の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2008年6月30日(月)
<< Felicitations! >>
研究日。午後は京大数理研図書室へ。今日は終日ちょっとした計算に明け暮れ、
夜、ようやく目鼻が立ってきた。その合間はメールや電話などで就職委員関係
の仕事。
日本中どこの職場でも、来客を迎え事務の人にお茶を出してもらうことは 何でもない事だと思っていたけれど、Ritsでは必ずしもそうとは限らない。一 週間以上かけて関係者と粘り強い対話を重ね、交渉が不調に終れば善後策を講 じ、関係者に対してしかるべき断固とした措置をとるという、気の遠くなるよ うな巨大プロジェクトになりうることを初めて知った。こういうのって、エッセン のケネディ広場にあるT-Punktに毎日のように通って怒鳴り込んだ、「ドイツ・ テレコムとの血みどろの戦い」以来だな。
そういえば、私の頭の中はもう半分フランス語になってしまい、ドイツ語も 覚えてるんだかどうだか怪しくなってきた。今日は同僚のログに"Facilitation"が 「簡易化」という意味だと書いてあったので、咄嗟に「アホぬかせ。 "Felicitations." は『おめでとう!』って意味じゃんかよ!」と抗議のメー ルを書きかけたところで間違いに気づいた。Facilitationは英悟、 Felicitationsはフランス語。良く見ると綴りが少し違うし、発音も全然違う。
しかしどうやら、その同僚に"Felicitations!"と言える日は近いようだ。
2008年6月29日(日)
<< 無料美術館 >>
昼過ぎまでは自宅や山科区内で野暮用など。午後は久しぶりに三条河原町界隈に
出かける。Sbux新京極展でしばらく数学。
その後JEUGIA三条本店に移動し、
全ての邪念を振り払って3階CD売り場に突撃し、
"Morzart Symphonies" (Orchestra Mozart, Claudio Abbado)の
CDを速攻購入。
私はオーケストラ音楽があまり好きではなく、特にモーツァルトは、ゲー
テ・クラリネット奏者氏との交流によって頑なな心の目が開かれるという
劇的で麗しい体験をするまでは、文字通り「大嫌い」だったわけで、今でもモー
ツァルトはクラリネット協奏曲とオーボエ協奏曲を除いては室内楽しか聴かな
いのである。それゆえ、このクラウディオ・アバドとかいう人の指揮するモーツァル
トのシンフォニーが、他の演奏と比べてどうだということは、
私には全く分からない。
しかし、 「たわむれに このCDを試聴し そのあまり凄さに泣きて 三歩あゆまず」なのである。ヘンッ、モーツァルトのシンフォニーかよ、こう いうの好きな奴っているんだよね、困ったもんだぜ、と鼻であしらいながら ちょっと聴いてみたら、大変なことになってしまったのだ。
もうこうなったら、悪魔に魂を売り飛ばして
正真正銘のオジサンになってしまってもいいから(もうなってるじゃん)、
このオーケストラの演奏に感動したことを正直に認めようということで、
速攻購入に至ったのである。
CD購入後は、管楽器売り場に移動。フルートに物珍しげに見入っていたら、 若い店員が「何か楽器をお探しですか?どの楽器か演奏されるのですか?」と。 いいえ、私は楽器は何もやりませんし、ただ見てるだけですと言ってとりあえ ず逃げる。まあ、JEUGIA管楽器売り場は、私にとっては無料美術館みたいな ものである。
管楽器は結構美しいから見てるだけでも楽しい。一番好きなのはオーボエ。 クラリネットはべーム管よりも、ロココ調のエーラ管の方が好きで、フルートも悪 くない。要するにあの、穴をふさぐための弁を動かす金属性のレバーなどがメ カニックな感じがして、ぐっと来るのだ。しかしサックスやトランペットは、 あのぐにゃぐにゃっと曲がった管がサザエか巨大イカの逆襲みたいだし、フレ ンチ・ホルンなんてまるでアンモナイトだ。その生物っぽい感じがちょっと気 持ちわるいから、それほど綺麗だとは思わない。
その後、JEUGIAを出て久しぶりにアンジェ河原町三条本店へ。ここもまた 私にとっては無料美術館。綺麗な雑貨や食器、手ぬぐい、玩具などを見て回り、 大満足。無料美術館といえば、寺町通りや京都市役所の近辺には、いくつか画 廊があって、どういうわけか詰まらない絵ばかり専門に展示するようなところ もあるけれど、良い絵を扱っている所が多く、それぞれ特徴があって面白い。 でも中学生時代ならともかく、いい大人になって画廊に入って「ただ見てるだ けです」では済まない。先日は某画廊に迂闊に踏み込んでしまって、とても良 い絵を見つけて一人で歓声をあげて興奮してたら、店員に捕まってしまい逃げ るのに苦労した。だから画廊は外からそっと覗いているだけにとどめているのだ。
夜はまた少しだけ数学。
2008年6月28日(土)
<< 「少し風変わり」ですと? >>
関西日仏学館の日。今日は夏学期第一日目。京大ルネで少し早めの昼食の後、
日仏学館の図書室にて1時間ほどグロタンディックのセミナリーノートを読み、
さらにカフェに移動してコーヒーを飲みながら、授業時間の直前まで続きを読
む。今日のカフェには先日のコンサートでショパンを弾いていた人は居なかっ
た。
今日授業で隣に座った学生さんは、クラシックギターをやっているという ので、私も小学6年生から大学卒業するまでやってましたということで、色々 雑談。クラシック・ギターを始めたきっかけ、やめた理由(何だ、結構人前 で自分の事話してるじゃん)。それから、タレガやソルのクラシック・ギター 定番曲もいいし、それ以外にもJ.S.バッハとかバロックを弾いてみるのも面白 いかも知れませんよ。いつか挑戦してみたらどうですか?ロックンロールの ポール・サイモンも、その昔S&G解散後の充電期間にクラシック・ギターを 勉強してて、J.S.バッハが一番お気に入りだと言ってたし、最近では福田進一 の無伴奏チェロ組曲のギター編曲のCDとかすごく良かったし等等(なんだ、 オレって結構社交的じゃん、エヘッ)。
もう一人、数学者を目指して理学部に入学したが、大学の数学に面食らい 地球物理に転向し、さらに文学部に入りなおして、今は哲学を研究 しているという人がいた。「貴方は数学者ですか。羨ましい ですね」などと言われたので、私も数学で落ちこぼれてコンピュータの会社で 何年か働き、今はコンピュータの先生として立命に雇われているのだが、自分 で勝手に数学をやっていると答えておいた。本人は、自分が今やっている 哲学は「怪しい」のだと言っていたけれど、何を仰るウサギさん、私は存在自体が 「怪しい」んですぞ!と、「怪しさ」比べでは負けないぞ!という構えを見せよう かと思ったけど、今日のところはやめておいた。
京大理学部は、大学で何となく「落ちこぼれて」文系に転向してそこで偉 くなる人が多い。私の同級生でも、一族郎等の多くがそのコースで偉くなって いる学者一族の師弟で、自分も最初からそのコースを狙って周到な計画の下に わざと(?)「落ちこぼれて」、紆余曲折の後、現在は法社会学で一家を成し ているのが居る。これはなかなか良い学風だと思う。
そういえば授業の最初に、普通の自己紹介では詰まらないので、前のクラ スから通っている人同士で他者紹介をして、新しく来た人に便宜を図ろうとい うことになった。ある人が私のことを「少し風変わりな大学教授」と紹介して くれた。子供の頃からそうだけど、私は「変な奴」と呼ばれるととても嬉しい。 「『少し風変わり』ですと?で『少し』ではなく『物凄く』です(エッヘン!) "Un peu bizarre? Non, je ne suis pas UN PEU bizarre, mais TRES bizarre!"」と訂正しておいた。
帰りはJEUGIA三条本店でCD漁り。今日試聴した中では、モーツァルトのシ ンフォニーが何曲か入った2枚組みCDが一番良かった。オーケストラの良し悪 しは私にはよくわからないけど、弦楽器の音に切れ味があって、軽快に流れるよ うな感じがとても気持ち良く、演奏している人たちの清清しい気迫が伝わって くるようだ。ああ、これ買ってしまいそう。。。いずれ買うことになるんだろ うなと思いつつ、今日は見送り。何故か?
だって、モーツァルトのシンフォニーに感動しているようなオジサン臭い ことでいいのだろうか?って考えたら足がすくんでしまうし。 いや、ワーグナーとかブラームスとかだとアウトだけど、 モーツァルトならセーフじゃないか?とか、 それにしても、 オジサンがオジサン的であることに抵抗するのは良いとしても(何故良いのだ?)、 そもそも「シンフォニーに感動することはオジサン的である」という命題は正しい のだろうか?とか、 でも、人前で「誰それ指揮のなんとかフィルのモーツァルトのシンフォニーの 何番って、最高!最高!もう最高!」とか興奮して叫ぶような 気持ち悪いことをしない限り、やっぱりセーフじゃないか? とか、そういうことを色々考えてしまうと、「じゃあ私は どうすればいいの?」(ゴチャゴチャ言ってないで買えばいいんだよ!)と悩 んでしまうのだ。
夜はスポーツクラブでへとへとになる。
2008年6月27日(金)
<< トノサマガエル >>
12時半から16時前まで、1回生の「情報処理」の講義、ひきつづき、「情
報処理演習」の授業。16時から18時半ぐらいまで、学内某所にて某先生と
密談。久しぶりに学内で起こっている色々な話を聞いた。
それから生協で夕食をとって、「情報処理」の前期試験問題を完成させ、 次回の授業で配布する資料とそのコピーを作り、さらに「情報処理演習」のレ ポートの集計表の更新作業を済ませ、21時過ぎに大学を出る。
キャンパスの通称「いらっしゃいませ噴水」(来客がある時だけ噴水が出 ることから)に、先日から大人の親指程の大きさのトノサマガエルが2,3匹住んで いるらしい。私が帰る頃には、薄暗い中でよくゲコゲコ鳴いている。 この噴水池は、手入れが行き届いた小学校のプールのように水が 澄み、さらには周りの生態系からはかなり孤立しているので、蛙が自然発生す るとは思い難い。おそらく学生か誰かが持ち込んだものだろう。
通勤の行き帰りは、これまで何が書いてあるのかざっと眺めていただけの、 グロタンディックの古いセミナリーノートを丁寧に読み始める。丁寧に読むと フランス語でよくわからない言い回しがちょくちょく出てくる。多くの場合数 学の内容には直接関係しない部分なのでいいようなものだが、こういうところ をきっちり押さえるとフランス語の力がつくんだろうなと思う。
帰宅は22時半ごろ。久しぶりの長い「業務連絡」に疲れたので、焼酎の 炭酸割を一杯。
2008年6月26日(木)
<< 晩年のK. Gödel >>
10時40分から12時10分まで、経済学部、経営学部のCプログラミング演習
の授業。今日は何故か受講生は2名と少なく、終了30分前にもう1名現れる。
教員用PCの前に座って学生を監視しながら、「情報処理」の定期試験問題作成作業。
昼休みも、研究室コソコソ昼食の後、「情報処理」の定期試験問題作成作業。
14時10分から15時40分まで、学生から「お題」をもらってそれを 解いてみせる留学生数学の授業。中国人グループを中心とした、偏微分や全微 分の意味、増減表を使った関数の不等式の証明、双曲三角関数の意味、ルジャ ンドル多項式の計算などの質問に答える。先日までは山のように質問してきた 韓国人グループは、先週あたりから教室のノートパソコンを持ち込んで、それ を覗き込んで何やらわいわいやっていて、数学の質問はあまりしてこなくなっ た。
そういえば私は毎年前期の留学生数学担当なので、極限や(偏)微分の問 題は沢山解かせてもらえるけど、(重)積分の問題を質問されることはない。 数年前に1度だけ数理科学科1回生後期の微積分演習の授業を担当したことが あって、その時は置換積分と部分積分の計算問題を山のように解いたけど、 ああいう計算技術みたいなのは、しばらくやってないとすぐに忘れる。
16時過ぎから18時前まで、久々の卒研B(数理論理学)。今日は述語論 理の演繹定理の証明など。教育実習から帰ってきたら、ゼミの発表がかなりう まくなっていた。教育実習は偉大だ。
卒研ゼミの合間にテキストの前の方をぱらぱらと見ていたら、K.ゲーデ ルの逸話が書かれていた。彼は大変な人嫌いで有名で、パーティーにはほとん ど出たことが無く、どういう風の吹き回しかたまに顔を出すこともあったが、 とてもじゃないが社交的とはいえなかった。しかし、親しくなってしまうとむしろ人 懐っこいほうだったとのこと。うーむ、かなり親近感を持ってしまうな。ゲー デルの晩年肖像でよく見かけるものは、私の父の晩年にちょっと似ていて、そうい う意味では昔からすこしは親近感を持ってたのだけど。
その後、生協での夕食を挟んで「情報処理」の定期試験問題作成作業。 大体出来て、あとは最終チェックをして問題用紙に切り貼りするのみ。
2008年6月25日(水)
<<ブーたれた返事>>
12時半から15時過ぎまで卒研A(代数幾何学)。その後、定期試験の
問題作成作業を少しやってから帰宅。
昨夜、同僚の某先生からある頼まれ仕事のメールを貰い、「何でオレがそ んな事考えなきゃならないんだよう。カンケーないじゃん!」とブーたれた返事 を出したのだが、結局今夜もそれに関する作業をしたりメールを出したりで、 数学はなし。
それやこれやの合間に事務の人に出したある依頼メールに対して、ブーた れた返事が届いたので、いつものことながら困った人だと静かで深い怒りを込 めた、優雅な応答メールを出しておく。
2008年6月24日(火)
<<ドコモショップ>>
研究日、改め夕方から会議。ツチノコの在り処はわかったので、今日はそこを
色々攻めてみた。
数学以外では、携帯電話の電池交換のため、昼前に山科区内のドコモショッ プへ行った。ドコモショップでは結構待たされると思って、リュックに本やノー トや論文などを一杯詰め込んで準備万端で行ったのだけど、結局5分で用件が 終ってしまった。
それから、17時前から教授会に準じる会議があるので、16時頃に大学 へ出勤した。出張報告書を書いたり評議員選挙の投票をしたり、少し数学をやっ たりしているうちに会議の時間が来て、19時過ぎに終了。
会議ではちょっと興味深い話をやっていたので、内職の手を休めて議事に 聞き入っていたのだが、結局あまり面白い話でもないことが分った。 その後も、前半の会議の余韻を楽しむかのように、引き続き別の会議が遅くま で開かれていたようだが、もうそこまで付き合わなくてもいいだろうと思って 退散。
さて、つかの間の躁状態が終った今は、ゆるゆるのフランスもの木管楽曲とは
しばらくお別れ。ピアノ曲を聴くなら、ケフェレックの明朗な音や、ア
ルゲリッチのインスピレーション溢れるこれみよがしの音、リヒテルのしっか
りとした筋肉質の音もいいのだけど、やはり田部京子のピアノでメンデルスゾー
ン無言歌集がよろしい。何というか、このピアノの音には人の心を優しく励ま
すような、奥ゆかしく懐かしいものが感じられるのである。
2008年6月23日(月)
<<捕まってみる>>
22時前に月例の日大特異点理論月曜セミナーから無事帰還。人と会うのが億
劫になるコミュニケーション能力崩壊症候群が進行しているのか、以前はそう
いうこともなかった日大セミナーも、参加するのがだんだんシンドクなってき
た。
世界を3秒で抹殺する「私には何の関係もない!」呪文も、実際はそれほ ど効果があるわけでもないし、数学も結構コミュニケーション能力が要求され る学問で、なかなか大変である。ペレルマンぐらい天才になると、森のキノコ と語り合いながら数学をやっていけるのだろうけど。病気が進行して完全に引 き籠り状態になった時には、数学をやめて黙々と人知れず絵でも描いてすごす のもいいな。
ただ、帰り道に参加者のひとりと一緒になり、上高井戸の駅まで雑談をし たのは良かった。え?お前、人と雑談するのが嫌で生返事して逃げるんじゃな かったのかって?勿論、そうしようとして「私に話かけないで!」オーラをび んびん放って抵抗したんだけど、逃げ切れずに捕まってしまった。でも、 たまには捕まってみるのも良いものだ。雑談は脳に良い刺激を与えるのか、少 し頭が活性化してすっきりしたような気分になったし。 自分からよく喋る人で、こちらは基本的に相槌を打ってればよいだけなのも 良かった。こちらが何か面白い事を喋るよう期待されるような会話だと、 何の話題も思い浮かばない私としては困ってしまうからだ。
ということで、「無事帰還」なのである。無事を祝って、帰りの新幹線の中 でビールで密かに祝杯をあげた。
ところで定宿の新宿ワシントンホテルは、何時行っても中国人観光客で一 杯だ。大陸中国、台湾、香港の何処から来ているのかはわからないけど、いず れにせよ現地のお金持ちなんだろうと思う。親子連れの子供の服装なんか見て ても、何となくお金持ちっぽい。 それにしても何故中国人は新宿が好きなのかは、 よくわからない。案外、都庁のあのおどろおどろしい威圧的な建築が中国人好 みなのかもしれない。実際月曜セミナーの出張で、朝、ホテルから新宿駅の方 へ向かう途中、必ずと言っても良いほど都庁の前で記念写真を撮っている中国 人の家族連れ観光客を見掛ける。
新幹線の中ではグロタンディックの論文の一つを眺め、例の「ツチノコ捜し」。 どうやらツチノコの在り処を突き止めることができた気がする。
2008年6月21日(土)
<<バカロレア>>
関西日仏学館の日。結局、夏学期も通うことにして昼頃に登録・申し込み手続
きを済ませた。今日の授業で、先週からフランスでは大学入学資格試験
バカロレア(baccalaureat)が始まったことを知った。今年の哲学の問題は
"Peut-on desirer sans souffrir?"なのだそうで、受験生は4時間の時間が与
えられ、この課題について作文を書くのだという。問題文の意味について講師
の先生は「日本語でどう言うのかわからない」と言っていたが、恐らくは「人
は満たされている時にも何かを望むことはありうるか?」というような意味だ
と思う。「ありえない!」とか「人によりけりじゃないの?」の一言では勿論
落第だろうし、こういう問題で延々4時間も作文を書くような教育を受ければ、
さぞかし口達者な立派なフランス人が育つことだろうと思う。
今日は日仏学館でなにかイベントをやっていたらしく、休憩時間に1階の カフェに行ってみたら、いつもウエイトレスとして珈琲を運んできてくれる人 がピアノでショパンを弾いていた。後で調べてみたら、10年程前からあちこ ちのコンサートなどで演奏しているプロらしい。私には、ショパンにしては少 し音がばんばんとおどろおどろしく聴こえたのだが、そのことを音大に通って いるというクラスメートに話したら、「あの曲は色気を出すのがとても難しい」 のだと即答が返ってきた。
この休憩時間の一件 --- つまり、世を忍ぶ仮の姿で私に珈琲を運んでくれ た人がその正体を現してピアノを弾いていた驚きと、私の感想に対して興味深 いコメントが即座に返ってきたこと --- によって、なぜか私は躁状態に切り 替わったようだ。この躁状態、いつまで続くのかしら。
それにしても、ピアニストって、やれ、お前のショパンには色気が無いだ の、シューベルトみたいなベートーヴェン弾くなとか色々言われて育ってきて るのかしらね。数学者も、やれ、 お前には想像力が欠けてるから数学は無理で詩人にでもなればどうだとか、 お前は頭がバグってるから数学なんかやめてプログラマーになったらどうだ とか言われて 育つんだけど。その過程で私のように ひねくれてトラウマ背負ってしまうと、その後の人生がキツクなる。
授業が終ってからもう一度カフェに行ってみたら、今度は木管四重奏で J. Ibert, E. Bozza、J. Francaix の曲をやっていた。フランスもの木管四重 奏というのは、いつ聴いてもなかなかの雰囲気モノで大変よろしい。フルート が時々強く吹き過ぎてキツイ音になってしまうところが少し気になったけど、 「ああー、何か知らんけど物凄くフランスやなあ」って感じで、いい気分。
それで、「よし、今日はフランスものでキマリだ!」と、帰りにJEUGIA三 条本店に立ち寄ったのだが、売り場が少し改装されたのか、CDの棚の丁度私の額の 高さあたりに蛍光灯が設置され、無駄に明るい。じっ、、、JEUGIAさん、、、 眩しいデス。。。と、太陽が眩しいドラキュラよろしく早々に退散。夜はスポー ツクラブでへとへとになる。
そして帰宅後は、
久しぶりにポール・メイエらフランスのイケ面おじさん達が
フランスもの管楽器の粋をこれでもかこれでもかと見せつける
"Trios d'anches (木管三重奏曲集)" を聴いてみた。
これは良いCDなのだが、そのあまりのフランス臭ぷんぷん振りが鼻につい て、なかなか聴いてみようという気分になれない。だいたい、こういうユルユ ルの音楽は、余程満たされた気分の時でないと聴いておれないものだ。
On ne peut pas desirer sans souffrir, mais
on peut ecouter les vents francais avec plaisir.
(人は満たされている時には何も望まないが、フランスもの管楽器の曲を
聴いて楽しむことができる)
うーむ、これではやっぱりバカロレア落第だろうなあ。
これだけではまだ物足りず、やはりそのあまりのフランス臭さ故に
長らく封印されていた、プーランク室内楽集のCDも聴いてみる。
聴ける時に聴いておかないと、また鬱になったら聴けないぞ。
「嗚呼、脳が歪んだこの私に、毎日プーランクを聴いて楽しめる人生は訪
れるのでしょうか?」と天を仰いでつぶやくフリをしてみる。
2008年6月20日(金)
<<悪魔に魂を売り飛ばす>>
12時半から14時まで1回生の「情報処理」の講義、ひきつづき演習室に移
動して15時40分まで「情報処理演習」の授業。今日はメールで提出された
レポートのチェックを授業時間中に全て終えることができたので、研究室に置
いてある本で少し「ツチノコ捜し」をやってから、16時過ぎに大学を出る。
山科駅前の郵便局で7月末に聴きに行く予定のコンサートのチケット代を振り
込んでから帰宅。夜は就職委員関連の仕事で、自宅からメールをやりとり。そ
れから、明日はフランス語の日なので、できるだけフランス語の文献を選んで
「ツチノコ捜し」作業を続行。
そういえば、自分は生まれた時から人嫌いだったと思っていたが、数学に 転向する前は案外そうでもなかったように思う。
学生時代は指導教官や先輩、同輩、後輩にさんざん馬鹿にされて育ってき たので、こと数学に関して私の自己評価は極端に低く自信は皆無であり、卑屈 で志卑しく、自尊心に乏しく、さらには、世界中の数学関係者は私の事を馬鹿 にし、あんな馬鹿をまともに相手にしても何のメリットも無いし単なる時間の 無駄だと思ってるに違いないと固く固く信じている。まあ、親の愛に恵まれな かった子が成人になっても苦しむという、自尊心の葛藤みたいな話である。
普通、こういう学生は大学を出たら数学から完全に足を洗い、学生時代の 心の傷は記憶の底に沈め、新しい世界で新しい仕事を見つけ、それなりに苦労 はあるだろうけど、とくに病的な人嫌いや自尊心の葛藤に陥ることもなく、そこ そこフツーにやっていくものである。私もそうだった。
しかし何の幸運か偶然かウマウマと数学の世界に戻れてしまうと、また学 生時代の自尊心の葛藤が蘇ってくるのである。一度完膚なきまで徹底的に叩き 潰された自尊心が自然治癒するわけもない。頑張って良い研究をすれば気も晴 れようものだが、元々大した才能があるわけでもないので、書けるのはゴミ論文ば かり也となると、やはり「世界は私を拒絶している」という思いからは抜け出 せない。世界の人々に関する真実は、おそらく「高山は大した数学者でもないけ ど、だからと言って別に拒絶はしてないさ。大したことない数学者って山ほど 居るし、大したことない数学者同士が、皆それなりに仲良く楽しくやってるじ ゃないか」といったところだろうけど、そういうバランスが取れた自己肯定が できないところに病理の根深さがあるのだ。ではどうすれば良いか?
答は簡単である。私を拒絶する世界は抹殺すれば良い。世界を抹殺するに は3秒あれば十分で、「それは私には何の関係もないことだ」と胸の内で唱え ればよろしい。と、まあ、そんなことをやっているうちにだんだん人嫌いが激 しくなってきて、現在に至っているのだろうと思う。素質に歪みのある者が、 環境に適応するために筋の悪い対処を繰り返しているうちに、立派なひねくれ 松に成長しましたとさ、みたいな話。
で、そんなんでお前は幸福なのか?と聞かれるとちょっと困ってしまう のだけど、悪魔に魂を売り飛ばして数学を研究する楽しみを手に入れたって感 じかな。それだけではちょっとキツイから、数学業界とは関係ない世界を持っ て、適当にバランスを取らないといけない。というわけで、明日は関西日仏学館 の日。とは言っても、人嫌い傾向は数学業界に限らず全世界に対して進行してい るので、色々難しいところもあるけど。
2008年6月19日(木)
<<ようわからん>>
10時40分から12時10分まで、経済学部と経営学部のCプログラミング
の授業。その後、研究室こそこそ昼食としばし数学。代数曲線のヤコビ多様体につ
いてのある事実(とされていること)の確認作業。関係しそうな文献をあたっ
てみても、ツチノコみたいに気配はあれど姿が見えず。
14時10分から15時40分まで「留学生数学」の授業。16時から卒
研B(数理論理学)の予定だったが、学生が教育実習の疲れが出てダウンした
とかで、急遽キャンセル。図書館で本を何冊か借りてから帰宅。夜も代数曲線
のヤコビ多様体について色々調べるも、ツチノコはまだ見つからず。
ツチノコ捜しなどをしている間は、その分野の専門家とは言えないな。
さて、昨日の話の補足。「私は立場上『どうでも良い』派として振舞うし かない」と書いたが、それは要するに私にはあまり関係ないことが議論されて いるからである。しかし不思議なことに、この議題におおいに関係ありそうな 立場の人も、そのほとんどが『どうでも良い』派。その理由は「私は定年が近 いから」「私は数学者だから」「私は酒を飲みすぎたから」と各自さまざまの ようである。定年云々でやる気が無くなるのは世の常だけど、そ れ以外の「理由」はいかにも数学科らしいというか、流石は複雑系の皆様でご ざいますね!というべきか、何か私にはようわからん。別にわかんなくてもい いんだけどさ。
2008年6月18日(水)
<<テキトーな発言>>
12時半から15時頃まで卒研A(代数幾何学)。16時から18時頃まで教
室会議。今日の中心的議題は、「学科の明暗を左右する大問題だけど、(高々
2,3名の人を除いて)誰もがどうでも良いと思っているか、あるいは考えて
もすぐに頭の中が真っ白になってしまうものってナーンだ?」というナゾナゾ
のような話。
私は立場上「どうでも良い」派として振舞うしかないし、かと言って、 黙って死んだフリしてるのも退屈だしということで、 例えば数理科学科の授業なんてマトモに担当した事もないくせに、学生の学力の 経年変化の特徴についてのもっともらしい説を唱えてみたり、 確率論一色に塗りつぶされた世界から離れてひっそりと暮らしていきたいと 思っているくせに、世の中で確率論と数理ファイナンスほど大事な学問は無いと 言わんばかりの事を言ってみたり、 大学を自分の欲望の餌食として私物化することはけしからんと言った舌の根も乾 かぬうちに、野望全開でガンガンやるべしと言ってみたり、 はてまた論理的にも言語的にも支離滅裂なウワゴトをぶちかましてみたりと、 テキトーな発言を繰り返して議事をひっかき回して遊んでいた。 口から出任せ、こけ徳利。時々こういう風に無意味な言葉 を吐き出したくなる発作が起こるようである。
それ以外の時間は、「代数曲面上の曲線族についての講義録」(マンフォード) を無駄にひっくり返してすごす。
ところで、私はいつの頃からかあまり雑談をしない人間になってしまい、 特段の用件も無いのに人から話しかけられると、無条件に生返事をしたり 適当に相槌を打って逃げようとしてしまう。(特定の人を除き)よほど人と話を すること自体が嫌いなのだろう。そのせいか、世の中の人たちは一体何をあんな に楽しそうに、あるいは、あんなに熱心に話すことがあるのだろうかと不思議に 思えてきて、通勤電車の中、病院の待合室、カフェなど、町じゅうのいたる所で 人々の会話に聞き耳を立てて、人類における会話の何たるかを密かに研究している。
人々を観察するに、自分の事を話す、あるいは、自分が興味を持っている 事について話すという、2つのパターンが多いような気がする。こういった会 話をするには、相手が自分の事に興味を持っている、あるいは、相手と興味を 分かち合えるという確信が必要である。つまり、自分が相手に受け入れられて いる、あるいは、受け入れられるであろうという適度な自信がないとできない はずだけど、皆さん結構自信家なんですね。
私は、オレさまで自己中でクールなので、オレさまに中途半端にしか興味 をもってないような奴に、オレさまの事なんか絶対教えてやるもんか!と考え ている。こちらが話している最中に気の無い顔をされるのが何よりも嫌なので、 オレさまの事はこの日誌に書いておくから、お前ら(眉毛につばでもつけて) テキトーに見とけ!と。
こうなると、私の場合は通常上の2つのパターンの会話はあり得ず、第3の パターンが中心になる。つまり、相手の事を聞く、あるいは、相手が興味を持っ ている事について聞く、である。こう見えても私は結構聞き上手なのである。 しかしそういう会話は、よほど私の興味をそそる人が相手でないと成立しない。 すぐに聞くことが底をついてしまうし、だからといって、自分の話や、自分が 興味を持っている事について話して間を持たすような事は、まずやらない からである。
そういう時、間を持たせるために相手の方から「お前はどうなのか」と私の 事を聞いいてきても、そもそも自分の事を人前でリアルタイムで話すことは想 定外なので、テキトーな事を答えてお茶を濁すしかない。そういう面倒な事態 に陥るぐらいなら、最初から何も話さない方がましである、と。嗚呼、私って、 何て我儘でややこしいオッサンなんでしょう!
2008年6月17日(火)
<<にじくる>>
研究日、といきたいところだが、16時から教授会(に準じた)会議があるた
め出勤。馬鹿馬鹿しいけれど避けて通れない重い議題なので、サボろうかどう
しょうかと迷ったが、兎に角出席。会議は19時35分ごろで終了。生協で夕
食をとってから帰宅。会議の前後(および途中)は、昨日入手した論文のコピー
をひっくり返して眺めるも、知りたいと思っていたことは見当たらない。
帰りの電車の中、隣の席に居た30歳弱ぐらいの見かけはこざっぱりした 若いサラリーマン風の男が、鼻糞をほじくり始めたので、おおお!!久しぶり に「自分の鼻糞をほじくって食べる30代男のサンプル」発見かと思わず胸が 高鳴った。何せ隣なので、恐いもの見たさの嬉しそうな目でしげしげと見るわ けにもいかず、論文コピーに見入るフリをしながら視界の隅でとらえてさり気 なく観察した。
しかし彼は鼻をほじくった指をその辺に「にじくっ」たり(「にじくる」 とは三重県中部の方言で「なすりつける」の意。鼻糞の場合は「にじくる」の 方が、その汚らしさや気持ち悪さがよく表現されて良いのではないかと思う)、 指で弾いて飛ばしたりするばかりで、一向に「食べる」気配がない。「食べろ! さあ、食べろ!何やってんだよう、この根性なしめが!男だろう、食え!うま いぞ(知らないけどサ)!」と一所懸命念力を送ってみたのだが、効果なし。そ して彼は私を失望させたまま、某駅で下車していった。
ところで(旧)情報(工)学科の時は、例えば助教授(今の准教授)が教 授会などの出席を毎回のようにさぼっていると、「勤務態度不良」ということ で教授達に睨まれて昇任人事の時に響くとされていた。では、教員の自由気儘 が最大限に保障される数理科学科ではどうなのかしら。
2008年6月16日(月)
<<ラーメン横丁?>>
眠い眠い病が少し残っているようだが、研究日。午前中は自宅、午後は京大数
理研図書室へ。京大北部キャンパス正門前を注意深く通ったのだけど、神出鬼
没のロードランナー逆走男は今日も姿を見せず。数理研でピカール多様体
についてのグロタンディックの古いセミナー・ノートを借りて、生協でコピーす
る。今日は、例の「筋トレの問題」がまだすっきりせず、色々な場合について
思いをめぐらし、昨日よりももう少しだけわかってきた。
グロタンディックを読もうと思えば、やはりフランス語が必要だが、まあ、 数学のフランス語は簡単なので、問題は数学的内容。La mathematique des Francais, c'est souvent abstrait et difficile. Mais, le francais de la mathematique, c'est toujours tres facile. って言えば良いのかしら。
京大の帰りはJEUGIA三条本店で「チャイコフスキー・コンクール、ピアニ ストが聴く現代」(中村紘子)を購入。何だかんだと言って、リヒテルは良い ピアニストらしく、終日彼のピアノが頭の中を渦巻いている。そのため、まだ 新しいCDを買おうという気が起こらない。
夕食後は近所の歯科医で2ヶ月に1度の定 期診療。この界隈はちょっとした医院の激戦地で、 歯科が(い)(ろ)(は)の3軒、 内科・小児科・耳鼻科(に)、 内科・外科(ほ)、 整形外科(へ)、 内科・整形外科(と), 内科・胃腸科・外科・整形外科(ち) の計8軒が目と鼻の先でひしめき合っているたのが、 少し前に、 内科・整形外科(と)と 内科・胃腸科・外科・整形外科(ち) がたまりかねて、相次いで別の所に転出したかと 思ってたら、数日前、新しい耳鼻科(り)が一軒開業した。 まるでラーメン横丁みたいな趣である。
夜はグロタンディックのコピーを少し眺める。