の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2008年8月15日(金)
<<充満するイナゴたち>>
今日も昨日と同じく、研究日。午後は京大数理研図書室で愚図愚図と考え、こ
こ2、3日悩んでいた懸案は実に簡単なことだと分った。
それにしても私の数学研究のスタイルは、湯水のように時間を浪費した末
にゴミ論文一本書けるかどうかって感じ。そんな調子で虚しくならないかと聞
かれれば、「傍目には虚しく見えるかもしれないけど、本人はそれほどでもな
い」とでも答えておくことにしよう。
今日も夕方の夏の空が綺麗だった。オジサン抜きの夏休み、惜しみなく時 間を浪費する贅沢。空を眺め、ああ、幸福だ、とつぶやく。
夜は気分を変えて、論文レビューの仕事を一件片付ける。これでアメリカ 数学会から依頼された分は終りで、明日からはヨーロッパ数学会から依頼され ている4件。
さて、昨日まではクラシック・ギター特集みたいになってたので、その勢いで
残るアンドレス・セゴビアの1枚とナルシソ・イエペスの2枚も聴いてしまお
うかと考えていた。
しかしセゴビアやイエペスは、最近の私のお気に入りである バロック・リュートの系統からはちょっと外れる。それに7月から8月初め にかけての「正視に堪えないオジサンの見過ぎ症候群」による心の傷も癒えて きたしということで、今日は気分を変えて久しぶりにトリオ・アポロンとか いう3人組による「20世紀のクラリネット、ヴィオラとピアノのための作品 集」を聴くことにした。F. プーランクの有名なクラリネット・ソナタの他に、 J. フランセやG. エネスクなどの曲が入っている。
このCDを買ったのは、まだゲーテに通っていた2、3年前だったと思う。 学科長をやる年よりも前だったかも知れない。学科長時代の話をすると、また 私の脳の中でオジサン、オジサン、オジサン、オジサン、オジサン、オジサン、 オジサン、オジサン、オジサン、オジサン、オジサン、オジサン、、、とオジ サンがイナゴの大群のように発生し、充満したイナゴたちが頭蓋骨を突き破っ て飛び出して来そうになるから、やめておこう。
それにしてもこのジャケット、現代音楽にふさわしい洒落たデザインだと
思うけど、何故か、命尽きてその辺の地面に転がっているセミの屍骸を思わせる。
先日の夜、外出先から自宅に戻った時、暗がりの玄関先で何か乾いた枯葉のよ
うなものを踏んづけたような気がしたのだが、灯りを点けてみたらセミの屍骸
だった。(ああ、駄目だ。こんな想像をしてしまうんだから、既にイナゴの大群
が発生し始めているかも、、、?)
2008年8月14日(木)
<<とことん喋らない>>
研究日。朝、アメリカ数学会から論文レビューの件で督促メールが届いていた。
とうとう来るものが来たか、と。
6月半ばと7月半ばにそれぞれ1件ずつ合計2件の依頼があり、6月半ばの分
が2ヶ月を経過しそうなのでチェックが入ったようだ。相手の様子を見ながら
慎重に依頼を出し、適宜督促を出して「無理なようでしたら、他の人に回しま
す」と行動を迫る。なかなかしっかりしている。
それに対してヨーロッパの数学会は結構ゆるい。過去2ヶ月ぐらいの間に、 アメリカ数学会の倍のペースで4件も依頼が届いている。どうも依頼は出すけ ど、ちゃんとレビューが仕上がって来てるかは、チェックしていないようだ。 だから、前の仕事が終らないうちにどんどん次の仕事が送られてくる。しかも、 依頼状に日付が書かれていないので、4件の依頼がどの順 序で送られてきたか、今となっては分からない。
しょうがない。昼間はこれまで通り、障害物競走のように次々現れる懸案 の問題を愚図愚図と考えることにしよう。しかし、それだけでは煮詰まってし まうから、夜は気分転換を兼ねてレビューの仕事を一晩1件ずつ片付けること にしよう。そう決心して、午後は京大数理研図書室へ。
京都の8月の13日から17日頃はお盆休みらしく、ほとんどの店が休み になった私の学生時代ほどでもないけれど、あちこちの個人商店などが閉まっ ていて、街は心なしか静かである。今がチャンスだ。盆だの正月だのという、 世間が止まっているかのような時は、ちょっと仕事しただけでもずいぶんはか どったような気分になって、大変よろしい。逆に世間が目まぐるしく動いてい る時は、ちょっとぐらい仕事しても、世の中の人たちに相対負けして大した達 成感は得られない。こう見えても私は、結構世の中の人間のことを気にしなが ら生きているのである。だから、人が働いている時はのんびりし、人が休んで いる時に働くのが正しい。
とはいうものの、午後一杯数理研で愚図愚図考えても、ほとんど 収穫なし。夜は予定通り、アメリカ数学会から6月半ばに依頼されたレビュー をやっつける。
さて、今夜は久しぶりに Wulfin Lieskeというギタリストの"What about
this, Mr. Tarrega?"(これは如何ですか?タレガさん)というCDを聴いた。
このCDは確か、私がゲーテに通い始めた1999年頃に、ゲーテ
多目的ホールで開かれたLieskeさんのコンサートで売っていたものである。
その頃の私はまだクラシック音楽マニアではなかった。初級ドイツ語のク ラスにヴァイオリンの先生をしているという人が居て、今なら、J.S.バッハの 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ってどうよとか、色々話し掛 けていくだろうと思うけど、当時は「ふーん」って感じで特に興味も持たなかっ た。
さて、フランシスコ・タレガというのは、19世紀末に活躍したスペインかどこ かのギタリストで、クラシック・ギターの現代的な奏法を確立して、ギター用 の曲も沢山書いたことで有名、、、らしい。
子供の頃習ったギターの教則本にもタレガの曲が沢山出て いて、このCDに入っている曲のいくつかを練習したような覚えもある。しかし、 なにせ小学6年生の頃だから、詳しいことは何も覚えていない。というか、あ の頃の私は何も考えていなかったから、ソルがどうのタレガがどうのと言われ てても、ただぼうっとしていただけで、先生の指示に従って黙々と練習してい たのである。
ひとつ覚えていることは、人見知りの激しかった私は、1年間通ったギター のレッスンや演奏会やその打ち上げで、一言も言葉を発したことが無かった。 あれま?と目を丸くしたり、なるほどとうなずいたり、何だろう?と眉をしか めたり。そんな調子でずっと通し、文字通り「先生の指示に従って黙々と練習」 していた。そんな、「真面目で良い子だけど、ちょっと変わっている小学生」 が、今や、オレさまで自己チューでクールなオジサンにダラクしたのである。
今、何か楽器を習うなら、先生にああだこうだと要らんことばかり喋る、ず うずうしいオッサンになるかも知れないし、案外口数の少ない物静かな生徒に なるかもしれない。どちらに転ぶかは、状況次第だろうと思う。この、一発調 子を外すととことん喋らないところは今でも変わっていないし、どうも父親譲 りの性格のようである。
このCDにはバロック時代のものから近代のものまで、クラシックギターの
代表的な曲が集められているけれど、やっぱりバロックの曲の方がいいな。
今またギターを習うなら、バッハとかヴァイスの曲を教えてくれる先生に
つきたいものである。
2008年8月13日(水)
<<脳を歪み直す>>
研究日。今日から今週末まで関西日仏学館は休みらしいので、午後は京大数理
研図書室。懸案はとりあえず解決しノートに纏め、さらに次の懸案に取り組む。
懸案また懸案、まるで障害物競走みたいでゴールが見えません。夕方、からり
とした夏の空を眺めながら家路につくが、もう少し数学の余韻に浸りたかった
ので、今日は京都ホテルオークラのロビーでしばし道草。帰宅後もまだ日は高
く、窓から夏の空を眺めながら数学を考える。
そういえば、オジサン撲滅運動の戦いに長らく心を奪われていて、すっか り忘れていたけど、私はこんな夏の空が大好きだったことを思い出した。うー ん、こういう事を思い出せただけでも、♪オジサン抜きの夏休み♪と手拍子足 拍子も軽やかに喜びの踊りを踊っただけのことはあるな。
夜もまた愚図愚図とすごず。
今日は久しぶりにJulian Breamというイギリスのギタリストによる「バロック・
ギター・リサイタル」のCDを聴いた。これはJ. S. バッハやS. L. ヴァイス
(Weiss)やF. ソル(Sor)などの、バロック時代の作曲家のリュート曲をクラシッ
ク・ギターで弾くというもの。
でもソルってバロックよりちょっと後の時代の 人じゃないかしらね。ジャケットの写真に、クラシック・ギターでは普通使わ ない(このCD の中でも使っていない)ピックが写っているのも奇妙だ。
それにしてもシケた曲ばかりである。ここ数日聴いたものの中では、J.S. バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番」とS.L.ヴァイス の「2本のリュートのためのソナタ」以外は、バロックのリュート曲はどれも これもしんみりし過ぎて、「曇り時々晴れかと思いきや、また曇り、のちにわ か雨」みたいな曲の目白押しである。
ただ、どの曲にも薄日が差し込むような晴れ間がすこしずつ入っているところがミソで、こ れが「バロックの晴れ間」とも言うべきものなんでしょうかね。私が日々今の 時代に生きて感じている感覚とはずいぶん違っていて、学科長で歪んだ脳が、 今度は逆の方向に歪み直されそうである。
よろしい。折角のオジサン抜きの夏休みだ、しんみりしてやろうじゃない
か。カラリと晴れた夏の夕暮れ時の空を眺めながらなら、こういう音楽を聴い
てみるのも良いものだ。あー、遠い空の夏の雲が綺麗だなーとか何とか、どうでも
良い事を考えながらね。
2008年8月12日(火)
<<鬱病の芸術?>>
今日も嬉し恥ずかし、研究日。ここ1、2年を振り返って、カラスが鳴かない
日はあっても、オジサンの悪口を言わない日は無かったように思う。オジサン
を根絶し、世界に平和を!と独り訴えたところで一体どうだというのだ?少し
でも世界は良くなったのか?相変わらず世の中のそこかしこでは、
オジサン達が仲間を作って群れ、
それでいて疑り深く底意地も悪く、
鼻糞をほじくり、
無意味に鼻息荒く深呼吸をして唸り散らし、
ちゃぶ台をひっくり返しておどろおどろしくも暑苦しく、
痛むべき良心の最後の欠片も遠い昔に失われ、
保身のための嘘を平然とついているではないか。
ああ、くたびれた。世の中には休肝日と
いう概念があるそうだが、私もたまにはオジサンの悪口を言わない日を作ろう
ではないか(もう十分言ってるじゃん!)などと考えながら、午後は京大数理研図書室へ、と思ったが、京
大ルネで昼食後、猛暑に挫けて数理研まで歩く根性が失せ、近場の関西日仏学
館の図書室で夕方まで踏みとどまる。
今日はなぜかドイツ語の代数の本を読んでいたのだが、流石に関西日仏学 館でドイツ語はないだろうと良心がチクチク痛み、分からない単語のフランス語訳 を独仏辞典を使って調べ、そのフランス語訳がわからない場合は図書室に設置され ている大仏和辞典を使って調べることにした。 何?まるで語学オタクみたいになってきましたねえ、だと? 猛暑の中を京大ルネから数理研まで歩くことを思えば、このぐらいの手間は何のそ のよ。幸い数学のドイツ語は簡単なので、大仏和辞典は使わずに済んだけど。
関西日仏学館からの帰りはJEUGIA三条本店に立ち寄る。今日のお目当ては、 Sylvius Leopold Weiss のバロックリュート曲のCD。
今日はホセ・ミゲル・モレーノ(Jose Miguel Moreno)というスペインの
バロックリュート奏者によるこのCDを買った。
このCDのタイトル"Ars Melancholiae"ってどういう意味かしら?哀愁の芸 術?それとも鬱病の芸術?なるほど、私の鬱病を音楽療法で治してくれるって か?確かに聴いてみると、しんみりとした曲が多く、8月10日の日誌で紹介 した「2本のリュートのためのソナタ」のような、しんみりとした中にも晴れ やかで希望に満ちた明るさには乏しい。シケた音楽である。
それに、このジャケットの絵は何じゃ?自宅に帰って包装を開けてみるま で、ずうっと解体新書の腑分けの図かと思っていた。良く見てみると、脊椎だ と思ってたのが実は木の枝で、肺や胃だと思ってたのが花や花の蕾で、胆嚢だと 思ってたのが葉っぱで、大腸だ と思ってたのが実は蝶の幼虫ではないか。うーむ、そういうことだったのか。 しかし良く見るとアール・ヌーヴォの真似っこをして、誰かがこんな絵柄のラ ンプでも作りそうな感じだな。
植物や昆虫に関心が無い私にとっては、こういう絵がクラシック音楽のCD のジャケットに使われているのは、ちょっとエキゾチックな感じがしますな。 思えば、数学研究の合間に世界平和のためにオジサン撲滅運動に励んできた私 にとって、かような哀愁の音楽を聴きながら、こういう(特に哀愁も憂鬱もな い)絵をぼんやり眺めて過ごすような生活が欠けていたのではなかろうか、と。
ホセ・ミゲル・モレーノってどういう人なのかはよく知らないけど、かな
りの弾き手なのだろう、リュートの音はとても綺麗だ。今日、JEUGIAでナルシー
ソ・イエペスのリュートのCD も試聴したけど、イエペスのリュートはいまひ
とつだった。
2008年8月11日(月)
<<苦節10年>>
オジサンの祟り胃はまだ少し症状が残っている。案外しつこい。
生まれながらにしてオジサンという人間は居ない。
ならば人は何をもってオジサンたり得るのか?
仲間を作って群れたくなったら、オジサンなのだろうか。
電車の中で平気で鼻糞をほじくれば、オジサンなのだろうか。
ちゃぶ台返しの快感が病みつきになったら、オジサンなのだろうか。
保身のための嘘をいくらでも平気でつけるようになれば、オジサンなのだろうか。
うーん、わからん。というような事を考えながら、出勤。
本日午後は前期試験に病欠した学生などのための追試。私の科目は口頭試問の 形式をとり、受験生1名。密室でネチネチといやらしい質問で苛めまくる口頭試問 は20分ほどで終了し、すぐに成績を出す。そして事務の人が届けてくれたば かりの成績表に記入して完了。それから少し数学を考えて、アポイントメント があった別の学生と会う。何でもプログラム理論を中心とした理論計算機科学 の研究者志望という。計算機屋稼業をしていた10年とか20年とかの大昔の とりとめもない思い出話を1時間ぐらい話した。そんな詰まらない事が若い人の お役に立つとは、私もいつの間にかオジサンの域を通り越して、村の古老みたいに なってしまってたというわけだ。
大学からの帰り道は山科駅前Sbuxに立ち寄って、少し数学を考える。今の疑問を 解く方針が掴めてきたような気がするのだが、まだ何となくしっくり来ない。 しっくり来ないものは何か間違っているはずである。
7月から8月初めにかけての膨大な量のオジサン被爆があって、その毒消し用にと、
ここ数日クラシックギター&リュート路線にはまってる感じ。
今日は久しぶりにカート・ラダーマのク
ラシック・ギター版「ゴールドベルク変奏曲」(J.S.バッハ)を聴いてみた。
ゴールドベルグ変奏曲の楽譜は私のお気に入りのひとつで、携帯電話の待 ち受け画面にも使っている。あのJ.S.バッハがこれでかこれでもかとゴタゴタ と手を加えて出来上がった、精緻を極めた複雑な音楽を絵にするとこんな感じ になるのか、と見ているだけで楽しい。
しかしこの曲、もともとチェンバロ用に作られているので、ギターで演奏 するのは物理的に不可能なのだそうだ。そこでラダーマさんは苦節10年の末、 特注ギターを2本作り、それ用に編曲し、それぞれのパートを自分で演 奏して録音し、2つの録音を重ねることによってこのCDを作ったという。
はてな?「2本のギターのためのゴールドベルク変奏曲」として、別の演 奏者と二人で弾いてはいけないのかしら?と思ったりするけど、まあ、特注ギ ターまで作り、10年の年月をかけたんだから、全部自分でやりたかったんだ ろうね。このCDのジャケットの写真でも、「どうだい!」って感じで 誇らしげにこっちを見てるな。
それにしても苦節10年はエライな。私なんか、いまだかつて10年粘った事なんて何
もないよ。みんな途中で飽きちまって放り出すんだ。
2008年8月10日(日)
<<心温まる話>>
オジサンの祟り胃はさらに回復し、今日はブラック珈琲を飲んでも何ともなかっ
た。オジサンの祟りなどに負けていては、数学研究はできないのである。しか
し今朝も夢の中で色々考えていたし、昼間は自宅で愚図愚図したり山科区内に
買い物に出たりしながらも、何となく考えていたのだが、これといった名案は
浮かばなかった。しかし、これは世の中に跳梁跋扈するオジサンたちのせいで
はなく、私の考察の一部に誤りがあったせいだということが、深夜ようやく明
らかになった。よろしい。では、続きは明日にということで、本日これにて業
務終了、と。
そういえば最近つぎのような心温まる話を耳にした。小さな会社を経営す る某オジサンが、経営も軌道に乗ってきたので、忙しい仕事の合間に登山の趣 味に励んで上級レベルにまでなった。それで登山仲間が欲しくなり、自分で登 山入門講座を開き、そこで仲間を募集した。そしたらオジサンばかりが集まっ てきた。同じような年格好の仲間が集まって良かったかというと、全く逆で、 オジサンどもは「協調性は無いし、文句は多いし、気はきかなし」(それってま るでオレのことみたいじゃん!?)、もうあんな連中は真っ平だということで、 自分の会社のオジサン予備軍から希望者を募ることにしたそうだ。
え?この話の何処が「心温まる」のかって?まあ、オジサンが禄でもない 生き物だと思ってるのが私だけではないと知って、心強く思ったということと、 登山仲間を求めるというところが、やっぱりオジサンだなと「オジサンは群れ たがる」という仮説を裏付ける事実に我が意を得たりと思ったということかな。
さて、今日は久しぶりに「2本のリュートのためのソナタ」(Sylvius Leopold Weiss作曲)
のCDを聞いた。このCDでリュートを弾いている一人Karl-Ernst Schröder
は私と同い年だけど、5年前に無くなったと
ここに書かれているのを今日見つけて、ちょっとびっくりした。
このCDを買ったのは、確かまだクラシック音楽にそれほどハマっていなかっ た頃だから、計算機科学者稼業を廃業して(旧)情報学科の中で死んだフリし ながら数学研究に転向すべく勉強していた時。(旧)情報学科内の厳しい立場 にあえぎながらも、新しい人生への希望に溢れていた時期でもある。今は無き 京都駅前近鉄プラッツの新星堂で、たまたまこのCDがかかっていて、「嗚呼、 しみじみといい曲だなあ」と感じ入って思わず買ってしまった。
その数年後、同じ新星堂でカール・ライスターのクラリネット・ソナタ
(ブラームス)が掛かっていて、当時何故か切羽詰った人生を送っていた私は
これを聴いていたく感動し、「嗚呼、この切羽詰った曲を私のテーマソングに
しよう」と思って、速攻で買った覚えがある。
今はちょっとクラリネット・ソナタを聴く気にはなれないから、それほど
切羽詰ってはいないのだろうと思う。
2008年8月9日(土)
<<袋でも被ってろ!>>
オジサンの祟り胃はさらに回復し、今日はブラック珈琲を飲んで
しばらくしてから胃が少し痛んだだけですんだ。
昨日に引き続き本日も研究日。午前中は、明け方に布団の中で夢現で思いついたことを確かめ
てノートの纏めた。午後も少し数学を考えた後、逃避行動として久しぶりに
Albert Camus のL'etrangerの続きを少し読んでみたり、仏文法の本を眺めた
り、野暮用をしたり。夕方頃、山科駅前まで買い物に出て、帰宅後また少し逃
避行動と数学を織り交ぜる。夜は少しワインを飲みすぎて、しばらくぼんやり
とする。結局あまり進展は無かった。でも、また今夜夢の中で何かいい事を思
いつくといいんだけどなあ。
そういえば学科長時代に脳が歪んで鬱病のようになっていたのが、先月の 「カンケーねーんだよ!プロジェクト」でガンガンとメール飛ばしているうち に大分調子が良くなった。学科長時代と違って、メールに対してちゃんと応答 が返ってきて、正常なコミュニケーションが成立したことが「治療」に役立っ たのだと思う。やはり複雑系との接触で歪んだ脳は、複雑系と再接触すること によって元に戻すのが一番手っ取り早い「治療」なのかもしれない。しかし 一般に、複雑系の皆さんと正常なコミュニケーションを持つことは至難の業な ので、こういう機会が訪れたことはほとんど奇跡に近いことだと思う。
それは良いことだけど、同時に串刺し釜茹で踏み潰しに値する正視に堪え ないオジサンの生態を直視することにもなったので、あのまま脳を歪めて引き 籠ってた方が平和だったかも知れないと思ってみたり、そもそもオジサンとい うのは正視に堪えない動物だから、皆(ただし私を除く)頭から袋でも被って 気配を殺して生きてればいいんだよう!と一人息巻いてみたりと、フクザツな 心境の今日このごろなのである。
2008年8月8日(金)
<<やる気起こらず>>
研究日。オジサンの祟り胃はすこしずつ快方に向い、ブラック珈琲はまだ駄目
だけど、自販機のミルクたっぷりのアイスカフェオーレを2杯飲み、2杯目を
飲んだ後すこし腹痛がしただけで済んだ。
午後は京大数理研図書室へ。今日も京大はオープンキャンパスをやってい た。高校生とその親たちでごった返す生協食堂で昼食をすませ、ルネから出た ところで、京大で教授をしている友人に会った。特に親しかったというわけで もないのだが、中学の後輩で大学時代もずっと同じだったこともあり、大学近 辺や学会会場などで会えば必ず、学生時代と変わらない屈託のない笑顔で挨拶 してくれる。まあ、それだけの事なのだが、ひねくれ者人生を半世紀近く送っ ていると、こういう友人の存在の有り難さがしみじみとわかってくるものだ。
(それにしても、私は例の悪太郎サングラスと黒い日傘で変装し、気配を 殺して歩いてた積もりなのに、何で彼はすぐに私と分ったのだろう?日傘とサ ングラスでは十分怪しいので、かえって目だってしまったのか?)
今日も少し早めに京大を切り上げて、烏丸四条や河原町三条で少し買い物。 夜はまた少し数学。うーむ、わからん。そういえば去年の夏休みも、同じテー マを扱った似たような論文を眺めて「うーむ、わからん」と唸っていたことを 思い出してしまった。何だかあまり進歩してないみたいで、ちょっと焦ってしまう。
本当はアメリカとEU数学会から依頼された論文レビューの仕事が山のよう に放置されているし、2年前から放置してある論文を手直ししないといけない し、フランス語の復習もしなくてはいけないのだが、何にもやる気が起こらず、 よくわからない論文を眺めて愚図愚図愚図愚図している間に夏休みが終ってし まいそうである。
2008年8月7日(木)
<<ほうほうのていで逃げる>>
オジサンの祟りか、まだ胃は本調子ではなく、珈琲抜きの研究日。カフェイン
抜きで生きていけるのかしらとの不安を抱きつつ、昼からは京大数理研図書室
へ。京大はオープンキャンパスをやっているらしく、東大路や百万遍の辺り、
そして京大ルネの食堂などは、高校生やその親みたいなので溢れ返っていた。
今日は「懸案の疑問の最後の1割」に臨む。昨日までで外堀は埋まったの で、今日中に何とかなるだろうと思っていたが、結局、夕方の少し早い時刻に 解決。分ってしまえば、何だこんなことだったのかと、結構あっけない。それ でもちょっと嬉しくなって、早めに京大を切り上げてJEUGIA三条本店でCD 漁 り。
JEUGIA三条本店、今日のお目当ては、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのた
めのパルティータ第3番」。
この曲はバッハ自身がリュート用に編曲したものがクラシックギター曲と してよく演奏されており、初めて聴いたのは、たぶん小学生ぐらいの頃にちょっ と見ていたNHKギター教室のテーマ曲か何か。その次に聴いたのが福田進一さ んのこのCDで。 最近、ヴァイオリンの堀米ゆず子さんのコンサートのアンコールか何かでガボッ トの部分を聴いて、ああ、これヴァイオリンの曲だったんだと初めて 気づいた。
このCDはずいぶん前に買って、最近ずっと聴いてなかった。しかし、昨日 までの地獄のオジサン責めの3日間の何時だったか、「速攻10分!何食べて たかわかんないよう!昼食」からほうほうのていで逃げ出してきて、研究室で 一息ついた時に、何となく懐かしくなって久しぶりに聴いてみた。そしたら、 嗚呼、しみじみと良いなあと、結構気分が楽になって、それで原曲の「無伴奏 ヴァイオリンのためのパルティータ」も聴いてみようかと思った次第。 しかし、JEUGIAでいくつか試聴してみたけど、この曲はリュート版の方がいいなと いうのが今日の結論で、何も買わず。
このCDにはそれ以外に、「無伴奏チェロ組曲第5番」や「無伴奏ヴァイオリン
のためのパルティータ第2番」のリュート版も入っている。無伴奏チェロ組曲も、
やっぱりリュート版の方がいい感じだと思うけど。
2008年8月6日(水)
<<歓びの踊りを踊る>>
売れっ子の私は今日も朝から某会議に引っ張り出される。3日連続のオジサン
責めともなると、もう心ここに在らずで夢は枯野をかけ廻り、私の資料が議題
になっている時も始終目を剥いて無言。何だよ。皆さん、このオレさまに発言
を求めてるのかい?んなカタイこと言うなよ。どうせテキトーに書いた資料な
んだから、皆さんでテキトーに読んどいておくれ。ああ、それにしても早く本
当の夏休みにならないかなあ。夏だ!猫だ!太陽だ!そしてオジサン抜きのニッ
ポンの夏だぜい、と。
ところが会議は午前中で終らず、昼食後すぐに続きをやりましょうという ことで、また昨日と同じ綺麗なレストランでオジサン押し競饅頭をするはめに。 サラダ、スープ、パン、メインディッシュ、デザート、珈琲を速攻10分でやっつけ、 一目散に退散。研究室で息を吹き返し、さて私は一体何を食べてきたのかとゆっ くり思い出し、そういえばメインディッシュのハンバーグは美味かった「よう な気がする」と牛の反芻胃の脳内シミュレーションをするのも悲しきかな。
それでもやっぱり、目を剥いて他所事を考えているうちに、会議は午後早々 に終った。あと8月下旬まで会議はなし(のはず)。♪オジサン抜きのな・つ・ や・す・み!で、ぱんっ!と手を打ち、もう一度♪オジサン抜きのな・つ・や・す・ み!で、くるりと一回転。やれ嬉しや嬉しと歓びの踊りを踊って喜んでいたのだが、 馴れないオジサン飯速攻ダッシュを2日連続でやったのがいけなかったのか、 胃の調子が悪くなってきた。ナポレオンのように胃をさすりながら、本当に久 しぶりに研究室で研究をし、夕方家路につく。
夜も少し数学。懸案の疑問が9割程度解けたので、そろそろノートに纏め 始める。
2008年8月5日(火)
<<売れっ子の夏休み>>
昨夜は早く寝て睡眠時間はたっぷり取ったものの、一昨日3時間余しか寝てな
いことを思うと、もう2時間ぐらい寝ていたいところ。しかしそうも言ってら
れず、本日朝から出勤。いつの間に私はこんなに売れっ子になっちまったのか
知らないけど、今日は昨日とは別の委員会で夕方まで、狭い会議室のよどんだ
空気をオジサンたちと一緒に呼吸するはめに。まったく、肺が腐るんじゃない
かって思ったね。勿論、内職三昧だとも。大したことは出来なかったけど、色々
詰まらない計算をしては、「あー、やっぱり駄目だ」ってな調子でやってたな。
あー、ちょっとそこの、さっきからおっきな声で司会みたいな事やってるオジ
サンね、ちょっと静かにしてもらえないかなあ、気が散ってロクに数学できな
いじゃないかって。しかも今日は昼食までオジサン達と一緒。キャンパス内に
ある、滅多に行けない綺麗なレストランの小さなテーブルに、オジサン押し競
饅頭みたいにぎちぎちに座らされて、何も考えてないのか何も考えてないフリ
してるだけなのかよく分からないオジサン達に囲まれて、もうパニックよ。そ
んでもって「今日のメインディッシュは鱸のジャガイモ包み蒸しでございます」
とか何とか言われても、何食ってんだか全然わからなかったな。デザートと珈
琲まで含めて速攻15分(うち5分はメインディッシュが来るのが遅い!とい
らいらして待ってた人生で最も不毛で無駄な時間)で平らげて、逃げて帰って
きた。昨日もそうだったけど、本当に散々な一日だったぜ。そりゃあ、倒れて
もタダでは起きないオレさまで自己中でクールな私だから、今日もオジサンた
ちを観察してその不可思議な生態の謎に迫ろうとしたさ。でも駄目だったな。
何かもう、こんなの観察して何になるんだよう!って虚しくなってきて。いく
ら「ある朝目覚めたら売れっ子になっていた」私でも、何でこんな目に会わね
ばならんのか。夏だ!太陽だ!オジサン抜きのパラダイス!それでこそ夏休みっ
てもんじゃあないのかね。え?何だって?オジサン、オジサンってさっきから
散々悪態ついてるけど、そういえばお前は最近、「俺サマは日々進化してるんだぜ。
オジサン全部が駄目とか言ってる時代を超克し、今や『許容範囲にあるオジサン』
という新概念に到達したんだ」って自慢して、具体例をいくつか挙げてたじゃない
かって?勘違いしてもらっちゃあ困るな。「許容できる」ってのは
「1メートル以上離れてるなら5分ぐらいは苦痛を感じずにいられる」って意味だ
ぜ。人類はオジサンとオジサン予備軍と女と私の4種類に分類できて、女は色々
だから個別に判断、オジサン予備軍はビミョー、オジサンは原則ペケ、
私は鏡に映ってない限りはオッケー!という基本は変わってないんよ。
2008年8月4日(月)
<<オジサンたちを観察する>>
昨日の夕食時に飲んだ珈琲のためか、今朝は5時過ぎに目が覚めてしまい、その
まま眠れず。何となく朝まで布団の中で数学を考える。懸案の問題が少し進展した。
しかし睡眠時間3時間余でふらふらと出勤。本日、某委員会に引っ張り出され
て、夕方まで会議室に監禁状態。対オジサン被爆時間が許容量を超え、不機嫌
というわけではないけど、テンションが地を這うが如く下がっていることが自
分でもわかる。それやこれやの合間に当面の懸案問題最後の砦に挑戦するも、
やはり埒があかず。
ただ被爆しているだけでは詰まらないので、一部のオジサン達をそれとな く観察していたのだが。彼らはつくづく不思議な動物だと思う。彼らは何も考 えてないのか、それとも何も考えてないフリをしているのか。ここには詳細は 書けないが、もし前者なら、「そうやって何も考えないでテキトーにやってるか ら何時まで経っても世の中良くならないんだよう!」と水でもぶっかけてやり たくなるような、そしてもし後者なら、「大人の世界ってやーね、わけわかん ない!」と言いたくなるような現象が観察された。
帰りの電車の中でも職場の同僚とおぼしきオジサン二人組がお喋りしてい た。オジサン二人組がスタバでお喋りの図は珍しいが、オジサン二人が勤め帰 りの電車の中で世間話という図はよく見かける。聞いていても、そんな話して 貴方たちは一体何が面白いのか?電車の窓から空でも眺めてた方がよっぽど気 が利いてるんじゃないかって言いたくなるような話をしていた。やはりオジサン の世界ってえのは碌なものではないな。
2008年8月3日(日)
<<とりとめもないお喋り>>
明け方、布団の中で夢うつつである教科書の演習問題を解き、先日来の疑問の
一部を解決。さらに残りの部分もと色々考えているうちに、結局また眠ってし
まった。
本日野暮用の日曜日。午前は自宅で、午後は京都市内某所で野暮用。野暮 用の合間に何となく数学を考えていたのだが、埒があかず。その後、京都駅南 アバンティーのブックセンターや文房具店、サンリオショップなどを偵察し た後、夕食も適当にそこで済ませ、20時過ぎに帰宅。夜も何となく考え続け るも、もひとつしっくり来る結果には至らず。
夕食を摂ったレストランでは、割合年配の女友達とおぼしき二人組が、何 組か来ていた。これは珍しいことでも何でもない。しかし、こういうところに 仕事関係以外で男の二人組が食事にくることは稀ではないかと思う。それ以外 にも、スタバで女友達二人組はいくらでも見つけることができるが、男友達二 人組は滅多に居ない。男達は多分バーか飲み屋に吹き溜まってるのだろうと思 う。
また、気の合う若い女友達が休暇を利用して二人で温泉に泊まりに行くこ とは珍しくも何ともない。少し年配になってくると二人では気詰まりだからと、 三人以上になることもあると思う。しかし、若い男同士が休暇に二人して温泉 に泊まりに行くという話はあまり聞かない(おじさん達が連れ立って温泉に泊 まりに行くという話は、あったとしても聞きたくもない)。
この違いは一体何なのかは以前から疑問に思っているのだが、はっきりし たことはわからない。しかし、男は「とりとめもないお喋り」をすることが少 なく、アルコールでも入らない限り間が持たないのだろうとも思う。
女達の「とりとめもないお喋り」を聞いていると、どうも身の上話が多い ようで、若い女は恋や職場の人間関係、年配の女は職場や自分の家族の話をし ているようだ。私の父は懇意な友人となら「とりとめもないお喋り」をアルコー ル抜きで何時間でもできる人だったが、そういうことをする男は割合珍しいよ うに思う。しかし私は父に似ず、人前で身の上話は決してと言ってもよいぐら いしないし、オジサンの身の上話に興味は無いし、自分が興味を持っているこ とについて他のオジサンと話したいという欲望も希薄なので、結局オジサンとの 会話は「業務連絡」以外のものは滅多に成立しない。
2008年8月2日(土)
<<抹茶ソフトアイス>>
研究日。まずは眠い眠い病の治療のため、ゆっくり起きる。久しぶりに8時間
ぐらい寝た。それから自宅や山科駅前Sbuxなどで数学。先日来わからない、例
の問題に取り組む。一日粘ってようやく方向が見えてきたような気がするけど、
単に気がするだけなのかも知れない。
山科駅前Sbuxからの帰り、「抹茶ソフトアイス」なる抹茶ソフトクリーム もどきを食べたが、やはり妥協すべきではなかったと思う。山科駅近辺で抹茶 ソフトクリームが食べられるところは少ない。京都駅に辻利の出店があって、 そこの抹茶ソフトクリームが私のお気に入りである。抹茶ソフトを食べるため だけに京都駅に出向くのも悪くない。実はそろそろ鰻重を食べるためだけに津に 帰りたいと思っているのだが。
夜は久しぶりにスポーツクラブ。体調維持のために嫌々通っているスポー ツクラブだが、9月一杯は改装のため休館になるらしい。手を叩いて喜んでよ いやら、迷うところ。
2008年8月1日(金)
<<分からない>>
研究日。先日来、ある基本的と思われることが分からない。いとも当たり前の
ようにさらりと説明してある、教科書のその部分を何度読んでもよくわからず、
EAGをひっくり返しても駄目。それでGrothendieckのTohoku論文に手を出して、
関係のありそうな部分だけちょっと見てみたのだが、どうも埒があかない。今
日の午後は関西日仏学館の図書室に行って、夕方遅くまでTohoku論文に読み耽
っていたけれど、フランス語が少し上達したかなという以外、これといった
収穫もなし。
これはぶ厚い馬鹿の壁が邪魔して、理解を阻んでいるに違いない。教師が 基本概念を手を変え品を変え何度説明しても、頑として分ろうとしない学生の 頭の中も、今の私と同じ状態なのだろうと思った。こんな事を思うのは、昨日 は学生の教育がどうのこうのという会議に引っ張り出されたからだろう。兎に 角、分からない時は何をしても分からないものだ。
夜はもう読む物が無くなったので、只々考えることにした。最近また眠い眠い 病が始まったので、考えているうちに気を失うかもしれない。