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よ け ス ペ ー ス で す。

2008年7月15日(火)
<<どういう風の吹き回し?>>
今日も午前中から「カンケーねーんだよ!プロジェクト」のメールが飛び交い、 相変わらず滅茶苦茶な応答を返して遊び、その合間にちょっとした計算などを 進める。昼過ぎに大学に出勤し、研究室こそこそ昼食の後、遠くの事務にちょっ とした申し込みをしに行き、また研究室に戻ってきてメールを書いたり9月の 出張計画を練ったりしているうちに、就職委員として企業の採用担当者と会う 時間に。数物事務は壊滅状態なので応接は使えず、またも遠くの事務の応接室 で15時から40分ほど面談。

それやこれやの合間に研究室のドアをしつこくノックする音。当然無視し ます。私に本当に用があるならメールか電話でどうぞ。電話?そう。最近は電 話線繋がってるんだよ。どんなもんだい、えっへん。え?何を自慢してるのか 知らないけど、電話線を繋げるとは一体どういう風の吹き回しなのかって?い え、その、先日必要があって一時的に繋げたのだけど、後で外すのを忘れてて そのままになっているって、まあ、それだけのこと。

その後、16時から18時まで教授会のような会議。ゲーデルの完全性定 理の証明を眺めているうちに、爆睡。会議の後、研究室の戻ってまた少しメー ルを書き、生協で夕食をとってから帰宅。夜はまたちょっとした計算の続きを 少しだけ進める。

2008年7月14日(月)
<<暴言の炸裂>>
研究日。午後は数理研図書室で、先日査読が返ってきたゴミ論文の手直しが出 来ないか、ちょっとしたアイディアを確かめようと、基礎的な検討など。その 前後は気分転換の別の計算をしたり纏めたり。

そういえば午前中は「カンケーねーんだよ!プロジェクト」のメールがい くつか届いていて、色々ひっかき回してやったことが功を奏して、複雑系の皆 さんも少しはこの問題を身を入れて考えるようになったかしらと、ほくそ笑む。 もっとひっかき回してやれ!と、冗談だか真面目だか暴言だか投けやりだかヤ ケクソだか怒ってるんだか喜んでるんだか、何が何だかよくわかない発言をメー リングリストに垂れ流しまくったところ、流石に皆さん呆れ果てたのか、それ からしばらく反応なし。(単に祇園祭を見に行っただけかも知れないけど。)

ちょっと調子に乗りすぎたかな、何せ相手は複雑系の皆さんだから油断は 大敵だなと少し反省してたところ、夜中にようやく飛んで火に入る夏の虫、1 通だけ反応が返ってきたので、駄目押しの暴言を炸裂させる。

2008年7月13日(日)
<<パリ祭>>
今日は関西日仏学館のパリ祭(フランス革命記念日)を覗いてみようと15時 半頃に自宅を出る。お目当てはフランス屋台のクスクスと京響のオーボエ奏者 とハープ奏者によるコンサート。クジ引きもあって、一等賞のエールフランス のフランス・日本往復券は逃したけれど、クスクスのアフリカ料理店の1割引 券が当った。1割引き券ぐらいなら駅前でティッシュと一緒に配っていそうな ものだが、リマ共和国製のシャツも付いていた。そのシャツは、何と言いましょ うか、あまりにアフリカ的なデザインでして、、、喜んでいいやらどうやらっ て感じ。

京響のオーボエ奏者はフランス人で、以前新聞に出てた紹介に「草笛のよ うな素朴で深い音色」とあったような憶えがあるけど、まさにその通りの音色 だった。パリ祭は21時まで続いていたが、私は19時過ぎに退散。クスクス とアフリカ・ビールだけでは小腹がすいたので、京都市役所前ゼスト地下で蕎 麦をたぐってから帰宅。

パリ祭以外では、またも「カンケーねーんだよ!プロジェクト」のメール 書きに忙殺される。変化の兆しもあって、「親父」や「爺さん」もぼつぼつ真 面目に「跡取り息子」の相手をするようになってきた。「蕎麦屋のバイト」の 私としても、「家政婦は見た」気分で、誰の味方かわからないような茶々を入 れつつ引っ掻き回しながら、頃合いを見計らってトンズラしてやろうかと企ん でいる。

2008年7月12日(土)
<<蕎麦屋のバイト>>
関西日仏学館の日。今日はクラシックギターをやっているという学生さんに、 私が昔使っていた「カルカッシー・ギター教則本」を見せてあげようと約束し ていたのに、すっかり忘れていた。私はこういうことはあまり忘れない人間な んだけど、とうとう焼きが回ったのかしら?それとも、先週は色々あって頭の 中が忙しかったかしら?としばし悩む。

授業ではホロスコープの話が出て、私は天秤座だから(テキストにある) ホロスコープによれば「理想主義者」で「安定した人間」だけど「怠け者」だ とあるが、「安定した人間」というのは当ってないと発表した。それに対して 隣の生徒は、確かに私は理想主義者にみえると言うので、この教室では借り てきた猫のように気配を殺して大人しくしている私なのに、何でそこまでわか るのよ?!オレって「理想主義者」のオーラをびしびし出してるってか? と、オレ様自己チュー魂をくすぐられて思わず内心Vサイン。

それから先生は、ユキヒデ-- (私は教室ではこう呼ばれている、フランス 人なのにちゃんとHの音が発音できて「ユキーデ」とならない貴方は、本当に フランス人なの?といつも疑ってしまう)-- が怠けものだとは「スクープだ!」 と言っていた。Pourquoi? と私。Parce que ...ユキヒデはフランス語を学び、 ドイツ語も学び、「今週末は何をする?」と訪ねても、いつも「日曜日は仕事 してる」と答えるではないか、と。Mais je ne fais rien d'authre chose. でも私、他の事は何にもやらないですよ。研究室の電話線はひっこ抜き、あれ しろ、これしろのメールの催促は瞬殺し、研究室のドアのノックは全て黙殺し、 面倒な頼まれ仕事は放置して腐らせて、自分の好きなことばかりやって楽しく 遊んでるんだから、十分「怠けもの」だと思うんだけど。( でも、これ全部フラ ンス語で言えたわけじゃないよ。まだ初級クラスだし)

夜は少し数学を、と思ったけど、「カンケーねーんだよ!プロジェクト」 関係のメールをぐだぐだ書いて時間が潰れる。やはり何か割り切れない。例え て言えばこんな話だ。自分は役者志望で、芝居では食ってけないから蕎麦屋の 出前のアルバイトをしてるのだけど、何やら最近その店がゴタゴタしているら しい。でもそんな事は、蕎麦屋のオヤジやおかみさんや跡取り息子、あるいは 爺さん婆さんがまだ健在だから、彼ら一族が考えれば良いことだし、バイトの 私が知ったことではないはずだ。

しかし跡取り息子が、何やら蕎麦屋は時代遅れだからスパゲティーの店に したいとか、蕎麦も隠しメニューで残すとか残さないとか、ひとりで色々な事 を言い出している。それに対して親父の反応は鈍く、おかみさんはオロオロす るばかりで、兄弟は未来を悲観して酒に溺れたり家出の準備に夢中だったり、 爺さん婆さんは「そんな事は若いもんが考えれば良い」と極楽往生を夢見る日々 に深く深く沈んでいる状態。こんなんで大丈夫なんかなあ。おい、誰か跡取り 息子の話をちゃんと聞いてやって、言うべきことはきちんと言ってやれよ、と。

まあ、くどいようだけど、私はバイトだから、ほっとけばいいようなもん だけど、蕎麦屋潰れたり出前のバイトはもう要らないからと首切られたりして、 別のバイト先探すのも面倒だし、長年世話になった店だからということで、余 計なお節介かもしれないけど跡取り息子の話相手でもしてやろうか、と。そし たら、こんな話に乗ってくる貴方も邪念でギラついてますね、ウチの店を狙っ てるんですか?みたいな事まで言われて、「おい、それは違うだろう」と思っ たり。まあ、そんなような話なのである。

「お前もギラついてるぞ」みたいな事まで言われても「アホくさ!」と放 り出しもせずに、自分の研究もそっちのけで、何で私はこんな要らん事に手を 出しているのか?それはやはり、お家の一大事に対して色々な理由を並べてた てて黙りこくっている複雑系の皆様に、無理矢理眠らせてある学科長時代の怒 りがピリピリと刺激されるんだろうと思う。

2008年7月11日(金)
<<京浜東北線の思い出>>
珍しく今朝のJRは正常に運行していた。昼前に出勤し、研究室こそこそ昼食の後、 12時半から15時40分まで1回生の「情報処理」および「情報処理演習」 の授業。さらに16時から18時過ぎまで、卒研A(代数幾何学)。今日はセ グレ埋め込みの像が非特異代数多様体になることの証明と次元の計算、具体例 として2次曲面の例など。

卒研ゼミの後、「情報処理演習」のメール・レポートのチェックと集計作 業をしてから、生協で夕食。その後、教室運営関係のメールを書いてから家路 につく。5月に投稿したゴミ論文の査読が返ってきたけど、もう少し手を加え て再投稿が必要みたいだ。これは大体予想通りの展開。私としては新規参入分 野なので、味噌糞にこき下ろされてお蔵入りさせないといけないかと心配して たけど、それほどでも無かったのでちょっとだけ安心。

帰宅時、9時過ぎに南草津から京都方面行きのJRに乗ったら、手を離して もカバンが床に落ちないという、通勤ラッシュ時の京浜東北線のような混み方 をしていた。こんな混み方は、琵琶湖花火や五山送り火などのイベントのある 日の地下鉄や京阪線なら時々あるけれど、JRでは京都に移ってきてから初めて 経験する。

しかし「京浜東北線のような混み方」というのは実は嘘である。私は若い 頃、蕨、川口、浦和を転々とし、そこから京浜東北線で田町の研究所に通っ ていたのだが、通勤ラッシュ時でも手を離せばカバンは床に落ちた。ところが 神奈川方面から通っている人は東急線や京王線を使っており、「私が京浜東北 線のラッシュの酷さ」を話しても、「それは平日の昼間の感じですね。通勤ラッ シュ時に手を離してもカバンは宙に浮いていて、長い傘を持ってたらクランク のようにひん曲がってしまってこそ、本当のラッシュというものです」との返 事が返ってきた。しかし、それはもう20年近い昔の話なので、今はどうだか 知らない。

天国みたいな日々を送っていた国立研究所出向からメーカーの研究所に 戻った直後は、そのカルチャーショックからほとんど出社拒否状態になり(私 は結構神経が細いのである)、出勤時には必ずと言ってもいいほど腹痛に悩ま された。京浜東北線の満員電車の中で腹をぐいぐい押されている間に腹痛が酷 くなり、秋葉原で途中下車してトイレに駆け込み、朝のミーティングに遅れて 上司に睨まれ、ますます腹が痛くなったこともあった。当時はフレックスタイ ムだったのに、朝の9時からミーティングだ!などと年寄り臭いことを言い出 して、作業線表を書けだの今週の進捗を報告せよだの、特許のノルマがまだ こなせてないぞと迫る上司にも閉口した。別に悪い人ではなく技術者として むしろかなり尊敬すべき人だったのだが、その上司とは目指すところが かなり違ってたせいかどうもうまく行かず、後に私は十二指腸潰瘍でのたうち 回るはめになった(やはり神経が細い)。

幸い(?)数年後に関西の研究所に転勤になり、京浜東北線とはお別れと なった。十二指腸潰瘍の原因である上司ともお別れのはず、、、だった。 しかし新しい職場で私を出迎えてくれたのは、何と!東京時代の元上司。 「いやあ、高山君。僕もこちらに転勤になってね。これからもよろしく」と。 (地獄の底まで追いかけてくる積もりかよ、、、)

ところが大阪勤務が新鮮だったせいか、十二指腸潰瘍の方は それほど悪化することもなく、上司も私の歓迎会を開いてくれて、 「高山君は京大出身だから」と二次会のスナックで「琵琶湖周航の歌」を歌い (この辺のセンスはよくわからない)、君も歌えとマイクを押し付けてくるの には、またぞろ閉口したけれど、一応中堅研究員として大事にしてもらい、 日々まずまず機嫌よくすごしていた。

しかし結局半年後にその上司に退社を申し出ることになった。あまり うまく行ってなかったけど何かれと私に気を遣い色々良くしてくれた上司は 驚いて、「え?やめるか?!じゃあ、やめろ!今すぐやめろ!」と珍しく声を 荒げたものの、いよいよ退職する頃には送別会を開いてくれて 「高山君、頑張れよ」と言ってくれた。 うるせー、お前の顔なんか金輪際見たくもねーよー!と思ったけど、 やはりちょっと嬉しかった。

2008年7月10日(木)
<<電気実験の思い出>>
午前中は経済、経営学部のCプログラミングの授業。JRが一部運休になった上 に15分以上遅れたので、この大学に来て初めて授業に2分ほど遅刻した。し かし大急ぎで計算機演習室に駆け込んだものの、学生は誰もおらず、20分後 ようやく1人現れ、それから約10分毎にひとりまたひとりとやってきて、合 計4名の出席者。

しかし「この大学に来て初めて遅刻」というのは嘘で、実は(旧)情報工 学科に勤務してた頃、朝9時から始まる電気回路の実験を他の先生達と担当し ていて、20分ほど遅刻して行ったことがある。電気工学出身の主任格の先生 が「高山先生、どうして遅れたのですか?」と詰め寄って来たけれど、「さあね (知るもんか、ばーか)。」

これはどういうことかというと、私は数学者出身で企業でOSや人工知能の 研究開発をやっていて、その方面の専門家としてRitsに雇われたのだが、専門 とかけ離れた電気回路の話は、電磁気学はおろか交流電流の仕組みもロクに分っ ていない。ましてやインピータンスだのリアクタンスだの何だのと言われても、 ほとんど珍聞漢文。そんな人間に、人手が足りないというだけの理由でいきな り電気工学実験を担当させるのだから、さしずめ教員採用試験で社会の先生と して採っておいて、人手が足りないから家庭科で簡単な洋裁を教えろとか、体 育を教えろというような話である。

ボタン付けやかぎ裂きの繕い、簡単な刺繍ぐらいならまだしも、型紙とっ てミシン動かして生徒にエプロンやティッシュカバーを作らせろなんて言われ ても出来る相談ではありませんとか、中学、高校、大学、社会人と一応卓球部 に所属はしてたけど、練習試合を含むありとあらゆる試合で1度も勝ったこと はないし、50メートル走は14秒もかかるし、ラジオ体操は必ず皆と逆方向 に手を振るし、走り高跳びは1メートルがやっとの私に陸上競技や器械体操を 教えろと言われても困ります!それに第一私は社会科教員として採用されたの ですよといくら断っても、黙れ!お前は新入りだから四の五の言わず従えとい うような、まあ、例えていえばそういう調子だったのである。

中学や高校の教員なら、まだ家庭科や体育の教員免許のない者に教えさせ てはならないと法律で決まっているが、大学にはそういう法的歯止めは無い。 ろくでもない大学ほど、その学科にふさわしいかどうか疑問な科目がカリキュ ラムに平気で含まれていたり、人件費節約のために教員の使いまわしをした がるものだ。 当時の私も、「いやはや、聞きしに勝る三流大学に来てしまったものだ」と暗 澹たる気分になったものである。それで「さあね(知るもんか)」となったのだ。

この実験の授業も、後に情報工学科らしい計算機色の強い教材が導入される ようになって、教育用ボードコンピュータでアセンブラプログラミングを行う 課題を担当させてもらい、学生そっちのけで結構夢中になった。論理回路やコ ンピュータアーキテクチャーのレベルの話なら私にも理解できるし、俄然面白 くなってきた。その後、私の当時の専門に近いコンパイラ作成実験も担当させ てもらうことになり、自分で教材を改良したりして、結構楽しくやらせてもら った。

これはちょうど、Ritsが(「張子の虎」と揶揄されつつも)少なくとも二 流か1.5流を狙うフリぐらいはできる程度に発展していた時期と重なる。私 の周りには、(何を勘違いしたのか)ピリッとした賢そうな先生達がどんどん 入ってきて、教授陣の質もぐんぐん高まってゆき、私もうかうかしてられない と結構必死に勉強するようになっていった。

しかし最近ウチの大学の経営者達が悪いことばかりするので、その頃入っ てきた賢そうな先生達も「こんな詰まらない大学とは思わなかった」と次々と やめていくようになった。しかし私には電気実験の思い出があるので、「でも、 Ritsって昔からこんなもんだし、経営者がどうのと言っても、そもそも彼らは 一流の何たるかを肌身で知ることなく現在に至った人たちじゃないですか。貴 方達は買いかぶり過ぎてたんじゃない?」ぐらいに思っている。(「そりゃあ、 もっともだ。そもそも高山が教授でのさばってる大学がマトモなわけないわな」 というコメントは、一応瞬殺却下しておく。)

さて、研究室こそこそ昼食の後、雑用を色々片付ける。企業の採用担当者 の面談の申し込みといった就職委員関連の仕事も入ってきたが、現在数物事務 が壊滅状態で使えないので、遠くにある別の事務室と連絡を取り合って事に当 らねばならず、いささか厄介だ。

そうこうしているうちに14時10分からの留学生数学の時間。今日は偏 微分の計算問題や多変数関数の極値計算、テイラー展開をつかった近似値計算 などの問題を解き、三角関数や線形代数に関する簡単な質問に答えた。

その後、16時より18時半過ぎまで卒研B(数理論理学)。今日は、ヘン キンによるゲーデルの完全性定理の証明など。ヘンキンの証明は、その簡明さ で定評があると聞いてたけれど、結局学生と一緒に頭を抱えるはめに。どうも 今使っている教科書は、きちんとした数学書というよりは一般啓蒙書的な書き 方をしているため、かえって不正確で分りにくい。

生協で夕食後、しばし雑用を片付けてから帰宅。

2008年7月9日(水)
<<軍艦マーチ>>
卒研A(代数幾何学)を金曜日に延期し、代数幾何学の談話会講演を聴講する ために名古屋大学に出張。その後、講演者を囲んでのお茶の時間があったけど、 数学者嫌いの私はとりあえずパス。え?ところでお前はよく数学者嫌いだって 言ってるけど、どうしてなのかって?どうしてかって聞かれてもねー。まあ今 日のところは「どす黒くもギラついた、コールタールみたいなメンタリティー に触れたり、自分の内なる"眠れるコールタール"が触発されるのが嫌 だからさ」と言っておこうか。

名古屋大学を脱出し、栄のテレビ塔下の野外カフェでしばらくグロタンディッ クのセミナリーノートの解読。栄の芸術文化センターで、今晩名古屋市内のホー ルで面白そうなコンサートをやってないかと物色したり、その近くの名古屋中 央教会(ときどきコンサートをやってる)を覗いてみたけど、適当なものは見 つからなかったので、名古屋駅前に戻る。

名駅前では、久しぶりに地下街の三省堂を覗いてみた。大学受験浪人生と して河合塾に通ってた頃、ときどきここの数学書コーナーに立ち寄って専門書 を手に取っては、その意味不明だけど美しい数式の乱舞にしばしうっとりし、 来るべき学生生活を夢見ていたものである。今日は志村五郎の回想録が平積み されていた。数学者嫌いの私だけど、昔の偉い数学者で、グロタンディックと かゲーデルみたいに、「私好みに変わってる」人には興味がある。昔の数学者 じゃないけど、森のきのこと語れるペレルマンはちょっとタイプかも。でも、 志村大先生はタイプじゃないな。

その後、駅ビルの店で鰻重の夕食を摂って新幹線で京都に戻る。江戸焼の 鰻はやっぱり私の好みには合わないが、それでも結構うまかった。

それにしても、最近はこのCDを毎日のように聴いているので、寝ても冷めても モーツァルトの交響曲が頭の中で鳴り響いている。

特に、第38番ニ長調K.504「プラハ」と第41番ハ長調K.551「ジュピター」 は、私にとっては景気付けの「軍艦マーチ」みたいなもので、「あー、また鬱 症状がぶり返してきやがった、クソッ」という日は、この曲聴きまくりの音楽 セラピーぶちかましで乗り切るってのも手だと思う。

「軍艦マーチ」は、ようし、今日は500人クラスのマンモス講義で私語 と携帯電話の嵐と闘ってくるんだ!みたいな日の朝には良いかも知れないけど、 ああ、私の脳は歪み、 世界は真っ黒な大口をぱっくり開けて、 頭のおかしいこの私を飲み込もうとしている! 大口の中でちろちろと見え隠れする化け物のような舌は、 腐った血の匂いを放っているのさ、 みたいな気分の時に聴くと、ます ます症状を悪化させるような気がする。

その点、モーツァルトの曲はさすがによく出来ていると思う。

2008年7月8日(火)
<<嫌な奴>>
研究日。午前中は自宅、午後は関西日仏学館の図書室。夜もまた自宅。今日は グロタンディックのセミナリーノートの解読作業。EGAもそうだけど、グロタ ンディックはわかったようなわからないような事をグダグダだらだらと書き並 べる癖があって、必要な事は全部書いてはあるものの、瓢箪鯰みたいで何とな く分りづらい。

「カンケーねーんだよ!プロジェクト」の方は昨夜遅くにようやく一息つ いた模様。オレ、そんなの知らんよ!と蹴飛ばして思考停止したかったんだけ ど、諸般の事情や自分の立場を考えると、一応真面目に仕事しないといけない かなーと、柄にもないことを思ってやってたってわけ。この仕事でいくつか新し い発見があったのだけど、その一つは、「数学者社会って、やっぱり邪念が渦 巻いてるのね」ってやつ。

若い時からずっと数学だけやってきた人達の、どす黒くもギラついたコー ルタールみたいなメンタリティーに触れて、ああ、この人たちはこういう「邪 念」をエネルギー源にして数学研究に励んでいるのか、凄いもんだな、と。 ハーディー大先生の「ある数学者の弁明」に、邪念無き者に真理の女神は微笑 まない、みたいな事が書いてあって、アホぬかせ、このタコ爺めが!って思わ ずゴミ箱に捨ててしまったけど、これは案外本当かもしれない。

また、「邪念」にまみれた世界でずっと暮らしていると、何かの事情で研 究がうまく行かなくなった時に、言うべき事もいえない人になってしまう(ら しい)ことも知った。それって自分で自分の首を締めてるみたいな話で、馬鹿 じゃん!でも「数学以外の価値は全て虚しい」とかいう風に真剣に思ってた自 分の学生時代って、そんな感じだったよな。あの頃は馬鹿だった、と。

私は若い時は数学をやってなかったし、数学に戻ってからも大した研究は してないし、性格が歪んでいて社交性も限りなくゼロなので、いまだに数学者 社会ではビミョーに他所者状態。しかし、他所者として座敷童よろしく気配を 殺してやってる方が案外気楽で楽しいことも知っているので、「邪念」からは 自由に生きている積もりだったのだが。。。

しかし、「あなたも邪念でギラついてますよ」みたいな事を言われて、ちょっ とショック。何だよ、オレってそんなに嫌な奴なんかよ?!って、まあ、 嫌な奴なんだけどね。

2008年7月7日(月)
<<猜疑心の塊>>
昨日は睡眠不足でふらふらだったので早めに就寝し、今朝は少しゆっくり寝て いた。久しぶりに良く寝た。それから自宅でちょっとした計算をしたり、また ぞろ「カンケーねーんだよ!プロジェクト」関連のメールを書いたりしてすご す。15時頃に一区切りついたので、もうだいぶボロボロになったリュックサッ クを買い換えようと、四条の大丸へ。夜は、就職委員関係のメールベースの 仕事を片付けてから、グロタンディックのセミナリー ノートを少し読み進める(予定)。

「カンケーねーんだよ!プロジェクト」で久しぶりに同僚とメールのやり とりをしていると、自分が猜疑心の塊のような人間であることがよくわかり、 さすがに心の病が原因で全世界を敵に回して戦争をしてきただけのことはある なと妙に感心してしまう。最近ようやく「病状」が緩和する兆しが見えてきた けど、全快するかどうか目処は立たない。しかし、数学や芸術は(猜疑心とい う意味で)疑う必要が無いから、ずいぶん気が楽だ。

そういえば、東京のある大学の先生が、可換環論のメーリングリストに9 月の研究会の案内を流していたのだが、全く同じ文面のものを昼過ぎから夕方 まで断続的に7本(20時半現在)も送信していた。何故同じものを何度も流 しているのかは不明だけど、これはちょっと面白いことになってきたぞ、一体 何時まで送り続ける積もりかしらと思って、専用フォルダーを作って収集をし 始めたところ。

以前も岡山の大学の先生が、可換環論とは全く関係の無い意味不明な個人 的近況報告を断続的に送信していたので、やはり面白がって専用フォルダーを 作って収集していたのだが、その時は3通ぐらいで終わってしまい、ちょっと がっかりした。

2008年7月6日(日)
<< それは、謎 >>
母の初盆の法事のため、日帰りで田舎に帰る。「頓珍漢ちゃぶ台返し」のメー ル書きの仕事で脳味噌の普段全然使っていない部分を使い過ぎたせいか、昨夜 は神経が昂ぶってほとんど眠れず、睡眠不足で終日ふらふら。

夕方京都の自宅に戻ると、「ちゃぶ台返し」に対する返答が届いており、 悪い冗談なのか、微妙な誤解なのかよくわからない事が書いてあったので、 とりあえず一応キレておこうということで、そのような応答メールを返しておく。

来客接待「巨大プロジェクト」といい、今回の「カンケーねーんだよ!プ ロジェクト」といい、今年の梅雨は、何だかよくわからない事に巻き込まれて ひとり頭を充血させていた。その原因はいずれも、当事者のいずれか一方、ま たは、双方の頭がおかしいことによるものと考えられる。実は私の頭だけが おかしいのかも知れないが、「それは、謎」ということにしておこう。

あまりに眠いので、夜は適当にぼーっとして、早く寝る(予定)。

2008年7月5日(土)
<< 頓珍漢ちゃぶ台返し>>
関西日仏学館の日。夕刻帰宅後、例の私とっては全くどうでも良い、 下らない議論のメールのやりとりで疲れ果てる。なるほど、皆さん、 この議論に付き合うのにウンザリし、たらい回しの末に私の所にお 鉢が回ってきたという状況がはっきりしてきた。

この手の議論にはマトモには付き合ってられんなと判断し、昔 某先生が得意技としていた「頓珍漢ちゃぶ台返し」を使って対応 することにした。

2008年7月4日(金)
<< 後悔 >>
電車が遅れ、通常1時間ちょっとの通勤時間が2時間弱になってしまった。ぎ りぎりの時刻に大学に駆け込み、研究室大急ぎコソコソ昼食の後、12時3 0分より14時まで1回生「情報処理」の講義。引き続き演習室に移動し「情 報処理演習」の授業。この授業は教えていて楽しい。何というか、学生達と一 緒に何かの研究開発プロジェクトをやってるみたいな感じで、私がそのボスっ てわけだ。勿論、やってる内容はC言語の初歩演習にすぎないのだけど、彼ら の質問の相手していると、結構楽しめちゃうのよね。

オッサンになって良いことは少なくとも2つあって、1つ目はオバサマ の美しさが分るようになること、2つ目は人間がずうずうしくなって、苦 手科目や嫌いな科目を教えても学生と一緒に楽しめてしまうこと。

その後、16時に企業の採用担当者の来客。数物事務室からは少し離れた 別の事務室の応接室で、40分ほど会談。事務職員の人が色々な仕事の合間に 部屋のエアコンを入れ、冷たいお茶を出してくれていた。ああ、たったこれだ けの事。日本全国どこの会社や学校や役所に行っても、職員の方が「お安い御 用で」と気持ちよくやってくれるこの仕事の有りがたさを、「巨大プロジェク ト」を経験した私はしみじみと噛みしめるのであった。

夜は「カンケーねーんだよ!」関係の学科の仕事メール書き。何だか、他 人の家の軒下借りてどうにか雨露凌いでいるだけだったのに、とっ散らかった 母屋の後片付けを押し付けられたような話。そんなの、散らかした本人がやれ ばいいじゃん。お前ら、何で思考停止してるんだよう!と。メールを書いてい るうちに、何でオレがこんな役回りを引き受けなきゃらなねーんだよう!と、 ムラムラと腹が立ってきた。

2年前の学科長時代にちゃんと数理科学科を潰しておかなかった事を深く 後悔する。

2008年7月3日(木)
<< カンケーねーんだよ! >>
10時40分より12時10分まで経済、経営学部のCプログラミングの授業。 だんだん課題が難しくなってきたのか、PCを前に唸っている学生が多い。教員 用PCの前に座って学生を横目で監視しながら、最近巻き込まれている詰まらな い議論のメールを柄にもなく糞真面目に書いて、授業終了間際に送信。

しかし研究室コソコソ昼食を摂っているうちに、数理科学科にただ所属し ているだけの私が、何でこんな下らない事まで考えなければならないのだ と段々腹が立ってきて、さらにもう一通「五月蝿い!こんな話、オレには カンケーねーんだよ!」メールを書いて送る。

14時10分から15時40分まで留学生数学。今日は、指数関 数と三角関数の積の極値・変曲点・グラフ、ある漸化式で定義された数列の極 限、多項式と対数関数積で定義された関数の高階導関数の計算の問題を解く。 あと、この授業の学生ではないが、中国人留学生の4回生が工学部の大学院入試 問題の質問をしたいと言ってきたので、「フーリェ変換や常微分方程式は専門 外」と強力なクギをさした上で引き受ける。近く私の部屋に質問の束が投げ込 まれる予定。くわばらくわばら。

留学生数学から帰ってきたら、さきほどの「カンケーねーんだよ!」メー ルに返事が来ていて、「頭を冷やしてください」と。んなこと言われても、 事実を「淡々と」書いて送っただけなんだけどな。

そうこうしているうちに、16時過ぎから18時頃まで卒研B(数理論理 学)。一階述語論理の恒真性、充足可能性、恒偽性、無矛盾性、モデルによる 充足可能性、完全性の概念など。かつて理論計算機科学者として数理論理学を いじって飯を食っていた時があったけど、この部分は理解の空白地帯のまま 代数に転向してしまった。今日やっと勉強できて、良かった。

ゼミの後は生協で夕食。研究室に戻り、「頭冷やしてください」メールに 「うっせー!オレの頭はいつも絶対零度にクールだぜ!兎に角、カンケーねえ もんはカンケーねーんだよ!ガーッ!!!」メールを書いて送ってから、大学 を出る。傘があまり役に立たない大雨の中を22時前に帰宅。

夜はグロタンディックのセミナーノートを少し眺める。

2008年7月2日(水)
<< 不穏な発言 >>
研究室コソコソ昼食の後、12時半より2時間ほど卒研A(代数幾何学)。射 影代数多様体の因子とピカール群の定義、セグレ埋め込み写像など。 その後、文献検索、定期試験問題や出張申請書の提出、来客お茶接待「巨大プ ロジェクト」崩壊後の動向調査。 16時から18時まで、大学院推薦入学の面接試験。 それから10分程度の休憩後、20時半まで教室会議。

教室会議では、例によって内職したり、棺桶に入って永遠に眠る練習をし てみたり、時々議事に乱入してウワゴトのようなテキトーな発言をしたりして たのだが、それやこれやの中で「それじゃあ、高山が代数を教えれば良い」 という不穏な発言を耳にしたような気がする。そんなことになれば、私の幸福 な研究生活が脅かされかねない。大学というところは、自分の専門分野は講義 などでは教えず、研究するときだけこっそり懐から出してくるぐらいが丁度良 いのだ。

それにしても、4時間以上もおじさん達に囲まれていると流石に気が滅入っ てくる。 嗚呼、もう誰の顔も見たくない!と思いながら生協で夕食の後、研究室に戻っ てメールをひとつ出してから大学を発ち、 23時前に帰宅。

2008年7月1日(火)
<< 大プロの時代 >>
夏の気配、今日から7月。昔は、春はぼんやりしてしまうから嫌いだし、夏は 暑いから嫌いだったが、今はどの季節も楽しい。春はぼんやりしてしまうから 好きだし、夏は暑いから好きだ。

今日も自宅や京大数理研図書室にて、昨日に引き続きちょっとした計算を 色々やり、それ以外はグロタンディックのセミナーノートを読む。

来客お茶接待「巨大プロジェクト」の方は、もはや私の手には負えないぐら いに常軌を逸してきており、これはもうその道のプロに処理を任せるしか ないと考え、然るべき部署に丸投げした。

思えば今回の件に限らず、過去1年以上の間、類似の大型プロジェクト (大プロ)を何度も乗り越えてきたけれど、今回は「とうとう、ここまで 来たか」って感じ。しかし、この大プロの時代も今年度一杯でようやく終了 する模様である。