の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年2月28日(日)
<<進展>>
昨日まで3月下旬の陽気だったが、今日は少し2月下旬らしく少し寒々として
いた。いつもの日曜日と同じく、珈琲片手に朝日新聞日曜版の「オチビサン」
を読み、京都新聞日曜版の「7つの間違いクイズ」とクロスワードパズルで一
日をスタート。昼頃に山科区内のスーパーに買い物に出て、午後は自宅で野暮
用など。夕方近くから数学。この1年ぐらいの間、さしたる進展のないままに
書き散らしたメモなどをかき集めて、すこし整理を始める。
そういえば昨日の日誌で大事な事を書き忘れていた。昨夜のスポーツクラ ブで、久々にロードランナー逆走男を発見したのだが、彼は浅田真央のファン らしいことが判明した。エアロバイクの前につけっ放しになっている液晶テレ ビで浅田真央が写った途端、それまでやっていたトレーニングをやめてエアロ バイクに駆け寄り、しばらく見入っていた。最初は全然エアロバイクを漕ごう としないので変だなと思っていたのだが、浅田真央の映像が写らなくなった途 端にその場を離れてまたもとのトレーニングに戻ったから、なるほどと思った 次第である。
え?この話の何処が「大事な事」なんだって?長らく停滞していた「ロー ドランナー逆走男に関する調査研究」に進展があったってことじゃん!数学研 究も、こんな風に粘り強く、小さな糸口をも見逃さずに一歩一歩進めていくし かないだろうな、との思いを新たにしたってことさ。
明日から埼玉大学に出張。次回更新は火曜日の深夜以降の予定。
2010年2月27日(土)
<<余暇の過ごし方>>
ドイツ語寺子屋の日。昼過ぎに自宅を出て関西日仏学館へ。途中、やはり日仏
学館の授業を受けに行く以前のクラスメートと一緒になり、バスの中で色々お
喋りをしながら到着。私は図書館で少し予習、というか、ドイツ語のウオーミ
ングアップにミヒャエル・デンデの「モモ」を読む。今日の関西日仏学館の入
口フロアあたりには、何故かスルメか魚の干物を焼いたようなタンパク質系の
異臭がたちこめていたが、原因は不明。途中、隣の京大ルネの食堂で昼食。ル
ネには関西日仏学館の教職員がよく昼食を食べにきている。すぐ近くのテーブ
ルでは、金曜日に代講で来た先生と関西日仏の図書室によく出入りしている正
体不明の「土筆のオバサン」(刈り上げ過ぎた髪を自分自身で「土筆みたい」
と言っていたことに由来する命名)が一緒に食事をしていた。
関西日仏のカフェでも昼食は食べられるが、昼は講座の受講生などでいつ も満席で、皆さんお喋りを楽しみながらゆっくり食事をするので、客の回転が すこぶる悪い。やっと店が空いてきたかと思いきや、昼食サービスは終了とな る。夜は昼と同じメニューだから、ボリューム的に中途半端。このため私は関 西日仏に頻繁に出入りしている割には、食事は昼も夜も京大ルネばっかり。日 仏学館の教職員も、たぶん同じことを考えてるのだろうと思う。
15時15分から90分の寺子屋の授業。今回と次回のテーマは余暇の過 ごし方。俺サマには余暇なんてネエんだよ!とも言えるし、講義と会議以外 (つまり大学に居ない時)は全部余暇だとも言えるし、私にとっては陳腐だけ ど難しいテーマ。
その後、JEUGIA三条本店で少し道草。先日の東大の研究集会でマル セル・メイエがラモーのピアノ曲を弾いているCDが良いという情報を得て以 来、極秘調査を続けているのだが、どうも歴史的名盤の類らしく、今日も見つ からず。ラフマニノフともうひとりナントカというロシアの現代作曲家のチェ ロ曲のCDが目にとまり、試聴。JEUGIA三条本店によくあることだけど 機械が壊れていて音が左半分のヘッドホンからしか音が出ず、すこぶる聴きづ らい。ちょっと良さそうなCDだったけど、試聴を中止。
夜はスポーツクラブ。70代にしてガンガン筋トレに励む「強い爺さん」 と、久々登場!鋭い眼光と不敵な笑みの「ロードランナー逆走男」が居た。逆 走男は今日も激しく逆走し、さらにローラーマッサージ機で足のマッサージを している私の目の前で、JOBAに乗って「喜びの踊り」を踊っていた。この 踊りを見ることができただけでも、今日という日は意味がある時間だったと思 う。
今日も数学は無しの「休日」モード。
2010年2月26日(金)
<<退職記念講演>>
フランス語の予習をしながら、昼頃に出勤。先週は出張のため休んだので、今
週はテキストのどの単元をやるのかわからない。しかし予想できる部分が2箇
所に絞られたので、両方を見ておくことにする。そんなの、先生に聞くなりク
ラスメートに聞くなりすればいいではないかって?でも、そんな事したら、休
んだ翌週の授業内容を予想したり、出たとこ勝負で授業に臨むスリルを楽しめ
ないではないか。
生協食堂で昼食の後、普段は滅多に足を踏み入れない情報理工学部の建物 に行き、某先生の退職記念講演に出席する。この学部は歴史が浅いせいか、そ れとも形式を重んじる工学部の風習なのか、定年退職する先生に対する扱いが 派手で、業者に作らせた本格的なポスターや立看板を使って退職記念講演会 (最終講義)をしたり、草津市内のホテルで高い会費を集めて記念パーティー を開くようである。講演内容は人工知能の基礎研究に関するもの。 私もかつてそれに近い分野の研究者として人工知能研究を見守っていた時期 があったので、とても興味深く聞くことができた。
講演の後は直ちに関西日仏学館へ移動。電車の中でフランス語の基本動詞 の活用をさらっと復習し、関西日仏に着いてからは図書室で予習の続き。しば らくしてクラスメートの一人がやってきたので、今日はテキストのどこをやる 予定かと聞く。予想はほぼ的中。今日はフランスにおけるカトリック教がテー マ。隣の京大ルネで書籍を少し偵察してから夕食をとり、再び関西日仏に戻っ て予習の続き。
18時45分から2時間の授業。日本語は通じないけどドイツ語はよくわ かるいつもの先生はフィリピンにバカンスだとかで、代理の先生が現れる。こ の先生は日本語はよくわかるがドイツ語が通じない。頭に思い浮かんだドイツ 語を必死にフランス語に訳して喋る私としては、ちょっとやりにくい。私は、 地下鉄のホームの端っこで酔っ払いが立小便するのに困った京都市交通局が、 問題の箇所に鳥居の絵を描くという対策を講じたという話を紹介し、「ここに 日本における神道文化の影響が見出せます」と結論づけたのだが、「立小便はドイツ 語で "Pipi machen" というけど、フランス語ではどう言いますか?」と先生 に聞いてもなかなか通じないので、ちょっと困った。答は "faire pipi" だと。 何だ、ほとんど同じじゃん! "faire" はドイツ語の "machen" とほぼ同義だ し。
それから、いつも私の隣に座って何やかや言って講座を盛り上げる、自称 「10年後には死んでいる」オジサンは、先週あたりから「孫の顔を見るため」 とかで何故かイタリアに飛んで帰ってこないとか。そのため、どうしても授業 が「真面目」に進みすぎてシンドイ。
かように、何だか知らないけど、いつもとはちょっと違った雰囲気で授業 を終え、雨の中を菊水辛口180mlの路上飲酒をしながら京都市役所前駅ま で歩き、それから地下鉄で帰宅。
帰宅後は"aller" と"ist" と"il"と"er"のどれがドイツ語でどれがフラン ス語なのか訳がわからなくなっている脳味噌の状態を「正常化」すべく、明日 のドイツ語の予習を少し。かくして本日数学はなし。まあ、こんな風に強制的 に数学から離れる本当の意味の「休日」を作るのも悪くないかな、と。
2010年2月25日(木)
<<サリンジャーする>>
研究日。起きがけでまだ頭がぼんやりしている午前中は、少しドイツ語の勉強。
先日ゲーテに潜入して貰ってきた春の短期講座のパンフレット。ヨーロッパの
各国で増え続けるイスラム系住民の問題が概説してあり、講座では色々な資料
を使ってさらに詳しく講述する、と。ちょっと興味があるけど。まあ、講座は
既に始まってるみたいだし、寺子屋と関西日仏にも通わないといけないから、今
回はパス。
それから自宅を出て、河原町三条の丸亀製麺の讃岐饂飩の昼食を取ってか ら京大へ。途中、今出川通りの古本屋を通りがかったら、「サリンジャーをつ かまえて」(イアン・ハミルトン著)が店頭野ざらし状態で置かれているのが ふと目にとまったので、衝動買い。
サリンジャーは会社に就職したての頃にハマって、原書で読もうとしたけ ど、英語が難しく音を上げて放り出した。彼は若い頃に作家として成功して財 をなし、以後人嫌いの隠遁生活を送ったそうだが、中学時代の担任の先生(英 語の先生だった)も定年退職後は自宅に籠りっきりで、外の用事は同居の妹に 任せっきりというサリンジャー的生活を送っておられるようだし、グロタン ディックもピレネーだかアルプスだかの山の中でずいぶん前から「サリンジャー してる」し。まあ、私も含めて、多少なりとも気難しいところのある人間にとっ て、隠遁生活はちょっとした憧れだな。(今でも半分隠遁生活みたいなものだ けど)
京大北部生協で自販機の珈琲を一杯飲んで、数学教室の図書館に籠り夕方 まで数学。帰りに数理研を偵察したが、耐震補強工事はほぼ終った模様。隣の 基礎物理研脇の「数理研猫」ことトラちゃんの住処も視察したが、ダンボール 箱にクッションなどを入れた、居心地良さそうな寝床や餌や水を入れる食器な どがあるだけで、猫は留守。それから河原町三条での道草は省略して、大丸ラ クト山科店で安い赤ワインを買ってから帰宅。
夜も少し数学。適当に切り上げて「サリンジャーをつかまえて」を読む(つもり)。
2010年2月24日(水)
<<同僚>>
13時より修士論文公聴会。2グループに分かれて行われ、我々のところは3
名のみ。私の研究室の院生M君は3番目だった。修士論文公聴会のよいところ
は、専門外の話を聞いて思いっきりド素人な質問をぶちかませることである。
学会でそういうことをやると、流石につまみ出されはしないだろうけど、要注
意人物として厳しくマークされて、その後この業界で色々やりにくくなること
は請け合いである。しかし修論公聴会では、学生にド素人質問を浴びせて答え
させることは教育的指導の一貫だし、例え学生がうまく答えられなくても、指
導教員が丁寧に説明してくれる。
数学者が同僚であることの利点のひとつは、気軽に数学の質問ができること。
お前そんなこともわからんのかとか、教えるの面倒臭いし、お前にそんなこと
教えても俺の研究には何のメリットもないから教えてやらない!みたいな態度
をとられる心配が限りなく小さく、私の回避性人格障害の
発作も起こらずにすむ。
公聴会は2時間弱で終り、人数が多いもう一つのグループとの時間調整の ため、研究室にもどって1時間ほど数学を考え、16時過ぎから判定会議を含 めた学科会議。半時間ほどで終り、研究室と学部事務室で少し事務的な用件を 済ませてから、大学を発つ。
今年度の大学の仕事としては、この春定年退職する(旧)情報学科時代の同 僚の最終講義の他に2つの会議に出て、最後に卒業式(正確には卒業証書授与 式)にちょっと顔を出すだけ。関連行事としては、3月16日夕方の会議の後 で親和会宴会がある。
(旧)情報学科ではずいぶん酷い目に会ったので、(元)教員も含まれてい る同窓会組織からの問合せや当時の同僚の退職記念ナントカの類の連絡は、糞 喰らえ!と全て黙殺している。しかし今度参加を予定している最終講義だけは 例外。別にその先生に特に良くしてもらったというわけではないが、少なくと も当時としては、計算機科学をサイエンスとしてきちんと捉えるセンスと 見識を持ち合わせた唯一の同僚だったので。
そういえば、定年退職する教員に対しては、 あまり良い思い出が残らないことが多い。 A教授には私の教授昇任人事を妨害されたし、 B教授は、私が留守中に行われた理不尽なある決定に強く抗議した時、奇妙な形 式論理の遊戯に逃げ込んで頑として譲らず、 C教授はそれに付和雷同して加勢した。 D教授は私を悪者扱いして嘘ばかりつくし、 E教授は状況を正しく理解できずにちゃぶ台をひっくり返して全てを台無しに しよった、等等。 まあ、そんな感じである。去る者日々にうとしで、同僚として過ごした彼らの 記憶、特に数少ない良い思い出は次第に薄れ、イメージの単純化が進み、 「人事妨害のA先生」 「論理の遊戯に耽るB先生」 「付和雷同のC先生」 「嘘つきのD先生」 「ちゃぶ台返しのE先生」といった言葉以上でも以下でもない 符号のような存在となって、 いずれは私の脳裏に小さな棘のようになって残るのである。
「数学者はもっとも出来の悪かった論文で評価される」というジョークがあり、 確かに一度変な論文を発表して顰蹙を買うと、「あいつはあんな馬鹿な 事を言ってた奴だから」と後々いつまでも陰口を叩かれたりする。 その人についてのネガティブな情報の方が後々残りやすく、それと同じ原理が 定年退職教員に対しても働いているのだと思われる。
夜も少し数学。
2010年2月23日(火)
<<しばし考える>>
春の陽気の研究日。午前中は自宅で野暮用の後、「テンコ盛りの謎」について
しばし考える。昼過ぎに自宅を出て山科駅前Sbuxで昼食をとりながら、ま
たしばし考える。隣ではアラフォーの女性2人が世間話に花を咲かせていた。
そういえば先週の土曜日に京都市内のバス停で同じような女性2人組が居 て、バスを待ちながら、どこかその辺でお茶してきましょうよとか話し合って いた。その一方が、自分は今の職場に就職して20年ぐらいになるが、自分の 上司は滅多に怒らない人で、20年間に3回だけほんの少し声を荒げただけで、 それがかえって恐かったと言っていた。それに対してもう一方は、そうよね、 しょっちゅう怒る人は慣れっこになって恐くないけど、滅多に怒らない人が怒 ると恐いよねと相槌をうっていた。
この話には驚いた。20年間に3回しか怒らない上司ぐらい居そうなもの だが、20年間同じ上司という安定し切った職場がこの世に存在するとは信じ 難い。まあ、公務員ならありうるのかしら。
それから大学に出勤し、事務室で郵便物を受け取ってから研究室に籠り、 しばし考える。16時半から教授会。ここでも議事を聞き流しながら、しばし 考える。某委員の先生が何やら延々と説明しているので、一瞬、深刻で複雑な 問題でも起こっているのかと思ったが、そうでもなかった。そういえばこの先 生、教授会のたびに学生向けの講義よろしく微に入り細に入り、時には具体例 を交えて延々と説明して会議を引き延ばすので、学部長もやや困惑気味のよう。 その後、別件で学部長からの簡潔な報告。こちらはずっと不気味で深刻そうな 問題。さてどうなることやら。
教授会は18時前に終了。すぐにバスに飛び乗って大学を発つ。電車の中 で昨夜からずっと考えていた謎がひとつ解けた。夜も少し数学。解けた謎をノー トに纏める。
2010年2月22日(月)
<<なんやかや>>
昼過ぎに出勤。生協食堂で昼食の後、夕方まで色々雑用。データベースを検索
して先週の東大の研究集会に関連した調べ物をし、それから年度末に向けて研
究費の残高を確認して3月の出張計画を立て出張先のホテルを手配。そして色々
な書類を書いて色々なところに提出し、ついでに3月半ばの親和会宴会の申し
込みも済ませる。
結局3月の出張は、前半の埼玉大学、関西学院大学梅田サテライトキャン パス、そして後半の慶応大学となった。埼玉大学出張では、会社員時代の思い 出懐かしい蕨や川口のホテルはうまく取れず、浦和駅前のホテルに泊まること になった。しかし浦和は、最初の海外出張の時に埼玉県庁にパスポートを取り に2回程行ったし、浦和伊勢丹で買ったお気に入りのセーターを古くなって肘 に穴が空くまで使っていたし、まあ、私個人的にはそれなりに由緒正しい街だ から、やはり楽しみだ。吉祥寺伊勢丹は閉店されるが、浦和伊勢丹はしばらく 健在のようだし。
会社員時代は、院試に落ちて数学者への夢破れ、あまり性分に合ってない 会社務めでヤケクソになっていたけれど、同世代の同僚達の中に面白い奴が何 人も居て、彼らと日々なんやかやとわいわいやって、と、今思えば愉快な時期 ではあった。今は仕事は会社員時代よりもうんと面白いけど、「なんやかや」 というのが無いので「愉快」という感じではないな。オジサン同士「なんやか や」するのは見苦しいし、オバサンと「なんやかや」するのは、あらぬ誤解を 招かぬよう色々余計な気を遣わねばならないし、まあ、難しいもんである。
世間的にはよくオジサン同士がつるんで嬉しそうに遊んでたりするが、オジサン 嫌いの私にはそういうのは原則として無理である。オジサン嫌いの深層は、 よく犬の散歩で2匹の犬が出くわすと無闇に興奮して吠えまくるという、 あれだと思う。こいつ男か!?と思った瞬間にううっと身構えて、 それがさらにオジサンだとなると、もう心の中でバウワウワウワウ...!! と滅茶苦茶吠えまくっている。 これは昨日の日誌にも書いた「(オス同士無意味に)張り合う」心理である。
若い時はそんな風でもなくて男同士で平和にわいわいやってたのに、 何でこんな闘争的な人格に変わってしまったんでしょうね。 学科長やって脳が歪んだからだとか、計算機科学から数学に戻ってきて、 学生時代のサドマゾ体験のトラウマが一杯詰まったパンドラの箱の封印が解かれ、 それによって性格が一気にひねくれてしまったからだとか、 いや、元々ひねくれてたんじゃねーかとか、それ以外にもあと2つ3つ 思い当たるふしがあるけれど、たぶん全部当っていると思われる。
帰宅して夕食の後、近所の歯医者に定期診療に出掛け、夜は少し数学。
2010年2月21日(日)
<<張り合う>>
研究日。午前中に朝日新聞日曜版で「オチビさん」を見て、京都新聞日曜版
「7つの間違いクイズ」と「クロスワードパズル」をやり、昼と夕方に山科区
内のスーパーやラクト山科に買い物に出た。ラクト山科では、例の「あーあ、
何にもすることがないなあ」オジサンが、いつものようにフラフラと歩いてい
た。あの徘徊癖には妙に共感できるものがあるな。買い物に出た以外は、自宅
にて「テンコ盛りの謎」解明プロジェクトを進める。
ふとノートを見ると、新しいプロジェクトを始めてもう1年が経とうとし ていることに気づいた。ある問題をちょっと考えてみて、「これは手に負えん なあ」と関連する問題に逃げ、「これも手に負えんなあ」となって、これらに 共通する基礎をちゃんと勉強しておこうとチマチマ教科書や古い論文を解読 し、、、みたいなことをやっているうちに、これといった進展の無いまま1年 が経ってしまった。まあ新しいプロジェクトだから1年目は勉強だけで終って 当然だな、と自分に言い訳をしておく。
ところで冬季オリンピックって全然興味がないのだけど、オリンピックに 限らず甲子園だのプロ野球だのサッカーだの競泳だのも、あまり好きこのんで 観戦したりはしない。どうも私は勝負ごとを見るのが嫌いなようだが、それは たぶん見ていてシンドクなってくるからだと思う。
だいたい常日頃、飛ぶように過ぎ去る時間だの、テンコ盛りの謎だの、世 界のどこかに潜んでいる、近い将来研究で私を出し抜くかもしれない未だ見ぬ ライバルだの、ちゃぶ台返しのウソつきオジサンだの、街を歩いていてふと ショウ・ウィンドウなどを覗くと、やはりこちらを見てニヤリと笑いやがる 変なオジサン(私のことですが、何か?)だの、 色々なものと張り合って生きているのである。 その上にさらに他人の勝った負けたなんてのまで見てたら、ほんまに 寿命が縮みまっさ。
2010年2月20日(土)
<<質問>>
また、「あのシリーズ」の瞬間的復活である。本日JEUGIA三条本店で購
入した、Anne Queffelecのヨゼフ・ハイドンのソナタと変奏曲集。ヘンデルの
ピアノ曲集のときもそうだったけど、最近のQueffelec のCDはデザインがお
洒落である。プラスチックのCDケースではなく厚紙3枚折の作りになってい
て、裏にも表にも綺麗な写真やらデザインやらが施されている。ハイドンは普
段あまり聴かないしCDの試聴もできなかったけど、この美しいジャケットを
見てQueffelec のピアノの音が聴けるのなら、もう何でもいいや!と思いっきり
衝動買い。
さて、今日はドイツ語寺子屋の日である。午前中は、研究集会で居眠りしている ドイツ人数学者をどやしつけるにはドイツ語でどう言えば良いかを考えたりし て、ウオーミングアップ。昼過ぎに自宅を出る。京大ルネで昼食の後、関西日 仏学館の廊下のベンチでドイツ語(!)の予習などをしていたら、以前講座で 一緒だった人がやってきた。クラシックギターをやっているというので、私が 子供の頃に習っていた曲の楽譜なんかを見せたりしたのが切欠でちょっと親 しくなったのだが、先日会った時には今は別の楽器をやっていると言っていた。 今日はベンチのすぐ隣の教室で授業があるのだそうだが、まだ時間があったし、 しばしお喋り。
寺子屋塾では、居眠り問題について先生に質問してみた。ゲーテや関西日 仏の先生達、あるいは新聞でコラムを書いていた某大学の(たぶんドイツ人の) 先生は、口を揃えて会議や授業での居眠りは西洋文化では「とんでもなく失礼」 な行為なのだと言うが、本当か?私は先週行ってた研究集会で居眠りをしてい るフランス人数学者とドイツ人数学者を目撃したけれど、それはどう理解 すれば良いのか?と。
それに対する寺子屋の先生の答は、ドイツでは少人数の会議やゼミナール、 中学高校の授業では居眠りは固く禁じられているが、大学の巨大教室での講義 など、大人数で一方的な講演のようなものでは、隅っこの方でこっくりこっく りするぐらいのことは珍しくないとのことだった。でも、それだったら(少な くとも私の時代の)日本とあまり変わりがないし、これまで聞いていた話とも 微妙にギャップがある。これは引き続き調査が必要だな。今度ドイツに行った ら、この点についても調査してみよう。
夜はスポーツクラブ。そして帰宅後は今日買ったCDを聴く。ハイドンの
ピアノ・ソナタは曲自体が私にとってはいまひとつかなって感じだけど、
Queffelec節はたっぷり聴けるから、よしとする。
2010年2月19日(金)
<<小市民な私>>
19時過ぎ東京出張から無事帰宅。正標数の代数幾何学に関する研究集会とい
うことで参加してみたが、何故かK3曲面の話が多かった。しかし可換・非可換
特異点解消や密着閉包を使った退化法、それから3次元多様体やリジッド幾何
学の話もあって、色々勉強になった。
ゲーテや関西日仏学館の先生が口を揃えて「西洋文化における居眠りの犯 罪性」を強調するのだが、以前、数理研の研究集会で居眠りしているドイツ人 数学者を発見した。ただ、そのサンプルの場合は(関西日仏の先生が指摘した ように)ジェットラグのせいではなかっ たかという疑問が残っており、新たなサンプルを見つけることが国際研究集会 参加の秘めたる目的の一つにもなっている。
今回の研究集会では、3日目の午後にフランス人数学者がほとんど寝かかっ ていた。3日目だからジェットラグのせいだとは言わせない。しかしながら 彼の居眠りは、 「寝てたんじゃない。目をつぶってただけだ!」という日本のオジサンが好ん で使うような言い訳の余地を残すものであった。しかし同時にもうひとり、ド イツ人数学者が椅子にふんぞり返ってこっくりこっくりやっていた。これは完 璧な居眠りだ。「あー、お前の講演、俺は興味ない!」って全身で示してるよ うなものだ。「おい、お前!ゲーテの先生が、講演中のこっくり居眠りはドイ ツでは"途方もなく失礼" で、マトモな人間でそんな事をする奴はいないと言っ てたぞ。お前、大学の先生してるくせに、そんなんでええんかよ!?」と(でき れば)ドイツ語でどやしつけてやって、それで奴が「俺は日本に来て3日で日 本文化に適応したんだ!」と言い返してきたら、「おお、お前、なかかな言う やんけ!」と褒めてやるという展開をイメージしたけど、イメージするだけで 行動に移さないところが、いかにも小市民な私なのよね。
さて、宿泊した吉祥寺は、東京で会社員をしていた頃のお気に入りの街の一つ。 会社員時代は埼玉の蕨、浦和、川口のアパートやマンションを転々としていたのだ が、いずれ立身出世して吉祥寺あたりに住みたいものだとまで思ったものである。 その吉祥寺は、今から思えば別にどうってこともない東京の街だが、 ゆったりとした井の頭公園や、活気のある商店街、商店街を抜けると 都内なのに広々とした庭付き一戸建の家が立ち並ぶ住宅街があって、 それやこれやにそこはかとなく漂うさらりとした品の良さが他とは違うところ。 「さらり」としているのは、たぶん歴史が浅い街だからであって、 京都や奈良だと千年の歴史のドロドロが邪魔 をして、なかなか「さらり」という風にはならない。
昔よく通った 吉祥寺伊勢丹の近くの ジャズ喫茶"Sometime"がまだ健在だったので、2日目の夜は20数年ぶり にライブを聴いてきた。3、4日目の晩も通おうかと一瞬思ったけど、まあ、 それよりもどこかで安いクラシックコンサートをやってないか探してみるか、 あるいはホテルで酒でも飲みながら数学やってようかという風に思ってしまう ところが、ジャズへの愛!が過去のものになっている証拠かしらね。 "Sometime"は狭い路地に面しているけれど、近くに伊勢丹があるせいかその 界隈に暗い雰囲気はなく、むしろちょっと洒落た感じがして、そこがまた良い。 しかしその伊勢丹吉祥寺店も、3月14日で閉店するそうだ。 デパート不況がこんなところにも押し寄せているのかと、ちょっと驚いた。
東大の研究集会は昼休みがたっぷり2時間とってあったので、午前の講演 が終るや否や東大駒場前駅から井の頭線に飛び乗って20数分で吉祥寺に 着き、昼食も含めて1時間ちょっと街を散策できる。4日間の研究集会のうち 3日間はそうやって吉祥寺で昼休みをすごしていた。勿論、漫然と散策してい るわけではなく、Loft, 伊勢丹、東急デパート、丸井、パルコ、西友等の店を くまなく偵察飛行し、東急デパートとLoftだけがワンタッチ折り畳み傘を扱っ ていることを突き止め、慎重に比較検討した結果Loftの傘を買ってきた。
では最終日4日目の昼休みはどうしたかというと、吉祥寺のホテルは チェックアウトしたし、荷物をもって動き回るのも大儀だということで、 研究集会会場の隣にあるイタリアントマト Cafe Jr. の東大駒場キャンパス店 で昼食をとったり、珈琲を飲んだり、数学を考えたり、 居眠りをしたりしていた。客の中には 何故か小さな子供づれの若い母親達が沢山居て、母親同士がお喋りに夢中になり、 子供たちが騒ぎ、母親が金切り声を上げて子供を叱り等々と、阿鼻叫喚の 地獄絵図が展開していた。いったいこの母親や子供たちはどこから湧いて 出てきたのか。東大の教官の妻子らか、それとも近所の人たちか。
京大ルネの生協食堂にも、最近は一般人が沢山来ているが、ルネの場合 は高齢者の姿が目立つ。年寄り所帯で毎度の食事の支度も大儀だし、近所の京大生協 なら安くて色々なものが食べられるからとやってくるのだろう。では、 イタリアントマト Cafe Jr 京大キャンパス店みたいなのを作ったら、やはり 小さな子連れの若い母親達が集まってくるかどうか、興味のあるところだ。