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よ け ス ペ ー ス で す。

2009年4月30日(木)
<<どしんどしん>>
研究日。午前中は研究集会などの日程を確認。5月6月は結構近場で面白そう な研究集会が開かれるので、楽しみにしてよう。 午後はまた京大数理研図書室へ。 百万遍交差点から数理研の方に向かう道で、向こうからやってきた 同業のK氏と出くわした。

K氏:「おや、高山さん、今日は授業は無いのですか?」
私:「(ニコニコと)やあ、Kさん。ええ、今日は無いんですぅ。(俺、 何をこんなにニコニコしてるんだろう?)」
K氏:「私もそうで、この辺をふらふらしてます。」
私:「(ニコニコと)ああ、そうでしたか。じゃあ、それでは。(おかし いな、ニコニコが止まらないぞ。脳の線が一本切れたかな?)」
K氏:「それでは。」

と何の変哲もない挨拶をして別れる。しかし数理研の帰り道、ふとこのこ とを思い出し、「私もそうで、この辺をふらふらしてます。」の「も 」は「そう(授業が無いこと)」だけに掛かるんだろうか、それとも「こ の辺をふらふら」にも掛かってるんだろうか?と気になりはじめた。K氏が後 者の意味合いも込めて言ってたんだとしたら、ちょっと心外だな。 そりゃあ私は、「あー、いい天気だなあ」とか思って斜め上空をぼんやり 見上げて数学の問題を考えながら歩いてはいたけど、高村光太郎の詩のように、 大地にどしんどしんと着実な一歩を踏みしめながら、しっかりと歩いていた積 もりなんだせ。そんなに「ふらふら」歩いてるように見えたのかなあ、と。 まあ、そんなことはどうでも いいんだけど。今日もJEUGIA三条本店をさらっと偵察してから帰宅。

さて、ベートーヴェンはもうネタ切れである。今日はシューベルトの画期的な 解釈で知られる内田光子の即興曲集。シューベルトのピアノ曲といえば「サッ パリ爽やかシューベルト。これを聴いて頭スッキリ、さあ数学だ!」というイ メージでいて、数学するときの気付け薬として毎日のように聴いていた時期が あった。しかし、ゲーテ・クラリネット奏者氏に勧められて聴いた内田光子の シューベルトの、ドロリとした粘っこさにのけぞり、以後、シューベルトを あまり聴かなくなった。これまで聴いてたシューベルトは何だったのか? そして内田光子のこの重たいシューベルトは、数学しながらノリで聴き 流すのではなく、居住まいを正して聴かないといけない、と。

それにしてもこのジャケットの写真は、一体どういう趣味なんでしょう? 誰ですか?こんなのデザインしたのは。これではまるで、内田光子さまの晒し 生首じゃないですか。たぶん同時期に出されたシューベルトのピアノソナタD. 958とD.959のCDも、同じように横顔の写真を使ってる。そちらは頭 だけはなくて首のところも写ってて違和感が少ないけど。でも、どちらの シューベルトも、大地をどしんどしんと踏みしめながら歩むような、力強いと ころがあるのよね。

2009年4月29日(水)
<<眩暈?>>
昨夜はかなり夜更しをして「東大駒場学派物語」(小谷野敦)を読み終えたた め、今朝は昼前まで寝ていた。この本には膨大な数の人名が出てくるけれど、 人名索引があるでもなく、「この年、誰がしが某大学助教授として転出」とか 書かれていても、「誰がし」は誰だっけ?ということになる。前に戻って確認 しながら読むのもはなはだ効率が悪いし、気にせず読み流すか、人名をノート に取りながら精読するか、どちらかにしないといけない。まあ、私は学界の中 で誰がどうしたという話は結構好きなので、ひとつ頑張ってノートを取りなが ら再読しようかしら。

午後は街に出た。朝が遅かったので、15時過ぎに昼食代わりに三条のリプト ンでミルフルーツとかいう、ミルフィーユの各層の間に薄切りフルーツが挟ん であるケーキと紅茶で少し数学。隣のテーブルに座った2人組の若い女性のう ち、より痩せている方の人がケーキを2個食べていた。う、う、う、、、俺が やりたくて躊躇している事を目の前でやりよって。。。

それからAnger河原町三条本店やJEUGIA三条本店を偵察。JE IGUAでは先日無かったマリア・ジョアン・ピリスや内田光子のベートーヴェ ンのピアノソナタのCDがあったので、試聴。いまひとつひっかかるところが あったけど「買っちまおうかな」と思い始めたところ、「それって日誌のベー トーヴェン特集のネタに使いたいという不純な動機から?」という 天の声が聞こえてきたような気がして、思いとどまる。

今日のベートーヴェンは、ダニエル・バレンボイムのピアノで「ディアベッ リの主題による33の変奏曲」。ピアノ版「ゴールドベルク変奏曲」(J.S. バッハ)と一緒に入っている。この曲も「ハンマークラヴィーア」的というか、 部分部分は綺麗だけど、何だかメリハリが無く、曲全体としてどうなっている のかよくわからないような感じがして退屈である。ゴールドベルク変奏曲はディ アベッリ変奏曲よりも長いけど、各変奏で曲想が大きく変わるためか、退屈せ ずに一気に聴ける。私は気宇壮大な長い曲よりも、短くてもメリハリが利いた 室内楽が好きだから、ベートーヴェンとかバッハとかブラームスの曲って、結 構好き嫌いがあるのよね。

このジャケットはバレンボイムが50歳ぐらいの頃の写真だと思う。先日 テレビで指揮棒振ってるところが映ってたけど、かつての天才少年もずいぶん 爺さんになっちまったなあって思った。「爺さん」って言っても、まだ60代 半ば過ぎなんだけど。以前、ウラジミール・アシュケナージも爺さんになって 指揮棒振ってたな。指揮棒振るから爺さんになるのか、それとも爺さんになっ たから指揮棒振るのか、、、って、どっちも違うよね。それでJEUGIAさんに行 くと、アシュケナージの30代ぐらいの写真のジャケットでCDが売ってたり するから、ちょっと不思議な気分になる。タイムマシンに乗ってあっちに行ったり こっちに来たりしてるみたいな感じ。 この眩暈にも似た感覚がCD漁りの楽しみのひとつってわけ。

夜も少し数学。

2009年4月28日(火)
<<重要議題>>
13時から14時半まで、経済学部、経営学部のCプログラミングの授業。本 日受講生5名。引き続き14時40分 から16時10分まで数理科学科2回生の代数の授業。受講生多数。

その後一息おいて16時半から教授会(のような会議)。 今日は重要議題があるため「万難を排して是非とも出席を」とのメールが事前 に流れていたためか、数理科学科の教授会メンバーは、病気療養中のP先生と 最近1年ほど教授会サボりの常習ぶりが目立つQ先生を除いて、全員出席していた。私はスヤスヤと居眠りをし ていたのだが、某学科の猛獣のような先生が私の近くで吠え始めたので、ああ、 「重要議題」が始まったなと思って目を覚ました。数理科学科の会議は複雑系 だが、教授会はそうでもなく、議事を聞いていても結構面白い。

会議は19時ごろに終り、その後、生協で夕食の後、新任の某先生の部屋 に立ち寄って、4月半ばにようやく正常化した数物事務室についての注意事項 を伝える。この問題をめぐる過去の経緯や今後注意すべき点については、3月 末の会議で数理科学科に以前から居る先生たちには周知したのだが、新任の2 人の先生にも知っておいてもらった方がよかろうということで、人事主査をやっ た関係上、私の方から簡単に説明することになっていたのである。

さて、今日のベートーヴェンは、ペーター・シュミードルのクラリネット で「ピアノ三重奏曲4番変ロ長調(街の歌 Gassenhauer)」および「ピアノ三 重奏曲変ホ長調」。ジャケットの赤不動明王みたいなベートーヴェンのオジサ ン顔が暑苦しく、今日のようにオジサンにまみれた日にはなかなか聴く気にな れないけど、それを押してエイッ!ヤッと聴いてみると、案外というか、 結構さらりとしてていい感じの1枚である。 やっぱりCDは見掛けで判断してはいかんな。

2009年4月27日(月)
<<偵察癖>>
少しずつ楽しみながら読もうと決めていた「東大駒場学派物語」(小谷野敦) だけど、あまりに面白いので昨夜は少し遅くまで読み耽ってしまい、朝起きる のにひと苦労。しかしまあ2週連続タクシー通勤ってわけにも行かず、ラクト 山科で昼食用のサンドイッチなどを買って昼前に出勤。睡眠不足で頭がぼんや り。研究室こそこそ昼食を挟んで、明日の代数学の講義の準備。「Ritsに はゴールデンウイークなんてありません。平常通り授業があります」とドイツ 語寺子屋などで吹聴して回ってたのだが、卒研ゼミの直前に学年歴を見たら、 5月4,5,6日は休みになっていた。最近の私は語学学校で法螺ばかり 吹いている。

14時半より16時まで卒研ゼミA(可換環論・代数幾何学)、16時半 から18時過ぎまで卒研ゼミB(初等整数論)。今日の卒研ゼミBは、前回の 学生から奪い上げた宿題についての私の講義でほとんどの時間を費やした。ゼ ミの後は早々に帰宅。

元指導教官追悼特集、今日のベートーヴェンは、ディーター・クレッカー のクラリネットとプラハ室内管弦楽団による「ベートーヴェン、クラリネット 編曲集」。「月光」やその他の曲を、別の作曲家たちがクラリネット用に編曲 改編した曲を集めたもの。他の人の手が入っているせいか、「ちょっとベートー ヴェンとはちがうなあ」って感じ。あるいはクレッカーのクラリネットだと、 どんな曲でもクレッカー節になってしまうのか。

このジャケットの絵は、いかにも「灯火親しむべし」って感じがして、 「自転車で近所を彷徨、偵察して毎日ひとり遊びに耽るのもいいけど、何かし らの形で学問で身を立てるべく机に向かって勉強してみるのもいいかな」と思 い始めた小学校高学年の頃を思い出す。「偵察癖」はその頃からあったようだ。 自分が偵察機になって、宵闇にまぎれて敵地の空を静かに飛んでいる様子をイ メージしながら彷徨っているところも、当時から変わってない。雀百まで踊り を忘れず、ってやつね。

それから10数年後に大学院入試に落ちて自棄糞になるのだが、学者を目指した小 谷野氏も院入試浪人した時は色々大変だったらしく、「東大駒場学派物語」に もその辺の事情が書かれている。そこの部分が面白くて、思わず昨夜は夜更し してしまったというわけ。

2009年4月26日(日)
<<ゴシップはお好き? >>
野暮用と休息と数学の日曜日。昼間は山科区内や四条界隈で買い物などに出掛 け、その帰りにSbuxで少し数学。日曜17時頃の山科駅前Sbuxなんて、 暇そうな中高年のオジサンやオバサンが大挙して押しかけているかと思いきや、 天気が悪かったせいか意外と席が空いていた。夜も少し数学。

その合間合間に、先日買った「東大駒場学派物語」(小谷野敦)をちびち びと読み進める。こういう狭い世界のゴシップ物語は、それなりに面白い。私 の学生時代も、大学院生や若い教員達から数学者たちの色々なゴシップが流れ てきたし、計算機屋時代も研究所の仲間や研究集会などで知り合った人達とよ く雑談をしたが、その内容の多くは誰がどうしたというゴシップの類。それは それで結構面白かったし、その業界で楽しく有意義に勉強をしたり仕事をして いくうえでは貴重な情報源だったと思う。

しかし最近は数学業界のゴシップの類にはあまり興味が無くなってきた。 脳が歪んだせいか、あるいはそれ以前から数学者という人種にあまり馴染めず、 したがって数学業界に十分適応していないせいか、数学者たちの誰がどうした という話なんでどうでもよいではないかという気分である。 それは数学そのものとは関係無いしね。その意味では、私の心象風景 から人の影が希薄になってきてる。

さて、今日のベートーヴェンはクリスチーナ・オルティッツというピアニ ストのCDで、ピアノソナタの8番「悲愴」、17番「テンペスト」、14番 「月光」の3曲が入っている。17番と14番は先週買った仲道郁代のCDに も入っている。このジャケットの写真は松ぼっくりかライチの実か何かなんだろうけど、森 林地帯を走る道路を空から眺めた図のようにも見える。こういう、作曲家の顔 も演奏者の顔も写ってない人の影の希薄なジャケットも、清清しい感じがして 良いものだ。

2009年4月25日(土)
<<退屈? >>
ドイツ語寺子屋塾の日。午前中は自宅で大慌てで予習を済ませて自宅を出て、 その辺で遅めの昼食を挟んで「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン)ド イツ語版を読んでウオーミング・アップ。帰りはJEUGIA三条本店と紀伊 国屋書店を偵察。何も買わずに帰宅。夜はスポーツ・クラブでへとへとになる。

さて、本日のベートーヴェンは、ピアノ・ソナタ29番「ハンマークラヴィー ア(Hammerklavier)」。エミール・ギレリスは(旧)ソ連の有名なピアニスト らしく、このCDは彼の晩年の録音。Hammerklavierとはピアノの古い呼び方 らしいが、こんな変な命名法が許されるんなら、ブラームスの”クラリネット・ ソナタ第1番「クラリネット」”とかシューマンの”3つのロマンスOp.9 4「オーボエ」”とかIBMの"ThinkPad「半導体」"とかニッポンハ ムの"シャウエッセン「豚」"とか丹波ワイン"鳥居野「葡萄」"とか、サンリオの ”ハローキティー「猫」”とか、そういう のも許されてしまうではないか?一体、何を考えているのか、と。

それはともかくとして、このCDは時々思い出して聴いてみるのだが、 そもそもこの曲は出だしはちょっとドラマチックだけど、それから先はまるで 交響曲のように(!)矢鱈長くて退屈だ。ギレリスのこの写真もおっかなそう なオジサンって感じだけど、ゲーテで一度教わったことのあるドクトル・K先 生にちょっと似ているのがご愛嬌である。

K先生は語学教師というよりは博覧強記の人文科学者で、彼の授業では 「言葉は文化だ」との強い信念のためか、ヨーロッパの歴史だの美術だの地理 だの宗教だの話が流暢な日本語で語られ、根強いファンも多いようだった。私 は、文学部の授業みたいで悪くないけど、日本語ばかりでちっともドイツ語の 授業らしくないということで、敬遠していた。

それにしても私は何故フランス語やドイツ語を勉強してるんだろう?って 時々内心疑問に思う。言葉の背景にある文化を学問的に勉強したいわけでもな いし、研究活動での必要性も実はそれほど高くもないし(英語で事足りる)、 外国語をマスターしたところで、世界の色々な人と友人になって色々なことを 語り合うというタイプの人間でもないし(気難しく非社交的)、仕事以外で外国語の本 を読んだりすることもほとんどない。じゃあ、何故なんだ?語学学校の人達と の交友関係を楽しみたいから?自分を苛めて楽しむ格好の手段だから? それだけか?と。

ひとつ思いついたことは、ドイツ語やフランス語で物を考えてみたいから、 というやつ。別に大したことを考えるわけでもないけど、日常のちょっとした ことを外国語で話したり聞いたりしてみると、世界の雰囲気がちょっと変わっ て見えるような気がするから。K先生の授業みたいに文化を学問的に学ぶより も、実際にその言葉を話して体験的に感じる方が私にとっては面白い。例えば、 「退屈」, "langweilig", "ennuyeux", "boring" をそれぞれ声に出して言っ てみると、同じ「退屈」でも雰囲気が違うし、何かについて意見を求められた 時、「べつにぃ」と"Das ist mir egal."と"Ca m'est egal."と"I don't care." を、その日の気分で使い分けてみたりすれば、そこには 「昨日とは違うワタシ」が居て、ちょっと愉快かも。

2009年4月24日(金)
<< Ca m'est egal. >>
午前中はフランス語の復習だの宿題だの。午後は街に出て遅めの昼食の後、関 西日仏学館図書室へ。数学を考えたり、フランス語の復習をしたりしてすごし、 京大ルネで夕食の前にルネの書籍部で「東大駒場学派物語」(小谷野敦)を購 入。日仏の授業の後は、例によって京都市役所前駅まで徒歩。途中、超特撰白 雪江戸元禄の酒(復刻酒)原酒180ml瓶詰の路上飲酒。ちょっと紹興酒に 似た味。

さて、きょうのベートーヴェンはザビーネ・マイヤー(写真中央)のクラ リネットで「町の歌 Gassenhauer」。当時の町の流行歌を編曲したものとか。 同じ曲でペーター・シュミードルのCDも持っているのだけど、クラリネット の音の伸びの良さでは、やはりマイヤーのCDの方が断然優れている。

音楽は良いとして、それにしても詰まらないジャケットである。オジサン 2人が1人の女性を取り囲んで話している図というのは、まあ、西洋の社交的 な場では良く見かける情景で、私も中学の同窓会や会社員時代の仲間と飲みに 行った時などは、こんな感じでマイヤーの右か左のオジサンみたいな感じで (あくまで「口は悪いけど紳士」(!)的に)美女に話しかけていたりするけど、 だけど、それが一体何だっていうんだよう!?先ほどから ずうっとこのジャケットを眺めているのだが、写真にはどうも興味が湧かず、 写真を取り囲んでいる余白の部分の薄緑色や、 "Brahms:Klarinetten-Trio, Beethoven: Gassenhauer-Trio"の文字の濃い緑が ちょっと綺麗で、そっちの方ばかり目が行って、ロッテのグリーンガムの味を 思い出したりしている。美味そうな色だな、と。

まあ、こういう風に何の意見も感想も湧かないということは良くあるものだ。 今日はフランス語の授業で、家族制度に関する文章を読んだ。フランスでは 結婚制度以外に共同生活を公的に認める制度がいくつかあり(もともとは 同性愛者のために作られた制度らしい)、非婚同棲も離婚も再婚も多く、 現代フランスの家族制度は複雑になっていて、しかし政府が家族給付金や 幼稚園制度の充実に力を注いでいるので、出生率は日本よりも良く、非嫡出児 が全体の48%を超えるとあった。

へー、そうなのかと思ったのだが、宿題として「これについてどう思うか? 日本と比べてどうか?自分の意見を接続法現在形を使って述べよ」といのが出 たので、頭を抱えている。接続法現在形はよいのだけど、「自分の意見」なる ものが一向に湧いてこない。

私には社会との連帯感が欠落しており、 むしろ、「自分と社会を結びつけて考えるのは、すこぶるオジサン的でいやらしい」 という妙な考えにとりつかれているので、 世の中どうあるべきか式の意見は 思い浮かばないことが多い。今回の宿題も、私の家族と、日本の多くの家族や 家族制度と、フランスの家族制度が私の頭の中で全然リアルに結びつかず、 意見の出しようがないのである。

こういう時、ドイツ語では"Das ist mir egal." (そんなの、私にとってはどうでもいいことです)というのだけど、独仏辞典 によるとフランス語では"Ca m'est egal."というそうである。まあ、それでは 通らんだろうから、適当に「自分の意見」をでっち上げて仏作文することにな るんだけどね。

2009年4月23日(木)
<<心象風景>>
研究日。午後は京大数理研図書室。帰りはJEUGIA三条本店を偵察。数理 研から卒研ゼミの宿題に関連した論文をコピーして持ち帰り、夜、もう一度計 算し直してみたら、私のミスが見つかり、論文に書いてあった式の方が正しい とわかった。自分の研究には直接関係ないけど、なかなか面白い話で、やっぱ り学生から奪い上げて自分でやった甲斐があったな。

数理研の帰り際、1階ロビーで元指導教官の関係者が4名ほど鳩首会談をして いた。彼らが4名揃ってこんな所に居るのもちょっと珍しいが、おそらく元指 導教官の「お別れ会」の相談でもしているのだろう。よろしい。お別れ会でも 何でも、胸を張って参列してやろうじゃないか。「先生、安らかにお休みください。 私はベートーヴェンとともに、力強く生きていきますから」とね。

さて今日のベートーヴェンは、Ivan KönigのピアノとHerwig Tacheziの古 楽器チェロの濃密な掛け合いで、聴く者の胸にギリギリと迫る2枚組みCD、 「ピアノとチェロのためのソナタ集」。このジャケットの絵 もいいですねえ、私の心象風景みたいで。え?お前の心の中は、こんなに どんよりと黒いのかって?良く見てみなよ、足元と見上げる空がうっすらと明るいでしょ?!

今日も或る性格診断をやてみたけど、「合理的で冷静」だの「ドライな性 格」だの「バランスがとれている」だって。お前ら、ええ加減にしとけよ。こ の絵みたいな、歪んだ脳で独り暗い海を眺め、遠い空を思いやる心象風景の、 何処が「合理的」で「冷静」で「ドライ」で「バランス」が取れてんだよう?!

2009年4月22日(水)
<<性格健診>>
研究日。午前中と夜は自宅。午後は京大数理研図書室に行ったついでに、卒研 ゼミの宿題に関連する40年前の短い論文を眺めてみた。どうやらその論文の 計算が間違っているようで、ゼミの教科書に書いてある結論が正しいのかどう か疑わしくなってきた。私も一昨日独自に考えて計算してみたのだが、どうも うまく行かないので、本当に証明できるのかなと疑っていたのだが。

元指導教官の桎梏から解放され、ベートーヴェンを聴きながら力強く生きる今 日の1枚は、ラルフ・マンノのクラリネットで「春のソナタ」&ギド・シーフェ ンのチェロで「クロイツエル・ソナタ」。これも結構激安CDだったけれど、 学科長をやっていた2006年の初夏あたりは、このCDを(頭の中で勝手に 音が流れているのを含めて)一日20回ぐらい聴いてテンパッっていたように 思う。ラルフ・マンノのクラリネットは、楽しいけど何だかとぼけた音で、 「春のソナタ」も結構危うい雰囲気がしないでもないのだが、そういう事にお 構いなく私をテンパらせたのは、ベートーヴェンの偉大さなんでしょう。今、 聴くと、当時あまり関心が無かった「クロイツエル・ソナタ」の ギド・シーフェンの方も結構いい感じだ。

かように私も、局所的には結構はめを外したり乱れたりしているのだが、 この数日、密かな趣味である性格テストのサイトをいくつか見つけて片っ端から やってみたら、「バランス感覚抜群、いつもクールでハメをはずさない。表面 的な人間関係を良好に維持することには苦労はしない。ただし、より深いウエッ トな人間関係は苦手で、要するに堅苦しく常識的で面白みのない人間」みたい な診断が次々と出て、衝撃を受けている。う、、、嘘だろ。俺、脳が歪んで性 格まで駄目になってしまったのか?

頼みの綱はタイプ別性格判断 。私は定期的にこれで性格チェックをして、性格が変形していないか自 己管理している。まあ、その辺のオジサンが自分で血圧計ったりしてるのと同 じである。今日やってみたら、従来通り「ISTP型:なんでも一度は試して みる」との診断結果が出たので、ちょっと安心した。 何度チェックしても、「考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたよう なINTP型」の診断が出ないのがちょっと残念なのだが、確かに自分はIS TP型だと思っているし、私はこの診断にいつも満足している。

2009年4月21日(火)
<<♂、♀、*、†、∞>>
大丸ラクト山科店で昼食用のサンドイッチなどを買って、午前中に出勤。授業 のプリントを準備したり、研究室コソコソ昼食をとったりしてから、13時か ら14時半まで経済・経営学部のCプログラミングの授業。引き続き、14時 40分から16時10分まで、数理科学科2回生の代数の講義。慣れない代数 の講義は、つい力が入って、ただでさえ汚い板書の字が益々乱れる。まあ、 レジュメを配ってあるから良いようなものだけど。 講義の後は、昨日の卒研ゼミの宿題のうちの1つをほぼ片付けてから帰宅。

これは、4月16日にも言及したカリ・クリークのCDにも一部入っていた、 モルターのクラリネット・コンチェルトの全曲を集めたCD。このHenk de Graafという人のCDはもう1枚JEUGIAで見かけたが、いずれも阿呆み たいな激安で売られていた。これは2008年の1月11日に買っており、カ リ・クリークのものに比べて、クラリネットの音の伸びがやや悪いため、「貧 相な音!」と決め付けて、しばらくその辺に押し込んであった。しかしここ数 日何となく気になって、また聴いてみたら、「それほど悪くもないか」と。

'08年1月11日の日誌にも書いたけど、前世紀の昭和の昔を潜り抜け てきた、平成の古老、時代の生き証人の私としては、こういうジャケットのモ ノクロ写真はちょっと心惹かれる。

その昔、凄腕の脳神経外科で正義感の塊ベン・ケーシー医師を主人公にし たアメリカのテレビドラマが大ヒットしたけど、当時は勿論このジャケットの 写真みたいな感じのモノクロ映像。そのオープニングの「♂、♀、*、†、∞」 (「男、女、誕生、死亡、そして無限」)と語りながらチョークで書く板書が、 当時 幼稚園児だった私の幼心にもぐっときて、俺は将来医者になるんだ!とか言い 出して、日々家庭の医学大事典の人体解剖図を眺め、人体骨格標本に異常な興 味を示し、デパートで見かけた「驚異の人体模型」を買ってくれと親にねだっ たりしていた。

しかしその後、魚の解体が気味悪くてしょうがない自分に、人体の解剖な どできるか?という深刻な 問題(医学部では人体解剖が必修科目と聞いてたから)にぶつかり、ちょうどテレビで 「国際救助隊サンダーバード」が流行始めたの で、よし!俺は国際救助隊を立ち上げるのだ、と人生計画を変更したのである。 この辺の経緯については、前にも書いたかも知れないけど、サンダーバードに ついて検討を進めていくにつれ、またも深刻な問題にぶつかり、小学校の低学 年ですでにこの計画は頓挫した。その問題とは、

  1. 南の秘密基地の用地を調達し、基地を建設するための莫大な資金を何処 で調達すれば良いのか?(サンダーバードの創始者は発明家として財をなした そうだが。。。)
  2. 基地の建設はどこかのプラント開発企業に発注しなければならないし、 サンダーバードの1〜5号の開発・生産・メンテナンスにはそれなりの要員や 組織が必要だ。多くの人が関与するとなると、「秘密基地」の状態を維持する のは事実上不可能ではないか。
  3. 仮に国際救助隊を立ち上げたとして、私は一体誰になれば良いか?サン ダーバード1〜5号を操る息子達にはもうなれないし(だって、私の父は 国際救助隊の隊長ではなかったし)、 彼らに指令を出すお父さんなんて、南の秘密の島にすっこんだままで、 自分でサンダーバード2号とか操縦するわけでもないから詰まんないし、 ぺネロープ嬢の専属運転手のパーカーも何だか冴えないし、 天才科学者のブレインズはサンダーバードの全システムを設計したそうだけど、 国際救助隊のブレーンとして雇ってくれる人が居ないと駄目だけど、 じゃあ、一体誰が国際救助隊を立ち上げるんだ?その人が果たして自分を 雇ってくれるのか?という疑問が起こるが、そんな貴方任せの人生なんてヤだし。
まあ、そういうようなことがあって、小学校の中学年ぐらいの頃には、 別に何になりたいというわけでもなく、今を楽しむことに頭が一杯の 子供になっていたように思う。ただ、現実を直視し過ぎて次第にこ じんまりとした人間に成り下がっていく過程が、すでにこの段階でも 見てとれる。

2009年4月20日(月)
<<タクシー通勤>>
今日も研究日。その前に明日の講義の準備をやろうっと。そして、この作業が 終ったら京大数理研図書室にでも繰り出すかと、ちょっとトイレ。と、トイレ の中で電撃的天啓、「今日は14時半から卒研ゼミの日」だと。時計を見れば 13時25分。超特急で出かける準備をしても、普段の通勤のように、電車が 15分に1本間隔でしか来ず、週に何回かは10分や20分は平気で遅れるJ Rを使っていたのではとても間に合いそうにない。山科駅までの距離も馬鹿に ならないし、南草津からの近江バスも時間帯によっては来たり来なかったりと アテにならない。うーん。田舎の大学に通勤するというのは、こういうことか。

そこで、道路が渋滞する時間帯ではなさそうだし、以前、大酒飲みの某同 僚に(シラフの時に)大学から山科まで車で送ってもらって、ずいぶん早く着い たことを思い出し、自宅からタクシー通勤することに。途中、道路脇に見 える遅咲き桜を楽しんだりしながら、名神高速代込みの大枚五千円弱を出費し て14時過ぎに到着。すぐさま生協に駆け込み、昼食用のサンドイッチを買っ て研究室で食べ、余裕で14時半からゼミ。「おやおや、Y君はまた遅刻です か?しょうがないですね。じゃ、定刻ですから先に始めちゃいましょう」とか 何とか言いながら。

ゼミではルジャンドル記号に関する基本公式と応用についての宿題が残っ てしまう。通常そういう宿題は学生にやらせるものだが、基本的に卒研ゼミは 私自身が勉強するためにやっているというスタンスなので、面白そうな問題は学生 から奪い上げて自分で解こうとする。悪い先生ですね。帰宅後、明日の講義の 準備の続きを終えてから、ゼミの宿題問題をすこし考える。結構難しいので、 明日以降にもう少し考えることにしよう。

2009年4月19日(日)
<<もう大丈夫>>
本日一応研究日。昼食後、金曜日に見つけた「問題の答」を解読してノートに 纏めた後、烏丸四条の大丸に雨傘を買いにいく。大丸から京都市役所駅前まで は、寺町通や京極通を徒歩で上がる。気温はぐんぐん上昇し、暑い。三条アー ケード街のHollys cafeでソフトクリームを食べてから、JEUGIA三条本 店へ。

JEUGIAでは2時間近くウロウロしていたが、昨日店でかかっていた ベートーヴェンのピアノ・ソナタのCDは店に置いてなかった。JEUGIA さんって、よくこういうことがあるのよね。それじゃあ、内田光子かマリア・ ジョアン・ピリスにしようと思ったけれど、適当なものが見当たらず。結局、 仲道郁代のベートヴェンのピアノ・ソ ナタ「田園」「テンペスト」「月光」「トルコ行進曲の主題による変奏曲」の CDを買った。

あ、そういえば、多川響子って人が居て、10年ぐらい前にゲーテのコン サートで偶然聴いて、これはいいピアニストだな!と思ったけど、その後ほと んど消息不明になっていた。ところが最近、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 全曲をコンサートで順番に弾いていくとか言い出してるらしく、今度、シリー ズ第一回目のコンサートを開くそうだ。第二回目のコンサートの日程も決まっ ているというから、おおっ!雌伏10年、いよいよ勝負に出たな、と思ったけ ど、改めて調べてみたら、この10年間も結構あちこちで活躍していたみたい。 一度コンサートを聴きに行って、10年の成長ぶりを確認してこないといかん な。

まあ、元指導教官云々の件も、あれから10日近く経ったし、もう終りで ある。そもそも大学卒業後はただ一方的に馬鹿にされていただけで、特に付き 合いがあった訳でもない。私は自分を苛めて喜ぶマゾではあるけれど、誰かに 苛められて喜ぶマゾは学生時代で卒業している。学生時代は、教官たちが私 を苛めるのは「愛!」だと勘違いしていたけれど、今となれば、あれは単に、 馬鹿を見ると苛めたくなる数学者としての本能をうまくコントロールできない 大学教師の、暴走みたいなものだと考えている。

いずれにせよ今は、多少は世の中の道理も分かってきたし、馬鹿にされるだ けと分かっている人間の所へなんか、わざわざ近寄って行ったりはしないのだ。 従ってこれは詰まるところ、学生時代のトラウマと現在の私をいかに切り結ぶか という心の整理だけの問題だから、まあ、適当に区切りをつければ良いわけであ る。何てったてベートーベンが聴けるようになったのだから、もう大丈夫さ。

夜も少し数学。私が大学に入学した年に出版された論文を解読する。

2009年4月18日(土)
<<全部聞いてたぞ!>>
今日からまたドイツ語寺子屋塾が始まる。昼前に自宅を出て、京大ルネで昼食 の後、関西日仏学館の図書室で「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン) のドイツ語版を読んだり、ドイツ語文法を簡単に復習したりしてウオーミング アップ。サイモン・シンの本は2004年にエッセンの書店で買って、ぼちぼ ち読んでいるのだが、なかなか進まず、まだ半分ぐらいのところ。

今日読んだのは、Paul Wolfskehlとかいう財閥の若総帥が数学マニアで、 その遺言によってフェルマー予想を解いた数学者に対する賞金が設けられたと いう話のあたり。Wolfskehlは恋した女に振られて自殺しようと思ったが、そ の前に図書館で何とはなしにクンマーの論文を眺めていたら、その証明に小さ なミスを見つけた。それがこの問題の新しい展開に繋がると確信した彼は、 「死んでる場合ではない!」と興奮して再び生きる決心をしたとかいう話。まっ たく、女に振られたとか、大先生の論文のミスを見つけたぐらいの事で、いち いち死ぬだの生きるだのって大騒ぎするなっつーの。暑苦しいやっちゃな。

さて寺子屋講座には、新しく3名の生徒が加わった。ずいぶんドイツ語で 出来る人達で、人数も6名となると、小さな教室でちと狭苦しい上に、彼らに ついていくのが大変かも。

関西日仏学館の時もそうだけど、講座が始まる数時間前はいつも「ああ、 こんなシンドイこと、やめとけばよかった」と少し後悔するのだ。そりゃあ、 語学は好きだけど、根気が要る割にはそれほど上達しないし、上達したとこ ろで別にどうってこともないしで、街の雑踏に紛れて一人数学やって、その 合間に酒でも飲んで音楽聴いてる方が気楽に決まってる。

シンドイことを我慢してやるのは、大人たちに騙されている小中高校生か数 学科のマゾ学生か野心溢れる若者のすることであって、オジサンというものはも っと欲望のおもむくままに、やりたいことだけやり、面倒臭いことはやらないな いという風に単純明快に生きるべきではないか。立派にオジサンなのに、反オジサ ン的な生活をしたがるのは、やはり学生時代に身に付いた自分を苛めて喜ぶマ ゾ的習性が抜けてないからではないか、と。

寺子屋塾の帰りは、やはり京都市役所駅前まで徒歩。例によってJEUGIA 三条本店で道草。売り場ではベートーヴェンのピアノ・ソナタがかかっていた。 私はアルフレット・ブレンデルのCDを持っているけど、今日聴いたのは少し 感じが違っていた。ブレンデルのは全く隙を見せない手堅さで聴く者を圧倒す るベートーヴェンで、ベートーヴェンってそういうものだと思っていたけど、 今日聴いたのは自由な感情の広がりや深みみたいなものが衒いなく盛り込まれ ていて、それがしみじみと伝わってくる。

こういうのもいいなあ、買おうかなあと思ったけれど、今日は寺子屋の授業 料を払ってしまったので所持金が足りない。結局「ウチに帰って、ブレンデルの CDでも聴こうっと」ということになった。最近はこういう、ウチにあるもので 間に合わせようというシミッタレタことが増えたな。

夜はスポーツクラブで、また自分を苛めて喜ぶ。最近は乗馬マシーンとい う変なトレーニング機械があって、友人同士らしい若い外国人女性2人がそれ を使いながらお喋りをしていたが、途中から一人が「こんな機械に乗らなくて も、男に乗れば同じことができる」と言い出し、それから猥談に突入していっ た。君らねえ、英語で喋ってればわからんと思ってるんかも知れんけど、俺は すぐ近くでストレッチしながら、透明人間モードで全部聞いてたぞ!

2009年4月17日(金)
<<サプライズ>>
研究日。午前中は自宅で某講義録を眺めたりしてすごす。午後は京大北部生協 の「喫茶ほくと」で遅めの昼食をとっているときに、ふとある予備的問題を思 いつき、数理研図書室で少し考えてみたがうまく行かず。しかし、これはこの 方面を研究する者なら誰もが一度は考える問題だから、既にどこかで解決済み のはずだと思って色々文献を調べてみたら、とりあえず答が書いてある場所は 見つけた。そうこうしているうちに、関西日仏学館の時間。考えたことや調べ た事を研究ノートにメモして数理研を出る。

関西日仏学館の図書室で、基本動詞の接続法現在形活用の復習をしてから、 授業の始めに行われる「先週の近況報告」用の仏作文。元指導教官の通夜で遺 影に生卵を投げつけてやろうと思ったけど、理性の勝利によって結局踏みとど まったという話を作文した。やっぱり理性は偉大だ。しかし今日の授業では近 況報告は無く、結局この作文はお蔵入りした。クラスでは、先週姿を見せなかっ た謎の和菓子職人や山科在住某酒屋店員が復活していた。しかし、実は皆に慕 われている怪しい地方公務員氏は、とうとう復活ならず。男は私と自称「10 年後には死んでいる」オジサンだけ。

帰り道、そういえば私は1年大学受験浪人して理学部数学科に進んだれど、 浪人せずに某大学情報工学科に進んでいたとしたら、今頃何をしてただろうか というようなことをつらつら考えながら、徒歩で京都市役所まで向かっている 途中、荒神橋付近で自転車に乗った謎の和菓子職人に後ろから声を掛けられ、 驚く。彼女は自転車で通っていたのか。まあ、サプライズはいいから饅頭でも 持って来なさい。何なら御手洗団子でもいいけど、お宅のとこでは団子系は作っ てなさそうですね。それでは、また来週、御機嫌よう、と。

本日、菊水アルミ缶路上飲酒はなし。しかし帰宅後、先日買った安ワインが 少しだけ残っていたので、飲み干す。やはり10名前後の人間としばらく一緒に 居ると、それだけで神経が昂ぶってしまう。

2009年4月16日(木)
<<論理的に管理する>>
研究日。午前中は自宅で昨日大学から持ち帰った文献を眺め、午後は大丸ラク ト山科店へ骨が折れた傘の修理を依頼しに行き、その足で京大数理研図書室へ。 いくつか文献をコピーしたり、眺めたり。ああ、この方面の研究はこういうこ とになっていたのかと、おぼろげにながらも目鼻が立った。

数理研の帰りはJEUGIA三条本店をすこし偵察したが、これといった CDは見当たらず。昨日、ラクト山科の和菓子屋で御手洗団子の顔をした黒蜜 団子を買ってしまったので、今日はリベンジを果たそうと、コンビニでヤマザ キの3本入り105円也の格安御手洗団子を購入。今度はちゃんと甘辛の醤油 味。一昨日買った安ワインの残りで御手洗祝いの祝杯をあげる。

夜は今日の文献調査でわかったことを研究ノートに纏める。

今日は久しぶりにカリ・クリイクのCDでJ.モルターのコンチェルトを聴い た。E管だかD管だか、通常よく使われるB管よりも高い音がでるクラリネッ トを使って、草笛のような音で軽快に吹いているところが、ちょっといい感じ。

学生時代の同級生で、この写真のカリ・クリイクと不定方程式論や超越数 論で有名なアラン・ベーカーを足して2で割ったような風貌の男が居て、そ いつは「何食ったらそ んなに頭良くなれるんや?」みたいに頭が切れて、当然私よりも先に大学院に 進み(というか、私は結局大学院に進学できなかったけど)、私の院試の不合 格発表の時に「高山君が落ちるのは別に不思議ではないな。はははははははは はははははははははははははははははははー」と私の目の前で笑い転げた輩である。

私は異様に執念深い男で、理不尽な言動によって被害を受けると20年で も30年でも平気で覚えている。私のブラック・リストは極めて論理的に管理 されており、もともとお人好しの性格ゆえ、謝罪、手打ち、和解、懺悔、改心 等、何らかの論理的解決をみれば比較的簡単に解消されるのだが、それが無い 限りは「時間が経ったから水に流す」ということはない。

とは言うものの、子供の世界は野蛮だから、大学入学以前なども色々あっ たはずなのに、ほとんど何も覚えていないから、執念深くなったのは学生時代 以降だろうと思う。執念深さは数学研究には必須の素養だが、私の場合はそれ がもっぱら日常生活に発揮され、研究面では割合淡白である。これが逆になれ ばもう少しマトモな数学者としてやってけたはずなのだが。

私が後生大事に覚えている忌まわしき事例の圧倒的多数は学生時代に集中し ており、会社員時代も色々あったけど何故か思い出が年を追うごとに美しくな るばかりで、嫌なことはほとんど何も覚えておらず、大学教師に転職して以降 は(旧)情報学科時代に相当数の事例があるが、数理科学科に移籍して以降は 2,3の事例が散在している程度である。

こうやって振り返ると、私の心がけが悪かったのか、それとも周りに居た 連中が野蛮だったのか、私の学生時代の精神世界はどす黒かったり青白かった りで、ロクなもんやおまへんだな、と。このCDを聴くたびに、そういう事を 思うのである。