の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2009年12月31日(木)
<<根拠なし>>
本日17時過ぎに無事帰宅。昨年は29日から帰省していたが、今年は年明け
のハノイ出張が控えていて何かと気ぜわしいので、1泊だけの帰省。
30日は昼過ぎに津に着き、私がお気に入りの鰻屋I店で少し遅めの昼食。 それから実家の近くのホテルにチェックインし、作業着に着替えてから実家へ。 何ヶ月に1度かに帰るたびに、土間や庭、家の中全体をざっと掃除しているの だが、今回も同様にざっと掃除。
作業が終ってホテルに戻り、ひといきついてから夜は中学の同窓会へ。今 回も10人ほどが集まった。1次会は海鮮料理店、2次会は蕎麦屋、3次会は 地酒と一品料理の店、4次会は24時間営業のファミレスで珈琲。結構散在し てしまったけど、楽しかった。来年はドイツに行ってるからこの会には来れな いというと、じゃあ9月に日本を発つんなら、夏に少人数で壮行会でもやって やろうかという話になった。やはり持つべきものは友である。
ファミレスを出たら午前2時半過ぎ。田舎ではタクシーもなく、寒空の下、 皆でだらだら歩いて女性を自宅に送り届けたりして、ホテルに戻ったら午前4 時近くになっていた。アルコールは深夜12時でストップしたけど、かなり飲 んだことは確かだし、明日は二日酔いか何かで一日半死人状態かも?うーん、 品行方正をもって鳴る私としては、年に1度のこととはいえ、かなり異常事態 だ。同僚の中には、週の半分ぐらいこういう生活をして、残りの半分で講義や 会議をこなしている人もいるが、あれでよく研究ができるものだと感心してし まう。
それでも翌31日の朝は10時過ぎに目が覚め、身支度をしてからちょっ とテレビを見て、12時ごろにチェックアウト。津市内で少し野暮用の後、私 のお気に入りの鰻屋D店で少し遅めの朝昼兼用の食事。やはり年末とあってか、 店はかなり繁盛していた。それから電車で松阪に移動し、そこで少し野暮用を 済ませ、近鉄特急で京都に戻る。電車の中では猛烈な睡魔に襲われ、ほとんど 居眠りをしていた。
夜は少し紅白歌合戦を見た。「ヒーロー」(Funky Monkey Babys)の歌詞 の「満員電車の万歳はギブアップじゃない冤罪対策」って、そのまんまだけど、 うまいことを言うもんだと感心したし、レミオロメンの「粉雪」も、ちょっと いい歌だなと思った。特に「根拠はないけど本気で思ってるんだよ」ってフレー ズがいい。
しかし年明けは結局J.S.バッハの「6つのパルチータ」で迎えた。
2009年12月29日(火)
<<話してみる>>
午前中はハノイ出張の事務的な準備をすこし。持ち物リストを作ってみたり、
旅行保険の証書を確認したり、クロゼットから機内スリッパや機内枕を引っ張
り出したり、持っていく資料を揃えたり、航空便の日時を確認したり。
と、やや!?私は研究集会が終る9日の深夜にさっさとハノイを発って日 本に帰ってくるとばかり思っていたのに、航空便は一日後の10日深夜発になっ てるぞ?!何かの手違いか?ホテルの予約は大丈夫かしら?9日の夜はハノイ で路上生活?と一瞬慌てふためく。しかしメールの記録などを調べたところ、 結局、私自身が最初から余裕を見てそういう計画を立てたことがわかった。い つの間にか無意識のうちに「さっさと帰ってきたい」という気分に傾いていた ようだ。
午後は大学に出勤。研究室のホワイトボードを使って、少し発表のリハー サルじみたことをしてみる。こうやって話してみると、発表原稿の改善点が次々 に浮かび上がってくるし、今まで気づいていなかったちょっとした事も色々分 かってくる。まあ、既に分かっている積もりの群論なんかも、学生 相手に講義で喋っているうちに分かってきたことも多々あるし、話してみると いうのもいいものだ。
帰宅後は発表原稿の改訂作業など。ドイツ語寺子屋から早々と年賀メール が届いていた。「謹賀新年 Frohes neues Jahre!」の文言は良いとして、花火 をあしらった絵が貼り付けてあるのは、やっぱりドイツ人やねえって感じ。日 本人にとっては花火は夏の風物詩だけど、彼らは neues Jahreを花火を打ち上 げて祝うんだよね。そういえば中華街の旧正月もそんな感じだっけ?
毎年そうだけど、私は年末にこの1年を振り返ってみるとか、新年への決 意を固めるとか、そういうことは全然やらない。別に特別な思想信条があるわ けでもないけど、何となくべたーっとした時間の中で生きているので、そうい うことをしようという気が起こらないのだ。昆虫や魚なんかも、こんなふうに 過去とか未来とかの概念が無い時間を、淡々と生きているんじゃないかしら。 別に彼らを友だちだと思ってるわけじゃないけど。
明日は中学の同窓生との忘年会に出席するため京都を離れ、次回更新は3 1日深夜以降の予定。
2009年12月28日(月)
<<ちょっと嬉しい>>
いちおう研究日。ルレイのスペクトル系列についてのメモの整理。さらには、
山科の路上で突然思いついた、ベトナム講演原稿の「ウソ」の修正など。あま
り可換環論には関係ない講演内容なんだけど、無理矢理可換環論に関連づけよ
うとした部分に「ウソ」が集中する。
昼間は山科区内で買い物をし、夕方は今年最後のスポーツクラブ。
高校の同窓生関係は、今日の午前中に少し動きがあった。同窓会メーリン グリストで勃発した激しいメールのやりとりを傍観しているうちに、大体様子 が分かってきたのだが、結局、「人に見切りをつけるのが早い」私の判断は正 しかったようだ。私は、自分が間違っていることを密かに期待してたんだけど。
ところで、自分が話している最中に相手が何か話し始めたとする。この時、 相手の言っている事が全然聞き取れない人と、相手の話と自分の話が混線して 話しづらくなる人の二種類あるようだ。私は混線してしまう後者のタイプ。自 分が話し終わるまで絶対に他人の言うことを聞かない前者のタイプって、何て 傲慢な人種だろうと思っていた。いっぺんその根性を叩き直してやらんといか んな。フランス人は会話に興が乗ると相手の話に被さるように話すというが、 お前ら、フランスへ行ったらどうするんだ?と。(ま、フランスに行かなきゃ いんだけどね)
かように長い間、前者のタイプを本人の傲慢な性格に帰着させて考えてい た。しかし最近では、これは器質的なものであり、聞く動作と話す動作が同時 に出来ずに、交互に切り替えながら会話するように最初から出来ている人なん だと理解している。つまり、「こちら地上基地です。聞こえますか?応答どう ぞ。プー(回線を切り替える音)」「ハイ、聞こえます。今、静止軌道に入っ たところです。どうぞ。プー(回線を切り替える音)」ってやつ。実際この要 領でやると、確かに彼らとの会話はうまく行く。うまく行きさえすれば、 何でもいいんだよう。文句あっか?
話は変わるが、先日、20代の男は人前で鼻糞をほじくらないと予想した が、その反例が最近見つかった。夜、某学習塾の前を通ったら、通学してくる 生徒を迎えるために玄関前の路上で突っ立てる講師が、人差し指で派手に鼻糞 をほじくりまわしていた。学習塾の講師だから、20代の理工系の大学生か大 学院生だろう。彼を目撃したときは、「おお!これは発見!」とちょっと嬉し かった。
年末になるとJ.S.バッハの「マタイ受難曲」が聴きたくなることが多 かったが、今年は「6つのパルチータ」ばかり聴いている。「J.S.バッハっ て、やっぱりいいなあ」と思うたびに、大学の入学式の直前に「『バッハが好 きだから第二外国語でドイツ語を選択する』って、お前、馬鹿じゃねーか?そ れじゃあブルバキもグロタンディックも読めんだろうが。数学専攻するんだっ たら、当然フランス語だろう!」って友人と喧嘩したことを思い出す。まあ、 愚かだったのは学生時代だけじゃないけどね。
2009年12月27日(日)
<<将来への投資>>
昼頃にマツヤスーパー山科店、夕方に西友山科店に買い物に出た以外は、自宅
で数学など。ルレイのスペクトル系列の勉強。今回はグロタンディック・スペ
クトル系列の理論を経由せずに、最短距離の導き方を押さえるのが目的。ホモ
ロジー代数の理論にありがちなことだけど、証明は面倒臭く見通しも良くない
ので、いささか難航。夜遅く、ようやく一通り理解するに至る。
最近、しばらくご無沙汰していた高校の同窓生から連絡があった。夏ごろ に南草津で何人かで落ち合い、その後メーリングリストをつくってしばらくや りとりをしていた。しかし韓流ドラマの話ばかりなのにウンザリして、その後 距離をおいていたのだ。また交流を再開すべきかどうか、少し迷うところである。
私は人に見切りをつけるのが早い。初対面でバツをつけることはさすがに 稀だが、しばらく様子を見てこの人は駄目だと思ったら以後はそのように対応 する。これは職業生活上必要なことでもある。私が言うのも変だが、研究者・ 大学教師の中にもほとんど人間の屑みたいなのが居るから、慎重に相手を見極 めて対処していかないと酷い目にあうのだ。
しかし、そんなことばかりやってていいのかしらとも思う。こじんまりと 心地良い人間関係だけに安住して、何か面白い体験をするチャンスをみすみす 逃すことになりはしまいか。お互い利害関係はなく、人間としての誠実さを持 ち合わせている相手である限り、彼らとすごす退屈な時間を将来への投資と考 えて楽しむことはできないか?
しかし、そういう考え方自体がすでに、「見切りをつけ」て「そのように 対応する」という、いつものパターンに陥ってる?それに、「将来への投資」 なんてのもどうだか。オッサンに未来なんてもんはネェんだよ!今が良けれ ば、それでいいのサ、とも言えるし。
ま、この件はあんまり考えずに、テキトーに対処することにしよう。
2009年12月26日(土)
<<教訓>>
午前中は年明けの群論の講義2回分の準備。ハノイから帰ってきてからでは色々
気ぜわしいし、今のうちにやっておこうか、と。内容はシローの定理の証明と
その関連事項。それが終って、昼過ぎに野暮用のためラクト山科近辺に出かけ
る。
帰宅後は、時折思い出したようにハノイでの講演内容についてちょっとし た確認をしたりしながら、ルレイのスペクトル系列の勉強。森先生の教科書で ちょっと変わった使い方をしているのがよく理解できず、もう一度ちゃんと勉 強し直そうか、と。
昨日久しぶりに「不毛な時代」のことを思い出してしまって、今日も色々 そこはかとない思いが浮かんだり消えたりしている。そういえば、学生との距離 の置き方などは、あの時代に痛い目にあったことで得た教訓が生きている。それ 以外にも、今の私の大学の中での立ち振る舞いには、あの頃の苦い経験が元にな っているものが多い。
2009年12月25日(金)
<<研究室を片付ける>>
午前中はハノイでの講演の準備のために、何年か前に書いたメモを読み直す。
午後は、研究室に置いてきた航空券を持ち帰るために出勤。昨夜遅くハノイか
ら研究集会の資料のPDFファイルが送られてきたので、研究室のプリンター
で印刷。大学は今日が仕事納めなので、大掃除というほどでもないけど、研究
室に溢れかえるゴミをすこし片付ける。
ゴミの中には、計算機屋時代の研究発表に使ったOHPや、(旧)情報学 科時代の講義ノートなども沢山出てきた。発表原稿やOHPには、我ながら結 構マトモそうなことをやってたんだなと少し感心。同時に、学生たちに少しで も関心を持ってもらおうと、涙ぐましい工夫をこらした(旧)情報学科時代の 講義ノートを見るに、「あれはつくづく不毛な数年間だったなあ」と暗い気分 になった。
仕事とはいえ、根本的に相容れることができない人たちを相手にしなければ ならないのは不毛である。計算モデル理論の初歩なんて、何で情報の学生に無 理して教えてたんだろう。大学教師として、同僚達の中で自分だけが自らの専 門性を学生たちに認めてもらえないのはあまりに悲しいと思って、必死になっ てたんだろうし、必死にならざるを得ないシステムの中に居たわけだけど。
ところで、大学の研究室は普通にやっていれば着実にゴミ屋敷化に向かっ ていくものである。私は研究室を講義や会議の合間の控え室、書庫、読まない けどすぐに捨てるわけにはいかない配布物の一時保管場所、大学からでしか使 えないデータベース検索コーナーとしか使ってないので、部屋を綺麗に片付け て居住性を良くしようという意欲が湧かず、ますますゴミ屋敷化に拍車がかか る。だから大掃除も適当に切り上げないと、際限がない。
そうこうしているうちに、層のコホモロジーのスペクトル系列について、 研究室の蔵書の中で良さそうな解説を見つけたので、その部分だけコピーして 夕方ごろに大学を発ち、大丸ラクト山科店で安い白ワインを買って帰宅。夜は 少し講演ノートに手を加える。一応完成したけど、明日からは関連することを 色々確認し直してみようかと思う。
2009年12月24日(木)
<<福引>>
昨夜遅くハノイの数学研究所の先生から連絡があり、「ちょっとハノイを離れ
ていて連絡が遅れたのは申し訳ない。ホテルはちゃんと予約してある。空港へ
は迎えのバスが行くから心配するな。ホテルと研究所の間は朝晩バスで送り迎
えする」とのこと。研究集会は朝8時半(!)から夕方17時までと、びっし
り講演が詰まっている。朝晩の送迎も含めて考えると、ほとんど監禁生活みた
いな感じになりそうだ。私の独自調査により、数年前に同じ研究集会が開かれ
た時も、似たような感じだったことが分かっている。ま、観光にはあまり興味
がないから、これでいいんだけどね。いずれにせよ、担当者と直接コンタクト
が取れたおかげで、ようやくベトナム出張をリアルに受け止めることができる
ようになった。
ということで、今日からいよいよ真面目に出張準備。まずは年に1日だけ の至福の朝、クリスマス・ケーキだけの朝食をとって気合いを入れる。それか ら午前中は講演のためのノートづくり。午後は四条烏丸に野暮用があったつい でに銀行で米ドルをすこし仕入れる。その後、クリスマス・イヴの四条通りや 寺町通りを歩いてJEUGIA四条店、河原町三条店を偵察し、J.S.バッ ハの「6つのパルティータ」の楽譜を立ち読み。へーえ、パルチータ5番の出 だしのところはこんな楽譜になってるのかと、妙に嬉しくなる。
それから上島珈琲寺町店でしばし数学。隣の席に60代ぐらいのオジサン がいたが、しばらくして50代ぐらいの女がやってきた。待ち合わせをしてい たのだろう。どうやら美術関係者らしい。お互いの健康問題から会話が始まる ところはいかにも中年らしいが、その後は誰々先生はカルチャーセンターで定 年退職したオジサン達を教えて生計をたてる傍ら自分の絵も描いてるとか、手 芸系は流行り廃りがあるけど美術系は受講者数が安定しているとか、私もどこ そこ大学の非常勤の話があるなどという話になり、最後は携帯電話やブログの 話にも及び、自分が以前書いた「植物の描き方」というホームページは今でも 結構アクセスがあるといったようなことを話していた。男の方が「ところで君 の旦那は元気?」と言ってたことや、最後の別れ際の「じゃあ、また機会があ ったらこうやってデートしようよ」「うん」というやりとりから、彼らは夫婦 でも不倫でもない、良い友人同士なのだろうと思った。
帰りはラクト山科で正月用の酒と称して大吟醸の小瓶を2本と安い赤ワイ ンを一本買う。幾らか以上買い物をしたら福引が引けて、自宅に置いてある 昨日のレシートも使えるというので、一旦帰宅して荷物を降ろしてから自転車 で出直し、福引を引く。以前、この福引でスープの缶詰セットが当たり、それ 以後ゲーテのクリスマスの福引で鞄を当てたり、関西日仏学館のギャレット ・デ・ロアで1等の講座受講券を当てたりと、しばらくこの世の春を謳歌 していたのだが、これで人生の運は全て使い果たしてしまった。 ラクトの福引は確か去年もハズレだった。今回は昨日のレシートも合わ せると2回引けたが、やはりどちらもハズレだった。
自転車で自宅に帰る途中、ふと閃く。そうか、2年前のセミナーで某先生 が言ってたコメントの意味がやっと分かった。夜も講演ノート作成作業。
2009年12月23日(水)
<<重い腰>>
年内最後の授業日。水曜日の朝なのに、珍しくJR琵琶湖線も平常運行。勿論
遅延を見込んで早めに自宅を出たので、大学にはかなり早く到着。あちこちの
事務室に立ち寄って雑用を片付けてから、10時40分より大学院の授業。う
ちの研究室のM君と二人でルべーグ積分のゼミ。今日は予定の12時10分よ
りすこし延長になってしまったが、M君と位相空間に関する興味深い議論がで
きて楽しかった。
研究室こそこそ昼食の後、野暮用のため生協へ。iPodの修理も依頼しに行 こうかと思って持って来たのだが、何故か勝手に治っていた。昨夜は内臓ハー ドディスクが完全にダウンしたような感じだったのに。ま、しばらく様子を見 ることにしよう。学生用のラウンジでコーヒーを買って研究室に戻り、しばら く放置してあった雑用を片付ける。
14時40分より16時10分まで2回生の群論の講義。一般線形群の射 影空間への群作用における固定部分群の例、それに関連して3回生で習うガロ アの基本定理の予告、シローの定理を使って有限群の分類問題を扱う例題を解 いてみせたところで丁度時間切れ。「皆さん、良いお年を!」で締めくくる。 年明けのベトナム出張の後の2回の講義では、交代群の話とシローの定理の証 明をやって終る予定。
講義の後、予約確認のためホテル日航ハノイにメールを出してから、大学 を発つ。一応クリスマス・イヴイヴだし、大丸ラクト山科店で安い白ワインを 買って帰り、夕食もそこそこにケーキをつまみに自宅飲酒。その後、ホテル日 航ハノイからメールの返事が届いた。どうやらちゃんとホテルは予約できてい るらしい。「ハノイ呼べど応えず」状態は続いているけど、受け入れ準備は着々 と進めてもらっているようだ。
夜は重い腰を上げて、いよいよハノイでの研究発表の準備の準備を始める。 何で重い腰なのかというと、理由は二つ。1つはハノイで研究集会があること をまだ信じていないこと。この病的なまでの疑り深さは最近の傾向で、以前は そんなことはなかった。この現象は例の「歪み脳」理論で説明できるかも知れ ないが、「行くの面倒臭いなあ。はっと目が醒めたら『ベトナム行きなんて夢 の中の話だった』なんてことにならないかなあ」って気持ちもどこかにあって、 それが関係しているのかも知れない。ヨーロッパは好きだけど、アジアはあま り興味が無いし。
2つ目の理由は、私は過去の自分の仕事に全く興味が無く、いつも先のこ とばかり考えているので、たとえ最近のものであっても過去の仕 事を思い出して講演の準備をする暇があったら、今考えている問題に時間をか けたいからである。
2009年12月22日(火)
<<ハノイ呼べど応えず>>
今日の午後は卒研ゼミと会議。まずはメールのチェック。と、卒研A(可換環
論・代数幾何学)の学生の1人が風邪でダウンしたとのメール。ま、いいか、
と出勤。火曜日のJR琵琶湖線はいつもどおり平常運行。
大学に着いて、またメールのチェック。やや!?卒研B(初等整数論)の 学生の1人が風邪でダウンしたとのメール。ま、いいかと研究室こそこそ昼食 と雑用。ベトナム出張にヴィザは要らなかったよね、旅行保険ってどれにすれ ば良いのかしら等等。それにしてもベトナムの研究所から全然連絡が無いぞ。 マックス・プランクだって、こちらがやきもきして2回問合せメールを出して やっと状況が分かったから、ベトナムも待ってるだけじゃあ駄目だな。
そこで「一体どうなってますの?」と質問状メールを出す。1)遅い 便で到着するのだが、ハノイの空港からホテル日航へはどうやって行くのが 一番安全?どのぐらいの時間がかかるか?幾らぐらいかかると見ておけばよ いか? 2)ホテル日航は確かに予約されているのか? 3)ハノイの国立数学研究所はホテルからどうやって行けばよいのか? 私が日本を発つまでに、これらの点について明らかにして欲しい、と。
そうこうしているうちに、卒研Aの別の学生からメール。また風邪か?否、 電車を乗り過ごしたから遅刻する、と。じゃあもうちょっと雑用をしていられ るなと生協旅行保険の申し込み書を書いたりしてすごす。予定より25分程遅 れて13時過ぎから卒研A。14時過ぎに終り、旅行保険を申し込むために生 協の旅行カウンターへ。しかし1月4日出発分は先週末に締め切られたそうな ので、インターネット申し込みができる別の保険会社のパンフレットをもらっ てくる。
14時40分から16時過ぎまで卒研ゼミB(初等整数論)。その後、研究 室に戻って旅行保険のインターネット申し込みのやり方を確認。16時30分 から19時20分まで教授会。内職で森先生の教科書の疑問を解こうと思った けれど、さっぱり分からず。結局ほとんど居眠りをしてすごす。
教授会のあと、生協で夕食ですまし、研究室に戻ってインターネット申し 込みを完了。航空券は買った、旅行保険も入った。しかしハノイからは何も言っ て来ない。ハノイ呼べど応えず。ハノイのホテル日航に直接コンタクトをとっ て、予約の確認と空港からのリムジンバスの有無を確認するか。そろそろ講演 の準備も始めないといけないし。
22時頃帰宅。さてとバッハのパルチータでも聴こうかと思ったら、愛用 のiPodが壊れた。まだ2年も経ってないのに、もう買い替えかな。
2009年12月21日(月)
<<年賀状完成>>
午前中はオスナブリュックの先生にメールを出し、招聘受け入れのお礼と滞在
期間中の住居についての希望を伝える。
午後は、今日こそは年賀状を仕上げようと、せっせと宛名やメッセージを 書きまくる。夕方近くにようやく作業完了。それから数学。講義録精読作業中 にひっかかった点をはっきりさせようと、数日前から森重文先生の教科書と格 闘しているのだが、難しい本である。「頭のいい人って、何考えてんだかわか んないや」と溜息の連続。
夜は京都駅前アバンティーに出かけ、全国ご当地限定ハローキティー・グッ ズ大展示販売会なるものを偵察。これと言って欲しいものが見つからなかった ので、京阪ホテルで適当に夕食。クリスマス・ディナーなる臨時メニューがあっ たので、それを注文。夕食後はアバンティーブックセンターへ。閉店時間の2 1時頃までぶらつき、旅行ガイド本をいくつか立ち読み。
昨夜のクリスマス・パーティーで会った人が、「オスナブリュックって旅 行ガイド本には載ってませんからね」とか言うので、「お前、旅行ガイドに出 ているドイツの街を全部暗記してるんかよ!?」と思わず突っ込みたくなった のだが、それは本当だった。エッセンは時々載ってるけど、オスナブリュック の記述はどの本も皆無。まあ、インターネットで調べればいいか。
年末のパーティーの類は、あと30日の中学校のOBの忘年会があって、 これは楽しみである。新年は関西日仏学館のギャロット・デ・ロアがあるが、 これはまだ申し込んでない。高校のOBの新年宴会をやるとか言ってたが、こ れはベトナム出張中だし、元ヤンキー達も集まってくるのでパス。ヤンキーっ て地元に土着する習性があるから、同窓会で幅をきかすことが多い。まあ、 大抵は皆に愛されるいいオジサンになっているからいいようなものだが、 執念深い私としては、まだ彼らを許してないようなところがあって、それが ひっかかるのだ。
2009年12月20日(日)
<<オスナブリュック>>
午前中は少し数学をと思ったが、12月20日といえば立派に年の瀬である。年
賀状を書かなければ!と気づき、今年の送付者リストを決定して、せっせと住
所書き。昔は20枚程度しか出さなかったので1枚1枚絵を描いたり、版画を
彫って印刷していたのだが、この20年ぐらいは40数枚のレベルで推移して
いるので専ら印刷モノに頼っている。住所は一度某社のワープロに全部登録して
葉書に印刷できるようにしたのだが、ワープロが廃れてソフトにも互換性が無
いため結局苦労して入力した住所録はお釈迦になった。それで馬鹿馬鹿しくなって、
それ以後PCなどで住所録を作るのはやめて、専ら手書きにしている。印刷の
年賀状にも人によっては手書きのコメントを添えることにしているが、これが
一番時間が掛かる。
午後はスポーツクラブ。一旦帰宅してから、ドイツ語寺子屋がやっている レストランのクリスマスパーティーに出かける。ドイツ語寺子屋唯一の専任講 師兼レストランの副オーナ、あるいはオーナーである奥さんの人脈なのか何な のか知らないけど、ドイツ語講座の人は少数で、ほとんどは「この人たちって どこから湧いてきたのかしら?」という、妙にドイツ通の人たちが集まってい た。
私は借りてきた猫と社交性に富む快活なオジサンの二重人格者なので、自 分でも今日はどちらの人格が出てくるかしらと興味深く思ってたら、社交的な 方が顕れた。たまたま座ったテーブルが音楽関係の人たちが集まってたとこ ろなので、初対面にもかかわらずガンガン行きましたね。私も音楽を聴く方と してはかなりオタクなので、演奏家相手ならいくらでも話題は繰り出せる。す ると向こうも気を良くするのか、色々話してくれるので、それを聞いて勉強す ればますますオタクに磨きがかかる。これと同じことを数学で やってれば、私は今よりも遥かに偉くなっているはずだけど、人生色々難しい のよね。
今朝、オスナブリュック大学の先生からメールが届き、来年冬学期に来る なら歓迎するとのこと。マックス・プランクに蹴られたので、エッセンの 代数幾何学グループに入れてもらおうかと考えているけどどうかしらと Herzog先生に相談したところ、私の最近の研究内容から考えればオスナブ リュックの方がいいかも?という返事だったので、それもそうだなと思って 問い合わせたのである。
計算機科学では研究分野を変えるのは比較的容易である。人工知能をやって いた人が「今日から私は画像処理をやる」と宣言すれば、もう画像処理の 研究者として何となく通用してしまうようなところがあって、「お前は 人工知能屋じゃないか。俺たち画像屋とは別人種だから、あっちへ行け!」 なんてみみっちい事を言う人はいない。そして、生涯一つの分野を研究し 続ける人の方がむしろ珍しいぐらいである。
しかし数学ではそういうわけにはいかない。研究分野を変えるには 膨大な量の概念や定理の証明手法や計算テクニックをマスターしなければ ならないし、計算機科学よりも実績が重んじられる傾向が強い。
私は計算機科学者時代のノリで、理論計算機科学から可換環論に鞍替えし たけれど、なかなか大変であった。最初の頃、可換環論で論文を一つ出版して 「これで自分も数学者の端くれ」と思っていたけれど、「あんな奴は数学者 じゃない」という露骨な嫌がらせが何年も続いた。可換環論業界の人たちは 優しかったけれど、学科の同僚はそうとは限らないのである。 まあ、今だから笑い話の一つとして話せるのだけどね。 私がようやく数学者と認められ、彼らに受け入れられるようになったのは、 可換環論の論文を10本近く出版した後だった。
また、数学者の物 理学者嫌いは結構根深く、ほとんど近親憎悪に近いものを感じる。 たとえ一流専門誌に数学の論文を10本ぐらい書い ていても、物理学科を卒業して物理の論文を何本か書いていれば、もうそれだけで 「単なる物理屋」とみなされて「こんな奴、仲間になんか入れてやるものか!」 みたいな雰囲気になるようである。 数学者たちのこういった縄張り意識の強さは一体何なのか、 (学生時代から数学だけやってきたとう意味での)数学者ではない私には 理解不能である。
このたび私は代数幾何学の論文を一つ出版することになって、「これで 私も代数幾何学者の端くれ」と自分では思ってはいるけど、「お前は可換環論 屋じゃないか。ウチは可換環論はカバーしてないよ」という理由でマックス・ プランクから蹴りを喰らわされた。私が代数幾何学者と認められるためには、 研究業績リストに可換環論の論文を挙げないようにして経歴詐称をするか、 代数幾何学の論文を少なくともあと2、3本出版しなければならないと思う。 親子三代とか五代とか京都に住んでないと、京都人とは 認めないってのと似たような話である。
それやこれやの事情を勘案して、代数幾何学に矢鱈強い可換環屋がいるオ スナブリュックがいいんじゃないの?というのがHerzog先生の提案だったのだ が、まあ、今回の快諾通知を鑑みるに、それはその通りだったなと思う。
やれやれ、これで受け入れ先が決まった。捨てる神あれば拾う神ありだ。 歓迎してくれるところなら喜んで行こうではないか。しかしオスナブリュックっ てどんな所かしら?今日のクリスマス・パーティーに来ていたドイツ通みたい な何人かに聞いてみたけれど、誰も知らなかった。ま、ドイツ国内で研究がで きる所なら何処でもいいんだけどね。
2009年12月19日(土)
<<気合い>>
午前中は山科区内で野暮用。ちょっと心配事があったのだが、無事解決。晴れ
やかな気分で、冬学期の講座を申し込むために関西日仏学館へ。こんなに寒く
晴れた冬の午後に、シフの弾くJ.S.バッハのパルティータはぴったりだろ
うなと思い、久しぶりにiPodをして外に出た。開放型のイヤホンだと電車の中
や車道沿いは騒音がうるさいので、静かな歩道を歩いている時だけ聴いてみた。
世界が違って見えますね。
途中、東山三条のバス停で、今日の14時からクラスに通う前のクラスメー ト2人と偶然一緒になり、そのまま3人で日仏学館へ。そのクラスメートの1 人の妹さんがゲーテに通っているので、最近のゲーテの様子なども教えてもら う。申し込みカウンターの前で、今のクラスに以前居た人と出合った。来学期 から今のクラスに戻ろうかと思ってたのだが、先生が代わると聞いてどうしよ うか迷っているという。皆さん、先生が代わることや、新しい先生が日本語を ほとんど話せないことに不安を持っているようだ。
そんなに不安なものかしら。若い時に英会話を習った先生も、ゲーテの中 級クラス以上の先生も、ほとんど日本語を話せなかったし、ドイツ語で説明す るドイツ語文法なんて半分ぐらいチンプンカンプンだったけど、兎に角、語学 は気合いなのである。色々違う先生に言葉を習うのは良いことだ。また、日 本語が使えず、あやふやな外国語の知識を勘で補わざるを得ない状況に慣れ ることにより、 たとえ沈黙の乱用ゆえの「伏字だらけの議論」が飛び交う複雑系の皆さんと の教室会議を乗り切る技量は身につかなくても、言葉が通じない外国のレ ストランで自分の望む料理の注文を気合いで通じさせる度胸とスキルぐらいは 身に付くのである!と説教でもしてやろうかと思ったけど、 「まあ、こういう話は日誌のネタに使えばいいか」ということで思いとどまる。
講座の申し込みをしてから、学館内のル・カフェで遅めの昼食。そしてそ のまま図書室に居座り、夕方まで数学。帰りは大丸ラクト店で安いワインを買っ て帰り、久しぶりに自宅飲酒。酔いをさまして、またすこしだけ数学。
2009年12月18日(金)
<<燗板娘>>
ぼんやりしているうちに、もう年の暮れである。午前中は、これまた一段と寒
くなった山科区内で色々野暮用。午後は関西日仏学館へ。まずは京大ルネで遅
めの昼食を軽くとってから、日仏学館の図書室で予習やら宿題やら。かなり時
間がかかり、終ったのは授業が始まる1時間前。それからまた京大ルネで早め
の夕食を軽くとり、少し時間があったので、ルネの書籍部をぶらつく。ハーツ
ホーンの変形理論の教科書がシュプリンガ−のGTMシリーズから出ていた。
今学期の日仏学館の授業は今日が最後。ずっとこの講座を担当されていた 先生は12月一杯で日仏学館の講師をやめる。「先生が居なくなるなら、つま んないし、もう来ない!」と日仏学館通い中止を宣言した生徒が1人。「新任 の先生は日本語がほとんどわからないらしく、不安だから別のクラスに変わろ うか」と考えている生徒が1人。華麗にも12月末にパリに高飛びする生徒が 1人。今日は欠席していたけど、「来学期から仕事の繁忙期に入るから、しば らく日仏学館には来ない」と言っていた生徒が1人。じゃあ、来学期も来よう かと思ってる人は?手を挙げた2人はオジサンばかり。うーむ。私も都 合がつけば来学期も通おうかと思ってはいるのだが。。。まあ、3人じゃあ講 座は開講されないだろうし、強力新人の大量流入を期待するか。
帰りは冷え込みが益々強く、コンビニで清酒富久娘の「燗板娘」(180ml) を買って、京都市役所前駅まで路上熱燗飲酒。国立研究所勤務時代、 フランスから来日した某大物理論計算機科学者を東京から東北大に案内する役目 を仰せつかったのだが、酒好きのその大先生に「燗板娘」のことを教えたら、 素晴らしい日本のハイテクだ!と感動して思わず3〜4缶ぐらい買っていた。 仙台のホテルで夜にでも飲むのかと思っていたら、真昼間の新幹線の中で ぐいぐいやっていた。君も飲むかね。いいえ、私は任務中ですから、と。 あれから20年。長かったような、あっという間のような。あの先生、 まだ生きてるかな。懐かしいなあ。などと思いつつ寒空の下を 歩きながら、ぬくぬくと暖かい熱燗をちびちびと。
2009年12月17日(木)
<<良き友人>>
研究日。昼前に京大に着き、ルネで昼食の後、高次元代数幾何学の研究集会へ。
生憎午前中の講演は聞き逃したが、今日は可換環論寄りの話が中心で、私には
分かりやすく面白かった。
集会の帰りに基礎物理研究所通用口前の「トラちゃん」こと数理研猫の餌 場を偵察。最近は留守のことが多かったが、今日は立派な座布団の上でやや小 さめの掛け布団をかけてもらってじっと座っていた。この猫の憂いを含んだ表 情は、何故か人の心をひきつける。
今日はこの冬一番の冷え込みで真冬並の寒さ。徒歩で長時間は辛いので、 バスで京都市役所前まで行き、Anger河原町三条本店を偵察してから帰宅。
昨夜、来年度の海外逃亡作戦の件で既にエッセン大学をリタイアしている
Herzog先生に相談メールを出したのだが、その返事が届いていた。親身で的確
なアドヴァイス。まあ、招聘拒否の連絡などでやりとりをしたマックス・プラ
ンク研究所の先生もそうだけど、私はドイツ人の変に隠し立てをしたり言葉の
裏を読んだりしない率直な物言いが好きである。やはり持つべきものは良き友
人だなと、早速お礼のメールを出し、次の行動へ。
2009年12月16日(水)
<<孤立を恐れず>>
また、「あのシリーズ」の瞬間的復活である。
ロールシャッハ・テストの出来
損ないのようなこのジャケットは、JEUGIA三条本店での入念な調査活動
の後にアマゾンに注文して今日届いた、アンドラーズ・シフの「J.S.バッ
ハ、6つのパルティータ」のCD.
で、この絵は何に見える? 鳥の横顔? 飛び魚に襲い掛かる猛禽類? ゆるやかに左にカーブする山の中の一本道で、ふと木々の梢の隙間から見える 暮れかかった空を見上げたところ? それとも、 希望の全てを失い目の前が真っ暗になる瞬間に瞼に浮かぶ世界の残像?
本日、午前中に出勤。JR琵琶湖線は水曜日の朝なのに珍しく平常運行。 10時40分より12時10分まで大学院の授業。うちの研究室のM君とルべー グ積分のゼミ。もう1人の遅刻常習学生は、「これからは20分以上の遅刻は 出席とは認めないよ」と注意したら、次の週から出てこなくなった。
それから14時40分の2回生の群論の授業の時間まで、研究室でコソコ ソ昼食をとったり、マックス・プランク研究所に「早く返事しろ」とメールを 再送したり、ベトナムの研究集会のプログラムを眺めたり、少し数学を考えた りして過ごす。ベトナムの研究集会では、私が興味を持っているテーマの講演 もあることが分かり、ちょっと前向きな気分になってきた。
16時10分に群論の授業が終り、少し雑用をしてからすぐに帰宅。夜、 マックス・プランクから返事がきた。やはり研究分野がマックス・プランクで やっていることと少しかけ離れていて、研究所内で孤立するだろうから招聘で きないとのこと。いえ、私は別に孤立は恐れませんから、ただ置いてくれるだ けでいいんですけどと言いたいところだが、滞在費等全部向こうが出すとなる とそうも行かないのだろう。
私もRitsで人事案件を度々扱ってきたので人事委員会の雰囲気は想像
がつくし、こういう事をいちいち重く受け止める必要は全くないことを良く知っ
ているが、やはり応募を断られるのは嫌な気分である。早速、推薦状を書いて
頂いた先生方にその旨を報告し、3度目のエッセン滞在に向けて準備を開始。
それから、来週の群論の授業の準備をする。