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よ け ス ペ ー ス で す。

2008年4月15日(火)
<<トンデモ系>>
研究日。午後は京大数理研図書室で文献読み。帰りはJEUGIA三条本店を さらっと偵察。夜はゴミ論文原稿のチェック作業を少し進める。ああ、何だか 気分爽快だ。オジサンと馬鹿と嘘つきから自らを隔離すると、こんなに気分が 良くなるものなのか。

ウイーン・フィルとベルリン・フィルの首席クラリネット奏者が室内楽で 共演しているCDがあって、ハイドンとかちょっと珍しい曲が入っているし、 興味があるけど、JEUGIAに置いてある試聴マシンに掛けてもデータが入ってないらしくて、 どんな音だかわからない。それで今ちょっと購入を迷っている。もし試聴でき たら購入するかしないか即決できるけど、試聴できなくて「どうしようかなあ」 と何日も迷っている時間もそれなりに楽しいものだ。

ところで私は「オーケストラ音楽はオジサン的だ」というトンデモ系の偏 見を持っており、その偏見は3月末の東京出張の折、某所のコンサートを聴き にいった夜に突如形成された。その日、大ホールではオーケストラの、小ホー ルでは私が聴きに行った室内楽のコンサートがあったのだが、ロビーのベンチ で数学の論文を眺めながら開場を待っていると、隣で男が2人嬉しそうにオー ケストラ音楽の話をしているのが聞こえてきた。

誰それが指揮する何とかフィルの19××年の演奏の録音を聴いたことが あるかとか、あの独特の「溜め」といい、あの「(音楽の)訛り」といい、も う最高だよ、最高!最高!!とやや興奮気味。その話し方からして、ちょっと クラシック・オタクっぽい若い男の子かなと思ってふと見てみれば、私と同じ 年恰好のオジサンたちではないか。その瞬間背筋に冷たいものが走り、頭の中 で近親憎悪の火花が飛び散ったのである。何か知らんけど、俺、こんな気持ち 悪いオジサンにはなりたくない!!でも、もうなってるかも知れないな。もし そうなら、どうしよう、と。以後、オーケストラ音楽に熱くなるのだけはやめ ようと決心したのである。まあ、決心しなくても、元々オーケストラってあま り好きじゃないしね。

2008年4月14日(月)
<<オジサンと馬鹿と嘘つき>>
昨日一日引き籠ったお陰で、少しは気分が良くなった。一昨日ミケランジェリ のCDを初めて聴いて、何て退屈な演奏なんだろう、これが本当にリストの再 来と一世を風靡したピアニストかと思ったけれど、昨夜もう一度聴いたら、あ まり私の趣味ではないけれど、なるほどそれなりのものだと分った。以前某パー ティーで或る作曲家先生が言っていたように、体調が悪いと良い音楽もそうは 聴こえなくなってしまうというのは、本当だなと実感した。

今朝はさらに気分が良くなったので、外に出てみることにした。 まずは、土曜日にはとても足を運ぶ気になれなかった、angers三条本店へ。綺 麗なものを見ていると心が癒される。私は綺麗な物は好きだし、それを見ること 対しては相当な執着心を持っている。しかし、何故か綺麗な物を所有して自分の 周りに置いておきたいという欲望はほとんど無い。だから私は結構醜悪な物に囲 まれて平気で日々を過ごしているし、この店にとっては冷やかしてばかりでちっ とも商品を買ってくれない好ましからざる客かも。でも、前にドイツ直輸入の 手帳を買ったし、今日は北欧デザインの本をあと一歩のところで買いそうに なったから、「買わない客」じゃなくてただ単に「慎重な客」なだけさ。

angersの店内を見て回って静かに心癒されながら、自分は綺麗でない物に は寛容なのに、綺麗でない人間にはまったく容赦ないし、年々それが酷くなっ てきみたいだなと、ぼんやり考えていた。綺麗ならざる人間とは、オジサンと 馬鹿と嘘つきのこと。私を悩ます人間は必ずこの3つのうちの どれかである。オジサンと馬鹿が嫌いなのは近親憎悪だけど、嘘つきが 嫌いなのは自分と対極だからである。ここでいう「嘘つき」とは、例えば小学 校の頃から掃除当番など一度も真面目にやったことがないといった、ほとんど 虚言癖にも近い天才的な小狡さを武器に人生の荒波を渡ってきたような人間を指す。

それからJEUGIA三条本店をちょっと偵察してから、その辺で昼食。 そして京大数理研図書室、Sbux新京極店などで数学。帰宅後、歯医者。 夜も少し数 学。綺麗な物を見てから数学をすると、オジサンも馬鹿も嘘つきもどこかに飛 んでいって、幸福な気分になれます。

2008年4月13日(日)
<<引き籠り>>
午前中は自宅と山科区内で色々野暮用。昼食後、春恒例の平野神社の桜コンサー トか某秘密結社の仲間うちコンサートを聴きに出かけようかと思ったが、何と なく元気が出ずに見送る。コンサートに出かける元気が出ないというのは、何 だかよくわからないけどかなり重症のような気もする。さては”崩れ行く数学 者2008年度の新展開”の兆しか。こういう時は自宅に引き籠ってじっと数 学でもやっていた方が良いだろうと、ゴミ論文執筆作業。夕方、とりあえず版 が完成。数日間寝かせてからチェックすることにしよう。

もしかしたら、引き籠りが長期化して今後10年ぐらい続くような気もし ないでもない。世の中との接点が数学研究と芸術だけという引き籠り方が私の 理想なのだが、それだけでは飯が食っていけない。飯を食うための活動を、い かに死んだフリして強行突破できるかが問題だ。まずは教室会議でブチ切れな いようにすることから始めよう。あと、引き籠り生活への退行が急激に進みす ぎるのは好ましくなく、調節が必要だ。そのためにはまず、関西日仏学館には 早めに行って良い席を取ることが大事だな。

引き籠りの夜は、P.A.グリフィスの代数曲線論の続きを読んだり、 語学をやったりして過ごす(予定)。

2008年4月12日(土)
<<死んだフリ>>
フランス語講座春学期の第一日目。少し早 めに百万遍に着き、近くの文房具店で新しいノートを慎重に選んで買う。幾つ になっても新しいノートは、希望だ。新しいノートに綺麗な字で、明晰な理解 に裏打ちされた新しい知識を書き込むのだ、と。しかし、そのノートを使い終 わるころにはいつも、自分に対して少し失望している。

京大ルネで昼食をとり、関西日仏学館へ。図書室で1時間 ほど仏作文をやって遊んでから、教室へ。前学期の人たち以外に4名増えてい て、合計13名。ちょっと教室が手狭で窮屈で、遅れて教室に行ったため思う ような場所に座れなかったせいか、どうもしっくり来ない。

講座が終ってから、図書室でA.B.ミケランジェリが弾いているドビュッ シーのピアノ曲のCDを2枚借りた。今夜はヴィラ九条山でMIMIパーティー があるらしく、カフェのスタッフが九条山でスタンバイするために早々と店じ まいしていた。前回のMIMIパーティーはわけのわからない現代音楽のコン サートがあって、わけのわからないものが大好きな私としてはちょっと面白そ うなので潜入してみたけど、今回は演劇や朗読、写真や映像が中心らしいので、 パス。

帰宅途中に立ち寄ったJEUGIA三条本店でCDのバーゲンをやってい たので、ちょっと見てみたけど、これといったものはなし。angers三条本店を 覗いてみる気も起こらず、帰宅して夕食の後、スポーツクラブに突撃。 へとへとになって帰宅。

ここ数日授業の準備を集中的にやって数学研究から離れていたことが原因で、 すこぶる危険な精神状態にある上に、関西日仏学館で一発調子を外してしまった ことが大きく効いているのか、どうも気分がすぐれない。こういう時は死んだフリ してじっとしているのが一番良いと思う。

2008年4月11日(金)
<<クイック・マニュアル>>
午前中に出勤。早めの研究室コソコソ昼食の後、12時半より1回生「情報処 理」の講義の1回目、ひきつづき、コンピュータ演習室に移動して、「情報処 理演習」の授業の1回目。授業から研究室に戻ると、部屋の前で卒研生のひと りが待ち構えていて、ゼミの日程希望を伝えんきた。「しばらく放浪の旅 に出ていた」という。

その後、生協での夕食を挟んで21時間ぐらいまで授業の準備。最後の1 時間ぐらいは、会議室の隅のコピー機の前で、時々原稿を入れ替えながら印刷 が終るのを見守るだけの作業だったので、P.A.グリフィスの代数曲線の講 義録を読んだりして過ごした。それやこれやで、「情報処理」の全て、および 「情報処理演習」4月分の授業準備を、この2、3日で一気に終わらせようと いう突貫工事プロジェクトが無事完了した。

今年の「情報処理」「情報処理演習」は、クイック・マニュアルみたいな レジュメを多くして、板書の手間を省くというコンセプト。それに、「情報処 理」の授業でいくら板書で説明しても、私語や居眠りや遅刻や欠席でノートを 取らなかったり、ノートを自宅に置いてきたり、そもそもノートを読み返す 習慣が無かったりで、結局演習の時間になって、 「先生!何をすれば良いかわかりませーん!」 「ええ?!この前の授業で説明したやんか。ノート取らへんかったん?」 「えー?そんなん、聞いてませんけどー」 「しゃあない子らやなあ。ほれ、テキストのこのページにちゃんと書いてあるやんか。」 「テキスト読んでもわけがわかりませーん!」 「『わけがわかりませーん』って、あのなあ、わけがわかるように授業で説明したんやで。聞いてんかったん?」 「えー?そんなん、知りませーん!」 という不毛なやりとりが無数に繰り返される。

「授業をちゃんと聞いてないのが悪いんや。そんな学生の事なんか知らんわ」と 学生を崖から突き落として這い上がらせるのもひとつの教育法かもしれないが、 それをやると8割ぐらいの学生が崖の下に転落し、崖の下のお花畑にたむろして 楽しそうに遊び呆けて、そのまま戻って来なくなる。それでは流石にまずかろうと、 「不毛なやりとり」をそれなりにフォローしようとすると、大量のTAが必要と なる。

しかし、今年はTAがほとんど居ないので、そのための対応策として、必 要最低限のことだけを書いたクイック・マニュアルもどきを配布しておいて、 「え?わからんって?ほれ、この資料のここ見て、書いてある通りに やればええんや。じゃあね、健闘を祈る!」 って感じでサクサクと授業を進めようという魂胆なのである。で、効果があった のか、今日の「情報処理演習」の授業はサクサク進みすぎて時間が余ってしまい、 ちょっと困った。しかし、来週以降どうなるかは予断を許さない。

事務にレジュメ印刷申請の書類を出しに行った折に、第三回業務連絡発生!

TA居なくて大丈夫ですか?大丈夫もなにも、現状に合わせて適当に やってますけど、何か?というやりとり。

うーん、それにしても業務連絡の無い平和な日々が3日と続かないのは新 学期だからか。

2008年4月10日(木)
<<2年前と同じ>>
朝のJR琵琶湖線が遅れるのは毎度のことなので、早めに家を出て出勤。午前 中は経済学部・経営学部のプログラミング演習の授業の第一回目。受講生10 名弱。ガイダンスをやって、ちょっと授業に入ったけど、少し早めに切り上げ る。その後、生協コンビニ弁当で研究室コソコソ昼食。それから、プログラミ ング関係の授業の準備のやり溜め。14時過ぎから留学生向けの数学講座の第 一回目。受講生6名。これは正規の数学の授業の補講みたいな授業。まだ正規 の授業の方が進んでないそうなので、ガイダンスなどをやって、やはり早め に終わる。研究室に戻る途中に院生M君と廊下で出会ったので、近況などを聞 く。彼は私の専門とは違う勉強をすることに決めたらしく、何となく私の手を 離れたのかなって感じ。それから研究室に戻って再びプログラミング関係の授 業準備やり溜め作業。途中、生協で夕食。20時過ぎに作業を切り上げ、22 時前に帰宅。本日、同僚教職員との対面型業務連絡はなく、昨日にひきつづき 「西部戦線に異状なし」。

まあ、学科長をやってた時は大変で、結局体調(というか神経)がおかし くなってしまい現在に至っているけど、それ以外は平穏である。例えば、 私はRitsでは数学者ではないことになっているので、入試関係の責任の重 い役職は回ってこないし、授業担当もオマケみたいな枝葉の科目だけで済んで いる。あとは研究室の僅かばかりの学生の面倒を見ていれば良く、しかもその 学生達も手のかからない良い子達ばかりときている。ぶちキレ教室会議も、昨日 書いたように、今年は何も考えずに安心して聞き流していれば良さそうでだ。

ああ、これって、数理科学科の同僚教員や学生達が一致団結して日夜奮闘 努力し、「高山先生は、先生ご自身にあまり関わりのない余計な事に煩わされる ことなく、ご自分の研究に専念していてください!」と言ってくれているのと 同じではないか、と。しみじみと幸福感を味わいつつ、これは益々研究の方を 頑張らなくっちゃいかんなと思いながら帰宅。そういえば、2年前、学科長を やる直前にも、同じようなことをこの日誌で書いてたな。

2008年4月9日(水)
<<まずはトンカチの準備>>
昼過ぎに出勤。キャンパスの桜は満開状態だけど、私としてはさっさと用を済 ませて逃げ出したい一心なので、のんびり桜を楽しむ気にはなれない。

学生でごった返す生協食堂を避け、生協コンビニ弁当を買って研究室でコ ソコソ昼食をとり、メールをチェックして返事を書き、事務職員と丁々発止の 「なんということもない業務連絡」を全力投球で行い、それから新学期の準備 を開始。

去年と同じく数理科学科1回生を中心とした百人規模の講義を担当するの で、まずは「(ばんばんばーん!!)諸君、静粛に!」と呼びかけるためのト ンカチと受け木の準備をする。次に、去年の講義が終った時のまま放置されて いる、講義資料などの入ったカバンとその周辺のゴミを片付ける。その後、と りあえず今週分の講義レジュメや資料の作成作業。この作業は、途中90分ほ ど今年度最初の教室会議のため中断。

今年の学科長は数学者にしては珍しく数学以外のところでもしっかりとした 形式論理が展開できる先生なので、教室会議におけるカオスの発生は極小に押 さえられ、私としてはブチ切れて興奮することもなく、内職に励んでみたり、 棺桶に入って永遠に眠る練習に励んだりして、心静かな1年が送れるのではない かと淡い期待を抱く。

21時前に大学を出て、22時頃帰宅。その後、自宅で事務書類書き。本日、 同僚教員との対面型業務連絡はなく、「西部戦線に異状なし」。

2008年4月8日(火)
<<新たな発見と予想>>
新学期。早めに自宅を出て、山科の琵琶湖疎水の桜を見て歩く。西の方は昨日 の雨でかなり散ってしまってたが、東の方はまだ満開状態。疎水には天の川の ように桜の花びらの帯がどこまでもどこまでも続いていた。

桜に見とれながら1,2時間ほど歩き回った後、山科駅のあたりまで戻り、 昼食をとり散髪をしてから出勤。

大学では小一時間ほど事務室や研究室で雑用を片付ける。学科掲示板を眺 めていたら、学科長に捕まり業務連絡。 ま、この際だから 今年度は、誰と何回対面型業務連絡を行ったから、記録をつけてみようかしら。

おおっ、全てM君がらみだぞ。 やっぱりちゃんと記録をつけてみると、新たな発見があるもんだな。 すると、予想としては 「今年度の業務連絡は20回未満で、その半分程度は院生M君に関することで あろう」というのを掲げておこう。

16時から17時過ぎまでは形式的な会議。4月に大学の教員組織が改組 されて初めての教授会で、会議室も会議の規模もこれまでとはずいぶん違って いた。その物珍しさも手伝ってか、出席率は良かったようで、教授会サボりの 常習者みたいな先生がちゃんと出席してたり、いつもなら会議が無くなると手 を叩いて喜ぶ先生が、他の用事のために今回の会議を欠席しなければならない ことを(少なくとも表面上は)残念そうにしたりしていた。私は、というと、 内職常習者としてちゃんとフランス語の勉強に励んでいたのだが、会議が短す ぎたため勉強があまり進まなかったことが、ちょっと不満。

夜はゴミ論文下書きを少し突っ突く。

2008年4月7日(月)
<<猫じゃらし>>
昨日とはうってかわって春の嵐のような雨模様。午前中はゴミ論文執筆作業を 少し。昼からは外出。雨が降っても傘をさせばすむことだし、山科北部琵琶湖 疎水沿岸満開桜鑑賞の旅にいざ出発!と勇ましく自宅を出たものの、横殴り気 味の雨に意欲を削がれ、結局山科駅前で遅めの昼食の後、地下鉄に乗って三条方面に 出掛け、JEUGIAをすこし偵察し、新京極で靴を買い、高瀬川と鴨川沿い の桜をちょっと眺め、夕方の早い時間に帰宅。再びゴミ論文執筆作業。明日か ら新学期が始まるので、少し頑張って初稿版を8割程度書き上げる。

新学期が始まるとは言っても最初の2日は会議だけだし、少なくとも明日 は完全に形式的な会議なので、フランス語の勉強に宛てることができそうだ。 時間に余裕がある期間は数学ばかりやってしまうものだが、12日から関西日 仏学館の授業も始まるし、いつまでもフランス語をさぼってばかりもおれない。

明後日の会議は教室会議だが、今年度の目標は「心の教室会議離れの実現」 である。教室会議は私にとって猫じゃらしのようなもので、目の前で複雑系が 渦巻けば思わずムキになってブチ切れてしまう。これは単に、悲しき本能のツ ボを突かれて、つい「じゃらされ」てしまっているだけのことで、研究の支障 になる事以外に特に何の意味もない。より良き研究生活のためには、有害無意 味なことからの脱却が必要である。

2008年4月6日(日)
<<数年では無理かも>>
今日も自宅や山科区内で野暮用とゴミ論文書きの一日。夕方、近所の桜を愛で ながら山科駅前Sbuxまで散歩。Sbuxは今日も行楽帰りに立ち寄ったよ うな感じの人たちで満員御礼状態。大丸ラクト山科店地下食料品売り場も、花 見の帰りに夕食の材料でも買って帰ろうかという感じの客でいつも以上にごっ た返していた。

京都の混雑の多くは、大量の行楽客がのんびりと漫ろ歩きしたり年寄りが うろうろと歩いているために発生する。先を急ぐ場合はさながら障害物競走か 迷路みたいで歩きにくいけれど、危険は少ない。それに対して東京の混雑は、 仕事などで先を急ぐ人たちが集中することによって起こるため、対向者は猛ス ピードで歩いてきては「邪魔だ、どけ!」と言わんばかりに平気でぶつかって くる。東京で暮らしていた最後の頃はそれがほとほと嫌で、人ごみを歩く時は いつも傘を剣道の竹刀を構えるような感じで前に突き出し、「くるなら来い! このアジアの無礼者どもめが」って感じでやっていた。そうすると皆さん、ちゃ んとよけてくれるので、歩きやすかった。東京の人は「アブなそうな人」を察 知する能力が高い。

ところで何故「アジアの無礼者ども」なのかというと、ものの本で読んだ のだけど、西洋と比べてアジアは昔から人口密度が格段に高く、皆がひしめき あいぶつかりあいながらワッショイワッショイと生活してきたので、西洋人の ようにちょっと肩が触れ合っただけでエクスキューズ・ミーだのパルドンだの エントシュルディゴンなどと挨拶し合うような悠長な文化は育たなかった そうだからである。

かように(東京圏在住の)日本人の多くは、人ごみで他人にぶつかること も、ぶつかられることも平気らしい。しかしその一方で日本では、ちょっと肩 が触れ合ったことに因縁をふっかけて暴行事件になりましたというような話は 昔からある。まあ、因縁をふっかける事が良いことかどうかは別として、他人 に平気でぶつかられて知らん顔されることに我慢ならない人たちが、この日本 にも何パーセントかの割合で存在するということだと思うと、ちょっとほっと する。

大丸ラクト山科店地下食料品売り場から帰宅する途中、ふと、ブルース・ リーみたいにヌンチャクを振り回して歩けば東京の人ごみも快適に歩けるはず だと思いついた。東京の人たちは前からだけではなく、横からも後ろからも平 気でぶつかってくる。ヌンチャクならこれに十分対処できるはずだ。しかしあ れを振り回し続けるのも疲れるし、自分の頭や顔にぶつけないようにするには 相当の練習が必要だろう。数学研究やフランス語の勉強、それに会議や書類書 き、学生のゼミの相手、スポーツクラブやコンサート通い、JEUGIA三条 本店やその他いくつかの気になる店やお気に入りスポットの定期的偵察。その 上にさらに、1,2ヶ月に1度の東京出張を快適に遂行するためだけの目的で ヌンチャクの練習時間を確保するというのは、人生の有限性の観点から考えて おおいに問題だ。お手軽に済ますなら、やっぱり電磁バリアだな、と。 これなら何だって跳ね返せる。エイトマンの体当たりだって。

昔、弾よりも速く走り悪と闘うエイトマンというアニメ漫画に夢中だった。 キリスト教信者は世界のあらゆるところに神の徴を見出して幸福を感じるそう だけど、私は世界のあらゆるところに「8」の字を見出しては興奮する 子供だった。最初はエイトマンみたいに速く走れるようにと頑張って練習してみ たけれど、すぐにその才能は無いとわかり諦めた。いくら速く走った積もりで も、足が「消えたように見える」ようにならない自分に失望したのである。

しかし、エイトマンの強敵の中に天才科学者の何とか兄弟というのが居て、 当時の男の子としては別に珍しくも何ともない科学少年だった私は、彼らには 強烈なライバル意識を抱いた。彼らは12歳の頃にはすでに電磁バリアを発明 していたという。この電磁バリアが相手では、いくら鋼鉄の体と弾よりも速い 足を持つ超サイボーグのエイトマンもかなわない。そうか、悪と闘うにはただ 速く走れりゃあいいってものでもないのか。それにしても、青白い病弱そうな 風のこのマッドサイエンティストたちは、電磁バリアのみならず、物質伝送装 置だの何だのと、次から次へと物凄い発明を繰り出してエイトマンを苦しめる のである。悪魔に魂を売り飛ばしている点は評価できないが、彼らの天才的頭 脳は敬服するに値する、と。

そして当時7,8歳ぐらいだった私は、12歳になる数年後に自分も電磁 バリアに匹敵する発明ができるだろうかと真剣に悩み、電磁バリアはどう考え れば良いか皆目見当がつかないが、物質伝送装置なら基本的なアイディアぐら いなら分るかも知れないと色々考えてみたりもした。そして、一体自分は科学 についてどれぐらい理解しているのか、理解できる力を持っているのかといっ た問題について、内省の日々を重ねた結果、「(彼らのレベルに追いつくのは) やはり数年では無理かも知れない」という苦渋の結論に至ったのであった。 (勿論、数年どころか今でも無理なんだけど)。

数学者になってからも、この手の挫折は日常茶飯事のように繰り返してい て、もう慣れっこになってしまったな。

2008年4月5日(土)
<<植物の名前>>
自宅や山科区内で野暮用とゴミ論文書きの一日。夕方、近所の桜を愛でながら 山科駅前Sbuxまで散歩。山科駅前は花見に出かけた人たちでごった返して いた。夜は久々にスポーツクラブでへとへとになる。


これは近所の京都薬大の満開の桜。こうやって近寄って見てみると、ちょっと グロテスクな感じがしないでもないけど、淡いピンクに彩られた桜のある風景 には、やはり心引かれる。そういえばエッセンではこの季節は菩提樹の花が見 頃だった。最初見た時は、白い花が咲く桜の一種かしらと思っ ていた。ドイツ人は春の菩提樹(Lindenbaum)の花にどんな思い入れ があるのかしら。

花といえば、私は草花の名前を覚えるのが大嫌いだった。そこに草花が あるのはよい。しかし、それに対して人間が勝手につけた名前を覚えること に一体何の意味があるというのか?子供心ながら、こんなことを思って いたように思うし、そもそも暗記は苦手だった。

小学校1年生の理科のテストで、前半分が物理的な現象に関する問題、残りの 半分が白黒のイラストで描かれた植物の名前や花の咲く季節などを答えさせる 問題が出たことがあって、前半が満点後半が零点の合計50点(100点満点) を取った。そのテストの返却答案を見た母は鬼のように暴れ、怒り倒し、私は 壮絶な時間をすごすこととなった。

それからの母は何かを決心したかのように、毎週のように私を車に乗せ、 自分が生まれ育った田舎に連れて行っては、この花は彼岸花、あの花は葉毛唐、 サツマイモの葉はこれで、あれは茄子の花と実物を見せて教えたり、 植物に関わる子供時代の思い出話や田舎の生活習慣などを私に聞かせた。 さらには自宅でも、キンセンカだのキョウチクトウだのアブラナだの何だのの 種を買ってきては植木鉢で育て、アブラナの実からは菜種油が取れるのだの、 今咲いている花の名前を言ってみよ、といった調子だった。

それでも私は「かなわんな」ぐらいにしか思ってなかったようで、ほとんど 何の進歩も無かったと思う。町育ちで、やはり植物に関心の無かった父は、それ をみて「へへっ」と笑っていた。数年後、母は私に根負けし、もう植物の話はし なくなった。

学生の教育というのも、そういうもんかも知れないな、と。

2008年4月4日(金)
<<これはいかんな>>
午前中は山科区内で野暮用。その後、山科駅前Sbuxでの昼食を経て、あち こちの桜を愛でながら出勤。研究室で数日前から懸案の問題に取り組む。どう やら解決した模様。その直後に院生M君が現れて打ち合せ。

M君は博士課程進学を希望していると言っていたが、春休みの課題の進み 具合や今後勉強したいことなどを聞いているうちに、彼が博士課程や数学を研 究することの意味について、極めて素朴な理解しか持ち合わせていないことが 明らかになった。

これはいかんなと思い、それから1時間以上かけて、アマチュア数学愛好家 と数学者の違い、研究者を目指す修士の学生の一般的な勉強のスタイルやテーマ の選び方、指導教員が指導できることとできないこと、博士課程の入学選考の方 法や研究論文の発表の仕方、プロの研究者の中で評価されることの意味、厳しい 就職難の現状などなどといったことについて、昏昏と説教する。いっぺんに沢山 のことを喋ったので、M君はどこまで理解してくれたことか、ちょっと心配。

研究者養成大学の場合は、沢山の院生や院生崩れが溢れ返っているし、研 究者志望の学部生も多いので、すこしばかり回りをきょろきょろ見回すタイプ の学生だと色々な情報が自然と飛び込んできて、最先端のところではどんな研 究分野があって、現在どんな研究者達が活躍していて、院生達はどんな風に勉 強して就職はどうしているか、といったことについて、比較的正確なイメージ を早い時期から持つことができる。

しかしRitsではそれは難しく、大学院入学後の打ち合せで「え?君、 そんな認識だったの?」と指導教員があわてふためくことになる。もっとも 数年前まではオルグ熱心な教員も居て、学部の低回生でちょっと真面目に勉強 してそうなのを見つけ、日頃から何やかやと話しかけては数学業界の雑談 などをし、研究の世界に引っ張り込んだりしていたから、すこしは研究者養成 大学っぽい面もあることはあった。今はどうなのか、よくわからない。

私は、というと、人嫌いで偏屈なので、学生とは事務連絡と数学の内容以外 の話は一切しない。そういったことのツケが、こういう時にどっと出てきたって 感じだ。

説教をしてM君を帰した後、今後のM君の指導方法についてすこしお知恵 を拝借するため、同僚某先生の部屋に押しかける。

夜はすこしだけゴミ論文執筆作業。

2008年4月3日(木)
<<琵琶湖疎水>>
忘れられていた院生M君からメールの返事が届いた。どうやら元気にしている ようだ。自宅で野暮用の後、久しぶりにDeutsche Welleをすこし見てから、出勤。 と言っても今日は急ぐ用はないし、近所で咲いた桜が綺麗なので、ちょっと遠回 りして琵琶湖疎水の桜を眺めながら行こうと思いたつ。

ここは山科きっての桜の名所。まだ満開には至ってないけど、ところどこ ろ綺麗に咲いている。ああ、幸福だ。脳が歪み、全世界を敵に回して戦争をする ようになっても、こうやってまた春を迎えて桜を愛でつつ数学の勉強も続けてい られる。この静かな幸福をかみしめようではないか、と。

疎水から平地に降りてJR山科駅に着いても、新入生でごった返す生協食 堂で昼食をとるのも億劫だし、おいしい珈琲も飲みたかったので、Sbuxで またしばらく滞在。それからやっと重い腰をあげて出勤しようかと思ったら、 腹痛。年間50回近い学科長会議や、出席率3割で出席学生の9割が爆睡する 工学部の数学の授業に向かう時も、よくこういう腹痛に襲われたっけ。 腹痛がすこしおさまるのを待って、今度は本当にJRに乗って出勤。

事務室で準備してきた書類を提出して、 ポストに溜まった郵便物を整理し、それから 研究室に戻って、忘れられていた院生M君に、兎に角、明日これからの方針について 打ち合せをしようとメールを出し、さあて、新学期の数理科学科はどうなってるのかなと、 新学期なんてほとんど関心がないくせに出来心でちょっとその辺りの様子を偵察。

しかしこれは余計だったようで、 ドアを開け放った研究室から聞こえてくる無駄に大きな同僚の声、 TAの募集や卒研ゼミの打ち合せの案内の張り紙がしてある掲示板、 定年が迫った同僚のアルカイック・スマイル、 小ざっぱりと整理された新しい院生達の居室、 何気ない業務連絡を「何気なく」行うのがやや困難な事務職員とのスリル溢れる 丁々発止の業務連絡、 会議室の前の何も書かれていない小さな白板、 その近くの掲示板に張られている国際研究集会のポスター、 それやこれやの、 いつもと変わりないこの学科の平和な風景の何を見聞きしても、 自分でも意味のよくわからない軽い怒りが込み上げてくる。

ああ、また「発作」だ。悪化しないうちにさっさと帰宅。

2008年4月2日(水)
<<こっそり感動する>>
午前中から夕方近くまで自宅や山科区内で野暮用。その合間に、昨日 突然その存在を思い出した院生に「お元気ですか?」とメールを出し、事務書類 を3つほど作成。夕方からは少しゴミ論文執筆作業。今日は、研究ノートに馬鹿 丁寧に細々と書いてある計算や論証を適宜大胆に削除しながら論文用の記述にする といった、作業ベースの仕事。昨日同志社大学に潜入して考えていた本質的な問題 は先送り。夜は適当に切り上げて、フランス語などを少し。

昨夜は素晴らしいコンサートだったけど、ああいうものはアンコールなど も全部聴いて余韻にひたりながら夢見心地でゆったりと帰宅するものであって、 尻切れトンボで会場を飛び出し、タクシーに飛び乗って大急ぎで帰宅というの では、やはり興ざめで禍根が残る。

夢見心地といえば、若い頃はよく映画を見に行ったけど、物語が終り出演 者や製作スタッフや協力ロケ地の名前などがテーマ音楽と一緒に流れ、最後に "DOLBY in selected theaters"というマークが出て、はい、おしまい!となっ てからおもむろに席を立ち、満ち足りた幸福な気分で映画館を出たものである。

今は映画を見に行くのが億劫だし、自宅でDVDって気も起こらない。時々 出張先のホテルで一人酒を飲みながら「戦場のピアニスト」とか「イルマーレ」と か見て、こっそり感動してたりするのだけど、多くの場合同じ2時間を過ごし て夢見心地で帰ってくるなら、コンサートの方に行ってしまう。これはどうし てか?

音楽は感性だが物語は論理であり、論理はオジサン的であり、私は最近 (自分以外の)オジサンが嫌いである。よって私は物語に飽き飽きしているの だ、と。そのくせ、教室会議などで非論理的な議論を聞くと我慢ならなくなっ て、貴方達は数学者のくせにそんな非論理的で出鱈目な議論しかできないの か!とブチきれてしまうのだから、自分でもわけがわからん。と、思っていた ら、今年度第1回目の教室会議の招集メールが届いた。

2008年4月1日(火)
<<握手を求める?>>
風邪はもう殆ど治ったようだ。夕方頃まで自宅にてゴミ論文執筆作業。それか ら今出川のアルティーで開かれるコンサートを聴きに行くため、少し早めに家 を出る。新学期の雰囲気が漂う同志社大学寒梅館に潜入し、昨日から懸案になっ ている問題をしばし考え、早めの夕食をとってからおもむろにアルティーへ。

今日は関西日仏学館が行っている京都フランス音楽アカデミーのコンサー ト。プログラムは、C.ドビュッシーの室内楽のいくつかと、日本の琴、そし てC.サン=サーンズの組曲「動物の謝肉祭」。全体的にものすごくレベルの 高い演奏でたいへん良かったのだが、特に今日初めて全曲通して聴いた組曲 「動物の謝肉祭」が、あんなに楽しい曲だとは知らなかった。

最後のアンコールは帰りを急いでいたので、残念ながらパスした。地下鉄 でも40分弱で帰宅できるのだが、かなり急いでいたのでタクシーを拾った。 京都の夜道をタクシーで飛ばしながら、街の中を一人で車で走れるのが楽しく てこの仕事を選んだのだが、客を乗せて走るのはあまり好きではない というタクシー・ドライバーはどのぐらい居るのかしらと、ぼんやり考えていた。 もしそういうドライバーが居たら、例えオジサンであっても「私も貴方と同じよ うな大学教師です」と言って握手を求めようかしら。

コンサートから帰ったら、しばらく音なしだった大学の事務からメールが 届いていた。もうすぐ新学期が始まるのかと思うとちょっと落ち着かない気分。 そういえば今年は卒研生が2名も居る珍しい年で、そのことばかり気にしてい たのだが、院生がもう一人居ることを忘れていた!研究室の学生が3人居ると、 少しは数理科学科で教授やってる実感が湧いてくる。