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よ け ス ペ ー ス で す。

2010年2月14日(日)
<<最強やん!>>
日曜日の朝の楽しみは、京都新聞日曜版の「7つの間違い探しクイズ」と「ク ロスワードパズル」、そして朝日新聞日曜版の漫画「オチビサン」 . 今日は食いしん坊犬「パンくい」だけが出ていて、バレンタインデー とはチョコレートに感謝する日だと言っていた。そのとおり!今日は数日前か らこそこそ買い集めていた(既にかなり食べてしまったけど)色々なチョコレー トに感謝。

昼頃に山科区内のスーパーに買い物に出て、夕方は烏丸四条の大丸、四条 の藤井大丸地下食料品売り場、四条河原町の高島屋、四条河原町の阪急百貨店 に続いて潰れることが決まったビブレ(Vivre フランス語だから「ヴィーヴル」 と読むのが正しいと思うけど)、そしてJEUGIA河原町三条本店を偵察。

大丸にも高島屋にもワンタッチで開く折り畳み傘は売ってなかったし、J EUGIAでもこれといったCDはなかったが、寺町三条の黒酢ドリンクのス タンドバーが潰れて「がま口屋」に変わっているのを発見した。それから、四 条通りの路上で若い女が若い男にニコニコしながらバレンタインデーのプレゼ ントと思しきものを渡し、貰った男は「最強やん!こんなの貰ったら、俺、むっ ちゃ嬉しい!」と言っていたように思う。通りがかりにちょっと目撃しただけ なので、その後の展開は知らないが、何で路上なのかしら?(もしかして麻薬 密売のカモフラージュ?まさかね。)

それ以外は自宅にて数学。「テンコ盛の謎」解明プロジェクトの中間報告 を纏める。(え?誰に報告するんだって?自分に、だよ。報告書の最後には 「バーカめ!」って書いておくんだ。)

明日から東京出張。懐かしい吉祥寺に宿泊。次回更新は金曜日の深夜以降の予定。

2010年2月13日(土)
<<本能>>
13時からの学科会議のため、昼過ぎに出勤。生協食堂で昼食をとって、すぐ に会議室へ。会議では、学生の学習面の評価に関することが少し話題になって いた。私の同僚たちは学生におおいに興味があるらしく、学生の名前や誰が勉 強が出来るか良く覚えている。私は学生の名前も成績もすぐに綺麗さっぱり忘 れてしまうし、どの学生が良くできるかというような話には全く興味がない。 それは自分の研究には何の関係もないことだし、学生の教育を行う上に特に必 要な情報でもないし、かえって有害なこともある。何でそんなことに興味が湧 くのか不思議でならない。しかしそれが教師の本能なのかも知れないし、ある いは、これは他人を値踏みするのが大好きな数学者の本能によるものかもしれ ない。いずれにしても、私には分からない。

数学者が何故他人を値踏みしたがるかというと、たぶん自分の相対的位置を 確認したいから。俺はあいつよりも駄目かも知れないけど、こいつよりはマシだ と確認して安心するというやつ。しかし数学業界は競争が激しいから、あまり そういうことをやりすぎると神経衰弱になってしまう。凄い奴はいくらでも居て、 後からどんどん湧いて来たりもするから、最初の頃は「勝ったり負けたり」で 面白いかもしれないが、だんだん惨めな自分を確認することが多くなってくる。 そうなると数学をやってても楽しくなくなるのである。

私なんぞは、学生時代に「競争して負けて打ちのめされる」という負け組 スパイラルにしっかりはまっていたので、そういうゲームに手を出してはいけ ないことをよく知っている。しかし普通、負け組スパイラル経験者は早々と 数学業界を去っているはずだから、生き残っている人たちは概して「勇ましい」。 私が無意識のうちに競争や、他人を評価するといった「競争的な行為」を 避けるようにしているのは、その辺の数学者たちの勇ましくも 下品な(と私は思うのだが)話に学生時代の負け組トラウマが刺激されて憂鬱に なるからだと思う。

学科長は会議の長時間化をほのめかしていたので色々内職の準備をしていっ たけれど、結局14時半にあっけなく終り、すぐに帰宅。夕方からは自宅で数 学。「テンコ盛りの謎」で解明された部分を纏める。

折り畳み傘はもう返ってこない。これまでずっと私の手元にあった ものが、ある日突然「世の中」という漠然とした大海原の中に消えて行ってしまう というのは、それはそれでちょっと不思議な感覚ではある。

2010年2月12日(金)
<<傘を無くす>>
午前中は少しフランス語の予習の後、数学。午後は大学院入試の面接試験と合 否判定会議のために出勤。1時間ほどで終り、そのまま関西日仏学館へ。しか しJRの電車の中に折り畳み傘を置き忘れたことを山科駅で降りてから気づき、 駅員に申告。ワンタッチで開く少し長めの折り畳み傘。20年前にロンドンに 行った時、そこの人たちが皆このワンタッチ折り畳み傘を持っていて、これは いいなと思ったのだが、当時の日本では売ってなかった。その数年後、たまた ま京大生協だか大丸だかに1本だけ売ってたので、「これだ!」と思って買っ たのである。今では小さく華奢なワンタッチ折り畳み傘なら見かけるようになっ たけど、骨がしっかりしていて少し大きめのものは、日本では売ってな いのじゃないかしら。

今日の関西日仏学館の授業はフランス料理について。今日も色々知識が広 がる有り難い授業であった。まず、フランスのシャンパンとドイツのゼクトは 同じようなものだと思っていたが、シャンパンは高級酒だがゼクトは安酒だと 知った。まあ酒なんて、飲めれば何でもいいじゃないかと思うのだが。 それから、20年前にパリに行ったとき、パリ郊外の国立研究所の人に魚屋が 経営しているレストランで生牡蠣と生蛤とタタールステーキの夕食をご馳走に なったが、その時、生牡蠣用のパンと生蛤用のパンが区別されていた。では、 フランスでは料理ごとにパンを選ぶことはよくあるのか?と聞いたら、フラン スではドイツほどパンの種類は豊富でなく、生牡蠣用にやや黒くてどっしりし たパンにバターをつけて食べることはあるが、それ以外は料理に応じてパンを 変えたりはしないと知った。また、フランスで生蛤を食べるのは珍しいとのこ と。また、テキストにはフランス料理の新しい流れとしてヌーベル・キュィジ ンというものがあって、見た目の芸術性に重きを置いて、食材にあまり火を通 さず、何でもかんでもムースにしてしまって(宇宙食か?)、分量も少なく腹 も膨れない(懐石料理か?)と書いてあった。これについて、以前、テレビで日 本料理に影響を受けて生魚を使ったヌーベル・キュィジンがあると報じていた が、そういうのは実際あるのかと聞いたところ、生魚を使うのはかなり実験的 なもので例外だろうと思う、寿司屋はフランスでも沢山あるが、 生魚をつかうフランス料理は聞いたことがないとのことだった。

今晩は飲むぞ!と決めていたので、日仏学館の帰りはコンビニで清酒富久 娘の燗番娘180mlを買って路上飲酒。ほろ酔い加減の幸福な気分で帰宅。 もっとガッツリ飲みたいので、先日買ったワインでもと思ったが、まだ栓を開 けてなかったこともあって踏みとどまる。あ、そういえば、折り畳み傘、どう なったのかしら?とJRのお客様窓口に電話で問い合わせたところ、見つから なかったとのこと。物にはあまり執着しない私だが、この傘をなくしたことは ちょっとショックだ。でも、今日は雨模様の天気だから、傘を忘れた人が誰か持っ ていったのだろう。思えば半世紀以上生きてきて、世のため人のために なることなんて唯の一つもやってこなかった。もう何年も使い続けた傘 だし、それがささやかながら世のため人のためになったのだろうから、 これでいいではないか(と、日記には書いておこう)。

2010年2月11日(木)
<<人生の浪費>>
大学は実質的に春休みで、散発的に会議が開かれるものの、既に研究期間に入っ ている。今日は午前中から「テンコ盛の謎」解明プロジェクト。何時までやっ てるのかと自分でも呆れるが、時間はかかってもきっちり理解しておか ないと、後々足をすくわれることは目に見えている。

午後は久しぶりにスポーツクラブ。数学者は体力勝負みたいなとこ ろがあるからね。最近行ってなかったので、体の調子がいまひとつ。14時半 頃に行ったら、ジムがオッサンだらけという地獄絵図が広がっていた。ストレッ チをするためにマットを敷いた7、8畳ぐらいのスペースには既に5,6体の オッサンが転がっており、人気のロードランナーやエアロバイクは順番待ち状 態。ウエイトトレーニング系のマシンも常に誰かが使っている。今日は冷たい 雨が降る祭日だし、家でじっとしてれば良いのに。まったくオッサン連中の考え ることはわけがわからない(「お前はどうなんだ?」という突っ込みは当然瞬 殺却下)。この混雑のため一部メニューの変更を余儀なくされたが、何とか ほぼいつも通りのトレーニングを済ませて16時半過ぎにスポーツクラブを出 る。

それから地下鉄で河原町三条界隈に繰り出し、JEUGIA三条本店を偵 察。ハインツ・ホリガーの「アルビノーニ(誰や?それ)・オーボエ協奏曲集」、 ヒラリー・ハーンの「メンデルスゾーン&ストラビンスキー・ヴァイオリン協奏 曲集」、ホロヴィッツの「スカルラッティー・ピアノソナタ集」など数枚を 慎重に試聴したものの、購入には至らず。 店内はまたもアルフレッド・ブレンデルの引退コンサートのCDが流れていたが、 重厚なショパンってのもどうよ?って感じで、やはり購入意欲は湧かず。 ブレンデルって、昔はこんな感じじゃなかったような気がするけど。 帰宅時、スポーツクラブのおかげか、体がちょっと軽いような。

夜も少し数学。教科書にごく当たり前のように「こうだ」と書かれていて も、自分がそうだと納得するためには、往々にして長いゆっくりとした思索 が必要だ。時間は湯水のごとく豪快に空費され、その結果得られるものはごく僅 か。偉い数学者の場合はどうだか知らないけど、数学って人生を浪費したい 人にはもってこいの学問やね。そこで思いつきの出任せを一発ぶちかまして おこう。人生は浪費するためにあるんだヨウ!と。

2010年2月10日(水)
<<水の如し>>
7時40分起床、8時40分自宅発、10時前出勤。今日も入試採点業務。午 前中はなんだかんだのうちに過ぎ去る。短い昼休みは、広い生協食堂に まばらに点在するオジサン達の小集団を避け、静かな柱の物陰で美味しく 採点食をいただく。午後もなんだかんだとあって、16時前に開放される。 私が担当する採点作業は今日で終り。お疲れさまでしたと互いを労う言葉が 自然に出てくる。

会社員の時は職場の中でチームで仕事をすることが普通で、ちょっとした プロジェクトに関わると、それを通して同僚達との信頼関係がつちかわれ仲間 意識が深まり、仕事を達成したときの感慨もひとしおだった。その反面、そり が合わない同僚や上司との軋轢やストレスも時に深刻になることもあった。 そういう意味で会社員時代は、良きにつけ悪しきにつけ、 一緒に仕事をする人たちとの人間関係が醍醐味だったとも言える。

大学の数学教師をしていると、会議で仕事の分担を決めてあとはそれぞれ 独立に作業を進める形が一般的。緊密なチームプレイで行う協同作業は年に一 度の入試業務ぐらいなので、何年同僚でいても気心の知れた間柄にはならない。 ウチは教員数10数名の小さな学科だけど、そういえば面と向かって言葉を交 わしたのは、この10年ぐらいの間に3回もあったかしら?という同僚は一人 や二人ではない。会議ではよく顔を合わせるけれど、直接話したことはほとんど ないまま退職したり転職したり亡くなったりした先生も何人か居る。 日頃からあまり付き合がなかったから特に感慨もなく、「あの人、転出したのか、 ふーん」とか「あの人、亡くなったのか、気の毒やね」とか。 まあ、そういうもんである。

まあ、こういうのは「君子の交わりは淡きこと水の如し」みたいなもので、 悪くないんじゃないかと思う。大きな会社だと人事異動が割合頻繁なので、人間 関係で問題が起こっても数年以内に何らかの変化が期待できるが、大学だと仁義 なき戦いで泥沼化しても、相手か自分のどちらかが転出するか死ぬかしない限り どうにもならない。そういう意味では、お互いあえて距離をとって気心の知れ ないままでいる方が平和だし、その方が色々なことがうまく行くと思う。

夜は少し数学。「テンコ盛りの謎」解明が少し進展か?(と今まで何度勘 違いしてきたことか)

2010年2月9日(火)
<<常識的見解>>
今日も入試採点業務のため、7時起き、7時45分自宅発。でも時刻表の空白 領域にはまってしまい、山科駅で10数分待ち。出勤時間がまちまちなので、 いちいち何時の電車がどうのなんて覚えてないし、時刻表を確かめて家を出たところで、 いつ遅延が発生するかわかったものではない。だからテキトーに自宅を出るのだが、 時々こういうことになる。幸い今日は暖かいのでベンチで待つ。こういう時の ために、リュックサックにはいつも本やノートが入っている。しかし最近は 「テンコ盛りの謎」が脳裏に張り付いているので、何も見なくても数学を考え て時間が潰せる。

9時前に大学に出勤。今日も午前中は何だかんだとあって、遅めの時間帯 にとった採点食は一種類のメニューしか残ってなかったけど、オジサン集団皆 無の清清しい生協食堂の真ん中に陣取って美味しくいただく。午後も色々あっ て16時半頃に開放される。

そういえば一緒に採点業務をやっている工学部の先生との雑談で、採点が 早く終って明日の作業がなくなったらという話になり、私が「そしたら明日は 誰も出てきませんよね」と常識的見解(!)を述べたら、「え?明日はまだ平 日だから、皆、出てくるんじゃないですか?」と。そういえば実験系の先生っ て、会社員みたいに毎日規則正しく出勤するんだった。(そういう生活から足 を洗って、もう何年になるかな。)そうでなくても院生の修士論文指導の最盛 期だからだそうだ。ウチの院生M君は、とうの昔に修士論文を仕上げてしまい、 私としては楽チンだったけどね。

帰りの電車の中で、電撃的天啓。昨夜解けた!と思った謎が解けてないこ とがわかる。いったい何時になったら本当に解けるのかしら、と溜息。夜は何 故か疲れて眠く、早く寝る(つもり)。

2010年2月8日(月)
<<オフ>>
午前中は山科区内で野暮用。そのまま河原町三条に繰り出し、Anger河原 町三条本店やJEUGIA三条本店を偵察の後、讃岐饂飩の丸亀製麺河原町三 条店にて昼食。ああ、この開放感。まさにオフって感じ。入試関連業務の監禁 生活が続いているが、これでちょっとばかし気が晴れる。

それからバスで京都駅に移動し、JRに乗り換えて昼過ぎに大学に出勤。 14時から院生M君と修士論文公聴会の発表練習。ゼミ室で黒板を前にして 「じゃ、始めてください」と指示すると、M君「公聴会ってどういう風に話せ ばいいんですか?」と。うーむ、そう来たか。それで、彼が話したいと思って いる内容を聞き出し、プレゼンテーションの筋書きを一緒に考える。M君は、 あとは自分で考えて何とか本番を乗り切れるというので、15時ぐらいで終了。

研究室に戻ってメールをチェックすると、学科長から、水曜日の学科会議 の予定が土曜13時に変更されたとのメールが流れていた。最後に追伸として、 「『前日の打ち上げ会で飲み過ぎたので』などというみっともない言い訳は無 用に願います」とあった。なっ、何じゃ?これは。「前日の打ち上げ会」とは、 複雑系の皆様が行う採点作業の打ち上げのこと。私は複雑な人間ではないから 参加しない。それはともかくとして、飲み過ぎを理由に13時から始まる会議 をすっぽかしそうな教員ってそんなに居ないから、名指しはしなくても誰 のことを言ってるのか何となく特定されてしまうような。。。 あーあ、何だか大変なことになってますな。

それから、採点済みの代数学の定期試験答案のうち、不合格答案をもう一 度見直して「やはり情状酌量の余地なし」と判断し、準備していた成績表とと もに事務に提出。さらに3月末の出張報告書も提出してから大学を発つ。山科 駅前Sbuxにてしばし数学の後、大丸山科店で安いワインを赤白2本買い、 ついでにヴァレンタイン・デーのチョコレートフェアをやっていたので、「菓 子職人」の抹茶トリュフ5個入りを買って帰宅。夜も少し数学。しかし明日か らまた入試採点で朝が早いので、深追いは控える(つもり)。

2010年2月7日(日)
<<飲んだくれ願望>>
今日は10時前出勤。琵琶湖線の遅延を勘案して、7時半気象。今日は遅延は なく、さらに電車やバスの接続も良く、予想よりも30分近く早く大学に着く。 入試採点の作業は午前中に無事終了。オジサンたちの臭気が届かな い、生協食堂の隅っこの柱の陰で美味しく採点食をいただき、 午後は研究室で少し数学の後、入試関連の仕事で会議室で待機。 待機しているだけで他に何もすることがなかったので、 数学を考えたり居眠りをしたいしてすごす。17時には無事開放され、 そくさくと帰宅。

やはり入試の採点というのはストレスがたまるものである。 ストレスには、酒と音楽と徘徊がよろしい。 ここ数日は街を徘徊できそう にないし、適当なコンサートも見当たらない。ならば酒だな。

次の採点は明 後日からなので、今晩はハメを外して飲んだ暮れてやろうかしらと思ったけど、 生憎酒を買っておくのを忘れていた。こうストレスが溜まってくると、どこか でドカっと行きたくなるが、当面の飲みは、金曜日の関西日仏学館の帰りの路 上飲酒。寒空の下を半時間ほど鼻水垂らして歩きながら、カップ酒をちびちび でっせ。まあ、そういうの嫌いじゃないけど、シケてやんな。3月半ばになれ ば親和会宴会、3月下旬は学会のついでに東京時代の友人達との飲み会がある けど、ずいぶん先の話だ。

そういえば親和会宴会から帰ってくると、大量の料理と酒のため、ほんの 2,3時間で一気に2kgぐらい体重が増える。これには最初びっくりしたが、 もう慣れた。まあ、飲み食いしたものはいずれ排出されるが、酒を飲むとアル コールを分解するために体が水を溜め込むようになり、1、2週間ぐらい水太 りみたいな状態が続いて少しずつ体重が減っていく。それでも減るのは1kg 程度で、結局1kg太る。何で一晩で1kg太るのか、謎といえば謎であるが、 兎に角太るのだからしょうがない。

さらにその1kgを減らすのは大変で、日々つつましい欲望と戦いつつ、 結局思うようにダイエットしきれない間に半年が過ぎ、また次の親和会宴会が 来て、2kg−1kg=1kg太る。かくしてこの1、2年の間に3kg太っ てしまった。

親和会だけではない。私はチョコレートには目がない。いや、饅頭にも目 がないのだが、饅頭断ちには成功した。カカオ中毒はまだ治ってなくて、名糖 アルファベットチョコを朝夕食後3〜4粒ずつ、まるでサプリメントを規則正 しく摂取するかのように食べる。こういう日々の小さな積み重ねは私の得意と するところだが、3kg増のうちの1kgはチョコレートの継続的摂取が原因 ではないかと思われる。

ま、それはともかく。酒を切らしてるんじゃあしょうがない。夜は少しだ け残っていた安ワインを飲み干し、また少し数学。「テンコ盛りの謎」は色々 勉強して色々考えて色々なことが少しずつ分かってきたものの、結局難攻不落 でどうにもならん。困ったものだ。昨夜は某先生が面白いプロジェクトを始め て「君もやらんかね」と声を掛けてくれて、どうしようかなあ、、、とか思っ ている夢を見た。まあ、「テンコ盛りの謎」って、所詮偉い先生の教科書に書 かれている定理の証明だから、分かったところで論文にならないしね。勿論、 これで力をつけておいて、その先を狙おうという魂胆ではあるけど。

2010年2月6日(土)
<<ね?わかるでしょ?>>
今日は9時前出勤。琵琶湖線の遅延を勘案して、7時起床。今日は大阪方面行 きが15分遅れていたが、大津・石山方面は正常運行。まあここ数日はともか くとして、普段の私は比較的ゆったりと通勤できるので良いけれど、JRがこ う日常的に出鱈目な運行をしているとなると、普通の通勤客は大変じゃないか しら。

ということで、予想よりも20分ほど早く大学に到着。今日も1日採点作 業。採点食は今日も生協食堂。少し早めに行ったら大量のオジサン達が居たの で思わず足がすくんだが、上手い具合に隅っこの柱の陰の席が見つかったので、 そこでこそこそと昼食。そう、人には昼食をこそこそと食べる権利がある。

午後もなんだかんだとあって、16時半頃には開放される。

それから研究室に戻って、代数学の定期試験の採点見直し。干乾びたタオ ルをさらに絞るようにして点数をひねりだす。これで何とか「勉強して何かひ とつでも分かった(と思われる)人は合格し、ほとんど何も分かってない(と 思われる人)は落ちる」という方針は実現できたのではないかと思う。成績表 マークシートに訂正印を押しまくり、採点講評を書いてから大学を発つ。午後 から雪花が散っていて、時折吹雪く。大学のバスロータリーで、遅延している バスを待つのがちと辛い。

ところで昨日のフランス語の授業で、「学校時代に嫌いだった科目は?」 みたいな質問の練習を少ししたのだが、そういえば高校時代は現国(現代国語) が嫌いだった。何故かというと、テストの答案を先生の所に持っていって、何 故自分の答がバツなのか、正解は何かを聞いてもどうも腑に落ちなかったから である。数学や理科や社会なら、説明を聞けばなるほどそうかと分かる。しか し現国、特に文章読解の問題はそうではなかった。多くの場合、先生の正解と 零点にされている私の答案は、多少の言い回しの違いはあって も意味的には同じで、ほとんど違いは見出せなかったのである。

それで、「でも両者はほとんど同じようなもんじゃないですか?」と先生 に食ってかかると、「全然違うではないか。正解はこれこれ(ほとんど正解の文章と 同じ)で、君のはどれそれ(ほとんど答案の文章と同じ)だから、やっぱり 違うのだ」とくる。でもそれは単なる表現の違いで、意味はほとんど同じじゃな いですかとさらに食い下がると、全然違うじゃないかとくる。 だって、これはこうであれはああで(やっぱり「正解」と私の「誤答」 をほんの少し言い換えただけに思える説明)、、、ほら、違うじゃない。 ね?わかるでしょ?(わかんないよ、そんなの)

そういえば数学者もよく「ね?わかるでしょ?」みたいな言い方をするな。 「これは、こうじゃないですか。ね?わかるでしょ?」と。わかんないよ!こっ ちは何故「これは、こう」なるのかを聞いてるのに。 単に事実を連呼するだけならネコでもできるし、簡単なヒントを示唆して あとは煙に巻くんだったら、その辺の本や論文と同じじゃん!と。

まあ、数学者のことはともかくとして、結局、何がどう全然違うのかわか らないままに数十年が経ち今日に至っている。実は書店の学習参考書のコーナー を通るたびに、現国の問題集や参考書が気になって、国語の先生が間違ってい るか、私が間違っているか、今こそ決着をつけてやろうじゃないかと、むらむ らと湧き起こる闘志をなんとか抑えている。そんな事をしている暇があったら、 「テンコ盛の謎」でも解いてろ!と。

夜は少し数学。

2010年2月5日(金)
<<採点食>>
今日は9時半出勤。従ってJR琵琶湖線の不規則遅延を勘案して、7時15分 起床。またも遅延はなく、20分ほど早く大学に到着。午前、午後と採点作業 に打ち込む。単調で辛い作業の中で唯一の心の支えというか、士気を保つため の鍵は、採点食として支給される昼食と3時のお八つである。

採点食として、某ホテルが大学のキャンパスの中に出しているレストラン のランチか、または生協食堂の採点者用特別メニューのどちらかの食券が支給 される。ホテルのランチ券は枚数が少なく、かつ人気がある。私もかつてはそ れを手に入れるべく涙ぐましい努力をしたものだ。しかし去年あたりから、採 点食は生協食堂に限ると思うようになった。ホテルのレストランは小さくて、 狭いテーブルにオジサン達と相席で詰め込まれる。人には昼食を誰と一緒に食 べるか、あるいは、食べないかを選ぶ権利があると思うが、そういうものが完 全に無視されている。いくら料理が洒落てても、オジサン達の顔見て気詰まり な思いをしながら食事をしたいとは思わない。生協食堂は広くて、オジサン達 が居ないテーブルが自由に選べるから、そっちの方がうんと良いというわけだ。

16時過ぎに開放され、そのまま余裕で関西日仏学館へ移動。簡単に予習 したあと、隣の京大ルネで夕食。18時45分から20時45分までフランス 語の授業。今日のテーマは先週に引き続きフランスの高等教育制度。例によっ てぼろぼろ喋りまくる先生の話を気合いで理解し、こちらも負けずに 気合い一本槍の滅茶苦茶なフランス語で質問する。兎に角、通じたらいいんよ。 それ以上はどうにもならん。 まあ、普通のフランス人と話しているって感じで、スリルがあって 私は面白いと思うのだが、他の受講生は語学教授法のプロみたいな感じの前の 先生の方が良かった言う。

さて、今日分かったことは、フランスの会社は即戦力志向が強く、文学、 哲学、心理学あたりの学生は公務員試験か教員採用試験に合格しない限り、本 当に就職が無いそうだということ。では、文学部出身のホームレスは沢山いる のか?と聞いたら、先生は真顔で「そうです。"les prolétariats intellectuelle"(「インテリ乞食」とでも訳すのか)って言葉もあるぐらいだ し」と真顔で言う。 これは凄い。

それから、会議や授業での居眠りについて質問したところ、やはり居眠り は物凄く失礼なことだという。でも、国際研究集会で居眠りしている日本人数 学者なんて沢山居るし、それを見て西洋人は誰も何も言わないけど、彼らは胸 の内で何と思ってるのかと聞くと、私なら「何であんなことしてるのから?て んで理解できない」と衝撃を受けると思うと答えていた。それから、ドイツの 学校では授業中の飲食は許されているが、居眠りは駄目。フランスの学校では 飲食も居眠りも駄目で、即座に教室からつまみ出されるという。まあ、日本の 学校でも私が学生時代までは確かにそうだったけど。

それにしても、なぜ日本では居眠りに寛大で、西洋ではタブーなのか。 この辺は深い文化的な違いがありそうで、興味深い。誰か研究して面白い本でも 書いてくれないかと期待してるんだけど。

明日も朝早くから出勤なので、路上飲酒や徒歩はやめて京大正門前からバ スに乗り、大急ぎで帰宅。早めに寝る(つもり)。

2010年2月4日(木)
<<ドアをノックする>>
入試採点のため9時出勤しなければならない。普通じゃん!ってか? 夜中に仕事する私には普通じゃないのです。 JR琵琶湖線の不規則遅延を20分程度勘案して逆 算すると、6時45分起床。今年度最早起床記録達成。結局JRの遅延はなく、 20分程度早く大学に到着。早く到着すると早くから仕事が待っている。 昼休みの小1時間を除いて、何だかんだと夕方まで某所に 監禁される。最初は少しサボって、数学を考えたりもしていたが、そのうち そうもやってられなくなってきて、採点マシーンと化して仕事。

今日の作業から開放された後は、研究室で定期試験の採点の見直し。 乾いたタオルを絞るようにして点数をひねり出し、合格者数の上乗せ。 しばらく寝かせて、もう一度見直す予定。19時前に帰宅。 明日の夜は関西日仏学館の授業。採点作業がそれまでに終るかどうか不明 だが、一応予習をしておく。数学の方も気になるのだが、明日も早いので さっさと寝る(予定)。

昼休みに研究室に戻った時に、隣の研究室の前に学生が現れ、先生が現れ るのを待っているようだった。私も色々用事があって事務室に行ったり図書館 に行ったりトイレに行ったりしては、その度に研究室に戻ってきて、何となく 様子を見ていたのだが、その学生はお目当ての先生の研究室にやってきてはそ の不在に落胆し、しばらく待って埒があかないので退散し、またしばらくして は現れて落胆するということを繰り返しているようだった。まあ、結局見かね て私が応対したのだけど、「研究室のドアをノックしても返事がない時は、永 遠に待っても教授は現れない」と、入学時のガイダンスで習わなかった、、、 よね?

しかし、かくいう私も、学生時代は卒研ゼミの指導教官に質問しようとし て同じような行動をとったし、会社員になってからスタンフォード大学を訪ね たとき、基礎論の大御所 S. フェッファーマン教授の研究室のドアをいつまで もノックしていたことがあったな。何で返事しないんだよう?居眠りでもして るのか?おい、起きろ!フェッファーマン教授!!と日本語で怒鳴り散らしなが らね。(実はF教授は学部長をしていて、学部長室に居たんだけど。) 大学教員が研究室に居ない謎は、自分が大学教員になって数年してからようやく 解けた。

2010年2月3日(水)
<<深追いはしません>>
今日も午前中は少し数学。昼頃に自宅を出て、河原町三条の丸亀製麺の讃岐饂 飩で昼食。うまい具合にすぐにバスが来たので飛び乗り、そのまま衣笠キャン パスへ。少し早く着いたので、半時間ほど図書館ですごず。定期試験は終った のだが、資格試験の勉強のようなことをしている学生達でほぼ満席状態。すみっ この席を見つけて、数学。その後、会議室へ。今日も入試関係の仕事で待機し ながら、数学をしたり雑用をしたり。17時に無事開放されてすぐに帰宅。本 日JEUGIA三条本店もラクト山科も偵察せず。夜も少しだけ数学。今日も あんまり進まなかったなあ、と。しかし明日から入試の採点作業で朝が早いの で、深追いはやめて早めに切り上げる。

日頃は単独行動で仕事をしているだけに、入試の採点などの協同作業はちょっ ぴり高揚感があって、何かをやったという達成感はあるけど、それでいて後に 何も残らず、あっという間に毎日が過ぎてゆく。それで、気がついたときには 人生が終ってた、、、なんてのはどうかしら。「そんなの嫌だ!」と言い切れ るかな?

2010年2月2日(火)
<<心の準備>>
午前中は少し数学。昼前に自宅を出て、河原町三条でJEUGIA三条本店偵 察と丸亀製麺で讃岐饂飩の昼食。それからバスで衣笠キャンパスへ。14時過 ぎから入学試験関連の仕事で会議室に監禁される。昨日から始まった入試で大 学じゅう全員総出でひっくり返っている状態だが、幸い私に回ってきた役目は 試験が無事進行している限り特に何もすることはなく、会議室で数学をしたり 別の雑用をしたり。結局、特に問題もなく17時に開放され、帰りは大丸山科 店で安い白ワインを買って帰る。夜も少し数学。「テンコ盛の謎」が本当に解決され ているのかを見直す。

プレプリント・サーバーを覗いてみたら、先日亡くなったEckart Viehweg 先生と夫人のHelene Esnault先生の共著論文が投稿されていた。正標数の2次 元特異点に関する10ページ弱の短いノートだが、アブストラクトの最後には、 こんなことが書かれていた。

"This note relies on discussions the authors had during the Christmas break 2009/10 in Ivry. They have been written down by Helene in the night when Eckart died, as a despaired sign of love."

いやはや、こんな時に数時間で論文を書き上げてしまうなんて、Esnault先生っ て凄い人ですね。っていうか、日本だと病院からの遺体の搬送の手配やら葬儀屋 との打ち合わせや何やらかんやらで、論文書いてる時間なんて取れないと思うけど。 ドイツはそうでもないのかな。エッセンの下宿の大家さんが葬儀屋さんだったけど、 そういうことは全然わからなかった。

Viehweg先生もU君も、それ以前から少し具合が悪かったのかも知れないが、 亡くなる割合直前までふつうに仕事してて、ぱたっはたっとと行ってしまった わけだ。こういうのは本人にとってどうなのか知らないが、周りの人にとって はキツいと思う。50歳や60歳で突然行かれちゃあ、心の準備もなにもあった もんじゃない。

私の母の場合は、高齢でだいぶ具合が悪くなって3年間寝込んだ末に亡くなっ たから、こちらも時間を掛けて心の準備ができた。最後はもう少し苦しまずに 行って欲しかったなというのが今となっては少し心残りだが、全てが終った 瞬間には「これで彼女をきっちり見送れたな」と、ある種の充実感さえ覚えた ものである。だから葬儀なんかも、「俺はもういいから。他の人たち、気が済 むようにやってね」みたいな感じだったな。

2010年2月1日(月)
<<初雪>>
今日はU君の告別式だが、色々予定が押していて今日じゅうに定期試験の採点 を終えないといけないので、昨日の通夜で区切りとしておく。

そもそも何のために葬儀に出席するかというと、それは第一に自分の気持 ちを整理する、あるいは整理するための第一歩を踏み出すためである。既にこ の世に居ない本人に気を遣う必要などないのである。よく、自分が死んだら誰 が葬儀に来てくれるだろうかと案ずる人が居るが、それは無意味である。その 時自分はもうこの世に居ないから、自分の葬儀など関知できるわけがないのだ。 それにしても、自分が生きている間は、時折誰かの葬儀に出なければなら なくなる。何だか最近妙に葬儀が多いなと思うのは気のせいかしら。

生前にあまり良く思っていなかった人の葬儀も、気が向けば行ってみる価 値はある。「気が向く」のは、何かしらまだ気持ちにひっかかるところがある からだ。葬儀に行って遺影に向かって胸の内で思いっきり悪態をついてみるも よし、「やれやれ、やっとコイツが居なくなって俺も少しは羽を伸ばせるぞ」と 希望に胸を膨らますのもよし。あるいは、遺族の代表の挨拶を聞いて故人の知 られざる一面を知るのもよし。例えば、優柔不断の塊のような人かと思っていた けれど、家族に対してはとても厳格だった、と。それで結局、本人は几帳面 なだけが取り柄の無能な 小心者だったのだと初めてわかり、もうこんな奴のことを気にかけるのはやめ にしようと妙に気持ちがふっきれるかも知れない。あるはもしかして、遺族の 話の内容によっては、あいつは案外いい奴だったんだと見直して、長年 のわだかまりが解けることだって無いとも限らない(俺以外の人間には いい顔してたのかよと、益々腹が立つかもしれないが)。

たとえ故人を良く思ってなくても、その遺族に対して恨みつらみがあるわけ ではない。こんな奴にも心からその死を悲しんでくれる家族がいたのかと、 ちょっとほろりとしたりもする。良くも悪くも俺サマが葬儀に駆けつけたと いうのは、それだけ故人の存在が大きかったということだし、そのことを誇り に思って悲しみを乗り越えていってくれ。と、ちょっぴり恩着せがましい気持ち で葬儀場を後にするのだ。

本日午前中は山科区内で野暮用。そのまま大学に出勤し、2回生の群論の 試験答案の採点。夕方には終了して成績表に記入する。しかし、私は 数理科学科の学生の勉学態度から考えて、受験生の7〜8割程度が合格する ぐらいが適正と考えているのだが、今回はそれに少し足りない。事務の提出期限 までまだ間があるので、採点基準の見直しでもうすこし合格者数の積み上げ ができないか検討する予定。

研究室で採点をしていて、ふと窓を見ると外は雪が激しく降っていた。大 学から帰宅する頃には積もっていて、足元に気をつけなければならなかったが、 山科では雪ではなく冷たい雨だった。

夜も少し数学。