の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2009年4月15日(水)
<<混沌に目鼻を穿つ>>
午前中に出勤。11時より11時半まで、数物事務室の過去2年間にわたる異
常状態の解消を共同宣言するための、関係者だけの会合。今日の会合の印象で
は、不安材料は依然解消し切れてない。もっとも、こんな「手打ち」だけでスッ
キリするぐらいなら、そもそも2年間も泥沼状態に陥ったりはしない。
とりあえず、事態は一歩前進したと考えることにしよう。
その後は、生協コンビニ弁当でこそこそ昼食の後、科研費の報告書を書い たり研究室整理の「箱庭療法」をしたり。それから院生M君と奨学金の申請書 類について少し打ち合わせをしたり、事務に電話で問い合わせたり。そうこう しているうちに学科会議の時間。真面目に発言すると、また「口が悪い(が紳 士)」(その通りですけど何か?)とか「研究絶好調オーラびんびん!」 (違うってば!)とか言われるので、それなら私も複雑系の一員になろうと思 い沈黙を弄してみる。意味不明の沈黙を自由自在に操れるようになったら、も う立派な複雑系である。しかし、やはり本物の複雑系の皆さんには勝てず、最 後の方ですこし発言してしまい、「ああ、また『混沌に目鼻を穿つ愚』をおか してしまった!」と反省。
それから少し図書館に寄って新刊書を冷やかしてから大学を発つ。
帰宅途中、ラクト山科で御手洗団子を買った。それは、昨夜から御手洗団 子がむしょうに食べたくなったから。一昨日はヘンデル、昨日はバルトーク、 そして今日は御手洗団子。元指導教官の呪いは今日も続くのである、と。え? 意味がわからんって?わからなくてもよろしい。要するに、元指導教官に破門 されたまま死なれてしまったので、オタオタしてしまって、音楽聴いたり 御手洗団子食べたり、色々わけのわからん言動をしてるんですよ。死んじゃっ たんだから、もうカンケーねえや!って割り切れればいいんだけどね。
しかし御手洗団子は醤油が焦げた香ばしい味が命なのに、今日買っ た御手洗団子は黒蜜味だった。不満である。一気食いしようと思って2本買っ たけど、1本は明日に残す。 何で京都には醤油味の甘辛く香ばしい御手洗団子が売ってないんだよう!? 自棄になって、昨日買った安ワインをがぶ飲み する。
2009年4月14日(火)
<<大学を辞める50の理由>>
JR琵琶湖線はすこし雨が降ったり風が吹いたりするだけで10分や20分は
平気で遅れる。今日は乗客の傘がドアに挟まったとかいう理由で電車が遅れ、
40分以上余裕を見て自宅を出たけれど、結局、通勤途中で買ったサンドイッ
チの昼食を慌てて飲み込み、13時の授業にぎりぎり間に合った。
13時から14時半までは経済学部、経営学部のCプログラミングの演習。 初回の先週は3名だったのに、今日は突然7名に増えてプリントが足りず、少々 焦った。14時40分から16時10分までは数理科学科2回生の代数の講義。 今日は方程式論の基本的なアイディア、体の定義と例、単純拡大体の構成法など。
講義の後は、次回のCプログラミング演習のプリントをコピーしたりといっ た作業を色々。18時過ぎに帰宅しようと思って大学のバス停に行ったら、雨 の中でバスを待つ学生達が数10メートル近い長蛇の列をなしていた。 30年以上昔、ポール・サイモンの"恋人と別れる50の方法 Fifty ways to leave your lover" という曲があったけど、雨の中、バスを待つ長蛇の列 が嫌だというのは「大学を辞める50の理由」の一つとして数え上げられるそ うで、実際、それが理由(の一つ)で本当に大学を辞めた同僚がいた。
先日のコンサートで、ベーラ・バルトークの「ルーマニア民謡舞曲 」をピ
アノで弾いていたけど、この曲のクラリネット編曲もあって時々演奏される。私
が知る限り、クラリネット版のCDは Antonio Saioteのものしか出ていない。
バルトークの曲が全て好きなわけでもないけど、「ルーマニア民謡舞曲」は
私のお気に入りである。
数年前、ルーマニア数学会は、お蔵入りしそうになっていた私の論文を彼らの 論文誌に掲載してくれてた。ちょびっと自慢のささやかな定理が書かれている 論文なので、私としては何とか出版したかったのだ。日の目をみたその論文は、今でも 時々引用されている。だから、ルーマニアは私の研究者としての命の恩人のような ものである。ルーマニアの方に足を向けて寝たらバチが当るかも知れないけど、実 は私は毎晩ルーマニアの方に足を向けて寝ている。でもいいではないか。ルーマニ アは体操のコマネチが出たところで、たけしの「コマネチ大学数学科」は、数学の 社会的地位向上に貢献したとかで日本数学会から賞を送られたぐらいだ。いや、まあ、 そんなことはどうでも良いのだけど、兎に角、昨日は元指導教官の通夜に行って 生卵をぶつけ損なったのだから、バランスを取る意味で、いつの日かルーマニアを 表敬訪問しなくてはなるまい。 ブカレスト大学あたりが1週間ぐらい呼んでくれない かしら。え?生卵と表敬訪問がどうバランスするのか 意味がわからないって?わかんなくってもいいです。
そんなことを考えているうちに、昨日はヘンデルだったけど、今日はむしょうに
この曲が聴いてみたくなって、10回以上繰り返し聴いてみた。
うーむ、まだ元指導教官の呪いが解けてないのかしら。
2009年4月13日(月)
<<生卵忘れてきた!>>
大丸ラクト山科店で昼食用のサンドイッチなどを買って、昼前に出勤。明日の
講義のプリントのコピーを作ったり、まだ正常化に至っていない数物事務室で
卒研用のゼミ室の予約をしたり。それから研究室で昼食をとり、ソファーに寝っ
転がってしばし数学。基礎的事項を固めるための教科書読み。14時半から1
6時頃まで卒研A(可換環論・代数幾何学)。学生は2名。16時半から18
時まで卒研B(初等整数論)。学生は5名。ゼミの後、書類を1枚数物事務室
に届けてからバスに飛び乗る。
19時過ぎに京都駅に着き、その近くの葬儀場で開かれた元指導教官の通 夜に出席。数百名の人が来ていたのには驚いた。遺影は、最近のものらしく、 少しやつれた感じはあるけれど、あの憎憎しく私を見下すときの眼差しではな く、お茶目ないじめっ子みたいないい顔だった。ああ、この人は私以外の人間に対 しては、こんな素敵な表情をしてたのか。だから通夜に数百人もの人々が集まっ てくるのか、と。 「じゃあ一体、私が何をしたって言うのよ?! ただ馬鹿なだけじゃないかよう! 馬鹿がそんなにいけないのかよ?! 馬鹿が数学研究して大学の先生してちゃあいけないのかよ!? ああ、そうかい、そうかい。馬鹿で悪かったな! この野郎、さっさとあの世でも何処へでも行っちまえ!!」 って叫んで遺影目掛けて生卵でも投げつけてやろうかと思ったけど、 せいぜい暴言付きで暴れるだけにしておこうと思ってたから生卵持ってなかったし、 近くでフィールズ・メダリストの某先生が怖い顔して立ってたし、 しょうがなく焼香の帰り際に遺影を2、3回睨みつけてるだけにしておいた。 ま、いいんだけどね。
さて、このヘンデルの木管楽器用トリオ・ソナタのCDは、オーボエのハイン
ツ・ホリガー(ジャケット写真の一番左の人)にちょっとハマってた時に買っ
たのだが、当時はいまひとつピンとこなかった。
何だよ、このおちゃらけた音楽は?しばいたろか、と。
しかし、今や360度全天全周どこから見ても傍若無人天下無敵、捨てる神
あれば拾う神ありのフテブテシサをみなぎらした立派なオジサンとなったこの私
も、結局、元指導教官の呪いという桎梏からは逃れられなかったかと思うと、む
しょうにこの曲が聴き
たくなってきたのである。私は仏教徒だけど、この曲にそこはかとなく漂う
「神は全てを許す」って感じが、じみじみと心地良い。あーっ、この際、許し
てくれるんなら、神様でも仏様でも何でもいいっス。
2009年4月12日(日)
<<逆ギレ?>>
研究日、のはずだけど、春は何故か眠くてしょうがない。すこし基礎的なこと
を確認しようと、教科書を眺めているうちに何となく横になり、ひっくり返っ
て読んでいるうちに気を失う。
夕方は自転車で琵琶
湖疎水のあたりに桜を見に行く。京都薬大の裏手あたりから急な坂を上って疎
水に出て、御陵から四ノ宮あたりまで東進し、途中疎水を離れて安珠の毘沙門
天まで足をのばした。盗難にあっていた毘沙門天の仏像が最近戻ってきたそう
だが、外から見ているだけでは、どれか分からなかった。
去年はもうすこし早く見に行ってて満開の桜を楽しめたのだが、今年は色々 詰まらないことに気をとられているうちに時期を逃してしまい、既にかなり葉 桜になっていたのは残念である。
毘沙門天の石段のところで、数匹の犬を連れた若い夫婦とすれちがった。 はてな。この顔のピンときたら110番。その奥さんは某うどん屋の娘であ る。ここ1年以上あの店には行ってないけど、その間に好感度抜群のイケ面の ご主人と結婚したらしく、実に幸せそうであった。
さてどこかで一休みしてから帰ろうかと、日曜日の夕方だからオジサンと
オバサンで溢れ返ってるに決まってるさと思いつつも、山科駅間Sbuxを覗
いてみたが、案の定その通りだった。新京極のSbuxはいつも二十歳前後の
若者で溢れ返っているが、最近の山科駅前Sbuxは暇そうな中高年の巣
窟と化している。しょうがないので、ラクト山科4階のHolly Cafeで水出しア
イスコーヒーを飲んで一休みしながら、しばし数学。
2009年4月11日(土)
<<数学者嫌いの原因>>
研究日のはずだったのだが、ほんの少しだけ数学を考えた以外は、来週から始
まる卒研ゼミの日程調整や学生への連絡をしたり、近所に買い物に出たり、そ
の際に自転車が壊れていることが判明したので修理に出したり、自宅で野暮用
をしたりしているうちに、夕方近くになっていた。
夕方は京都市内某桜の名所へ。桜の種類が多く、4月中旬ごろまでさまざ まな桜を見ることができるらしいが、今年は既にかなり葉桜になり始めていた。 京都の街を歩くと、必ずその辺を一人でぶらぶらしている建築学科の某教授に 今日も出会ってしまった。都市景観を専門にしている先生のようなので、街を ぶらぶらしてても遊んでいるわけではないのだ。そういう私だって、街をぶら ぶらしてても、遊んでいるわけじゃなくって、そこはかとなく数学をしているっ てわけ。
ちょうど野外コンサートが開かれていたので、聴いてきた。
帰り際、信号を待っていたら、ふと警官を連れた高齢のご夫人が角から現 れた。どうやら自宅に不審なことが起こったので警察を呼んだらしい。この顔 にピンと来たら110番。この人はよく関西日仏学館で見掛ける。いつもパリ の雰囲気をぷんぷん漂わせたいでたちで、カフェのあたりで煙草を吹かして幸 せそうにしている。きっと昔パリで暮らしていて、その時の事を思い出してい るのだろう。しかし今日は自宅に居る時の、普通の日本のオバサンって感じだっ た。
夜、学生時代の元指導教官が昨日亡くなったことを知る。学生時代にとど まらず最後まで不肖の弟子として迷惑を掛け続けた私に対して、彼が私を見る 目は益々厳しくなってゆき、厳しいままで終ってしまった。要するに、破門さ れた弟子ってやつで、今でも瞼に浮かぶのは、この元指導教官が冷たく私を見 下す眼差しばかりである。そして私の数学者嫌いの何割かは、これが原因であ る。数学者たちは自分のことをこういう風に見ているに違いない。人によって は彼のように真っ正直に見下し、人によっては素知らぬ顔をして心の底で見下 し、と。
話は逸れるが、最近自分はつくづく数学者じゃないなと思う。つまり、日々 複雑系の皆さんや、学会の同業者たちを見ていると、どうも私は彼らとはかな り違うメンタリティーを持っているような気がする。数学に興味を持って、数 学の研究をしているという意味では同じなんだけど。
彼らは若い時から一貫して数学に人生掛けて闘ってきた人たちである。それ に対して私は、あっちで失敗し、こっちでへまをやらかし、敗退に次ぐ敗退で 矢尽き弓折れ、国破れて山河あり。あとは、古巣の数学に戻り、野垂れ死に覚 悟で悠々自適で好きなことを研究して行こう。故郷の人々は私に優しくな いかもしれないけど、故郷の山河だけは私に優しい。折角チャンスに恵まれて るんだから、やる限りにはバチが当らないようしっかりやっていこう、と。 考えてみれば、こんなに立場や経験が違うのだから、数学研究や人生に対する 思いが違うのは、当然といえば当然なのかも知れない。
それはともかくとして、奇しくも昨日、必要があって生まれて初めて元 指導教官の論文を眺めていて、これからはこの先生の論文もいくつか読むこと になるのかなとも思っていた矢先の訃報である。しかも享年が私の父や私の絵 の師匠と同じ。何だか因縁を感じちゃうなあ。
こうなると、また告別式とかお別れ会とか、どうしようかなあと迷ってし まう。結局「破門」されたままで終ってしまったし、数年前の還暦祝賀パー ティーも、いろいろあって「行かなきゃ良かった」と今でも後悔しているけど、 この年になってようやく彼の学問の片鱗だけでも理解できるようになってきて、 数学者としての敬意が湧いてくると、色々複雑な思いが沸き起こっては胸をか すめるのである。
2009年4月10日(金)
<<桜吹雪>>
世界戦争の一貫として、早起きして弁護士事務所へ。用件は半時間程で終了。
その後、その辺ですこし早めの昼食をとってから京大数理研図書室へ。早起き
の睡魔と戦いながらも、数学。夕方、関西日仏学館に移動。そこの図書室です
こしフランス語の予習などをしてから、京大ルネで早めの夕食。
夜はフランス語講座春学期の第一回目。前回のクラスから引き続き受講 している生徒は、私を含めて4名。その中に自称「10年後には死んでます」オ ジサンもいる。何でも春休みにイタリアかどこかに旅行してきたらしく、 "C'etait magnifique!" (素晴らしかった)とか言って喜んでいた。それ以外で は、前回大挙して教室を賑わしていた京大の学生達は軒並み消滅してたし、謎 の和菓子職人も謎のまま姿を消した。それから、ぱっと見ではテキトーなオジ サンにしか見えないけど実は大変な人気者だったらしい地方公務員氏も、 今回この講座に申し込んでないらしく、私を除く継続組3名は「私たちに何も 告げずにやめてしまうなんて!」と大変悲しんでいた。うーん、この人徳が 羨ましい。
新しく入った生徒は全員(いろいろな年齢層の)女性で、前回「男ばっかり」 とげんなりしつつも無意識にがるるるるる...っと臨戦態勢に入っていた男嫌い の私にとっては、今回は少し落ち着ける環境に変わったようだ。三つ子の魂百 までというが、私は元気な女達の中で影の薄い男が散在するような環境で育った せいか、そういうところで借りてきた猫のように大人しくぼーっとしているの が、一番気分的に楽である。
しかしながら、やはり人と話すと多少神経が昂ぶるらしく、気持ちを静め るべく、地下鉄京都市役所前駅までぶらぶらと徒歩で帰る。途中、菊水路上 飲酒をしようかどうか何度も迷ったが、もひとつ勢いが乗らず、しらふで帰宅。
京都は何処に行っても桜が咲いている。今日は一日、桜吹雪が美しかった。 関西日仏のクラスで新しく入ってきた人の自己紹介の時、春と秋では秋の方が好 きだとか言ってたので、思わず「てやんでい!この桜吹雪が目に入らぬか!」と 啖呵を切ってやろうかと思ったぐらいだ。
2009年4月9日(木)
<<人中り>>
午前中は自宅で色々野暮用。先日研究室の学生に出したアンケートの回答が集
まり始め、雑記帳の手書き時間割表で、学生の都合でゼミが開けない時間帯を
表す斜線の部分がどんどん広がっていく。下手をすれば全部斜線で塗りつぶさ
れて、ゼミが開けないことになりかねない。そうなった場合、どうすれば良い
のかしら?今まで卒研生って、多くても2人しか居なかったから、こんな心配
をするのは初めて。
午後は京大へ。初夏を思わせるぐらいに気温が上昇し、天気もいい。ルネ で遅めの昼食の後、数理研図書室で夕方まで数学。難しい論文の解読。帰りは 地下鉄京都市役所前駅まで徒歩。出町柳から御池大橋のところまで鴨川べりを 歩き、早くも葉桜に近づき始めた桜を見て回った。そういえば何年か前の春、 遊びの司令塔(通称)「清少納言さま」の企画で、ゲーテのクラスメートやF 先生と一緒に鴨川べりにお花見に行ったことがあったな。そのF先生は日本に 失望(?)してラオスだか何処だかにいっちっちだし、清少納言さまも今はど うしておられることか。
長風呂をすると「湯中り(ゆあたり)」するが、昨日は会議やら新人歓迎 会やらその2次会やらで複雑系の皆さんと約6時間ぐらい一緒に居たため「人 中り(ひとあたり)」してしまい、どうも気分がすぐれない。鴨川の桜を見て 多少は良くなったけれど、しばらくリハビリが必要だ。
夜も少し数学。難しい論文をうんうん唸って読み解く。
2009年4月8日(水)
<<楽しさの代償>>
午前中は自宅。午後は世界戦争の一貫として弁護士事務所に立ち寄ってから出
勤。研究室で「箱庭療法」をやったり、少し数学を考えたりしているうちに、
学科会議が始まる16時半になった。私にとっては全くどうでも良いような議
題がいくかあり、最後におまけとして昨年秋の私の予言が的中していたとの報
告があり。
昔、大学の会議が何よりも嫌いで、(たぶん)それが原因(のひとつ)で 結局本当に大学教師をやめてしまった同僚が居た。私なども、会議は数学研究 の楽しさの代償だと考えて何とかしのいでいるが、数学研究が楽しくなくなれ ば大学教師を続けるモチベーションはぐっと下がるかも知れない。
会議は17時過ぎで終り、郵便物の確認のため数物事務室へ。事務サイド に任せておいたら、いつになったら正常化されるか知れたものではないので、 独自に部分的正常化工作を始める。
その後、また少し研究室で「箱庭療法」をやってから、図書館へ。本を返 しに行ったついでにその辺をぶらぶらして2冊ほど面白そうな本を見つけて借 りる。18時過ぎに大学を発ち、新任の先生の歓迎会へ。店の送迎バスに乗っ た時から何となく「やっぱり来るんじゃなかった」と後悔し始めた。学科会議 の会議室よりもうんと狭いマイクロバスに、学科会議とほぼ同規模の複雑系の 渦が押し込まれるとなると、軽めのパニック症候群に陥りそうになる。しかし、 桜の花と夕陽が綺麗だったので、それで誤魔化しつつ何とか店までたどりつく。
店で宴席についてからは、いよいよ「やっぱり帰ろうかな」という気にな っていたのだが、幸い私の近くに座った新任の先生が色々面白い話をしてくれ て、そこそこ楽しくすごせた。その勢いで2次会にもついて行き、そこでヴェ トナムコーヒーなるものを飲んでから、早めに失礼する。帰りは宴席の近くに 居た人とは別の新任の先生と山科区内まで一緒になり、山科近辺の話や数学の 話などをする。
やはり数学は学部、大学院と一緒に勉強する仲間とわいわいやりながら大 人になるようなやり方が良い。何故ならば、分からない事を素直に聞いたり教 えたりしながらやっていけるし、そうやってやってきた仲間ならば、将来、 「お前は偉くなったけど、俺は結局駄目だったなあ」みたいになった時でも、 若い時と変わらぬ良い仲間でいられるはずだからである。
私は計算機屋時代の仲間にはそういう人達が沢山居るが、数学業界には「大 人になってから」参入したので、修行時代に同じ釜の飯を食った仲間というもの がいない。それはそれで寂しいものがあるし、ある種のしんどさもあるのだけど、 それはいくつもの専門を渡り歩く楽しさの代償なのかもしれない。
山科まで一緒だった新任の先生と、そういうような話をすこしした。
2009年4月7日(火)
<<希望を打ち消す>>
新学期の開始。大丸ラクト山科店で昼食用のサンドイッチなどを買ってから、
昼前に出勤。13時から14時半まで、経済学部・経営学部向けのCプログラ
ミング演習。受講生は3名。TAは院生M君。授業の前後は、M君に就職活動
の様子を聞いたり今後の研究方針についてすこし打ち合わせたり。ひきつづき
14時40分より16時10分まで数理科学科2回生の代数の講義。馴れない
新しい教卓で、最初の数分間は少してこずる。
年度が変わる毎に教卓の形や、教材提示装置だのスクリーン制御装置だの ワイヤレスマイクのスイッチだの何だのの仕様ががらりと変わるので、最初の 授業は結構大変である。教卓に操作方法の説明書などが置いてあるが、他人の 作った機械についての他人が書いた解説書なんていちいち読んでられるかよ! と、やはり読まない。結局、片っ端からそれらしいボタンだのスイッチだのを 押したりひねったりして反応を見ながら、必要な操作方法を発見するのである。
人の言うことを聞いてないというのは、電車の中で鼻糞をほじくったり、 喫茶店で一人「チッチ」とか「うーむ」とか無意味なノイズ発生させ続けたり するのに匹敵するオジサン的習性である。では、人の書いた説明を読みたくな いので、説明書を読まずにいきなり機械をいじりたがるのはオジサン的か?
その後、16時半から17時半まで理工系4学部合同の巨大教授会。場所 は快適な椅子のある大きな階段教室。最初に新任教員の紹介があったが、それ 以後はずっと居眠りをしたり数学を考えたり。
正常化が据え置きになったままの数物事務室で、郵便物を確認した後、研 究室に戻って「箱庭療法」の続き。今日は2年分の就職委員の資料などを仕分 けして廃棄する準備。学生の個人情報の入った資料も多いので、それは取り分 けてシュレッダーに掛けるなどの処理をしなければならない。あとは、本棚に 昔の講義資料など不要なものも沢山あったので、それも整理したり廃棄処分に 回したりした。生協で夕食をとった後も、もう少し作業。昨日よりもまた少し すっきりした。この作業が完成するときには、私の脳の歪みも少しは矯正され ているかしらと、沸き起こる根拠の無い希望を打ち消すのに躍起。
2009年4月6日(月)
<<ご機嫌よう!>>
桜が満開である。またこの季節を迎えることができて、本当に嬉しい。午前中は近所の
郵便局などで野暮用。それから大丸ラクト山科店で昼食用のサンドイッチなど
を買ってから、昼頃に出勤。電車の中では、割と身なりのしっかりした、ちょっ
とお洒落な感じの団塊オジサンが鼻糞をほじくっていた。
彼のやり方は、こうだ。左手の小指を鼻の穴にぐいっと突っ込み、手をぐ りぐり回してほじくる。この、ちょっと渋めの二枚目系の顔に似合わぬ豪快さ は、小学生の頃の近所の悪ガキのそれを彷彿とさせるが、 この方法は、鼻の左右両端内側や鼻の奥の鼻糞を掻き出す時には特に効果的で あることが知られている。ただ、2メートルほど離れて見てたので、彼が実際 にどのような鼻糞を採取してたかは確認できなかった。
それにしても、彼がほじくった自分の鼻糞を食べてくれれば、久しぶりに 「幼児期の習性の名残」の貴重なサンプル採取に成功したことになり、私も 「やったね!今日は何かいいことありそう!」と希望に満ち溢れた一日が過ご せたかもしれない。しかし私が「食べろ!食べろ!ほら、早く食べろ!」と 必死に念力を送っていたにもかかわらず、彼は鼻糞を食べることはなく、 左手の小指を右手の親指と人差し指になすりつけた後、その2本の指を座席 の下あたりでぴっぴっと弾いて鼻糞を飛ばすという、手の込んだことをしていた。
以上の動作をおよそ二駅分の時間(10分弱)延々と繰り返した後、彼は 電車を降りていった。御機嫌よう、どうぞ良い一日を!
大学のキャンパスには、新入生たちが溢れていた。私は大学教師になった 時から新入生を担当することが多かったが、彼らの灰汁(あく)の強さ、そう、 あのどっちに飛んで行くか分からない危うげな高校生的雰囲気が苦手だ。里芋 は灰汁が強くて、皮を剥いているうちに手が痒くなってくる。それで皮を剥 いたあと、しばらく水に漬けておくと灰汁が抜けて食えるようになる。彼らも 夏休みが終る頃にはぐっと大人になって、ようやく私も安心して付き合えるよ うになる。いや、別に新入生は里芋だと言いたいわけではないけどね。
数物事務室が正常化されないまま、郵便ポストだけは元に戻されたので、 とりあえず郵便物を受け取って整理。
数理科学科には誰も姿を見せておらず、一見平穏に見えたが、掲示板に 「P先生のところの卒研生は4月某日にQ先生の研究室に集合するように」と いう不思議な掲示があった。さては去年の秋から私が予言していた事が的中し たのかしら。ま、仮にそうだとしても一応手は打ってあるし、何とかなるでしょ う。あとはこっくりさんにでもお任せしますか。
研究室に戻って、明日からの講義の準備として、昨年作った資料をかき集 めたりレジュメをコピーしたり。今年から新しく担当する科目があるので、一 応1回分の授業計画をたてて板書の素案を作ったり。それからは、2年前の春、 学科長の任を解かれて放心状態になっていたときから、ずうっと荒れ放題になっ ている研究室の整理をすこし行う。今や定年退職した先生の払い下げのソ ファー・セットが所狭しと占拠しているので、兎に角足の踏み場ぐらいは確保 しないといけないのである。不要な資料の廃棄処理をしたり、買い込んで包み も空けていない文房具類を出して引き出しにしまったりするだけでも、少しは すっきりした。でも、それ以上何をどう整理すれば良いのか分からないので、 放置して帰宅。
そういえば、40数年前に箱庭療法をやったときもそうだったかもしれな い。一度は箱庭を滅茶苦茶に壊すプロセスがあって、そういうことを繰り返し ているうちに、少しずつ片付けようかという気が起こってくる。そんなことを やっているうちに、「もう、来なくていいですよ」と言われて学校に戻ったよ うに思う。研究室が綺麗に片付くようになれば、私の脳の歪みも矯正されるの かしら。
2009年4月5日(日)
<<恋の行く末と楽勝科目>>
昼前に起床。山科区内で野暮用の後、午後は昨日完成したレビュー2件をメー
ルで送り、昨日ちょっと考えた事の続きを考える。夕方は散歩がてらに山科駅
前Sbuxに出掛け、難解論文の解読など。
昨日もそうだったけど、夕方の山科駅前Sbuxは中高年で満員状態。近 くの琵琶湖疎水で花見をしていたのか、あるいは同窓会でもあったのか、はて また、最近中高年の間で山登りがブームらしいし、湖西線を利用してどこかの 山に登っていたのか。一体どこからこんなに沢山のオジサンだのオバサンだの が湧いて出てきたのか知らないけど、膨大な数のシルバー世代のグループや ペアが何故か楽しそうな顔をして溢れ帰り、その合間を縫ってさして楽しそう でもない団塊世代ぐらいの夫婦だのオジサン一人客も居て、勿論、外国に1年 ほど留学する彼との恋の行く末に対する不安を切々と友人に打ち明けていたか と思えば、その直後に前期の単位取得楽勝科目の情報交換に転ずる女子学生の 二人組といった「固定客」層も健在だった。
「固定客」層の二人から「単位を取るためにわざわざ勉強するのは面倒臭 い」というフレーズが聞こえてきたが、全く同じフレーズを京大ルネでも聞い たことがある。大学教師が「講義をするためにわざわざ勉強するのは面倒臭 い」と言うと、袋叩きにあったりするんだけど。ま、そんなことは、 どうでもいいか。
Sbuxの帰りはラクト山科を偵察したけれど、「あーあ、何にもするこ とがないなあ」オジサンの姿は無かった。あのオジサン最近見ないけど、ど うしてるのかな。
明後日から新学期が始まり、明日はその準備などで久しぶりに出勤予定。 春休み最後の夜は、フランス語の勉強などをやってのんびりと。
2009年4月4日(土)
<<君はまだ若い!>>
広い意味での研究日。気の小さい私は督促状の重圧に負けて、本日、アメリカ
数学会から依頼された論文レビュー2件の仕事に取り組む。まあ、世界戦争の
非常時においては、徒に戦線を拡大しないことが肝要であり、その意味では、
レビューの件を気に掛けながら新学期を迎えることは望ましくないと判断した
のである。午前中から、自宅、山科駅前Sbux,ラクト山科の「ベンチ」な
どを転々と移動しながら、論文読みやレビュー原稿書きなど。途中、すこしだ
け別のことを考えてみるも、よくわからず。そういえば、ラクトの「ベンチ」
には、いつもの「あーあ、何にもすることがないなあオジサン」の姿は見当た
らなかった。まあ、私も真面目に捜したわけではないけど。夜はスポーツクラ
ブ。帰宅後もレビューの仕事を続行。2つとも短い論文だったこともあって、
深夜にはレビュー原稿が2つとも完成。一晩寝かして、明日メールで送って一
件落着となる予定。
そういえば、先日、東京で友人達と飲んだ時、例のアメリカかぶれの跳ねっ 返り娘(の成れの果て)に「高山君の(他人に対する)評価は厳し過ぎる。人 間、年を取れば人に優しくなるものだ。君はまだ若い!」と罵倒された。まっ たく、ブログの件といい、ずいぶん色々言ってくれるもんだぜ、と。(他人に 対する)評価が厳しいのは数学者の職業病だ!とでも言い返しておけば良かっ たかしらと思うが、数学者云々以外のことでも思い当たるふしも無いでもな いし、この問題に関しては引き続き考察が必要かと思われる。
2009年4月3日(金)
<<新入社員研修>>
研究日。午前中は自宅、午後は京大数理研図書室。夜も自宅で少し数学。2,
3日前から某先生の一連の難解論文を引っ張り出して突っ突き回し、ようやく
概要が理解できた。詳細の理解は追々でよいだろう、というか、読んでもよく
わからないし。
先日、アメリカ数学会から論文レビュー2件の締め切りが過ぎてるぞと督 促が来たのだが、無視している。ヨーロッパ数学会から依頼されたレビューも 2件あって、これは1年ぐらい放置してある。そろそろやらないといけないん だけど。
昨日少し悩んだ新人歓迎会は、今日の明け方に「敵を知り、己を知れば、 百戦危うからず」と電撃的天啓があって、参加することにした。脳が歪んでる のだから、何も無理して話などすることはないのだ。透明人間モードで新人達 がどんな人間かを調査し、世界戦争の今後の作戦を考える上での資料にすれば よいわけだと気づく。
「理不尽」関係は、新学期のどさくさを理由に停滞しているようだ。
今朝のテレビで新入社員研修の様子をやってた。私の頃は、会社の研修セ ンターでほとんど居眠りばかりしていたけれど、ひとつ良く覚えていることに は、「二日酔いが原因の朝寝坊なんてのは学生のやることであり、社会人がそ れをやるのは論外だ」と教えられたこと。確かにそういうことを繰り返してい る人は信用されなくなるというのは、わかるなと思い、入社2年目ぐらいまで は必死にその教えを守っていた。しかし入社3年目で国立研究所に出向になり、 気が緩んで1度だけやってしまった。残業で遅くなった人のために、その研究 所がすぐ近くのマンションの一室を借りていたのだが、そこで皆で酒盛りをやっ て翌日来客があったのに30分ほど遅刻してしまった。それが最初で最後の失 敗。
もひとつ覚えていることは、職場ではきちんと挨拶をしましょう、という やつ。何でも職場はコミュニケーションが大事で、挨拶はコミュニケーション の第一歩とか。最近の若い人は礼儀正しいけど、私の頃は(私を筆頭に)酷い のが多く、大卒の研修でも「きちんと挨拶をしなさい」と結構五月蝿く指導さ れた。しかし結局あまり身につかなかった。その原因としては、自分自身、い ちいち挨拶されるのが鬱陶しいので、「自分がされて嫌なことは他人にもしな い」原理が働いたという説と、挨拶しても無視する輩がいるので馬鹿馬鹿しく なってやめたという説が有力だった。
しかし、最近はもっぱら脳が歪んだからだという説が主流である。どこの 職場にも天使と悪魔が居るもので、彼らに同じように挨拶できるほど私は役者 ではない。天使に対しては満面の笑みをたたえ、嗚呼、今日もまた貴方に朝の 挨拶ができる私は何と幸福なんでしょう!みたいな気持ちで「おはようござい まーす!」と言い、悪魔に対しては、今日が貴方に挨拶するの最後の日と なることを心から祈ります。早く地獄に帰れ!この"%△■@♂#"(伏字)めが!との 思いを噛み潰しながら「おはよーおございます」と言い、声のトーンを使い分 けたりするのも何だか下品ではないか。だったら、誰に対しても「(うっ)」 程度に留めて下への平準化を図ろうか、というわけ。概して、あまり知らない人に対 しては新入社員研修で仕込まれた通りに挨拶するけれど、利害関係が絡んだ関 係者には「(うっ)」への統一化傾向が見られる。でも、こういうの、良い子 は真似しちゃ駄目だよ。
2009年4月2日(木)
<<叩き壊してそれでオシマイ>>
午前中は京都市内の某弁護士事務所へ。世界を敵に回して戦争をしている私と
しては、弁護士に相談しなければならないこともあるわけさ。世界戦争に関す
る相談ついでに、今度の新任の先生の歓迎会に参加すべきかどうかも聞いてき
たら良かったかしら。確かに私は、1ヶ月ほど前に「複雑系の諸君!頭の中で
こっくりさんばかりやってないで、新人の歓迎会ぐらいちゃんとやりなさい!」
と演説をぶって、その通りになったのだけど、脳を歪めて世界戦争続行中の身
だし、顔見知りの人が居る飲み会って、何を喋っていいかわからないからヤな
のよね。それに第一、数年前私が宴会の幹事やって、送迎マイクロバスで一人
だけ置いてきぼりを食った怨念の店だし。
弁護士事務所を出てからは、京大数理研へ。その途中に関西日仏学館にふ らりと立ち寄ったら、フランスから一流教授陣を招いて10日程度開かれてい た京都フランス音楽アカデミーの終了式も兼ねて、13時から受講生によるコ ンサートが開かれることがわかった。そこで京大ルネで少し早めの昼食を取り、 数理研のロビーでちょっと数学をしてから関西日仏に戻ってコンサートを聴く。
コンサートの途中、アカデミーの生徒の中から各教授たちに選ばれた、フ ランスの音楽学校への奨学金受賞者の発表もあった。3種類ぐらいの奨学金の 中の一つは、選考基準として「自分の今の演奏スタイルを壊して新しいスタイ ルを学ぶ意欲に溢れた人」というもの。
そういえば私は、手を変え品を変え一つの研究テーマにずっと取り組むと いう芸当ができない。何年か毎に(単に「飽きた」という理由だけで)研究 テーマをがらっと変えてしまい、それまでやっていたことはすっかり忘れてし まう。これって、常に自分のスタイルを壊して新しいものを求め続けてるん だ!と言えばカッコいいけど、肝心なのは壊した後に何が創れるかである。 前よりもスケールの大きい良いものが創れたら良いけれど、実態は出来損ない を作っては壊し、壊しては作って、みたいなことを繰り返してきただけである。 あれも駄目、これも駄目、、、みたいに。実は現在も極秘プロジェクトとして 過去のスタイルを破壊中なんだけど、困ったことには壊した後に新しいものが 創れる目処が立っておらず、今度こそは叩き壊してそれでオシマイになり、 野垂れ死にするのではないかと、内心びびっている。
コンサートは16時過ぎまでやってたようだが、15時過ぎで抜け出して、 また数理研図書室に戻る。帰宅時、ラクト山科で同じ専門分野の数学者A氏を 発見。何故彼がこんな時刻に山科にいるのか?といぶかって尾行を開始。その 結果、「ははあ、そういうことか」と全てを理解。え?知ってる人だったら、 何故声を掛けなかったのかって?うーん、まあねえ。語学学校関係の人だったら、 「おや、こんなところでお会いするとは奇遇ですね」とか何とか言ってVサイン なんかしながら寄ってくだろうし、同業者でもごく限られた人には同じような ことをするけれど、、、どうなんでしょうかねえ。その辺が世界全面戦争の 非常事態ってことなんでしょうかねえ、と(自分でもよくわかってないので) 意味不明の言い訳をしておく。
夕食時に少しワインを飲みすぎたので、夜はフラン ス語の宿題を片付けて酔いを醒まし、それからほんの少しだけ数学。
2009年4月1日(水)
<<心胆寒からしめるが如き>>
人事の春である。新聞には何ページにもわたって人事異動の記事が出ている。
大学関係だと少しは知ってる人が居るので、ああ、あの人はここに移ったのか
と、ちょっとびっくりしたり、しなかったりするのが4月1日の恒例になって
いる。
午前中、自宅でフランス語の宿題などをしていたら、会社員時代の同期の 友人から、同じ同期の別の友人が昨日づけで退社したこと、そして昨日会社の 仲間うちで送別会をしたとの知らせがあり、かなり驚いた。
午後はまた京大数理研図書室へ。昨日、この図書室の司書の一人が定年退 職したらしく、別の部屋で同僚から贈られたのであろう花束を持って図書室に 戻ってきてた。退職の日まで出勤して、最後に皆から花束などを貰ったり、長 らくお世話になりましたなどと挨拶して職場を去るのって、絵に描いたような 退職風景で、ちょっと憧れちゃうけど、大学教師、特に数学者の場合はこうい うことはない。人によっては最終講義などのセレモニーがあったりするが、そ れも退職の1ヶ月以上前に行われるのが通常だし、数学者というのは普段から 大学に居るのか居ないのかよくわからないので、いつの間にか居なくなるとい う感じである。国立大学の大きな数学科や研究所だと、退職したことをごく少 数の近辺の人達を除いて誰も知らなかった、なんて話も珍しくない。
私が会社を退社した時もやはり3月末だったけど、どうだったか、よく覚 えていない。転職で退社する場合は、割合すっと居なくなるのが流儀らしかっ たので、私もそうしたと思う。12月に3ヶ月後の退職を申し出た時、「(色々 気に掛けて大事にしてやったのに)お前なんか、3月を待たずに、すぐにやめ ちまえ!」と二人だけの会議室で気色ばんだ上司は、私の代わりに私よりももっ と優秀な部下を配属されることになったためもあってか、間もなく機嫌を直し、 3月には送別会までしてくれた。それでも退職の日は上司と事務の人達に簡単 に挨拶だけして、すっと消えたように思う。今では、色々大事にしてもらって、 いい会社だったなと思っているけれど、当時は「こんな会社、やめてやる!」 と怨念をつのらせていて、退職の日も「やれやれ、これでせいせいしたわい」 ぐらいの気持ちだったと思う。まあ、そのぐらいでないと転職などできないも のだ。皆さん長らくお世話になりましたと涙ながらに固い握手などして、同僚 や上司との別れを惜しむようなら、自分から好き好んで転職などしないのであ る。
夜は京都府民ホール・アルティーに京都フランス音楽アカデミーのコンサー トを聴きに行く。ジェラール・プーレのヴァイオリンが特に素晴らしかった。 この人は、去年の春だったか、横浜出張のついでに、夜、東京まで足をのばし て聴きに行った、東京芸大のクラリネットの先生の定年退官記念みたいなコン サートで共演していた。ここぞという時に、心胆寒からしめるが如きゾクゾクっ とするヴァイオリンの音を出すので、その時からうわぁ凄い人だなぁと思って いた。去年もそうだったけど、このコンサートで使うピアノはスタインウエイ ではなくカワイである。レンタル料を抑えるためなのか、それとも演奏者(複 数)が特にカワイご指名なのか、よくわからない。 最近は、国際的なコンクールでもカワイやヤマハを使う演奏者が多いそうだし。