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よ け ス ペ ー ス で す。

2008年9月10日(水)
<<写真がおっかない>>
午前中から昼にかけて、自宅で人事主査の仕事。いくつかのメールを受け取り、 いくつかのメールを書いて出す。午後、少し遅くなってから京大数理研図書室。 昨日の作業の続きを少し。ローラ作戦のように最初から通しで見直していくと、 小さなミスが見つかったり、ちょっとした問題を思いついたり、色々するもの だ。

帰宅後は明日からの出張の準備。あるものが見つからないので、ついでに 散らかった部屋の整理をし始めて大騒ぎになる。「あるもの」は整理したとこ ろとは全く別のところから出てきたけど、部屋の整理は無駄ではなかったと思 う。少なくとも論文のコピーやコンサートのチラシ、用済みの計算メモや事務 資料の山の中には無いということがはっきりした。すると、それまでとは違う ところに目を向けることができて、それが発見に繋がったのである。まあ、数 学研究もそういうところがあるんじゃないかと思って、どうでも良いような所 を突っ突き回したりするんだけど、うーん、なかなかうまく行かないものであ る。

さて、ポール・メイエとカルミナ四重奏団のクラリネット五重奏曲集(フック ス、ウェーバー)を購入したのは、学科長をやる前の2006年の3月4日だっ たようである。この頃の日誌を読むと、教室会議での議論がさっぱり理解でき ないと嘆いていて、こんなことで4月からの学科長が務まるのだろうかと心配 している。また、大学でどうでも良いようなことをダラダラ議論する会議が異 常に多い理由として、大学教師は日頃自宅や個人研究室で仕事をしていている から、そのコミュニケーション不足を補うためだろうと書いている。しかし今 にして思うに、いくらダラダラと会議をやってコミュニケーションを図ったと ころで、相手が複雑系だと只々謎が深まるばかりで、どうもすっきりしないも のだ。

それにしてもこのCD, ポール・メイエのクラリネットもカルミナ四重奏団 の弦楽器もとびっきり冴えていて、素晴らしい演奏である。何でこれをiPodに 入れずに長い間放置していたのかは、よくわからない。ゲーテ・クラリネット 奏者氏絶賛のポール・メイエのクラリネットは早い時期からさんざん聴いて たし、このCDも何度も聴いたからもういいやと思ったのかしら。それ とも、ジャケットの写真がおっかなかったからだろうか。

彼ら一族が住む古い大きなお屋敷に招かれると、皆さんこの写真のような えも言われぬ表情をたたえた顔で「ようこそ、いらっしゃい」と迎えてくれて、 その夜何が起こるのか知らないけど、決して生きては帰ってこれない、と。 このジャケットをじいっと見ていると、そんな想像をしてしまう。 この人達、何だか怖いよう!と。

明日から群馬県の研究集会に出張。次回更新は16日深夜以降。

2008年9月9日(火)
<<人生の小リセット?>>
今日も午後から京大数理研図書室。この1,2ヶ月間に考えてきたことを最初か ら整理し直してノートに纏める作業を開始。夜もその作業の続きをと思ったけ ど、教員採用人事の主査の仕事が入り、深夜までメールを出しまくる事態に陥 る。ああ、こういうのって、いつか来た道のような。。。 え?お前が人事主査をやるって冗談だろうって?ああ、冗談だとも。立派 に巨大冗談さ。公募人事だから、近く全国の研究機関に公募要領が送付される けど、私の事を知る者は「問合せ先:高山幸秀」とあるのを見て我が目を疑い、 おやおやと呆れ果てることだろうよ。

このことは先日の教室会議で決まったのである。「学科長の時に数理科学 科をちゃんと潰せなかった根性無しの上に、心を病み、脳まで歪み、オジサンが 大嫌いで、さらにはつい先日まで学科内で唯一人数学者と認定されていなかった チンピラ野郎の私に、数学者サマの採用人事の主査をやれとは何ごとか。人事は 学科の将来を左右する重要案件だ。悪い冗談はほどほどにして、もっとも真面目 に考えるべきだ」とさんざん吠えたのに、じゃあ評決で決めようってことになっ て、事もあろうに皆私に入れたのである。思わず「お前ら、俺サマをハメよった な!」って叫んだけど、後の祭だったな。

数理科学科は複雑系なので、評決が大好きである。そして、何も意見を言わ ず、何を考えているのかわからない人が、何を考えているのかわからない投票 行動を起こす。全く冗談を地で行ってしまうところが、複雑系の皆様の恐ろしい ところだ。何考えてんだか、最後までさっぱり分からない。

まあいいや、兎に角、一生懸命やらせてもらおうじゃないの。

ただ、大学に15年以上勤めて分ってきたことは、学者・研究者としての 資質・能力・実績について、同僚達が妙に褒めるような事を言いだす時には必 ず裏があって、さっさと教授に昇進させて面倒な役職をやらせようとか、責任 が重くて誰も面倒臭がってやりたがらない人事主査をやらせようといった思惑 が働いている。次はあいつにやらせようって阿吽の呼吸で示し合わせて、普段 はばらばらに見えた教員集団や敵対していた教員同士がぱっと結束してスケー プゴードに襲い掛かる姿は、まあ、見事といえば見事かな。私立大学は人手が 足りないからね。まあ、人手が足りないから、公募するんだけど。俺サマみたいな チンピラがぬくぬくと居座って、脳を歪めたりしながら好き勝手言ってられる んだから、いい学科かもね。

さて、トン・コープマンの平均律クラヴィーア曲集第1巻・第2巻(J.S.バッ ハ)を購入したのは、2006年の7月15日だったようである。学科長のス トレス解消の場でもあった、ゲーテの夏学期がちょうど終ったところでがっく り力が抜けたのか、冬学期が始まるまで3ヶ月ぐらい間が空くこともあって、 この際「人生を小リセットするのだ」とか何とか妙な事を口走っている。

何かリセットしなければならない程悩ましい問題を抱えていたかどうかは よく覚えていないが、2005年の年末にゲーテ・クラリネット奏者氏の衝撃 のライブを聴いて以来、半年以上にわたってクラリネット熱にうなされていた ので、ここらで気分転換にチェンバロでも聴いてみようかということだったの かも知れない。

学科長職の方は、会議と事務仕事で週2日潰れる以外は、数学研究に励ん だり学生とゼミをやったりと、結構幸福な毎日だというような暢気な事を日誌 に書いているぐらいだから、「人生小リセット」とはあまり関係は無いのだろ う。

ところで某ピアニストは、平均律クラヴィーア曲集はピアニストにとって は学ぶべきことの全てが盛り込まれている重要な曲だと熱弁していた。まあ有 名な曲ではあるけど、当時の私としては「退屈な音楽」という感想だったよう である。このCDを買ったすこし後の頃だったか、鈴木雅明氏が平均律クラヴィー ア曲集の第1巻と第2巻の全曲を演奏するという野心的なコンサートがあって 聴きに行ったけど、やはり「どうだかなあ」という感想だった。

最近、グレン・グールドのピアノで平均律の一部を聴いて、こんなに綺麗 な曲だったのかしらと驚いたのだけど、これはグールドが偉いからだと思って いた。でも久しぶりにコープマンのチェンバロで聴いてみると、あんなに退屈 の極みと思ってたのが、「結構いい曲だなあ」と思えたから不思議である。

ただ、以前はジャケットに写っているコープマンの写真をみて、「こんな オジサンも、いいかもね」って思ってたけど、今は、この野郎、どんな根性悪 の狸オヤジか知れたものではないぞ、と思わす警戒してしまう。 会ったことも無い人だけどね。

2008年9月8日(月)
<<清濁併せ呑んでるか?>>
午前中は自宅で野暮用。業者が自宅を訪問してある作業をするというので、数 学論文を眺めながら、横目で彼らを監視するという仕事。午後は京大数理研図 書室。大阪の研究集会で解読の展望が開けた某論文を精査したり、文献を探したり。

京都の業者というのは、私が平日の昼間に家に居ると決まって「ご主人、 今日はお仕事の方はお休みですか?」などと、判で押したように私の職業を聞 きだそうと探りを入れてくる。以前は真面目に答えていたが、最近は適当にご にょごにょっと誤魔化して、今日は貴方が帰った後で仕事に出る予定でいる のだから、詰まらない尋問をしてないでさっさと仕事をしてもらいたいものだ という意味のことをさり気なく言うことにしている。確かに今日は業者の監督 をするために、京大数理研行きを遅らせたのだし。

「大学の先生をしている」などとマトモに答えると、決まって優雅ですね とか、夏休みが長くていいですねとか何とか言ってくるのが癪にさわるのであ る。まあ優雅かも知れないけど、 数学研究に盆も正月も昼も夜もなく、道を歩いている時も、皆がビール飲んで テレビで野球やサッカー見てひっくり返っている時も、何だかんだと数学を考 えているし、 精魂込めて書いた論文が査読でボロカスにけなされて却下されたり(匿名をい いことに好き勝手書くのは2ちゃんねるだけにしてもらいたいものだ)、 お前が最近1年がかりで3ページの証明をつけた定理は俺の10年前の理論を 使えば3行で証明出来るぞと馬鹿にされたり(後出しジャンケンみたいな事を 言うなっちゅうの)、 さらには、「複雑系の皆様の取り纏め役」という絶対矛盾の自己同一みたいな 学科長の仕事で頭がおかしくなって、医者に「それでは、さようなら」と見離 された後も後遺症に何年も苦しみ、しかも、世の中どこへ行ってもオジサンば かりでますます頭がおかしくなりそうだし、 それやこれや清濁併せ呑んだ上で「優雅」と言い切るならまだしも、 単に平日の昼間に自宅に居るから優雅だなどと、テキトーな事は言ってもらい たくないんだよう、と。

さて、アルフレッド・ブレンデルの「シューベルト・ピアノ・ソナタ第13番、 第4番」のCDを買ったのは何時か、よくわからない。2006年の5月5日に は既に聴いている記録があるが、もっと以前に中古CDショップで買ったような気 もする。

ジャケットの写真は、アフリカの人形のようなものを背にしたブレンデル の表情がご愛嬌。しかし中身の方は、「ブレンデルが弾くとやっぱりこうなっち まうのか」という感じ。シューベルトって、私は、 端正だけどどこかドロリとした感情の昂ぶりみたいなものが見え隠れするって いうイメージを持ってるのだけど、ブレンデルのは美しくも強靭な 鎧兜に身を包み、どこからかかって来られても一太刀で軽く跳ね返してやるぞ という、百戦練磨海千山千の憎たらしいオジサンみたいなシューベルト。 何だか完璧過ぎて、ちょっと面白みがないかも。

2008年9月7日(日)
<<記憶の中で相対化する>>
昼間は自宅やその近辺で野暮用と数学。夕方は河原町三条界隈に繰り出し、 Sbux新京極店でしばし数学の後、JEUGIA三条本店とアンジェ河原町本店を徘徊、 探索。夜も少し数学。大阪の研究集会で勉強したことをざっと復習。

さて、今日もまずは訂正。昨日紹介したクリスチーナ・オルティッツのベートー ヴェン・ピアノソナタ集は、2003年頃ではなく、2005年6月12日に 激安210円で購入したことが判明した。いずれにせよ、学科長をやる前なの で遠い昔の夢ような話である。

妙なもので、そういえばあの時の自分はこんな気分で生きてたなと、結構 昔の事もリアルに思い出せたりするのだが、学科長をやる少し前にどういう気 分で生きていたかはほとんど思い出せない。当時の日誌を読み返しても、自分の 事は「私と似た事を考える他人」みたいに思える。私にとって学科長体験がよ ほど強烈だったとみえて、その直前の記憶が隅に押しやられているのだろうと 思う。学科長体験のようなオゾマシイ記憶は闇雲に忘れようとしても駄目で、 何度も言葉にして振り返ることによって記憶の中で相対化していく方が トラウマ化しにくいだろうし、日誌のネタにもなるし、何かと良いかと思う。 でも、その作業によって歪んだ脳が元に戻るかどうかは、知らないけどね。

では本題。北欧の3人の作曲家Carl Nielsen(デンマーク), John Fernström (スウエーデン)とJouni Kalpainen (フィンランド)の現代 クラリネット協奏曲をスウエーデンのクラリネット奏者カリン・ドルンブッシュ が演奏する、"Nordic Clarinet Concertos" を購入したのは、2006年10 月21日。この日は土曜日で、午前中は大学で学科長の仕事。たぶんAO入試の 面接担当か何かだったのだろう。午後はそのままゲーテに直行している。ゲー テでは相変わらずフルート奏者氏、クラリネット奏者氏、謎の広告代理店 社員氏らと楽しくやっていたようである。

北欧というのは独特の雰囲気があって、10年程前にスウェーデンに出張 した時も街の感じがとても気に入った。今日ちょっと道草したアンジェも、北 欧のデザインに注目してさまざまな雑貨を扱っている。店の人が買出し旅行に 行ったというので、その時の街の写真などが河原町本店の店内に掲示されてた りするが、ああ、そういえばこんな感じだったよなと、ちょっと懐かしい。街 や家具や食器のデザインの雰囲気が、そのまま音楽にも感じ取れるけれど、何 故か北欧の音楽は「しみじみといいなあ」とはならない。このCDを買ってから、 あまり聴かずに放置していたのも、そういう事情からだろうと思う。

2008年9月6日(土)
<<テンペスト>>
大阪の研究集会最終日。行きも帰りもJR新快速でウマウマと「勝ち組」となり、 座席にふんぞり返ってフランス語文法の本に読み耽った。

この研究集会は比較的小じんまりとしていて、皆さん、某大先生の影響下 で何らかの問題意識を共有しているらしいことは初日から見てとれた。しかし その問題意識の内容が何なのかがずっと分らずに、何でこんな事を考えるのだ ろうかと不思議に思いながら研究発表を聞いていたのである。しかし、今日の 大先生の講演でそれがはっきりと分った。なるほど、すべては一貫した思想で 繋がっていたのである。ちなみに、この研究集会に大先生は少なくとも3名 は居て、昨日紹介した40分間に18回咳をする「大先生」は、上の大先生と は別人。

それから大急ぎで京都に引き返し、京大ルネで遅めの昼食後、夏休み明け 最初の授業に出るために関西日仏学館へ。土曜日だから夜はスポーツクラブと いきたいところだが、ラクトスポーツクラブは改装のため9月一杯休業。体は 元気なのだけど頭は疲れているので、数学をする気になれず、フランス語の宿 題をしたりしてすごす。

さて、クリスチーナ・オルティッツというピアニストのベートーヴェン・ピア ノソナタ集(ピアノソナタ8番「悲愴」、17番「テンペスト」、14番「月 光」)を何時購入したのかは、不明である。京都駅前アバンティーの中古CDショッ プで買ったのだから、たぶん2003年頃だろうと思う。その頃の自分がどん な気分で生きていたのか、よく覚えていない。たった数年前のことだけど、こ れまでにあまりにも色々な事があって、もう20年ぐらい昔のような感覚であ る。

ひとつ覚えていることは、「テンペスト」の第二楽章アダージョ・カンター ビレを聴いた時、1983年か84年頃にテレビのコマーシャル(たぶんブリ ジストン・タイヤのCM) で聴いた曲はこれだったのかと知って感慨深かったこ とである。

1983,4年頃といえば,大学を出て会社勤めを始めたばかりの頃で、 時々深夜のアメリカン・ポップスのヒットチャートみたいなテレビ番組を見る 以外は、専らジャズばっかりで、クラシック音楽なんて全然聴かなかった。 それで、CMでは歌詞がついていたのでアメリカのポップスか何かだと思って、 その方面に詳しそうな会社の先輩に聞いてみたけれど、当然ながら知らないと のことだった。それからずうっと、この曲が誰の何という曲なのか知りたいと 思っていたのだけど、20年後にようやく謎が解けたのだ。長生きしていると、 たまにはいいことがあるんよね。

2008年9月5日(金)
<<ハーゲンダッツのアイス>>
今日も大阪の研究集会。行きは渋々JR新快速、帰りは阪急通勤特急。今日はと ても時機を得た講演を聞くことができて、長年理解できずに困っていた某論文 の内容がようやくわかった。これは目出度いということで、帰りに梅田のハー ゲンダッツでアイスクリームを食べる。

ところで、本日の観察結果と長距離の電車通勤をしていた会社員時代の経験 を総合すると、座席にふんぞり返って読んでいた本や新聞をカバン等にしまい、 さあっといった感じで降りそうな素振りをするオジサンに限って決して途中下 車はしない。

今日は、そういうオジサンにまんまと一杯食わされて、折角確保した補助 椅子を手放しそうになったけど、私も伊達や酔狂でオジサン嫌いをやっている わけではない。伸るか反るかの瀬戸際で「オジサンは嘘つきである!」という 命題がふと脳裏をよぎり、危うく事なきを得た。昔から「嘘つきはオジサンの 始まり」と言うではないか。白いネコでも黒いネコでも、平気で嘘をつくネコ は全てオジサンなのだ。

さて、今日はまず訂正を。昨日紹介した「"UNA VOCE...PAR CLARONE"のジャケッ ト」は実はシューマンとブルッフの曲を集めた別のCDのジャケットでした。正 しくはここに示した右側のもの。何故か皆さんが手にしているのは、 バセットホルンではなく、普通の(エーラー管の)クラリネット。すこし見にくい かも知れないが、ウォルフガングの髪が少し逆立っている。

今日の「久々の1枚」は、2006年7月20日に購入したアントニオ・ サイオテと津田理子の"A portrait"(左側の写真)。べーラ・バルトークの 「ルーマニア民俗舞曲集」やシャルル=マリー・ヴィドールの「序曲とロン ド」、そして吉松隆の「鳥の形をした四つの小品」といった、CDではなかなか お目にかかれない珍しい曲が入っていて、大変よろしい。

しかしサイオテのク ラリネットの音はどうも好きになれずに、買ってしばらくしてから何とな聴か なくなった。買った当時は「(クラリネットの音は綺麗とはいえないが)これ は久々の大当たりCDかも」などと日誌に書いたりしているが、今聴き直す と、情感やピアノ伴奏との掛け合いはとても良い感じなのだが、何と言っても かなり違和感があるクラリネットの音が気持ち悪くてしょうがない。

ここ数年間に集中的に沢山音楽を聴いて耳が良くなったのか、それとも逆 に老化現象で耳が悪くなったのか、最近は高周波の音に異様に敏感になってき た。先日、大学の会議室で監禁されている時、消防施設のテストと称して廊下 のスピーカからオルゴールの音のようなものが延々と流れていた。音量は小さ いけれど気になってしょうがなく、瞬殺ぶち切れで管理課に電話で激しく抗 議。それでも収まらなくて、会議を放り出して生協コンビニに突撃し、急遽 耳栓を買いに行ったりした。

また、咳の音も益々嫌いになってきた。今度の研究集会でも、夏風邪でも ひいているのか1〜2分に1回規則的に咳をしている参加者が居て、それが気 になってしょうがない。「五月蝿い!」と蝿叩きで頭をしばき回してやりたい 衝動に駆られるのだが、どうやら相手は大先生のようなので我慢している。 (大先生じゃなかったらしばき回すのか?)

2008年9月4日(木)
<<「勝ち組」気分の45分>>
梅田の研究集会2日目。今日も何か不吉な予感がしたので早めにJR 山科駅に 行ったら、案の定、電車が大幅に遅れていて、快速、新快速はほとんど運休状 態。大阪まではほぼ満員状態で山科駅に到着した普通列車が一番早く到着する というので、仕方なくそれに乗る。座席に座って悠然と新聞などを読んでいる、 いまいましい「勝ち組」オジサンを尻目に、停車駅で乗客が入れ替わるたびに 「負け組」脱出のチャンスを逃して自らの要領の悪さを呪い etc. と最後まで 「53分の格差社会」の中でもがき苦しんで大阪にたどりつく。

運賃は高いし何時運休するか知れたものではない上に、よほどの幸運に恵 まれるか歴戦の勇士でもない限り「負け組」必至のJRを、流石に帰りも利用 する気にはなれず。梅田始発の阪急の通勤特急で帰ることにし、河原町まで 「勝ち組」気分の45分をすごす。河原町から京都市役所前まで歩き、そこか ら地下鉄で帰宅。

さて、ザビーネ・マイヤーが率いるトリオ・ジ・クラローネの"UNA VOCE...PAR CLARONE" (「バセットホルンによるオペラの曲」の意らしい)を 購入したのは、2006年7月27日のようだ。この数日後に「学科長人気者 メールはスパムだ」という、ささやかながらも偉大な発見をし、後の学科長人 気者メール選別瞬殺や電話線引っこ抜きに発展している。

このジャケットでは皆さん寛いだ良い表情をしてるけど、私が実際に持っ ているCDではこの写真は解説の裏表紙になっており、ジャケットの表の写真で は同じ場所で正装して気取った姿で立っている。

おや、右端のウォルフガング・マイヤーさん(ザビーネの兄)、髪がちょっ と逆立ってますけど、どうしたんでしょうね。メイクさんが見落としたのでしょ うか。そういえば正装版の写真でも逆立ってましたから、ドイツの一部のオジ サンたちの間ではこういうのが流行ってて、わざとそうしてるのかも知れませ んね。と、オジサン嫌いだということを思わず忘れて聴き入ってしまう、この一枚。

2008年9月3日(水)
<<35分の格差社会>>
早起きして、今日から4日間、大阪駅近くの関西学院大学サテライトキャンパ スで開かれる研究集会に参加。JR山科駅から新快速で35分。

昨年の夏、京都ゲーテのリストラが発表され、これからどうしようかと皆 で相談していたとき、謎の「高山の目にはロンドンからお忍びで山科に帰って きている内田光子にしか見えない」氏は、それじゃあ、私は秋からは大阪ゲー テに通おうかしらとか言っていた。確か「私は長年勤めで毎日山科から大阪に通っ ていた」し「CDの録音のためにロンドンのフィリップ社のスタジオに通うこと を思えば、大阪など近い」ものだというような事を言ってたように思う。

そういえば、東京の会社員時代、会社の寮があった蕨から会社のある田町 まで通うのに、京浜東北線で35分ぐらいだったと思う。だから、そういうの に馴れてるんじゃないかと思うかも知れないが、とんでもないことだ。たった 35分とは言え、毎日満員電車で席の奪い合いをしては敗れ、睡魔に襲われタ ンチョウ鶴よろしく立ったまま眠って他人にもたれかかり、痴漢に間違えられ そうになったり、頭のおかしいオジサンに絡まれたりしながら、来る日も来る 日も会社に通う毎日は、今思い出してもぞっとする。

特に、京都大阪間の新快 速35分は、上記京浜東北線よりも距離が長い上に停車駅が少ない。例えば、 帰りに大阪から乗車する際は、最初の数秒間の席取り合戦に敗れると、もう京 都までチャンスは無い。座席にふんぞり返って居眠りしている勝ち組オジサン の鼻毛をいまいましい思いで眺めながら、沢山の立ちんぼ乗客に挟まれて不自 然なポーズで固まっていなければならないのである。これはまるで、一度転落 するともう再起のチャンスが無い格差社会の縮図ではないか。

そのような事情から、大阪出張はいつも憂鬱であり、あまりやりたくない のだけど、研究のためとあらば仕方がない。

さて、ジャンマルク・ルイサダのショパン・ワルツ集のCDを買ったのは、20 06年12月2日のようだ。この日はゲーテのクリスマス・パーティーがあっ た。溜まり溜まった学科長のストレスゆえに、パーティーの最初から挙動不審 で、謎の広告代理店社員氏に「徘徊老人!」と揶揄されたりしていたのだが、 ことはそれだけに収まらなかったのである。

ドイツに滞在していた2000年を除いて、1999年より例年このパー ティーに参加していた私は、年々「しみったれた」感じになり、とうとう「お 一人さま2杯まで無料」の甘ったるいお子様用グリュー・ワイン以外は完全ノ ン・アルコールになってしまったことに癇癪を起こし、ゲーテ・クラリネット 奏者氏とフルート奏者氏のミニ・コンサートだけ聴いてさっさと退散した。日 誌によれば、その帰り道にJEUGIA三条本店でこのCDを買ったとある。

ルイサダ先生のことは、2005年秋にNHKのスーパーピアノレッスンとい う番組でショパンの公開レッスンをやってるのを見て知った。いいショパンを 弾く人だなと思ってCDを捜したけど、ようやく1年後の11月に1990年録 音のこのCDを見つけた。しかし試聴してみたら、2005年のNHKの放送で聴 いた演奏の方が、ショパンのロマンチックな感じに厚みが出ていて、格段に良 くなっていることがわかった。そこで、もっと最近のCDを捜すことにして、こ のCDの購入をしばらく見合わせている。しかし結局、癇癪の勢いで買ってしまっ たというわけだ。ちなみに、ルイサダ先生は今日に至るまで、これ以外のCDを 出してないようだ。

2008年9月2日(火)
<<悪魔になった気分>>
午後は京大数理研図書室へ。昨日の日大セミナーで行った講演に対するコメン トをノートに整理し、「貴方のやっている事に関連するのでは?」と教えても らった論文をいくつか眺めてみる。結局、あまり関係無さそうだと分ったけど、 そのことも一応ノートに纏めておく。京大の帰りは関西日仏学館の図書室に立 ち寄って、アメリのDVDが置いてあるか確かめたり、もしかしてフランス語版 の脚本資料の類がないか捜してみたり。DVDだけは見つかった。また今度借りることにしよう。

さて、クラリネットのペーター・シュミードルらによるベートーヴェンのピア ノ三重奏曲「街の歌」他のCDを買ったのは、2006年6月29日のようだ。 この頃はまだ学科長の仕事を始めて3ヶ月しか経っておらず、初めての管理職 業務を面白がって、冗談だと断りつつも「いっその事ゴミ論文学者稼業から足 を洗って、学部長とか総長とかマジで目指しちゃおうかな」などというアホな 事を日誌に書いている。ふっ、ふっ、ふっ、、、その数ヵ月後には、研究室の 電話線をひっこ抜き、さらにその数ヶ月後には「壊れて」脳を歪めることにな るとも知らずに。

こうやって過去の自分を振り返っていると、その先に悲惨な運命が待ち受 けていることも知らずに暢気な顔して生きている人間を地獄であざ笑っている、 悪魔になったような気分になるな。

それにしてもこのジャケットの絵は何なのでしょう?まるで赤不動明王じゃ ないですか。ベートーヴェンの室内楽はいずれも結構好きで、このCDの「街の 歌」もNHK の「みんなの歌」で放送しても良いぐらいに爽やかで元気の出る良 い曲。しかし世の中で見掛けるベートーヴェンの肖像画は、どれもオジサンっ ぽくて嫌い。その点、例えばシューベルトなどは暢気な顔した若い兄ちゃんっ て感じの肖像が多いので、抵抗感は少ない。このCDが長い間聴かれずに放置さ れてたのは、まさにこの赤不動のせいなのだ。

ちなみに、「街の歌」というのは街の様子を描いた曲という意味ではなく、 ジャケットに書かれているように"Gassenhauer(流行歌)"のことらしい。 ミュージカルに似た(?)歌芝居(Singspiel)の中で使われた曲が実際に 当時流行し、それを下地に作った曲なので、そう名づけられたそうだ。

2008年9月1日(月)
<<難しい世の中>>
22時過ぎ、無事に日大セミナーから京都の自宅に帰還。今回は飛び入りの1 時間講演も何とかこなし、参加者の先生方から沢山の有益なコメントも頂いた。 さらには、昼休みや日大から最寄の駅までの帰り道で顔見知りの同業者のオジサン と一緒になり、少し会話もした。

傍目には成功裏に終った結構なセミナー出張ではある。しかし、脳が歪ん だ私としては、セミナー会場の片隅で気配を殺してひっそりと講演を聞き、皆 で連れ立って学生食堂に繰り出す昼食時も「何で昼飯を食いながら人と話しし なきゃららんのだ?」と世の不条理を呪いつつ蛤の如く押し黙り、帰りは人 目を忍んですみやかに姿を消す。そういう静かな出張をイメージしていたので ある。

静かであること。これは脳が歪んだ私にとって最も大切な事である。 しかし今回の出張はそれとは少しかけ離れたものとなったため、たちまち私は 自我の危機に陥った。そして、「これが飲まずにおれようか!」と帰りの新幹線 では珍しく酒盛りモードに陥り、その辺のオジサンたちの真似して恵比寿ビール38 0ml缶1本とオーストラリア赤ワイン180ml瓶1本で、数学のことを忘 れるべくフランス語文法の参考書に読み耽ったのであった。

さて、アルフレッド・ブレンデルの「シューベルト即興曲集完全版」のCDを買っ たのは、ぶちキレ学科長の日々が既にピークに達していた 2007年1月13日であった。私が壊れる少し前で、当時の日記には、 「頭の中が真っ白」で、ゲーテの休憩時間に謎の広告代理店社員氏に「高山 さん、1分間何か喋ってくださいよ」と言われて、アホぬかせ!真っ白な頭で 何を話せっちゅうねん!と噛みついたと書かれている。壊れる前の人間って、凶暴になる ことがあるんよ。よーく覚えておいてね。

このCDの音楽は素晴らしいのだけど、結局あまり聴かないままに長らく放 置されていた。シューベルトの「青春の音楽」が既に壊れかけていた私には眩 し過ぎたこともあるけれど、それより大きいのはこのジャケットの絵である。 貧相というか、何というか、もうちょっと何とかならなかったのかと思う。

ところで出張の宿のテレビでアメリ(Le Fabuleux Destin d'Amelie Poulain アメリ・プーランの素晴らしい運命) を見た。 この映画のことは以前から知っていて、面白そうだと思ってたけど、主人公ア メリにみなぎる小林聡美的雰囲気に恐れをなして、何となく見る気が失せてい たのである。しかし、この映画の至るところに散りばめられている諧謔のセンスは私の ツボをしっかり突いているし、脳が歪んだ私としてはおおいに考えさせられる 映画でもある。

この映画の主人公アメリは、ある事情でコミュニケーション・スキルが十分に 発達せず、空想の世界の住人として成人した。しかし、ある小さな出来事がきっか けで自分でも人を幸福にできることを知り、「世の中は意外と単純で簡単」だとわ かる。それから彼女の人生は面白い方向に展開してゆくという話。

私もアメリと類似の過程を経て、数年前ぐらいに「世の中は意外と単純で 簡単」だとわかり、苦節ン十年にしてようやく私も世界と和解できた。 あとは歪んだ性格を直せば良いだけだと思ってたのだが、脳が歪んで元の 木阿弥になってしまったようである。

かくして今の私にとって、シューベルト の音楽は眩し過ぎるし、出張でちょっとオジサンたちと話しただけで 「気付け薬」の酒に走ってしまうしで(単に酒が飲みたかっただけじゃないか という有力説もあるが、、、エヘへッ)。対人恐怖症とは違って、おじさん限定の 対オジサン恐怖症。しかも世界はオジサンで溢れ返っている。 ホント、世の中が難しくってしょうがないのよね。