざまな理由で研究者を「卒業」してしまう。今、 ゴミ論文を書いて喜んでいる私にも、いずれ「卒業」の日が来るかも知れない。 研究をやめて講義と会議だけやってれば良いなら、大学教員は結構楽な職業である。 だから、早く「卒業」してしまった場合、その後の有り余る時間をどうすごすかに、 その人の学者としての真価が顕れる。 研究者を続けることよりも「卒業」後を立派にすごすことの方が大変そうだ。

一番楽な方法は、研究者をまだ卒業していないフリをし、問題を先送り することだ。先送りしたまま寿命を全うできれば、無事逃げ切ったことになる。 しかし周囲の人間からすれば、どうみても研究者として終わっているのに (お前はまだ「始まって」もいないぞ!という突っ込みは激しく却下!) 本人はまだやる気満々(のフリをしている)のは何とも痛々しく、それよりも潔く 「俺はもう終わってるよ」と認めた方が良いのかもしれない。 そんな他人の目から見てどうのこうのという 事はど全くどうでもよいけど、自分がそれを許せるかどうかは大問題だ。

ま、そういう問題に直面するのは、もうちょっと先だろうと楽観して、 とりあえずはゴミ論文にかまける。