の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2009年1月31日(土)
<<むせ返るような「何か」>>
ドイツ語寺子屋塾の日。午前中にさっとプリントの予習をして自宅を出る。京
大ルネで昼食の後、関西日仏学館の図書室でBoschの代数学の教科書でシロー
の定理の証明を読んでドイツ語のウオーミングアップ。15時過ぎから16時
前まで寺子屋で授業を受ける。今日はドイツと日本の住宅事情など。先週の失
業問題のような身も蓋も無い議論はなく、まあ、当たり障りのない話に終始し
た。
寺子屋のクラスメートの一人は、13時半頃まで京大の近くで別の用事が あり、昼食はその辺りの喫茶店などでとっているという。京大ルネも近いしメ ニューも豊富で大変良いのだが、学生さんで溢れ返っているため、大量の若者 のむせ返るような臭いが辛いから行かなくなったという。赤ちゃんは乳臭い匂い 、幼稚園ぐらいの子供はお菓子の香料の甘ったるい匂いをプンプンさせ ているものだが、若者のむせ返るような匂いというのは初めて聞いた。大学の 教師をしていると、そういうものに鈍感になるのかもしれないけど、オジサン のむせ返るような存在感には敏感になる。お互い”むせ返るような「何か」” に悩まされているのですね、と密かに共感を覚える。
冷たい雨が降っていたけれど、寺子屋の帰りは京都市役所前まで徒歩。J EUGIA三条本店や寺町通りの画廊を偵察したが、特にめぼしいものはなし。 帰宅後は流石に語学の復習などをする気が起きず、群論の講義ノート作りなど。 もう優に70ページを超えている。最終的には100ページぐらいになりそうだ。 こうなるともう、講義ノートなのかレジュメなのか教科書なのか、よくわから なくなってきた。私はグロタンディックやないんやから、そんなにえらい勢いで 何やかや書けまへんがな。適当なところで勘弁しておくんなはれ、と (しかし最近は「勘弁しておくんなはれ」が口癖のようになってきたな)。 しかし今ここで頑張っ て準備をしておくことが、来年度1年分の研究時間の確保に繋がるんだと自ら に言い聞かせる。
2009年1月30日(金)
<<動詞の活用形>>
関西日仏学館の日。ギフト解体品づくしの朝食の後、昨夜にひき続き午前中か
ら夕方の授業の時間までの間、自宅や関西日仏学館の図書室にて宿題やプリン
トの予習、先週の復習などに忙殺される。フランス語は動詞の活用形が複雑で
大変なため、過去に学生時代と会社員時代の2回挫折している。そして3回目
の挫折が目前に迫っているようだ。そんなに色々覚えられまへんがな、勘弁し
ておくんなはれ、と。あと、否定形や代名詞も色々複雑で大変である。あー、頭
がパンクしそう。
後期試験が終ったらしく、今日は京大の学生たちがクラスに戻ってきてい た。かくして今日は私を除いて男5人女5人。やっぱり男が多いと気が休まら ない。せめて男2人女8人ぐらいでないとね。さらに追い討ちをかけるかのよ うに、先生が来週は動詞の未来形活用のテストをするとか言ってたので、ます ます疲れる。雨も降っていたし、京都市役所前まで頭を冷やしながらのぶらぶ ら歩き(&ときどき菊水路上飲酒)は中止して、今日は京大正門前から市バスに 乗って帰宅。やっぱり、語学の授業の後はぶらぶら歩きをしないと気が晴れ ない。
しかし、このストレスは筋の良いものにちがいない。例えば、無理難題海 千山千の学部執行部と数理科学科の複雑系の皆様との板ばさみで脳を歪める学 科長のストレスと比べてみれば、基本動詞の未来系活用が何だって言うんだ! とメラメラと勇気が湧いてくるのだ。
2009年1月29日(木)
<<ギフト解体品セール>>
午前中にすこし群論の講義ノート作成作業をしたあと、自宅にあったバナナを
1本を持ち、大丸ラクト山科店でサンドイッチ買って、昼過ぎ出勤。13時半
から15時半頃まで卒研ゼミ(代数幾何学)。テキストであるマンフォードの
「射影代数幾何学入門」は私にとって大変勉強になる良い本だし、卒研生のS
君は4月から某国立大大学院に進学予定なため、卒業直前までこの本を勉強し
たいそうだから、双方の思惑が一致し2月3月もゼミを続ける予定。今日は、
代数的Sardの定理の証明、非特異点の位相的不分岐性など。
そういえば、仕事で自分の好きなことができるようになってきたのは、つ い最近この半年一年のことだ。今までも概して実力以上に恵まれた職業生活を 送ってきて、折角与えられたチャンスを無駄にするまいと背伸びし続けてきた わけだけど、計算機科学も別に好きで研究したり教えたりしてたわけでもない し、学生との関係が穏やかになってきたのも、ごく最近のことだ。それに、今 の専門は可換環論ってことになっているけど、学生時代から本当にやりたかっ たのは代数幾何学。しかしハーツホーンの代数幾何学の教科書が私には難し過ぎて、 そこに書いてあることがわかるようになってきたのは、これまたつい最近、 この半年一年のことだ。
ゼミの後、採点済の後期試験の答案と成績表を事務に届け、ついでに臨時 郵便ポストのチェックをして帰宅。電車の中では学生時代以来約30年ぶりに シローの定理の証明をすこし眺める。帰り道、大丸ラクト山科店に立ち寄り、 お歳暮ギフト解体品セールで食料品をすこし調達。
夜はまた群論の講義ノート作成作業。有限生成アーベル群の構造定理の証 明部分が凄いことになってきた。学生時代に聞いた講義でも、何だか知らない けど凄い証明だなと思ったが(たぶん当時は理解してなかったと思う)、教え る立場になって眺めても、やはり凄い代物だ。疲れてきたので、フランス語の 勉強に逃避。
2009年1月28日(水)
<<生涯の心の友>>
今日も大丸ラクト山科店で買ったサンドイッチと自宅にあったバナナを1本持っ
て昼頃に出勤。研究室コソコソ昼食の後、13時半から15時過ぎぐらいまで
卒研ゼミ(数理論理学)。ゲーデルの不完全性定理の証明が完了!おめでとう、
これで君もゲーデルを生涯の心の友として生きていけるねと締めくくって、今
年度の卒研終了を高らかに宣言する。
その後、遠い遠い事務室の仮設郵便ポストで郵便物を確認した後、研究室 に戻って後期試験の採点作業。途中、3月に退職する先生の記念講演を覗きに行き、 その足で生協食堂に向かい、夕食。それからまた研究室に戻って、採点作業再開。 成績表の記入や試験講評の執筆も含め全作業が完結、あとは事務に提出するだけ。 一息ついて21時過ぎに大学を後にする。
帰宅後は群論の講義ノート作成作業をすこし。1月中にやっつけてしまおうと 思っていたけど、ちょと無理みたい。
2009年1月27日(火)
<<「高山くん」>>
今日も大丸ラクト山科店で買ったサンドイッチを持って昼頃に出勤。遠い遠い
事務室の仮設郵便ポストで郵便物を確認した後、研究室コソコソ昼食。13時
すぎに学生のひとりが来年度の卒研ゼミのテキストのコピーを受け取りに来る。
13時半から15時半頃まで卒研ゼミ(数理論理学)。ゲーデルの不完全性定
理の証明もいよいよ大詰め。しかし、あと一息のところで明日の臨時ゼミに持
ち越し。
その後、16時より17時半まで教授会。ゼミで分からなかった問題を考 えているうちに睡魔に襲われしばし気を失っていたのだが、物理の猛獣みたい な先生が大声で何か吠え始めたので目を覚ました。研究室に戻ってクリーネの 「超数学入門」をひっくりかえしているうちに、ゼミで解き残した問題が解決。 やれやれと生協食堂で早めの夕食の後、再び研究室に戻り21時前ぐらいまで 後期試験の採点作業。
帰宅後は、”大人にならなくてもわかる”有限生成アーベル群の構造定理の証明 に勇猛果敢に挑戦し、講義ノート書きでもと思ったが、結局、高校の同期生MLで届いたメールに返事を 書いたりしているうちに終る。まあ、高校の同級生だから当たり前なんだけど、 高校時代に一度も話したことのない人でも「高山くん」って呼んでくれる。「高 山先生」でも「高山教授」でも「高山さん」でも「高山様」でも「おい、高 山!」でもなく、「高山くん」ってところが嬉しい。
2009年1月26日(月)
<<大人になればわかる>>
大丸ラクト山科店で買ったサンドイッチを持って昼頃に出勤。研究室こそこそ
昼食の後、院生M君と進路や修士論文の研究テーマなどについて打ち合わせ。
その後、来年度の卒研用のテキストのコピーと仕分け作業など。それから、遠
い遠い事務室に行って郵便物のチェック。ついでに定期試験の答案と採点用の
赤サインペンを何本か受け取って研究室に持ち帰り、採点。夕方には1科目終
了。もう一つは明日以降にやることにしよう。
帰宅後は群論の講義ノートを少し書き進める。有限生成アーベル群の構造 定理の証明って、結構面倒臭いのよね。 教室の0.72%を越える学生に分からせる自信が全然湧いてこない。 いいじゃないの、証明知らなくたって。 広中先生の特異点解消定理なんて、数学者の殆どは証明読まずに使ってるみた いだし、「信じる者こそ救われる」って世界よ。証明を理解した定理じゃなきゃ あ絶対使わないぞ!なんて意地張ってたら早死にしちゃうよ、と自棄を起こ しながらノートの殴り書き。
あとシローの定理なんてのもあるけど、あんな面倒臭そうな証明なんて講 義で喋りたくないなあ。これも教室の0.68%を越える学生に分からせる 自信なんて無いよ、と嘆息。一応レジュメは用意するとしても、講義では定義と 定理と具体例だけ喋って、証明は概要だけにとどめて、「あとは大人になった らわかるようになるよ」と自習にしておくのが無難かも。
私の経験でも、学生時代にはてんで分からなかったけれど、人生山あり谷 ありで、いい具合に負けが込んできた頃になって、ようやく意味がわかった数 学の理論とか定理とかは沢山あるし、いくら明快な話でもある程度精神が成熟 してからでないと分からないことってあるわけよ。
だいたい教室の2割ぐらいの学生に分からせる自信が無いものは教えないと いうのが、最近の私のやり方。2割の学生につられて3割の学生が何となく 分かり、合計5割の学生の勢いに押されてさらに2割の学生が分かったような 気になり、さらに2割の学生がこんなに皆が分かっているような顔してるんなら、 自分も分かっているようなフリだけでもしなければいかんなと思い、それで 試験をすれば7〜8割以上が何とか合格って線が丁度良い線ではないか、と。 だから、0.72%とか0.68%なんてのは、論外。
まあ、0.72%とか0.68%って数字をもうちょと上げる方策を考える ことになるんだろうけど、あるいは、簡単なことばかりチンタラ話して、難しい 話を時間切れに持ち込むって手もあるな。
2009年1月25日(日)
<<群論ワークブック>>
昼頃に近所のスーパーに買い物に出た以外は、終日自宅で講義の準備など。
Boschの教科書で単因子論と有限生成アーベル群の構造定理をざっと見て、と
りあえずその部分の講義ノートを書き始める。今日のところは
お膳立てや具体例、演習問題を書いて終った。構造定理の証明部分は明日以降
に。
このレジュメは1年分の講義用だが、既に60ページを越え、具体例が70 以上、演習問題が30問以上になったが、まだまだ増えそうだ。その殆どは、 定義を簡単な具体例にあてはめて確認するとか、ルーチンワーク的な議論なので 普通の教科書ならさらっと流して書いている部分を自分できちんと詰めてみよと という類のもので、何時間もうんうん考えないと解けないようなものは入れてない。 30問の演習問題は、要するにルーチンワークを面倒がらずにちゃんとやっ てみよというもので、殆どの問題には「ヒント」と称して、やるべき事を噛んで 含んでお粥を炊いて式に細かく書いている。まさに数学者好みのエレガントさの 対極で、さながら「群論ワークブック」の様相を呈してきた。
しかし群論なんて、そういう作業をマメにやりながら勉強していかないと チンプンカンプンになるのは請け合いである。普通はそういう勉強方法の指示 を逐一することはないし教科書にも書かないもの。しかし学生たちにそういう 細かい指示を適宜していないと、群論の講義が凍りつくような爆睡の嵐になる 危険性が極大ではないかと思われる。
オレさまでクールで自己チューな私としては、ごく少数の群論青年 を触発するためのスマートでセンスの良い講義には関心がない。群論命!的学生は、 まあ、勝手にやらせておけばよろしい。それよりも私にとって大事なことは、自分 が喋っている時には、できるだけ多くの学生達に嘘でもいいから「わかりました!」 って顔をしていてもらいたいものだ。寝るな!喋るな!何でもいいからニコニコし てろ!と(我ながらもう、考えてることが無茶苦茶ですね)。そのためには照れず に「群論ワークブック」みたいなレジュメにしてしまおう、と。
深夜はすこしだけフランス語の復習をする予定。
2009年1月24日(土)
<<失業給付金>>
ドイツ語寺子屋塾の日。今日も寒い。午前中は大慌で予習。昼過ぎに自宅を出
て京大ルネに向かっているところで、先学期まで関西日仏のクラスで一緒だっ
た人と路上で再会。しばし立ち話。この春に大学を卒業するらしいのだが、京
都を離れることはなくまだフランス語は続ける積もりだという。また一緒のク
ラスになったらよろしくと言って別れ、ルネで昼食。それから、隣の関西日仏
学館図書室でBoschの代数の教科書を少し読んで時間調整。15時10分から
16時40分過ぎまで寺子屋塾。再来週とそれ以後にもう1回先生が他の仕事
に出るらしく、その時の代講をやってくれる先生(ドイツ人)とその奥さん
(日本人)も来ていて、授業の進め方と我々のレベルをチェック(?)してい
た。
今日扱ったスキットは、デュイスブルクで製鉄所をリストラされた45歳 のオジサンが、職業安定所(Arbeitsamt)に相談に通っても埒があかず、新聞の 求人で見つけたケルンのアパート管理人の職に応募するという物語。小学生の 息子はケルンのサッカーチームを楽しみにし、高校生の娘はボーイフレンドと 別れたくないと言ってとり乱す。髪が酷い状態だし、そろそろ美容院に行きた いわと奥さんが言うと、「俺はかれこれ8ヶ月失業してるんだぞ。よりにもよっ て、こんな時に行くことはないだろう。俺が職を見つけたら毎日でも美容院に 行くがいいさ!」と、普段は大人しい夫も思わず声を荒げるという話。うーむ。 思わず唸らずにはおれない。
DVDでこのスキットを見たあとの自由討論では、「ドイツでは失業保険 (給付)金(Arbeitslosengeld)は1年間出てその後しばらくはなんとか支援金 という名目でもうすこし小額の補助が出るが日本ではどうですか?」「せいぜ い2ヶ月ぐらいじゃなかったかしら(これは間違い)。」「失業保険金が貰え ない人も沢山いるし、生活保護も水際作戦とかでまともには支給されないみた いだし。」「じゃあ、失業して、なけなし失業保険が切れた後はどうするの だ?」「そりゃあ、ホームレス(Vagabund)になって鴨川の橋の下で青テント 生活さ」みたいな議論が展開された。こういうリアルな議論は私は嫌いではな いし、現実的な語学学習でおおいに結構だけど、この身も蓋も無い ところに「どうだかなあ」って感じが残る。
この教材が作られたのは1997年頃らしく、同じ時期に作られたゲーテ のテキストでも、勉強嫌いの子供が酷い成績表を貰ってきて親に叱られ、「大 学卒業しても職がなくてみな失業しているじゃないか!僕は進学コースなんか やめて職業訓練コースに進むんだ!」と逆切れするというスキットがあったり して、ドイツ語教材は失業一色だったようだ。
講座が終った後、天気も良かったので、厳寒の中、三条まで歩きJEUG IA三条本店などで道草。夜は昨日のフランス語を復習しないといけないのだ けど、講義の準備の一環としてBoschの教科書で単因子論 (Elementarteilertheorie)の勉強。
2009年1月23日(金)
<<初めまして>>
午前中は自宅からメールを出したり出張の予定をたてたりといった雑用をした
り、Boschの教科書の単因子論のところを眺めたり。昼前に自宅を出て、ラク
ト山科で野暮用の後、適当に昼食。それから関西日仏学館の図書室へ。そこで
夕方までフランス語の勉強。週1日だけ集中してやるのは語学の勉強法として
はどうかと思うけど、それ以外の日は何となくサボってしまい、気がついたら
また金曜日がやってきたって感じ。隣の京大ルネで早めの夕食の後、19時前
から授業。そういえば、この講座の先生はフランス人にしては珍しい長身だと
気づく。今日は男4人、女4人。京大の学生5名は後期試験のためか全員欠席。
この授業はレベルは高くはないものの、演習中心なのでかなり疲れる。21時
に授業が終り、今日もまた熱くなった頭を冷やしながら、寒空の下、夜道を京
都市役所前駅まで歩く。
夜は高校の同期生のメーリングリストに、長い自己紹介メールを書いて投 稿する。何と言っても、メーリングリストのメンバーの中にまともに話したこ とのある人はほとんど居ないから、「初めまして」って感じ。
2009年1月22日(木)
<<メーリングリスト>>
朝から出勤。11時から12時までは4回生「計算機数学」の後期試験。試験
監督に向かう途中、エレベータの中でこの講座を受講していた学生たちのグルー
プと一緒になった。試験会場には30名以上の学生がいた。13時半から15
時半頃まで、卒研ゼミ(代数幾何学)。非特異点がザリスキー開集合になるこ
との相対版定理とSardの定理の代数幾何学版など。ゼミの前後は、郵便物
を整理したり転送したり、書式をダウンロードして記入・提出したり、伝票を
学内便で送ったりといった雑用。16時半から17時半まで2回生「離散数学」
の後期試験。教室には100名以上の学生が居た。その後、すこし雑用をして
から帰宅。帰宅後はまた少し来年度の講義ノート作りや、学生にメールを出し
たりといった作業。
中学、高校と一緒だった友人から、高校の同期生のメーリングリストが出 来たとの知らせがあった。私の出た高校は、我々の入学式に合わせて突貫工事 で教室の一部が作られ、入学した最初の体育の授業はまだ赤土の山だった運動 場予定地の整地作業で、高1の頃は我々が高2で使う教室の工事、高2の時は 我々が高3で使う教室の工事、高3でようやく工事の騒音から解法された かと思ったら、卒業式に我々が送り出される校門が無いということで、我々の 父兄から寄付を募って門がつくられた(しかし私は卒業式は出てない)。
一般にこういう尋常ならざる学校時代は後で結構懐かしくなるものだけど、 私は全然懐かしくないし、かといって苦々しい思い出というわけでもない。 「別に何とも思ってない」というのが一番正確なところ。高校時代の同級生の 名前が挙がっても、ああ、そういうのが居たな程度で、やはり「別に何とも思 わない」。これはやはり高校3年間が、皆の中で完全に浮いているか、完全に 沈んでいるかのどちらかで終ったからじゃないかと思う。 それでも一応様子をみてみようかと、メーリングリストには登録してみた。
2009年1月21日(水)
<<旅立つ>>
今日は大学に出勤して郵便物を確認したり書類を提出したり郵便を送ったり
といった雑用を片付けて来ようかと思ったけれど、そういうことは明日纏めて
やろうということで、結局昨日と同じような一日。夕方頃ラクト山科に買い物
に出掛けた以外は、終日自宅で代数の講義ノート(レジュメ)書き。
Ritsの教師になって17年。これまで一貫して隠れ余剰教員だった私は、 適当にコマを埋めて単位を出しておけば良いテキトーな講義しか担当したこと がない。それに加えて、学生にコンデンサーの電気容量を質問されて「ヘクト パスカルです!」と答えるような電気音痴(私のことである)に無理矢理電気 実験を担当させるような大学で、一体何を気取る必要があろうかと思っていた こともあって、急に来年度から基幹科目を教えろと言われても心構えが出来て いないのである。だから、学生さんたちとテキトーにへらへらと楽しくやって、あとは研 究に精を出そうかと思っている。
では何故余剰教員であった私が突然基幹科目の担当を命じられたのかとい うと、とどの詰まりは、これまで元気一杯だったオジサンたちが60歳の声を 聞いて次々と「旅立って」しまったからではないかと思う。先の戦争(と言っ ても応仁の乱のことではない)では、男達が次々と戦場に駆り出されたので、 女子供が軍需工場で働き銃後の守りを固めたというが、まあ、それに似たよう な状況ではなかろうか。
それにしても、オジサンたちは何故「旅立つ」のか?定年が近くなるとや る気が無くなるのだという説があるが、3月末で退職する若い先生は、こ の大学の4月以降のある悩ましい問題についての真剣な検討結果をメールで流 していて私を感動させたし、余命を宣告された癌患者の多くはむしろ残る人生 を精一杯生きようとするそうだ。だから、「定年が近くなる」ということと 「やる気が無くなる」ということの間に自明な論理的関係があるとは思い難い。
そういえば、高山はオジサンの悪口ばかり書いてるけど、オバサンはどう なんだって?そりゃあオバサンを敵に回した時の怖さはオジサ ンの比ではないので、大人しくしているに決まってるだろうに。 否、白状するけど、実は最近まで結構高をくくっていたのだ。自分が若い時の オバサンといえば、母親とか学校の担任の先生ぐらいの年格好だったりするから、 「これはかなわんな」という感じだった。しかし今は自分もオジサンだから、 オバサンと言ったって昔学校で机を並べて勉強したクラスメートの成れの果て みたいなもんじゃないか、と。これは精神的優位性の問題である。
しかし最近は少し認識が変わってきた。オバサンも50代ぐらいまでなら 何とか自分と地続きの世界に居るって感じがするけど、60代以上になると、もう、 私には全くはかり知れない身も蓋も無い精神世界に生きてるんじゃないかって 気がしてきたのだ。
オジサンに限らず男女とも60代になると何処かに「旅立つ」 ようだけど、何処に旅立っているかは男女でずいぶん違うような気がするな。
2009年1月20日(火)
<<そろそろ嫌になってくる>>
またすこし寒さが戻ってきた。昼過ぎに山科駅前Sbuxで行き、帰りにスー
パーで買い物をしてきた以外は、終日自宅で講義ノート作り。元々、代数方程
式のガロア群の計算って自分でもあまり良く分かってなかったから、この際ちゃ
んと勉強してみようかと思って色々書いていたら、既に40ページを越えてし
まった。
朝のテレビで片岡球子の特集をやっていた。片岡といえば、あの独創的な 富士山の絵を思い出すが、あれは60代になってから描きはじめたもので、そ の後も新しい絵(裸婦などなかなか良い)にも挑戦して103歳まで生きたそう だが、若い頃の絵がちょっと出てたけれどかなり酷いものだった。まあそれは 良いとして、その弟子とかいう60代ぐらいのオジサンが、我々の年代になっ てくると、そろそろ嫌になってきたりするものですが、片岡先生は60代 以降も益々精力的に絵に取り組んでおられたところが凄いですと言っていた。 「我々の年代になってくると、そろそろ嫌になってきたりする」ってところが とてもリアルで、私の周りのオジサンたちも60の声を聞き始めるころから ガクッと「嫌になってきている」ような雰囲気が出てきて、ほとんど人格が変 わったかのようになる人が多い。何というか、半分ぐらいあっちの世界に行っち まってるって感じ。
私なんぞも、計算機屋でぱっとしなかったから短気起こしてやめちまって、 遅れてきた青年よろしく40歳過ぎてから数学に転向したら、ますまず鳴かず 飛ばずで、学科長で脳も歪むし、心の楽園(とまで言うのは言いすぎか?)の ゲーテはリストラされるし、郵便ポストは遠くに避難させなきゃならなくなるし、 あー!もうどうにでもして!といった具合。だから10年以上前から段階的に 「あっちの世界」に旅立っている気分なんだけど、そんな私から見ても60代に 突入したオジサンたちの「旅立ち」ぶりは、半端じゃない。で、彼らは一体何処 に旅立ってるんだろうね?
2009年1月19日(月)
<<インストラクター?>>
寒さは少し緩み、天気も回復した。今日も来年度の2回生向け講義の講義ノー
ト兼レジュメ作り。Boschの教科書に終結式の素晴らしくスマートな扱い方が
書いてあったので、それを採用しようかと終日色々考えてみたが、深夜になっ
て結局2回生対象の講義では無理があるということで、行列式を素朴に計算す
る通常の方法に落ち着いた。
夕方は京都駅前で野暮用の後、アバンティーのサンリオ・ショップで最新 のハローキティー・グッズをチェックした後、ホテル京阪のラウンジでしばし 終結式について検討。とても堅気とは思えない怪しい風体の個人事業者と、多 少ヤバイ橋を渡ってでもビジネスチャンスを追求する(?)会社員風の男達が、 私の近くの席で商談のようなことをしていた。
夜はスポーツクラブ。私はいつもどぎつい赤色の沖電気卓球部幽霊部員時 代のユニフォームと西友で買った膝までの黒いトレパン姿。ユニフォームは沖 電気時代は一度も着ないままで終ったのだが、結構質が良くて高価だっだので、 勿体無いからスポーツクラブで着ているのである。この格好がインストラクター のユニフォームと似ていて、とうとう今日は、ちょっとぼんやりした感じの若 い子にトレーニングマシンの使い方を質問されてしまった。しょうがないから 本物のインストラクターを呼びに行ってやったけど。私って、何て気のいいオ ジサンなんでしょうね。気はいいけど、性格と脳は歪んでるんだよ。
2009年1月18日(日)
<<脳味噌の拷問>>
昼頃に近所のスーパーに買い物に出た以外は、終日自宅で講義ノート作り。講
義ノートというよりも、だんだん学生に配布するレジュメみたいになってきた
ので、本気でレジュメ作る積もりで気合いを入れ始める。
それにしても語学の授業が2日にわたると結構しんどいものである。時間 は合計180分で以前と変わってないのだが、フランス語だけで1日だったの をフランス語とドイツ語で2日続きに分散させると、頭の切り替えだけでも大 変で、まるで脳味噌の拷問である。私はマゾだから自分を苛めるのは大好きだ けど、これが歪んだ脳にとって良いことなのか、逆に悪いことなのかは、よく わからない。
面白いことに、普段は好きな作曲家の名前の7、8個ぐらいはすぐに出て くるけれど、関西日仏の教室に居ると何故か名前が全然思い出せない。フラン ス語の授業で「趣味は?」と聞かれて(私は何故か趣味を聞かれる のが嫌いである)「クラシック音楽を聴くことです」と答えると、必ず「好き な作曲家は?」と問い返されるのだけど、その時はプーランク、フォーレ、ド ビュッシーとか3つか4つぐらいしか出てこない。すると講師は少し嬉しそう な顔をして「皆、フランスの作曲家ばかりですね。フランス音楽が好きなんで すか?」と聞いてくる。「えー、そんな訳でもないんですけどー」と、ブラー ムスやベートーヴェンやシューベルトやショパンやシューマンやモーツアルト やロッシーニやハチャトゥリアンなどの名前を上げようとするのだけど、その 場では全然出てこない。まるで記憶の小部屋がいくつかあって、別の部屋に来て いるみたいな感覚。話す言葉が変わると、記憶の体系も無意識のうちに違って いるのかも知れないし、あるいは、しどろもどろのフランス語で答えるのに忙 しくて、緊張のあまりど忘れしているだけなのかもしれない。
そもそも私の場合、音楽の趣味について普段誰かとお喋りをすることはないし、あっ
たとしても相手はゲーテ・クラリネット奏者氏だったりするから、「好きな作
曲家は?」という問いが投げかけられることは無いに等しいのである。あの演
奏家はいいからぜひ聴いてみてはどうかとか、この作曲家のこの曲だったらこ
の演奏家のあのコンサートでの録音が一番いいですよとか、あの作曲家のこの
曲の第何楽章って演奏家泣かせの難曲なんだよねーとか、そんな話ばかり拝聴し
ているし、そっちの話の方が面白いので、演奏家の方ばかりに関心が向いて、
作曲家の好き嫌いは二の次みたいになっているのだ。
さて、エリック・ハイドシェックの"Kinderszenen, Children's corner"
を聴いていると、時々ハイドシェックがピアノ弾きながら小声でぼそぼそ言っ
たりハミングしたりしてて、ちょっと不気味。グレン・グールドの向こうを張っ
てるのかしら、と。最初はわからなくて、また隣の家のオヤジが夜中に家の
前の道に出て何かぶつぶつ言ってるのかと思ったぐらい。
2009年1月17日(土)
<<52番>>
昼前に自宅を出て、京大ルネで昼食。それから関西日仏学館の図書館でドイツ
語のウオーミングアップを兼ねてBoschの代数学の本に読み耽る。15時前に
関西日仏を出て、15時5分にドイツ語寺子屋塾に到着。15時10分過ぎか
ら16時45分頃まで授業。それからまた関西日仏学館の図書室に戻り、19
時前まで昨日のフランス語講座の復習と宿題を片付ける。19時より関西日仏
1階のカフェでギャレット・デ・ロア(La galette des rois)のパーティー。
おいしいワインとキャレット・デ・ロアの巨大パイ菓子で、お腹一杯になり、
またも寒い夜道を京都市役所前駅まで歩き、菊水生酒路上飲酒なしでも十分幸
福な気分で帰宅。
パーティでは、なぜか見ず知らずの私と同世代と思われるオジサンが話し かけてきた。パーティーで初対面の人にさり気なく声を掛けるというのは立 派な社交技術だけど、そういう時に私は、「何で見ず知らずの貴方が突然私に 話しかけてくるのよ?!」と引く場合もあれば、ごく自然に適当になごやかな 会話をする場合もある。この違いは相手を見た一瞬で決まる。これはヤバそう な人間だと思えば引くし、まあ大丈夫そうだなと思えば普通に相手する。第一 印象はその人の本質のほとんど全てを表すというのが私の年来の仮説で、 近頃はその仮設の正当性をしみじみとかみめつつ、脳を歪めてみたり、遠くの 事務棟に作ってもらった緊急避難的仮設ポストに郵便物を取りに行ったりして いるのである。そういえば、初対面の時からいずれこんな事になると何となく 予感してたような気がする、と。
で、今日のオジサンは普通に相手した。でも、オジサンにナンパされるの もどうだかなと思って、まあ、深入りはしなかったけど。しかし何故か別のオ ジサンも近寄ってきたので、「俺はゲイじゃないんだからね!」と頓珍漢な叫 び声とともにワイングラスを握り締めてその場から逃げ出したい気持ちに駆ら れたけれど、そこは理性で何とか押さえた。まったくもって、私の理性に乾杯! だ。
そういえば、先週お試しで見学したクラスのオジサンの一人がわざわざ近 寄ってきて、「もう、あのクラスには来ないのですか?」と聞いてきたし、別 の人からも同じような質問をされたけど、彼らは「はい、そうですよ」と答え ただけでは納得した顔をしない。しょうがないので、「いや、あのクラスは私 にはちょっとレベルが高すぎて、、、」と言ってもまだ釈然としないという顔 をしていた。釈然としなくてもいいんですよ。当の私だって釈然としてないん だから。
それから、ずっと以前ゲーテで何回か一緒のクラスになったことのある人 も来ていて、「私のことを覚えてますか?」と話し掛けてきた。勿論覚えてい たけれど、その人の夫君を今日初めて見て、夫婦ってやっぱり雰囲気が似るも のだなと思った。その人はまだゲーテに通っているらしいので、最近のゲーテ の様子を教えてもらった。私は大阪ゲーテの'07年のクリスマスに潜入した 時の様子や最近通い始めたドイツ語寺子屋教室の話をした。その人も新自由主 義に毒された(?)最近の京都ゲーテには困っているらしく、ドイツ語寺子屋 教室の話には興味を示していた。
20時過ぎより、ギャレット・デ・ロア恒例の抽選会が始まった。1等賞 は春学期の講座券。私は去年のギャレット・デ・ロアでその1等賞を当てたの だった。その時は皆の前で「一生分の運を今日で使い果たしたような気がしま す」とコメントしたけれど、2年続けて1等賞を当ててしまったら、どうしよ う?「ボン・ソワー!去年も一等賞を当てて、『一生分の運を今日で全て使い 果たしたような気がします』とコメントした高山でぇーす。今まで運の貯金を 崩して何とか生きていましたが、今日で私の運も赤字転落で、春学期が始まる まで生きていられるかどうか分かりしましぇーん。それでは皆さん、御機嫌よう」 とでもコメントしようかしらと人知れず悩んでいた。しかし、所長がが引いた 抽選番号の今年の1等賞は53番。私のクジは52番だった。
2009年1月16日(金)
<<男ばっかり>>
午前中は自宅にて講義ノート作りの作業を進める。それから散歩がてらにラク
ト山科まで出掛け、適当に昼食の後、関西日仏学館の図書室へ。そこで夕方ま
でフランス語の勉強。フランス語も適当に流してやっているだけでは、会話演
習中心のクラスではやっていけない。先週はそれで酷い目にあったうえに、
「この人、無理!」ってのも加わって、菊水生酒200ml路上飲酒と相成っ
たのだった。そこでいささか泥縄式の勉強ではあるが、少しは脇を固めようかと
思って基本事項の復習など。
隣の京大ルネで少し早めの夕食の後、18時45分から始まる先週とは違 う新しいクラスへ。授業のレベルは先週のお試しクラスよりも低く、「フラン ス語では背伸びしない」という方針の私にぴったりのようだ。受講生は私を含 めて12名。私の母の里では、その昔「寝小便垂れを追い出して、ウンコ垂れ をもらう」という言い回しがあったそうそうだ。折角「無理!」から逃れてき たのに、新しいクラスに別の「無理!」が5人ぐらい居たらどうしようかと内 心不安だったのだが、どうやら杞憂だったようだ。
だが、しかし、but however! である。私を除いて男が6名(オジサン2名 +オジサン予備軍4名)で女が5名というのはどうしたものか。過去10年近 い語学学校通いで、男の方が多いクラスはたぶん今回が初めてである。狭い部 屋で男達にとり囲まれるなんて、数理科学科の複雑系会議みたいで気が休まらず、 脳が歪んだ男嫌いの私にとっては、ちと辛いのである。プライベートな時間 ぐらい、男の居ないところで借りてきた猫みたいな顔して心安らかに過 ごしたいものだ。でもまあ、折角受講料払ったことだし、3月までこのクラス で頑張らないと。
なかなかうまく行かないものだなと、人生のほろ苦さを噛みしめながら、 今日も京都市役所前まで夜道を歩く。途中、菊水生酒200ml路上飲酒の誘 惑に駆られたけれど、男にとり囲まれたぐらいでいちいち自棄酒飲んでたら身が持 たないではないか!と自らに言い聞かせ、まっすく帰宅。