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よ け ス ペ ー ス で す。

2010年1月15日(金)
<< Kopfは独語、仏語はtête!>>
午前中に出勤。研究室で昼食をとったり2月の出張申請書を書いたりして、1 3時より卒研ゼミ(初等整数論)。14時半に終了。出張申請書を事務に提出 してすぐに大学を発ち、関西日仏学館へ。図書室で基本動詞の活用形の復習を してから、隣の京大ルネで少し早めの夕食。

18時45分からフランス語の授業。先週から始まっているが、ハノイ出 張のため、私は今日が最初。受講生は前のクラスにも居たオジサン2人と、さ まざまな年齢層の女性3名。うち1名は以前我々のクラスに居た人。しばらく 他のクラスに通っていたのだが、我々のクラスの「緩さ」が恋しくなって、戻っ てきたのだという。

今学期から新しく着任した先生は、日本語がほとんど話せないが、ご主人 がドイツ人であるためドイツ語がわかるらしく、私がドイツ語とフランス語を ちゃんぽんにして喋っていると、ちゃんと「Strasseはドイツ語、フランス語 はrue!」「Kopfはドイツ語、フランス語はtête!」「istはドイツ語、フ ランスはest!」等等と指摘してくれるから便利である。最初は何を指摘されて いるのか全然わからず、ああ、Kopfのかわりにtêteと言っても良いのか、 みたいに思っていた。ist, StrasseやKopfがドイツ語であることぐらいは普段 は良く知ってるのだけど、フランス語を喋らねばならないという切羽詰った状 況に陥ると何が何だかわからなくなって、自分でも何語を使ってるのかよく考 えずに滅茶苦茶喋ってるって感じ。

今日の会話練習は休暇と(海外)旅行がテーマだったから、早速ハノイ下痢 三昧の話をネタに使わせてもらった。そうこうしているうちに、新人受講生の 一人に、パリの何とか橋を知らないのか?と驚かれてしまった。いくら観光に 興味がなく前にパリに出張したのが20年も前だからと言って、何とか橋ぐらいは 知ってるだろうというのである。またか。前にドイツ語寺子屋で、私がドイツの ナントカ城を知らないというので、おおいに笑いを取ったことがあるが、 別にいいじゃないの。そんなことより、ドイツや フランスの30代の男が電車の中で鼻糞をほじくるかとか、ドイツの電車が遅 れる時に「線路に人が立ち入ったため安全確認をおこないました」という言い 訳をするかとか、ドイツの子供たちはどういう風に弱い者イジメをするかとか、 そういうことを観察することの方が、よっぽど興味深いテーマだとは思わない か(思わないよね)?まあ、いけどさ。

「いやあ、今日も沢山ボケをかまして、先生にも生徒にもウケまくったな。 愉快愉快」と、帰りはご機嫌。ということで、厳寒の折だし、熱燗娘180m l路上飲酒。帰宅後は少し修士論文のチェック作業。

2010年1月14日(木)
<<刺激的で胸躍る>>
下痢は完治したようだ。抗生物質は偉大で、あんなに執拗な下痢でも飲んだそ の晩からみるみるうちに効いていた。後知恵ではあるけど、ベトナムの病院で 貰った時に躊躇せずにすぐに飲んでいれば、帰国する頃には治っていたかもし れないな。

土曜日に病院に検査結果を聞きにいくことになっているのだが、下痢が治った 今となってはこれもほとんど消化試合のようになってしまった。他の予定もある ので、病院の予約を変更できないか午前中に色々画策したけれど失敗。 諦めて午後は大学に出勤し、徳島大学集中講義のレポートの採 点。夕方には完了して成績表をメールで送付しレポートの郵送手続きをしてか ら、バスとJRと地下鉄を乗り継いで関西日仏学館へ。19日夜のガレット・ デ・ロアのチケットを購入。3000円とはかなりいい値段だ。去年はもっと 安かったような気がするけど。それから京大生協ルネで、最近出たばかりのR. ハーツホーンの変形理論の教科書を購入。

夜は2月の東京出張の宿を探して予約。その後すこし数学。森先生の本の 証明って全然わかんねえなと、眠くなってきた頃に、M君から修士論文の草稿 が送られてきた。2、30ページぐらい書けば十分と言っておいたが、彼の原 稿は既に70ページ。えらい気合いの入れようだな。

さて、ハノイは昭和20年代から30年代初頭の日本のような雰囲気の町で、半 世紀以上この世に生きている私などは少し懐かしい気がしないでもない。しか しながら、あの頃の日本では裸電球が主流だったが、ハノイの店の照明はもっ ぱら昼光色の蛍光灯が使われていて、青白く照らされた暗い店々を眺めていると、 だんだん気が滅入ってくる。まあ、裸電球だと、夏場は暑くて しょうがないのだろうけど。そうかと思うと、所々に21世紀からタイムスリップ してきたような、小奇麗でお洒落な建物や店が建ってたりする。

ホテルと研究所、あるいは遠足の目的地を往復するマイクロバスの窓から は、歩道にせりだした店先に木の机を置いて、その上に生肉を常温で並べて 売ってる店や、車道を行き交うバイクや車が巻き上げる土埃もなんのその、 歩道でママゴトに使うような小さなテーブルを囲んで 風呂で使うような合成樹脂製の小さなブルーの椅子に座り、 まともに洗っているとは思えない食器でお茶を飲んだり食事をしたりしている 人々が目にとまった。また、 やはり土埃の舞い上がる田園地帯の車道の脇で、おばちゃんが粗末なゴミ袋の ような袋に フランスパンを20本ぐらい詰め込んで、それが半分ぐらい袋から外に はみだしたような状態で売ってたりする。 そんなところにヤワな現代の日本人がやってきたら、病気のひとつも 罹りそうなもの である。実際私は十分気をつけていた積もりだったのに下痢になった。

下痢腹をかかえ、一人静かにマイクロバスの窓から外を眺める私に、隣の 席のベトナムの人が「疲れたのか」と聞いてきた。別に疲れているわけで はなく、対数学者回避性人格障害だから大人しくしているだけなのだが、「食べ 物が悪かったのか水が合わないのか、兎に角、下痢が止まらずに困っている」と いう話だけはした。初めてのハノイがそれでは、さぞかしベトナムの印象が悪 くなったのでは?と心配する彼女に、「確かに不幸な経験だが、それが後に刺 激的で胸躍る楽しい思い出になると思う」と答えておいた。別にベトナムの人 の心情を思いやってのことではなく、本当にそう思うのだ。私の父は太平洋戦争 の頃に南方戦線に駆り出され、デング熱に罹ったというから、私だって下痢 のひとつぐらい罹らないと格好がつかないし。

じゃあ、来月あたりにもうベトナムに1度行くか?と言われれば勘弁して 欲しいところだし、当分行きたくないのだけど、学科会議の複雑系な議 論に付き合ったりすることに比べれば、ずっと刺激的で胸躍る楽しい体験だっ たことは確かだ。

2010年1月13日(水)
<<驚きと失望>>
寒波が来ているらしく、寒い。午前中に出勤。水曜の朝なのにJR琵琶湖線は 珍しく正常運転。10時40分から12時10分まで大学院の授業。今日は M君とすこし修士論文の打ち合わせをしたあと、いつものようにルべーグ積分 のゼミ。今日が最終回。午後は14時40分から16時10分まで2回生の群論 の講義。シローの定理の証明の概要がほぼ終る。この講座は来週補講を1回やって 終了する。

16時半から18時過ぎまでは学科会議。複雑系な議論が展開していたが、 複雑系でない私がこういう話に首を突っ込むと碌なことはないので、ダマを 決め込む。この人たちは肝心なことを正面から議論せずに一体何をやってるの だろうかと思うが、複雑系の皆さんには複雑系の皆さんなりの流儀があるのだ ろうし、余計な口出しはしないでおこう、と。

それやこれやの合間は、出張報告書を書いたり、Webでシラバスを入力 したり、昨日の衣笠出張の交通費請求書類を書いたりといった雑用。 南草津駅前のお好み焼き屋で夕食の後帰宅。夜は昨日督促状が来ていた MathReview のレビュー作成。ハノイ滞在の最終日に、ホテルの部屋でトイレと ソファの間を何度も往復しながら、あらかじめ草稿を練っておいたので、あとは 纏めるだけ。深夜には書き上げてWebで送信して作業終了。

ところで数学の研究集会は全て招待講演で固めるのが原則で、計算機科学のように 講演者を一般公募して投稿された論文の査読審査で選考するという方法をとることは 稀である。そのため、数学の講演者は最初に「このような発表の機会を与えてくださった 会議の運営委員の皆様に感謝いたします」と卑屈な挨拶をするのが慣わ しになっている。ただし、偉い先生の場合は、俺はわざわざ講演しに来てやった のだぞという感じなので、こういう挨拶はしないのが普通である。こういう ところに、日頃から一人一人が相手を厳しく評価しあって、目に見えない 上下関係のネットワークが至るところに張り巡らされている数学者集団のネチコ さがよく表れている。(あー、鬱陶しい。ま、いいけどさ。)

それで、今回のハノイの研究集会に何故私が招待されたのかは謎のままで ある。一つの推論としては、数年前まで私がやっていた研究が一部の人たちに 少しばかり評価されて、その方面の専門家の一人として一度お試しで高山を呼 んでみようかという話になったのだと思う。しかし高山不確定性原理というのが あって、私はある分野の専門家として人々に認知される頃には、既にその分野の ことはすっかり忘れてしまって別の分野に夢中になっていることが多いのである。 今回の研究集会でも、恐らく期待されていたであろう分野の話とは全く違う講演 をしたので、さぞかし人々を驚かせ失望させたことだろうと思う。 単に「最新の研究結果について講演してください」という依頼が来たので、 まさにその通りにやったのだから何を喋っても文句は言われないけど、 もうハノイに呼ばれることはないと思う。ま、誰 かに認めらるために数学やってんじゃないんだから、別にいいんだけどね。

2010年1月12日(火)
<<一斉蜂起への対処法>>
昨夜飲んだ抗生物質とビオフェルミンが効いたのか、ようやく下痢が止まった ようである。しかしまだ胃腸は本調子ではないし、右足首は少し痛んで腫れが 引かない。

本日昼前に出勤。12時40分より14時まで卒研A(可換環論&代数幾何 学)。その後、某委員会に出席するために、14時45分発の衣笠キャンパス 行きのシャトルバスに乗り16時前に到着。いつもながら衣笠キャンパスはしっ とりとしていい雰囲気である。喫茶ユンゲで紅茶スコーンを食べながら一息入 れ、16時半から18時頃まで委員会。19時過ぎに帰宅。

帰路に京都市役所前を通り、懐かしい(!)思いに浸ったけれど、ここで も歩道を暴走する自転車に出くわし、ああ、そうだったんだと思う。

ハノイの車道には、暴走族の存亡を賭けた史上最大規模の一斉蜂起かと思 うぐらいにバイクが溢れ返っていて、交通ルールも何もあったもんではなく滅 茶苦茶に走り回っている。研究所とホテルの送迎バスの中から、バイク同士の 交通事故を目撃したけれど、誰も何も気にしていないところがハノイの凄さだ なと思った。

いっぽう日本の歩道では、自転車が交通ルールも何もあったもんではなく 滅茶苦茶に走り回っている。そういう意味では、ハノイも京都も危険なことに は変わりなく、要は私自身が危険に対する対処法をどれだけ身に着けているか の違いだろうと思う。ハノイの方がより危険に思えたのは、単に私が、京大近 辺の歩道で前後から突っ込んで来る暴走自転車から身を守るノウハウをある程 度持っているのに対して、信号がほとんど無いハノイの車道に産卵期に川を上 る鮭の大群のように溢れかえるバイクを前にして、どうやって安全に道を渡れ ば良いかを知らなかったからにほかならない、と。

しかしひとつだけ分かったことがある。対数学者回避性人格障害の私とし ては、講演の合間の休憩時間に人々とお茶を飲んで会話するようなことはしな い。今回も、下痢でトイレに籠っているか、数学研究所の建物内部や、建 物周辺の他の研究施設(研究施設が集中している大学のようなところだったの で)で偵察活動に励んでいるかのどちらかだった。会議場は3階で、部屋には 広いベランダがあったので、よくベランダに出て車道を眺めていた。そのうち、 信号の無い道路を渡る人の様子が気になり、それらをずっと観察しているうち に、ひとつのコツがわかった。日本人なら足早に少しでも早く渡りきってしま おうとするだろうけど、現地の人はバイクがクラクションを鳴らそうと何だろ うと、相手を睨みつけながらゆっくり渡る。バイクや車からすれば、この方が 横断者をよけやすい。

そういえば、ハノイではバイクや車同士でよくクラクションを鳴らして睨み あっていたが、そういうのは平気みたいである。こういう場合、日本ならすぐに ドライバーのどちらかがキレて傷害事件が発生して人が死んだりするけど、 ハノイではお互い譲り合おうなんて姿勢も皆無だから、「おい、お前、そこどけ!」 「何だよ、馬鹿野郎」ってやりとりが当たり前?皆がカブトムシの押し相撲みたい なことをやって、人は死なず、傷害事件も起こらず、そのレベルでうまく平和が 保たれているのであろう。平和が何よりである。

2010年1月11日(月)
<<命からがら?>>
早朝の便でハノイから関西空港に帰還。「命からがらに帰ってきた」というの は明らかに嘘としても、「ハノイ地獄の特訓7日間で根性を叩き直してきまし た!」というのは誇張でもなんでもない。

会議の期間中は毎朝7時40分頃にホテルのロビーに集合、(誰か サボろうとしている奴はいないか確認するための?)点呼の後、マイクロバスに 乗せられて30分ぐらい先にある数学研究所に運び込まれ、8 時半から17時過ぎまでびっしり講演を聞かされる。まあ、仕事なんだからしょ うがないとはいうものの、講演は可換環論のディープな話がほとんどで、すで に頭の中がすっかり代数幾何学になっている私にとっては、ちと辛い。

昼食は研究所の近くのレストランに誘導されて、そこで皆が一緒に食べる。 帰りもまたマイクロバスに乗せられてホテルに運び込まれる。昼休みの空いた 時間にその辺を散策してみたくなるような心温まる立地ではなく、一緒に居た 日本人の先生たちと近くのカフェに入って一息いれるぐらいしかすることがな い。これもまた、対数学者回避性人格障害の私にとっては、それなりに頑張っ てみたものの、ちと辛い。辛くても頑張ってみる。

会議の中日である7日は私の講演を最後に午前中で終り、午後は「遠足 (excursion)」。計算機屋時代に参加した会議でもこういう催しがあったが、 美術館を見学したり、由緒正しいお寺を参拝したりいった感じで、遠足という よりものんびり観光を楽しむという感じだった。しかし数学者が「遠足」とい えば、闇雲に山を登るものと決まっているようである。2002年のイタリア・ レヴィコのシンポジウムの「遠足」も、険しい山を上り、さらに谷を下り、ま た次の山を登り、へとへとになって戻ってくるという、ただそれだけのものだっ た。あの時は途中で脱落し、「明治大学隊」に分け与えてもらった水で息を吹 き返し、人の情けの有り難さが身に沁みたものである。あれから8年、私はス ポーツクラブに通い、数学者の会議の「遠足」への備えを着々と進めてき たのである。

今回の「遠足」も、ごく数年前から建設中という有り難味も何もない山寺 の石段をひたすら登り、石段が完成していないところも構わずよじ登り、ベト ナムの伝説の勇者のモニュメントの建設が予定されているという、頂上の工事 現場を見学し(ただ大きな穴が掘ってあっただけだが)、帰りは「近道」と称 して狸や狐が通るような道なき道を突き進むという、いかにも数学者の「遠足」 らしいものであった。8年間の準備の甲斐あって、私は常に上位グループ内を キープすることができたのだが、下山途中に獣道を歩いているうちに右足首を くじいてしまった。うーむ、足首までは鍛えてなかった。最終ステージに進む ためには足首の鍛錬がこれからの課題です!って、これはもう「サスケ」みた いな世界である。

「遠足」からホテルにもどった直後に発熱。強い寒気と震えがお きる。遠足の疲れか何か不明だが、部屋の暖房を一杯にしても寒くて しょうがなく、急いでシャワーを浴びて、早々とベッドに潜りこむ。 2,3時間後に下痢の気配で目を覚ましたときは、もう熱は治まっているようだった。

8日の夜はホテルの近くのシーフード・レストランで立食形式のバンケッ ト。日本式だと大会委員長みたいな感じの偉い先生の挨拶の後、皆で乾杯!と いう筋書きだが、ベトナム式は何となく三々五々適当に乾杯し、そのまま会食 に突入するという独特の緩さが嬉しい。しかし対数学者回避性人格障害の私と しては、そもそもバンケットというシチュエーション自体が苦手である。途中 で抜け出して、会場横にある生け簀の中の伊勢海老や鰻、その他何だかよくわ からない魚を眺めてすごしていた。

会議は9日の夕方に終り10日の夜の便まで時間があったので、研究所の 人が観光ツアーを申し込んでくれて、何人かの人がそれに参加したようである。 私は右足を傷めて遠出が難しいこともあって、とりあえずツアーは断った。 そして、ホテルでゆっくり数学の仕事をして、気が向いたら少しハノイの街の 散策でもと思っていた。

毎日ホテルから研究所に通うバスから眺めたハノイの街は、発展途上の アジアの街らしい「何でもあり」的雰囲気に溢れていて、わざわざそんな所を 歩き回って危ない思いをするよりも、綺麗なホテルでゆっくり静養しようと思 ったことは確かである。しかし、ハノイの旧市街はもう少し雰囲気が違うそう だから、ちょっと足を伸ばしてみようかという気もあった。

ところが、7日の早朝からずっと、11日夜の今この日誌を書いている瞬間 も、下痢が止まらなくなってしまい、7日午後一杯の「遠足」を乗り切ったの は奇跡と断言できるぐらい、今やトイレとは大の仲良しである。結局9日の夜 ハノイの旅行者専用病院に駆け込むことになり、海外旅行保険を初めて実際に 使うことになった。発熱や吐気等がないことなどから、ただの胃腸炎と診断さ れ薬を貰ってホテルに戻ってきた。10日はその薬を飲んで夕方までホテルで 静養し、腹具合の不安を抱えつつ、ハノイ・ノイバイ空港から夜の便に乗った のである。

今日は午前8時頃に帰宅し、風呂に入って簡単に朝食。それから昼過ぎま で仮眠。その後、下痢に改善の兆しが見えないので、休日診療をやっている近 くの病院で診察を受ける。やはり胃腸炎でしょうね、しかし下痢の件は検疫で ちゃんと申請して欲しかったですねということで、検便をして下痢止めの薬の 追加分を貰って帰宅。

ベトナムぼけで頭がくらくらしているので、まともな仕事はできず、年賀 状の整理などをしてすごす。

2010年1月3日(日)
<<定点観測>>
一応研究日なんだけど、明日ハノイ出発かと思うと何となく落ち着かない。逃 避行動の一貫として関西日仏学館のサイトを覗いてみたら、何とギャロット・ デ・ロアは帰国直後の12日ではなく、その1週間先の19日とわかった。無 事に帰ってこれたら、是非参加しよう。

昨日の話の続きだけど、中学の同窓会では、特に仲の良い連中とはかれこれ 8時間以上一緒に居たことになる。一体何の話をしていたのか思い出してみて も、これといって大したことは話していない。それでも楽しくすごせたし、そ うなると分かっていたから参加したのだ。

その一方で、たとえ2時間の会合でも、一体この面々を相手にどうやって 退屈(と予想される)な時間を潰せばよいのかしらと溜息が出るものもあり、 職場関係のものは大抵そうである。会社員時代はそうでもなかったが、大学教師 というのは一人一人の独立性が高く利害も対立しがちな仕事なので、互いの信頼 関係や親しみを培う職場経験に乏しい。だから大学関係の宴が楽しくないのは ある意味で当たり前であり、私の場合は何か特別な目的でもない限り参加しない ことにしている。

さて、今日の午前中は少し数学。午後は京都駅の31番ホームで関空特急はる かの混み具合を定点観測し、自由席にすべきか、それとも指定席にすべきかを 見極める。正月休み最終日のせいか京都駅の人出はいつもより多めだった。そう いえば、山科駅から京都駅に向かう電車の中で、30代前半ぐらいの男が鼻糞を ほじくっていた。また30代の男か、と。

定点観測の後、京都駅前京阪ホテルのラウンジでしばし数学。ここでは よく、怪しげな商談をしているオジサン達が煙草をばかばか吹かしながら 延々と居座っていたりするが、今日は比較的平和だった。

帰宅後、荷造りをして最終確認。私は冷蔵庫の灯りがちゃんと消えたか 気になるほどではないが、外出のために戸締りをした後に、ガスストーブを ちゃんと消したか気になって何度も家に入りなおして確認したり、ガス メーターの動きを調べたり、ドアの鍵がちゃんと掛かったか、掛かったと 思ったのは目の錯覚ではないかと最低5回は確認せずにいられない強迫神経症 なので、出張の準備も何か大事なものを忘れていないか気になってしょうがな い。だから海外出張、特に、あとは現地で何とかするさという風にやりにくい 短期の海外出張の直前は大変である。

かといって、自分の強迫神経症にいつまでも付き合ってられないと、夜は 少しテレビを見たり、MOMOを読んだりしてゆっくりすごす。

明日の夜、関空からハノイに発ち、帰ってくるのは11日の早朝。次回更 新は11日の深夜以降の予定。

2010年1月2日(土)
<<迂闊であった>>
研究日。昼過ぎにラクト山科を偵察したり山科駅前Sbuxに滞在した以外は、 自宅にて数学。山科駅近辺は、ほぼ平日と変わらない雰囲気。河原町三条界隈 に繰り出そうかと思ったけれど、例年この日はすごい人出でどこの店も一杯で 落ち着けないことを思い出し、思いとどまる。

夕食前に、ようやくルレイのスペクトル列のTeXノートが完成する。ま あ、高々数ページだけど、案外梃子摺った。それにしても、こんな理論を思い ついたジャン・ルレイは、やっぱり天才だな。

夜はテレビのお笑い番組を見てから、また少し数学を勉強したりMOMO を読んだり。

チュートリアル徳井って、やっぱりめちゃめちゃ面白い。チュートリアル 福田と高校で同級生だったそうだから、さぞかし当時から有名だったんだろう と思ったけど、彼らと同級生だった人に聞いたら「全然知らなかった」 と。へーえ、私なんぞは色々な意味で有名だったから、同級生で知らない奴 は居ないぞ。同窓会で、それまで全然話したことない人に、「高山くんって、普 通に人間の言葉喋るんや?!」とか「こんな安全な人だとは知らなかった!」 (お前ら、それ、どういう意味で言うてるねん?)とか、色々言われるもんね。

しかし中学の同窓会はホイホイと顔を出すけど、高校のは全然気が乗らず、 懐かしいって気も起こらない。元ヤンキーたちが地元と同窓会にベターっと幅 をきかせて土着してるし、高校時代に親しかった友人達は何故か音信不通になっ てるし、同窓会に来ている高校時代に特に親しくもなく興味も湧かなかった人 たちが、数十年後の今断然興味深い人に変わっているってこともありそうなも のだが、今のところその気配はないし。ま、一応同期会のメーリングリストに 入れてもらって、しばらく様子見ってところ。

そういえば、今年の関西日仏学館のギャロット・デ・ロアは、ハノイから 帰った翌日だし、当日申し込みが駄目なら参加できないかも。興味のあるイベ ントには貪欲に参加する私としたことが、年末に申し込みをしそびれるとは迂 闊であった。

2010年1月1日(金)
<<ハノイがざわつく>>
寒い正月である。午前中はテレビのお笑い番組を見てから、ハノイ出張の荷物 をすこし纏め、年賀状の返信を書き、それを郵便ポストに投函しがてらに少し 散歩。山科駅前Sbuxは満員御礼状態かと思いきや、案外席が空いていたの で、少し滞在。しばしMOMOに読み耽る。

ミヒャエル・エンデの「モモ」の原書版を2000年のエッセンに滞在し た時に買ったのだが、当時の私のドイツ語ではほとんど歯が立たず、何で子供 のための物語がこんなに難しいドイツ語で書いてあるのだと憤慨したものであ る。今回は10年目の再挑戦で前よりは楽に読めるけれど、やはりすらすらと はいかない。本当にドイツの子供たちはこんな本を読みこなしているのかしら。

毎年思うことだけど、正月は世界が静かで大変よろしく、数学に最適の時 期である。ということで、帰宅後は数学。ルレイのスペクトル系列の手書きメ モをTeX化しながら丁寧に読み返し、最後の疑問を明らかにしようと思ったの だが、結局その疑問の直前まで作業が進んだところで頓挫。しかし風呂に 入っているうちに、ふと閃き、解決。実に単純なことだった。明日は残りの 部分を整理しよう。

今年の目標。まずはハノイから無事に帰ってくることかな。無事に戻って 来れたら、それから残りの人生をどうするか考えることにしよう。 やっぱり正月明け早々の海外出張って、特に準備が大変というわけでもない けど、ハノイ、ハノイ、ハノイ、あーっ、面倒くせー!って頭の中でハノイ がざわついているの。ちゃんと飛行機に乗らなくっちゃとか、パスポート忘れ ないようにしないといけないとか色々気になってしまい、ぼーっと頭空っぽに して正月気分を満喫できないのよね。