の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2008年8月30日(土)
<<未来を手に入れる>>
昨日はオジサンたちが形成する複雑系の大海原に泡のように飲み込まれ、
まんまと「はめられた」私は、今朝も吐気に苦しむ。やはり「毒抜き」は一晩
では済まないのだ。ラクト山科、山科駅前Sbux、京都駅前アバンティーなどを
彷徨いながら、体じゅうに回る毒を振り払うかのように数学。
頭の中が「はめられた、はめられた、はめられた、、、、クソー!」と
暴走して、あんまり数学に身が入らなかったけど。
夜はスポーツクラブでへとへとになる。 ラクト・スポーツクラブはリフォームのため明後日から一ヶ月間休館にな るので、9月中に2,3回ビジターで利用できるスポーツクラブを捜そうかし ら。南草津駅前にもあるけど、仕事以外で大学の近くに近寄りたくない。
さて、ザビーネ・マイヤー率いるトリオ・ジ・クラローネらのクラリネットと
ピエール・シャリアルのバレル・オルガンで、第一次世界大戦後の異様な活気
に満ちた時代を中心に27曲(たとえば少し前までテレビやラジオでもよ
く流れていた L. アンダーソンの"The Typewriter"や"The Syncopated Clock"
なども入っている)を一気にぶちかます、玩具箱をひっくり返したような楽し
さ溢れるCD 「パリのメカニック」を購入したのは、学科長になったばかりの
2006年4月15日のようである。
このCDについて、当時の日誌には「人格が歪んでいる私は、楽しいものは 嫌いである」とばっさり切り捨てつつも、「楽しいものを楽しいと認められな い私に、未来などあろうものか」と喝破し、未来が欲しければ、「パリのメカ ニック」で根性を叩き直すべきだ、などと元気な事を書いている。
「脳が歪む」以前は「人格が歪ん」でいたんだったっけ?と、我がことな がらちょっとした発見だが、脳が歪んだ今は、楽しいものはしみじみと心に沁 みる。脳は歪んだけれど、その代わりに私は未来を手に入れたのかしら。
ところでこのジャケットの絵は、エッフェル塔の足の部分を表してるのだ ろうけど、私はシカゴの高架線の柱を思い出してしまう。まだアメリカ嫌いに なってなかった20年以上昔の話だから、今はどうなってるのか知らないけど、 以前NHKでやってたドラマERでは、昔見たような高架線がちょっとだけ出てた な。
シカゴの高架線下にあったステーキのファーストフード風のチェーン店に
入ったのだが、レジでプレートに乗った料理の支払いを終える頃に猛烈に尿意
を催し、レジの黒人の兄ちゃんに、「俺は今からトイレに行ってすぐに戻るか
ら、それまで俺の料理を見張っておいてくれないか」とまくしたて、プレート
を兄ちゃんに押し付けてトイレにダッシュした。料理を自分の席に置いてトイ
レに行けば良いのだけど、不在の間に誰かがステーキを横取りするかも知れな
いし、もしかしたら毒を盛るかも知れないと真剣に心配したのだ。レジの兄ちゃ
んの「はあ?」という呆れ顔が今でも忘れられない。あー、つまんない事を思
い出してしまったぜ。
2008年8月29日(金)
<<ヤキが回ったか?>>
昼頃に出勤し、生協コンビニ・サンドイッチで研究室こそこそ昼食。13時から16
時過ぎまで教室会議。会議の間じゅう、例の「喉に刺さった小骨のような問題」
を何となく考えていたのだが、解決できず。
また、今日の教室会議ではオジサンたちの正視に堪えないバトルを予想して 怯えていたのだが、これは全くの見当外れだった。 迂闊にも私は、オジサンたちも複雑系の一部であることを忘れていた。 結果的に複雑系の皆様に私が「はめられた」形となり、日頃の修行の甘さを痛感し つつ、やはりこの学科は私が学科長やってる時にきちんと潰しておくべきだったと 深く深く後悔する。
こうなった日には、複雑系の皆様に私を「はめた」ことを深く後悔して頂 くべく一計を案じたいところだが、そもそも複雑系に「後悔」という概念があ るのかどうか極めて疑わしい。 複雑系恐るべし! また修行直して出直 します、と。
さて、ディータ・クレッカーのCD「20世紀のクラリネット」を買ったのは、
2006年9月28日のようである。その頃の私の日誌では、「人生いい具合
に負けが込んできて、 やっぱり世の中甘くないよなとか思いながら、人知れ
ず歯を食いしばって生きている者の心にしみじみと響くのである」と評して
いる。「世の中」の部分を「複雑系の皆様」に置き換えれば、まさに今日とい
う日に相応しい1枚ではないか。潰せ、潰せ、潰せ、潰せ、ブツブツブツブツブ
ツ、、、、と念仏を唱えながら、しみじみと聴き入る。
しかし、現代モノを聴いてじんと来るのは危険な兆候かもしれない。それ は、若い時にはジャズやロックに夢中になってたけど中高年になったら「やっ ぱり演歌こそが日本の心だよ」とか言い出した、少し前までのオジサン達にも 似ている。最近のオジサン達は少し様子が違うそうで、中高年になってからエ レキギター買ってバンド組んで喜んでたりするそうだが、昔の自分に戻りたが るという意味では同じだろうと思う。
若い時はヘンデルだモーツァルトだと言ってたのに、オジサンになったら 「やっぱり現代モノ、特に20世紀のはいいね。自分の子供の頃の世界の雰囲 気を彷彿とさせるし。人生、泣きが入ってくるトシになると、こういうのが心 に沁みるんだよね」みたいな事を言い出したら、十分ヤキが回っている証拠と 考えてよかろう。
何故そうなるかというと、ハイドンとかベートーヴェンとか聴いてもちっ とも古臭さを感じないけど、20世紀の現代音楽の多くはかなり時代性をしょっ てる感じがあって、21世紀の今から思うとちょっと古臭く感じたりするから だ。時代性をしょった音楽がいいのかどうかは別として、そのノスタルジーみ たいな部分がたまらないのよね。おっと、いかん、いかん。私もかなりヤキが 回ってきてるな。
それにしても、このジャケットはどうよ。マンゴとバナナとキウイを侍ら
せて楽しく豪遊中のスイカに、突然、子供達がスイカ割りの一撃を加えた瞬間
みたいな絵ではないか。脳天をかち割られ、薄れゆく意識の中でスイカが見た
世界って、きっとこんな感じなのだ。合掌。
2008年8月28日(木)
<<明日のためのとっておく>>
午前中は自宅で野暮用。午後は京大数理研図書室や京大生協食堂の片隅で数学。
喉に刺さった小骨のような小さな問題を解くべく、関連事項を復習したりしな
がら考えるも、ふとしたはずみで別の小さな問題が解けただ以外は、特に進展
はなし。
さて、今日はディータ・クレッカーのもう一枚のCDをと思ったが、それは明日
のためにとっておくことにした。明日は久しぶりの教室会議で、オジサンたち
の正視に堪えないバトルが再開されるかも知れない。そうなったら明日の晩は、
「串刺し釜湯で踏み潰し、串刺し釜茹で踏み潰し、、、」と念仏を唱えながら、
クレッカーの泣きの入ったクラリネットに聴き入ることになるだろう。
ハインツ・ホリガーの「無伴奏オーボエのための12の幻想曲(原曲:フルー トのための)」(テレマン)を購入したのは、記録によれば2006年4月2 2日のようである。当時の日誌には、オーボエはオーケストラの音の洪水の中 でひときわ目立つ「賢そうな少年の歌声」のような音色を聴くのが良いのであっ て、引き立て役が居ないソロは何となく物足りないなどと書いており、このCD は2,3回聴いただけで放り出したようである。 今、改めて聴き直してみると、まあ、 草笛を聴いてるみたいで悪くないと思うが、やはり長く聴いていると少し飽き てくる。
ところでクラリネットでソロの曲といえば、ストラヴィンスキーの「3つ の小品」とか現代音楽モノのCDはちらほら見掛けるけど、古い曲はあまり無い ようだ。以前、ゲーテ・クラリネット奏者氏に、「こんなのばかり聴いてると 頭がおかしくなりますから、注意してください」と、 ポール・メイエの現代 音楽のソロのCDを貸していただいた。 しかし、ジャケットの 写真 は素晴らしく面白いけど、音楽の方は頭がおかしくなる前に聴く気 が失せてしまった。でも、その後、学科長で頭がおかしくなりました が。。。人間、頭がおかしくなる機会はいくらでもあるのだから、何もわざわざ 音楽で頭をおかしくする必要はないのである。
クラリネットのコンサートの最後に、アンコールなどでソロ演奏が行われ
ることもあるが、多くは現代モノで、その高度に技巧的な曲づくりが腕自慢の
演奏者にとっては興味をそそられるのかもしれないけど、私としてはいまひと
つしっくりこない。しかし先日聴きに行ったコンサートは少し違っていた。ピ
アノ伴奏がちぐはぐで演奏者が本調子を出せず、かなりがっかりしてたのだが、
最後に伴奏無しで短いソロ演奏を1曲だけ、しかも現代モノでない曲を吹いて
いて、それがとても素晴らしかった。
2008年8月27日(水)
<<イントロ当てクイズ>>
何もない日は研究日なのだが、今日の午後は京都市内某所で一般向けの民法の
講演を聞く。「Xは、見知らぬ子供Aが川で溺れそうになっているのを見つけ、
着衣のまま飛び込んで救出し、病院に連れて行って医師に処置をしてもらった。
幸い子供Aは一命を取り留めた。しかし、Xは衣服が台無しになり、風邪を引き、
会社も休むこととなった。では、XはAの親であるYに対して、1.医療費、2.
衣服の代金、3.風邪の治療費と療養中の休業補償、4.適当な謝礼、を要求
できるか?」という事例が扱われていた。
民法はなかなかよろしい。第一、メタファーに溢れている。例えば、「高 山は、数理科学科が潰れ掛けているのを見つけ、あまり気が進まないけど諸般 の事情により教室会議などでテキトーな発言を垂れ流す事態に陥った。高山の いい加減な提言とは無関係に数理科学科は一命を取り留めたが、気の進まない 教室会議での発言行為により高山は精神状態が台無しになり、脳を歪めて大学 を休むこととなった。では、高山は数理科学科の構成員である複雑系の皆様に 対し、今後、二度と学科長をやらなくても良いという特別配慮を要求できる か?」とか。
講演の後は、某Sbuxにて数学。引き続き第二段階の検討を進める。
さて、ベートーヴェンの作品の編曲集"Kontrafacturen für Klarinette"
を買ったのは2007年1月6日のようだ。ここでいうKontrafacturenとは、
例えば「月光ソナタ」や「アデライーデ」などのオリジナルの曲を大きく作り
変えて、別の曲に仕立て上げたものを指すようだ。このCDはその当時は有名だっ
た何人かの作曲家の手によるKontrafacturenを集めたもので、ディータ・クレッ
カーの寂しげなクラリネットの音が心に沁みる1枚である。昨日紹介したハイ
ドンのCDと同じく、プラハ室内楽オーケストラとの共演だが、このオーケスト
ラもなかなかいい感じ。
ところで、上記の講演会場では、会場外で常時流れているクラシック音楽 の有線放送BGMが、小さな音ではあるけど気になってしょうがなかった。お おっ!?この曲知ってるぞ。誰の曲だったっけな、えーと、えーと。あ、これ はスカルラッティーだ!みたいな感じ。クラシック音楽イントロ当てクイズに 夢中になってしまい、講師の話を半分ぐらいしか聞いてなかった時もあったな。 こういう時、子供の頃は「高山君、ちゃんと話を聞いてなさい!」って 叱ってもらえたけど、オジサンは人間の屑だから叱ってもしょうがないと 思われているためか、お咎めなし。
それはともかく、よく音楽オタクみたいな人で
、モーツァルトの曲のケッヘル番号を全部答
えられる人が居たりするらしいけど、私はそういうの全然駄目。大体クラシッ
ク音楽の曲名って、「ピアノ協奏曲第○番×長調」みたいなのばかりで、「悲し
みの果てに重大な決意をもって複雑系の混沌の渦に目鼻を穿つ時の歌」みたいな、
覚えや
すい名前はほとんど無いし。だから、「このコブシのきかせ方はモーツアルト
かな」って調子で、作曲者を当てるのが精一杯。
2008年8月26日(火)
<<さめざめと涙を流す>>
昨日の出勤日の関係で睡眠不足だったためか、今朝は昼前まで寝ていた。週末
からの東京出張の宿を予約したりしてから、午後は京大数理研図書室や北部生
協食堂の片隅で数学。第一段階の最終懸案の解をノートの纏め、第二段階の検
討を少し。
夜は一乗寺のアフリカ料理店Cafe Le Baobabでクスクス料理やアフリカ・ ビールなど。関西日仏学館のパリ祭のクジで、この店の1割引券が当ったし、 以前から「クスクス」には興味があったから。関西日仏の先生によれば、クス クスはアフリカ料理だけど、アフリカに沢山の植民地を持っていたフランスで は、日本のラーメン並みにポピュラーなんだそうだ。そういえば、フランスの 大学院に留学していた知人(の夫)は、パリ時代を懐かしんで時々自宅でクス クスを作って食べるのだと言っていた。何だか稗(ひえ)か粟(あわ)を食べ てるような感じだが、ぼそぼそした食感がいい。baobab はアフリカなどに 生えている巨大な幹を持った樹木の名前だとか。
さて、ディータ・クレッカーとヴァルデマール・ヴァンデルがプラハ室内楽オー
ケストラと共演している「ハイドン:クラリネット協奏曲」のCDを何時手に入
れたのかは、はっきりとした記録は残っていない。しかし2007年の1月頃
には既に、さめざめと涙を流しながら聴いていたようである。
なぜ「さめざめと涙を流していた」のかというと、おそらくは学科長ぶち キレの日々が最高潮に達し、嗚呼、大学はこんなに醜い出来事で溢れ返ってい るのに、この音楽はかくも楽しく美しいではないかと感動していたのであろう。
ジャケットの絵もいいですね。「エジソンさんは、閃きました!」って感
じで電灯を発明した瞬間を表してるみたいで。え?その想像はようわからんっ
て?大体、昨日のマグロも全然わからんだぞ!ってか?
2008年8月25日(月)
<<マグロと出くわす>>
明け方、またも電撃的天啓によって、ちょっとした謎が解ける。しかし今日は
夜更し型の研究日の日々から一転して、8時起床10時出勤で終日オジサンた
ちと某会議。ただその場に居りゃあいいんでしょって感じで、ヤル気無しなん
だけど、眠いはむさ苦しいはで、へとへとになって帰宅。こういう時は数学を
する気にはなれず、通勤時間など空いた時間には、久しぶりに独仏・仏和辞典
を片手にL'etrangerの2度目の続きを読む。
さて、ロッシーニからガーシュウィンまで、近現代オペラのアリアを集めたリ
チャード・ストルツマンの「Aira」を買ったのは、学科長になってまだ間もな
い2006年4月22日。
この頃の私の日誌を読み返すと、 現在は「複雑系の皆様」で十把一絡げにしている同僚達の事を、当時は「A堀 先生」だの「O坂先生」だの「Ar親分」だのと個人識別子で書き分けており、 さらには、こちらから出向いて行って彼らと密談もし、新任教員の歓迎会など にも出席している。
私にもこんな時代があったのだと、今となっては懐かしい。しかし文面に ほとばしる異様なテンションの高さを鑑みるに、「これじゃあ、後に『壊れる』 ことになるのも無理ないな」と暗い気分になる。ま、いいか。済んだことだし。
そういえば、N響の横川晴児さんは、ストルツマンの音楽は嫌いだと言って た。クラリネットの音はすっと出すものであって、妙に音を揺らすのはよろし くないとのこと。確かにストルツマンのビブラートは気にし始めると気になっ てしょうがない。しかし、 フィンツィの「5つのパガテル」 の時はこのビブラートがぐっと来るの だ。
それにしても、このジャケットの写真、「海の中でマグロと出くわして、
お互いにびっくりしている瞬間」を想像をしてしまうんだけど。。。
いえ、『壊れる』前から、そう思ってたのです。
2008年8月24日(日)
<<オッサンの会話>>
明日は出勤してオジサン達と押し競饅頭するのかと思うと、今日は少しのんび
り過ごしたくなった。今日も一応研究日で、第一段階最後の懸案については、
常時何となく考えている状態だったが、朝はゆっくり起きて、昼間は山科区内
で野暮用、夕方は五条大橋近辺から主に高瀬川沿いに三条まで北上するコース
で散歩してみたり。散歩が終る頃には、懸案は大体解決したように思われた
(だけかも知れないが)。
さて、ミシェル・ベロフとジャン=フィリップ・コラールの「小組曲」(ド
ビュッシー)の他のCDを買ったのは、昨日紹介したホリガー木管アンサンブルのCDを
買った丁度一週間前の2006年7月1日で、憑き物に憑かれたかのように快
調にCDを買いまくってたようだ。ゲーテ謎の広告代理店社員氏に、いっそのこ
とJEUGIAで「この棚のここからここまでのCD全部ちょうだい!」って感じでセ
レブ買いでもすればどうかと冷やかされたのも、この頃だったと思う。
このCDは、某コンサートで「小組曲」を初めて聴いていたく気に入り、そ のままJEUGIA三条本店に突撃して購入した。何故か音量がやけに小さいところ が気にいらないのだが、ドビュッシーの四手ピアノ曲集って感じのものはこの CD以外にはあまり見当たらない。
ところで、ジャケットの写真下がたぶんベロフで、ピアノの貴公子じゃな いけど、フランスのちょっとした美少年風に写っている。へえー、ベロフって 若い人なんだと思ってたら、最近JEUGIAで見つけたベロフの新しいCDのジャケッ トには、竜宮上の玉手箱でも開けてしまったのか、突如として立派なオジサン になってしまった(かのように私には思える)ベロフが写ってた。よく見たら、 この「小組曲」の写真は20数年前に撮影したもののようだ。CD漁りをしてい ると、時々こういう風に2,30年ぐらい一気にタイムスリップすることが あり、歪んだ脳にはちょっとした刺激になって大変よろしい。
似たような事は私の現実にも起こるもので、「僕の母は高校の時、先生と 同じクラスだったそうです」という学生が卒研に入ってきたことがある。私は その人の女子高生時代の面影しか覚えていないのに、目の前に居る「息子」と やらは、私の記憶の中のその人よりもお兄さんなんだから、ちょっとしたコペ ルニクス的大転換を迫られ、脳内小パニック状態に陥ったものである。
高校の同窓会などでその人に会ったら、「へえー、貴女、もうあんなに
おっきな子がおるんか。えらいもんやな。それにしても、貴女、ついこの前
まではよちよち歩きでオシメして、ようびーびー泣きよったもんやから、
しょーのない子やなって僕があやしてやったもんや。その子にもうこんなおっきな
息子がおるんやで、、、って、まあ、僕ら同級生やし、僕が乳幼児時代の貴女を
あやしたってことは無いか。無いよね。ハハハ、また、ええ加減な事言うても
ろた。わしもオッサンなるとずうずうしうなってしもてな、口から出任せで
ええ加減な事ばぁーっか言うて、学生からも『あの先生、あほや!』て
言われてますんねん、ハハハ。まあ、とにか
く、あんなええ息子がおって、貴女、将来楽しみやな」とか何とか、
オッサンの会話をして
しまいそうな自分が恐ろしい。そうなったら、し
ばらく自己嫌悪で立ち上がれなくなることでしょう。
それが理由という
わけでもないけど、高校の同窓会は数年前に一度行ったっきりである。
2008年8月23日(土)
<<森の木陰でどんじゃらホイ>>
古い流行歌で、♪V. A. C. A. T. I. O. N (オジサン抜きの)夏やすーみー
♪というのがあるけど、月曜日にはまた何だかわけのわからない委員会に引っ
張り出されて、オジサン達と押し競饅頭をしなければならないことを思うと、
悲しいのであります。
悲しみを堪えつつ、本日何となく研究日。昼間は自宅や山科駅前Sbuxなど
で、第一段階最後の懸案に勇猛果敢に挑む。ほんの少しだけ進展したような。
夕方からは自宅などで野暮用。夜はスポーツクラブでへとへとになる。
さて、ハインツ・ホリガー率いるホリガー木管アンサンブルの「ヘンデル:
トリオ・ソナタ選集」のCDを買ったのは、2006年7月8日のようである。
学科長になってまだ3ヶ月。これからが大変なのかなとぼんやり思いながらも、
まだ切羽詰っていない暢気な時期だったように思う。
このCD、実は当時はそれほど気に入ってなかったように思う。バロックも陰 鬱な曲から明るい曲までいろいろあるようだけど、この演奏の耐えられない軽 さは一体何なのだ?チェンバロ伴奏のチャラチャラした音は耳障りだし、バズー ンのとぼけた音は癇に障るし、その中でオーボエの音もあんまり「賢そう」に 聴こえないし。まるで、♪森の木陰でどんじゃらホイ、たんたん手拍子足拍子 ♪ってノリではないか、と。
でも今は単純に「いいなあ」と思う。音楽もそうだし、このジャケットの
写真もそう。まあ、室内楽のアンサンブルなんだから当たり前なんだけど、そ
れぞれの専門家達が力を合わせていい雰囲気で仕事をしてるって感じがするじゃ
ないですか。私って四六時中「お前ら、寄って来るな、アホ!」みたいな
オーラーをびんびん発して、協調性は無いし学生には毛嫌いされるタチだから、会社
員時代も大学の先生になってからも、おーっ、今回はいい仕事ができたよな、
同輩!なんてノリでチームで仕事した事って無いのよね。だから、こういう図っ
て、ちょっと憧れたりもするのだ。
2008年8月22日(金)
<<几帳面は駄目>>
昨日より少し蒸し暑いが、やはり京都は秋の気配。今日も昼間は京大数理研図
書室や関西日仏学館図書室で数学。第一段階の詰めと第二段階への作戦を練る
も、最後に第一段階で大きな謎があることが判明。夜もその謎を色々考えてみ
たけれど、何だかよくわからない。
京大・関西日仏の帰りに、久しぶりにゲーテに立ち寄ってみたが、いつの 間にか営業時間が17時までと短縮され、閉まっていた。しかも図書室は8月 一杯休館とか。うーむ、ある種のデフレス・パイラルに陥っているとしか思え ないな。
さて、アルフレド・ブレンデルのピアノ・ソナタ「パストラル」他(ベートー
ヴェン)のこのCDを買ったのは、2006年9月28日のようである。この頃
はまだ学科長の任期の半ばで、数理科学科同僚諸君を「手に負えない複雑系」
と捉える思想にはまだ到達しておらず、「教室会議でゴタゴタ勝手な事ばかり
言ってる奴はシベリヤ送りにしてやりたいものだ」などと元気な事を言ってた
ようだ。当時このCDもよく聴いていたようである。ブレンデルの几帳面で正確
無比な音でベートーヴェンのソナタを聴くのって、荒れてはいるけど、まだま
だ元気な心にはよく効くのよねー。
ところで先日から毎日のようにCDのジャケットの絵を載せて、しかもCDと はあまり関係ないテキトーなことばかり書いているのは、また新しい芸風でも 確立しようと企んでるのかって?いえいえ、そんな大それたことではありませ ん。単に折角の夏休みだから、iPodに入れずに放置されていたCDの中から、良 さそうなのを選んで新しく入れて、9月からの出張の友にしようかしらと作業 しているだけです。
それにしてもジャケットに写ってるブレンデルって、正真正銘のオジサン
ですね。昨日は「白ネコであれ黒ネコであれ、悪いことをするネコは皆オジサ
ンである」と言わんばかりの暴言まで吐いたけど、ブレンデルはどうなんだよ
う?っていう難しい問題がある。ブレンデルは素晴らしいピアニストだけど、
大学の教授会とか学科長会議とか教室会議で一緒になったり、学科長や町内会
長の順番の押し付け合いをしたりする関係にはなりたくないし(ならないよ!
そんなの)、山科駅前Sbuxで隣に座ってアイスコーヒーとか飲みながら唸って
たりしたら(唸ってないよ!そんなところで)、やっぱり逃げるかなとか、
色々考えてみるのだが、どうも考えが纏まらない。オジサン嫌いとブレンデルを
どう整合させるべきか?でも、そんな几帳面な事を
言ってたらオジサン嫌いはやってられないのさ。
2008年8月21日(木)
<<悪いオジサン>>
今日の京都は秋が来たかと思わせるほど涼しかった。昨夜から今朝にかけて、
なんとなく懸案が2つほど解けたような気がしたので、午後から夜にかけては、
京大数理研図書室などで分ったことをノートに纏め、ついでに関連する部分を
標準的なテキストで復習。これで第一段階は8割程度片付いた、、、かも。
京大の帰りに通った京都市役所前ゼスト御池は、施設点検整備の日とかで、 全店休業していた。ゼスト御池が出来て10年程になるかと思うが、全店休業 に出くわしたのは初めてだ。さらには地下鉄の改札近くに清涼飲料水の自販機 が新たに設置されていた。緊急災害対応型の機械だそうで、災害時にはお金を 入れなくても飲み物が出てくるのだそうだ。 でも、そんなものを設置しても、災害時にはタダになることをあらかじめ 知っていた誰かが真っ先にやってきて、中身をごっぞり全部持っていってしま うだろうから、結局あまり役に立たないような気がするな。
その「誰か」ってのはどんな人かしらって?そんなこすっからい悪事を働 くのはオジサンに決まっているではないか。たとえ彼または彼女がオジサンで なくても、オジサンの真似をしてこすっからい事をすれば、それはすなわちオ ジサンなのである。と、今日も元気に暴言を言い放つ私であった。
さて、
ウイーン・クラリネッ
ト・コネクションという抜群に上手い強面4人組のデビューCDで、
ジャズ、クラシック、その他色々面白いアイディア満載の
"cafe europa"を
買ったのは、2006年11月2日で、その前日は「研究室の電話線をひっこ
抜いた」記念すべき日のようである。
ヨーロッパの古い町を思わせるこのジャケットの写真も結構いい感じだけ ど、私は何故か昔父親がよく見ていたテレビ・ドラマ「鉄道公安員」を思い出 してしまうのである。私はまだ幼稚園に行くか行かないかの年頃だったので正 確には覚えていないのだが、(旧)国鉄では治安を守るのは警察ではなく鉄道 公安員で、鉄道を利用して逃走を図る犯罪者を公安員が追うという物語だった ように思う。
妙なことには、このドラマの中の犯罪者は公安員に顔を見破られない ようにするために必ずサングラスをしており、それを追う公安員も、いよいよ ホシの間近に近づいてきたときは、ホシに気づかれないようにとしばしばサン グラスをするのである。当時の日本の、あるいは、すくなくとも三重県の状況 からして、サングラスをしているのは悪いオジサン(か、あるいは悪いオジ サンをやっつける月光仮面のようなオジサン)と決まっており、子供心にも 「それではお互いに余計目立ってしまうではないか」と不思議に思ったものである。
私も数年前にサングラスを買ったのだが、できるだけ悪そうなオジサンに
見えるようなやつを選んで「悪太郎サングラス」と名づけた。夏休みは毎日愛
用して、勿論電車にも乗っている。
2008年8月20日(水)
<<顔が決まらない>>
昼間は京都市内某所にて、民法の一般向け入門講演を聞く。キャバレーの
店主Xは従業員たるホステスYと客Aの支払い保障契約を結んだが、後にホステスYは
この契約の無効を裁判所に訴えた。さて判決や如何に?といった話だった。
うーむ、何て生生しい話なんだろう。この例をちょっとひねって、
例えば、大学で教員採用人事を行う際、候補者Aを推薦する学内Y教授は大学
理事長Xと学科長保障契約を結ばされ、もし着任後にA教授が特段に考慮に
値する理由も無く持ち回りで回ってくる学科長職への就任を拒否した場合、
Y教授が代わりに学科長にならなければならないとされた。しかし後にY教授は
その契約無効の訴えを起こしたが、これは認めらるか?
なんて問題におきかえて考えはじめると、また脳内でオジサン、オジサン、
オジサン、、、とオジサン・イナゴの大群が発生してしまいそうだ。
講演は夕方頃に終り、近くのSbuxや路上でしばし数学。例の懸案、まだモ ヤモヤとしてわからず。夜はレビューの仕事をと思ったけど、面倒臭くなって しばらく放っておくことにして、また愚図愚図と数学。やはり分らず。愚図愚 図してるだけで夏が終りそうだ。
さて、日誌によれば、この「キプロスの女王ロザムンデ」(F.シューベルト)の四手
ピアノ版CDを購入したのは2005年9月9日とある。2004年の4月から
8月にかけてドイツに滞在していた時からシューベルトのピアノ曲に夢中にな
り、この頃もまだせっせとシューベルトのCDを買っていたようである。またこ
の頃は既に、翌年度に学科長をやることが決まっており、「学科長見習い」の
仕事(教授会運営委員という名の役職)をしていたようだ。翌年度にどのよう
な不幸な運命が待ち受けているかも知らずに、目をクリクリさせて素直に見習い
仕事をしていた当時の私が健気というか、痛ましい。
シューベルトの「みずみずしい青春の音楽」って感じの曲想が、当時の私 の気分に合っていたのだろう。よくこのCDを聴きながら、周りに誰も居ないこ とを確かめてから(!)一人で踊っていたものだ。私は一応「踊りが嫌い」と いうことになっていて、幼稚園の頃はお遊戯でフォークダンスをさせられるの が苦痛でたまらなかったし、バブル経済の頃はディスコで踊るのが大流行 したけど、頑として踊らなかった。どちらも理由は「どんな顔して踊ればよいのか 分からないから」。しかし今はCDを聴きながら、誰も居ないところで結構踊っ ている。大体、聴いて踊りたくならなければ良い演奏とは言えないのである。 しかし、どんな顔をして踊っているのかは、私も含めて誰も知らない。
それにしても昨日のアルペジオーネ・ソナタもそうだけど、脳が歪んだ今
となっては、なかなかシューベルトを聴いてみようという気になれない。彼の
音楽の素直さが眩し過ぎたり痛ましかったりして、ちょっと今の気分には合わ
ないのだ。30歳そこそこで亡くなったシューベルトがもうちょっと長生きし
て、大学の先生にでもなって学科長やって脳を歪めたら、どんな曲を書いて
たかしら。
2008年8月19日(火)
<<前世の事のよう>>
引き続き幸福な研究日。午前中は来月末の出張計画を立て、
昼は京大数理研図書室。懸案の解明プロジェクトは、
着実な前進を見せつつもまだ五里霧中といったところ。
京大の帰り道、ふとした出来心で普段は横を通り過ぎるだけの百万遍の知 恩寺の境内に入ってみた。やあ大きな寺だなあ、境内に入るのは30年ぶりか なあとか何とか思いながらうろうろしていたら、いつの間にかあちこちの門が 閉まって、出られなくなった。今夜はこの寺の床下で明かすことになるのかし らと一瞬焦ったが、さらにうろうろしているうちに何だかよく分からないとこ ろからぽこっと外界に出ることができた。
夜はまたヨーロッパ数学会から依頼された論文レビューの仕事をひとつ片 付ける。あと1件を残すのみだが、やけに長い論文なので読むのが面倒そう。
Tatjana VassilievaのチェロとPascal Godartのピアノで、アルペジオーネ・
ソナタ(F.シューベルト)やイタリア組曲(ストラヴィンスキー)などが入っ
たこのCDは、2006年1月21日に買ったようである。ちょうどゲーテ・ク
ラリネット奏者氏に私淑して音楽修行を始めたばかりの頃で、氏にミッシャ・
マイスキーやロストロボーヴィチなどのアルペジオーネ・ソナタのCDも貸して
いただき、聴き比べをしてみて、演奏者によってこんなに違うものかと驚いた
覚えがある。学科長をやる前の年度のことだから、まだオジサン嫌いではなかったし、
心の病にも罹っていなかったし、全世界を敵に回して戦争をしたりもしてなかっ
たから、何だか前世の事のようである。
そういえば、今でこそこの日誌は、数学やりました、脳が歪んでます、オ ジサン嫌いですの三題噺の果てしない繰り返しになっているけど、この「芸風」 を確立する前は、もっと同僚や学生の悪口を書きまくってたように思う。私に 言わせれば「悪口は愛!」なのだが、愛があれば何でも許されるというわけに も行かず、結局色々面倒臭いので他人のことは書かないことにした。それで、 しょうがないから自分の事でも書いてようということになったのである。
自分の事しか書かなくなった頃から、周りの人間に対する興味が希薄になり、 特に気に入っている友人知人の類は別として、人々とのコミュニケーションは単 に煩わしいだけだからやめてしまおうという風になっていったようだ。これには、 「どうせ日誌に『悪口』書けないんだったら、まじめに相手してもしょうがないや」 という倒錯した思考が強く影響していると思われる。
かくしてオレさまで自己チューでクールな人格は益々昂進し、世界の人々は
「オジサン」と「オジサン予備軍」と「女」と「私」に抽象化され、研究室の電
話線は引き抜かれ、ドアをノックしても応答せず、授業中は愛想が良いのに教室
の外では別人のように無愛想で、同僚との「業務連絡」時間を計測記録し、教室
会議ではキレまくり、カンケーねーだろう!プロジェクトではいい加減な発言を
垂れ流す etc. etc. と、日誌ネタに困ることがないし、自分のことだから幾ら
あることないこと面白ろおかしく書いても誰も怒らないのである。
2008年8月18日(月)
<<トビウオみたいに飛べ>>
今日も幸福な研究日。こんな毎日がずっと続けば良いけれど、良い事には必ず
終りが来るのである。ゲーテの黄金時代だって、1年ほど前のある日、あ
の調子の良い所長が突然教室に乱入してきて「リストラ宣言」を行い、あえなく終
焉を迎えたのだった。あれはほとんどクーデターみたいだったな。
本日例によって昼間は自宅や京大数理研図書室で愚図愚図と「懸案」につ いて思いを巡らし、夜はヨーロッパ数学会から依頼された論文レビューをひと つ片付ける(残るは2件)。懸案の方は大した進展も無いので、事務的作業で 着々と進むレビューの仕事は精神衛生上にも大変よろしい。
さて、このCDは日本人の古楽器アンサンブルとして活躍中のラ・フォンテーヌによる
テレマンの室内楽曲集。私の日誌によれば2006年11月11日に
ザビーネ・マイヤーの
"A Night at the OPERA"と一緒に購入したとある。
昨日紹介した「ロッシーニとスペイン」も、その2日前の11月9日に買っているから、
この頃は憑き物につかれたようにCDを買いまくっていたようだ。
学科長で荒れ狂った心を、テレマンの明るく軽快な音楽で鎮めていたのであろう。
でも今日改めて聴いてみると、何だかちょっと軽すぎるかなって感じが気になる。
そういえば今日京大の帰りに古本屋の店先で、ふと、「ひとづきあいの心 理学」とかいう新書本が目にとまったので、ばーかやろうめが、ざけんじゃねー よ、とか何とか悪態をつきながらぱらぱらと眺めていたら、凄いことが書いて あった。
曰く、相手の話を聞くだけではなく、適当に自分の事も喋らないと駄 目だ、と。相手にしてみれば、さんざんこちらの事を喋らせておいて、自分の 事は全然言わないというのでは、何だかはめられたような気分になる。相手が オープンにした分、自分もオープンにしないと信頼関係は醸成されない、と。 ね?凄いでしょ!?何?ごく当たり前のフツーのことじゃん、だって?
でもねえ、私、相手の話はちゃんと聞くけど自分の事は絶対喋らない人だ から、これはメダカに向かって、お前、羽根生やしてトビウオみたいに飛んで みろって言っているのに近い。メダカにそんな無茶言ってはいけませんよ。
では何故自分の事を喋らないかというと、世の中で私に興味を持つ人間が いるとすれば、それは私を利用しようと企んでいる悪党か、さもなくば人間の 姿に化けたハロー・キティーだけだと本気で信じているからという「ハロー・ キティー命!説」と、オレさまの事はこの日誌に書いてあるから、興味あるな らそれを読め、読まない奴はオレさまには興味が無いんだから、そんな奴には 教えてやるもんか、という「オレさま自己チュー説」の2つがある。さらに最近 は、聞かれてもいないのに自分の事をべらべら喋るのはオジサン臭くて嫌だと いう強い思い込みが邪魔をしているとする「近親憎悪説」が注目されている。
というような調子だから、「ひとづきあいの心理学」も猫に小判となり、
心の病を抱えてCD買いまくりの道を突っ走ることになったのだろうと思う。
2008年8月17日(日)
<<友達を大切に>>
今日は昼前まで寝てしまった。自宅や山科区内で野暮用の後、午後は少し数学。
昨日までに解決した懸案の解をノートに纏め、次の懸案について考える。何度
も読んでいる教科書をもう一度丁寧に読み直したり、色々やってみたが、収穫
無し。夜はヨーロッパ数学会から依頼されていた論文レビューを1件片付ける。
残りあと3件。
この ホアン・エンリク・ルナ
(Joan Enric Lluna) の「ロッシーニとスペイン」というCDは、
学科長たけなわの2006年11月9日に買ったようだ。
学科長時代は、私に心の病と強度のオジサン嫌いをもたらした けれど、全てが暗黒だったわけではない。良い共同研究者といくつかの幸運 に恵まれて研究の方は案外進んだし、私のゲーテ時代の黄金期でもあった。 ゲーテでは、謎の広告代理店社員氏やクラリネット奏者氏に加えて、フルート 奏者氏もクラスメートに加わり、受講生6名程度の御通夜クラスながら結構楽 しくやっていたものだ。
フルート奏者氏に、貴方はどんな作曲家の曲が好きなのかと聞かれ、 しどろもどろながら色々答えた中でロッシーニを挙げたら、「ほう、ロッシー ニとは渋いですね」というような事を言われ、ちょっと嬉しかったことを覚え ている。実はちょうどその頃、たまたま買ったアレッサンドラ・カルボナーレ の 「クラリネット吹きのオペラ(Clarinet Sings Opera)」 が良かったので、 他にもその系統のCDをいくつか集めていたところだったのだ。
日誌を読み返すと、学科長の仕事で荒れすさんだ心を静めるために何度か このCD聴いている形跡があるが、じきに聴かなくなったように思う。久しぶり に聴いてみると、結構いい感じではあるけど、カルボナーレに比べるとやはり ちょっと見劣りする。何というか、聴いていて「うあーっ楽しいなあ」って感 じがいまひとつ弱いのだ。
とはいうものの、やっぱり苦しい時を支えてくれた友は大事にしないとね。
2008年8月16日(土)
<<何故か焦ってしまう>>
毎日が研究日という天国のような日々である。とはいうものの、今日は京大数
理研も関西日仏学館も休みなので、昨日解決した懸案の駄目押しをすべく、自
宅で寝っ転がってEGAを読んでいたら、猛烈な睡魔に襲われ2時間以上昼寝。
夏の疲れが溜まってきたのかしら。懸案の解決についてノートに纏めるのも、
ヨーロッパ数学会から依頼されている論文レビューの仕事をするのも、ぜーん
ぶ明日以降に先延ばしして、夜はスポーツクラブ。筋トレなどをやりながら、
また次の懸案について思いを巡らせていたけれど、名案はなし。
今日は五山送り火だが、夕方少し雷雨があったので、20時の点灯も中止 になるかと思ったが、無事行われたようだ。毎年この日が来ると、ああ、夏も 終わりに向かってるんだなという気になって、、、何故か焦ってしまう。
ブラームスの「ハンガリー舞曲」とか、J.S.バッハの「アリア」「アヴェ・マ
リア」とか、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」とか、ラテン音楽の「ティ
コティコ」とか、「ヴェニスのカーニバル」とか、「ラ・カンパルジータ」と
か、「メキシカンハット・ダンス」のような、どこかで聞き覚えのあるような
短い曲を集めたCDの"Playful Clarinet"は、去年の6月2日に買ったようであ
る。
今日久しぶりに聴いてみると結構楽しいCDなのに、買ってからあまり聴い た覚えがない。その理由はクラリネットを吹いているチェコのリュドミラ・ペ テルコヴァ(Ludmila Peterkova)の音があまり好きになれなかったからだと思 う。これ以外にも、これまでに色々な演奏者のCDを試しに買って聴いてみたけ ど、1,2度聴いてそのままになっているものも多く、そのほとんどは音の好 みが理由である。闇雲に沢山聴いていると、やっぱり自分の好みの音がはっき りしてくるようだ。
では、学科長をやったりして闇雲に沢山のオジサンと接触を持てば、「自
分の好みのオジサン」が分ってきたかというと、そういうことはなく、単にオ
ジサンが嫌いだということがはっきりしただけだったな。