の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2009年8月31日(月)
<<捲土重来を期す>>
さて今日もいきなり本日の1枚。8月22日にも紹介したカリン・ドルンブッ
シュの「北欧のクラリネット協奏曲集」。ニールセンの協奏曲はザビーネ・マ
イヤー様のCDでも持ってるが(5月28日分参照)、フェルンストローム
(Fernström)とかカイパニエン(Kaipanien)といった、聞いたことの無い作
曲家の現代音楽風協奏曲も入っている。
ナントカ ström ってのは、スウエーデン人に特徴的な名前らしく、高 校物理で習った、光の波長の長さの単位オングストロームってのも、スウエー デンの物理学者の名前らしい。計算機科学者時代もGöteberg(イエテボリ) 大学のナントカ strömって研究者の論文をよく読んだような覚えがある。
本日午前中は新聞で選挙結果を眺めてすごす。政治家ってのは偉いモンで、 落選してしょんぼりしてても、人間を恨まないんだな。前回の選挙ではあんな に支援してくれたのに、今度は手のひらを返したようにそっぽを向くなんてと いう風に考えると、私なら金輪際選挙などに出るもんかという思考に走るに違 いない。しかし彼らは人間嫌いになるどころか、捲土重来を期してまた人の中 に入っていこうと考えるようだ。神経が図太いというか、あるいは、落選して も何万という支援者が居るから、それが心の支えになるのかしら。まあ、私も 彼らの爪の垢でも煎じて飲めば、もうすこし人間界で幸福に暮らせるようになるかも ね。
昼頃、またも大学に出勤し色々雑用。数学の問題を考えたり、ドイツ語の テレビ放送を見たりと、色々逃避行 動を交えつつテキトーにやってたけど、やっぱりこんな仕事ひとりで悶々とやっ てられるかと、夕方近くに同僚に押し付けて退散。夜はフランス語の宿題の見 直し。
さて、私は、北欧の家具のデザインなどに見られる、独特のシンプルさと
明るさが結構好きで、この「北欧のクラリネット協奏曲集」にもそれと共通する雰
囲気があるのだけど、何故か長く聴いているとちょっと飽きてくる。それはこ
のジャケットの写真にも現れていて、あの北欧の夜の街のような、どこかしら
しんとした感じはあるけど、それから先、何処へ気持ちを持ってけば良いのか、
迷ってしまうのよね。まあ、何でもいいけど、さっきからこっち見てる、その
目力、何とかならんのかい?
2009年8月30日(日)
<<水谷豊で3日>>
さて今日もいきなり本日の1枚。ポール・メイエとカルミナ・カルテットによ
る、ロバート・フックスとカール・フォン・ウエーバーのクラリネット五重奏
曲。ウエーバーはよく知ってるけど、フックスって誰よ?まあ、どちらも綺麗
な曲で、これを聴くと、クラリネットばかりではなく弦楽器も悪くないなと
しみじみと思ってしまう。
昨夜は寝入りに突然、俳優の水谷豊の名前が思い浮かんだ。実は3日ぐら い前に「相棒」の杉下右京役の俳優は誰だっけ?とふと思い出せなくなり、何 とかして思い出せないかと思っていたのだ。
人の名前はすぐ忘れるけど、それを思い出す作業はちょうど数学を考える のにも似ていて、2,3日ずっと頭のどこかで答を探し続けていると、ある時 にふっと出てくる。勿論、数学の場合は2、3日ではすまなくて、いつの間に か何を考えていたのかも忘れてしまうことの方が多い。
本日午前中は半時間ほどドイツ語テレビ放送を見て、昼頃山科区内の スーパーで買い物。午後は近くの小学校に選挙の投票に行き、その後は自宅 で膨大な量のフランス語の宿題に取り組む。一通り答 を書いてみたけど、まだ間違いだらけのはずなので、見直しが必要な状態。
夜はテレビの選挙速報を見てすごす。
前にも書いたけど、このジャケット写真の皆さんの顔、怖いですね。
濃い霧のため、森の中を道に迷ってしまい、日も暮れてきたのでどうしよ うかと思っていると、先の方に大きな館の灯が見えてきた。やれやれ今晩はこ こで泊めてもらうことにしようかと、玄関の戸を叩くと、髪の長い女主人とお ぼしき人が出てきた。事情を話すと一夜の宿を快く提供してくれることになり、 その館の者を紹介してくれた。名前を聞いたけど、ちょっと分かりにくいもの ばかりで、もともと人の名前を覚えるのは苦手な方だし、忘れてしまった。あ ご髭と眼鏡の男は、口数は少ないけど愛想は良さそうだ。何故か私の喉仏のあ たりをじっと見詰めてニヤリとしたのが気になったが、微笑みをたたえながら 「どうぞ、ごゆっくり」と静かに言って立ち去っていった。それから、ちょび 髭の男は、別に機嫌が悪いわけではなさそうだが、これまた口数が少なく愛想 も悪い。まあ、愛想が悪いのはお互い様だから、しょうがないけど。彼もまた、 私の顔を穴が空くほど眺めてから、一言「どうぞ、ごゆっくり」とだけ言って 立ち去っていった。少し若い女もいたが、彼女は「どうぞ、ごゆっくり」では なく、落ち着いた声で「よろしく」とだけ言って去っていった。何が「よろし く」なの?まあ、あまり細かいことを気にするのは、やめよう。最後は、この 家の使用人らしい端正な顔だちの若い男。彼は始終無表情な三白眼でじっと私 を見ているだけで、紹介が終ると何も言わずにすっと立ち去っていった。何だ か変な雰囲気の人ばかりだけど、まあ、一夜限りのことだし、よしとしよう。 夕食は何かの動物の骨付き肉のシチューのようなもので、今まで食べたことの ない味だったけど、腹も減っていたし、何の肉か詮索するのはやめて、兎に角 ガツガツと食べた。空腹も満たされたし、一日中歩き回ってくたくたに疲れて いたので、その晩は直ぐにベットに入って寝た。夜中にふと気づくと、誰かが 私の部屋に忍び入る気配がして、薄明かりにそれが例の無表情な三白眼の使用 人の男だと気 づいたが、それから先のことは良く覚えていない。何か鈍器のようなものが頭 を直撃したような気もするけど、どうだったかなあ。夢だったかも知れない。 ただ、さっきから俺の首から上が行方不明になっていて、捜そうと思ってるん だけど、左の足も何故か付け根から無くなってしまってるので、思うように動 けない。 おい、俺の首玉と左足、どうしてくれたんだよう、と。
まあ、このジャケットを見て、そういう妄想を楽しんだりするわけです。
2009年8月29日(土)
<<夏休みの宿題>>
さて今日もいきなり本日の1枚。Monique Haas(モニック・アース)のM.ラヴェ
ルのピアノ曲集。「亡き王女のためのパヴァーヌ」「水の戯れ」「ソネチネ」
「夜のガスパール」「コープランの墓」といった、良く知られた曲を集めたも
の。パヴァーヌ(pavane)とは16、7世紀に流行した宮廷ダンス曲のことら
しい。10年ほど前にテレビドラマのBGMで使われて、いい曲だなあと思っ
たけど、ラヴェルの曲だと知ったのは、ほんの1、2年前。それにしても「夜
のガスパール」は何度聴いても、これといった感動が起きない。
午前中は、例の講義録を読んでいて分からなかったことを少し調べたり、 考えたり。昼過ぎに大学に出勤。南草津の駅で、前をゆく中学生か高校生の数 名のグループを追い越したときに、「あーあ、夏休みももう終りやな」と悲し げな声や「読書感想文の宿題、全然やってへん」という声が聞こえてきた。
私も子供の頃は読書感想文の宿題が大嫌いだった。感想なんて何も湧いて 来なかったからである。まあ、教師の側からすれば、宿題という形で強制力を かけて子供たちを刺激すれば、心の中の何かを言葉にする練習にはなるだろう という狙いだったのかも知れない。しかし、そもそも当時の私の心の中は空っぽ だったから、言葉にすべき何物も存在しなかったのである。それで、いつも本の 粗筋を半分ぐらい書いて、通り一辺の薄っぺらな感想らしきものを書いてお茶を 濁していた。
工作の宿題も嫌いで、いつも父親に作ってもらっていた。当時も今 もモノ作りは大嫌いで、そもそもアイディアの広がりが物理的制約(やその他 諸々の現実的制約)の中に閉じ込められるのが我慢ならない。 メーカーに勤め ていた時によく聞かされた「技術者はモノを作ってなんぼの仕事だ」という言葉 には、ほとほとうんざりしたものだ。その言葉を聞かされるのが嫌で数学者に 転向したと言っても、あながち誇張でもない。
あと、自由研究ってやつも、何をやれば良いのか漠然としていて、ほとほと 手を焼いたものだ。後に自由研究が何よりも好きになり、自由研究を仕事に したい一心で大学教師を目指すことになろうとは、当時はまだ夢にも思ってなかった。
夏季休暇期間中の土曜日はバスの本数も少なく、結構待つことに。ようや く大学にたどり着き、かろうじて開いていた生協で昼食の後、昨夜やり残した 怒涛の雑用に取り組む。夕方、曲がりながらもとりあえず片付き、バスや電車 の中で講義録を眺めながら家路につく。ラクト山科で蕨餅を買って帰宅。夜も 少し講義録をつっ突いてみる。
さて、このジャケットのように、淡い色の細かい花が沢山あるのは好きだ。植物
にはあまり興味が無いし、花の名前などほとんど知らないけど、花屋さんでよ
く見かける、小さな白い花が沢山ついていて陽炎のように見えるのとか、満開
の桜や菩提樹の遠景とかは、ことのほか好きである。この絵を描いた人も、同
じ気持ちじゃなかったのかなと思う。
2009年8月28日(金)
<<怒涛の雑用>>
さて今日もいきなり本日の1枚。オーボエ・クラリネット・ファゴットの木管
トリオ、ケルン放送管弦楽団木管トリオ(trio d'anches de cologne)の
"PETITE PÂTISSERIE" (これは「小さなお菓子屋さん」と訳すべきか、
「小さなお菓子」と訳すべきかは
不明)。ちなみに"anche" とは管楽器のリードのこと、
"cologne"はフランス語でケルンの意。日本語では「ケルン」と言うが、現地
の発音は「コルン」に近いので、それをフランス語風に言えば「コローニュ」
となるのだろう。
本日午前中は、半時間ほどインターネットでドイツ語のテレビ番組を見る。 昼頃に出勤し、研究室こそこそ昼食の後、しばし線織曲面の講義録を 読んですごす。13時半より大学院入試の面接と判定会議。会議は15時前に 終り、引き続き来年度の卒研の件で某同僚の部屋で打ち合わせ。来年度の卒研 担当は前期だけで、後期はその同僚に引き継ぎ、私はドイツに逃亡する予定。 テキストは一応、フルトンの代数曲線(か松村の可換環論)に決まった。
その後、2時間ほど線織曲面の講義録読み。さてと帰ろうかと思ったとこ ろで、突然怒涛の雑用が転がり込み、生協での夕食を挟んで21時過ぎまで仕 事。帰宅は22時半すぎ。
ところで、このジャケットはよくわかりません。どこかのおばさまが、
こんな生地のブラウスとかを着てたりするのでしょうか。鉄工所なんかに行く
と、こんな赤錆びた鉄板が転がってそうな気もします。子供の頃に大好きだっ
た「東京のしイカ」がこんな感じだったかな。味醂が利いた甘辛い味は今でも
覚えています。真ん中に、馬を降りて歩きはじめたドンキホーテの姿が浮かび
上がってますね。左上の中空に飛んでる黒いのには、仏様が乗ってますね。御
来迎ですか。え?私はまだ死にたくないですけど。それで、実のところは、
一体何なの?
2009年8月27日(木)
<<やる気が起きない>>
さて今日もいきなり本日の1枚。昨日に引き続き、トン・コープマンのチェン
バロで、J.S.バッハの平均律クラヴィア曲集。今日はその第二巻。
本日昼頃に出勤し、研究室こそこそ昼食の後、夕方頃まで色々雑用。それ やこれやの合間は、元指導教官の講義録に読み耽る。まあ、代数的ベクトルバ ンドル入門は、この文献から始めるのが手頃で良いのではないかと思って読ん でるんだけど。
そろそろフランス語の宿題とか、ドイツ語の勉強の再開をしないといけな いのだけど、やる気が起きないのは何故かしら。「明日はやろう」といつも思 いながらも、「今日もやる気が起きなかったなあ」で一日を締めくくり、気休 めに独仏・仏独辞典を眺めながら寝入るのである。今日もそんな一日になりそ う。まあ、要するに語学よりも数学の方が面白いってことなんだけどね。
さて、このジャケット、昨日のそれとはコープマンの肖像とタイトルの位
置が左右逆になっている。では、コープマンの肖像は同じものか、それとも違
うものか?思わず、2つを見比べてしまうこと数分。まあ、多分同じなんでしょ
う。私は間違い探しクイズが大好きで、京都新聞日曜版の2つの絵の7つの間
違い探しは欠かさずやっている。このジャケットの写真も、指の曲げ方や眼鏡
の形、ネクタイの柄、上着のはだけ方がちょっとだけ違ってたりすれば面白い
んだけど、同じ写真を使うとは何と芸のないことか!
2009年8月26日(水)
<<たわわちゃんスタンプ>>
さて今日もいきなり本日の1枚。トン・コープマンのチェンバロで、J.S.
バッハの平均律クラヴィア曲集の第一巻。このCDのタイトル、何で Klavier
のところだけ英語にして"clavier"って書いてるんだろう?って野暮なことは
考えずに、兎に角しみじみと聴く。何と言いましょうか、この曲の良さはすぐ
には分かりませんでしたね。親の目を盗んでビールを一口飲んだ子供が、大人
は何でこんな苦い飲み物が好きなんだろう?と訝るように、最初の頃は「人々
は何でこんな退屈な曲を良いと言うのだろう?」と不思議に思ったものである。
本日午前中は、自宅に山と詰まれた文献を、今後の研究計画に鑑みて適当 に分類整理して片付ける。昼食は、たまには贅沢をして昨日のフラッシュバッ クの後遺症を吹き飛ばそうと、京都タワーホテルの展望レストランでとる。こ こまで来たら展望台に上るしかないと、新型インフルエンザの影響かこの季節 に修学旅行に来ている中学生の団体と混じって、しばし京の全景を眺めてすご す。
この京都タワーのたわわちゃんってのは、気持ちの悪いキャラだなあ。でも、東京タワーでは有料だった望遠鏡が 京都タワーでは無料で、たわわちゃんが「無料だよ!」と言ってるシールが 貼ってある。世間の風は冷たいけど、君はやさしんだね。ということで、 たわたちゃんスタンプ、押してきた。
それから大学に移動し、少し雑用を片付ける。夜は先日京大で仕入れてき た元指導教官の講義録を少し読む。
さて、このジャケットのトン・コープマン。正真正銘のオジサンだけど、
ルックス的にはオッケーである。何でかというと、計算機屋時代に国際会議な
どで会ったアメリカやヨーロッパの理論計算機科学者って、こんな感じの人が
多かったから。これは、「オジサン嫌いになる前から馴れ親しんでいたオジサ
ンに対しては、オジサン嫌いの例外措置が講じられる場合がある」という原理
に基づくもの。あとは本人の性格次第ってとこだけど、性格は写真ではわから
ないからね。
2009年8月25日(火)
<<フラッシュバック>>
さて今日もいきなり本日の1枚。ユージン・インジックのピアノで、「ショパ
ン:マズルカ集」。マズルカとはポーランドの民俗舞曲のことで、何と申しま
しょうかい、この哀愁を帯びたしっとりとした美しさはポーランド的なのでしょ
うか。
ぐっと秋らしい気候になった本日、さまざまな雑用を片付けるために、昼 前に出勤。今日のJRは遅れなかった。夕方まで雑用。16時半から19時過 ぎまで教室会議。学科長時代のおぞましい記憶がフラッシュバックし、暴れる。 会議の後またすこし雑用。生協で夕食をと思ったら、早々と閉店していた。 JRも生協も、あてになるんだかならないんだか、よくわからない。自販機の パンと牛乳でとりあえず空腹を押さえ、南草津駅前で軽く追加の夕食を食べて 帰宅。
このCDジャケットには"57 Mazurkas"と書いてあるが、私が持ってるのは その切り売り版で、絵柄は全く同じでだけど"20 Mazurkas"と書いてあるとこ ろだけが違う。このユージン・インジックの写真は、(旧)情報学科時代の某 同僚に似ている。まあ、その人が悪いわけではないのだけど、その同僚はたま たま時代のめぐり合わせ故に、私の(旧)情報学科時代のさまざまな苦難の元 凶を象徴する立場にあった。だから、このジャケットを見るたびにあの頃を 思い出してしまい、「腸が煮えくり返る」って程でもないけど、多少暗い気分になる。
それにマズルカって、例えばハイドンのドッペル・コンツェルト(8月14
日参照)のように、気分が晴れやかになる音楽でもないし。かように、目で見
て暗くなり、聴いてさらに落ち込むCDって、私にとって一体何なの?と。そ
ういった理由で、ずっと昔に買ったこのCDを、長らく放置して聴かなかった
し、インジックのCDは他には持っていない。
2009年8月24日(月)
<<相部屋の恐怖>>
さて今日もいきなり本日の1枚。ホルショフスキーのカザルス・ホール・メモ
リアルコンサートの一部。この画像は2枚組みで全曲入っているCDだが、私
の持っているのは実はこれの2枚目に相当する部分を切り売りされたCD.ショ
パンの「練習曲」が1曲、「夜想曲」が3曲、マズルカが1曲。あとメンデル
スゾーンの無言歌「紡ぎ歌」とモーツアルトのピアノソナタの一部が入ってい
る。「紡ぎ歌」が特に良い。
昨夜の文献整理でやりっ放しの仕事の資料が出てきたが、明け方の夢の中 で、何故やりっ放しにせざるを得なかったのかを思い出したり、最近読んだ某 先生の論文の理論を使えば進展させられるのではないかと色々考えたりしてい るうちに目が覚める。
本日またも監禁委員会に引っ張り出され、早起きして大学に出勤。JR京 都線は、接続してる神戸線が高架線化していないため、しょっちゅう踏切り事 故などが起こり、突発的に30分以上遅れが出る。その分の余裕を見て電車に 乗らねばならず、尚更早起きにならざるを得ない。 夕方まで監禁され、へとへ とになって帰宅。
そういえば、ツテをたどって頼んでおいた代数幾何学城崎シンポジウムの 案内が今日届いた。10月下旬の4泊5日の合宿制研究集会だが、宿泊は相部 屋というのが恐怖である。高校の就学旅行以後、相部屋で寝泊りして良かった 事など1度も無く、兎に角生きた心地がしない。夜、何とか別の宿に宿泊でき ないか色々検討してみたが、結局、今回は新規参入分野の業界調査活動の一貫 として、完全透明人間モードで決死の突入を図ろうと思うに至った。
ところで、ホルショフスキーの子供の頃の写真を見ると、目のくりっとし た女の子みたいな、かわいい坊やである。それが90年ぐらい経つと、このジャ ケットの写真のような爺さんになるのかと思うと、人の顔に異様に興味がある 私としては、おおいに勉強になる。
私は子供の頃から人の顔に異様に興味があるのだが、若い頃、目の前の知
人や街行く人の顔を穴が空くほど眺めてひどく五月蝿がられたため、以後でき
るだけ人の顔は見ないようにするという習慣がついた。これは禁煙をした人が、
1本でも吸ったら一晩で元のヘビースモーカーに逆戻りしてしまいそうなのを
恐れて、煙草に近寄らないようにするのと同じ原理である。
2009年8月23日(日)
<<現物支給>>
さて今日もいきなり本日の1枚。チェコのクラリネット奏者ジリ・コタルの
「ミシェル・ヨストの6つの四重奏曲」というCD. ミシェル・ヨストはJ.
S.バッハの死後のハイドンとほぼ同世代のフランスのマイナーな作曲家らし
く、この曲もほのぼのとした感じで良いけれど、かと言ってそれほど感動的で
もない。
このCDはClassicoというドイツの会社から出ているようだが、その会社の サイトのカタログには、別のCD の画像が間違って掲載されていて、それがも う何年も修正されないままで放置されている。ジリ・コタルのクラリネットの 音色は、コロコロとした感じてとても綺麗だが、このCDも彼のそれ以外のCDも アマゾンなどでいくら検索しても全く出てこない。
大学に入学した直後、合格体験記の原稿を書くというアルバイトがあり、 原稿料1万円が貰えるとあって、思わず飛びついた。ところ が結局、本が全然売れずに、聞いたこともない名前のその出版社は潰れ、原稿 料は出来上がった本2冊の現物支給だけで踏み倒された。たぶん、Classico社 も潰れ、ジリ・コタルは印税を踏み倒され、CDを出すことに懲りたのだろう。 しかし君の唯一のCDは、日本の私がちゃんと聴いてるからね。
本日、昼頃に山科区内のスーパーで買い物、午後は昨日見送ったスポーツ クラブ。その合間には、久しぶりに流れてきた学科内メールにぶちキレて、 「ふざけるな!お前は小学生か?!」と返事を出し、さらに、自宅のあちこち に積み上げられたり押し込まれたりしている文献を全て引っ張り出して一箇所 に積み上げ、文献表を作る。整理が悪いので同じ論文のコピーが2つも3つも 出てきたり、数年前にやりかけて放置してある研究に関連した資料がごっそり 出てきたり。
ちなみに、この日誌の「本日の1枚」を続けているのも、自宅に溢れ返っ ている(という程でもないけど)CDの一覧表を作って整理する意図もある。 こうでもしないと、どんなCDを持ってたか分からなくなるし。
それにしても、このジャケットの写真。ジリ・コタルが鰻か何か美味そうな
ものを見る目でクラリネットを見詰めているところが、気になる。
2009年8月22日(土)
<<相手の目を見て話す>>
さて今日もいきなり本日の1枚。スウェーデンのクラリネット奏者カレン・ド
リンブッシュが、ジャン・フランセ、イゴール・ ストラヴィンスキー、ボフ
スラフ・ マルティヌー、ティベリュ・オラー(誰や?)、アルバン・ベルク、
エディソン・デニゾフ(これも誰や?)、レオナルド・バーンシュタイン、ベー
ラ・コヴァーチュ(知らんな)の現代曲をとりあげているこのCD.
私はマルティヌーの曲が一番好き。
本日昼前に山科区内のスーパーで買い物。午後は三条、四条界隈のデパー トなどで色々買い物。かなり歩き回って疲れたので、夜に予定していたスポー ツクラブ行きは中止。大丸京都店の1階で、京大の某代数幾何学者とすれ違っ た。私は京大系の代数幾何学者にはほとんど面が割れていないので、相手は気 づかず。こちらは気づいているけど相手は気づかないって、何だか「勝った あ!」って気分。ふっふっふ。
買い物以外では、午前中と夜は論文レビューの仕事。深夜、レビューが完 成してメールで送って全て完了。
それにしても、このジャケットの写真、ハスキー犬のような瞳の色が印象 的。アメリカ人などは、例えば好みのタイプの異性の条件として瞳に色が何色 でというようなことを良く言うようだが、顔の印象にかなり影響するものだし、 さもありなんという気がする。
20年以上昔のことだが、初めて海外出張することになった時、異文化コ ミュニケーションの本に読み耽ったことがあった。曰く、日本人は相手の目を見 て話すことをはばかる習慣があるが、西洋人にとってはそれは失礼にあたる。 曰く、自分の目を見て話さない人に対して、西洋人は「何かやましいことでも あるのか」と不信感を抱くし、日本人はそういう面で誤解されがちだ。曰く、 日本人にとって相手の目を見て話すことにはどうしても抵抗があるかも知れな いが、その場合は相手の左右の目の間か眉のあたりをぼんやり見るようにすれ ばよい云々、と。
そういえば当時の日本では、見知らぬ者同士が道でふと目が合ったという だけで、暴力事件が発生することは珍しくも何ともなかった。一般的に言って、 相手の目を見ることは挑戦的な態度と考えられていて、場合によっては「眼 (ガン)をつけた」とか「面(メン)を切った」ということで、立派な喧嘩の理由 になっていたわけだ。今でも私と同世代ぐらいの人と立ち話をしていると、相手が だんだん横の方に動いていって、私の視界から外れようとすることがある。変だ なと思って相手の方に向き直ると、また相手は横の方に逃げてゆく。それで一 時期、「俺の口、臭いんか?」と悩み、息を止めて話す習慣がついてしまったが、 それでも相手は横に進もうとするので、これは実は私の視線ビームから逃れよ うとしているのだと理解するに至った。まあ、昔の日本人というのは、そういう もんである。
しかし最近はずいぶん様子が変わってきたようで、20代ぐらいまでの若
い人たちは「(誰それが)自分の目を見て話してくれない」というフレーズを
よく口にするようになった。つまり20年以上昔に西洋人が日本人について不
満を述べていたのと同じことを、今、日本の若い人たちが言っている。「ガン
をつけた」とか「面を切った」という言葉も、既に死語になっているのかも知
れない。まあ、この言葉は昔から嫌いだったから、死語になってくれれば清々
するけどね。
2009年8月21日(金)
<<失業したような気分>>
さて今日もいきなり本日の1枚。アンドレアス・バッハのピアノで、R.シュー
マンの「ピアノソナタ・嬰へ短調・作品11」「アラベスク・ハ長調・作品1
8」「森の風景・作品82」「幻想小品集・作品111」。ロバート・シュー
マンのクラリネットの曲は好きだけど、ピアノ曲はいいんだかどうだかって感
じ。
本日、ラクト山科で昼食用のパンを買って、久しぶりに出勤。夕方頃まで、 書類を書いたり郵送手続きをしたりと色々雑用。大学はまだ一斉休暇中で、建 物の中では廊下のワックス掛け作業のため、あちこち通行禁止になっていた。 7階の事務室に行って帰ってくる頃には、5階の自分の研究室に通じる通路が 通行禁止になってたりするので、係員の目を盗んで強行突破。
ところで偉い先生などは、論文をひとつ書き上げると失業したような気分 になるそうだ。私は論文を書き上げたぐらいでは何とも思わないが、それを学 術雑誌に提出してしまうと、「これでしばらく遊んで暮らせる!」とウキウキ した気分になる。研究成果を出すための研究には切羽詰まったところがあって、 それはそれでスリルがあって面白いけど、結構神経がすり減る思いである。そ こから解放されて、しばらくは興味の赴くまま色々な事を勉強したり考えたり するのは気楽で楽しい。しかし数週間から数か月ぐらい経つと「果たして次の 論文が書けるだろうか?」とそこはかとなく不安になってきて、また元の切羽 詰った気分が始まる。その頃には、偉くない私でも流石に失業したような気分 になってくるのだ。
夜は珍しくTSUTAYAで借りたDVDで 「同窓会」を見る。無料お試しキャンペーンでテキトーに選んで借りたけ ど、結構面白かった。
それ以外では、論文レビューの仕事(その2)を少し進め る。ヨーロッパ数学会の場合、レビューの依頼が送られてきて半年が経過すると、 「既に半年経ちましたから、今すぐレビューを出してください」とかなり直接的表 現の督促状が届く。しかしそれ以前には何の音沙汰もない。しかしアメリカ数学会の 場合は、2ヶ月すると「当方は2ヶ月前に下記の依頼をした積もりですが、そ ちらに届いておりますでしょうか?もし届いていて、出来上がったレビューが ありましたら、直ちにお送りください」という、かなり遠まわしながらも断固と した督促状が届く。今やっているレビューは、先日2ヶ月目の督促状が届いたアメリカ 数学会の方。
うーん、それにしてもこのジャケットの写真、イケ面ですねえ。だからと
言って、こんなに顔がはみ出すぐらいに大写しにしなくてもいいだろう、と言
いたい。おい、そこの顔のでかいイケ面、引っ込め!と。
2009年8月20日(木)
<<講義録の残部>>
さて今日もいきなり本日の1枚。エンマ・ジョンソンのクラリネットで、クルー
ゼルのコンチェルトの1番と、コジェルフとクロンマーのコンチェルト。曲の
情感はとてもいいんだけど、ジョンソンのクラリネットの音って、実はあんま
り好きではないのよね。
これも1991年の古い録音で、発売されて長いが、ジャケットは新しく なっている。このジャケットは、耳掻きで掻き出した耳垢の表面にあるひだを 電子顕微鏡で四千倍に拡大して映したもの(嘘だよ)。左側の花のような(っ て、花なんだけど)ものの右側に影が広がっているが、これはちょっとうつむ き加減の髭親父を左から見た横顔に見えませんか?Emma Johnsonの文字の下に 目があります。Krommer と Clarinet concertos の間あたりに眉毛があります。 老眼鏡がずり落ちて、スーパー・マリオみたな髭のところに掛かってますね。 それで、、、ま、こんな話、どうでもいいか。
午前中は論文の修正版をメールで送付したり、マックス・プランク逃亡作 戦の一部を実行したり、9月の出張日程などを確かめたり。大体8月には研究 集会などは少なく夏休み状態だが、9月になると研究集会や学会が目白押し。 最後は9月末の数学会で、ここで全国の色々な分野の数学者が集い、数学や大 学教育・行政関係の情報交換したり励ましあったりして後期開講に向けて鋭気 を養い、次の3月の再会を誓い合って別れるのである。
午後は京大数学教室の図書室に籠り、6月から放置してあった論文レビュー
の仕事に着手。図書室を出ようとしたところで、私の元指導教官による線織曲面の
分類理論の講義録の残部が積み上げられているのを見つけた。自由に持
ち帰れるとわかり、1部貰う。これは入手が難しく、ずっと以前から欲しかっ
たものだ。JEUGIA三条本店で田部京子の新しいCDを試聴してから帰宅。
この人のメンデルスゾーンはいいなあ。夜は論文のレビューを書き上げ、メール
で送付。レビューはあと1つ残っているけど、明日以降の宿題とする。
2009年8月19日(水)
<<調査を継続する>>
さて今日もいきなり本日の1枚。ベニー・グッドマンのジャズのCD "Benny
Goodman Collector's Edition". バルトークが彼のために書いた曲「コントラ
スト」や、ストラヴィンスキー、コープランド、バーンスタイン、グールド(っ
て誰?)などの曲が集められている。一部モノラル録音ってところが気にいら
ないけど、まあ、昔の録音だから仕方がない。しかしベニー・グッドマンのク
ラリネットて、とても綺麗な音だ。
本日、午前、午後、夜と終日論文修正作業。逃避しているのもそれなりに 苦しいし、そろそろ一気に仕上げてしまおう、と。午前中は自宅、午後は京大 数学教室の図書室、夜は再び自宅。深夜、訂正表や編集者への手紙の文面も含 めて、一通り完了。一晩寝かして、明日になっても気が変わらなければメール で提出してしまう予定。
今日も京大の帰りに数理研のあたりを”偵察飛行”してみたが、数理研猫 は「トラちゃん」と呼ばれていることが判明した。トラちゃんの餌場の近くに、 「トラちゃんにエサを与えすぎないように」との張り紙があったのだが、一体 誰が誰に向けて書いた張り紙なのかは不明。さらに調査を継続する必要があろ うかと思う。
さらにはJEUGIA三条本店も”偵察飛行”したが、田部京子がメンデルスゾー ンを弾いているCDが新しく出ていて、これはなかなか良さそうだった。これも さらに調査を継続する必要があろうかと思う。
ところで、論文修正作業の合間にこんなサイトを見つけた。 「高山幸秀」にぴったりのキャッチコピーは「永遠の優勝候補」と出てくるの で、ようわからんなと思い、さらに「高山教授」にすると「夢をあきらめない 男」と出て少しのけぞり、じゃあ10年前の自分はどうだったのかしらと「高 山助教授」としてみたら「愛・愛・愛、愛がいっぱい」と出て、これはかなり 嘘だなと思い、最後に「夢見る数学者」にすると「笑いの捜査本部」と出てき たので、これは微妙に納得するしかないと思い、仕事に戻った。
それにしてもこのジャケットの絵、ムンクの絵の中で叫んでいる人が眼鏡
かけたみたい見えてしまうのは、顎の描き方が悪いから。そういえば中学・高
校の友人で、こんな顔した奴が居たな。開業医の息子で、自分も医者になって
る。いかにも医者にふさわさしい情緒の安定した男だったけど、時どきはめを
外すようなところもあったけな。
2009年8月18日(火)
<<逃避行動のわけ>>
さて今日もいきなり本日の1枚。昨日に引き続きエンマ・ジョンソンのクラリ
ネットで、ウエーバーの「グランデュオ作品48」「7つの変奏曲作品33」、
ブルックミュラーの二重奏曲、ジャンピエリの「ヴェニスの謝肉祭」、R.シュー
マンの「幻想小曲集作品73」、ロヴレーリョの「『椿姫』のモチーフによる
協奏的幻想曲」。グランデュオはやっぱり7月29日に紹介したヴェンツェル・
フックスのCDの方が綺麗だと思う。
本日午前中は論文修正作業TeXソース編。午後は京大数学教室の図書室に籠っ て、論文修正作業内容チェック編。夜は論文修正作業再びTeXソース編。幾多 の逃避行動を挟んでゆっくりと進む。まあ、慌ててやっても間違えるというこ ともあるが、論文修正作業における逃避行動は、基本的には健康診断からの逃 避行動と同じである。つまり、論文の中にまさかの致命的ミスが見つかったら 嫌だなとか、げげっ!致命的間違い発見!?と肝を冷やしたけど、落ち着いて 考えてみればそうでなかったことがわかり、結局パニックになって寿命が縮ん だだけで終ったってな事になるのも馬鹿みたいだなあと思うからである。
ところでこのジャケットも昨日のそれと同じように植物の拡大写真で、深
いブルーと黄色の取り合わせが綺麗だ。右上の方の作曲者や曲名の文字の並び
も、背景の色によく合っていていい感じ。このCDは1990年の録音なので、
ずっと昔に出たもの。以前はエンマ・ジョンションの若い頃の写真がジャケッ
トに使われていた。それにしても、最近は物語をイメージするようなジャケッ
トが少なくてつまんない。
「おい、うつむいてないで、ニャーとか何とか言えよ!」と迫っても、
「ええの。五月蝿いの!」と言わんばかりに知らん顔。ちょっとだけ見えている
前足が魅惑的で、触って肉球をなでようとしたら、
「あーっ、五月蝿い!」って感じで引っ込めよった。
それにしても、数学を考えている時の人間も、こんな感じだな。
2009年8月17日(月)
<<数理研猫は留守>>
さて今日もいきなり本日の1枚。エンマ・ジョンソンのクラリネットで、クルー
ゼルのコンチェルトの2番とウエーバーのコンチェルト、ハインリヒ・べーマ
ン(誰?)とロッシーニの曲の一楽章ずつの入ったこのCD。 綺麗な曲を集め
ていて、それをジョンソンのふわふわっとした独特のクラリネットの音で聴く
ところが妙味。
本日午前中は自宅にて、マックス・プランク脱出作戦の一貫として、先日 一通り書き殴って放置してあった招聘研究員の応募書類をほぼ完成させる。午 後は京大数学教室の図書室に籠って、論文修正作業。もっと内容的に深い修正 を迫られているのかと思ったけど、実は形式的な修正だけで済みそうだ。
閉館時間が来て図書館を出て、少し数理研の方を回って帰る。数理研の建 物は耐震工事とかで来年3月末までもぬけの殻状態のはずだけど、「数理研猫」 はどうしてるのかしら、と。
数理研猫とは、恐らく数理研の職員の誰か餌付けしている、白と茶色の毛 の混じった野良猫である。天気の悪い日にはよく北通用口のあたりで昼寝をし ていて、人が近寄っても知らん顔である。通用口の近くにゴミ焼却炉があって、 そこに毛布を敷いたダンボールの専用寝床、さらにはキャットフードと水を入 れた入れ物が置かれている。この猫は京大の北部キャンパスを中心に気ままに 動き回って、疲れたらここで餌を食べたり昼寝をしたりするようである。今日 見に行ったら、天気も良いことだし、例によって猫は留守だったが、猫箱と餌 と水はそのままだった。まだ誰かが世話をしに来てるのかしら。今後も引き続 き調査が必要だな。
京大の帰りは、少し古書の吉岡書店を冷やかしてから、京都市役所駅前と ラクト山科経由で帰宅。京都市役所駅前に向かうバスの中から河原町通りの古 いレストランが見えて、ドイツ文字でレストラン何某とか書いてあったのだが、 昨日の呪術めいた文字はどうやらテレマンの「T」らしいと分かった。テレマ ンの最初の字を取って"T"を書くのだったら、J.S.バッハならBかね。そんじゃ あ、金太郎は「金」で、わらしべ長者は「わ」で、ものぐさ太郎は「も」って 書くのかね。ようわからん話だ。やっぱり梵字か20世紀少年の目玉の方がい いんじゃないかしら。夜も少し論文修正作業などを少し。
ところで、このジャケットは何なんでしょう。エチゼンクラゲの大逆襲
ですかあ?何かの植物を写したんだろうけど、ちょっと面白いし、綺麗ですね。
2009年8月16日(日)
<<呪術めいた文字>>
さて今日もいきなり本日の1枚。古楽器アンサンブルのラ・フォンテーニュに
よる「テレマン・室内楽集」。オーボエ、チェンバロ、バロック・リコーダ、
チェロ。軽快、かつ、爽やか(ばっかりじゃないけど)、ラ・フォンテーニュ
のテレマンはいいですよ。
日本テレマン協会というのがあるそうで、最初は日本セラミックス協会や 日本こんにゃく協会や日本テレワーク協会や日本ソムリエ協会や日本ロジス ティックシステム協会や日本ユースホステル協会のような業界団体だと思って て、「テレマンって何の業界かしら」といぶかっていたのだが、このCDを見つ けた時に初めて作曲家の名前だと知った。
本日、昼頃に山科区内のスーパー等に買い物に出た以外は、終日自宅で居 眠りをしたり数学をしたり。昨夜遅く突き止めた、論文査読者の「謎めいた一 言」の意味を明らかにする定理や証明等の解読を完了。いい勉強になり ました。
ところで、このジャケットの真ん中に書かれている、何やら呪術めいた文 字のようなものが、一体何なのかよくわからない。ゲーテでは筆記体を教わらな かったからよく知らないけど、ドイツ語の筆記体でもなさそうだ。何か意味の ある文字かも知れないけど、いっそのこと梵字を使ってみるとか、「20世紀 少年」のマスクの男の目玉のマークを使ってみるとかのひねりを加えてみては いかがか?と。
数論や可換環論の少し古い教科書ではよくドイツ語の筆記体を使っていて、 偉い先生なども講演で使っているけど、私はどうも苦手だ。"P"の大文字なん て、どう見ても"B"にしか見えないし、エスツェットなんてごく最近の正書法 では単に"ss"と書くのだけど、それまではギリシャ文字の"β"を少し立たせ気 味に書いた文字を使っていた。一度ゲーテで、「それ、βと何が違うねん!」 と叫んだら、皆に笑われたな。先生はともかくとして、お前らな、俺と同じ生 徒のくせに何を笑てんねん!ほんまにわかってんのか?と。
かく言う私も、群論の講義のレジュメでは、置換群を伝統に従ってドイツ
文字のS(あの"G"みたいな文字)で書き、講義では全部普通のSを使うという意
地悪をしていた。いや、意地悪じゃなくて、ドイツ文字の書き方(書き順など)
を知らないからなんだけど。まあ、ちゃんと勉強している学生はこれらが同じ
ものだとわかるはずで、「先生がレジュメに書いてないことばかり話している」
などとボケをぶちかますような学生は居ないものと信じる。